【月光の神】ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか   作:クックダッセ

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決して、諦めないのは間違いじゃない。

地面を粉砕して、前へ飛び出し腰に刺さっている短刀を抜く。

 

「はああああああッッ!!」

 

腰に差していた短刀を引き抜きざま、僕はそのままコボルトの懐へ潜り込んだ。

刃が肉を裂く鈍い感触が手に伝わる。

コボルトは最後まで僕の姿を正確に捉えられないまま、短い断末魔を漏らして崩れ落ちた。

 

モンスターを仕留める際、アルテミス様に教わった弓で遠くから仕留めることもあるが、今日の僕は調子がいい。

たまには、真正面から戦ってみようという試みだった。

 

まだまだ未熟だ。

それでも、ただ無我夢中で突っ込むだけだった頃に比べれば、少しは戦い方を考えられるようになってきた気がする。

 

倒れたコボルトの身体が灰になって崩れ、その中から残った魔石が床に転がる。

僕はしゃがみ込み、一つずつそれを拾い集めていった。

けれど同時に、拾うたびに思ってしまう。

 

(……サポーター、欲しいな)

 

魔石を回収して、荷物をまとめて、必要なら予備の武器や回復道具も持ってくれる。

そういう仲間がいれば、もっと効率よく潜れるだろうし、僕自身も戦いに集中できるはずだ。

 

でも、うちのファミリアにそんな余裕はない。

僕とアルテミス様、たった二人だけの小さなファミリア。

日々の生活を回すだけでも、まだまだ楽じゃない。

 

「……早く、新しい団員増えないかな」

 

誰に聞かせるでもなく呟いた声は、ひんやりしたダンジョンの空気に吸い込まれていった。

 

******

 

朝から夜まで潜って稼いだおかげで、今日はかなりの額になった。

革袋の中で硬貨が触れ合う重みが、いつもより少しだけ頼もしく感じる。

 

これなら、たまには豪華な食事だってできる。

……まあ、今日の夕食はもう決まっているんだけど。

 

シルさんに「ぜひ今日の夜ご飯はここで」と頼まれてしまった以上、断るという選択肢は最初からなかった。

それに、アルテミス様も『豊穣の女主人』で働いている。顔を出さないわけにもいかない。

 

店の扉を開けた瞬間、熱気と喧騒が一気に押し寄せてきた。

外の夜気で少し冷えていた身体が、店の空気に触れた途端にじわりと温まる。

 

「いらっしゃい……って、白髪頭じゃニャいかニャ。今日はここで食べていくのかニャ?」

 

カウンターの向こうから声をかけてきたのは、猫人(キャットピープル)のアーニャさんだった。

相変わらずの呼び方に、僕は少し苦笑しながら頷く。

 

「はい、シルさんに是非今日の夜ご飯はここでって言われたもので」

「そうだったのニャ、シルー!白髪頭がきたニャ!」

 

ばたばたと慌ただしい足音がして、料理を運び終えたシルさんがこちらへやって来た。

白い手拭(サロン)で手を拭きながら、彼女はぱっと花が咲くみたいに笑ってくれた。

 

「ベルさん!来てくださったんですね!」

「はい、あと神様も働いていますし断れないですよ」

 

そう言うと、シルさんは目を丸くしたあと、くすっと楽しそうに笑った。

 

「まあ!じゃあ毎日ベルさん誘っちゃいますね!」

「流石にお金がなくなるので無理です!?」

 

慌てて返すと、シルさんはますます楽しそうに目を細める。

僕はいつも座る席へ案内され、椅子に腰を下ろした。

目の前に置かれた品書き(メニュー)を開くと、ずらりと並ぶ料理名に思わず目移りした。

 

「シル!いつまで油売ってるんだい!早く戻ってきな!」

「ベルさんにまだお話……もとい、接客してないのに!」

 

店の奥からミアさんに呼ばれたシルさんは、名残惜しそうにそんなことを呟きながら、忙しなく厨房へ戻っていく。

その後ろ姿を見送りながら、僕は苦笑した。

 

この店は本当に美味しいものが多い。

けれど、その分値段もそれなりだ。

今日の稼ぎは悪くなかったとはいえ、使いすぎるわけにはいかない。ファミリアのためにも、お金は少しでも残しておきたい。

 

僕の隣の席では、一人の妖精(エルフ)の女の子が静かに食事をしていた。

耳がちょこんと尖っていて、長い髪をひとつにまとめている。

整った顔立ちは可愛らしいのに、その表情はどこか沈んでいるように見えた。

 

僕は思わず、その横顔を見つめてしまう。

綺麗な人だな、と思った。

 

でも同時に、その顔に浮かぶ悲しげな色が気になって仕方なかった。

声をかけようか。

でも、いきなり知らない男に話しかけられたら迷惑かもしれない。

そんなふうに迷って口を開きかけた、その時だった。

 

「さぁ、注文は決まったのか?ベル」

「うわっ!神様!?」

 

不意に頭上から声が降ってきて、僕は肩を跳ねさせた。

見上げると、蒼色の長髪を揺らしたアルテミス様が、少し呆れたような顔で立っていた。

 

「今日は遅くまでバイトだったんですね」

「この大盛況の中で抜けられるわけがないだろう。今日も団体客が入っている。そいつらが来るまでは残業するつもりだ。それより、注文を聞くぞ」

「あ、はい。なら、このナポリタンをください」

 

目についていた料理を指差してそう言うと、アルテミス様はなぜかすぐには返事をしなかった。

 

「…………」

 

細められた目が、じっと僕を見つめてくる。

ナポリタンは駄目だっただろうか。

でも値段も比較的安いし、量もありそうだし、今の僕にはちょうどいいと思ったんだけど……。

 

「神様?」

「わ・た・し・は、この大盛況を乗り切ったら、バイトが終わるつもりだ」

「は、はぁ……さっき聞きましたけど……」

「…………はあ。ベルはまったく、本当に」

 

深いため息をつかれた。

アルテミス様は額に手を当て、心底呆れたように肩を落とす。

 

「私もここで食べていくから、私の分も注文しておいてくれ」

「あ、なるほど! き、気づかなくてすみません!」

 

ようやく意味を理解して、僕は慌てて頭を下げた。

アルテミス様はそんな僕を見て、半ば諦めたように、それでもどこか柔らかい目をする。

 

「まあ、ベルはベルだからな。期待はしていない。ナポリタン二つでいいな?」

「あ、はい! お願いします!」

 

そう言って、アルテミス様はエプロンをひるがえしながら厨房へ戻っていった。

去っていく背中を見送りながら、僕は首を傾げる。

 

……あれ、やっぱり僕が悪かったのかな。

 

真剣にそんなことを考えていると、ふと隣から視線を感じた。

顔を向けると、さっきのエルフの女の子と目が合う。

 

彼女は一瞬だけ目を見開き、すぐに視線を自分の料理へ戻した。

けれど、その横顔にはさっきとは違う色が浮かんでいた。

不思議そうな、そして少しだけ羨ましそうな表情。

 

それが気になって、僕は思わず声をかけていた。

 

「えっと……何か、僕のこと見てたみたいですけど、何か用でしたか?」

「いえ!なんでもありません!気にしないでください」

「ご、ごめんなさい」

 

しまった。

やっぱりいきなり話しかけるべきじゃなかったかもしれない。

悩んでいるように見えたからって、見知らぬ僕が踏み込むのは違ったのかもしれない。

そう思って視線を前に戻す。

でも、やっぱり気になる。

 

おじいちゃんなら、きっとこう言う。

悩んでいる女の子がいるなら、助けてあげなさい。

その言葉が胸の中で背中を押した。

 

「あ、あの!」

 

自分でも驚くくらい勢いよく、僕はもう一度彼女のほうを向いた。

 

「何か悩み事なら、僕が聞きます! 僕でお力になれるなら、手伝いますから!」

 

言い切ったあとで、心臓がどくどくと鳴り始める。

なにをそんなに真剣になってるんだ僕は、と自分で自分に突っ込みたくなった。

でも、言ってしまったものは仕方ない。

 

「えっ?」

 

一瞬きょとんとしたあと、彼女はとうとう吹き出した。

 

「あははははははははっ!! 私、そんな真剣な眼差しで『お悩み聞きます』なんて言われたの、初めてです!」

「えっ」

 

なぜか大笑いされた。

僕はぽかんとしたまま固まる。

真面目に言ったつもりだったのに、そんなにおかしかっただろうか。少しだけ恥ずかしい。

 

でも、その代わりに彼女が笑ってくれたのなら、それでよかったのかもしれない。

さっきまで泣き出しそうだった顔が、今はちゃんと笑っている。

それを見て、胸の奥がほっと緩んだ。

 

「あなたのお名前は?」

「ぼ、僕ですか? 僕はベル・クラネルです!」

「そうですか。私はレフィーヤ。レフィーヤ・ウィリディスです」

「えっとそれで何を悩んでたんですか?」

「はい、聞いてくれますか?私は───」

 

レフィーヤさんが言いかけた、その時だった。

店の入口のほうから、どっと大きなざわめきが押し寄せた。

扉が勢いよく開かれ、空気が一変する。

さっきまででも十分賑やかだった店内が、さらに熱を帯びた。

客たちの視線が一斉にそちらへ向く。

 

入ってきたのは、【ロキ・ファミリア】だった。

 

【ロキ・ファミリア】の主神、ロキ様が陽気に声を張り上げる。

乾杯の音頭が取られた瞬間、店の騒がしさは一段と増した。

酒が注がれ、料理が運ばれ、笑い声が弾けた。

豪快に肉を頬張る者、仲間と肩を組む者、遠征の武勇伝でも語っているのか大声で笑う者───そのどれもが眩しかった。

 

「ごめんなさい……話の続きお願いします」

「あ、はい……そうですね。私は――」

「おい!アイズ!あの話聞かせてやれよ!」

 

その声が、店の喧騒を突き破るように響いた。

 

レフィーヤさんの言葉は、そこで途切れた。

僕も思わずそちらを見る。

 

声の主は、一人の狼人だった。

鋭い目つき。荒々しい気配。座っているだけなのに、獣のような圧がある。

 

知っている。

僕でも知っている。

 

凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ。

【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者。

最前線で戦う、本物の強者。

 

そのベートさんが、酒の勢いもあってか、面白がるような声音で続ける。

その先に何が来るのか、僕はまだ知らなかった。

その言葉は、予感以上に鋭く、深く、僕の胸を抉ることになる。

 

******

 

「神アルテミス、もう上がっていいよ、悪かったね、ここまで残してしまって」

 

忙しさの波がようやくひと段落した頃、ミアが低い声でそう言った。

店の中にはまだ熱気が残っていたが、さっきまでの慌ただしさに比べれば、ようやく息をつける程度には落ち着いている。

 

「いいや。困った時はお互い様だ。助けるのは当然だろう」

 

アルテミスはそう答えながら、最後の皿を片づける。

働き通しだったせいで腕にはわずかな疲労が残っていたが、それ以上に気になっていることがあった。

 

ベルだ。

今日はここで夕食を食べる約束をしていた。

あの子は今ごろ席で待っているはずだ。

 

「そう言ってもらえるとありがたいよ。ほら、あんたの眷族のところに行ってあげな」

「ああ」

 

短く頷き、アルテミスは店の奥へ向かった。

エプロンを外し、仕事着を脱ぎ、いつもの服へ袖を通す。

けれど、心は妙に落ち着かなかった。

理由はわからない。

ただ、胸の奥がざわついていた。

そんな嫌な予感を感じながら階段を下り、店内へ戻る。

 

「待たせた───」

 

その言葉は、最後まで口にできなかった。

 

「雑魚には釣り合わねぇんだよ! アイズ・ヴァレンシュタインにはな!」

 

その声が、店中に響いた。

アルテミスの足が止まる。

何か、大切なものを踏みにじられた気がした。

 

視線の先で、白い髪の少年が立ち上がっていた。

肩が震えている。

拳を強く握りしめ、唇を噛み、顔を伏せるようにしているその姿を、アルテミスが見間違えるはずがない。

 

ベルだ。

 

「くっ……!!」

 

押し殺したような声を漏らし、ベルはそのまま店の外へ飛び出した。

 

「クラネルさん!?」

 

隣にいた少女も慌てて立ち上がり、その背を追う。

アルテミスは、その場で全てを理解した。

 

誰が傷つけたのか。

何を言われたのか。

そして、ベルがどれほど深くそれを受け止めてしまったのか。

 

理解した瞬間、胸の奥で何かが切れた。

 

店の壁に立てかけてあった弓を掴む。

矢を番え、ためらいなく放つ。

 

「ッッ!?」

 

鋭い音を裂いて飛んだ矢は、ベートの顔面めがけて一直線に走った。

だが、さすがは第一級冒険者だった。

ベートは反射的にその矢を掴み取る。

 

「流石は第一級冒険者というところか、実力はある。だが気品はかけらもないようだな」

 

アルテミスの声は、冷えていた。

怒鳴っているわけではない。

それなのに、そこに込められた怒りは、誰の耳にも明らかだった。

 

「いきなりな挨拶だな...!」

 

ベートは掴んだ矢を、握り潰すようにへし折った。

だがアルテミスは一歩も引かない。弓を構えたまま、その緑の瞳でまっすぐに睨み返す。

 

「ひとつ言っておこう。今、店から出て行った白い髪の男は、私の眷属だ。貴様が笑っていた男でもある」

「はあ? もしかしてあのトマト野郎のことか? そいつは傑作だな。ああいう雑魚は、自分の弱さを呪って巣穴から出てこないことだな」

 

その言葉に、店の空気がさらに冷えた。

アルテミスの指先に、ぎり、と力がこもる。

 

「ベルが雑魚であろうが、弱虫であろうが、英雄であろうが───彼は私の眷属だ」

 

一語一語を噛みしめるように、アルテミスは言った。

 

「どんなことがあろうと、あの子は私の子供だ。我々神々は【神の力(アルカナム)】を使うことはできない。できることといえば、彼らの背中を押すことだけだろう」

 

その瞬間だった。

アルテミスの身体から、淡い光が漏れ出した。

 

神威。

 

本人すら無意識のうちに発してしまったそれに、店内の空気が凍りつく。

【ロキ・ファミリア】の団員たちの顔色が変わった。

何人かは青ざめ、何人かは息を呑み、何人かは「まずい」と目で訴えていた。

 

アルテミスは数秒ののち、はっとしたように弓を下ろした。

呼吸を整えるにつれ、神威もゆっくりと消えていく。

 

「きっとベルはダンジョンへ赴いただろう。助けに行きたい。だが、神である私は助けには行けない。無事に帰ってくることを願うことしかできない。……これでベルがダンジョンから戻ってこなかったら、貴様らを絶対に許さない!!」

 

神々は、たいていのことを笑って受け流す。

それが下界の者たちの抱く“神”の印象だ。

 

けれど今のアルテミスは違った。

怒りを隠そうともせず、傷つけられた眷属のために、真正面から牙を剥いている。

 

その姿に、多くの者はただ圧倒されていた。

逆鱗に触れた。

だが、一部の上級冒険者たちは別のことを思っていた。

 

───この神は、本当にあの子を大切にしているのだ、と。

 

愛している。

可愛がっている。

守りたいと、心から願っている。

そしてきっと、ベルのほうもまた、この神を深く敬い、慕っているのだろう。

だからこそ、【ロキ・ファミリア】は踏み越えてはいけないものを踏みにじってしまった。

 

それにいち早く気づいたのは、小さな体躯の団長だった。

 

「アイズ、リヴェリア。彼をダンジョンから連れ戻せ。早急にだ」

 

「わかった」

「任された」

 

アイズとリヴェリアが即座に立ち上がり、店の外へ駆け出していく。

第一級冒険者が二人、夜の街を疾走する姿に、通りの喧騒が一瞬だけ静まった。

 

その背を見送ったあと、フィンはアルテミスの前に進み出る。

そして、その場に跪いた。

 

「神アルテミス、申し訳ない。うちの団員が、あなたの団員を傷つけてしまいました。ここに【ロキ・ファミリア】団長として謝罪します」

 

アルテミスは表情を変えなかった。

ただ、ひとつ深く息を吐き、目を閉じる。

 

店内の誰もが、その次の言葉を待っていた。

フィンも、他の団員たちも、身じろぎひとつせずに。

 

「もしこのままベルが帰ってこなければ、私はお前たちを許すことができないだろう」

 

静かな声だった。

けれど、その一言は重く沈んだ。

 

「ただ、憎みはしない。約束しよう」

 

アルテミスは、ベルが座っていた席へ歩いていく。

そこには、まだ手のつけられていないナポリタンが二つあった。

本当なら、ベルと一緒に食べるはずだったものだ。

 

椅子に腰を下ろし、アルテミスはその皿をじっと見つめる。

 

「無事でいてくれ、ベル」

 

吐息に混じるほど小さな声。

それでも、その場にいた全員の耳に届いた。

 

ただ待つことしかできなかった。

 

******

 

「ちくしょう!ちくしょう!」

 

走る。

走る。

走る。

悔しくて、悔しくて、悔しくてたまらなかった。

何も言い返せなかった自分が。

弱いままの自分が。

何もしなくても、いつか何かが変わるんじゃないかと、どこかで期待していた甘い自分が。

全部、憎かった。

涙で視界が滲む。

それでも足は止まらない。

人にぶつかっても、肩がぶつかって舌打ちされても、そんなことに構っていられなかった。

ただひたすら前へ。

もうこんな思いをしなくて済むように。

強くなりたくて。

今すぐにでも、何かを変えたくて。

 

息を切らしながらダンジョンへ飛び込む。

 

目の前に現れたのはゴブリンだった。

 

短刀を抜く。

構えも何もあったものじゃない。

みっともないくらい感情のまま、八つ当たりするみたいに、僕はモンスターへ斬りかかった。

 

「ああああああああああッッ!!」

 

もっと奥へ。

もっと先へ。

もっと速く、もっと強くなるために。

 

******

 

「なんなんですか、あのヒューマン……!」

 

レフィーヤは少し離れた場所から、ベルの背を追いながら唇を噛んだ。

心配でついてきた。放っておけなかった。

けれど、いざ追ってみれば、その戦い方は危なっかしくて見ていられない。

感情に任せて突っ込んでいるのが、遠目からでもわかる。

 

ああ、そこで躱せばいいのに!

今のはもっと引いて受けるべきでしょう!?

そう叫びたくなる場面が何度もあった。

 

何度、魔法で援護しようと思ったかわからない。

何度、今すぐ飛び出して助けようと思ったかわからない。

 

けれど、できなかった。

 

彼の必死さを見ていると、胸の奥が妙にざわつく。

その足掻きが、その無様さが、その真っ直ぐさが、まるで言っているみたいだった。

 

どうして、こんなにも心をかき乱されるんだろう。

こんな気持ち、私は知らない。

 

ただのヒューマン。

それも、まだ弱くて、危なっかしくて、見ているこっちがはらはらするような男の子なのに。

 

なのに、目が離せなかった。

 

******

 

どれほど時間が経ったのだろう。

 

夜はとうに明け、朝日がオラリオの街を照らしていた。

石畳も、建物の壁も、人々の顔も、すべてが朝の光に染まっている。

 

それなのに、ベルはまだ帰ってこない。

 

アルテミスは教会の外で、何度目かわからない夜明けの空を見上げていた。

胸の奥が張り裂けそうだった。

このまま帰ってこなかったらどうしよう。

そんな考えが浮かぶたび、呼吸が浅くなる。

 

朝になれば、商人が店を開き、冒険者が支度をし、街はまた新しい一日を始める。

 

その中で、ベルだけが帰ってこない。

 

「ベル……」

 

掠れた声が、唇から零れた。

 

「神様」

 

「神様」

 

その声に、アルテミスははっと顔を上げた。

 

そこにいたのは、傷だらけのベルだった。

 

服は裂け、肌には無数の傷が走り、足取りもおぼつかない。

それでも、自分の足でここまで戻ってきたのだとわかる姿だった。

 

そして、その肩を支えていたのは、山吹色の髪をしたエルフの少女───レフィーヤだった。

 

「【ロキ・ファミリア】はどうした?」

 

思わず問いかける。

ベルはきょとんとした顔で首を傾げた。

 

会っていない。

その反応だけで、アルテミスにはわかった。

 

(あの【剣姫】は何をしていたんだ……!)

 

一瞬、怒りが再燃しかける。

今すぐ乗り込みに行こうかとすら思った、その時だった。

 

「あの、神様」

 

レフィーヤが、おずおずと口を開く。

 

「【ロキ・ファミリア】は確かにいたんです。けれど……彼の必死の足掻きを見て、手を出せなかったんです。私もそうでした。だから、私から【ロキ・ファミリア】に頼んで、帰ってもらったんです。彼は私が連れ戻すからって」

 

アルテミスはその言葉を黙って聞いた。

そして、ゆっくりと息を吐く。

 

「……そういうことだったのか」

 

レフィーヤはきっと、ただ見ていただけではない。

危機が迫った時には、何かしらの援護をしたのだろう。

怪物を直接倒す魔法ではなくとも、支援や補助でベルを支えたのかもしれない。

 

けれど、それでも。

 

今ここに立っているのは、怪物に打ち勝って戻ってきたベルだ。

傷だらけで、ぼろぼろで、それでも折れずに帰ってきた。

 

紛れもない勝者だった。

その事実が、アルテミスにはたまらなく嬉しかった。

 

そのまま、私は目から熱い何かをこぼしながら。ベルを抱きしめた。ベルは安心してそのまま眠ってしまっていた。そして疑問だったのだが、このエルフの少女はどうするのだろうか、それだけが疑問だった。

 

「神様」

「なんだ?」

 

ベルは、疲れ切った顔のまま、それでもまっすぐにアルテミスを見た。

その瞳の奥には、まだ消えない熱があった。

 

「僕、もっと強くなりたいです」

 

その言葉に、アルテミスの胸が熱くなる。

ああ、この子はまだ折れていない。

傷ついても、悔しがっても、それでも前を向こうとしている。

 

「ああ、強くなれるさ。ベルならきっと」

 

言い終えるより先に、目の奥が熱くなった。

こぼれそうになるものを止めきれないまま、アルテミスはベルを強く抱きしめる。

細い身体。

傷だらけの背中。

それでも確かに、ここにいる。

ベルはその腕の中で、ようやく安心したように力を抜いた。

張り詰めていた糸が切れたのだろう。

そのまま、静かに眠りへ落ちていく。

 

アルテミスはベルを抱えたまま、レフィーヤへ視線を向けた。

 

「ここまでベルを連れてきてくれてありがとう」

「い、いえ!そんな、私がしたくてしたことですし!」

 

慌てたように手を振るレフィーヤ。

 

「それで、お前はどうするんだ?これから」

 

アルテミスが穏やかに問いかけると、レフィーヤはびくりと肩を揺らした。

そして、スカートを小さな手でぎゅっと握りしめる。

 

迷い。緊張。決意。

その全部が、表情に浮かんでいた。

 

やがて彼女は意を決したように顔を上げる。

耳まで真っ赤に染めながら、震える声で、それでもはっきりと叫んだ。

 

「私を、このファミリアに入れてください!」




レフィーヤ・ウィリディス
Lv.2
力 : C 785 耐久 : D 689 器用 : C 768 敏捷 : C 796 魔力 : B 802
《魔法》
【アルクス・レイ】
・単射魔法。
・標準対象を自動追尾。
・詠唱式【解き放つ一条の光、聖木の弓幹。汝、弓の名手なり。狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢】


《スキル》
妖精追奏(フェアリー・カノン)
魔法効果超上昇

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