【月光の神】ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 作:クックダッセ
「君たち大丈夫?」
そう言って、ティオナさんが僕へ手を差し伸べた。
僕は一瞬、その手を見上げることしかできなかった。
息は荒いし、腕も脚も痛い。身体中がじんじんしていて、どこが一番痛いのかさえよく分からない。
服はあちこち裂け、滲んだ血が肌に張りついて気持ち悪かった。
それは僕だけじゃない。
隣にいるレフィーヤも、僕ほどじゃないにしても、肩や腕に生々しい傷を作っていて、さっきまでどれだけ必死に戦っていたのかが嫌でも分かる。
「あ、すみません。あ、ありがとうございます……」
差し出された手を取ると、ティオナさんはぐいっと僕を引っ張り起こしてくれた。
見た目からして元気いっぱいの人だとは思っていたけど、その手はびっくりするくらい力強かった。
「いいよ!でも君、すごいね!」
「へ?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
すごい?
僕が?
こんなにボロボロで、結局助けてもらって、何ひとつまともにできなかった僕のどこが……
そう思っていると、ティオナさんは僕の顔を覗き込んで、にっと明るく笑った。
「だって君、冒険者になったばっかりでしょ?あんなモンスター、私も見たことないけど、あれ相当強いと思うよ」
そう言って、ぽん、ぽん、と僕の肩を叩く。
胸の奥のどこかが、くすぐったいみたいに熱くなる。
「だから、生き残ってるのがすごーーーく、すごいってこと!」
その言葉だけ残して、ティオナさんはくるりと背を向けた。
迷いのない足取りで、アイズさんとティオネさんのもとへ駆けていく。
そして───本当に一瞬だった。
食人花の巨体が揺れ、裂け、次の瞬間には魔石だけを残して崩れ落ちる。
「まあ、こんなもんかしらね」
ティオネさんが、ゆっくりと地面へ降りながら肩をすくめる。
アイズさんは剣をひと振りして体液を払うと、そのまま静かに鞘へ収めた。
すごい。
すごすぎる。
同じ冒険者なのに、まるで違う生き物を見ているみたいだった。
強い人って、こんなふうに戦うんだ。
「うん、みんな無事でよかった....」
アイズさんは僕の方を見ながらゆっくりと近づいてくる。
「あの、私君に謝りたいことがあって」
アイズさんが小さくそう呟いて、こっちへ歩いてくる。
「あの、私、君に謝りたいことがあって」
「え?」
謝る?
何のことだろう。
僕が目を瞬かせると、アイズさんが少し言いにくそうに口を開く。
「私、あの時ひどい───」
「アイズ!!」
言葉を遮る、ティオネさんの鋭い声が飛んだ。
「うげぇ!? 嘘でしょ!?」
ティオナさんまで素っ頓狂な声を上げる。
───息を呑んだ。
先ほどの食人花がいた。
一匹じゃない。
二匹でも、三匹でもない。
ざっと見ただけでも、十匹前後。
石畳を突き破って、黄緑色の長い胴体をうねらせながら、広場のあちこちにその異形が根を張っている。
巨大な花弁が不気味に脈打ち、触手が何本も何本も蠢いていた。
「そんな……」
背中が、ぞくりと冷えた。
さっき一匹だけで、あれだけ苦戦したんだ。
それが十匹?
冗談じゃない。そんなの、どう考えても───
「あんたら!神を連れて逃げなさい!」
ティオネさんの叫び声が広場に響く。
「この数は流石にあんたらを守りながら戦えない!死ぬわよ!」
その言葉が、胸に深く刺さった。
ティオネさんは正しい。
僕たちがここにいたら足手まといになる。
そんなこと、自分が一番よく分かってる。
もし僕が、あの人たちみたいに強ければ。
もっと戦えて、ちゃんと役に立てる冒険者だったなら。
一緒に戦えたかもしれない。
誰かに守られるんじゃなくて、隣に立てたかもしれない。
でも、現実は違う。
まただ。
まだ僕は、弱い。
ティオネさんにそんなつもりがないことくらい分かっている。
責めているわけじゃない。見下しているわけでもない。
ただ事実を言っただけだ。
けど。
それでも、悔しかった。
「……っ」
気づけば歯を食いしばっていた。
隣を見ると、レフィーヤも同じだった。下唇を噛んで、悔しそうに食人花の群れを睨んでいる。
やっぱり、同じなんだ。
戦いたい。
役に立ちたい。
守られてるだけなんて嫌だ。
でも、それでも。
神様を死なせるわけにはいかない。
何があっても守り抜く。
神様と
僕は震える脚に力を込めて立ち上がる。
全身が悲鳴を上げた、膝が笑いそうになる。
けど、倒れてる場合じゃない。
「神様、行きます!」
アルテミス様の手を引いて、僕は駆け出した。
レフィーヤもすぐ後ろについてくる。
ギルドに行けばエイナさんがいる。
ダイダロス通りに凶悪なモンスターがいるって伝えれば、絶対に対応してくれるはずだ。
そうだ、それしかない。
今の僕たちにできることをやるんだ。
広場を離れ、通路へ抜けようとした、その時だった。
「───え?」
道が、塞がっていた。
さっきまで何もなかったはずの場所に、見たこともない緑色の壁が広がっている。
幾重にも絡まり、脈打つように蠢くそれは、まるで生きた城壁だった。
「レフィーヤ!!他の通路は!?」
「ありません!退路を塞がれてます!」
「っ……僕たち、最初から……」
捕まっていた。
そう理解した瞬間、ぞっとする。
逃げ道は最初からなかったのかもしれない。
僕とレフィーヤは弱い。
それは変えようのない事実だ。
この空間で、できることはない。
むしろ邪魔になっていた。
アイズさんたちも、それをどうこうする余裕すらない。
大量の食人花の猛攻を受け流すので精一杯で、僕たちがいるから、なおさら攻めきれない。
どうする。
どうしたらいい。
どうすれば───
「ロキの子供たち!時間を稼げるか!」
僕が考えあぐねている間に、神様が鋭く声を張り上げた。
戦い続ける【ロキ・ファミリア】の人たちから返事はない。
いや、返す余裕がないんだ。
アルテミス様はそれを察したみたいに、一度だけ短く息をついた。
「五分だ」
その声が、妙に落ち着いて聞こえた。
「五分稼げば、どうにかできるかもしれない。だから私たちを守ってくれ」
返事はなかった。
だけど瞬間から、アイズさんたちの動きが変わる。
僕たちのほうへ絶対に攻撃を通させないように、食人花たちの触手を引き受け、叩き落とし、斬り払い、拳で弾き飛ばしていく。
その背中を見て、僕は息を呑んだ。
すごい。
神様の一言で動きが、連携が変わった。
これが第一級冒険者!!
だけど、あの人たちがどれだけ強くても、この数はまずい。
一歩間違えたら終わる。
そんな緊張が、広場全体を張りつめさせていた。
「ベル、今ここでステイタス更新する」
「……え?」
言われた意味が、一瞬分からなかった。
こんな戦場の真ん中で?
今?
ステイタス更新……?
頭がついていかず、僕はただ目を瞬かせることしかできなかった。
******
「ベル、お前ならやれる。あのモンスターは今いる冒険者の中では、ベルしか倒せない」
断言だった。
戦場の只中、食人花の触手が唸りを上げて石畳を穿ち、【ロキ・ファミリア】の三人がそれを押し留めているその最中で、アルテミスの声音だけが不思議なほど静かだった。
言われるままに、ベルはアルテミスと共にその場へしゃがみ込む。
周囲ではなおも激しい戦闘音が鳴り響いていた。
触手が石畳を砕く破砕音。
ティオナの拳が叩き込まれる鈍い衝撃。
ティオネの斬撃が空気を裂く鋭音。
そしてアイズの剣が放つ、冴え冴えとした剣技。
本来なら、とても悠長に
だが、アルテミスは迷わなかった。
この場を覆す鍵が、ベルにあると信じて疑っていなかったからだ。
あるいはそれは、信頼というより確信に近かったのかもしれない。
ベルの内に、いまこの瞬間、
アルテミスはそのことを、ほとんど直感で
なぜ分かるのかと問われれば、答えようがない。
ただ───その生まれようとしている魔法が、自分と無関係ではないことだけは、はっきりと感じ取れていた。
「で、でも僕はまだ弱くて!あの【ロキ・ファミリア】の皆さんでも倒せないのに、僕なんかじゃ!」
ベルは声を震わせた。
当然だった。
相手は、たった一体ですら自分たちを圧倒した新種のモンスターだ。
それが十体以上。
しかも迎え撃っているのは、迷宮都市でも最強格として知られる【ロキ・ファミリア】の幹部たちである。
その彼女たちですら、防戦に回らざるを得ない相手なのだ。
そんな怪物を、冒険者になったばかりの少年がどうにかできるはずがない。
むしろ、そう思うのは、むしろ自然なことだった。
それでも不思議なことに、ベルたちのいる一角へは一撃たりとも攻撃が届いていなかった。
アイズが時折、風を孕んだ斬撃と魔法で触手の軌道を逸らし、ベルたちへ近づくことを許さない。
ティオナは拳で強引に薙ぎ払い、ティオネはしなる剣筋で横から食い止める。
三人が三人とも、正面の敵と渡り合いながらなお、ベルのもとへ攻撃を通させまいとしていた。
その事実が、かえって少年の胸を締めつける。
自分は守られている。
何人もの強者が、自分のために時間を稼いでいる。
もしこの五分が無駄に終われば。
その想像だけで、喉の奥がひりついた。
アルテミスが一枚の紙を差し出す。
荒い呼吸のまま受け取ったベルは、その内容を見た瞬間、目を見開いた。
「これは……!?」
そこに記されていたのは、更新されたばかりの自身の
ベル・クラネル
Lv.1
力 : F 375→E 457 耐久 : E 442→D 500 器用 : F 301→E 448 敏捷 : D 521→C 601 魔力 : I 0
《魔法》
【オリオン・ボルト】
・破邪の一撃。
・誓いによって威力上昇。
・誓いによって消費魔力上昇。
《スキル》
【】
「これが……初めての、僕の魔法……」
その呟きには、驚きと戸惑いと、ほんのわずかな高揚が入り混じっていた。
魔法。
それは冒険者にとって、まさしく切り札だ。
「私はこの魔法を知っている。私はこの矢を知っている」
アルテミスが、ベルの背へそっと身を預けるようにして呟いた。
戦場の緊張の中で、その体温だけがひどく鮮明だった。
少女の身体特有の柔らかさと、じんわりと伝わる温もり。
それが背中越しに触れた瞬間、ベルの肩がびくりと揺れる。
耳まで一気に熱くなった。
「かみ……さま?」
戸惑いに満ちた声が漏れる。
本来、神々といえど、子どもたちに発現した魔法の詳細を完全に知ることはできない。
発現の傾向や大まかな性質を読み取ることはあっても、ここまで断定的に語れるものではない。
それなのにアルテミスは、この魔法をまるで自ら見てきたかのように語る。
いや、もっと言えば───
「この矢は全てを貫く。ベルの誓いが強ければ強いほど、どんな敵でも打ち滅ぼすことができる」
その声音には迷いがなかった。
「ベル。誓いはなんでもいいんだ。誰かを守りたいとか、勝ちたい人がいるとか、どんな誓いでもいい」
アルテミスはゆっくりと言葉を重ねる。
諭すように。
導くように。
「ベル。お前は、あのモンスターを倒したいか?」
問われた瞬間、ベルの返答は早かった。
「倒したいです!こんな弱い僕でも、あのモンスターを倒したい!」
立ち上がる。
脚はまだ震えていた。
全身の傷がずきずきと痛んだ。
それでも少年は叫んだ。
迷いより先に、言葉が出た。
アルテミスはその答えを受け止め、さらに問う。
「なら、なぜ倒したいと思ったんだ」
「…………助けたい人がいるからです」
ベルはアルテミスの顔をまっすぐ見つめた。
逃げなかった。
視線を逸らさなかった。
アルテミスもまた、真剣な眼差しでその答えを待っていた。
この少年が何を胸に戦うのか、その核を確かめるための問いだ。
「レフィーヤも必死で戦ってる。それに【ロキ・ファミリア】のみんなだって戦ってくれてる。……助けたい。僕は、あの人たちを助けたいんです!」
言葉にした途端、胸の内で渦巻いていたものが一気に形を持つ。
悔しかった。
守られるだけの自分が、どうしようもなく情けなかった。
それでも、ただ足手まといのまま終わりたくはない。
誰かに守ってもらったのなら、今度は自分が手を伸ばしたい。
荒くなる呼吸を整えながら、ベルはなおも言葉を絞り出した。
「そして、何より……」
頬が熱くなる。
胸がうるさく鳴る。
それでもこの想いだけは、誤魔化したくなかった。
「神様を助けたいんです!!」
その叫びは、戦場の喧騒の中にあってなお、ひどくまっすぐだった。
今この瞬間まで、ずっと傍にいてくれた女神。
時に厳しく、時に優しく、自分を導いてくれた主神。
祭りで笑って、食べて、怒って、戦場では誰より強くあろうとしたその人を───助けたい。
ベルの最も強い誓いは、そこにあった。
アルテミスは一瞬、目を見開いた。
それから、破顔する。
「ああ、嬉しい。これほど幸せなことはない」
その笑みは、戦場にあってなお眩しかった。
「ベルが私を想ってくれていることを知って、こんなにも嬉しくなるものなんだな」
アルテミスは立ち上がると、ベルの両肩へ手を置いた。
顔が近い。
真っ直ぐに覗き込むその瞳は、月光をそのまま閉じ込めたように静かに輝いていた。
「その誓いを忘れるな。さあ――その誓いを叫べ、ベル!」
「はいっ!!」
ベルは、もう震えていなかった。
先ほどまで胸の奥で渦を巻いていた恐怖も、迷いも、弱さも。
今はすべて、ただ一つの熱に変わっている。
守りたい。
助けたい。
あの人たちを。
そして何より、自分の神様を。
その想いだけが、傷だらけの少年の身体を支えていた。
ベルはモンスターたちへ向き直る。
広場を埋め尽くす食人花の群れは、なおも黄緑色の長躯を蠢かせ、幾本もの触手を振るっている。
右手を前へ突き出す。
それは今まで一度もやったことのない動作だった。
だが不思議と、躊躇いはなかった。
まるで最初から、そのためにこの腕があったかのように。
「【悠久の空、恵みの大地、大いなる森、純潔の月】」
詠唱。
それはこれまでベルにとって、遠い世界のものだった。
ダンジョンで目にした、選ばれた冒険者たちだけの奇跡。
だが今、その奇跡は確かにベルの喉から紡がれていた。
「【いかなる権能をも弾く聖なる領域、聖なる貞潔】」
突き出した右手に、光が灯る。
最初は小さな
けれど次の瞬間、それは無数の蒼い粒子となって弾ける。
星屑に似た輝きが、ベルの掌の周囲に幾重にも生まれ、絡み合い、渦を描いた。
何かを形作ろうとしている。
まだこの世にないはずの何かを、今ここに顕そうとしている。
『!?』
異形たちが、一斉に反応した。
食人花の群れが、アイズの風ではなく、ベルへと標的を変える。
巨大な花弁がぎちぎちと軋み、長い触手が獲物を狩る蛇のように方向を定めた。
怪物たちは本能のままに、その危険を嗅ぎ取った。
「……っ!?【ロキ・ファミリア】の皆さん!あのモンスターをベルの方へ近づけさせないでください!!」
レフィーヤの叫びが鋭く響く。
だが、その声が終わるより早く、二つの衝撃が広場を揺らした。
「言われなくてもっ!」
「わかってるんだよ、そんなことっっ!!」
ティオナの拳が、横合いから迫った触手を正面から叩き潰す。
鈍い轟音とともに、その一撃は触手ごと怪花の巨体をのけぞらせた。
同時に、ティオネの蹴りが上空から振り下ろされた蔓を弾き飛ばす。
鞭のようにしなった脚が空気を裂き、殺到する攻撃の軌道を無理やり捻じ曲げた。
彼女たちはレフィーヤに言われる前から動いていた。
ただベルを守るためだけではない。
第一級冒険者として幾多の死線を潜ってきた本能が告げていたのだ。
───あの魔法が、この場のすべてを変えるかもしれない、と。
「【あらゆる権能をも貫く至高の矢、至高の鏃】」
ベルは詠唱を止めない。
本来なら、初めての魔法をこれほどの極限状態で扱うこと自体が無茶だった。
気を乱せば暴発し、詠唱を誤れば
それでも少年は、恐れず、言葉を紡ぎ続ける。
その瞼の裏には確信があった。
自分は守られている。
ロキ・ファミリアの三人が。
レフィーヤが。
アルテミスが。
それがどれほど心強いものか、ベルは今、骨の髄まで知っていた。
「【我が名はオリオン】」
そこで、ベルは目を開く。
視界の先には、いまだ戦い続ける冒険者たちの姿があった。
拳の皮を裂き、血を滲ませながら、それでも笑って前へ出るアマゾネスの妹。
疲労に膝を揺らしながら、苛烈な触手の猛攻を正面から捌き続ける姉。
傷だらけになってなお、剣閃と風で道を切り開く剣姫。
そして震える手で杖を握りしめ、少しでも戦線を支えようと必死に援護するエルフの少女。
誰も折れていない。
誰も退いていない。
その姿を見た瞬間、ベルの右手の光が、一段と強く輝いた。
蒼い光の線が、その表面に幾筋も刻まれている。
複雑に絡み合い、流れるように連なり、ひとつの神秘を織り上げていく文様。
それは【
神代の気配を纏うその光紋は、武器全体を静かに、しかし確かな存在感をもって脈動させていた。
レフィーヤは息を呑む。
最初、それは槍に見えた。
無骨で、鋭く、ただ貫くことだけを宿命づけられた鉄の武器。
だが違う。
本質は、槍ですらない。
それは、矢。
それは
ベルがアルテミスを想う心があり、アルテミスもまたベルを想っている。
その両者の祈りが重なったからこそ、初めて形を成した奇跡。
アルテミスの眷属であるベルだけが、手にすることを許された神秘。
断言できる。
これはベルとアルテミスでしか成し遂げることができなかった下界の未知である。
「【天上の射手、月は弓、星は弦、誓いは矢───来たれ、破邪の一撃】」
詠唱が終わる。
ベルは、光の粒から具現したその矢をしっかりと握りしめた。
掌に伝わる感触は冷たいはずなのに、芯の奥は灼けるように熱かった。
それはきっと、自分の誓いの熱だ。
そして───疾走した。
「いけ、ベル。いつになるかはわからないが、私の
アルテミスは、忘れまいとするようにその姿を目に焼きつけていた。
自分の眷属が、英雄へ一歩近づく瞬間。
その小さな背中が、確かに未来へ踏み出していく瞬間を。
ベルが駆ける。
その道を、【ロキ・ファミリア】が切り開く。
横から襲いかかる触手をティオナが拳で弾き、
頭上から迫る蔓をティオネが蹴り砕き、
真正面を塞ぐ怪花の触手をアイズが剣で断ち切る。
血と汗と土煙の中に、一本の道が生まれる。
それは、傷だらけの少年のためだけに繋がれた、たった一筋の突破口だった。
ベルは足を止めない。
全身が悲鳴を上げていた。
肺は焼けるように熱く、脚は折れそうなほど重い。
それでも止まらない。
止まれるはずがない。
背中から、声が飛んだ。
「やっちゃえ! 冒険者くん!!」
「これで倒せなかったら恨むからね!」
「……頑張って!」
「ベル!お願い!!」
血まみれの拳を突き上げて叫ぶティオナ。
地に片膝をつきながらも鋭い視線を送るティオネ。
はにかむように、それでも確かな期待を込めて応援するアイズ。
そして祈るように、少年の名を呼ぶレフィーヤ。
そのすべてを背中で受けながら、ベルは矢を持ち替える。
投擲の構え。
肩が引き絞られ、肘が軋み、全身が一つの弓となった。
更新されたばかりの
ベルは槍を持ち替え、槍を投げる態勢に入った。
そしてアルテミスから授かったステイタスの全力を持って、誓いの矢を放つ。
アルテミスは、その光景を見つめながら、先ほどの言葉の続きをそっと零した。
「だから、これが初めてベルが胸を張って自慢できる
「【オリオン・ボルト】!!!」
叫びと同時に、矢が放たれる。
誓いそのものが、
蒼い光に包まれた矢は、放たれた瞬間に周囲の空気を圧し潰し、凄まじい風圧を巻き起こす。
石畳の破片が跳ね、土煙が爆ぜ、家々の壁が悲鳴を上げる。
一直線に伸びたその軌跡は、まるで空間そのものを裂く蒼い閃光だった。
矢は迷いなく、吸い込まれるようにモンスターたちへ突き刺さる。
『――――――――――』
断末魔すら、最後まで形を成さない。
一瞬だった。
眩い蒼光が広場を呑み込み、異形たちの巨体を存在ごと掻き消していく。
花弁も、触手も、茎も、呪わしい壁も。
破邪の名にふさわしく、その一撃は怪物たちを許さなかった。
余波が凄まじかった。
周囲には濃い砂煙が立ちこめ、放物線状に抉れた地面がクレーターのように連なっている。
近くの家屋は衝撃で一部が吹き飛び、広場の景色そのものが一変していた。
どう見ても、Lv.1の冒険者が放った威力ではない。
そこに矢の姿は、もうなかった。
残されていたのは、ただ一撃が刻みつけた圧倒的な結果だけ。
もしあのまま戦闘が続いていれば、いずれ応援は来ただろう。
だが、その
ベルたちはもちろん、【ロキ・ファミリア】でさえ、あの異常な数と特性を前に無事で済んだ保証はない。
この生還は、奇跡に等しかった。
「すまない!遅くなった!……って、何が起こった!?」
広場へ飛び込んできたのは、【ロキ・ファミリア】副団長リヴェリア・リヨス・アールヴだった。
長い翠髪をなびかせ、即座に戦闘へ移れる構えを取っていた彼女だったが、広場の惨状と、すでに敵影がないことを認めた瞬間、その表情を険しく変える。
戦闘が終わっている。
しかも、尋常ではない形で。
「うーんとね。新種の気持ち悪いモンスターがたくさん出てきて、私たちが引きつけて~、この子が全部倒しちゃった!」
ティオナが、あっけらかんと説明する。
「は?」
リヴェリアの眉がぴくりと跳ねる。
ティオナが指差した先。
そこには、力を使い果たし、アルテミスの膝を借りて横たわる白髪の少年がいた。
「あれはどう見ても、冒険者になって間もない少年じゃないか。その子が新種のモンスターを全部倒せるわけないだろう。お前たちでも攻めあぐねていたんだぞ」
呆れ半分、困惑半分の声音だった。
リヴェリアの目は正確だ。
並大抵のモンスターの群れなら、アイズ、ティオナ、ティオネの三人が揃って苦戦するはずがない。
にもかかわらず、今の彼女たちは誰もが傷だらけで、疲労を隠せていない。
それだけで相手の危険性は十分に分かる。
だからこそ、その戦場をあの少年がひっくり返したという話は、到底信じがたい。
まして、あの酒場での一件から、まだ二週間と経っていない少年が。
「あー……リヴェリア。そこにいるバカの言う通りよ」
「は?」
「うん、あの子のおかげで全部倒せた」
「は?………………本当か?」
「「「
三人の即答に、リヴェリアは完全に言葉を失った。
頭痛でも覚えたのか、こめかみに右手を当てる。
理解が追いつかない、という顔だった。
「で、あのすごい魔法何!?冒険者くん……って!?いない!?」
ティオナが辺りを見回して声を上げる。
「ほんと、いつの間にかいないわね」
ティオネが疲れた声で応じる。
「え?……本当だ。あのエルフの子……ウィリディスさんもいない」
アイズもまた、小さく目を見開いた。
どうやら彼らが会話している隙に、ベルたちはその場を離れたらしい。
「私たちが話している間にいなくなったんだろう。少し話を聞きたかったところだが……疲れているようだし仕方ない」
リヴェリアは短く息を吐く。
「とりあえず
白いマントを翻し、彼女は颯爽と歩き出した。
その背を追いながら、第一級冒険者たち三人は、胸の奥で同じことを思っていた。
また、あの子に会いたい。
傷だらけで、誰よりも弱い、それでも誰より真っ直ぐだった白髪の少年。
ベル・クラネルという名の冒険者の姿は、確かに彼女たちの記憶へ焼きついていた。
詠唱式
【悠久の空、恵みの大地、大いなる森、純潔の月、いかなる権能をも弾く聖なる領域、聖なる貞潔、あらゆる権能をも貫く至高の矢、至高の鏃───我が名はオリオン。天上の射手、月は弓、星は弦、誓いは矢、来たれ破邪の一撃】