ベイルなんかは、防御形態の状態でツルツルと撫でまわしたいくらいに好きです。
薄れゆく視界が元に戻る。
色を失っていく世界が、明るく瞬く。
そこには、身の丈ほどもある巨大な盾を携えた彼女がいた。
薄紫色の髪。穏やかで理知的な瞳。紛れもない、彼女だ。
マシュ・キリエライト。
藤丸立香を先輩と慕う、あの娘が。
藤丸は、とても自分が見たものが信じられなかった。これは一種の走馬燈か、死んだあとの夢なのだろうと。だが、彼女はそこにいて、吹き飛ばされたエネミーも痙攣しながら倒れている。間違いなく現実だ。
マシュは、困惑というよりも呆然とした表情の藤丸を見た後、すぐに藤丸のダメージに気づいた。
それでも焦ることもなく、マシュはどこからか巻物状の物質を取り出すと、それを開いた。
「これは治癒魔術の一種です。少しの間、動かないでいてください」
マシュはそれを藤丸に近づけると、巻物は誰に触れられるでもなく自立して動き、藤丸の負傷箇所・・・損傷した内臓がある場所にも巻き付いた。その後、緑色の光として巻物が消えた後には、一切の傷も痛みも癒えていた。
(((これが、魔術!・・・すごい、これは、治っているのか!?)))
「では、行きましょう」
藤丸が傷の癒える感覚の余韻に浸っている最中、マシュは藤丸の背中と膝の裏に手を回して持ち上げた。所謂、お姫様抱っこと呼ばれるものである。
本来ならば男性が女性を持ち上げることを前提としているため、そういった名称がつけられている。なのだが、マシュは藤丸を当たり前のように抱き上げ、藤丸もまたどこか釈然としない表情はしていたが当たり前にその状況を受け入れていた。
「あの、マシュさん?・・・その、あの、重くないですか?」
「平気です。任せておいてください、先輩」
こんなこと聞いて、本当にお姫様みたいだ。
藤丸が自分の発言に対し妙に恥ずかしい気持ちになっている中、マシュはそんな藤丸の様子に気づくでもなく、重くのしかかる様な赤い曇天を睨んだ。
フォウ君はマシュが何をしようとしているのかを察し、急いで抱きかかえられている藤丸の腕の中に飛び込んだ。
藤丸はフォウ君を抱きしめ、マシュの自信に満ちあふれたその表情を見た。
「先輩、舌を噛まないようにしてください。それと、私が合図したら衝撃に備えてくださいね」
「え?衝撃?え、いや、どうすれば・・・」
「飛びます!「え、ちょ」3、2「いや、待っ」1!」
この時、藤丸は初めて絶叫マシンに乗ったことを思いだしていた。
急な上昇と、回転、急降下。完全な天地の逆転。
(((あれよりかは、だいぶマシだ・・・)))
観覧車から覗くような小さい街並みを見て、藤丸は妙に冷静であった。
マシュは人の限界を置き去りにした動きで疾走と飛躍、着地を繰り返して街を駆けた。
道中、弓をつがえた人骨の姿をしたエネミーの一団と出会ったが、これを一掃。マシュが軽く蹴りを入れるだけで、エネミーはバラバラに崩れ去る。それに構うことなく、より速度を上げて走る、走る、走る。
その姿はもはや色付きの風にしか見えないほどであった。
それから約二分間、マシュは眼科の街を見回して生存者を探したが、どうにも見当たらず。やがて、遠くに鉄塔の見えるビルの上に着地し、藤丸を降ろした。藤丸はよろよろとふらつき、倒れる前に自ら座りこんで街の景色を見た。
それは、まさしく世界の終りの様相を呈していた。
くすぶり、まだ広がる炎。立ち上る煙。鉄骨がむき出しの廃墟の群れ。空は赤く染まっており、それが炎の色を反射した雲なのだとすぐに気づく。
藤丸は、壊れたそれらを見て、無意識に泣きそうになっていた。
藤丸は、自身の右目から一筋の涙がこぼれるその時まで、そのことに気が付いていなかった。
(((・・・・・・)))
マシュに見られていないことを視線だけ動かして確認すると、手で涙を拭い、藤丸は立ち上がった。
「マシュ、どうにかしてカルデアに帰る方法を探ろう」
藤丸がそう言うと、マシュは藤丸の目を見て微笑み、頷いた。そして、何かに気が付いたように藤丸の肩を叩いた。
「先輩、あそこに人影があります」
「えっ、本当!?」
藤丸はビルから身を乗り出すようにマシュが指示した場所を見ると、確かにそこには人がいるようだ。灰色の地面や薄暗い影の中、明るい金髪と白い鎧(服のようにも見える)を纏ったその人物は、遠目からでもすぐに見つけることができた。
そしてさらに、よくよく目を凝らすとその隣を誰かが歩いているようだ。銀髪が流れるように輝く。
「先輩、あの方、オルガマリー所長です!隣にいるのは・・・」
「所長!?所長もここに飛ばされて・・・マシュ、行こう!」
「はい!」
マシュは再び、藤丸を抱きかかえると、目いっぱいに力を入れて跳んだ。
途中、またもや敵対するエネミーと戦闘になるが、その頭を踏みつけてさらに跳躍。そして、マシュの後方。支える箇所など何もないただの虚空に、盾が置かれるように固定される。
「シールド・カタパルト。後方に展開、飛びます!」
風を切る音とはじける音と共に、空中で真っ直ぐに所長の元へと飛んだ。マシュが衝撃に備えるよう合図をし終えると、もうすぐそこに地面が近づいていた。マシュは何度かビルの壁面や屋上を蹴って衝撃を殺し、砂埃を巻き起こしながら着地した。
「先輩、到着しました。・・・あの、大丈夫ですか?」
「エホッ、ゲホ、うん、だいじょ、オホン、大丈夫」
舞い散る砂埃を吸いこんだ藤丸とフォウ君は、軽く咳き込みながら砂埃の向こうに見える彼女らを見た。やがて、立ち込める砂塵が薄まると、青い輝きを放つ弓なりの刃を構えた男がいた。
その男の影に隠れるように、所長がチラチラと藤丸たちの様子を窺がっていた。
「・・・何者だ」
男が警戒心を露わにそう言うと、手にした刃の輝きが一段と増した。
妙な動きをするならば、戦闘も辞さない。そういった意味の警告であると、二人は瞬時に理解した。
そして、この男にはどうしても勝てないという事も。
「怪しい者ではありません。あの、あなたの後方にいる女性と親しい者です」
「・・・・・・」
一触即発の気配。。だが、男はすぐに刃を収めた。所長がこちらに気づいたからだ。
「その声、マシュ・・・?どうしてあなたが、ここに・・・」
所長は男の足から顔を出して、マシュの姿を確認すると、思わず言葉を切った。そして、声を震わせ、言った。
「あなた、その姿・・・
▽△▽
それから、藤丸とマシュ。所長と金髪の男の四人は、所長の指示の元、身を隠せる廃ビルの内部に侵入し、かつてはカフェがあったのだろう。そこに残されているテーブルと椅子を集めて座った。
所長は腕を組んで、向かいに座った藤丸を睨むようにして見た。マシュと金髪の男は、それぞれ入り口と窓の近くに立って、敵影が無いかの警戒に当たっている。
所長・・・オルガマリーは、軽くため息をついて口を開いた。
「あなたがここにいること。そして、マシュのデミ・サーヴァント化。概ねそちらの事情は理解できました。問題は・・・これからどうするか、よ」
オルガマリーは藤丸をジロリと見つめ、何と応えるかを待っている。藤丸はその視線に気づいているが、どう答えたらいいのか考え、唸った。
「そ、うですね・・・とりあえずは、拠点を確保したほうがいいと思います。あと、できるなら食料とか水とか」
「あなた、これを孤島でのサバイバルと同じように考えていないかしら。でも、まぁ、その通りです。拠点・・・特に霊脈が通っている場所がいいですね。どうにかそこを探し出しましょう」
そう言った後、立ち上がろうとしたオルガマリーをマシュが止めた。
「探す必要はありません。ちょうど、所長の足元がレイポイントとなっています」
マシュがそう言うと、オルガマリーは何も言わずに静かに座った。
「マシュ、召喚サークルを設置して頂戴。その間に、こっちの事情も説明するから」
オルガマリーは窓の外を眺める金髪の男を見ると、また一つ小さくため息をついた。
▽△▽
サークルの設置が完了し、ロマンとの通信が可能になってから、所長は話を始めた。
「まず、ここにいる方・・・マシュ、あなたなら何度か会ったことはあるでしょう」
「はい。カルデア情報部の、ハドラニエルさんです。何でも、とても人とは思えない速度での書類処理の技量を買われて、このカルデアに来たとか」
「そう。その通りよ。でも、どうやら違うらしいの」
男はオルガマリーの隣にいたが、一歩踏み出して自身について語った。
「ハドラニエルというのは、偽りの名前。本当の名前は、イーノックと言います。地上に逃れた堕天使を捕縛するために、天から遣わされました」
少し前にオルガマリーに名乗ったように、マシュと藤丸にも同じように名乗った。藤丸は、ハドラニエルの名と顔を見て、自分を気にかけてくれた人だということを思いだし、マシュは目を丸くしてイーノックの顔を見た。
「イーノック・・・イーノックって、あのエノク書の・・・?」
「え、誰?マシュ、知ってる人?」
藤丸の問いかけに、マシュはこくりと頷いた。
「預言者エノク。またの名をイーナック、イーノックとも言われる方です。いくつかの聖書にその名が書かれていまして、365年生きた後に神によって召し上げられた、とされる人ですが・・・」
マシュの説明に対して、オルガマリーも同意の意味を込めて首を縦に振り、どうにも信じられないといった様子でイーノックのことを見た。イーノックは、マシュに対して、
「当たっているとも、間違っているとも言いませんが、どちらにせよ私はここにいます」
そう言って、子犬のような人懐っこい笑顔を見せた。この時確かに、藤丸もマシュもオルガマリーも、暗い廃ビル内がほのかに照らされたような錯覚を覚えた。オルガマリーは軽く生払いをし、話を続けるようイーノックに促した。
「・・・私は、先ほども言った通り、堕天使を捕らえるために来ました。その堕天使というのがどうにもこういった特異点にいると突き止め、カルデアにやってきたのですが、爆発事故が起こりまして、気が付けばここに飛ばされていました」
そこまで言うと、イーノックは数秒視線を彷徨わせ、顔を上げて言った。
「私はこれから、堕天使を相手に特異点に向かわなくてはならないのだが、そのためにあなた達の力を借りたい。勿論、こちらで手伝えることはできる限りやらせてもらいます。どうか、手を貸していただけないでしょうか?」
イーノックは三人に頭を下げ、頼み込んだ。
これは、三人にとって、純粋に嬉しいことであると同時に、不安の種であった。
まず、マシュだけでは荷が重い戦闘を任せられる人員が増えたこと。これは心強いことではあったが、この特異点の脱出にさらに「堕天使の捕縛」という新たな問題を抱え込んだこの男を受け入れるべきかどうか。
イーノックはまだ頭を上げない。
マシュは藤丸とオルガマリーのことを見たが、藤丸は顎に手を当てて深く考えており、オルガマリーはどうにも納得していない表情でイーノックが頭を上げるのを待っているようだった。
それから、十秒ほどが経った時、藤丸が動いた。
「イーノックさん・・・俺には、堕天使の捕縛とか神の使いとか、そういった難しいことはよく分からないです。でも、所長はイーノックさんの手で助けられたんです。まずは、そのお礼をさせてください」
ありがとうございました。
藤丸はそう言って頭を下げ、手を差し出した。
イーノックはその声に顔を上げ、その伸ばされた手に気づくと、それを握った。
「イーノックさん。どうか、俺たちに力を貸してほしいと言いましたね?逆ですよ。俺たちの方こそ、是非ともあなたの力を借りたいです。どうか、一緒にここを出る手助けをしてください」
その言葉に、イーノックは一瞬信じられないと言った表情をし、そしてすぐに笑った。心からの笑みであった。
「はい。このイーノック、あなた方の力になりましょう」
そう言って、すぐにその三人に背中を向けて刃を構えた。
「手始めに、あの者を突破してからここを出ましょう」
コツリと足音を立てて、長髪の女性が窓際に現れた。そのたたずまいは幽霊のように無気力で、波打つような髪からは鬼のような怒気が放たれている。足元からは黒煙に似た影が立ち上り、一見してその女性が人ではない存在であると四人に理解させた。
影の女性とイーノックの間合が詰まる。
戦が始まる__。
《イーノック》
・クラス:?
・キャラクター詳細
旧約聖書、エノク書など、多くの聖典にその名を遺す人物。
365年生きたとされ、「エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった」という記述を最後にその姿を消した。
現在は白い鎧で身を包み、堕天使を捕らえるために地上に赴いたということだが・・・。