「――それでは、最後の仕上げにかかりましょう」
比沙子さんを見送った後、安野さんは村人に向かって言った。比沙子さんは呪いの無い世界へ旅立ったが、この世界の呪いは残ったままだ。安野さんは呪いと共存すると言っていたが、いったい、どうするつもりなのだろう。
「まずは、現世に戻る話をしたいのですが……その前に、残念なお知らせをしなければなりません。申し訳ないのですが、現世に戻れない、というより、戻すわけにはいかない方が、多くいらっしゃいます。すでに屍人さんになってしまった人たちです。この方々は、現世に戻るといろいろと問題が起こりますから、この異界で暮らしていただくことになります」
「それは、別に構わないわ」と、頭脳屍人の美奈さんが答えた。「こんな素晴らしい世界で暮らせるのならば、むしろ、望むところよ。家族と離れ離れになってしまうのは寂しいけれど、でも、いずれまた暮らせるようになるし」
そう言えば、屍人にはこの小汚い異界が楽園のように見えるんだったな。と、いうことは、逆に現世は地獄のような場所に見えるのだろう。なら、無理に戻る必要もない。
「ご理解いただきありがとうございます」安野さんはペコリと頭を下げた。
これにより、恩田美奈さん、志村晃一さん、名越校長、その他の大勢の屍人が残ることになった。
「続いて、できれば生きている方にも残ってもらいたいのですが、希望者はいらっしゃいませんか?」
「え? なんで生きてる人間が残らなきゃいけないの?」
「はい。実は今、この異界は、ちょっと大変なことになってるんです。神様が完全に死んじゃったので、この先サイレンが鳴らなくなりました。なので、屍人さんは海送り・海還りが行えず、いつまでたっても常世へ旅立つことができないんです。現世の村人もいつかは死んで異界にやって来ますから、このままでは、いずれ異界は屍人さんでパンクしてしまうんです。その問題を解決するため、生きている人間が美耶子ちゃんの血を体内に入れるなどして不死者となり、宇理炎を使って屍人さんを消滅させないといけないんです。そうしないと、屍人さんは永遠に異界に留まることになりますから。そんな屍人さんを救う存在――言わば、この異界の求導師様になってほしいのです」
「そういうことなら、私が残ろう」現求導師様の牧野さんが言った。「私はこの村の求導師だ。村人を救うのが私の使命だ」
「何を言ってるんですか、牧野さん。それはいけません」と、宮田先生が止めた。「牧野さんは、現世で求導師を続けなければいけないでしょう。私が残りますよ」
「しかし、それでは……」
「いいんですよ。牧野さんは表の存在、私は裏の存在ですから」
「宮田さん、それは……」
宮田先生は小さく笑った。「いえ、皮肉で言ったんじゃないんですよ。私は、別に裏の存在が嫌だったわけではありません。医者でありながら、村人を救うのではなく、村の暗部を担う役なのが嫌だったんです。村人を救うのならば、たとえ裏の仕事であっても、喜んでやらせていただきますよ」
「宮田さん……」
「それにね、牧野さん。私はむしろ、ここに残りたいんです。ここには、私の愛する人がいるんですから」
宮田先生は美奈さんを見て、決意を込めた声で言った。
「宮田さん……ありがとうございます」
求導師様は深く頭を下げた。
「……さよなら、兄さん」
宮田先生が噛みしめるように言った。二人は生まれて間もなく別々の家に引き取られ、他人同然に育ったという。もしかしたら宮田先生は、いま初めて、求導師様のことを兄と呼んだのかもしれない。
「司郎君……」求導師様は、宮田先生の言葉を胸に刻むように頷いた。「……これが最後ではありませんよ。私たちも、必ず、またここに来ますから」
「そうですね」
宮田先生は大きく頷いた。
「では、宮田先生にはこの宇理炎を託します」安野さんがウエストポーチから剣の紋様が入った宇理炎を取り出し、宮田先生に渡した。「どのように使用するかは、異界の方々で話し合って決めてください。まあ、屍人さんで溢れてパンクすると言っても、異界もワリと広いですから、十年二十年の話ではないと思います。ゆっくりじっくり話し合ってください」
「――わしも、残るとしよう」そう言ったのは志村晃さんだった。「現世に戻ってもわしを待っている者などいない。だが、ここには晃一がいる。バカ息子を一人残して帰るわけにはいかんからな」
「では、志村さんも残るということで」安野さんはうんうんと頷いた。「その他の人は帰る準備をしましょう」
「それで、どうやって帰るの?」
「はい。まず、この異界に来てから、怪我をしなかった人、さらに、ほとんどの時間を屋内で過ごして、あまり赤い雨に打たれなかった人は、手を挙げてください」
春海ちゃん、理沙さん、知子ちゃん、前田夫妻が手を挙げた。
「これらの方は、体内にあまり赤い水が入っていないので、ゲートを使って現世に戻れます。下粗戸の中央交差点にそのゲートがありますので、そこから帰りましょう」
「体内に赤い水が入っちゃった人は、どうするの?」
「それらの方は、『因果律』を利用して帰ります」
「因果律? これまでの安野さんの話に、ちょいちょい出てくるヤツね」
「はい。改めて説明し直すと、因果律とは、村を支配している絶対的なルールみたいなものです。例えば、『神に花嫁を奉げる儀式を行うためには求導師が必要』というのが、その因果律のひとつです。二十七年前、牧野慶さんはこの因果律によって異界から現世に戻ることができました。現在、神様は死んじゃってますが、村の呪いは解けたわけではありませんから、これらの因果律はまだ働いています。求導師様以外にもいろいろな因果律がありますので、これらに従えば、儀式を行わなければならない求導師様、次代の神の花嫁を生まなければならない亜矢子ちゃん、次の神代家当主である淳さん、この三人は、自動的に戻ることができます」
そうなのか。なんと言うか、役得だな。
「そして、因果律の中には宮田医院の院長枠もあるんですが、宮田先生が異界に残る決意をしたので、この枠が空いてます。宮田医院の後継者になれば戻ることができるんですが――」安野さんは村人をぐるりと見回し、恭也君に目を止めた。「恭也君、いかがですか?」
「俺が、宮田医院の院長に?」驚く恭也君。
「はい。高一の夏休みにくだらないインターネット掲示板の書き込みを真に受けて一人でこんな田舎村に来るくらいですから、どうせ目標も無くだらだら毎日を過ごしてるんでしょ? ここらで本気になって、人生変えてみたらいかがですか?」
「いや、俺なんかが医者になれるわけないし……」
渋る恭也君。まあ、高一の夏から医者を目指すのは無理があるよな。
「大丈夫です。実際にお医者さんになれるかなれないかは関係ありません。要は後継者というポジションにいればいいんです。それに、恭也君の体内には美耶子ちゃんの血が入ってますから、もう宇理炎がないと死ぬことができません。なので、村で暮らしていくしかないです」
「え……そうなのか……?」
「はい、残念ながら。まあ、高一の夏休みにくだらないインターネット掲示板の書き込みを真に受けて一人でこんな田舎村に来るような息子がお医者さんを目指すんですから、ご両親も理解してくれるでしょう。東京から一日ほどの距離ですから、今生の別れってワケでもないですからね。それに、今からでも涼子さん指導の元必死で勉強すれば、ホントにお医者さんになれるかもしれませんよ?」
涼子さんというのは宮田先生の養母だ。宮田医院の後継者を育てなければならないという極度のプレッシャーがあるらしく、とんでもなくスパルタの教育ママさんなんだとか。二十七年前の事件で息子を失い、孤児だった吉村家の子供を養子として育てたが、今回の事件でまた後継者を失ったことになる(亡くなったわけではないが、病院の跡継ぎがいないのは確かだ)。そんな中で恭也君が新たな院長に立候補したら、それこそ死に物狂いで育成するだろう。
「そうしろ、恭也」美耶子ちゃんが恭也君の腕を取り、おねだりするように振った。「お前が村に残ってくれれば、あたしもうれしい」
すると恭也君は。
「判った。頑張ってみる」
と、同意した。いいのかな、そんなんで将来を決めて。まあ、高一の夏休みにくだらないインターネット掲示板の書き込みを真に受けて一人でこんな田舎村に来るくらいだから、恐らくイケてない高校生活を送っているのだろう。それが、突然ツンデレ美少女にモテたものだから、舞い上がってしまうのも仕方ないかもしれない。
「……なんか俺、さっきからかなりディスられてる気がするんだけど」恭也君は不満げに言った。
「気のせいです。では、これで恭也君は現世に帰れます」安野さんはごまかすように言った。「残りの人は、小学校の図書館へ行って、『羽生蛇村民話集』という本を借りてください」
「え? 羽生蛇村民話集?」
「そうです。羽生蛇村民話集は、タイトル通り、村に伝わる民話や伝承を集めた本です。この本を書いたのは比沙子さんなんですけど、本の中には、村の呪いの本質に迫るような話が、けっこうたくさんあるんです。言わば、羽生蛇村の呪いを攻略するヒント集みたいなもので、村に必要なものだと、因果律で決められているんですよ。なので、この本を借りた人が異界にいた場合、本を返すために現世に戻ることができるんです。実際、二十七年前この本を借りていた吉川美奈子ちゃんは、屍人さんになったにもかかわらず戻ることができました。借りた人が現世に戻ったら、あたしがまた異界に持ってきますので、次の人が借りてください。ちょっと時間はかかりますけど、これを繰り返せば、全員現世に戻れます」
と、いうことで。
恩田美奈さん、志村晃一さん、名越校長、その他の大勢の屍人、先代の美耶子さん、宮田司郎先生、志村晃さん、そして、諸事情により高遠玲子先生も異界に残り。
四方田春海ちゃん、恩田理沙さん、前田知子ちゃん、救世主・前田隆信さん、その妻・真由美さんは、安野さんの力で現世に戻り。
求導師・牧野慶さん、神代家長女・亜矢子ちゃん、神代家次期当主・淳さん、宮田医院後継者候補・須田恭也君は、因果律の波に乗って現世に戻り。
神代美耶子ちゃん、TMNさん、その他のひっそりと生き残っていた人たち、そして、あたしこと美浜奈保子は、羽生蛇村民話集を借り。
それぞれ、無事、現世へ戻ることができた。
…………。
……てか、異界って、こんなに簡単に脱出できるのか。誰だよ、『どうあがいても絶望』なんて言ったのは。
(終了条件FE6A:羽生蛇村の呪いと共存する