SIREN(サイレン)/小説/終章   作:ドラ麦茶

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第七話 美浜奈保子 大字波羅宿/耶辺集落 第二日/六時四十四分五十一秒

 羽生蛇村とふもとの街を繋ぐ県道三三三号線は、赤い海へと消えていた。

 

 普段なら、ここからふもとの街を見下ろすことができるらしいが、いま見えるのは、一面の赤い海だ。ふもとの街が海に飲み込まれたようにも見えるが、そうではない。消えたのは街ではなくこの村の方。村が、赤い海に囲まれた異界に取り込まれたのだ。

 

 その、赤い海の波打ち際に、一人の女がたたずんでいた。一見するとあたしと同世代のようだが、よく見ると年上にも思えるし、更によく見ると年下にも見える。二十代から三十代、あるいは四十代から五十代――そんないい加減な年齢の見立てがピタリと当てはまってしまう女だ。

 

 女は赤い修道服を着ている。それは、眞魚教の求導女のみが着ることを許された服だ。

 

 八尾比沙子。一三〇〇年以上生き、この村が呪われる原因となった女。

 

 比沙子さんは、穏やかな顔で海の向こうをじっと見ている。何を見ているのか、何を考えているのか、その表情から伺うことはできない。その姿を見ていると、一三〇〇年以上も生きているなんて話は、安野さんの妄想なのではないかとさえ思えてくる。

 

 比沙子さんの足元に、赤い波が繰り返し打ち寄せる。

 

 その、波の間に、球体状のものが流れ着いた。

 

 サッカーボールほどの大きさの球体だ。表面には、目があり、鼻があり、そして口がある。目は異常に大きく、顔の半分を占めていた。その分、鼻と口が小さい。後頭部にはフジツボのような突起物がいくつも並んでいる。

 

 それは、地球上のどの生物とも違っているように思えた。もちろん、あたしが地球上の全生物を知っているわけではない。それでもそんなことを思ってしまうのは、その頭部が、()()()にそっくりだからだ。

 

 グレイ――オカルト好きならば知らない人はいないであろう宇宙人の呼称だ。つり上がった楕円形の大きな目と、不釣り合いなほど小さい鼻と口が特徴的な顔。アメリカのロズウェル事件やヒル夫妻誘拐事件などのUFO絡みの事件で広く知られるようになった宇宙人の姿だ。流れ着いた球体状のものは、そのグレイの頭部そっくりなのである。

 

 比沙子さんはその球体状のものを拾って胸に抱くと、愛おしそうな表情で撫でた。まるで、赤ちゃんをあやしているかのようである。

 

 その目が、再び赤い海の方を向いた。

 

 海面から空に向かって眩しい光が伸びていく。それはどこか、海の底に眠っていた龍が、天へと昇っていく姿に似ていた。

 

 あたしは光を追うように空を見上げる。いつの間にか、雨が止んでいることに気が付いた。

 

 光が向かった先には、()()が両手を広げていた。何か――そう表現するしかない。そこには、両手しかないのだから。身体も、顔も、何も無い。ただ両手だけが、光を迎え入れている。

 

 その、光の中から。

 

 一人の女が現れた。

 

 女は、海の上に浮かぶ石の台座に立ち、木箱のようなものを大事そうに抱えていた。赤い修道服を着た女だった。眞魚教の求導女しか着ることができない服。顔は光が差してよく見えないが、穏やかに微笑んでいるように見えた。長い髪は完全に色が抜け落ちた白髪だ。老婆……なのだろうか?

 

 波打ち際に立つ比沙子さんは、光の中から現れた女性を、じっと見つめる。

 

 あたしたちも、ただ茫然とその光景を見つめていた。

 

 どれくらいの時間が過ぎたのか――。

 

 気が付くと、光が消え、空に広がった両手も消え、木箱を抱えた女も消えていた。雨も、いつの間にかまた降り始めている。

 

 比沙子さんが振り返った。

 

 顔に笑みを浮かべていた。それは、さっきまでの穏やかな笑みではない。(よこしま)な企みを胸に秘めた者が浮かべる笑みだ。

 

 振り向いた比沙子さんはあたしたちに気付き、邪悪な笑顔を歪めた。

 

「おはようございます、比沙子さん。今朝の目覚めはいかがですか?」安野さんが、朝の散歩の途中で出会ったような気安い調子で声をかけた。

 

「誰? 見ない顔ね」冷たい声で応える比沙子さん。「余所者かしら? たまたま村を訪れて異界に飲み込まれたんだとしたら、気の毒だけど諦めなさい。もう、元の世界に戻ることはできないわ。さっさとアイツらの仲間入りをすることね」

 

「違います。あたしは、たまたま村に来たのではありません。あなたを助けるために、遠い所からはるばる来たんです」

 

「あたしを助ける? 何を言ってるのかしら? 悪いけど、余所者の悪ふざけに付き合っている暇はないの。じゃあね」

 

「まあ、そう邪険にしないでください。こう見えても、いろいろ知ってるんですよ。一三〇〇年前にあなたが神様を食べたことや、あなたがそのことを悔い、罪を償うために神様をよみがえらせようとしていることとか」

 

 安野さんの話に、比沙子さんの目つきが鋭くなった。「……あなた、何者?」

 

「あなたが救われる方法を知っている者です。あたしの言う通りにすれば、あなたも、そしてこの村も、村の人も、みんな救われます」

 

「面白いことを言うわね、気に入ったわ」比沙子さんは表情を緩めたが、目は鋭く安野さんを捉えたままだ。「今日は特別に見逃してあげるから、今すぐあたしの前から消えなさい。これ以上邪魔をするなら、容赦しないわよ?」

 

「八尾さん――」と、後ろに控えていた求導師様が前に出た。「彼女の話を聞いてあげてください。彼女は本当に、この村を、そして、八尾さんを、救ってくれると思います」

 

 求導師様と一緒に、宮田先生と神代淳さんも姿を現した。

 

「これは、ずいぶんと面白い組み合わせね」比沙子さんはおかしそうに言う。「まさかあなたたち、その女の言うことを信じているの?」

 

「はい。信じています」求導師様たちは、力強く言った。

 

「そう……少しは使える連中だと思っていたけど、そんな女の妄言に惑わされるなんて、とんだ愚か者ね。まあ、いいわ。好きにしなさい。あなたたちが何をしようと、あたしには関係ない。ただ、あたしの邪魔はしないで。これは、最後の警告よ」

 

「八尾さん、お願いです。私たちの話を――」

 

 求導師様がさらに説得しようとしたが。

 

 比沙子さんは、それを制するように、あたしたちに右の掌を向けた。

 

 その瞬間。

 

 ――身体が、熱い。

 

 それは、興奮して身体が火照っているとか、そんなレベルではない。まるで炎の中に身を投じたかのような熱さ。いや、ような、じゃない! ホントに炎の中にいる! あたしの全身から、炎が噴き出している! 求導師様も、安野さんも、宮田先生も淳さんも、みんな炎に包まれている! なんだ!? 人体自然発火現象か!? やばい! このままでは焼け死ぬ! 火を消すには水に飛び込むのが一番だが、そばにあるのは赤い海だ。あれに飛び込んでも死んでしまう! まさしく絶体絶命!

 

 と、思っていたら、安野さんが、淳さんが持っていた刀を取り、鞘から抜いた。そして、(くう)を斬るように大きく一振りする。すると、刀身から白い光が溢れ出て、炎を包み込んだ。その光が消えた時、あたしたちの身体を燃やしていた炎もまた、消えていた。

 

 驚きの表情を浮かべる比沙子さん。

 

 その比沙子さんに向けて、安野さんが右掌を向けた。

 

 次の瞬間、今度は比沙子さんの身体が炎に包まれる!

 

 悲鳴を上げる比沙子さん。炎は勢いよく燃え上がり、赤い海に飛び込む暇さえ与えず、比沙子さんの身体を焼き尽くした。比沙子さんは、黒く焼け焦げた姿で、その場に倒れた。

 

「――八尾さん!!」

 

 求導師様が駆け寄るが、八尾さんはピクリとも動かない。

 

「すみません。相手が相手なので、手加減する余裕はありませんでした」安野さんが言った。「でも、安心してください。比沙子さんは完全な不死ですので、すぐによみがえります」

 

 まあ、そうだろうな。でなければ、一三〇〇年も生きているわけがない。

 

「それより――」と、あたしは安野さんを見た。「展開が早すぎて、いま何が起こったのか、よく判らなかったんだけど?」

 

「説明します。いま、あたしたちの身体を包んだ炎は、比沙子さんが放ったものです。比沙子さんは神様の肉を食べたことで神様と同体になったという話はしたと思いますが、それ故に、神様が使う技は、比沙子さんも使えるのです。異界と現世を自由に行き来できるのも、その能力のひとつです。その気になれば、姿を消したり、稲妻の槍を落としたり、鳴き声で人を殺したりもできると思います」

 

「それはまた、とんでもなく危険な人ね」

 

「そうですね。まあ、今のところそこまではやらないようなので、安心してください。それで、この刀ですが――」

 

 安野さんは、淳さんから奪い取った刀を鞘に納めた。「神代の宝刀・焔薙です。かつて刈割の地に封印されていたとされる聖獣・木る伝(きるでん)の力が宿っています。『羽生蛇村民話集』では、木る伝は神代の娘によって解放され、楽園を護るために旅立った、とされていますが、それはあくまでもフィクションで、ホントはまだ刈割の地に封印されています。なので、本来の力はまだ宿してないんですが、それでも、炎を退ける力はあるんです。江戸時代初期の異教徒弾圧時代、幕府軍が村に火を放った時、この焔薙が炎を退けた、という伝説が残ってます」

 

「なるほど。よく判ったわ」

 

「はい」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……で?」

 

「……で? とは?」

 

「話の続きは?」

 

「話の続き、とは?」

 

「比沙子さんがあたしたちを燃やして、宝刀が炎を消した。そこまでは、判ったわ」

 

「はい」

 

「その後の話よ」

 

「その後の話、とは?」

 

「あなたが比沙子さんに手のひらを向けた後、比沙子さんが炎に包まれたわよね?」

 

「え? 気のせいでしょう? あれは、焔薙の力で、あたしたちの身体の炎を比沙子さんに転移させただけです」

 

 そうなのか? 確かにそれでも理屈は通りそうだけど、でも、そうは見えなかったんだよなぁ。あたしには、安野さんも比沙子さんと同じ技を使ったように見えたんだが。

 

「しかし、信じられんな。今の女が求導女様とは……」

 

 と、宮田先生が話し始めたので、あたしは考えを中断し、先生の方を見た。宮田先生も、求導師様ほどではないものの、かなり動揺している様子だ。

 

「普段の彼女とまるで別人だ。いや、決して安野君の話を疑っていた訳ではないが……」

 

「判ります」安野さんが頷いた。「話で聞くのと実際に見るのとでは、やはり別物でしょう。特に、宮田先生たちは、子供の頃から優しい比沙子さんにお世話になってきたでしょうからね」

 

 正直に言えば、あたしはこれまで聞いた安野さんの話から、比沙子さんという人は利己的で残忍な女ではないかと思っていた。大昔に神様を食べて村が呪われた原因を作ったあげく、若い娘を生贄に奉げ続けてきた女。実際会ってみてもそのイメージは変わらない。高圧的で他人を見下したような態度と、邪魔者は容赦なく排除しようとする冷酷さ。ほんの数分程度のやり取りで、十分すぎるほど彼女の性格を理解したように思う。

 

 しかし、あたしは所詮余所者である。村に来てまだ数日だし、比沙子さんのことを知らされてから半日程度しか経っていない。生まれてからずっと一緒に居る求導師様や宮田先生たち、そして、この村の人たちには、あたしとは違う比沙子さんのイメージがあるだろう。普段の比沙子さんは、慈愛に満ちた聖母のような女性だという。

 

 どちらが本当の比沙子さんの姿なのか――それは、考えるだけ無駄なのかもしれない。所詮あたしたちは、一三〇〇年も生きた比沙子さんの数日かせいぜい数十年のことしか知らないのだから。

 

「病院でも少しお話ししましたが――」と、安野さんが話し始めた。「比沙子さんはいわゆる多重人格というヤツで、彼女の中に多くの性格が存在しています。なんせ一三〇〇年も生きていますから、その数は膨大です。二十一人のビリーズブートキャンプなんてメじゃありません。正直、あたしはもちろん、比沙子さん自身もすべてを把握できていないでしょう。近年比沙子さんの行動が支離滅裂になっているのは、これらの性格が複雑に入れ替わっているからなんです」

 

 比沙子さんは神に花嫁を奉げようとする一方で、神の花嫁を逃がしたり、御神体を盗むよう村人に助言したりといった、儀式を邪魔するような行動もしているという。つまり、儀式を行おうとする性格と、儀式を邪魔しようとする性格が入れ替わっているのだ。

 

 安野さんは話を続ける。「あたしの専攻は民俗学で、心理学には詳しくありません。なので、今からする話は素人が適当なことを言ってる程度に聞いていてほしいんですが……比沙子さんの中には、一三〇〇年の間に数えきれないほどの人格が生まれ、消えて行きました。それは、不死の運命から逃れる(すべ)のひとつだったのではないでしょうか?」

 

「不死の運命から逃れる術?」

 

「そうです。新たな人格が生まれ、そして消える――これが、彼女にとってのひとつの人生なんです。比沙子さんは多重人格になることで、不死の苦しみから心を守ってきたのではないでしょうか?」

 

 ……なんとなくではあるけど、安野さんの言いたいことは判るかな。

 

 多重人格となる原因については様々な意見があるが、そのひとつに幼児期の虐待があるとされている。子供の頃、親などからヒドイ暴力を受けた場合、自分とは別の人格を作り、「こんなひどい目に遭っているのは自分ではない」と思うことで、自身の心を守る、というのだ。何かのテレビで見聞きした話なのでどこまで本当なのかは判らないが、少なくともそういった説があるのは間違いない。

 

 つまり、永遠に生きる苦しみを背負ってしまった比沙子さんは、人格を消すことで死を迎え、新たな人格を作ることで生まれる。これを繰り返すことで、永遠に生きる苦しみから心を守ってきた――それが、安野さんの意見だろう。

 

 安野さんは宮田先生を見た。「この話、羽生蛇村精神医学の権威である宮田先生は、どう思われますか?」

 

「そうだな……その可能性はあるし、そうでない可能性もある」

 

「……専門家なんですから、『単独もしくは複数での犯行』みたいな言い方しないでください」

 

「専門家だからこういう意見になるんだよ。ちゃんとした診断もせず安易に回答するのは控えなければならない。特に、精神医学はデリケートな問題だからね」

 

「なるほど。判りました。では、ここらで閑話休題です」

 

「つまり、今のは無駄話だったってことね」とあたし。

 

「ですね。重要なのはここからです。一三〇〇年の間に多くの人格が生まれては消えていった比沙子さんですが、そんな中でも、長い間消えず、定期的に現れる人格が三つあります。ひとつは、村のみなさんがよくご存知の、慈愛に満ちた聖母のような女性・久さん。次に、何よりも神を崇め敬う女性・(あがめ)さん。そして、神を憎み、村を憎み、村人を憎む大変危険な存在・(ゆい)さんです。比沙子さんが、村人を愛する一方で村人を危険な目に遭わせたり、神の花嫁を逃がしたかと思えばまた捕えて神に奉げたり、といった矛盾する行動をしているのは、三人がそれぞれ異なる目的を持って行動しているからなんです」

 

「異なる目的?」

 

「はい。例えばですね――」安野さんは、指を一本立て、言葉を継いだ。「慈愛に満ちた聖母のような女性・久さんは、とにかく村人に尽くすことを目的としています。これは、一三〇〇年前に自分が犯した罪により、子孫である村人全員に呪いが及んでしまったことを悔いているからです。村人に尽くすことが、久さんの贖罪なんです」

 

 安野さんは、もう一本指を立てる。「なによりも神を崇める女性・崇さんは、神様の復活を目的としています。今さっきあたしたちを攻撃してきたのがこの人格です。崇さんは、冷徹で無慈悲だと思われがちですが、実はそうでもありません。眞魚教の信者や自分が気に入った人に対しては、案外優しかったりもします。ただし、信者は神のしもべであり、神様のために命を奉げるのは当然と考えていますので、儀式がらみになると信者なんかには目もくれません。特に、異界では信者を助けるような行動はしません。異界に取り込まれた人間が現世に戻るのはほぼ不可能と思っていますから、ヘタに生き残ろうとするよりはさっさと屍人になって常世に旅立った方が良いと考えているんです。この辺が、残忍な性格だと誤解されやすい理由でしょうね。彼女の行動理念は、ひとえに神様への感謝です。一三〇〇年前、この地に降臨した神様を食べたことで、彼女は生き残り、そして子供を産むことができた。崇さんは、その恩を返すため、何よりも神様の復活を優先しているのです。つまり、神様をよみがえらせることが、崇さんの贖罪なんです」

 

 そして安野さんは、三本目の指を立てた。「最後に、村の全てを憎む結さんなんですが……この人が、最も危険で厄介なんです。この人は、村が滅びることが呪いから解放される唯一の手段だと考えています。儀式の直前に花嫁を逃がしたり、御神体を盗ませたり壊させたりしているのは、全てこの人です。この人の目的は、自分自身が呪いから解放されることです。利己的な性格とも言えますが、そうとも言い切れない部分もあります。と、言うのも、結さんは自分自身が救われたいのではなく、久さんを救おうとしているからです。久さんは、己の犯した罪を悔い、その罪を償うため、村人に尽くしてきました。しかし、一三〇〇年の村の歴史の中で、久さんが虐げられてきたことは何度もあったのです。村が呪われた原因を作った張本人として罰せられたり、あるいは、不死の力を利用しようとする者に囚われたり……。久さんは、処刑や人体実験や生き埋めなど、何度もヒドイ目に遭っているのです。そんな久さんを救うために、結さんは存在しているんです。つまり、久さんを救うことが、結さんの贖罪なんです」

 

 うーむ、と、唸るしかできないあたし。随分と複雑な人間模様だな。まあ、一三〇〇年も生きているんだから仕方ないけど。

 

「それで――」と、小難しい話は置いといて、あたしは重要なことを訊くことにした。「どの比沙子さんが、本当の比沙子さんなの?」

 

 安野さんは一度手を叩いた後、人差し指を向けた。「いい質問ですねぇ。それを、これから説明しましょう」

 

 安野さんが比沙子さんを見たので、あたしもそちらを見る。

 

 比沙子さんは、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。よみがえったようだ。

 

 よみがえった比沙子さんは、怖い目で安野さんを睨んだ。「……お前は何者だ?」

 

「崇さんですね? あたしの正体についてはひとまず置いといてですね、この村を救う話をしたいので、()()()さんを呼んでもらっていいですか?」

 

「……神の花嫁なら、今から探そうとしていたところよ。どこにいるかなんて、知らないわね」

 

「いえ、美耶子ちゃんでも美耶子さんでもありません。この二人は、すでにあたしたちが確保しています。崇さんに呼んでもらいたいのは、元祖みやこさんです。崇さんなら、連絡取れるでしょ?」

 

 話について行けなくなったので、あたしは口を挟ませてもらうことにした。「ちょっとゴメン。元祖みやこさんって、何のこと?」

 

()()()という名は、代々神の花嫁に受け継がれてきました。当然さかのぼれば初代がいるわけですが……それが、彼女です。宮殿の『宮』に子供の『子』と書いて『宮子(みやこ)』。比沙子さんの、本当の名前です」

 

 ええっ! と、声を上げたのはあたしだけではない。求導師様や宮田先生や淳さんものけ反って驚いている。

 

 比沙子さんの怖い目が、ふっと柔らかくなった。口元には笑みを浮かべている。「そんなことまで知っているなんて……なるほど。そういうことね」

 

「どういうことでしょうか?」安野さんがとぼけたような口調で首を傾ける。

 

「あなたの正体が判ったわ。あなたは、あたしたちと同じ存在なのね」

 

 安野さんが比沙子さんたちと同じ存在? どういう意味だろう? 疑問に思ったが、訊く前に比沙子さんが話を続ける。

 

「いいわ。あなたに賭けてみる。宮子を呼べばいいのね。かなり長い間眠ってるから、少し時間がかかるわよ?」

 

「構いません。ここで待ってます」

 

 安野さんの言葉に、比沙子さんは含んだような笑みを浮かべると、目を閉じ、動かなくなった。心の奥底で眠っている宮子さんに呼びかけているのだろうか。あたしたちは、しばらく待つことにした。

 

「……ところで、安野さん」

 

「はい」

 

「安野さんが比沙子さんたちと同じ存在、というのは、どういう意味?」

 

「さあ? それはあたしではなく崇さんが言ったことですから、あたしに訊かれても判りません。きっと、何か勘違いしてたんでしょう」

 

 やはりとぼけたような口調で答える安野さん。どうあがいてもごまかすつもりだな。ま、いいけど。

 

「ところで、さっき、安野さんの疑惑の炎で、比沙子さんが燃えたじゃない?」

 

「はい」

 

「あの時の比沙子さん、御神体を抱えてたよね?」

 

「そうですね」

 

「御神体も一緒に燃えちゃったけど、どうするの? 真の実を奉げて神様を復活させるのに、必要なんじゃない?」

 

「ああ、それなら大丈夫です。ほら」

 

 安野さんは赤い海の波打ち際を指さした。そこに、燃えたはずの御神体が転がっている。

 

「……なぜ、あれがあそこに?」

 

「詳しくはまたあとで説明しますが、あの首は、必要とされるすべての世界に届くようになってます。いつでもどこでも、ってところですね」

 

「…………」

 

「…………」

 

 あたしは波打ち際の御神体を拾うと、空手チョップを食らわせ、ぱっかーんと割ってみる。

 

 すると、ざざーんと波が押し寄せ、足元にはまた御神体が転がっていた。

 

「……その辺にしといてください」安野さんが呆れ顔で言う。「確かにどれだけ破壊してもまた届きますけど、何度もデリバリーさせてたら、温厚なうつぼぶねーさんでもさすがにブチ切れるかもしれませんので」

 

「うつぼぶねーさん?」

 

「さっき、木箱を抱えて海の上に立っていた女の人です。うつぼ船に乗ってるからうつぼぶねーさん。首は、あの人が届けてるんですよ。まあ、閑話休題です。宮子さんが目覚めたようですので」

 

 見ると、比沙子さんは目を開け、穏やかな表情でこちらを見ていた。さっきの高圧的な崇さんとはまるで違う雰囲気。しかし、慈愛に満ちた聖母のような女性・久さんとも、全てを憎む危険な存在・結さんとも違う(まあ、結さんには会ったことがないけど)。そのたたずまいは、しいて言うならば、さっき木箱を抱えて海の上に立っていたうつぼぶねーさんに似ている……ように思う。

 

「……私を呼んだのはあなたですか?」比沙子さんは静かな口調で言った。

 

「はい。あたし、この村を救うために遠い国からやって来た安野依子と申します。実は、かくかくしかじかという理由で、神様に花嫁を奉げる儀式をやめてほしいのです。宮子さんは気付いていますよね? 神代家の娘を神様に奉げても根本的な解決にはならない。神様をよみがえらせるためには、真の実を奉げなければならない、と」

 

 比沙子さんはうつむき、そして、小さく首を振った。「そうかもしれません。でも、それを行うわけにはいかないのです」

 

「なぜです?」

 

「私は、罪を償わなければなりません。そのために、一三〇〇年もの長い時を生きてきたのです。この罪を償い終えるまで、私は決して、楽になるわけにはいかないのです」

 

 あたしなんかが口を挟まない方がいいのではないかと思ったけど、口を挟むあたし。「でも、罪を償うためには、比沙子さん――宮子さんでしたか――が食べた神様の肉を返し、神様をよみがえらせるのが一番じゃないんですか?」

 

「私が償うべき相手は神ではありません。私も、最初は神への贖罪のつもりで、花嫁を奉げる儀式を始めました。しかし、続けるうちに、私は神の存在に疑問を持つようになりました。長い間飢えてきた村に落ちて来て、それを食べたからといって私だけでなく子供や孫・子孫にまで呪いを課す――そんな存在が、はたして神と言えるのか? と……」

 

 安野さんがうんうんと頷いた。「判ります判ります。よーく判ります」

 

「私が償うべき相手は、私の子供たちです。この村の住人は、ほぼすべて私の血を受け継ぐ者たち……私の犯した罪により、呪いを受け継いでしまった者たちです。彼らには何の非も無い。なのに、生まれつき不死の呪いを受けてしまった。そんな彼らを残し、どうして自分だけ楽になることができるでしょう」

 

「そこまで罪を背負うことはないと思いますよ?」と、安野さん。「あたしも、この村の神様は神様ではない、という意見には賛成です。食べられたことには同情しますが、だからと言って、一三〇〇年も続く呪いをかけるなんて、ちょっと度が過ぎてます。こんなひどい仕打ちをする存在が、神様であるはずがないんです。悪いのは宮子さんではなく神様の方です。だから、そこまで罪の意識を持つことも無いと思います」

 

「そういうわけにはいきません。あれが神であろうとなかろうと、呪いは今も存在している。村人は、呪いの原因を作った私を、決して許しはしないでしょう。だから私は、永遠に罪を償い続けなければならないのです」

 

「やれやれ、困りましたね。真面目なのは悪い事では無いですが、もう少し肩の力を抜いて生きないと、人生楽しくないでしょうに。あたしだったら、呪いなんてほっといて、せっかくのネバー・エンディング・ライフをエンジョイしますけどね」

 

 それはそれでどうかと思うけど、まあ、言いたいことは判る。

 

「それに――」と、安野さんは続ける。「村人は決して許さない、というのは、宮子さんの勝手な憶測にすぎません。実際はどうか判りませんよ? ちょうど、午前九時に教会に集まるよう、異界にいる皆さんにお知らせしています。せっかくなので、そこで、今までのことを告白してみればどうでしょうか?」

 

「ちょっとあんた、なに言ってるの!?」あたしは驚いて言う。「そんなことしたら、袋叩きにされるかもしれないじゃない!」

 

 事情がどうあれ、この村が呪われているのは比沙子さんが原因だ。つまり、今回村が異界に取り込まれたのは比沙子さんのせいだ。なんとか生き残っている人もいるが、多くの人は命を落とし、屍人になったはずだ。二十七年前にも同じ出来事があったようだし、おそらくそれも、原因は同じだろう。他にも、神隠し事件や地盤沈下など、村の呪いが原因と思われる事件・事故は数多い。家族や大切な人を喪った人も多くいるはずだ。村人が比沙子さんを許さない、というのは、決して勝手な憶測ではないように思う。

 

「八尾さん――」と、求導師様が前に出た。「私などが、あなたに意見するのは恐れ多いのですが、これだけは言わせてください」

 

 求導師様の目は決意に満ちていた。そこに、昨日までのどこか頼りないヘタレ求導師の面影はない。そう。彼は愛する村を救うため(正確には愛する八尾さんを救うため)に立ち上がった真の求導師なのだ。

 

「慶……」

 

 求導師様の名を口にする比沙子さん。昨日までと違うたくましい姿に、驚いたような表情だ。

 

 と、その時、安野さんの左目の下が、ぴくっと動いた。何かに気が付いたような表情。

 

 しかし、特に何も言わなかった。何か言いたげに見えたけど、気のせいだったのかな。単に疲労がたまって瞼が痙攣しただけなのかもしれない。

 

 求導師様が言葉を継ぐ。「あなたは罪から逃げているだけではないでしょうか?」

 

「私が、罪から逃げている……」

 

「聖典・天地救之伝の副音書(ふくいんしょ)ノ三に、こうあります。『人々が神の存在を忘れ、多くの罪を犯した。時の求導師は、人々の罪をあがなうため、自らの身をマナ字架に掲げ、許しを乞うた』……いま思えば、これらの聖典、あるいは、羽生蛇村民話集の話のほとんどは、八尾さんが書いたものではないでしょうか? そうでなければ、自身を奉げて神に許しを請うような話や、民話集にある空から降ってきた魚の話など、書けるはずがない。あなたは、贖罪のためには自らの身を奉げなければならないことを知っていた。なのに、それをしなかった。それは、罪から逃げていることに他なりません。あなたは、償いは神のためではなく村人のためだと言った。しかし、実際は自分が行ったことや村で何が起こっているかを村の人たちに隠している。あなたが自分の犯した罪を悔い、贖罪を求めるのであれば、まずは何よりも罪と向かい合わなければならない。村人に罪を告白するのは、その第一歩ではないでしょうか。贖罪は、そこから始まるのです」

 

 求導師様は、一言一言を比沙子さんの心に擦り込むように話す。比沙子さんを救いたい――その想いを強く感じる、優しく、それでいて力強い言葉だ。

 

 比沙子さんの顔から、それまでの悲観的な表情が消え、ふっと、柔らかい笑みを浮かべた。

 

「慶……立派な求導師になりましたね」

 

 その笑みは、子供の成長を見届けた母親のようである。

 

 安野さんの左目の下が、またぴくっと動いた。よっぽど疲れているらしい。まあ、あたしもしょっちゅうなる症状だから、特別気にすることはないだろうけど。

 

「八尾さん――」

 

 師であり母でもある比沙子さんに認められたのがよほど嬉しかったのか、求導師様の目には涙が浮かんでいた。

 

 比沙子さんはしばらく我が子の成長を噛みしめるように求導師様を見つめ、やがて言葉を継いだ。「そうね……あなたの言う通りだわ。私は、犯した罪から逃げるわけにはいかない。みんなの前で罪を告白しましょう。その結果、みんなが私に罰を与えるというのであれば、私はそれを受け入れなければならない」

 

「はい。そうと決まれば、さっそく教会へ向かいましょう」ぱん、と、手を叩く安野さん。「大丈夫です。どういう結果であっても、必ず、この村は良い方向へ向かいますから」

 

 安野さんは力強く言った。

 

 こうして。

 

 あたしたちは、比沙子さんと共に、教会へ戻ることになった。

 

 一三〇〇年の罪の告白――はたしてそれは、この村に何をもたらすのだろう。

 

 

 

 

 

 

(終了条件F430:真の八尾比沙子を目覚めさせる 達成(エピソードクリア)

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 …………。

 

 …………。

 

「安野さん、ちょっと、いい?」

 

 教会へ向かう途中、あたしは安野さんに声をかけ、みんなの輪から少し離れた。

 

「なんでしょうか? ひと気のない所に連れ込んでいたずらしようってんなら、やめてください。でも、なぽりんさんでしたら、ちょっとだけ」

 

 安野さんは、いつものようにどこかとぼけた様子で言った。

 

 あたしは無視して言う。「……改めて訊くけど、比沙子さんって、本名は宮子さん――宮殿の『宮』に、子供の『子』と書くんだよね?」

 

「そうです」

 

「そして、一三〇〇年以上昔の人なんだよね?」

 

「そうですね。この地に神様が降臨したのが天武十二年。西暦六八三年ですから、一三二〇年前です。少なくともその年に、妊娠できる年齢だったということになります」

 

「その時代に、名前に『宮』が入ってるって、とんでもないことなんじゃない?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……そこに気付くとは、なぽりんさんもなかなかやりますね。ひょっとして、うちの先生なんかよりよっぽど優秀なんじゃないでしょうか」

 

「いや、それほどでもないけど」

 

「仰る通りです。一三〇〇年前に、名前を漢字で書き表せるというだけでも結構な身分だと思いますが、名前に『宮』を入れるなんて、とんでもないことだと思います。まして、その人が生きてるなんてことになれば……これ、解明していけば、日本がひっくり返るかもしれません」

 

 やっぱりそうなのか。なんと言うか……これは恐ろしいことになったな。

 

 一三〇〇年前の時代、『宮』というのは、天皇の住まいのことをいう。よって、『宮子』という名は、読んで字のごとく宮の子ということになる。つまり、宮子さんは皇族の一人である可能性が高いのだ。まして一三〇〇年前と言えば、壬申(じんしん)の乱があった頃だ。天智(てんぢ)天皇(大化の改新で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)だ)の崩御後、弟である大海人皇子(おおあまのおうじ)と、長男である大友皇子(おおとものおうじ)が、皇位継承をめぐって起こした古代日本最大の内乱。このいくさの結果、大友皇子は敗北して自決。翌年、大海人皇子は即位して天武(てんむ)天皇となった。宮子さんは、その関係者かもしれないのだ。こんな都市部から大きく離れた山の中にいたってことは、いくさから逃れて来たのだろう。敗れた大友皇子側の人なのかもしれない。

 

「……あたしの専攻はあくまでも民俗学で、歴史研究とは微妙に違いますからその辺の詳細は調べませんが、かなり興味深くはありますね。なぽりんさん。良かったら、あたしの代わりに調べてください」

 

「いや……あたしはアクション女優で、歴史はそんなに興味ないし」

 

 あたしはごまかすように言った。興味深い話ではあるが、興味本位で日本をひっくり返すのはよろしくないだろう。

 

 あたしたちは何気ない顔でみんなのところへ戻り、教会へと急いだ。

 

 

 

 

 

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