【月光の神】ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか   作:クックダッセ

1 / 13
やはり、英雄を求めるのは間違っているだろうか。

僕は英雄を目指して、この世界で一番熱い街

───迷宮都市(オラリオ)にやって来た。

高くそびえる城壁。空を突くような白亜の塔。石畳を埋め尽くす人波。

冒険者たちの喧騒、武具のぶつかる音、露店から漂う香ばしい匂い。

そのすべてが、胸の奥でくすぶっていた憧れに火をつけた。

 

ここなら、なれるかもしれない。

誰かを救える、本物の英雄に。

 

───そう思っていた。

 

けれど、現実はそんなに甘くなかった。

 

『ブモオオオオオオオオオオッッッ!!!』

「うあああああああああああああッッ!?」

 

耳をつんざく咆哮が、背中を殴りつけるみたいに響いた。

肺が焼ける。喉が裂けそうだ。足はもつれそうになりながらも、止まることだけはできなかった。

僕は無我夢中で駆ける。

 

ミノタウロス。

本来なら、もっと下の階層に現れるはずの怪物。

それがどうして、こんな上層にいるんだ――!?

 

答えを考える余裕なんてない。

今はただ、生き延びることだけで精一杯だった。

 

レベル1。冒険者になって、まだ半月。

そんな僕に、あの怪物をどうにかできる力なんてあるはずがなかった。

 

角を曲がる。

その瞬間、僕の心臓は凍りついた。

行き止まりだった。

 

「――っ」

 

足が止まる。

目の前には冷たい石壁。逃げ道はない。

背後からは、あの獣の唸り声と、肉の塊が迫ってくる圧倒的な気配。

終わった。

そう思った瞬間、全身から血の気が引いた。

 

「ハッッ!」

 

鋭い声が、空気を裂いた。

 

「ブモォォ!?」

 

次の瞬間、銀の閃光が走った。

振り下ろされた剣閃は、ミノタウロスの巨体を容易く切り裂き、噴き上がった血潮が暗い通路に赤い弧を描く。

僕はその場にへたり込んだまま、息をすることすら忘れて見上げていた。

そこに立っていたのは、一人の女性だった。

金色の髪が、迷宮の薄明かりを受けて淡く揺れる。

 

目の前の存在から、視線を逸らせなかった。

知っている。

オラリオに来て日の浅い僕でも、その名は知っている。

 

第一級冒険者。

ロキ・ファミリアの【剣姫】

───アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

「大丈夫ですか?」

「た、助けてくれて、ありがとうございます!!」

 

声が裏返った。

情けないと思うのに、うまく言い直すこともできない。

 

「ううん、私たちの不手際であなたを危険に晒してしまってごめんなさい」

 

そう言って、彼女は僕に手を差し出した。

白く細い指。

けれど、その手がどれほど強いのかを、さっき僕は目の当たりにしたばかりだった。

僕は少し迷ってから、その手を取る。

ぐっと引かれて立ち上がると、腰が抜けそうになる。膝がまだ笑っていた。

 

「き、気にしないでください!今助けてもらったので!」

「ん、そう言ってもらえるとうれしい」

 

僕は深く頭を下げると、その場から逃げるように駆け出した。

これ以上ここにいたら、自分の惨めさに耐えられなくなりそうだった。

 

走りながら、唇を噛む。

 

ああ、悔しい。

 

助けられたことがじゃない。

何もできなかった自分が、悔しくてたまらなかった。

 

英雄になるって誓ったのに。

誰かに手を差し伸べる側になりたかったのに。

現実の僕は、助けられなければ死んでいた。

 

───本当に、僕は約束を果たせるのだろうか。

 

******

 

「ベル、エイナから聞いたぞ。死にかけたんだってな」

 

部屋に響いたアルテミス様の声に、僕はびくりと肩を揺らした。

古びた石壁に囲まれた部屋には、簡素な机と椅子、小さな棚、寝台代わりの寝具、それに食事の支度ができるだけの設備も揃っていた。

決して広くはないけど、明かりがやわらかく部屋を照らしているこの場所は、今の僕にとってちゃんと帰る場所だった。

 

「あ、はい。そこでロキファミリアのヴァレンシュタインさんに助けてもらいました」

「私のたった一人の眷属なんだ、死んでしまったら本当に悲しい。ベルの夢である英雄にもなれないんだからな」

 

僕は顔を上げる。

すると、アルテミス様は腕を組んだままこちらを見ていたけれど、その金色の瞳には叱責よりも、強い心配の色が浮かんでいた。

 

僕たちのファミリアは、僕と神様しかいない、たった二人だけのファミリアだ。

しかも結成されたのは、ほんのついこの前。

暮らしているのは廃教会の地下にある小さな生活空間で、広さこそないものの、寝起きして食事をして、なんとか日々を過ごしている

 

「はい、気をつけます」

 

そう答えると、アルテミス様はふっと小さく息を吐いた。

怒っているというより、ようやく少し安心したような顔だった。

 

「わかったなら、夕ご飯にしよう。今回は豪華だ。バイト先の『豊穣の女主人』から賄いをもらってきた。これを食べて、明日も頑張ってきてくれ、ベル」

 

そう言って差し出された皿を見た瞬間、僕の目は思わず輝いた。

地下室のこぢんまりとした空間に、湯気と一緒に食欲をそそる香りがふわりと広がる。

 

「はい! わかりました! うわぁ……美味しそうですね!」

「一応私が作ったものもあるんだぞ、是非味わって食べてくれ」

 

少しだけ得意げに、けれどどこか照れくさそうにアルテミス様が言う。

その言葉に、僕はぱっと顔を上げた。

 

「はい!いただきます!」

 

僕の神様――アルテミス様との出会いは、今思い返しても不思議なものだった。

僕がオラリオへ向かう途中、空から一筋の光が落ちてきた。

神様が初めて下界に降り立つ、その瞬間を、僕は偶然目にしてしまった。

風に揺れる髪も、まっすぐ前を見つめる瞳も、どこか人とは違う静かな気配も、あの時の僕にはひどく眩しく見えた。

 

そして、一緒にオラリオへ入ることになった時、僕はこの人の眷属になりたいと願った。

深い理由を、あの時の僕はうまく言葉にできなかった。

ただ、この神様のそばにいたいと思った。

 

湯気の向こうで微笑むアルテミス様を見ながら、僕はそっと胸の奥でそう誓った。

 

******

 

「さあ、今日もステイタス更新をしようか」

 

僕は言われた通り上着を脱ぎ、その狭い部屋の真ん中で寝台の上にうつ伏せになる。

 

「はい、お願いします」

 

アルテミス様は僕の下半身のあたりに腰を下ろし、慣れた手つきで準備を進めていく。

やがて、背中にかかっていた重みがふっと消えた。

アルテミス様が横にずれる気配がして、僕はゆっくりと身を起こす。

振り返ると、差し出された紙が目に入った。

 

僕はそれを受け取り、思わず食い入るように見つめる。

 

ベル・クラネル

Lv.1

力 : H 198 耐久 : F 368 器用 : H 176 敏捷 : F 396 魔力 : I 0

《魔法》

【】

《スキル》

【】

 

「……まだ、魔法とかスキルは出ないですよね……」

 

冒険者になって、まだ半月。そんなに都合よく何もかも手に入るはずがない。

それでも、口にせずにはいられなかった。

 

「そう慌てるな、まだ冒険者になって半月だ」

「それはそうなんですけどね...」

 

苦笑いのようなものが、唇の端に浮かんでは消える。

頭ではわかっている。焦っても仕方がないことくらい。

 

僕はがっくりと肩を落とし、そのまま立ち上がると、食べ終えた皿を片づけ始めた。

いそいそと手を動かしながらも、気持ちは晴れない。

水に濡れた皿をこするたび、胸の奥に沈んだ焦りまで一緒に擦り落とせればいいのに、と思う。

もっと強くならないといけないのにな……。

 

******

ベル・クラネル

Lv.1

力 : H 198 耐久 : F 368 器用 : H 176 敏捷 : F 396 魔力 : I 0

《魔法》

【】

《スキル》

英雄憧憬(ヒーロー・フレーゼ)

・早熟する。

夢見(おもい)がが続く限り効果持続。

・夢見の丈により効果向上。

 

皿洗いをしているベルの背を見ながら、アルテミスは手元のステイタス用紙に視線を落としていた。

その内容を見つめるアルテミスの眉間には、うっすらと皺が寄っていた。

 

(……これを他の神が見たら、大変なことになるのは目に見えているな)

 

小さく息を吐く。

喜ぶべきことのはずだった。

ベルにスキルが発現した。それも、明らかにただ事ではない希少な力だ。眷属の成長を喜ばない神などいない。

 

けれど、同時に頭が痛くもなる。

 

希少なスキルは、それだけで人目を引く。

ベル自身がまだ未熟で、しかも素直で、隠し事にも向いていないことをアルテミスはよく知っていた。

もしこのことが他の神々に知られれば、面白半分であれ本気であれ、ベルに目をつける者は必ず出てくる。

 

それが、たまらなく嫌だった。

アルテミスはもう一度、紙に記されたスキル名へ視線を落とす。

 

【英雄憧憬《ヒーロー・フレーゼ》】

 

その名を見た瞬間、脳裏に浮かぶのは、今日ベルを助けたあの【剣姫】の姿だった。

金髪金眼の女剣士。

ベルが憧れの眼差しで見上げたであろう、あの第一級冒険者。

 

途端に、胸の奥がちくりと痛んだ。

 

(……なんで私の眷属なのに、ぽっと出の女がきっかけでこんなスキルを覚えなければならないんだ)

 

むっとした感情が湧き上がる。

けれど次の瞬間には、別の思考がそれを押し返した。

 

(いや、だが……あの女のおかげでベルが助かり、結果としてこのスキルが発現したのも事実……)

 

感謝すべきなのか。

腹を立てるべきなのか。

認めたくないのに、無視もできない。

頭の中で感情がぐるぐると渦を巻く。

 

「ちょっと出かけてくる!!」

 

気づけば、アルテミスは勢いよく立ち上がっていた。

 

「あ、はい...」

 

普段の彼女なら立てないような、どんどん、と荒い足音が石段に響いた。

残されたベルは、その音が遠ざかっていくのを聞きながら、しばらく呆然と立ち尽くしていた。

 

******

 

「聞いてくれヘファイストス!私のベルが!ベルがああ!!」

 

店に入るなり、アルテミスは半ば叫ぶようにそう言った。

夜の酒場は賑やかだった。

そんな喧騒の中でも、アルテミスの切羽詰まった声は妙に目立った。

 

「はいはい、泣かないの。これでも飲んで落ち着きなさい」

 

向かいに座ったヘファイストスは、呆れ半分、心配半分といった顔で杯を差し出す。

アルテミスはそれを受け取ると、「ありがとう」と小さく呟き、ちびちびと酒を口に運び始めた。

その様子を見ながら、ヘファイストスは内心で首を傾げる。

 

アルテミスとは天界の頃からの付き合いだ。

彼女は基本的に、一人で何でもこなしてしまう神だった。多少不器用なところはあっても、誰かに弱音を吐くようなタイプではない。

少なくとも、こんなふうに自分から「飲みに行きたい」と言い出し、会った瞬間に涙目で抱きついてくるような神ではなかった。

だからこそ、ヘファイストスは少し本気で心配したのだ。

 

───が、話の内容を聞いた瞬間、その心配は別の意味に変わった。

 

「で、そのあなたの唯一の眷属、ベルが取られてどうしようって相談でいいのね?」

「う、うん……恥ずかしながら、そういった相談だ」

「……ぷっ」

「な、なぜ笑う!!」

 

吹き出したヘファイストスに、アルテミスは勢いよく立ち上がった。

頬はみるみるうちに赤く染まっていた。

 

周囲の客が何事かとちらりと視線を向けるが、そんなことを気にする余裕は今の彼女にはない。

ヘファイストスは肩を震わせながら、杯に口をつけてからようやく言った。

 

「ごめんなさい。だって、アルテミスが恋愛話を持ってくるとは思っていなかったんですもの」

 

その声音には、まだ笑いが残っている。

それが余計にアルテミスの羞恥心を煽った。

 

「ち、違う!断じて恋とかというものではない!!私の眷属のベルを盗られて、寂しいとか心が痛いとかしか思ってないぞ!!」

「それが恋じゃない」

「なんだと!?」

 

あまりにも即答だった。

アルテミスが目を見開くと、ヘファイストスはとうとう堪えきれなくなったらしい。机に突っ伏し、声を上げて笑い始める。

 

「ふ、ふふっ……あはははっ……!」

「な、何がおかしい!」

 

むっと頬を膨らませたまま、アルテミスはどすんと椅子に座り直した。

不満げに腕を組むその姿は、月の女神というより、拗ねた少女のようですらある。

ひとしきり笑ったあと、ヘファイストスは目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら尋ねた。

 

「それでどうして盗られたと思ったの?」

「そ、それは秘密だ」

「え?」

 

アルテミスは視線を逸らした。

あのスキルのことは、軽々しく口にしていいものではない。

【英雄憧憬《ヒーロー・フレーゼ》】――あれが希少なスキルであることくらい、神である彼女にはすぐにわかった。

 

もし公になれば、ベルに興味を持つ神は必ず現れる。

面白がって近づく者もいれば、本気で引き抜こうとする者もいるだろう。

これはアルテミスなりの考慮だった。

 

「ふーん、まあいいわ」

 

ヘファイストスはそれ以上は追及しなかった。

代わりに、少しだけ真面目な顔になる。

 

「私も恋愛っていうのは、正直そこまで詳しいわけじゃないの。私ってそういうの、あまり縁がないし。でも、眷属として自分の子供たちを愛してる気持ちはわかるわよ。アルテミス、あなたは眷属としてベルを愛してるの?」

「ああ、それはもちろんだ」

 

答えは即座に出た。

迷う余地などなかった。

 

「ベルは内気で、優柔不断で、ダンジョンに出会いを求めてやって来るような不純な子だが……やるときはやる子だ」

 

言いながら、アルテミスの表情が少しずつ和らいでいく。

さっきまでの怒りや羞恥が薄れ、その代わりに、どこか愛おしげな色が滲み始めていた。

 

「私と初めて出会った時もそうだ。ベルは、私がオラリオの壁から落ちたと思い込んだみたいでな。慌てて助けに来てくれたんだ。その時に、なんていい子なんだろうと思ってしまったんだ」

 

小さく酒を飲む。

喉を通る熱が、胸の奥に沈んでいた言葉を少しずつ浮かび上がらせる。

 

「そして、一緒に暮らしていくうちにな……ドキドキが止まらなくなり……」

「なぜだ! ここからがいい話なんだぞ!」

「だって、ベルのことを話すあなた、長いんだもの」

「うっ……それは、ごめん」

 

しゅん、と肩を落とすアルテミスを見て、ヘファイストスはまた笑いそうになるのを堪えた。

こんなふうに一人の誰かのことで表情をころころ変えるアルテミスを、ヘファイストスはこれまでほとんど見たことがなかった。

 

「やっぱり恋なのね」

「ち、違うぞ! 私はだな!?」

 

ヘファイストスがからかい、アルテミスが真剣に反論する。

そのやり取りを聞きながら、ヘファイストスはふと昔を思い出していた。

笑ったり、泣いたり、怒ったり。

天界にいた頃のアルテミスからは、こんなふうに感情が表に溢れる姿は想像しにくかった。

けれど、まったくなかったわけではない。

 

───あの子(炉の女神)と一緒にいる時は、たしかに今よりずっと表情が柔らかかった。

葡萄酒を口に含みながら、ヘファイストスは目の前で顔を真っ赤にして抗議を続けるアルテミスを見つめ、ふっと微笑む。

 

変わったのだ。

一人の男の子のせいで。

いや、きっとそれだけ、その子がアルテミスにとって特別になったということなのだろう。

 

「ヘファイストス!聞いているのか!?」

「ええ、聞いてるわ」

 

軽く肩をすくめて返すと、アルテミスはなおも何か言い募ろうとする。

夜の喧騒の中、二人の会話はまだ終わりそうになかった。

 




色々改変済みです
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。