SIREN(サイレン)/小説/終章   作:ドラ麦茶

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第六話 美浜奈保子 大字粗戸/山道 初日/二十三時三十分十八秒

 屍人との話し合いの場を設け、事情を説明した上でこれ以上ムダな争いをやめることにした人と屍人。あたしたちはお互いを理解し合い、休戦条約を締結。一三〇〇年間続いた人と屍人の争いは、終結へ向けて大きく前進したのである。

 

 そして、あたしたちは次のステップへ移ることにした。長年の遺恨を解消し和解した求導師様と宮田先生は神代家の説得へ、屍人ながら恋人の宮田先生と心を通じ合わせた美奈さん屍人は異界中の屍人を説得に、そして、あたしは安野さんと前田知子ちゃんと一緒に刈割という地域へ向かっていた。現在そこに、小学校教師の高遠玲子先生と、その教え子の四方田春海ちゃんが隠れているらしい。美奈さんが屍人を説得中とはいえ、異界中の全ての屍人に話が行き渡るにはそれなりに時間がかかる。高遠先生も事情を知らないため、春海ちゃんを守るために屍人と戦い続けるだろう。このまま放っておくと日付が変わった頃どっかーんとなるらしいので、あたしたちはとにかく急いで刈割へと向かっていた。

 

 しかし、ここで大きな問題が起こる。

 

 宮田医院のある波羅宿から刈割へ行くには、川沿いの道を南へ向かって大字粗戸(おおあざあらと)という商店街へ行き、そこの大通りをさらに南へ進むと屍人が作ったバリケードに突き当たるので、バス停小屋の屋根の上から崖の上の金網の穴を潜り、そこから山道を西へ向かって進まなければならないらしい。変な進み方だがそれが一番の近道らしく、これは問題ではない。道中には多くの屍人がいるが、すでに美奈さん屍人の説得が終わっているらしく誰一人襲ってこないので、これも問題はない。

 

 では、何が問題なのかというと。

 

「……美浜さん、少し、休んだ方がよくないですか?」

 

 大字粗戸から刈割へ続く山道を走りながら、前田知子ちゃんは心配そうな口調で言った。

 

「うん。でも、時間が迫ってるからね」

 

 あたしは腕時計を見ながら答える。現在二十三時三十二分。日付が変わるまで三十分を切ってしまった。刈割まではまだ少しかかるらしい。その上、高遠先生と春海ちゃんの二人がどこにいるか判らないので、時間的余裕はほとんどない。休んでいる暇はないだろう。

 

 断っておくが、休みが必要なのはあたしではない。あたしは一応アクション女優志望だから日々稽古に励んでおり、体力にはかなり自信がある。知子ちゃんは中学校でバレー部に所属しており、こちらも体力にはそれなりに自信があるそうだ。

 

 そう――問題なのは、あの女だ。

 

 あたしたちが振り返ると、安野さんは今にも死にそうな顔で、ぜぇぜぇと濁った呼吸をしながら、歩くのとほとんど変わらないスピードで走っていた。

 

「……てか、急ぐから走るって言ったのはあんたでしょうが。なんで言いだしっぺが一番遅れてるのよ」

 

「ふひいひはたははひでひょう。あふぁひふぁきょうきょうそふきょうひへはらひゅうへーほるいひょうはひったほほははひんへふはは」

 

「屍人の言葉で話してもあたしにはわからん」

 

「いえ、美浜さん」と、知子ちゃん。「今のは、人間の言葉です」

 

「え? そうなの?」

 

「はい。たぶん『仕方ないでしょう。あたしは高校を卒業してから十メートル以上走ったことが無いんですから』って言ったんだと思います」

 

 あたしは安野さんを見る。「知るか。人の命がかかってるんだ。あんたは死んでもいいから、とにかく走れ」

 

「あはひはひにはしぇーん」

 

「『あたしは死にましぇーん』と言ってます」即座に通訳する知子ちゃん。

 

「いつのドラマだ。いいから行くよ!」

 

 そんな具合で、あたしと知子ちゃんは安野さんの手をムリヤリ引いて走り、なんとか二十三時四十分には刈割へ到着した。

 

 刈割は、なだらかな丘の斜面に棚田を切り開いた、のどかな田園地帯である。もっとも、それは現世にあった頃の話であり、今は赤い水が張られた田んぼで血の涙を流す化物が農作業をし、猟銃を持った化物や、顔中に海洋生物みたいなものが張り付いた気持ち悪さ満点の化物が見張りをしている、地獄の三丁目みたいな場所だ。

 

 しかし、すでに美奈さん屍人の話が行き渡っているらしく、屍人はあたしたちを見ても襲って来ることはなかった。これなら高遠先生と春海ちゃんも安心……というわけにはいかない。なぜなら、屍人が人間を襲わなくても、人間は屍人を襲うかもしれないからだ。特に高遠先生という人は、普段は優しいが春海ちゃんを守るためなら鬼と化すらしく、屍人が春海ちゃんに近づこうものなら問答無用で排除するとのことだ。休戦協定を結んだとは言え、屍人も人間の方から襲って来たなら迎撃しなければならなくなる。そうなると、人と屍人の今後の関係に大きく影響するかもしれない。早いうちに事態を説明しておかないと、取り返しのつかないことになるかもしれないのだ。

 

「それで、その高遠先生と春海ちゃんはどこにいるの?」あたしは安野さんに訊いた。

 

「はひ。ほうふいほのほはのふふひほふほほははひはふへへいはふ」

 

「『用水路のそばの古い倉庫の中に隠れています』と言ってます」即座に訳す知子ちゃん。

 

 あたしたちは棚田を左側に見ながら砂利道を進んだ。しばらく進むと確かに用水路と古い倉庫があった。あの中だな。あたしは倉庫に近づいて行った。

 

 すると。

 

「――春海ちゃんに近づくなああぁぁ!!」

 

 心臓が縮み上がるような恐ろしい声と共に、倉庫の中から鬼のような形相の女が出てきた。右手にバールのようなものを握りしめ、振りかぶりながらこちらへ向かって来る。一瞬屍人かと思うほどの――いや、じっくり見ても屍人と見間違えそうな姿だ。あたしは知子ちゃんと安野さんを突き飛ばす勢いで後ろに下げると、バールのようなものを持つ女の手に向かってハイキックを打ち込んだ。バールのようなものはくるくると回転しながら遠くへ飛んで行く。よし。これで女は無力化した……と思ったら、女はひるむことなく向かって来て、両手であたしの首を掴み、締め始めた!

 

 ……この人、ホントに人間なんだろうな? 行動パターンが屍人と同じなんだが。

 

 しかし、人だろうと屍人だろうと所詮は素人。あたしは慌てず、首を絞める腕の間から、相手の鼻に右の掌底を打ち込んだ。これで相手は悶絶するので、その隙に抑え込む――正面から首を絞められたときの護身術のひとつだ。

 

 だが!

 

 本気ではないがそれなりに力を入れた掌底にもかかわらず、女は怯むことなく首を絞め続けるではないか! 両手の力はどんどん強くなってくる。ダメだ! これは余裕かましてる場合じゃない! 本気を出さねば! あたしは左手で女の左手首を掴み、女の左ひじめがけ、下から突き上げる角度で右掌底を打ち込んだ。ごきっ! と嫌な音が響き、女の関節は逆に折れ曲がる。さすがに左手が離れるが、まだ右手は離さない。普通なら気が狂いそうなほどの痛みのはずだが、なんという執念! あたしは身体を反転させると、一本背負いの要領で女を投げた。女を激しく地面に叩きつける。それでも女は右手を離さない! こうなったら右腕も砕くしかない! もはや完全戦闘モードになってしまったあたしは、女の右手首を掴み、腕ひしぎ十字固めに入ろうとした。

 

 そのとき!

 

「先生! やめて!!」

 

 小屋から小さな女の子が出てきて、今にも泣きそうな声で叫んだ。

 

 そのとたん、それまでどんなに痛めつけても決して離さなかった女の右手から、ふっと力が抜けた。

 

「なぽりんさんも、それくらいにしてください」と、安野さんが言うので、あたしも女の右手を離し、反撃を警戒しつつ離れた。

 

「……てか、あんた、ちゃんと喋れるなら、最初から喋れよ」あたしは安野さんに向かって言った。コイツがあうあう言ってるから屍人と間違えられたのではなかろうか。

 

「少し休んで回復したんですよ。あたしの回復力は、屍人さんよりも高いですから」安野さんは女の人を見た。「高遠先生、落ち着いてください。あたしたちは屍人さんではありません。と、言うより、屍人さんとは仲良くなりましたので、もう襲われることはありません」

 

 安野さんがそう説明しても、女――高遠先生は警戒心を緩めない。春海ちゃんをかばうように立ち、鋭い目でこちらを睨みつける。まあ、屍人と仲良くなった、と言われても、到底信じられる話じゃないだろうな。

 

「本当なんです、高遠先生」知子ちゃんも前に出て説明する。「宮田先生が、屍人になった美奈さんを説得して、それで――」

 

 その後もゆっくりじっくり時間をかけて説明し、高遠先生はようやく警戒を解いてくれた。

 

「――申し遅れました。あたし、東京の大学生・安野依子と申します。こちらは高遠先生の宿敵・なぽりんさん」

 

「別に宿敵ってことはないけど」そう言った後、あたしは高遠先生に頭を下げた。「申し訳ありません。あまりの殺気に、とっさに本気で反撃してしまいました」

 

 あくまでも正当防衛なので、その点はさりげなく主張しておく。

 

「まあ、ひじが砕けたぐらいならすぐ治りますから安心してください」と、安野さん。「それで、本題に入りたいのですが、実はですね――」

 

 安野さんは、村の呪いや八尾さんの正体について説明した。納得してもらうまでにそれなりの時間がかかったが、いちいち描写しているとキリがないので、ここからは事情を説明するシーンは省略させていただく。

 

「――そんなワケですので、次に行きます。教会へ行きたいところですが、夜は門が閉ざされて入れませんので、開くまで時間を潰すことにしましょう。実はもう一組、声をかけておかないといけない人たちがいます」

 

「声をかける? 誰に?」

 

「神の花嫁・神代美耶子ちゃんと、東京から来た高校生・須田(すだ)恭也(きょうや)君です。あたしはこの二人に個人的な恨みがあるので助けるのはあまり気乗りしないんですが、美耶子ちゃんは春海ちゃんのお友達ですし、二人をほっとくとそれはそれで厄介なことになるので、仕方ありません。現在、刈割の北、田堀(たぼり)地区の廃屋の中にいます」

 

 と、言ったところで、安野さんがはっとした表情になった。「しまった! 今、何時ですか?」

 

「えっと、〇時二十五分だけど?」

 

「高遠先生が自爆した時間を過ぎてますね。と、いうことは、すでに血の契約は終わってる」

 

「血の契約?」

 

「神代の娘の血を、他の人に輸血する行為です。神代の娘が、肉体が滅びても魂は永遠に生き続ける不完全な不死者だということは説明したと思いますが、神代の娘の血が混じった人は、同じく、不完全な不死者になってしまうんです」

 

「……てことは、その恭也君という子は、神代の呪いを受け継いでしまったことになるの?」

 

「そうです。でも、それはいいんです。そうしないと、恭也君は屍人さんになってしまいますからね。問題はそこではないんです。とにかく急ぎましょう」

 

 ということなので、あたしたちはまた走ることになった。小学四年生の春海ちゃんよりも足が遅い安野さんに足を引っ張られながらも、なんとか一時過ぎには目的の廃屋に着いた。廃屋とは言っても、敷地面積はそこそこ広く、庭の隅に離れまである立派な日本家屋だ。玄関は鍵が閉まって開かないので、裏に回って勝手口から中に入る。一階の中央にある部屋に二人はいた。恭也君は美耶子ちゃんをかばうように立ち、たき火とかをかき混ぜる鉄の棒・いわゆる火掻き棒を構えて臨戦態勢だったが、幸いにも美耶子ちゃんとお友達だという春海ちゃんが説得してくれたので、戦闘になることはなかった。事情を説明する安野さん。さすがに神の花嫁という立場だけあって、村の呪いや異界についてかなりの部分すでに知っており、話はスムーズに進んだ。

 

「では、すみやかに脱出しますよ?」急いで出て行こうとする安野さん。

 

「さっきから、何を急いでるの?」

 

「もうすぐこの廃屋に屍人さんが潜入してくるんです!」

 

「でも、屍人とは休戦協定を結んだから、もう危険性はないんじゃない?」

 

「そうなんですが、今からここに来るヤツは、別の意味で危険なんです! どういうわけか、汲み取り式便所の便槽を通って家の中に入って来るんですよ!」

 

 ……そいつは確かに危険だな。さっさとずらかろう。あたしたちは早々に廃屋を後にし、とんぼ返りで刈割へ戻った。

 

 刈割へ戻ると、廃倉庫のところで求導師様と宮田先生が待っていた。そばには、喪服みたいな黒いドレスを着た少女と、ワイシャツにスラックス姿で右手に刀を持った若い男がいる。神代家の長女・亜矢子ちゃんと、その許婚で次期当主の淳さんだ。

 

「求導師先生、お疲れ様です。説得、うまく行ったようですね」安野さんは求導師様と宮田先生に声をかけた後、淳さんたちを見た。「はじめまして、淳さん、亜矢子さん。わたくし、屍人の力を掌握したこの世界の救世主・安野依子と申します。詳しい話はすでに求導師先生から聞いたと思いますので省略します。求導師様、教会の鍵、持ってますよね?」

 

「ああ、もちろん」

 

「では、高遠先生、春海ちゃん、知子ちゃん、恭也君、美耶子ちゃん、亜矢子ちゃんは、教会へ向かってください。九時までには、病院待機組や美奈さんたち屍人さんグループもやって来ますので、それまでは休んでもらって大丈夫です。あたしとなぽりんさんと牧田淳さんは、波羅宿へ向かいます」

 

「波羅宿? そこで、なにがあるのだ?」宮田先生が訊く。

 

 すると、それまでどこかちゃらんぽらんな様子だった安野さんの顔が、急に引き締まった。

 

「最後の一人に声をかけます」安野さんはシリアスな声で言う。「大変危険なので、決して油断はしないでください」

 

 ゴクリ、と、息を飲むあたし。普段適当な感じの人が急に真面目になると、事がずいぶん深刻なんだと思えてくる。

 

 あたしたちは、波羅宿へと向かった。

 

 

 

(終了条件F00D:異界にいる生存者・屍人全員に声をかけ、教会に集める 達成(エピソードクリア)

 

 

 

 

 

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