【月光の神】ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか   作:クックダッセ

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なにより、一番辛いのは選択を迫られる瞬間である。

───

 

一人の少女は、幸せだった。

 

「お母さん!見てみて、さっき奥の森にあったお花で冠を作ってみたの!どう?似合う?」

 

弾む声とともに、エルフの少女がくるりと振り返る。

 

山吹色の髪をひとつにまとめたその姿は、幼さと愛らしさを残していた。

細い指先で大事そうに抱えているのは、色とりどりの小花を編んで作った花冠。

まだ少し歪ではあるが、それがかえって年相応の可愛らしさを引き立てている。

 

部屋の中は穏やかだった。

木造りの家には、磨き込まれた床の匂いと、煮炊きの名残の温かな香りが残っている。

窓から差し込む柔らかな陽光が、少女の髪と花々を優しく照らしていた。

 

「まあ、素敵。レフィーヤ、よく似合っているわ」

 

母は微笑みながら花冠を受け取る。

そして少しだけ角度を直し、「こうするともっと可愛いわよ」と言い、娘の頭へそっと載せ直した。

 

「うわっ!ねえねえ!お父さん、似合う?似合う?」

 

はしゃぐように振り返る少女へ、父は一人掛けの椅子に腰かけたまま、目を細めて頷いた。

 

「ああ、レフィーヤ。とても似合っているよ」

 

その一言だけで、少女の顔がぱっと咲いた。

嬉しさを抑えきれず、その場でくるくると回り始める。

花冠が揺れ、山吹色の髪がふわりと広がる。

笑い声が部屋に満ち、家そのものまで幸福に包まれているようだった。

 

レフィーヤ・ウィリディス。

故郷の村で十五年を過ごしたエルフの少女。

その日々は、決して怠惰なものではなかった。

村の者たちは神の恩恵(ファルナ)を授かってはいない。

 

だが、それゆえにこそ己を鍛え、術を磨き、外敵への備えを怠らなかった。

魔法も、弓も、知恵も、連携も。

この村の住人たちは、誰もが勤勉で、誰もが強かった。

並の冒険者顔負け───いや、人外の集団と呼んでも過言ではないほどに。

 

ゴブリンの群れが押し寄せようと。

何が現れようと。

村の皆はきっと撃退してしまう。

そんな頼もしい同胞たちに囲まれて、レフィーヤは育った。

 

そしていつか、自分も彼らと肩を並べて戦えるようになりたいと、幼い胸で何度も願っていた。

 

その時だった。

外から、同胞たちの声が響いてくる。

騒がしい。

何かを叫んでいる。

慌てた足音が土を蹴る気配さえ混じっている。

 

それは───火龍が攻めてきた、という知らせだった。

父と母の表情が変わる。

だがそれは恐怖に歪むものではなかった。

ただ迅速に、娘を守る者の顔になる。

 

「レフィーヤ、こっちへ」

「大丈夫、すぐ終わるわ」

 

二人はレフィーヤを導くようにして、机の下へ身を隠させた。

少女は不安に目を瞬かせるが、父と母の声音はひどく落ち着いている。

それがかえって、村の強さを物語っていた。

 

しばらくの沈黙の後───

 

「あれ? 村から歓声が上がってる?」

 

机の下で耳を澄ませていたレフィーヤが顔を上げる。

たしかに、さっきまでの緊張を裂くように、今度は外から歓声が響いていた。

 

怒号ではない。

悲鳴でもない。

勝利を告げる声だ。

 

「そうみたいだね。村のみんなが倒してしまったみたいだ」

 

父が穏やかに呟く。

母もそれを聞くと、何事もなかったように机の下からレフィーヤを出し、また洗い物へ戻っていった。

 

それが、この村の日常だった。

どんな怪物が来ても、乗り越えられる。

脅威はある。

だが絶望はない。

そんな村の中で、レフィーヤは確かに守られ、愛され、育っていた。

 

「うっ……!」

 

唐突に、少女の頭に亀裂が走るような痛みが突き刺さった。

あまりの激痛に、レフィーヤはその場に膝をつく。

花冠が傾き、指先からこぼれ落ちそうになる。

だが、父も母も、それに気づかない。

いや───気づいていないのではない。

まるで、見えていないかのようだった。

 

何かがレフィーヤに叫んでいた。

痛みはさらに強くなる。

こめかみの奥を何かでこじ開けられるような痛み。

 

それはただ苦しいだけではなかった。

何かを訴えている。

何かに気づかせようとしている。

レフィーヤは歯を食いしばり、ふらつきながら立ち上がる。

外の空気を吸えば少しは楽になるかもしれない。

そう思って、よろめく足で扉へ向かう。

 

だが、その途中で足が止まった。

もし、あの扉を開けてしまったら。

もう二度と、お父さんとお母さんに会えなくなる気がした。

 

理由なんて分からない。

ただ胸の奥で、どうしようもなく嫌な予感が膨らんでいく。

だから少女は躊躇した。

扉へ向けた手を、ほんのわずかに止めた。

 

その瞬間、頭痛がすっと消えた。

代わりに、今度は声がはっきりと届く。

 

『目を背けるな』

 

レフィーヤは息を呑む。

目を背ける?

何から?

何も失っていない。

ここには父がいて、母がいて、村があって、笑い声があって───これが現実だ。

 

そうだ。

何も後ろめたいことなんてない。

自分は何も見ないふりなどしていない。

少女はそう自分に言い聞かせるように、心の中で結論づけた。

そして扉へ向かうのをやめる。

 

ゆっくりと踵を返し、両親のもとへ歩き出す。

温かい家の中へ。

愛しい故郷の中へ。

痛みと違和感に蓋をするように。

 

******

 

一方、少年は英雄に憧れていた。

 

『まずは問おう!君にとって英雄とは?』

 

ベル・クラネルは、真っ黒な世界に立っていた。

上下も左右も、果てすら分からない暗黒。

 

だが奇妙なことに、平衡感覚は失われていない。

足は確かに地についていて、視界もまた機能している。

 

目の前には一人の青年が立っていた。

ベルより少し背の高い、若い男。

だが、その顔だけが認識できない。

輪郭はあるのに、そこだけぽっかりと黒く塗り潰されたように曖昧で、表情も目も鼻も口も分からない。

 

距離にして、およそ十M(メトル)

黒一色の世界の中で、青年だけがそこにいた。

 

「僕にとって英雄とは、誰もを救うことができる英雄です。悪を倒し、みんなを笑顔にする……そんな英雄に、僕はなりたい」

 

ベルはその場に立ったまま、迷わず答える。

それは飾った言葉ではなかった。

幼いころから胸に抱き続けてきた、まっすぐな憧れそのものだ。

誰かを守って、悪を打ち倒して、みんなを笑顔にする。

そんな存在こそが英雄なのだと、少年はずっと信じてきた。

 

『まあ、そうだろうな。そうだろう!』

 

青年はからからと笑う。

その笑い声には侮蔑も悪意もない。

むしろ、知っていたとでも言いたげな面白さが滲んでいた。

 

『それが英雄の理想像!誰もを救うことができて、善き民を助け、悪を挫く!それこそが英雄の理想像!そういうことなんだろう?』

「はい。僕が思う英雄です」

 

ベルは頷いた。

だが、青年はなお笑う。

まるで、その答えを最初から用意していたかのように。

 

『だがな、ベル。その悪が救いを求めていても、君は同じことを言えるのか?』

「……どういう、ことですか?」

 

ベルの声がわずかに揺れる。

問いの意味が、すぐには掴めなかった。

いや、掴みたくなかったのかもしれない。

 

『分かりやすく言おう。英雄は悪を挫く。それは絶対だ』

 

青年の声は軽かった。

 

『しかし君は、英雄は皆を笑顔にすると言った。そこで矛盾が生じる』

 

黒い世界の中、青年の姿だけが不気味に鮮明だった。

 

『英雄は悪を笑顔にしていない。救えていない』

 

ベルは息を呑む。

 

それは、否定しづらい言葉だった。

悪い者は倒される。

罰せられる。

切り捨てられる。

英雄譚の中でも、それは当たり前のこととして描かれていた。

 

けれど、自分はさっき“誰もを救う”と言った。

みんなを笑顔にする、とも言った。

ならば、悪は?

悪は救わなくていいのか。

悪い者は笑顔にならなくていいのか。

それとも、自分の言う“みんな”の中に、最初から悪は入っていなかったのか。

 

ベルは必死に言い返そうと口を開く。

何か言わなきゃいけない。

自分の憧れは、そんな簡単に崩れていいものじゃない。

だが───青年の声が、それを許さなかった。

 

『……言いたいことはわかる。悪人は悪いことをしているのなら、当然切り捨てられてもいい───そう考えるのも自然だろう。では、違う問いを投げよう』

 

黒い世界の中で、青年は愉快そうに肩をすくめた。

その声音は軽い。

 

だが、相手の腹の内を探り、理想の奥底を暴こうとするように、容赦がない。

ベルはそんな風に感じた。

英雄とは何か。

その答えを、青年は決して表面だけで許そうとはしなかった。

 

やがて彼が、乾いた音を立てて指を鳴らす。

瞬間、世界が変わった。

いや、正確には“移動した”のではない。

黒一色だった空間の上に、別の景色がそのまま映し出されたのだ。

朽ちかけた柱。

崩れた石壁。

ひび割れた床。

風もないのに砂塵だけが舞う、古びた遺跡のような場所。

それはあまりに生々しく、現実と見分けがつかないほど精巧だった。

 

『ここには君がいる。そして後ろには、君の大切な人たちがいる』

 

青年の声が、どこか楽しむように響く。

 

『目の前には、君たちを殺そうとする悪人がいる。ベル───君は、大切な人を守るために人を殺せるか?』

 

ベルが息を呑む。

その背後には、傷だらけで座り込んでいるアルテミスとレフィーヤの姿があった。

息は荒く、衣服は裂け、二人とも明らかに満身創痍だった。

そして正面には、今にも斬りかからんと殺意を漲らせた男が立っている。

顔つきは凶悪そのものだった。

 

濁った目に理性は薄く、握った片手剣には迷いがない。

あれは本気で殺す目だ。

ベルだけではない。

ベルの後ろにいる二人もろとも、確実に。

 

「ッッッ!?」

 

男が地を蹴る。

速い。

だが、絶望するほどではない。

 

ベルは反射的に背中の『アルテミスの剣』を引き抜き、男の片手剣を受け止めた。

金属同士が噛み合い、火花が散る。

甲高い衝突音が遺跡の空間へ鋭く響いた。

 

鍔迫り合い。

ベルの腕に重みがのしかかる。

だが、この程度なら押し返せる。

相手は強者ではない。

少なくとも、今のベルなら対処できる相手だった。

 

(この相手は……僕でも倒せる! けど……僕に、人を斬れるのか……?)

 

その迷いは、あまりにも一瞬だった。

だが、生死を分けるには十分すぎるほど致命的だった。

 

『さあ、ベル。君は何を選択する?』

「くッ……!?」

 

ほんの刹那、ベルの力が鈍る。

男はその隙を逃さなかった。

剣を捻り、ベルの体勢を崩し、そのまま乱暴に弾き飛ばす。

少年の身体が右へと吹き飛び、石床を滑った。

 

「くっ……!」

痛みに顔をしかめるベルを、男は一瞥すらしなかった。

その殺意は最初から一貫している。

狙いはベルではない。

アルテミスとレフィーヤだ。

 

「っ……!?神様!!レフィーヤ!!」

 

ベルが叫ぶ。

だが、間に合わない。

振り下ろされた刃が、二人の首を容赦なく薙いだ。

鮮血が舞う。

首が飛ぶ。

ベルの視界が、赤に染まる。

 

それは幻だと頭では分からない。

分かるはずがない。

呼吸の乱れも、血の匂いも、肉を断つ音さえ、あまりに生々しく作り込まれていた。

ベルはその場に膝を落とす。

 

両手が地面についた。

指先が震える。

喉が引き攣る。

視界の前で、最も失いたくない二人が、無残に命を奪われた。

 

『君は愚かだな、ベル・クラネル』

 

青年の声だけが、やけに静かだった。

 

『今のが夢でよかったと、そう思っているだろう?まあ、これは夢なんだが』

 

四つん這いになったまま、ベルの肩がぴくりと震える。

 

『だが、君は私に言ったはずだ。英雄になりたい、と』

 

その一言が、深く突き刺さる。

英雄。

その言葉が、今は責めるように響いた。

誰かを守りたいと願いながら、斬るべき時に迷った。

人を殺せるのかと躊躇った、その一瞬で、大切な人を失った。

 

それが現実だったなら。

もし本当に、あの一瞬で全てが終わっていたなら。

 

少年の身体が、ゆっくりと動く。

打ちのめされながらも、ただ倒れたままではいられないように。

青年はそれを見て、満足げに笑った。

そしてもう一度、指を鳴らす。

 

『今から私は三つの試練を課す。それを乗り越えられなければ、永遠に何もない夢の中を彷徨ってもらう。二度目はないぞ、ベル』

 

緊張で、ベルの心臓が激しく脈打つ。

どくん、どくん、と。

胸の奥で悲鳴を上げるように鳴り続ける。

だが、それでも。

少年は顔を上げようとしていた。

 

******

 

少女はなおも幸福の中にいた。

 

両親が焼いてくれたホットパイは、湯気と一緒に甘く香ばしい匂いを立てていた。

焼き色のついた生地はさくりと軽く、中の熱い具材は舌を唸らせた。

 

母が口元についた欠片を拭ってくれ、父はそれを見て穏やかに笑う。

どこまでも、優しい時間だった。

 

幸せなはずだった。

なのに、レフィーヤの胸の奥には、薄い靄のような違和感が残り続けている。

 

何かがおかしい。

何かが決定的に欠けている。

けれど、その違和感を認めてしまえば、この世界が壊れてしまう気がした。

 

目の前にいる両親が消えるかもしれない。

この温もりが、幸福が、帰る場所が、全部なくなってしまうかもしれない。

だから認められない。

認めたくない。

 

「ああ、幸せだなぁ……」

 

レフィーヤはぽつりと呟く。

それは確かめるような声だった。

自分自身に言い聞かせるような、か細い声だった。

そして少女は、壊れてほしくない優しい世界の中へ、さらに深く身を沈めていく。

 

******

 

『まず一つ目だ、ベル。心して答えろ』

 

黒い人影が、淡々と告げた。

ベルは唾を飲み込む。

目の前の存在が何者なのかは分からない。

だが、その試練が自分を容赦なく抉ってくることだけは、もう十分に思い知っていた。

 

『もし、もしもだ。喋れる怪物(モンスター)がいたとしよう』

 

その言葉に、ベルの眉が動く。

 

『その怪物は人の心を持ち、人間となんら変わらない。違うのは、人か怪物か、それだけだ。その怪物がベル、君に助けを求めたら、君はどうする?』

 

数秒、ベルは理解するのに時間を要した。

怪物が、人の心を持っている。

喋る。

人と変わらない。

そんなこと、あるはずがない。

 

怪物とは、人に災いをもたらすものだ。

人を襲い、喰らい、恐怖させるもの。

共に在るなど、考えたこともない。

普通なら、そう一蹴して終わる問いだった。

 

だがベル・クラネルは、そうではなかった。

驚きはあった。

だが、それだけだ。

その数秒の後、少年は迷いなく口を開く。

 

「僕は助けます」

『……怪物だぞ?人ではない。怪物は人を傷つけ、災いをもたらす。それでもベルは助けると言うのか?』

「助けます!!」

 

即答だった。

義母(かあ)さんが聞いたら、『何ふざけたことを言っている』と拳骨付きで説教されそうだと思いもしたが。

 

だが、ベルは拳を握り締め、真正面から人影を見据える。

その瞳に迷いはなかった。

 

『……』

「僕たち人だって、怪物(モンスター)を殺すための武器を持っている!怪物だけじゃない!人だって、人を傷つけることがある!」

 

叫ぶ声に熱がこもる。

 

「人だろうと怪物だろうと関係ない!!助けを求めてる!それだけで十分だ!!」

 

その答えは、理屈ではなかった。

ベルという少年の、根っこにあるものそのものだった。

打算ではない。

 

ただ、正直だった。

助けたいから助ける。

 

それが正しいのか、正しくないのかはわからない。

けど、もしそんなことがあるのだとしたら、ベルは助けることを選ぶだろう。

 

『……一つ目の問い、聞かせてもらった。では次だ、先程の戦いを、もう一度見せてもらおう』

 

ぱちん、と指が鳴る。

再び、遺跡の光景が映し出される。

 

ベルの背後には、傷だらけで座り込むアルテミスとレフィーヤ。

正面には、片手剣を握り、濁った殺意を剥き出しにした男。

 

だが先ほどと違うのは、その殺気の向きだった。

今度は最初から明確に、ベルではなく、彼の大切な家族(ファミリア)へ向いている。

 

『精霊の力というのは便利でな。神アルテミスやレフィーヤの姿形そっくりの幻想を作れる上に───その幻想が殺されれば、現実も死ぬ(・・)仕様にできる』

「ッッ!?」

 

言葉が終わるより早く、男が地を蹴る。

だが、その瞬間にはもうベルも動いていた。

黒幻を抜く。

 

深く踏み込む。

考えるより先に身体が反応した。

あの青年が本当にそんな力を持つのか、疑わしいところはある。

けれど、万が一があるなら、それだけで十分だった。

守らなきゃいけない。

その一点だけで、ベルの足は迷わず前へ出る。

 

『さあ、見せてくれ、ベル』

 

人影の声が静かに落ちる。

 

『お前が見せる結末を』

 

******

 

永遠にこの空間にいたかった。

痛い思いをしない。

心が裂けることもない。

両親がいて、家があって、村があって、幸せだけが続いていく。

 

記憶でさえ、“自分は幸せな人生を送ってきた”と囁きかけてくる。

けれど、心が違うと叫んでいた。

 

本当のお前は何を知ったのか。

何を失ったのか。

何を学んできたのか。

たくさん涙を流した。

身体も心もボロボロになった。

何度も折れそうになった。

 

それでも、光があった。

親を亡くしてから、居場所ができた。

 

少し抜けているところもあるけれど、心から尊敬できる女神。

そして───まだ弱々しく、それでも、いつか自分すら呑み込んでしまいそうなほど眩しい光を放つ少年。

 

『あなたは誰?』

『私は?』

『そう。あなたは誰?』

『……レフィーヤ・ウィリディス』

『それだけ?』

『……違う』

 

沈黙ののち、少女は顔を上げる。

 

『私は!! レフィーヤ・ウィリディス!! 一度は故郷を燃やされ、両親も殺され!! 帰るところをなくした!!けど、私には帰る場所がある!!』

 

その叫びとともに、世界にひびが入る。

 

『私は!!冒険者、レフィーヤ・ウィリディス!!』

 

ぱきり、と。

幸せの空間を形作っていた家が、硝子のようにひび割れた。

村のざわめきが遠のく。

 

ぱきり、と。

手元のホットパイが、光の粒となって崩れていく。

 

ぱきり、と。

家が。

壁が。

床が。

温もりが。

幸福そのものが、音を立てて砕け散る。

 

気づけばレフィーヤは、何もない黒い空間に立っていた。

少女はゆっくりと振り返る。

そこには両親がいた。

微笑んでいた。

嬉しそうに。

誇らしそうに。

そしてどこか、悲しそうだった。

 

たくさん話したいことがあった。

今、自分が何をしているのか。

どんな人に出会ったのか。

昨日何をしたのか。

明日何をするのか。

 

本当は、いくら時間があっても足りなかった。

けれど、分かっている。

目の前にいる二人は、たとえどれだけ本物みたいでも、もうここにいてはいけない存在だ。

だからせめて、あの時言えなかった言葉を。

 

「……行ってきます」

 

震える唇を噛みしめ、胸の前で両手をぎゅっと組んで、レフィーヤは涙声で告げた。

 

『いってらっしゃい!』

 

返ってきたのは、満面の笑みだった。

初めて、両親の声をちゃんと聞けた気がした。

その姿が、硝子のように静かに消えていく。

 

「あぁぁぁあぁぁぁぁッ!!」

 

堪えきれなくなった涙が溢れた。

レフィーヤはその場に膝をつく。

嗚咽が漏れる。

胸が苦しい。

あれが偽物だったとしても、きっとあの言葉だけは本物だった。

 

ありがとう。

最後にそう心の中で呟いて、少女は涙を拭い、立ち上がる。

その前に、人影が現れた。

精霊ロナだった。

 

「いい趣味ですね……こんな夢を見せるなんて」

 

レフィーヤは苛立ちを隠さず言い放つ。

シルフは悪びれもせず、ふふん、と胸を張った。

 

「仕方ないと割り切りなさい。これが試練だもの!」

 

その態度に、レフィーヤの眉がぴくりと引きつる。

だがロナは、そんな彼女を見て少しだけ優しい顔になる。

 

「怒る気持ちもわかるわ。けど、さっき会ったあなたより、今のあなたの方がずっといい顔をしているわよ」

「……体のいいこと、言わないでください」

 

ぶっきらぼうに返しながらも、レフィーヤは完全には否定できなかった。

失ったものを認めた。

それでも進むと決めた。

 

けれど、だからこそ今の自分は本物だと、肯定することができた。

 

「それで、試練に打ち勝ったあなたには、私の力を得る権利があるわ」

 

精霊の力。

それは古の時代、最強とまで謳われた神秘。

今、神の恩恵を受ける自分に、それがどう作用するのか。

レフィーヤには想像もつかなかった。

 

「私はあなたの中に残り続ける。誇っていいわ。あなた自身の力で試練を乗り越え、精霊の力を得た。その力は借り物なんかじゃない。あなた自身の力なのだから」

 

そう告げると、ロナの姿が揺らぐ。

人の形はほどけ、やがて黄金色の人魂のような光へと変わった。

その光が、まっすぐレフィーヤの胸へ吸い込まれていく。

 

瞬間、少女は理解した。

これは、人の理を越えた力だ。

頭で理解するより早く、本能が悟る。

神の恩恵に刻まれずとも、確かに自分の中で息づく新たな神秘がある。

 

試したい。

使ってみたい。

だが今は、それより先にやるべきことがあった。

 

「行かないと……ベルのところに……」

 

新たな力を得たレフィーヤは、残る涙を拭い、前を向く。

その足取りに、もう迷いはなかった。

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