SIREN(サイレン)/小説/終章   作:ドラ麦茶

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第十二話 美浜奈保子 羽生蛇村役場/倉庫 第三日/十時〇二分十六秒

 あたしと安野さんと比沙子さんは、前田知子ちゃんのお父さん・隆信さんの案内で、彼の勤め先である下粗戸の羽生蛇村役場にやって来た。

 

「もう、三十年近く前ですが、村おこしの一環で、村の名産品を作ることになったんですよ」地下の倉庫へ向かいながら、隆信さんがことの経緯を説明してくれる。「それを担当したのが私です。その頃、村でソバの栽培が始まるという話があったので、蕎麦料理にしようと思ったんです」

 

 こうして生まれたのが、羽生蛇村名物『羽生蛇蕎麦』である。最初はシンプルなかけ蕎麦で企画していたらしいけど、様々な紆余曲折があり、完成したのは朝鮮風冷麺にイチゴジャムを入れて食べるという、悪夢のような代物だった。

 

「羽生蛇村産のソバは、どういうワケかカロリーが異常に高くて、一般的なかけ蕎麦の五倍ほどあるんです。それじゃ女性ウケしないからなんとかしないと、って話になって、当時の村長のアイデアで、高カロリーなのを逆手にとって、非常食として売り出すことになったんですよ」

 

 そんな上司の無茶な要求を叶えるためにできあがったのが、羽生蛇蕎麦の缶詰だ。蕎麦を乾麺、スープを粉末、イチゴをジャムにし、羽生蛇村特産の錫を使用した特殊合金の缶に入れることで、賞味期限は驚異の三十年だそうである。

 

「作った私が言うのもなんですが、こんなもの、絶対に売れないと思いました。でも、当時の神代家の当主様がいたくお気に入りになって、結局、売り出すことになったんです」

 

 隆信さんは地下倉庫の扉を開け、明かりを点けた。倉庫内は山積みにされた大量の段ボール箱で占拠されていた。その数は、百ケースや二百ケースじゃきかないだろう。

 

「最初は千個製造する予定だったんですが、私がまだ仕事に慣れていなかったせいか、ゼロを一個書き間違えてしまいまして、一万個も製造してしまったんです。当然、全く売れませんでしたから、今もほとんど残ってます」

 

「恐らく、全て『因果律』による導きでしょう」安野さんが腕を組んで頷いた。「異常なまでに高いカロリー、異常なまでに長い賞味期限、異常なまでのマズさ、異常なまでの誤発注数……全ては、この村を救うためのものだったんですよ。この件に限らず、この村で起こる不自然な出来事は、大体『因果律』って言っとけばごまかせます」

 

 安野さんは比沙子さんを振り返った。「比沙子さんは、この羽生蛇蕎麦一万食を持って、天武十二年にさかのぼってください。当時、村人が百人いたとして、一人一日一食たべても三ヶ月、切り詰めれば、半年はもつだけの量になります。御存じのとおりメチャクチャまずいですが、そこは、ハングリー精神で乗り切ってください。これで、神様を食べる必要は無くなるはずです」

 

「それで、この村の呪いは解けるの?」あたしは安野さんに訊いた。

 

 安野さんは首を振った。「いえ、残念ながら、この次元の村の呪いは解けません。『比沙子さんが神様を食べなかった世界』が、新たに生まれるだけです。この次元は『比沙子さんが神様を食べてしまった世界』のままです。過去が書き換わるわけではないんですよ」

 

「じゃあ、根本的な解決にはならないじゃない」

 

「そうとも言えます。でも、呪いが無い世界がひとつ生まれることは確かです」

 

 それはそうかもしれないけど、なんともスッキリしない結果だな。

 

「しかし――」と、比沙子さん。「この世界に呪いを残したまま、私だけ呪いの無い世界に旅立つなんて」

 

「心配いりません。この世界はこの世界で、呪いと共存して生きていきます」

 

「呪いと共存――?」

 

「はい。呪いだって、うまく付き合えばそう悪いものでもないです。なので、比沙子さんは安心して、呪いの無い世界で余生を送ってください。比沙子さんは、今まで十分苦労してきたんですから、もう、楽になっていいんですよ。みんなそう思ってます」

 

 安野さんの言葉に、隆信さんとあたしは頷いた。

 

「では、みんなを呼んで、羽生蛇蕎麦をうつぼ船まで運びましょう」

 

 あたしたちはみんなと協力し、羽生蛇蕎麦一万食分の段ボールを水鏡まで運んだ。あまりにも数が多く、全部運び終わったのは十八時を過ぎた頃だ。

 

 

 

 そして――。

 

 

 

 いよいよ、比沙子さんとの別れのときが来た。

 

 

 

 

 

 

「――では、比沙子さんに、最後の言葉を頂戴したいと思います」

 

 安野さんに促され、比沙子さんがみんなの前に立った。

 

 比沙子さんは、みんなを見回すと。

 

「私は、一三〇〇年の間、この村で生きてきました――」

 

 最後の言葉を語りはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一三〇〇年――それは、長く苦しい時だった。

 

 どれだけ祈りを奉げても報われない。そんな世界を、私は生きてきた。

 

 村が呪われる原因を作った私を、村人は決して許しはしない。そう思い、真実を隠し、罪から逃げるように、私は生きてきた。

 

 暗闇の中を一人で歩くように、私は生きてきた。

 

 

 

 でも――。

 

 

 

 私の人生は、決して、それだけではなかった。

 

 一三〇〇年の人生は、出会いと別れの繰り返しだった。

 

 私はこの村で、誰よりも多くの人と過ごした。

 

 誰よりも多くの人と、出会いと別れを繰り返してきた。

 

 今はもう、記憶の彼方に消えてしまった人もいるけれど。

 

 それでも、彼らは確かに、私の中に存在するのだ。

 

 そして、今。

 

 私は、これほどの多くの村人に見送られ、旅立つことができる。

 

 それを、何よりも嬉しく思う。

 

 

 

 私は、呪われた人生を歩んできたのかもしない。

 

 でも、苦しいことばかりではなかった。毎日誰かと会話し、美しい花を見て、美味しいものを食べて――私は、人生のほとんどを、穏やかな心で過ごしていた。

 

 私は、暗闇の中、一人で歩いていたのかもしれない。

 

 でも、ずっと一人だったわけではなかった。多くの村人に囲まれ、その笑顔に心癒され、その言葉に励まされ――私は、人生のほとんどを、誰に支えられて過ごしていた。

 

 いま、はっきりと判った。

 

 私は、恵まれた人生を歩んだのだ。

 

 多くの人と出会い、共に生きてきた。これを恵まれたと言わず、なんと言うのだろう?

 

 私の別れに、これほど多くの人が集まってくれている。これを恵まれたと言わず、なんと言うのだろう?

 

 いま思えば、私には、全てを終わらせる手段があった。全てを投げ出し、消えてしまうこともできたのだ。しかし、それをしなかった。いつかこんな日が来ると、心のどこかで信じていたのかもしれない。

 

 私はいま、胸を張って言える。

 

 私の人生は、幸せに満ち溢れていた、と。

 

 呪いも恵みも、喜びも悲しみも、苦しみも楽しみも、つらいことも嬉しいことも、多くの人との出会いも別れも。

 

 私の中にある全てが、今の幸せを築いている。

 

 私の一三〇〇年の人生の全てが、幸せに満ち溢れている。

 

 こんなにも幸せな最期を与えてくれたあなたたちに、心から感謝したい。

 

 ありがとう。そして、どうか幸せな人生を。

 

 私は、千年の時の彼方から、あなたたちの幸せを祈っている――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして。

 

 

 

 比沙子さんは、旅立って行った。

 

 

 

(終了条件F389:うつぼ船に乗り、天武十二年に羽生蛇蕎麦を届ける 達成(エピソードクリア)

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ところで安野さん」

 

「はい」

 

「ちょっと気になったんだけど、比沙子さんの人格のひとつの(ゆい)さんって人、結局、現れなかったわね」

 

「そうですね」

 

 結さん。神を憎み、村を憎み、村人を憎み、村が滅びることが唯一の救いだと思っている危険な人格。これまで何度も現れ、儀式を邪魔して来たそうだけど、今回、最後まで現れなかった。

 

「実は、あたしもずっとそれが気になっていたんですよ」と、安野さん。「突然現れて、あたしたちの邪魔をするんじゃないかって、警戒してたんですけどね」

 

「あたしたちがやろうとしていることに、全面的に賛同してたってことかな?」

 

「うーん、どうでしょう? 実を言うと、あたしも結さんという方については、詳しく知らないんですよ。話に聞いているだけで、実際に会ったことがないんです」

 

「何度も時間をさかのぼってる安野さんですら、会ったことがない?」

 

「はい。なので、何とも言えないですね。なぽりんさんの言う通り、あたしたちのやることに賛同して、出るのを遠慮してたのかもしれないですし、もしかしたら、そもそもそんな人格は存在しなかったのかもしれません」

 

「でも、比沙子さんは何度も儀式を邪魔するような行動をとってるんだから、存在しないってことはないんじゃない?」

 

「ですね。そうだとしたら――」

 

「そうだとしたら?」

 

「あたしたちが気付かない間に、現れていたのかもしれません」

 

「……あたしたちが、気付かない間に……」

 

「そう考えると、気になることもあります」

 

「何?」

 

「比沙子さんの本来の人格・元祖宮子さんですが、彼女と唯一連絡が取れる人格である(あがめ)さんは、『宮子さんはかなり長い間眠っていた』、と言ってましたよね?」

 

「そうだね」

 

「でも、目覚めた宮子さんは、求導師様のことを知ってる風でした。今の求導師様が求導師様になってから、せいぜい十数年です。長い間眠っていたなら、なぜ、現求導師様のことを知ってたんでしょうか?」

 

「…………」

 

 なんと言っていいか判らず、あたしは黙ってしまう。崇さんの言う『長い間眠っていた』というのがどれくらいの期間なのかは判らないが、なんせ一三〇〇年も生きている人だ。そんな人が『長い間』と言えば、十数年やそこらではないように思う。だとしたら、確かに宮子さんが現求導師様のことを知っているのはおかしいな。

 

「まあ、もう比沙子さんは行っちゃいましたからね。真実は判りません。結果としてはうまく行ったんですから、良しとしましょう」

 

 安野さんは、あっけらかんとした口調で言った。

 

 

 

 

 

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