SIREN(サイレン)/小説/終章   作:ドラ麦茶

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第一話 美浜奈保子 合石岳/蛇頭峠 初日/十時五十八分三十二秒

 ――ダメだ。完全に迷ってしまった。

 

 

 

 東京から遠く離れた場所にある山間の小さな村・羽生蛇村。その北にある合石岳(ごうじゃくだけ)という山の中腹で、あたしは道の脇にある石に腰掛け、一人、途方に暮れていた。この山に入ってから、もう十時間以上経っている。山を下りるか、仲間たちが待っている場所に戻るかしたいのだけれど、どう道を進んでも、なぜか同じ場所に戻ってきてしまうのだ。それはつまり、山奥で道に迷ってしまったということである。遭難したと言っていいかもしれない。仲間たちは心配しているだろうか……? もし、あたしが遭難したことが警察や消防などに通報され、山岳救助隊が出動なんてことになれば、大騒ぎになる。テレビなどでも大々的に放送され、所属事務所のマネージャーや社長から大目玉を喰らうだろう。ヘタをすると仕事を失いかねない。こんなことなら、一人で勝手に行動するんじゃなかった……後悔しても、もう遅い。

 

 あたしはいわゆる芸能人というヤツで、都内にある大手芸能事務所に所属し、『美浜(みはま)奈保子(なおこ)』という芸名で活動している。この羽生蛇村を訪れたのは、『ダークネスJAPAN』というテレビ番組を撮影するためだ。CSの深夜に不定期で放送されている低予算のマイナー番組で、口裂け女やスカイフィッシュなど、怪しげなウワサ話を調査するオカルトバラエティ番組である。羽生蛇村では昔から土砂災害や神隠し事件が多発しており、ツチノコやUFOの目撃情報、血まみれの集落を徘徊する四つん這いの老婆、さらには、世間に知られていない村人三十三人の大量殺人事件があった、など、出所がはっきりしない怪しげなウワサ話が多い。そのため、オカルト系の雑誌やインターネットのサイトで取り上げられることが多く、マニアの間では『呪われた村』と呼ばれ、有名な心霊スポットとなっているのだ。

 

 村に到着したのが昨日の朝。まずは撮影スタッフと一緒に、ツチノコや三十三人殺しについての調査を始めた。しかし、村の人に取材しても、冷たくあしらわれるだけだった。有名な心霊スポットであるがゆえに、あたしたちのように面白半分に訪れる人が多く、村人もうんざりしているのだろう。また、その日の夜は村で重要な祭事があるとかで、余所者に構っているヒマが無いようだった。結局、村での取材は早々に切り上げ、山の中でツチノコを探す撮影を行うことになった。その撮影自体は無事終わり、翌朝の撮影に備え、ロケバスでの車中泊をすることになったのだが、あたしは所用があって夜中に車を抜け出し、山を下りて村に向かおうとしたのだ。

 

 それは、深夜〇時を回った頃だった。

 

 それまで晴れていたにもかかわらず、突然雨が降り始めたかと思うと、直後に村から大きなサイレンが鳴り響き、強い地震が起こった。同時に、強烈な頭痛に襲われる。ハンマーで何度も頭を叩かれているかのような痛みに、あたしは気を失った。

 

 目が覚めたのはそれから三時間ほど経った頃だ。頭痛は嘘のように消えていたので、そのまま山を下りようとしたのだけれど、どうしても、下りる道が判らない。諦めてロケバスに戻ろうとしても同じだった。どう道を進んでも、村にもロケバスにもたどり着けない。同じ場所をぐるぐる回っているかのようだった。あたしは、そのまま十時間近く山の中をさまよい続け、今に至るのである。

 

 大きくため息をつくあたし。一人で行動したのは間違いだった。いろいろとオカルト的な噂が多い村だけど、正直、信じてなかった。だけど、今のこの状況はどうだろう? どこをどう進んでも山を出られない。さらに、昨日の夜から降り続いている雨は、どういうわけか血のように赤い色をしている。どう考えても普通の状態ではない。これからどうすればいいだろう? なんとかこの山から抜け出したいのだけど、もし、抜け出せなかったら……ウワサ通り、ここが呪われた村だったら……考えて、あたしは身を震わせた。

 

 ……いや、そんな訳は無い。自分に言い聞かせる。道に迷っているのは、あたしが方向音痴なだけだ。赤い雨も、大気の異常とか、海外で強い竜巻があり赤土が巻き上がって日本に降りそそいでいるとか、何か、科学的に説明がつくはずだ。そうだ。理解できない現象が起こったからといって、それを安易に超常現象と結びつけるのは良くない。前向きに行動しよう。決意し、腰を上げる。

 

 がさり。草を踏む音が聞こえた。誰か来たのだろうか? 前向きに考えると事態は好転するものだ。あたしは、音がした方を見た。

 

「……あれ? なぽりんさんじゃないですか?」

 

 道端の茂みから姿を現したのは、黒縁の眼鏡をかけた女だった。あたしのことを『なぽりん』と呼ぶ。それは、あたしの古い愛称である。いまでこそマイナー番組のリポーターを務めているあたしだけれど、十年ほど前は、当時大人気だった国民的アイドルグループに所属していた。その頃、ファンの間でよく使われた愛称が『なぽりん』である。

 

 眼鏡の女はペコリと頭を下げた。「どうも。ごぶさたしています。そっか。この時間は、ここに居るんでしたね」

 

 この山で迷って十時間近く経つ。ようやく出会えた人だけど、あたしの胸の内は、嬉しさよりも戸惑いが勝っていた。眼鏡の女の姿をじっと見る。肩まで伸びた髪を頭の上でお団子にした髪型、ボーダーのシャツの上にロングカーデガンを羽織り、ジーンズのパンツ、運動靴。年の頃は二十代前半だろうか。見覚えはない……と、思う。だが、女は今、「ごぶさたしています」と言った。初対面ではないのだろうか?

 

「えっと……どこかで会ったことありましたっけ?」正直に訊いてみた。

 

 すると、眼鏡の女は大きなショックを受けたような表情になった。「ええ! ヒドイ! あたしのこと、忘れちゃったんですか!?」

 

 ――むぅ。そう来たか。

 

 顔には笑顔を浮かべつつも、心は身構えるあたし。このテの人物に会うのは久しぶりだ。

 

 アイドル時代、あたしの所属していたグループは、定期的にファンとの握手会を行っていた。その際、「僕のこと、覚えてますか?」と言って来る人は結構いる。このテの人物にどう対応するかは、あたしたちアイドルの永遠の問題だ。握手会やコンサートなどに足繁く何度も通ってくれる人は当然覚えているが、残念ながら、過去に一・二度会ったくらいの人は、ほとんど覚えていない。やっかいなことに、このテの質問をしてくる人は後者の方が圧倒的に多い(というよりは、ほぼ一〇〇パーセント後者だ)。しかし、正直に、「ごめんなさい、覚えてないんです」と言うと、相手を傷つけてしまいかねない。だからと言って、覚えていないのに「もちろん、覚えていますよ!」と言っても、じゃあいつどこで会ったのかという話になってしまうと、すぐにウソがばれてしまい、より傷つけてしまう。さらに厄介なのは、このテの人物の中には、初めて会うにもかかわらず、さも過去会ったことがあるかのように振る舞う人もいるということだ。そういう人に「もちろん覚えていますよ」と言おうものなら、「え? 今日初めてですよ?」と、したり顔で言われるのである。

 

 あたしは眼鏡の女をじっと見る。やはり、見覚えはない。もしかしたら会ったことがあるのかもしれないが、なぽりんという古い愛称で呼ばれたということは、恐らく何年も前のアイドル全盛期の頃だろう。それなら覚えていなくても仕方がない。ここは覚えているフリをするよりも、正直に覚えていないと言った方が無難だ。

 

「……ごめんなさい。どこで会ったのか、ちょっと、思い出せないです」あたしは、最大限申し訳なさそうな口調で言った。

 

「そうですか、覚えてないですか」眼鏡の女は、けろりとした顔になった。「じゃあ、たぶん初めて会うんでしょう」

 

「…………」

 

「…………」

 

「え?」

 

「え?」

 

 きょとんとするあたし。今のは、どういう意味だろうか?

 

「えっと……今日、初めて会うんですか?」探るように訊く。

 

「そうだと思います」

 

「でもさっき、以前会ったことがあるような感じで話しかけてきましたよね?」

 

「そうですね。会ったことはあります」

 

「…………」

 

「…………」

 

「え?」

 

「え?」

 

「今日、初めて会うんですよね?」

 

「そうです」

 

「でも、以前会ったことがあるんですか?」

 

「はい、そうです」

 

 あたしは腕を組み、眼鏡の女が何を言っているのか考える。可能性が高いのは、テレビなどで見たことがある、ということだろう。テレビで何度も見ているうちに顔見知りのような気分になる、という人は、やはり結構いる。それだけならまだいいのだけれど、街で会うと、さも知り合いのように話しかけてくる人もいるから困りものだ。

 

「えっと……会ったことは無いけど、テレビとかで見たことがある、ということですか?」訊いてみた。

 

 眼鏡の女は首を振った。「いいえ。なぽりんさんには申し訳ないんですけど、見たことはありません。いえ、昔はよくテレビに出ていたようですから、見たことはあると思うんですが、正直、覚えていないです」

 

 軽くディスられたような気もするが、それはいま重要ではない。テレビで見たこともないと言うのならば、ますます意味が判らない。もう一度考える。恐ろしい考えが頭をよぎった。訊くのが怖いけど、思いきって訊いてみる。

 

「えっと……ちょっと怖いですけど、あたしに気付かれないように、遠くから見ていた、ということでしょうか?」

 

「いいえ、違います。直接会ってますし、お話もしていますし、お友達にもなってます」

 

「…………」

 

「…………」

 

「え?」

 

「え?」

 

「さっき、今日会うのが初めてだと言いませんでしたっけ?」

 

「はい。言いました」

 

「でも、直接会って、お話もして、お友達にもなったんですか?」

 

「そうです」

 

 頭を抱えるあたし。この女は何を言っているのだろう? さっぱり判らない。

 

「ちょっと混乱しているので、整理してもいいですか?」あたしは言った。

 

「もちろんです」

 

「まず、あなたはあたしのことをご存じなんですね?」

 

「はい。美浜奈保子さん。通称なぽりんさん。某国民的アイドルグループの元メンバーで、卒業後は女優として活動。一九九九年のVシネマ、『ヒットマン女豹』に出演したのをきっかけに、現在はアクション女優を目指しています。空手と柔道をベースにした格闘技を習い、アクションも猛勉強し、海外で射撃の訓練も行いました。現在、CSの深夜に不定期放送されている『ダークネスJAPAN』に出演中です」

 

「そこまであたしのことを知っていただけているのは、すごく嬉しいです。ありがとうございます」深く頭を下げるあたし。

 

「いえいえ、どういたしまして」眼鏡の女も頭を下げた。

 

 あたしは顔を上げる。「失礼ですが、お名前をお訊きしてもよろしいでしょうか?」

 

 眼鏡の女も顔を上げた。「はい。安野(あんの)依子(よりこ)、東京で、大学生をしています」

 

 安野依子……脳をフル回転させて記憶を探るが、やはり、その名に心当たりは無い。

 

「では、安野さん。まず、あたしと安野さんが会うのが、初めてなのか、それとも、以前会ったことがあるのか、そこを、はっきりさせましょうか」

 

「はい」

 

「あたしと安野さんは、今日、ここで初めて会ったんでしょうか?」

 

「断言はできませんが、なぽりんさんがあたしのことを知らないのなら、たぶん、初めて会ったんだと思います」

 

「では、以前何度もお会いして、直接お話もして、お友達になった、というのは、安野さんの記憶違いということで、いいですね?」

 

「いいえ。記憶違いではありません。あたしはなぽりんさんに何度も直接会ってますし、お話もしてますし、お友達にもなっています」

 

「……今、ほんの十秒ほど前、『今日、初めて会った』というあたしの質問に、安野さんは同意されましたよね?」

 

「はい。しました」

 

「思いっきり矛盾しているんですけど、そこはどう説明しますか?」

 

「それは、なぽりんさん的には初めて会うんですが、あたし的には何度も会っている、ということです」

 

「…………」

 

「…………」

 

「え?」

 

「え?」

 

「あたし的には、安野さんに会うのは初めてなんですか?」

 

「そうです」

 

「でも、安野さん的には、あたしに何度も会っている」

 

「そうです」

 

「……矛盾してますよね?」

 

「なぽりんさん的には矛盾してますけど、あたし的には矛盾していません」

 

 ……頭が痛くなってきたな。この女は何を言っているのだろう? 単にあたしをからかっているだけなのか、それとも、本気でそう思っているのか。そうか。そうに違いない。つまり、妄想の中であたしと友達になったのだ。こういう人物は、アイドル全盛期時代にもいた。妄想の中で知り合い、妄想の中で恋人同士になり、妄想の中で結婚する、といった、独自のストーリーを構築しているのである。それだけなら別に構わない。『アイドル』とは、すなわち『偶像』。ファンの人にとって、アイドルは理想の恋人であるべきなのだ。そういう妄想をさせることこそアイドルの仕事だと言っていい。問題なのは、その妄想と現実の区別がつかなくなる人が、ごくまれに存在するということである。そういった人は、ファンレターやメール、ブログのコメントで執拗に返信を求めたり、無視すると誹謗中傷などの嫌がらせ行為を行うようになり、最悪の場合、ストーカー行為や襲撃などの刑事事件に発展する。この女がそういう行為に及ぶかどうかは判らないが、これ以上関わらない方が良さそうだ。

 

 眼鏡の女が目を細めた。「……あたしのこと、電波な人だと思ってるでしょ?」

 

 あたしはぶんぶんと首を振った。「いえいえ、そんなこと、思ってませんよ?」

 

「ごまかしてもムダです。なぽりんさんは、考えてることがすぐ顔に出ますからね」眼鏡の女は、やれやれと言わんばかりに両手を広げた。「でも、なぽりんさんの考えていることは、あながち間違いではないです」

 

「と、言いますと?」

 

「なぽりんさんがあたしとお友達だったという事実はありません。だから、なぽりんさんの記憶にあたしがいないのは、当然のことなんです。それは、なぽりんさんがあたしとお友達だったことを忘れてしまったというワケではなく、むしろ逆。あたしに、なぽりんさんとお友達だった記憶があるだけなんです」

 

「…………」

 

「…………」

 

「え?」

 

「え?」

 

「あたしと安野さんがお友達だった事実は無い?」

 

「そうです」

 

「あたしが安野さんを覚えていないのは、あたしの記憶の問題じゃない?」

 

「そうです」

 

「安野さんがあたしをお友達だというのは、安野さんの記憶の方に問題がある?」

 

「そうです」

 

「それは、記憶喪失の逆……なんて言うのかは判りませんが、記憶創造とか、記憶形成とかいうものでしょうか?」

 

「厳密には違いますが、まあ、そう言って差し支えないと思います」

 

「じゃあ、あたしと安野さんがお友達だったというのは、安野さんの妄想ということですね?」

 

「そうじゃありません。なぽりんさんとあたしがお友達だったという事実はありませんが、あたしとなぽりんさんはお友達です」

 

 ……ダメだ。これ以上関わってはいけないと決めたはずなのに、どんどん深みにはまっている。早々に別れた方がいいだろう。こんな山奥を一人で行動するのは心細いが、コイツと一緒に居るよりはマシな気がする。

 

「……なーんて、『酔歩する男』的なヤツをやっている場合じゃないんですよ」腕時計を見るメガネの女。「もうそろそろ、来る頃だと思うんですけどね」

 

「そうですか。ここで、誰かと待ち合わせしてるんですね。じゃあ、あたしはこの辺で失礼します」

 

 あたしは適当に別れの挨拶を済ませ、さっさと立ち去ろうとしたのだが。

 

 がさり、と、草を踏む音がした。そちらを見ると。

 

「……余所者か……巻き込まれたな」

 

 年配の男の人が立っていた。その手には、猟銃が握られている。初めて見るので驚いたけど、考えてみたら、ここは山間の田舎村だ。猟師がいても、別におかしくはない。

 

 眼鏡の女が前に出た。「お久しぶりです、志村(しむら)(あきら)さん」

 

 ぺこりと頭を下げる眼鏡の女。どうやら知り合いのようだ……と思ったら。

 

 男は、怪訝そうな表情で眼鏡の女を見る。「……どこかで会ったことがあるか?」

 

「あたしは志村さんに何度も会ったことがありますが、志村さんがあたしのことを知らないと仰るのなら、たぶん、今日初めて会うんだと――」

 

 あたしは眼鏡の女をぐいっと押しのけて前に出た。二人は知り合いではないらしい。おそらく男性はこの村の住人だろう。眼鏡の女のせいですっかり忘れていたが、あたしは今、この山で遭難中の身だ。猟師のようだから、山には詳しいだろう。できればふもとの村まで案内してもらうか、最悪でも道を聞かなければならない。

 

「良かった! あたし、道に迷っちゃって、一晩中、山の中にいたんです。おじいさん、良かったら、ふもとの村まで案内してくれませんか?」

 

 アイドル時代につちかったとびっきりの笑顔でお願いする。昨日、村で取材をして、この村の住人が余所者にそっけないのは身に染みて判っていた。なんとか気に入られなければならない。

 

 だが、猟師の男は。

 

「……あの女のせいだ。昔と寸分に違わない姿……」

 

 なんだかよく判らないことを言う。ボケているのだろうか? その可能性は否定できない。見た感じ、八十歳くらいだろう。まあ、ボケているのは仕方ないとしても、そんな人に猟銃を持たせているのはいかがなものか。

 

 だが、ボケていようといまいと、今はこの人だけが頼りだ。「あの……できれば村まで連れて行ってほしいんですけど、もし、お忙しいようなら、村までの道を教えて頂けるだけでもいいんです」

 

 猟師は空を見上げ。

 

「あれは……八百比丘尼(やおびくに)だ」

 

 独り言のようにつぶやいた。

 

 ……ダメだ。コイツも話が通じない。この村にまともな人はいないのか。だから田舎はキライなんだよ。あたしは、胸の内で大きくため息をついた。

 

 猟師の男も大きくため息をつき、首を振った。そして、あたし達を置いて、その場を去ろうとする。

 

 と、眼鏡の女が。

 

「――また、あたしたちを見捨てるんですか?」

 

 低く、鋭い声で、そう言った。

 

 男が足を止め、振り返る。

 

 あたしも眼鏡の女を見る。さっきまでのらりくらりと意味不明な会話を繰り返していた女だが、まるで別の人格が乗り移ったかのように、鋭い眼光を男に向けている。

 

「また見捨てる? それは、どういう意味だ?」男が、眼鏡の女に訊いた。

 

「そのままの意味ですよ。あなたは以前、なぽりんさんを見捨て、あたしを見捨て、一人だけ村から去ろうとした」

 

「お前たちと会うのは初めてだ。仮に、以前どこかで会っていたとしても覚えていないし、わしがお前たちを助けるいわれも無い」

 

 男は、また立ち去ろうとする。

 

「そうやって、やっかいごとに関わろうとしないのは、良くないですよ? 二十七年前もそうでしたよね? 貴文(たかふみ)さんや晃一(こういち)さんが、村の不穏な空気に気付き、行動を起こしたのに、あなたは何もしなかった。だから、貴文さんは宮田医院に拘束され、晃一さんは行方不明になった」

 

 男が振り返り、銃を構えた。「……貴様、何者だ」

 

 息を飲むあたし。男の目は本気だった。場合によっては、容赦なく引き金を引き、女を撃ち殺す――そんな覚悟が、その目に浮かんでいる。

 

 だが、眼鏡の女は動じない。両手を腰に当て、挑発するかのように顎を上げた。「そんな銃じゃ、あたしを殺すことはできませんよ?」

 

 睨み合う二人。空気が張り詰める。あたしは、どうすればいいか考えた。眼鏡の女は、銃が偽物だと思っているらしい。だが、恐らくあれは本物だ。男が引き金を引けば、眼鏡の女は良くて大怪我、悪けりゃ即死だ。何の縁も義理も無い女だが、目の前で射殺されるのを黙って見ているわけにもいかない。なんとか男を説得できれば良いのだが、残念ながらボケている可能性がある。話が通じない以上、説得は難しい。ならば、強制的に銃を取り上げるか。あたしには格闘技の経験がある。アクション映画の撮影で、銃を持つ相手に素手で挑んだこともある。でも、あれはあくまでも演技だ。実際にうまく行くかは判らない。どうするのが最善か。考えるあたし。

 

 しかし、悩んでいるうちに、男が銃口を下げた。「……そうかもしれんな。貴様からは、あの女と同じ匂いがする」

 

 眼鏡の女の顔は小さく笑った。「さすが志村さん。勘が鋭いですね」

 

 二人が何を言っているのかは判らないが、とりあえず最悪の事態は避けられた。ほっと胸をなでおろす。

 

 男は、猟銃を肩に担いだ。「永遠に歳をとらない女も、村で何が起こっているのかも、わしの知ったことではない。わしはもう、この村に未練はない」

 

「それはウソですね。あなたはただ、真実を知るのが怖いだけです」

 

「…………」

 

「勘の鋭い志村さんのことだから、もう気付いているんでしょ? ここが、二十七年前の土砂災害で消えた村の一部だってこと」

 

 永遠に歳を取らない女? 二十七年前に消えた村の一部? この二人は、一体何を言っているのだろう? さっぱり判らない。

 

「そうだとしても、わしには関係ない」猟師は、また背を向けた。あくまでも、この場から去ろうとする。

 

 だが、眼鏡の女は引き止める。「比良境(ひらさかい)に行ってみませんか? 二十七年前の宮田医院が、そこにあります」

 

 男が、また足を止めた。

 

 女は続ける。「残念ながら、従兄弟の貴文さんは行方不明ですけど、息子の晃一さんは、今もそこに居ますよ?」

 

 男が振り返った。目を大きく見開いている。その顔に、初めて動揺が宿っていた。

 

 女はさらに言う。「知りたくないですか? 晃一さんが家を飛び出した後、何があったのか、今、晃一さんがどうしているのか。あなたは、それを知らなくちゃいけないんです」

 

 睨み合う二人。でも、さっきと違い、一触即発の張りつめた空気は無い。

 

「……本当に、晃一がいるのか?」男は迷うような口調で訊いた。

 

「ええ、います」女は、はっきりと答えた。

 

 しばらくの沈黙の後、男は目を閉じ、自嘲気味に笑った。

 

 そして。

 

「……判った。貴様の言う通りにしよう」

 

 とたんに、眼鏡の女の目から鋭さが消え、最初に会った時ののほほんとした表情に戻った。「さすが志村さん。判ってくれると思いました」

 

 眼鏡の女はあたしを見た。「……と、いうことで、なぽりんさん。今からあたしたちは、ここから南にある比良境地区の、宮田医院というところに行きます。良かったら、一緒に来てください」

 

「そう言われても、あたし、あなたたちが何を言っているのか、さっぱり理解できてないんですけど」

 

「まあ、その辺は、追い追いお話します。道中は危険なので、みんなで一緒に行動した方がいいです。志村さんは猟師ですから、離れた敵を狙撃するのは得意ですが、近づかれると弱いです。そんなときは、なぽりんさんの格闘技で、屍人さんたちを追い払ってください」

 

 敵? しびと? 追い払う? やっぱり、なにを言っているのか判らない。

 

 だが、女は構わず。

 

「じゃあ、宮田医院へ、レッツ・ゴー!!」

 

 まるで遠足にでも行くかのように、山道を下り始めた。

 

 あたしは猟師の男と顔を見合わせた。男は小さくため息をつくと、眼鏡の女の後に続いた。

 

 眼鏡の女――安野依子と言ったかな――が話していたことは、さっぱり理解できない。あたしをからかっているか、頭がおかしいかのどちらかだろう。関わらない方がいい。そう思う反面、猟師の男と話していたときの表情からは、ただならぬ決意のようなものを感じた。彼女にと一緒に行動した方がいいようにも思う。

 

 あたしは、二人の後を追った。

 

 

 

(終了条件BAD1:志村晃が村から去るのを止める 達成(エピソードクリア)

 

 

 

 

 

 

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