…………。
……と、思ったのだが。
――ダメだ。完全に迷ってしまった。
東京から遠く離れた場所にある山間の小さな村・羽生蛇村。その北の地域にそびえる合石岳という山の中腹で、あたしは道の脇の石に腰掛け、一人、途方に暮れていた。CS放送のオカルト番組『ダークネスJAPAN』の撮影でこの山に入り、すでに十時間以上経っている。道はずっと一本で迷いようがないはずなのに、なぜか、山を下りることも、撮影スタッフが待機しているロケバスに戻ることもできない。このままでは、あたしは遭難者ということになってしまう。もし警察や消防に通報され、救助隊が出動、なんて騒ぎになれば、マイナーなオカルト番組などすぐに打ち切りとなってしまうだろう。あたしは現在唯一のレギュラー仕事を失い、事務所もクビに……なんてことにもなりかねない。こんなことなら、一人で勝手に行動するんじゃなかった……後悔しても、もう遅い。
…………。
……って、なんだこれ? なんであたし、ダークネスJAPANの撮影に来てるんだ? あの番組のリポーターは、二〇〇三年の秋に卒業した。番組自体は根強い人気があるらしくまだ続いているけど、CS深夜の低予算番組というポジションは変わっていない。自分で言うのもなんだけど、今や売れっ子アクション女優となったあたしにリポーターを依頼する予算など無いはずだ。まあ、お世話になった番組だからオファーがあれば喜んで友情出演するけれども、そんなオファーが来たなんて聞いてないし、なんでまた羽生蛇村を調査する必要があるんだ。二〇〇三年夏の例の出来事以降、羽生蛇村で土砂災害は発生していないし、神隠し事件や血塗れの老婆目撃などの怪事件も無くなった。当主が代わってからは観光業に力を入れているから以前のような閉鎖的な雰囲気は無く、豊かな自然とおいしいグルメ(羽生蛇蕎麦除く)で、結構人気の観光スポットになっている。かつての『呪われた村』なんてイメージは、もう無い。旅番組ならともかく、オカルト番組が取材するような村ではないはずだ。どうなってるんだこれは。
とりあえずマネージャーか番組スタッフを探そうと、あたしは腰を上げる。道に沿ってしばらく坂を下ってみると、道端に、見覚えのあるお団子頭とメガネの女が、うなだれて座っていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……安野さん」
「……はい」
「……なにしてるんですか」
「……座ってるんです」
「座ってるのは見れば判ります。訊きたいのは、なぜここにいるのか、ということです。というか、なんであたしもここにいるんですか」
安野さんは顔を上げ、「ああ、なぽりんさん。お久しぶりです」と、いま気付いたかのように言うと、ぺこりと頭を下げた。思わずあたしも「お久しぶりです」と頭を下げる。
「……いやお久しぶりじゃないんですよ。ついさっき、イベント会場前で会ったじゃないですか」
頭を上げてそう言うと、安野さんは首を捻った。「そうでしたっけ? そう言えば、そんな気もします。正直、時系列と並行世界が複雑になりすぎて、どれがいつの出来事なのか、あたしもイマイチ把握できてないんですよね」
「わけわかんないこと言ってないで、さっきの質問に答えてください。なぜ安野さんとあたしが、また羽生蛇村にいるんですか」
「それはこっちが訊きたいくらいです。なんであたしたちは、またここにいるんでしょうね?」
「……ここでまたかみ合わない会話をするつもりはありません。マジメモードになって、ちゃんと答えてください」
「そう言われても、ホントに判らないんですよ。まあ、確かなことは、また時間が戻った、ということでしょう」
「時間が戻った? ということは、まさか……?」
「はい。ここは、羽生蛇村は羽生蛇村でも、二〇〇三年八月三日の羽生蛇村、の、異界です。村は人気の観光地ではなく、土砂災害や神隠し事件などが多発する呪われた村で、なぽりんさんは売れっ子アクション女優ではなく、アクション女優志望の落ちぶれた元アイドルです」
「…………」
「…………」
「……ということは、あたしはいま二十代なんですか?」
「そうなりますね。プロフィール上は二十七歳の二十八歳です」
よし! と思わずガッツポーズをするあたし。三十代になって以降、肌や体力の衰えが著しいのが悩みだった。そう言われてみれば肌はハリがあるし体も軽やかだ。なにより、二十代というだけで気持ちが全然違う。わずか数年前とはいえこれほど差があるものなのか。当時はもうすぐ三十歳になるかと思うと気が重かったけど、いま思うと何をそんなに悩んでいたのかって話だ。残りわずかな二十代を楽しまなければ損だ。
「……じゃなくてですね」と、あたしは安野さんに視線を戻す。「若返ったことは喜ばしいですが、あたしは別に三十代の生活に不満があったわけではありません。むしろ、努力が実ってそれなりに成功したことを誇りに思っています。若い頃に思いをはせることはありますが、人生をやり直したいわけではないんですよ。なんでまた時間が戻ってるんですか? 羽生蛇村の呪いは……まあ解けたワケではないですが、なんとかうまくまとめたはずでしょう?」
あたしの体感的には数年前、あたしたちは安野さんの指示で異界を奔走し、屍人と仲良くなったり過去に食料を届けたりして、問題の解決を図った。結果、村の呪いとうまく共存できるようになったはずだ。
「そのつもりだったんですが、また時間が戻ったということは、うまくまとまっていなかったんでしょう」安野さんは、お手あげ、と言わんばかりに両手を挙げた。「ひょっとしたら、前提が間違っていたのかもしれません」
「前提?」
「はい。なぽりんさんたちは気付いてないかもしれませんが、羽生蛇村の異界に取り込まれた人たちは、一定の条件を満たすまで同じ時間を何度も何度も繰り返しているんです。その条件を満たさない限り、永遠にループするんですね。これが、この村の呪いの本質だといっていいです」
「はあ」
「で、あたしは、そのループから抜け出すための条件が、『最低一人以上の現世への生還』だと考えていました。だから、なるべく多くの人を生き残らせつつ、屍人さんと仲良くなり、村人たちのわだかまりや心の傷を取り除き、そして、過去に食料を届けたんですよ。その結果、八月六日以降に時間が進んだので、成功した、と思ってました。でも、数年時間が進んだだけで、結局は元に戻ってしまった。ならば、ループから抜け出す条件が『最低一人以上の現世への生還』という考えは間違っていた、という結論になります」
「なら、どうすればループから抜け出せるんですか」
「それが判れば、こんなところで頭を抱えてません。まったく、なにが望みなんでしょうね、『神よりも上位の者』さんとやらは」
安野さんは空を見上げ、あきれ果てた声でそう言った。
『神よりも上位の者』――それが、この村に呪いをかけた張本人だという。村の神様が死んでも呪いが解けなかったから、呪いをかけたのは神様ではなくそれよりも上位の存在だろう、というのがその根拠らしい。安野さんがそう言っているだけで、本当にそんな存在がいるのかどうかは判らない。
がさり、と砂利を踏む音がして、坂の下から猟銃を持った老人が現れた。村の猟師の志村晃さんだ。
「……余所者か……巻き込まれたな」
「ああ、お構いなく」安野さんは志村さんの言葉を遮るように手のひらを向けた。「あたしたちは大丈夫です。いえ、全然大丈夫ではないんですけど、少なくとも今は、志村さんのお力を借りる状況ではありません。どうぞ、先をお急ぎください」
安野さんが促すので、志村さんは怪訝そうな顔をしながら行ってしまった。
「いいんですか、志村さんを行かせても? 宮田医院へ連れて行って、息子の晃一さんに会わせるのでは?」
「その方法がダメだったことは証明されました。また、1から別の方法を探るしかないです」
「また1から探るって、安野さんって、ここまですでに何度も八月三日から五日を繰り返しているんですよね?」
「そうです。65535回からは数えていませんけど」
「……そうなると、また同じくらい繰り返すことになるんですか?」
「どうでしょう? それより早く終わるかもしれませんし、それ以上かかるかもしれません。まあ、なぽりんさんがループの記憶を引き継いで再スタートできるようになったのは、大きな一歩です。やり直しになったとき、前回とは違う方法を、すぐに試せますから」
「でも、それって、ループする時間を体感できるようになったってことですよね?」
「そうですね。記憶を引き継がないでループしている間は、何度繰り返そうが体感的には三日間は三日間ですが、記憶を引く継ぐ場合は、まさにリアルタイムで進行します。二回繰り返せば六日、百回繰り返せば三百日、十五万八千百六十六回繰り返せば千三百年、リアルに感じ取ることができます。ハッキリ言って地獄です」
「……勘弁してください」
「まあ、辛いのは最初だけです。三百年もすれば、心が壊れて気にならなくなります。五百年で記憶が薄れて何をしているのか判らなくなり、千三百年過ぎる頃には逆に楽しくなってきますよ。さあ、一緒にループライフを楽しみましょう」
満面の笑顔で言う安野さんに思わず右ハイキックを打ち込みそうになったが、すでに心も身体も不死となっているこの女には無意味なのでなんとかガマンする。しかし、これはホントに大変なことになったぞ。いったい、どうやったらあたしたちはこのループ地獄から抜け出せるんだ。だれかどうにかしてくれ、マジで。
こうして。
あたしたちは、また、新たな一歩を踏み出した――。(ハッピーエンドみたいに言うな)
(終了条件0000:ループの真の恐ろしさを知る