少し肌寒い冬の昼
学校の屋上で、俺は鈴谷の声を待っていた。
「あのさ、その……今日、呼んだのはね……?」
いつになく歯切れの悪い鈴谷の様子に、一瞬疑問を覚えた
その瞬間に何も問わなかったのが、俺に一生の後悔を生むことなど知らずに
俺はその様子よりも、鈴谷の話を優先した。
「ん?なんだよ」
「わ……別れて欲しいの!」
「…………」
思考が空白になるって、本当にあるんだな
なんて
俺は鈴谷の顔を見つめて
「どういう事?」
そんな間の抜けた声を出した。
「だから別れてって言ってんの!」
「は?」
再三にわたってはっきりとそう言われても
理解できなかった、思考が現実に追いつかなかった
だって鈴谷は間違いなく俺の彼女で、それが突然今日になって別れろなんて言われても
理解できるわけがない。
「ん〜っ!ダルいんだよそういうの!
もっとさっぱり終わってよ!」
「…………いや、いい」
引き留めようとしている
鈴谷的にはそう感じられたのか
強引に話を切ろうとする、その瞬間に俺はもう思考を終了していた。
もちろん、それは整った終了ではなく、電源を無理やりオフにするような強引な中断で、その代償は計り知れない
俺は今、思考を無理やり止めたことで、取り返しのつかないものを失った。
「…………」
その日、後の授業など身が入るわけもなかった。
その翌日から
鈴谷は学校に来なくなってしまった
「……お前、鈴谷さんの彼氏だろ?
家とか知らねーの?」
「知らねえ、半年近く付き合ってたのに、俺、鈴谷の個人的なこととか全然知らねえんだ」
「は?おまえヤッてんだろ?なんで家も知らねえの?あり得ねえだろ」
「ヤッてねえし家も知らねえ
ほとんど外出だったんだよ!俺が知るわけねぇっての!」
「はぁ〜……もういいわ、お前に聞いた俺がバカだった」
友人達は大概そんなことを言う
教師も家の場所自体は知らないといい、連絡を入れても留守電ばかりだそうだ。
「……はぁ……」
突然フラれた身としては気になる
鈴谷と帰宅した時のルートから大体の道筋と方向は覚えているけどそれが本当に家に続いているかはわからない。
それにもう鈴谷と俺は彼女でも彼氏でもない間柄なんだから、そんなことを気にする必要はない筈だ。
「…………」
昼のチャイムが鳴り
皆が一斉にメシを食いはじめる
俺もいつも通りに鈴谷からメシを貰おうとして、そこでようやく鈴谷がいないことに気づいた。
「バカだな、俺」
なにも考えていない、何もしないで
ただ大切なものが無くなっただけの日常を続けようとした俺は、その大切なものが無くなったら日常が成り立たないことを忘れていたのだった。
「…………」
「はぁ……」
ため息をつきながら教室を後にした俺は
そのまま静かに図書室に向かう
昼休み中だって静かな場所だ
あといくつかは記憶にあるけれど、それは鈴谷の影がちらつくから今は御免だ。
「……」
ボーッとしていると
ずっと鈴谷の事が頭に浮かんでくる。
「……クソッ」
なにも考えないですら居られない
俺には何もできないのに!
「サボるか」
俺はもう学校から帰ることを決断する
別に辞めるわけじゃないんだし、一回くらいいだろう。
今まで遅刻なんてことは一度もしなかった鈴谷が突然学校に来なくなるなんておかしい
女子同士のイジメとかも考え難い筈だ、なにせ大概俺と一諸に過ごしているわけだし。
「…………」
俺は誰もいない廊下をすり抜けて
悠々と校門を出たその瞬間
校門の外に寄りかかっていた鈴谷と目があった。
「………」
「………」
ダッ!という音と同時に
鈴谷が恐ろしく綺麗なフォームで走り出す
わずかに遅れて俺も走る
「待ってくれぇぇっ!」
「………!……!」
叫びながら走る俺と、ひたすら無言の鈴谷は昼間の道を走って抜けて
校門前の桜並木を突っ切っていく
桜が視界から切れて、今度は街の道に入る
信号や車通りも多くなり、ここを走るのは難しい
「ちょっ、ちょっと待って落ち着いてっ!」
「うぉぉぉっ!」
案の定急に失速した鈴谷を飛びつくように捕まえて
「ガッコサボって何処行ってたんだよ!
めっちゃ心配してたんだぞみんなッ!」
「心配なんていらないっての!アタシに人間性を押し付けんなよ!」
振り払おうとする鈴谷を握力で抑えようとする
しかし、強く握っていたはずの手が不可解な感触とともにその腕が擦りぬけた
「……は?」
「……!……さよならっ!」
ひどく傷ついた表情を浮かべた鈴谷は、そう一方的に吐き捨てた
体が薄れていく
もう寒いとすら思えない
体がなくなるって、こんな感じなんだ
「……ごめんなさい……ごめんなさい…………ごめんなさい」
何度も、何度も唇に乗せる言葉は
結局だれにも届かない
一方的にフッちゃったカレ、勝手に連絡先全部消したトモダチ、ブッチぎったバイト先
一つ一つ、丁寧に
私の居場所を私自信の手で壊していく
そうでもしないと、未練が残ってしまうから
私はもう、この世にはいられないから
「心配なんていらないっての
あるべき場所に帰るだけ
ただ、それだけなんだから」
ザラザラと砂のように崩れていく体は
もうほとんど実態が伴わない映像と化していて
もう、彼に触れることもできなくなってしまった
私の家を知ってるのは数少ないトモダチだけで、その全員を等しくひどく傷つけた
もう私に構う人も、私にたどりつく人も現れるはずがない
そう、信じていた
「鈴谷ぁぁぁっ!」
なんど傷つけてもなんど引き離そうとしても、絶対に縋り付いてくる
どうしても振り切れない
「ねぇどうして!?あんたはなんでそんなにアタシに構うの!
もう恋人でもなんでもないのに!!」
こんな刺々しくなんてしたくない
もっとさっぱり離れたい
いなくなってしまう私が
あんたを傷付けなくなんかないのに!
「うるさいっ!たしかにもう俺はお前の彼氏でもなんでもないよ!でもクラスメイトの様子がおかしかったら心配くらいするだろ!」
「だからウザいんだよそんなの!
アタシとあんたは他人なんだよ!アタシに干渉すんなっ!」
「誰が他人なんて認めるか!クラスメイトで隣人で!なによりも俺の好きな人なんだよお前こそ認めろっ!」
「フッた女相手に何言ってんのあんた!キモいんですけど!」
「じゃあ!なんでお前、俺の手掴んでんだよ」
その言葉と同時に
私は自覚してしまった
彼の袖を掴んでいた私の手のことを
「……いや……」
その瞬間に、何かが壊れた
大切な何かが
軋んで、粉々に壊れてしまった
「いやァァァァッ!」
彼の手を思いっきり握って、引き寄せる
そのまま全身を使って抱き込んで、押し倒した
「離れたくない!捨てたくない!
いなくなりたくないの!
わたしはもう!何もなくしなくないっ!
なのに無くなっちゃうの
ぜんぶ置き去りにして
わたし自身が無くなっちゃうのぉっ!」
ぽたぽたと雫が落ちる彼の胸に顔を埋めて、全力で叫んだ
もう隠し通せないのなら
いっそ思いっきり叩いてしまう
「鈴谷」
「見てよ!この腕!透けちゃうの!
もう体の感覚ものこってない!
わたし自身が消えちゃうんだっ」
「鈴谷」
「いや、もういやなの!」
「鈴谷」
「離さない!わたしが消えるまで絶対!」
「離れたくないなら、そのまま聞いてくれ」
ぐっと両腕を回されて
そっと抱きしめられる
「俺と、結婚してくれ」
「……」
「聞こえてる?」「むり」
とっさに返した声は、到底わたしらしくなくて
「……だめか?」「できないの
だってわたし、消えちゃうんだよ?」
「それでも、だ、俺はお前のこと
ずっと好きでいるから
だから最後にその形を残したいんだ
俺と、結婚してくれ」
「できないよ……だってわたし
もう半日ももたない
ドレスも着れない、バラバラになって消えちゃうんだよ」
「指輪ひとつにそんなに時間掛かるか?」
「式なしで結婚なんて絶対いや!」
「……そっか、じゃあそうだ
鈴谷が生まれ変わって、また俺のところに来るまで式はお預けだな」
「……うん、それならいい
絶対行くから、待っててね
浮気しないでね、絶対だよ」
「ん、わかった」
掴んでいた腕を離すのは、思いの外難しくて少し手間取ってしまった
その間も、ずっと待っててくれて
ずっと、好きでいてくれるって約束してくれた
だからわたしはもう怖くない
絶対生まれ変わって、こんな影じゃないちゃんとした人間になって
それで結婚するんだ
「だから、最初の最後に」
今まで一度もしなかった
唇同士でのキスをした