「――それにしても、安野さんは、なんでそんなに村のことに詳しいんですか?」
宮田医院の待合室にて、もうすぐやって来るであろう求導師の牧野慶さんを待つ間、恩田理沙さんが安野さんに訊いた。安野さんは、羽生蛇村にかけられた呪いや、その呪いの原因となった女の人について、かなり詳しく知っているようだ。安野さんの言うことはとても信じがたい話なのだが、現在あたしたちが置かれている状況とぴたりと一致するため、信じない訳にはいかない。だが、東京の大学生である彼女が、なぜそこまで詳しく知っているのかは大いに謎だった。
「まあ、そこは、長年の研究の成果です」安野さんはとぼけるように言った。
「だが――」と、安野さんの大学講師であるTMNさんが言う。「この異界については、私も深夜からずっと調べている。村のことはそれ以前からもずっと調査を続けていたし、父の自伝書や研究資料もすべて読んだ。それでも、お前ほど詳しくはない」
「それはもちろん、あたしが先生より優秀だということでしょう」安野さんは、胸を張って言った。
「……フッ。言うではないか。だが、貴様の話はまだ仮説にすぎん。真実か否かは、これからの検証によって決まる。証明できない限り、私は決して認めんぞ」
TMNさんは負け惜しみのように言った。ちなみにTMNというのは、十年ほど前に彼が使っていたニックネームである。当時のあたしは国民的人気アイドルグループのメンバーで、彼はコンサートや握手会などに足繁く通ってくれていたのだ。あたしにとってはこの呼び名の方がなじみ深いし、なにより、「芸能人とファンは一定の距離を保たなければならない。誰一人特別な存在であってはならない」という彼の
ギギギィ……と、正面入口が遠慮深げに開いた。誰か来たようである。見ると、真夏だというのに長袖の修道服を着ている男の人が、必要以上に周囲を警戒しながら中に入って来た。
「ああ。来たようですね」
安野さんが言った。と、いうことは、あの人が眞魚教の求導師・牧野慶さんか。
「――そんなに怯えなくて大丈夫ですよ? ここに屍人さんはいません。あ、地下に一人いますけど、今は安全です」
安野さんが声をかけると、牧野さんはビクンと大袈裟に震えた。そこまで怖がることもないのに。まあ、安野さんいわく、彼はかなりの小心者らしい。
牧野さんはおっかなびっくりという様子で待合室までやって来た。その顔は、さっき病院を出て行った院長の宮田先生と瓜二つだ。安野さんが言うには、牧野求導師と宮田先生は元々双子の兄弟だったが、二十七年前の土砂災害で両親が亡くなり、後継者がいなかった教会と病院にそれぞれ引き取られたそうだ。
「どうも、求導師様。お早いご到着で」安野さんは、どことなく皮肉っぽい口調で迎えた。「宮田先生とうちの先生が道中の屍人さんを倒しまくったから、行動しやすかったでしょ?」
「君は誰だ……? 宮田さんの知り合いか?」求導師様は不振感たっぷりな表情で安野さんを見た。
「はい。宮田先生には、以前、大変ありがた迷惑なお世話になりました。改めまして。あたし、東京で大学生をしている、安野依子と申します。今回たまたま村を訪れて、怪異に巻き込まれました。これも、求導師様が儀式に失敗したおかげです」
「な……なぜ、儀式のことを……? まさか、宮田さんから聞いたのか?」
「いえ、あたしの独自の調査です」
「私は失敗などしていない。私は、八尾さんに言われた通り、ちゃんとやったのだ」
「まあ、失敗の原因は求導師様ではないので、その点を責めるつもりはありません。しかし、その後の行動がよくない。知子ちゃんを蛭ノ塚に残し、よくものこのこと一人で逃げてきたものですね」
「な……なぜそんなことまで……」
「求導師様?」と、理沙さんが椅子から立ち上がった。「今のは、どういうことですか?」
理沙さんは眞魚教の信者で、子供の頃から足繁く教会に通っていたらしい。当然、求導師様とも顔馴染みだろう。
「いや……違う! 私はけっして逃げたんじゃない! あれは仕方なかったんだ! 相手は銃を持っていて、私一人で探すのは困難だから、助けを呼ぼうと……」
必死で自分の正当性を主張する求導師様。もっとも、その見苦しさが全てを物語っているような気がする。
「見え透いた言い訳はいいです」安野さんはバッサリと切り捨てた。「安心してください。知子ちゃんの救助は、宮田先生にお願いしました。今ごろ保護してるでしょう」
「宮田さんが? そうか。それなら安心だ」
「まったくです。求導師様と違って、頼りになる方ですよ。どうです? いっそ、入れ替わってみては? 今は村の一大事ですからね。宮田先生が求導師をした方が、村人みんなをちゃんと導いてくれるんじゃないですか?」
求導師様はムッとした表情になった。「いや、宮田さんには宮田さんの役割があるし、彼に、求導師の責務が果たせるとは思えないよ」
「……まあ、そうかもしれませんね。実際入れ替わっても、一部の村人は救えましたが、村の全てを救うには至りませんでしたから」
「……なんの話だ?」
「なんでもないです。それより、入れ替わったりする必要はありませんので、求導師様は、いまの求導師様のまま、ご自分の責務を果たしてください」
「責務……そうだ。私は、やらねばいけないことがあるんだ。どなたか、八尾さんを知らないか? ずっと探しているのだが、見つからなくて……」
八尾さん? 確か、この村で信仰されている宗教・眞魚教の求導女という人が、八尾比沙子という名前だった気がする。
「比沙子さんは現在行方不明です」と、安野さん。「まあ、もうすぐ蛭ノ塚に現れると思いますが、行ってみますか?」
「あ……いや……私一人では危険だから、誰か一緒に……」
安野さんは大袈裟にため息をついた。「あなた今やるべきことは、儀式の再開ではありません。儀式をやめ、村を救うことです」
「何を言うんだ。儀式は、村を救うためのものだ。今から再開すれば、まだ間に合うかもしれない。だから、八尾さんを探して……」
「やれやれ、しょうがない人ですね。では、そんなマザコンならぬ八尾コンの求導師様に、真実を教えてあげます」安野さんは後ろを振り返り、TMNさんに頭を下げた。「先生、お願いします」
「……ベタな時代劇みたいな言い方はやめろ」TMNさんは前に出ると、コホンと咳ばらいをした。「失礼。東京の城聖大学講師・竹内多聞と申します。あなたには、竹内臣人の息子だといった方が判りやすいでしょうか? 教会や神代家から、要注意人物とされていましたからね」
「竹内……臣人……? いや、名前は知っているが、それは私がまだ産まれる前の話だから、詳しくは……」
「父の名を知っているだけで結構。牧野さん。あなたは求導師という立場だから、いま村に何が起こっているか、ある程度はご存知なのでしょうね? ここがどんな世界か、屍人の正体、そして、神に花嫁を捧げる儀式を行う目的なども」
TMNさんの話に、一瞬はっとした表情になる求導師様。しかし、理沙さんや志村さんの視線に気付くと、小さく咳払いをして言う。「……な、何のことだ……? 私は、何も知らない」
「とぼけなくても結構。村に古くから伝わる伝承や、眞魚教の聖典・
「…………」
沈黙する求導師様。TMNさんは小さくため息をつくと、全てを話し始めた。この世界が現代と過去の羽生蛇村が入り混じった『異界』であること、赤い水は神の血であること、屍人は村人が常世へ旅立つ前の準備段階の姿であること、そして、これらのことは、一三〇〇年前に降臨した村の神様が原因であること、などなど。TMNさんの言う通り、これらのことは村の古い伝承や古文書・経典などに記されており、ヘタレだが頭は良く勉強だけは怠らなかったらしい求導師様なら知っているはずだ。
求導師様は動揺した表情になる。「な……なぜ……そんなことまで知っている……」
「優秀な私の父と、その遺志を受け継いだ超優秀な私の徹底した調査、そして、できの悪い教え子にほんのちょっとだけ手伝ってもらい、それらの調査結果を精査して導き出した結論です」
後ろから安野さんが「オイ」と、怖い声でツッコんだ。これらの話は、ほとんど安野さんに教えてもらったことである。
TMNさんは安野さんを無視して続ける。「牧野さん。恐らくあなたは、神に花嫁を捧げる儀式のことを、『神の怒りを鎮め、村を災いから守るための儀式』と認識しているはずだ。しかし、なぜ神の怒りを鎮めるために神代の娘を花嫁にする必要があるのか、そもそもなぜ神は怒っているのか、そこまではご存じないでしょう? 一三〇〇年前、この地に降臨した神に、村人が何をしたか? それは――」
得意げな表情で真実を告げようとしたTMNさんだったが。
「それは、村人が、降臨した神王様を食べたのだろう」
そう言ったのは、TMNさんではなく求導師様だった。
「そう。村人が神を食べたから……なに!?」
予想外の返答に、目を白黒させるTMNさん。
求導師様は、TMNさんにも負けないドヤ顔で話す。「神王様は、御身を下賤の者が口にしたことに大変お怒りになり、村に呪いをかけた。神王様を食べた村人は自分が犯した罪を悔い、神王様から頂いた血肉を返すため、娘や孫娘、さらにその子孫の身を、神に奉げるようになった。これが、神の花嫁の儀式の始まりだ」
話を聞いたTMNさんは、安野さんを振り返った。「……おい、話が違うではないか。このヘタレは、何も知らないのではなかったのか?」
「まあ、ヘタレでも一応求導師様ですからね。先生なんかよりよっぽど真相に近い立場にいますから、ちょっと調べれば、それくらいのことは判りますよ。神に血肉を返す儀式のことは、小学校の図書館の本にもそれとなく載ってるくらいですからね」
「ならそれを早く言え。知らない
「それは先生が勝手にしたことでしょう? あたしに言われても困ります」
求導師様が咳ばらいをした。「話しを続けさせてもらうが……部外者の君らからすれば、儀式は残酷なものに見えるかもしれない。しかし、これは村にとって必要なことなのだ。儀式を行わなければ村に災いが訪れる。二十七年前がそうだった。私の父である先代の求導師・牧野
「無駄ですよ」安野さんがTMNさんを押しのけ、前に出た。「今回の儀式は、すでに失敗しました。確かにやり直すことは可能ですが、それで、異界に取り込まれた村や村人が元に戻るわけではないんです。それに、当代の美耶子ちゃんが最後の『実』だというのは、あなた方の勝手な憶測です。確かに美耶子ちゃんは、生まれつき目が見えず、代わりに幻視を完璧に使いこなすなど、これまでの神代の娘には無い能力を持っていますが、彼女を奉げたところで、神様は完全な形ではよみがえりません。実が
今のあたしには安野さんが言っていることはところどころ判らないが、求導師様はちゃんと理解しているようだ。真剣な表情で答える。「真の実? それはなんだ?」
「一三〇〇年前、神様の身体を食べた本人です。これこそが真の実。それ以外の実を奉げても、神様は不完全な姿でよみがえるだけで、何の解決にもなりません」
安野さんの言葉を、求導師様は鼻で笑った。「バカな。一三〇〇年前の人間を、どうやって奉げるというのだ? もう、とっくの昔に死んでいるはずだ。まさか君は、その神王様の身体を食べた者が、生きているとでも――」
そこで、求導師様ははっとした表情になった。
安野さんが求導師様の顔を覗き込むように見た。「何か思い当たることがあるようですね?」
求導師様はためらっていたが、やがて話す。「……神王様がお住まいの常世には、永遠の命を与える木があると言われている」
「
そう言った後、安野さんはTMNさんを振り返った。「なにも知らない先生のために説明すると、『稗え田ノ木ノ実』とは、眞魚教の聖典・天地救之伝の一節です」
「バカにするな、それくらいは知っている」TMNさんは、胸を張って答える。「『楽園に二本の天の木生えり。神王、のたまうは、この実、法度の物なりて必ず食うことを禁ず』だろう? つまり、神の住む世界には『生命』と『知恵』の二本の木があり、その実を人間が食べることは許されない、ということだ。これは明らかに、旧約聖書の創世記の影響を受けたものだ」
エデンの園とか禁断の果実とかいうヤツだな。確か眞魚教は、十六世紀の後半に南蛮国の宗教の影響を強く受け、いまの形になったはずだ。だから、いろんなところに南蛮国宗教の影響が見られる、と、ネットで見た。
安野さんは求導師様に視線を戻す。「先生の言う通りです。その実を食べることは、人間には許されていない。つまり、神様しか食べられないワケです。それがどういうことか、求導師様なら、もうお判りですよね?」
「生命の木の実と知恵の木の実は、神王様しか食べることを許されない。故に、神王様は永遠の命を持っている」
「そうです」
「その神王様の身体を、一三〇〇年前の村人は食べてしまった」
「そうです」
「それはつまり、神王様とその村人が、同体になってしまったということだ。だから、その村人は、神王様と同じ力を持っている……すなわち、永遠の命を得たのだ……」
安野さんは、ぱちぱちと手を叩いた。「すばらしいです。概ね正解です。より正確に言うならば、神様の身体を食べた村人は三人いるんですが、うち二人は、神様の恨みの鳴き声を聞いて、その場で死んでしまいました。でも、もう一人は、『絶対に生き残る!!』という強い意志があったので、鳴き声に耐えたのです。永遠の命を得たのですから、当然、いまも生きてます」
「ならば……それは一体誰だ……?」
求導師様の問いに、安野さんは含んだ笑みを浮かべた。「誰だと思います? 求導師様なら、当てられると思いますよ?」
求導師様は少し考えた後、言った。「神に花嫁を奉げる儀式を始めたのがその者ならば、いまも儀式を遂行できる立場にいるはずだ」
「そうです」
「儀式を取り仕切っているのは神代家と教会だ。だが、神代家ではありえない」
「なぜですか?」
「まず、当主様ではない。神代家は女系一族だ。女性しか生まれない。故に、傍系の者が婿入りし、当主様になる決まりだ。何度も代替わりしているから、不死であるはずがない」
「その通りです」
「神代の娘であるはずもない。長女の
「それは厳密には正解では無いですが、まあ、ほぼ正解としておきましょう」
「神代家の使用人であることは考えられない。彼らは所詮神代に仕える人間だ。儀式に関して口出しすることはできない」
「そうとも言い切れませんが、まあ、アレは極めて特殊な例なので、一応、それも正解としておきましょう」
「神代家でないなら教会ということになるが、当然、私ではない。私は子供の頃の記憶があるし、写真も存在する。歳を取らないのならば、子供の頃の写真など無いはずだ」
「そうですね。正解です」
「ならば、残るは一人しかいない」
「消去法で行けば、そうなります」
「その人は確かに年齢不詳で、子供の頃の写真など見たことが無い。さらに、私はもちろん、私の父や、父の妹である叔母も、その人の世話になったと言っていた。なぜ、今まで気づかなかったのだろう」
「村全体がそういう仕組みになってるらしいです。詳しくは、あたしもよく判りませんけどね」
「……一三〇〇年前、この地に降臨した神を食べ、永遠の命を得た者……それは……」
そこまで言ったところで、求導師様は突然、ものすごく眠そうな表情になった。かと思うと、はっとした表情になり、キョロキョロと辺りを見回し始める。
「……はて、いま私は、何を言おうとしていたのだ?」
安野さんが舌打ちをした。「ダメでしたか。いいところまで行ったんですけどね」
「え? どういうこと?」あたしは安野さんに訊いた。
「この村の人は、志村さんのような一部の人を除き、その不死の人の正体を考えると、頭がぼんやりして、何も考えられなくなるらしいんです。だから、その人が歳を取らなくても、絶対に気付かないんですよ」
そう言われ、あたしは隣の理沙さんを見た。求導師様と同じく、眠そうな目をしている。
「……じゃあ、考えさせてもムダじゃない」
「そうなんです。だから、ムリヤリ教えるしかないんです」
そう言うと、安野さんはポーチの中からメガホンを出して口に当て、叫んだ。「一三〇〇年前! この地に降臨した神様を食べ! 永遠の命を得た人! それは! 求導女の八尾比沙子さんです!!」
求導師様は目を丸くして驚く。「八尾さんが!? そんなバカな!!」
「求導女様が!?」理沙さんも同じく驚いた顔。「そんな……そんなことって……」
「あれ、ちょっと待って」あたしは手を挙げた。「神様を食べて永遠の命を得た人って、澄子さんって名前じゃなかったっけ?」
「それは、いくつもある彼女の名前のひとつです。概ね求導女という立場にいて、『八尾比沙子』、あるいは明治以前だと、『
安野さんは求導師様に向き直った。求導師様は、いまの話がよほどショックだったのか、「八尾さんが……まさか……八尾さんが……」と、うわ言のように繰り返している。
「求導師様、
「真の実……それが、八尾さん……」
「そうです。比沙子さんは、一三〇〇年前に神様を食べた張本人です。だから、神様に血肉を返すのならば、本人を実として奉げるしかないんですよ」
「私は、何をすればいいのだ」
「やってもらうことは沢山ありますけど、まずは、美耶子ちゃんを神に奉げるのをやめましょう。今、神代家当主代行の神代
「わ……私が神代家を説得!?」求導師様はのけ反って驚いた。「いや、無理だ。この村では、神代家は絶対だ。私ごときが、逆らえるはずがない」
「でも、それをしないと、村は救えませんよ?」
村を救う――その言葉を聞いた求導師様は、うつむき、自嘲気味に笑った。「私に村を救うなんて無理だよ。私はただの道化だ。与えられた役割を、何も知らずに演じていただけだ」
「あたしにその話をしても、『それでもあなたが羨ましかった』とはなりませんけどね」
「え?」
「何でもないです。続きをどうぞ」
「……私は幼くして教会に引き取られ、素質も無いのに求導師として育てられた。ただ神に花嫁を奉げる儀式を行うために。私は、その日が来るのが怖かった。私の父は。二十七年前の儀式に失敗し、生涯そのことを悔い、苦しみ続け、最後は首を吊って自殺した。私は父のようになりたくなかった。ただその一心で、八尾さんに言われるままに、求導師の立場を演じていただけだ。私には、村人を導いたり、村を救ったりする力は無いんだ」
「そんなことはありません。あなたは求導師です。この村を救うには、あなたの存在が欠かせません」
「無理だ……無理だよ……」
その後、どんなに「村を救えるのはあなたしかいない」と説得しても、求導師様は「無理だ」と言い続けるだけだった。事前の情報通り、やはりこの人は相当なヘタレである。
しかし、そんなヘタレ求導師様をやる気にさせるとっておきの一言を用意している、と、安野さんは言った。今はそれに期待しよう。
安野さんは小さくため息をついた後、続けた。「求導師様。あなたには、今まで比沙子さんが神様に真の実を奉げなかった理由が判りますか?」
「――え?」
求導師様は、きょとんとした顔になった。
安野さんはさらに話す。「比沙子さんは、一三〇〇年前に神様の肉を食べた。その結果不死の呪いを受けた。その血肉を返し、呪いから解放されたいなら、自らを実として奉げればいいんです。そうすれば神様はよみがえり、呪いから解放される
「……いや……なぜだ……?」
「比沙子さんは、決してそのことに気付かないようになっているんです。あなた方が、比沙子さんが永遠に歳を取らないことに気付かないように」
「……それは、どういう意味だ」
「比沙子さんが受けた呪いは、単純な不死ではありません。いえ、むしろ、不死そのものは呪いではなく、あくまでも呪いの副作用にすぎません。比沙子さんが受けた本当の呪いは、『永遠の贖罪』です」
永遠の贖罪? そう言えば安野さん、さっき地下の拷問部屋でそんなことを言ってたな。
「比沙子さんは不死となり、神様に花嫁を奉げるという本来何の解決にもならない行為を、一三〇〇年もの間繰り返して来たのです。そんなことをしても神様は復活しないし呪いも解けない。それよりも、自らを実として奉げれば、神様は完全復活しますし、神の血肉を返せば自分はもう不死ではなくなります。残念ながら、それで村の呪いが全て解けたとは言えないんですが、少なくとも、比沙子さん自身は永遠の贖罪という呪いから解放されます。でも、それができないんです。自分自身では決して気付かないようになっている。だから、誰かが教えてあげない限り、比沙子さんはこの先も永遠に無意味な贖罪を繰り返すんです。この先も永遠に救われることはないんです。永遠に苦しむことになるんです」
「八尾さんが……永遠に苦しむ……」
「はい。でも、あなたはそれを救える立場にある」
「私が……八尾さんを救う……?」
「そうです。私は、村を救うにはまず比沙子さんを救わなければならないと考えています。この村は比沙子さんと共に生まれ、比沙子さんとともに呪われ、比沙子さんと共に生きてきました。羽生蛇村イコール比沙子さんなんです。だから、比沙子さんを救うことは村を救うことであり、村を救うことは比沙子さんを救うことなんです」
まるで舞台上で歌でも歌うように大げさな身振り手振りで話す安野さん。はたから見ているあたしにはなんともワザとらしい言い方であるが、求導師様は食い入るように見つめている。どうやら、安野さんの言葉は求導師様の心に響いているようだ。なるほど、と感心するあたし。求導師様は村を救うとか村人を導くとかいう責任感に欠ける男で、育ての親である八尾比沙子さんにべったりなマザコンならぬ八尾コンだ。だから、「村を救う」という言葉には食いつかないけど、「比沙子さんを救う」という言葉に食いついた、というわけだ。
そして、安野さんは求導師様を真っ直ぐに見つめ。
「求導師様。比沙子さんを救うために、あたしたちに協力してください」
ヘタレをやる気にさせるとっておきの一言を、言った。
「私が……八尾さんを救う……この私が……」
求導師様は、安野さんの言葉を噛みしめるようにつぶやいていたが、やがて顔を上げ。
「判った。私にできることなら、なんでもしよう」
決意を込めた顔で、そう言った。
「そう言ってくれると思いました。ありがとうございます」安野さんは求導師様に向かってにっこりと笑うと、あたしの方を振り返ってVサインを出した。
「お見事」と、あたしは手を叩いた。「求導師様の性格を、うまく利用したわね」
「はい。彼にやる気を出させるには、この言葉しかないと思いましたよ」
「それはいいんだけど……
「アレ、とは?」
あたしは後ろを指さした。待合室の隅で、TMNさんが背中を丸めてしゃがみこみ、いじけている。
「あなたに求導師様の説得をお願いされたのに、後半あなたがその役をムリヤリ獲ったから、拗ねてるわよ?」
「ああ。ほっといて大丈夫です。先生のにわか知識で求導師様を説得できるとは思っていませんでしたが、何か出番をあげなきゃと思って、お情けで任せてみただけです。もう用は済みましたので、いなくても問題ありません」
「……まあ、あなたがそう言うなら、それでいいけど」
ということなので、あたしたちはいじけモードのTMNさんを放っておいて、次のステップへ進むことにした。
「それで、次はどうするの?」あたしは訊いた。
「はい。儀式の再開を止めたいので、神代家の説得をしたいんですが……」
安野さんは求導師様を見た。「一人で大丈夫ですか?」
「あ……いや……無理だと思う」
求導師様は、さっきの決意はどこへやら、また元のヘタレに戻ってしまった。「いや、もちろん、八尾さんを救うための協力は惜しまないつもりだ。しかし……村の外から来た君には判らないだろうが、この村で、神代の力は絶対なのだ。教会と言えど、神代のやることに口出しはできない」
「判ってます。安心してください。さすがに求導師様一人で神代家に立ち向かえ、とは言いません。彼らを説得するためには、更なる協力者が必要です。村で神代家や教会に次ぐ有力者がそろそろ戻って来ると思いますので、彼に協力をお願いしましょう」
「神代家や教会に次ぐ有力者……?」求導師様は、はっとした表情になった。「まさかそれは、宮田さんのことか?」
「そうです」安野さんは頷いた。
宮田さん――だいぶ前に拳銃片手に出て行ったこの病院の院長・宮田先生だ。確かに村では神代家と教会に次ぐ力を持っているらしいし、求導師様とは双子の兄弟らしいから、協力者としてはうってつけだろう。
「あ……いや、それはどうだろう……?」と、求導師様。「確かに宮田さんは村の有力者の一人だが、神代家の命令に忠実な人なんだ。私なんかに協力してくれるとは思えない」
「でも、双子の兄弟なんですよね?」と、あたしは言ってみる。
「そうなんだが……恥ずかしい話だが、あまり仲は良くないんだ。生まれてすぐ、別の家に引き取られたからね。私は教会で、宮田さんは病院。このふたつの立場は、決定的に違うんだ。私は見ての通り頼りない存在だけど、それでも教会は病院よりも上の立場だ。こんな私でも、求導師という肩書きだけで、村の誰からも頼りにされている。それに比べ、宮田医院は……」
求導師様はそこで話を区切り、理沙さんや志村さんの様子を窺うようにチラチラと見る。
「大丈夫ですよ」と、安野さん。「宮田医院の裏の顔については、すでに話しました。秘密の地下室にも案内しています」
「そうか。なら話は早い。宮田医院は、神代家や教会に逆らう者を密かに拉致監禁するなど、裏で非合法なことを行っている。一部の村人にはそれらが知られているから、宮田医院は、村人から恐れられる存在なんだ。宮田さんはその立場に苦悩し、私のことを疎ましく思ってるはずだよ。だから、彼に協力をお願いするのは、無理かもしれない」
「大丈夫です」安野さんは、力強く言い切った。「確かに宮田先生は、神代家に忠実で、求導師様のことを疎ましく思っています。しかし、村や村人を救うという使命感は人一倍強い方です。なので、求導師様が『村を救うために協力してくれ』と
「そうだと良いが……」
「それに、たとえ立場は違えどやっぱり双子なんですから、判ってくれますよ」
と、安野さんは自信満々に言うので、あたしたちは宮田先生の帰りを待つことにした。
(終了条件FADE:牧野慶に村を救うと決意させる