SIREN(サイレン)/小説/終章   作:ドラ麦茶

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第八話 美浜奈保子 不入谷教会/礼拝堂 第二日/九時〇〇分〇〇秒

 刈割の丘の上にある教会の礼拝堂には、多くの()()が集まっていた。

 

 生きている人間ばかりではない。残念ながら今回の怪異で命を落とし、屍人と化してしまった者もいる。怪異が起こる前からこの異界で常世へ旅立つ準備をしていた者もいる。人型の屍人もいれば、すでに何度も海送り・海還りを終え、犬屍人や頭脳屍人などの進化型の屍人となった者もいる。さらには、人なのか屍人なのかイマイチよく判らない泥人形のような姿の者も何人かいる。病院の地下にいたミイラのような姿の先代美耶子さんも、晃一さんと共に来ている。一部、海送り中でどうしても来られない屍人もいるようだけど、この異界にいるほぼすべての()()が、一堂に会したことになる。そこに、昨日までの血で血を洗う抗争ならぬ赤い水で体内の血を洗い流す抗争を繰り広げた人と屍人の姿は無い。そう。人と屍人はお互いの立場を理解し、認め合ったのだ。今はもう敵ではない。友人、仲間、フレンズなのである。

 

 約束の午前九時となった。

 

 正面の壇上に上がる安野さん。ざわついていた礼拝堂内が一気に静まる。安野さんは礼拝堂内をぐるりと見回すと、小さく咳払いをし、話し始めた。

 

「えー、本日は足元の悪い中、お集まりいただき誠に有難うございます。今日お集まりいただいたのは、今後の羽生蛇村について話し合うためですが……その前に、あたしたちの呼びかけに応じ、生きている人間を襲わないと約束してくれた屍人さんたちに、感謝の意を込め、盛大な拍手をお贈りください」

 

 安野さんが手を叩いたので、あたしたちもそれに応じ、屍人たちに拍手を贈った。

 

「――ありがとうございます。それでは、本題に入りましょう。皆さま方は、この異界や、赤い水、屍人さん、幻視、海送り・海還り、などの、いわゆる『村の呪い』について、すでに誰かから説明を受けていると思います。今から、なぜこのような呪いを受けることとなったのかを、事件当事者からご説明させていただきます。その話を聞いた後、これからどうするかは、皆さんで決めてもらいます。後悔の無いよう、どうかよーく考えてお決めください。では――」

 

 安野さんはペコリと頭を下げると、壇上から下りた。

 

 入れ替わるように、比沙子さんが壇上に立つ。

 

 静かだった礼拝堂が、少しざわつき始める。みんな、すでにある程度の事情は聞いているのだ。村がこのような状態になったのは、比沙子さんが原因である、と。比沙子さんを見る村人たちの目には、微妙な敵意が混じっている――そう見えるのは、あたしの思い過ごしだろうか?

 

 礼拝堂内の微妙な空気にも動じることなく、比沙子さんは深く頭を下げると、ゆっくりと話し始めた。

 

「はじめまして――と、言わせていただきます。皆さんは、私を『八尾比沙子』と認識しているでしょう。あるいは『澄子』と認識している人もいるかもしれません。しかしそれは、私の中に生じた、多くの人格のひとつにすぎません。今ここにいる私は、比沙子でも、澄子でも、久でも、崇でもない、本来の私。名を、宮子といいます」

 

 宮子という名に、礼拝堂内さらにざわめいた。比沙子さんは静かになるのを待ち、言葉を継いだ。

 

「皆すでに承知の通り、この村は呪われています。事の発端は、一三〇〇年以上前の天武十二年、西暦にして六八三年。この年、村は、かつてないほどの大きな飢饉に見舞われました。その当時、村には百人ほどの村人が暮らしていましたが、そのほとんどが数ヶ月で死に、生き残ったのは三人だけでした。この地に神が降臨したのは、そんな時です。村人は、その生物が神であることに気付いていました。しかし、その生物は陽の光に焼かれ、息も絶え絶えな状態でした。治療する術はありません。川の水は枯れ、森や山の草木も枯れ、人々も死に絶えそうなこの村では、治療の施しようが無かったのです。村人は、その神の身体を、食べた……生き残るには、それしかなかったのです」

 

 礼拝堂の一角から小さな悲鳴が上がる。神の身体を食べた……眞魚教の信者からすれば、それはまさに神への冒涜行為に他ならない。

 

「下賤の身である人間が神の身体を口にする……それは、禁忌に値します。神は怒りの鳴き声を上げました。その鳴き声を聞いた村人の内、二人は命を落としました。しかし、最後の一人は、死ぬことはありませんでした。その一人は女で、お腹に新たな命を宿していたのです。死ぬわけにはいきませんでした。どんなことをしてでも、生き残らなければなりませんでした。その強い意志で、神の鳴き声に耐えたのです。それが、この私――私は生き残ることができましたが、代わりに、永遠に死ねない身体となったのです」

 

 比沙子さんはもう一度礼拝堂内の人々を見回した。あたしが見る限り、村人の目に宿る敵意はさらに強くなっているように思う。当然だろう。神を冒涜し、村が呪われる原因を作った人を、許せるはずがない。

 

 比沙子さんは表情を乱すことなくさらに続ける。

 

「私が受けた不死の呪いは、私の子供、孫、さらにその子孫にまで及びました。私と、私の直系の血筋である神代の娘は、神により常世に来ることを拒まれ、永遠に現世に留まることになります。私の血を引く村人も、この異界で現世の穢れを祓わなければ、常世へ旅立つことができません。これが、この村が受けた呪いです。さらに、神は、私が食べた血肉を返すように求めてきました。いえ……私自身が血肉返そうと思ったのか……もう、今となっては思い出せません。いずれにしても、私は直系の血筋である神代の娘を、神の花嫁と称し、神に奉げることにしました。それが、数十年に一度神代家が行っている儀式です。この儀式に失敗すると、神は怒り、村を異界に取り込んでしまいます。あるいは、儀式を行う時期ではなくても、なんらかの理由により村人が異界に取り込まれて行方不明になることも少なくありません。この村で起こっている怪異は――この村の呪いの原因は、すべて私にあるのです。私が一三〇〇年前に犯した罪が、今も村を苦しめている。すべて、この私が原因です」

 

 呪いの原因は、全て比沙子さんにある――罪の告白が終わった。一三〇〇年の罪の告白にしてはあまりに短い時間かもしれないが、それも仕方がないだろう。全てを詳細に告白するには、あまりにも膨大な時間が必要だ。

 

「私は、どのような罰でも受けるつもりです」比沙子さんはさらに続ける。「あなた方を苦しめている呪いの原因を作ったのはこの私。私はその罪を隠し、一三〇〇年もの長い間生きてきた。犯した罪から逃げて来たのです。許されるものではないでしょう。私は罪を償わなければいけません。しかし、私はもう、どうやって罪を償えばいいのか判りません。私の身は、呪いの被害者であるあなた方に委ねます。私の犯した罪にふさわしい罰――それがどんな罰であろうとも、私は決して拒みはしません」

 

 全てを話し終えた比沙子さんは、もう一度、深く頭を下げた。

 

 礼拝堂内は一瞬静まり返ったが、やがて、ひそひそと小さな話し声が、そこかしこから聞こえてくる。皆、複雑な顔をしている。真実を知った戸惑いと、呪いによっていろいろなものを失った悲しみと、呪いそのものに対する怒り……それらが入り混じった顔だ。

 

 やはり、比沙子さんに罪の告白をさせたのは失敗ではなかったのだろうか? 比沙子さんにも同情すべき点があるのは間違いないが、だからといって、こんな危険な異界に巻き込まれたり、家族や友人を亡くしたり、生贄の儀式のようなことをしたり……そういったことを容認できるはずもない。ヘタをすると暴動が起きるのではないだろうか? 今、誰かが「その女を許すな!」などと言えば、みんなそれに賛同するだろう。

 

 などと心配していると。

 

「――きゅうどうめ、様」

 

 と、弱々しい声を出し、席から立ち上がったのは、なんと春海ちゃんだった。

 

 春海ちゃんは小さな手を胸の前でぎゅっと握りしめ、比沙子さんを見た。「あたしは子供だから、きゅうどうめ様の言っていることは、よく判りません。呪いとかも、難しいことは、やっぱり判りません。ただ、あたしは、ずっと前から、きゅうどうめ様が怖かった。きゅうどうめ様はすごくやさしくて……幼稚園のころ、友達にいじめられそうだったあたしを助けてくれて、美耶ちゃんを紹介してくれて……あたしはきゅうどうめ様が大好きなのに、それでも、怖くて怖くてしかたがなかった。その理由が、いま、判りました。きゅうどうめ様は、神様にいじめられてたんですね」

 

 神様にいじめられていた――春海ちゃんの言葉に、村人が、一斉に息を飲んだ。

 

 春海ちゃんは目に涙をいっぱいに溜め、泣きそうな声で――それでいて力強い声で、続けた。

 

「あたしは子供だから、罪とか、呪いとか、よく判らない。そんなのはどうだっていい。ただ、神様のせいできゅうどうめ様が怖い人になってるのなら、あたしは神様を許さない。神様のせいできゅうどうめ様がずっと苦しんでいるのなら、神様なんて大っキライ! きゅうどうめ様をいじめる神様なんてあたしはいらない!!」

 

 その、春海ちゃんの魂の叫びが。

 

 場の空気を一変させた。

 

「求導女様――」と、理沙さんが立ち上がった。「あたしも、求導女様には、子供の頃からお世話になりました。特に、高校生の頃、卒業後の進路に悩んでいたあたしの背中を、求導女様が押してくれました。あたしはデザイナーになるのが夢で、そのために美術系の大学に通ったけれど……たった三年で、あたしは夢を諦めて村に戻って来ました。求導女様とか、お姉ちゃんとか、お父さんお母さんとか、いろんな人に応援されて大学に通えたのに、あたしはそれを裏切ってしまった。でも、求導女様は、そんなあたしを優しく迎えてくれて……あのとき、どれだけあたしの心が救われたか。あたしには、求導女様を非難するなんてできません。あたしにとって、求導女様はすごく大切な人です」

 

 さらに、今度は宮田先生が立ち上がった。

 

「私も、理沙さんと同じく、求導女様に救われた。私が高校に通っていた頃、宮田医院の裏の仕事に悩んでいた私は、求導女様の言葉で心の負担が軽くなった。私の母も、求導女様の言葉に何度も救われたと聞いている。それに、この村の闇の部分を担ってきたのは私だ。求導女様に罪があるというのなら、私にも罪がある。彼女を罰するというのなら、私も同じ罰を受けよう」

 

 続いて、なんと無口で無愛想な志村さんが立ち上がった。

 

「わしは、あんたの言う呪いのせいで家族を喪った。そのことを恨んだこともある。だが、それでもあんたには感謝しておるよ。もう五十年近く前の話だが、山で熊に脅えていたわしを、あんたが救ってくれた。あんたからは山や猟のことを教わった。あんたのおかげで、父の仇を討つことができた。あんたがいなければ、わしはあのとき死んでいただろう」

 

 他の人も声を上げる。村では身寄りのない老人が多いが、比沙子さんはそれらの人を一人一人毎日のように訪ね回っているという。そして、そういった身寄りのない老人が亡くなると、比沙子さんが中心となって葬儀が行われる。比沙子さんのおかげで、村で孤独死する人は皆無だ、と。

 

 さらに声を上げる。戦後の男尊女卑の風潮が根深く残る中、女性の地位を向上させるため神代家や役所に働きかけ、女性でも望めば誰でも職に就けるようにした人がいた。いまでは顔も名前も思い出せなくなってしまったが、あれは比沙子さんではなかったのか、と。

 

 さらに別の人が声を上げ、それに応じて、また別の人が声を上げる。屍人たちもあうあうと声を上げ、安野さんや美奈さんが同時通訳する。

 

 誰もが、比沙子さんへの感謝の声を上げる。

 

 比沙子さんを非難する声は上がらない。比沙子さんを罰しろなどという人は、一人もいない。

 

 やがて――。

 

 全ての村人の声を代表するかのように、求導師様が壇上に上がった。

 

「八尾さん――まずは、一三〇〇年前にあなたが生き残ってくれたことに感謝したいと思います」

 

「感謝――?」

 

「はい。あなたが生き残ってくれなければこの村は無かった。いま、私たちがこの場にいるのは、すべて、あなたが生き残ってくれたおかげです。まずは、何をおいても、そのことに感謝します」

 

 求導師様は、深く……深く、頭を下げた。

 

 そして、まっすぐな目を比沙子さんに向ける。「八尾さん。あなたは罪を犯したと言うが、私には、あなたがしたことが罪だとは思えない。あなたは、ただ生きるために他の生物を食べただけ。そんなことは、誰しも当たり前のように行っている。我ら人間はもちろん、地球上の肉食生物は――いや、植物も生命であると考えれば、菜食主義者や草食動物さえも――他の生物を食べて生きている。八尾さんがしたことが罪だと言うのならば、地球上のすべての生物が八尾さんと同じ罪を犯していることになる。そんなのはどう考えてもおかしい。八尾さん。あなたが一三〇〇年前にしたことは、罪などではありません」

 

「しかし、罪であろうとなかろうと、実際に村は呪われ、今も続いている。神からすれば、やはり私のしたことは罪なのです」

 

「例えそうだとしても、私たちに八尾さんを罰することなどできません。あなたは、これだけの村人に尽くしてきたんです。いえ、ここにいる人だけではないでしょう。十年前も、百年前も、千年前も、あなたは村人に尽くしてきたはずだ。それを否定することなどできるはずありません。仮に神を食べたことが罪であったとしても、それは、あなたが村人に尽くした一三〇〇年の全てを否定するものではない! 八尾さん。あなたは村の呪いを解くために、一三〇〇年もの長い間手を尽くしてきたはずです。あなたは誰よりも村人を愛し、村人に尽くして来たんだ。それは、ここにいる誰もが知っている。そんなあなたを、どうして罰することができるでしょう?」

 

 求導師様は、胸の前で手を組み。

 

「八尾さん。たとえ神があなたを許さなくとも、私は――私たちは、あなたを許します」

 

 比沙子さんを救う言葉を、告げた。

 

 その言葉に。

 

 春海ちゃんが、手を叩いた。

 

 理沙さんが、手を叩いた。

 

 宮田先生が手を叩き。

 

 志村さんが手を叩く。

 

 高遠先生が、知子ちゃんが、美奈さんが、手を叩く。

 

 最初は小さかった拍手の音は、やがて、その場にいるすべての村人に伝わり。

 

 いつしか礼拝堂は、比沙子さんを許す温かな拍手で満ちていた。

 

 …………。

 

 やはり、あたしは所詮、余所者だったみたいだ。

 

 比沙子さんの罪を知った村人は、彼女を決して許さない――そう思っていたけれど、そんなことはなかったんだ。

 

 あたしは余所者だから、人からの伝聞でしか比沙子さんの人柄を判断するしかない。

 

 でも、この村の人たちは、誰しも生まれた頃から比沙子さんと接し、比沙子さんと共に生きて来たのだ。

 

 余所者のあたしにはわからない絆がある。

 

 その絆は、呪いなんかよりもずっと強かったのだ。

 

 あたしも、手を叩く。

 

 比沙子さんの罪を許す拍手は――同時に、比沙子さんへの感謝の拍手は、いつまでも鳴りやむことなく、礼拝堂に鳴り響いていた――。

 

 

 

 

 

 

(終了条件E4AF:八尾比沙子を許す 達成(エピソードクリア)

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 …………。

 

 …………。

 

 ふと、隣を見ると。

 

 安野さんは、手を叩いてはいるものの、何やら不機嫌そうな顔をしていた。

 

「どうしたの? 何か、気に入らないの?」あたしは安野さんに訊いてみた。

 

「いいえ? 村の人たちが比沙子さんを許したことは予想通りですし、満足しています」

 

「じゃあ、なんでそんな渋い顔してんのよ?」

 

「ここまではいいんです。でも、たぶんこの後、よろしくなくなるんです」

 

 安野さんの言葉通り。

 

「――ふざけるな!!」

 

 誰かが叫んだ。

 

 その声で、礼拝堂内は一瞬にして静まり返る。

 

「……ほらね」

 

 安野さんは小さくため息をついた。

 

 その声の主を見て、あたしは思わず声を上げそうになる。そうか。すっかり忘れていた。彼女のことを。

 

「その女がしたことは罪ではない? その女を許す? ふざけるな! あたしは認めない! その女のせいで、どれだけの娘が永遠の苦しみを背負ったと思っている! 今まで、あたしがどれだけ怖かったと思ってる! あたしはその女を許さない! 絶対に許すもんか!!」

 

 声を上げた少女――神の花嫁・神代美耶子ちゃんは、憎しみを込めた目で比沙子さんを睨んだ。

 

 

 

 

 

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