機動戦士ガンダム外伝 - Zeitalter des Schrof - 作:びわ之樹
現在、周辺宙域に他の連邦艦隊ならびに友軍は確認できず。MS中隊はただちに出撃し、敵艦隊を捕捉、殲滅せよ》
「揃ったな。時間が惜しい、立ったままブリーフィングに入るぞ」
ノーマルスーツを身に纏った少女――アネット・クレージュが格納庫へ現れたのを確かめ、ファブリス少佐は短く切るようにそう紡ぐ。
鼻には鉄と油、塗料の匂い。耳には出撃準備を告げる放送と整備兵たちの喧騒。そして肌には、暖気を始めるMSの熱。静寂の自室から一転、五感を圧するような刺激の渦に囲われて、アネットは一瞬、眩暈のような錯覚を覚えた。昨日のリヒャド曹長による唐突なトレーニングに巻き込まれたおかげか、ぐっすり寝て休まった分、体と精神はいくらか緩んでしまったのかもしれない。
頭を振るって意識を覚まし、アネットは改めて周囲を見渡す。
ファブリス少佐の『ザクⅠQ型』の足元に集う人影は、アネットを含め全部で7名。着任したばかりの学徒兵の3人はあまり寝付けなかったらしく、特にランドルフ伍長などは目の下に黒々と隈を作ってしまっている。サイド3標準時間に合わせれば昼前という辺りなのだが、ルッツとアルマの二人もどこか疲労感を漂わせているように見て取れた。
片や、軍人であるファブリス少佐を中心とした3人は疲労の影すら見えず、溌溂とした空気すら感じられる。
少佐の右に立つのは、着任早々に学徒兵たちを恐怖と疲労のどん底に叩き落したリヒャド曹長。少佐の左に立つ男性は昨日の紹介では見なかったが、おそらくは出撃で不在にしていた少佐の部下なのだろう。茶髪で凛とした風情の男性で、中尉の襟章が首元に刺繍されているのが認められる。
「今しがた、宙域監視中のカシムから通信が入った。連邦の輸送艦隊が暗礁宙域を航行中、じきにこちらのテリトリーに入るらしい。進路から判断するに、おそらくはルナツーを発してサイド4跡の拠点に向かっているんだろう。…久々の獲物だ。我が隊はただちに出撃し、これを叩く」
「敵艦隊には護衛機を搭載したサラミス級巡洋艦1隻が付随しているとみられる。脅威というほどではないけど、接敵の際は十分に注意してほしい」
戦況を説明するファブリス少佐の言葉を接ぎ、注意点を口にするのは左側に立つ中尉の襟章を付けた男性。年のころはファブリス少佐とほぼ同じ20代半ばから後半と見受けられるが、声音や言葉遣いはどこか柔らかく、頼れるお兄さん、とでもいうべき雰囲気を漂わせている。
『質問は?』と続く言葉に、沈黙しばし。数秒の後、おずおずと口を開いたのは学徒兵の一人であるルッツ兵長だった。
「あの…具体的に俺たちは何をすれば?」
「護衛艦は俺たちが始末する。お前たちは、今日のところは戦場の空気と
「なぁに、そうなったらなったで俺が機体ごとぶん殴って連れて帰ってやる。安心していいぞ、ルッツ」
「お、お手柔らかに…」
引きつりながらも笑顔を見せるルッツ兵長、その傍らでふん、と鼻息を吐くランドルフ伍長。昨日の顔合わせの時点でも何となく察しはついたが、ランドルフはリヒャド曹長を初対面の印象から嫌うようになったらしい。逆にルッツはリヒャド曹長と馬が合うのか、さして悪い気を持っていないように感じられた。
当のアネットはといえば、まだ知り合ってから1日ということもあってその辺りの判断は微妙な所にあった。唯一分かっていることは、昨日の抜き打ち体力テストで足回りがひどく筋肉痛に苛まれている辛さくらいである。この点、判断に困っているのは隣で苦笑いを浮かべているアルマ兵長も同様のようだった。
「あ、悪いがリヒャド、今日はお前は留守番だ」
「はぁ!?何でだよ大将!俺はこいつらの世話が…」
「艦隊の防空があるだろうが。カシムは敵艦隊に張り付けてあるし、今からランディの奴を呼び戻すのも面倒だ。お前とダミアンは留守居、俺が先導して戦場に向かう。いいな」
「了解しました、少佐」
「ちっ、久々の大物食いだと思ったのによ」
「万一に備えて、『アルマ=アタ』を中継艦として前進させるよう要請してある。何かあったら『アルマ=アタ』を介して連絡しろ。他には無いな?」
腕を組み不満を露わにするリヒャド曹長と裏腹に、ダミアンと呼ばれた中尉は頷いて肯定の意思を示す。ファブリス少佐の発言にあったランディ、というのは、これまでまだ顔を合わせていない最後の一人なのだろう。
余談ながら、『アルマ=アタ』とは艦隊を編成するうちの1隻の名である。第61遊撃艦隊はチベ級重巡洋艦『クロンシュタット』を旗艦とし、ムサイ級軽巡洋艦の簡易生産型に当たる『カルメル』、ガガウル級駆逐艦『アルマ=アタ』、『ブルヌイⅡ』および『エレバン』の計5隻からなる艦隊であった。本来は『クロンシュタット』以外の艦にもMS運用能力があるものの、機体数の関係上『カルメル』はゴブル戦闘攻撃機の搭載に留まっており、3隻のガガウル級はいずれもMSを搭載しない純粋な駆逐艦としての運用がなされているという。
念を押して質問を確認する少佐に、今度は応ずる声はなし。沈黙を了承と見て取った少佐は、そこで一際声を張り上げた。
「よし。んじゃ出撃前にいつものやるぞ。――ファブリス隊戦陣訓!」
「へ?」
「いいから、お前らもとりあえず声張り上げろ。内容は後で教えてやる」
格納庫によく通る声に、整備課に配属された学徒兵たちが何事かと振り向く。当のアネット達にも意味を解せぬ中、こそりと声を潜めて告げたのはリヒャド曹長だった。きょとん、とする若人4人を前にして、ファブリス、ダミアン、リヒャドの3人は両手を腰の後ろに回し、喉の限りに声を張り上げる。
「ひとぉつ!弁当忘れても盾忘れるな!」
「ひとつ!敵の物は俺の物!とにかく何かを拾って帰れ!」
「ひとーつ!ケツまくる時は全速力!推進剤は命の綱!」
格納庫の広い空間に広がる反響、そしてそれが収まった後の耳が痛いほどの静寂と、一斉に向かってくる視線。
…正直、とても恥ずかしい。アネットは恥ずかしさのあまり、頬どころか耳の先まで赤くなっていくのを禁じえなかった。ちらりと横目を向ければ、アルマも同じ顔をしている。ランドルフに至っては、もはやそちらを見るのも気の毒だった。
「うし、行くか。各員搭乗!留守頼むぞダミアン」
声の限りの唱和で満足したのか、ファブリス少佐は言葉を残し、一足先に地を蹴って乗機のコクピットへと向かっていく。
残されたのは、きょとんとした様子の4人の若人。呆気に取られたというには、一連の流れは4人にとってあまりにも強烈らしい。数秒の後、は、と我に戻ったのはアルマだった。
「と、とにかく!これが私たちの初陣。…生きて還ろうね、みんな!」
「当たり前だ。いろんな意味で訳分からないまま死んでたまるか」
「…僕はもうサイド3に帰りたいんだがなぁ…」
「ま、まあまあ。…ね、アネットも。頑張ろうね」
「…うん、アルマ兵長」
「アルでいいってば。じゃ、行こ!」
促されるようにアルマに手を握られ、アネットの目が正面からアルマと合う。
――こくり。同い年の、それもニュータイプでも何でもないアルマに元気を貰った気持ちで、アネットは頷きながらアルマに応えた。
それぞれが地を蹴り、自らに宛がわれた乗機へ向かってゆく。アネットもまた整備員の誘導に従い、体格と比べて大きな『リックドム』のコクピットへ収まった。
フラナガン機関から支給された大型のヘルメットを着用し、ノーマルスーツとの接合を確かめる。正面メインハッチが閉まるとともに光が断たれ、一瞬後には正面メインディスプレイに、サイドモニターに、上部通信ウィンドウにと次々と光が灯りはじめた。
制御系、関節系オールグリーン。センサー各部異常なし。
駆動系に注意メッセージ有り。右腕、左腕兵装の重量大。モーメント、通常時の109から112%程度まで増加の予測。表示される警告を頭に叩き込みながら、アネットは慣れた手つきで制御システムを確認してゆく。
『リックドム』のモノアイに光が灯り、縦、横と可動を確かめる。右腕には試製ビームバズーカ、左腕にはコロニーの残骸を利用した大型の盾、そして腰裏には小型のMMP-80マシンガン。ペイロードの限りに兵装を載せた『リックドム』の姿は、元来のマッシブなシルエットと相まって、『ザクⅡ』とは一線を画した威圧感と重量感を醸し出している。
モニターの端に映るは、回転する赤ランプ。どうやら発艦準備が整ったらしく、格納庫からは空気が抜かれ、カタパルト正面に当たるゲートが開かれてゆく。整備兵はめいめいに退去を始め、代わって発進要員がカタパルト周辺へと集ってゆくのも見て取れた。
隊長機たるファブリス少佐の『ザクⅠQ型』はゆっくりと歩き出し、カタパルトへと脚部を載せる。件の大型盾の他、装備は右腕のMMP-78『ザクマシンガン』と、腰裏の予備弾倉が認められるのみだった。
《『ヴィーゼル1』、ファブリス・ナヴァール、出るぞ!》
カタパルトに弾かれるように、『ザクⅠ』が虚空へ向け飛び立ってゆく。
誘導員のハンドサインに従い、アネットもまた操縦桿を握って、指定されたカタパルトの位置へ向けて足を踏み出してゆく。フラナガン機関での訓練でよく用いていた『ザクⅡF型』と異なり、その自重ゆえか操作のレスポンスは幾分遅い。
カタパルト、セット。正面横のランプがカウントを告げ、初陣の時を刻一刻と近づけてゆく。
殺すために、戦う。死ぬために、戦う。これはその第一歩目。
カウントがゼロを指すと同時に、アネットは脚を踏ん張り、通信へ向けて声を張り上げた。
「アネット・クレージュ、行きます!」
カタパルトの加速とともにGが体を襲い、身体がシートに押し付けられる。
く、と息を吐き出すとともに、踏み込むはフットペダル。背部スラスターに火を灯し、アネットの『リックドム』は速度を上げて、母艦たるチベ級重巡洋艦『クロンシュタット』から飛び立っていった。
******
鮮緑の光が、石の海を掻き分け飛んでゆく。
予測会敵地点まで航行を開始して10分あまり。重なるGと慣れない機体の制御に手間取りながら、アネットは必死に操縦桿を握り、先行するファブリス少佐の『ザクⅠ』へ向け『リックドム』を追随させた。
しかし、速い。出力も推力も『リックドム』は圧倒的に『ザクⅠ』に勝る筈だが、それでも岩塊を縫い飛ぶファブリス機に追いつくことは叶わない。大重量の腕を振るい、その反作用で以て推進剤を節約しつつ針路を変える機動――AMBACを駆使してなお、その差は開くばかりだった。フラナガン機関における能力開発プログラムの一環でデブリ帯での航行機動は嫌というほど習熟した筈だったが、それすらも容易に上回る少佐の機動にアネットは舌を巻く思いだった。
ぐんぐんと引き離してゆく『ザクⅠ』を横目に、アネットはちらりと側面に表示された後方監視モニターへと目を向ける。
こちらよりさらに離れた後方には、若緑と濃緑のツートンで彩られた3つの機影。めいめいに盾やマシンガン、バズーカを携えたそれらは、言うまでも無くアルマら学徒兵の駆るMS-06F2『ザクⅡF2型』の姿であった。針路上にデブリを捉えるたびに大きく迂回するその機動は、明らかにAMBACを駆使しきれていない様が見て取れる。あの様子では時間のロスが生じることはもちろん、推進剤の消費も無視できないものとなるに違いなかった。
《ま、待って下さい少佐…待って、アネットー!》
《このスピードでデブリに衝突したら一たまりも無いぞ!なぁ落とそう、速度落とそう!》
《黙ってくれ兵長!操縦に集中してるんだ!…くそ、くそっ…!何でこんなことに…!》
通信回線を介して伝わるのは、三者三様の狼狽の声。周囲に声をかける余裕のあるルッツはいざ知らず、ランドルフとアルマは声音にもほとんど余裕がないように感じられる。
前方、ファブリス少佐とは離れる一方。かといって、後方の3人を置いていく訳にはいかない。何より、助けを求めるアルマの声を捨て置ける筈もない。
よし。
そう胸の内に呟き、アネットはフットペダルを緩めて、束の間『リックドム』の推力を絞った。3機が後方へ近づく頃合いを見計らい広げた両腕を振るって、進行方向そのままに機体の正面を3人へ向ける。言うなれば3機の『ザクⅡ』に対し、背泳ぎのような姿勢で相対した格好だった。
「みなさん、スラスターだけで針路調整をしていては、すぐ推進剤切れになります。微調整したい場合は、その方向の逆側の腕を振ってみてください。反作用で機体が回転するはずです」
《…そうだ、確か実習でやったよな。…こうか!?》
は、と息を呑み、ルッツが通信とともに機体の右腕を振るう。正面から迫る小型のデブリを避けるようにルッツの『ザクⅡ』は針路をそのままに一回転して、その衝突を避けてみせた。重力下で戦闘機が行う戦闘機動の一つ、バレルロールにも似た機動と思えば連想しやすいであろうか。実戦初にしては鮮やかなその機動に、ランドルフやアルマも驚いた様子で声を上げた。
《ルッツ凄い!うまいじゃない!》
《くそ、確かに習ったけど…僕は元々機動演習は苦手だったんだ!この速度帯じゃ到底…!》
「大丈夫、相当高速のデブリでなければ、機体がある程度判別して補正してくれます。あとはゆっくり慣れて行けば大丈夫ですよ。それより…。…!」
警報。
心をざわめかせる電子音に、アネットは咄嗟に左右の操縦桿を引いて、機体を正方向へと向け直した。
正面、進路上に大型デブリ。衝突まで6秒。スラスターでの旋回や急制動では、慣性を得た『リックドム』の重量を押しとどめることは叶わない。
アネットは意を決して左足のフットペダルを力の限り踏み込み、同時に左の操縦桿を奥へと押した。
盾を携えた『リックドム』の左腕が大きく振られる。
同時に背部スラスター、左側の推力増加。
瞬間、『リックドム』の巨体は進行方向に対して右側へ大きく回転し、デブリの正面を避けてするりと脇を抜けていく。常より重い重量物を抱えたせいか予想より大きくなった旋回半径に、アネットは肚の底にひやりとした感触を覚えた。
「あ、危なかった…」
《おう、着いたか。遠足の行き路も楽しいもんだろ?ここからは速度を落とす。はぐれるなよ》
過ぎ行く残骸を見送った所で、被せられた通信にアネットは再び正面を向く。いつの間に距離が狭まっていたのか、はたまた先のデブリで位置が掴めていなかったのか、そこにはデブリの上に立つ若草色の『ザクⅠQ型』の姿があった。大型の盾こそ携えているもの、その表面には大型のデブリが衝突した跡一つ無い。つまり、AMBACを駆使した機動だけでデブリを避け、かつ『リックドム』をも引き離す速度で飛んでいたという事になる。その技能の高さに、アネットは改めて驚きを隠せなかった。
へとへとになった後続の3機も到着し、ひと塊となった5機はゆっくりとデブリの中を泳いでゆく。心なしかデブリの密度はさらに濃くなり、センサーもしばしばノイズを奔らせる。おそらく旧サイド2の中心近くに到達したのだろう、漂うデブリには細かいものも増え始め、避けきれない極小の破片が機体のそこここを引っかく音が響いた。
《『ルーペ1』、状況はどうなってる》
《少佐殿、お待ちしていました。こちらです》
通信にカシム少尉の声が聞こえるや、不意に正面に輝いていた星の一つが輝きを増す。
正面、かつてコロニーの反射板だったと思しき構造体の影。よくよく目を凝らせば、オレンジ色に光るそれは星ではなく、MSのモノアイであることが見て取れる。頭部に大型のモノアイを頂いたその機体は頭部と胴体に濃灰色、四肢に黒を配した暗色塗装が施してあり、影に溶け込んで殆ど判別できない。おそらくは、あれがカシム少尉の乗機なのだろう。
全体のシルエットこそ一般的なMS-06F『ザクⅡ』と共通でありながら、独特の印象を与える両肩と股間部に増設されたカメラユニット。大型化した背部ランドセルや胸部に増設されたスラスター、縦方向へのモノアイスリットが追加された頭部など、機体各部の細かな意匠は従来のF型と大きく一線を画している。右肩には『虫眼鏡を持ったイタチ』のエンブレムが描かれており、そこここに偵察機らしい造形が加わっていた。
MS-06E『ザクⅡ強行偵察型』。初期型の『ザクⅡ』をベースとした、センサー精度や機動力を強化した前線偵察機。その機体の存在こそ知っていたものの、アネットは実物を見るのは始めてだった。
《丁度眼下を敵艦隊が通過する所です。編成は先行情報の通り、サラミス級1、コロンブス級3。サラミス級は艦首に『ボール』を搭載しており、常時2機が艦隊の直掩を行っています》
《なるほどな。…よし、俺が先行して護衛艦を潰す。サラミスの無力化を確認したら、新米どもを突っ込ませろ。お前はフォロー程度でいい》
《了解しました、後詰はお任せ下さい。ご武運を》
《おう》
短い応酬で決断を下すや、ファブリス少佐のMS-05Qは足下のスラスターを吹かして上下反転となり、背部に焔を灯してデブリの海へと飛んでいく。岩塊を蹴り、左腕を振って方向転換、質量の重いデブリを狙ってさらに蹴り進む。かのシャア・アズナブル少佐が考案したという加速推進法そのままに、鮮緑の稲妻は岩礁の中へと消えて行った。
カシム少尉の情報通り、眼下には単縦陣を構成して航行する4隻の艦影。箱型の白い艦影を有する連邦の輸送艦『コロンブス級』の上の辺りには、確かに小さな球状の物体がぽつんと浮いているのが見て取れる。位置と形状から察するに、サラミスの甲板に係留される艦載機、RB-79『ボール』と見て間違いなかった。MSと比べれば小回りや近接戦能力は比べるまでも無いが、搭載する180㎜のキャノン砲が直撃すれば『ザクⅡ』クラスは一たまりも無い。今の位置から仕掛ければサラミス級の対空砲火の射界にも入る以上、数で勝るとはいえ油断はできない状況だった。
《あれが、敵…》
《…手、震えてきた…。アネットは怖くないの?》
「……よく分からない。シミュレーターで、似た状況の訓練は何回もやってきたけど…」
《大丈夫です、先行した少佐殿がサラミスを無力化しますから、みなさんは『ボール』に気を付けつつコロンブス級を攻撃して下さい。…アルマ兵長、息を深く吸って、二秒止めてから長く吐き出して。大丈夫、今回は戦場の空気を感じるだけです。大した脅威はありません》
噛んで含むようなカシム少尉の言葉に、アルマは律儀に従って息を大きく吸い込んで見せる。しばし止めて、膨らんだ頬からゆっくりと吐き出して。通信に丸々聞こえる吐息と通信用モニターに映る様子がどこかおかしく、ルッツもランドルフも思わずモニターの中で苦笑いを浮かべていた。
『カシム少尉は襟に海兵隊を示すバッジが…』。
アネットの脳裏に、不意にマルファの言葉が蘇る。
昨日マルファが語っていた通り、このMS中隊は一般の部隊とは異なった、極めて雑多な部隊といえる。突撃機動軍の遊撃艦隊にいかなる経緯で海兵隊のカシム少尉が加わっているのか定かではないが、これまで見て来たカシム少尉の雰囲気と海兵隊という立場は、アネットとしてはなんともアンバランスに感じられた。
ジオン、連邦を問わず、海兵隊のイメージというのは『腕っぷしの強い荒くれもの』というのが通例である。それを踏まえれば、むしろファブリス少佐やリヒャド曹長の方がいかにも海兵隊らしく、下手をすれば主計課や医療課の課員にすら見えかねないカシム少尉のイメージとは程遠いと言えるだろう。機密情報の入りやすいフラナガン機関では、開戦当初の毒ガス作戦に海兵隊が従事したという噂すら入っており、その部分からもイメージとはかけ離れている。
《各員、火器管制システムの確認を。じきに少佐殿が仕掛けます》
イメージのアンバランス、その渦中にある本人は何をか知らず。迫る火蓋の刻を前に、アネットは余計な思いを隅へと追いやって、眼下の戦況に意識を向けた。
艦隊から見て9時方向。デブリを抜けたファブリス少佐の『ザクⅠQ型』が、サラミスの真横から突撃を開始する。
光軸一閃、二閃。後部側面の主砲が最大仰角を取って砲火を穿ち、対空砲の槍衾がその間隙を埋めていく。前面に構えた盾で殺到する対空砲を弾きながら、なおもファブリス機は大きく旋回。9時方向から10時方向へと侵入角を変えるや、サラミス級の左舷斜め前方から真っすぐに吶喊を仕掛けた。この位置ならばメガ粒子砲の射界には入らず、対空砲も左舷前方と艦橋横の2門だけが辛うじてファブリス機を捉えるのみとなる。それすらも俯角の制限によって、『ザクⅠ』へ致命打を与えることは叶わない。
敢えて砲火の無い完全な死角ではなく、少数の対空砲のみでカバーされる『比較弱位』を狙う――。アネット達は今だ知る由もないが、これこそが対艦戦闘のエースと称されるファブリス・ナヴァールが編み出した対艦戦術であった。
現代の連邦艦艇において、主力とされるサラミス級巡洋艦は広い射角を有する兵装配置が特徴とされるが、艦体下面は例外的に火器が配置されておらず、攻撃側としては比較的安全な位置とされている。サラミス側も当然それは承知しており、多くの場合素早く軸回転を行い対空砲の射界に捉えるか、下面に集中的に直掩機を配して対策するのが常であった。相当の乱戦や奇襲時を除き、艦体下面からの攻撃が推奨されないのはこのような理由によるのである。目下の戦況においてもそれは同様であり、サラミスの下方にはボール1機が配置され、その死角を打ち消すように配置がなされていた。
しかし、敢えて対空砲のある方位から接近すればどうか。迎撃可能な火器がある以上サラミス側は迎撃の方に注力し、隙を晒すことになる旋回や回転は選択肢となりえない。対空砲の火線に入る以上、直掩機も配置できない道理であり、対空砲を防ぎうる『盾』さえ構えていれば、それは攻撃側にとって致命を狙いうる方位となるのだ。
主砲の射角外、対空砲の少ない位置を見抜き、その『穴』を穿つ。
対空砲の槍衾は、しかし分厚い盾を貫通すること叶わない。デブリとAMBACを用いたジグザグ機動で射線を躱して、鮮緑の『ザクⅠ』は跳ねるように敵艦へと肉薄してゆく。
その様は、さながら東洋に言う『かまいたち』。
艦橋の左側をすれ違いざま、火を噴くは右腕の120㎜マシンガン。それは艦橋側面に薙ぎ斬るような弾痕を穿ち、爆発とともにその高楼を千切り飛ばしていった。
《突撃!》
「っ!」
艦橋に咲く焔の華、惑うように散開する直掩機。目に戦火を、耳に下命を受け取って、アネットは弾かれたように操縦桿を前へと倒した。盾を構えた3機の『ザクⅡF2型』も遅れじと進み、『リックドム』を先頭とした4機が無防備なコロンブス級の直上から肉薄していく。
《こいつ、当たれ!》
《この、このーっ!》
アネットの機体を追い越すように、左右後方から曳光弾やロケット弾がコロンブス級へと向かっていく。
それぞれの射線に入らないように、アネットはレーダー上の各機の位置と敵艦との距離を確かめ、忙しなく目を奔らせて火器情報と有効射程を探った。やはり、まだ遠い。空気の無い無重力空間である以上、実体弾は空気抵抗の減衰無く進む道理だが、マシンガンのような反動が大きな火器では弾道が散るために遠距離から致命打を与えることは難しい。
サラミスが速度を落とす。
それを避けるため、コロンブスの単縦陣が乱れる。
狂ったように撃ち上がる対空砲火、誘爆を重ねる巨体。列を乱し逃げ惑うコロンブスの上面で、大きな一つ目玉――直掩機の『ボール』がこちらを見上げる。
――殺気。
「そこ!!」
脳裏に気配が、人の敵意が奔ったその刹那。照準がロックオンを告げると同時に、アネットは躊躇なく引き金を引いていた。
右腕に携えた試製ビームバズーカの銃口から黄色の光が迸り、熱量の帯となって『ボール』へ、そしてその先のコロンブス級へと向かってゆく。
『ボール』の直近を擦過した光軸はその右腕を抉り飛ばし、熱量の余波で溶解した弾倉が誘爆を生じて弾け飛ぶ。収束した光の帯は、そのままコロンブスの上面からその右舷エンジンを貫通し、一拍後には目を圧する爆炎となってその巨体を半壊させた。
《凄い…》
「敵艦は半身不随です。とどめを!」
《わ、わかった!》
後続の3機の射線を塞がないよう、アネットはフットペダルを緩めて機体を減速させる。相変わらず有効射程外からマシンガンを撃ち続ける『ザクⅡ』を先頭に、3機は『リックドム』を追い越して、右舷のほとんどを損壊したコロンブス級へと肉薄していった。
有効射程に達したらしく、ランドルフ機が放ったバズーカが着弾の焔を灯す。3機の『ザクⅡ』に啄まれゆくコロンブスを横目に流して、アネットは正面ディスプレイに兵装管理モニターを開き、火器管制画面を呼び出した。
YEX-T2-2『試製ビームバズーカ』、エネルギー充填中。100%充填まで残り103秒。
パネルに表示された文字を見て、アネットはふぅ、と息をつく。艦船の外板すら容易に貫く収束率、非装甲目標ならば擦過すれば容易に撃破しうる熱量。その代償が、この非効率的ともいえるエネルギー効率の悪さであった。想定の威力を発揮するために、エネルギーの充填に要する時間は1射につきおおよそ2分。当然連射することはおぼつかず、この欠点こそが本兵装の正式採用を阻んだといってしまってもいいだろう。一応フルチャージを待たずして連続で発射することも可能ではあるが、威力の大幅な低下や暴発の危険が生じる以上、到底推奨される使い方ではなかった。
《やった…やった!敵輸送艦、撃沈!》
《はぁ、はぁ…。なんだ、こんなものなら、戦争なんて大したこと…》
眼下に爆ぜる断末魔の炎が、コロンブス級の胴体を包んでゆく。
通信モニターを介して映るのは、喝采を上げるルッツと汗を拭うランドルフの仕草。アルマは息を荒げ肩を喘がせてこそいるものの、こちらに向けて親指を立てて笑顔を見せている。
これで、コロンブス級1を撃破。左手側ではファブリス少佐が反復攻撃を仕掛け、船体中央部に集中砲火を浴びたサラミスがへし折れて轟沈する様も目に入った。宙域の脅威は、これで大きく減ったと言っていい。
これで、残るは輸送艦2隻。
それと――。
「………っ!?」
瞬間、アネットは背筋にぞわりとした悪寒を感じた。
首筋に氷を押し付けられたような、研ぎ澄ましたナイフが肌の薄皮一枚に触れているような。
しかし、どこから。どこから私を見ているのか。
知らず知らずのうちに息を押し殺しながら、アネットは三面のモニターへと目を奔らせる。
沈みゆくサラミス――違う。先ほど大破した『ボール』にも、もはや明確な意志は感じられない。
残るは、2隻のコロンブス級。
否、その下方。
巨体の影に隠れ、輸送艦に襲い掛かろうとする3機を狙う、砲塔を戴いた宙睨む巨眼――。
「…!ルッツ、危ない!!」
《へ?…うおっ!?》
一拍遅れて爆ぜた砲火が、ルッツ機の盾の下半分を撃ち砕く。被弾の反動でルッツの『ザクⅡF2型』は一回転し、足裏のスラスターを吹かして辛うじて踏みとどまった。
艦隊下面に配置されていた、もう1機の『ボール』。全速力で離脱してゆく2隻の輸送艦を背に、それは巨眼を閃かせて立ち塞がった。『ここは追わせない』――そう、言葉にするかのように。
間は、一瞬。
残る1機の『ボール』は、マシンガンを構えた3機に対して正面から吶喊を仕掛けた。ルッツ達3機は左右へ動かず、盾を構えてマシンガンを撃ち放つ迎撃の構えを見せている。
《こ…の!モビルポッドごときに!》
《来るな、来るなぁぁ!》
「みんな、止まらないで!…くっ!」
防御を固めた相手への、正面からの突撃。
その意図を察し、アネットは唇を噛みながらフットペダルを深く踏み込んだ。
その自重ゆえに、『リックドム』は初速が遅い。まして、大質量のビームバズーカと盾を抱えた今となってはなおのこと。じりじりと心が焦りを帯びる中、『ボール』は胴体に被弾しながらも、3機に対してその距離を詰めつつある。
ビームバズーカ。
充填率47%。突撃を防ぐのには届かない。
腰裏のMMP-80。
バズーカを捨て、抜いてから照準を構えても間に合うか。この距離では弾道のぶれで誤射の危険も高い。
盾かサーベルの投擲。いずれも慣性モーメントでずれが生じることは目に見えている。
――どうすればいい。
『ボール』がキャノン砲を放つ。
アルマの『ザクⅡ』が正面から受け、その姿勢を大きく仰け反らせる。
擦過、正面。
3機の『ザクⅡ』とすれ違った『ボール』は、間髪入れずその後方で急制動。スラスターの噴射で上下逆さまになりながら反転し、瞬時に『ザクⅡ』の後方へと矛先を向ける。
狙いを定める、180㎜キャノン砲の砲口。その先には、無防備となったアルマの『ザクⅡ』の背中。被弾が致命に直結する、MS共通の弱点――。
間に、合わない。
逃げてアルマ。
逃げて、みんな。
脳裏に奔った未来の光景に、アネットは反射的に目を瞑る。
通信回線を介する、被弾の衝撃音。
しかしそれは、アルマの最期を語るものでは無かった。
《各機、散開!》
《きゃあっ!?》
「……!カシム少尉!」
横合いから飛び入った灰色の影がアルマ機を蹴飛ばし、携えた盾に着弾の焔を爆ぜさせる。
濃灰色に黒い四肢、カシム少尉のMS-06E。おそらくはフォローのために接近していたところで先の状況に当たり、咄嗟にアルマの支援に入ったのだろう。蹴飛ばされた当のアルマ機は制動を失いくるくる回転こそしているものの、見る限り被弾の傷一つない。
我に返ったのか、ルッツとランドルフの『ザクⅡ』は指示を受けて左右それぞれへ散開してゆく。カシム少尉のE型も『ボール』の正面を避けるように斜め下方へ向け機動し、目標を見定めあぐねたらしい『ボール』の機動が一瞬弱まった。
――今。
「や、あ、あああ!!」
重ねた加速そのままの勢いで、アネットの『リックドム』は盾を構えたまま吶喊する。
挙動に気づき、上方向への機動で身を翻す『ボール』。
しかし、その機動は遅きに失していた。上下正位へ体勢を立て直した直後、盾を前にした『リックドム』は斜め上から『ボール』へ衝突。推力、重量ともに劣る『ボール』になす術は無く、へし折れたキャノン砲を脱落させながら、白亜の球体は針路上に漂う岩塊へと叩きつけられた。
運動エネルギーをもろに受け、各部に走る火花。衝撃で千切れ飛んだサブアーム。
そしてその眼前、仰ぐ先にはビームバズーカの照準を覗き込んだ『リックドム』の姿。
「…私は、忘れません。あなたという、命の感触を」
半分に満たない充填率ではあるものの、芯を穿つ至近ならば装甲目標も貫通しうる。
砲口から放たれた細い光軸は、過たず『ボール』のコクピットを正面から貫いて――岩塊に打ち付けられた白い墓標に、爆炎の華を刻み付けた。
「………」
ぴぴ、という電子音に、アネットは彼方の宙を見やる。
幾分離れたその先では、相次いで爆炎に包まれる2隻のコロンブス級。ファブリス少佐が追撃を行ったのだろう、それらは間もなく爆発に呑まれ、無数の鉄片と命を虚空へと散らしていった。
数分の後、戻り来るのはほとんど無傷の『ザクⅠQ型』。損壊した盾は放棄したらしく、代わりに左手には連邦軍のマークが入ったコンテナを、右にはコロンブス級の外板らしい残骸を小脇に挟んでいる。どうやら撃沈した宙域から拾ってきたもののようだった。
《ひいふうみい…全員無事だな。いいモンを拾った。今夜は連邦産のビールで一杯楽しめそうだ》
《未成年の前でそれはいかがなものかと…。ともあれ、お疲れ様でした。各機、使えそうな資材があれば拾って行って下さい。デブリであれ、何かと役に立ちますから》
《いや、ゲームのお使いクエストか何かですか…》
ぽつりとツッコミを加えつつ、めいめいに漂う残骸を物色にかかる3機の『ザクⅡ』。アネットは、大破し岩塊に横たわる『ボール』へと目を向け、逡巡の後にその場を離れた。
低出力でビームバズーカを放ったため、『ボール』はコクピット以外の部分は原型を留めており、おそらく利用できる部品も少なくないに違いない。理屈ではそう分かっていても、それを敢えて行うのは忍びない気がしたのだ。
ニュータイプ能力の実証と発展を調査するためのテストベッドとして――平たく言えば、殺す為に、そして死ぬ為に、私はここにいる。であるならば、命に加えて誇りや尊厳まで奪うのは、その定義から外れてしまうのではないか。命を懸けて散っていたあのパイロットの墓を荒らすような真似まで、してはならないのではないか。
心に蟠るは、どこか後ろめたさの伴うその思い。
ビームバズーカを背部ラックに架け、アネットは空いた右腕で適当なコロニー片を拾い抱える。初陣の緊張から解放されたアルマ達とは対照的に、晴れない顔を俯けたまま、アネットはファブリス少佐の下へと集っていった。
彼方の背後、岩塊に立つ白い墓標。
その方向へ、目を向けることは無いまま。
《任務達成、ご苦労だった。新規加入課員各位も、早速に戦功を上げたことを評価したい。
なおファブリス少佐が持ち帰った鹵獲品の酒類だが、各課の人数配分に応じて配布する予定である。浮かれる気分は十分に理解するが、未成年