第一話 帰還
「・・・ラファエル、もういい」
ベッドに横たわり天井を見つめていたミカエルは、祝福の光による看護を行っているラファエルに向けてそう言った。天使長の言葉に、ラファエルに従って看護を行っていた数人の天使がその動きをピタリと止める。しかし、ラファエルは表情を変えることなく癒しの力をミカエルの右腕に集中させる。
「ラファエル、もういいと言ったんだ。今すぐに止めてくれ」
「理由は?納得させることができなければ、僕はここを
ラファエルはより強い光で右腕を照らす。白い砂と化す右腕の崩壊が止まり、崩壊と再生が均衡するように繰り返される。ラファエルのカールした髪を伝って、汗が一滴滴り落ちる。肉体の代謝による反応ではなく、精神の疲労と焦燥によるイメージとしての汗だ。それは、しみを作ることなくベッドシーツに吸いこまれ消えた。
「・・・もう限界だろう。それに、私のことよりも地上界へ降り立ったイーノックをサポートしてやってくれないか?君の力は彼に必要だ」
「しかし・・・貴方を放っておくわけには・・・」
その言葉にミカエルは静かにほほ笑んだ後、非常に厳格な表情を作り、無事な左腕を天井に向けて伸ばし、指を鳴らした。すると、どこからともなく一振りのアーチを抱えた天使が現れ、それをラファエルに渡した。
「ラファエル・・・言わなくても分かるだろう」
「・・・・・・」
「切断するんだ。ひび割れたところではない。まだ無事な肩から切り落とせ。そうすれば、崩壊の進行を防げる」
ラファエルは、ミカエルの瞳をじっと見つめたまま動かなくなった。正確に言うならば、動けなくなった。ミカエルの目に宿る決意の光は眩しいほどに本物で、自身よりも天界のことを本気で案じていたからだ。ラファエルは頷き、アーチを手術刀のように扱い、肩まで壊れることのないように一瞬で切り裂いた。
▽△▽
__燃える。燃える。燃えていく。
俺は燃え盛る故郷の街を走り抜ける。周りにあるのは火炎と、それに巻かれた黒い人影。横断歩道の前で待つ男も。ポストの前で屈みこんだ女も。杖を突いて歩く老婆も。列になって歩く子供たちも。皆、悲鳴を上げることなく人型の炭となって立っている。
俺は無意識に、自分のよく知る場所を順々に辿っていた。
学校。近所の公園。よく通うコンビニ。友達の家。偶然知った、塾の先生の家。そして、自分の家。
焼けたドアノブを掴み、燃えるドアを開ける。全ての物がそのままに、燃えている。
台所には、母らしきものが包丁を掴んだまま突っ立っていた。その近くには父のようなものが座っており、炭化した瞳を新聞に向けている。
・・・どうか、夢であってくれ。
そう願った時、俺はつい笑ってしまった。
これは、紛れもない現実なのに__。
▽△▽
じっとりとした汗が背中を流れ落ちる。肺の中が、焼けた煤でも吸ったかのように苦しい。俺は胸を押さえながら何回か呼吸をし、そして・・・俺は、ベッドから跳び起きた自分自身を認識した。焼けたドアノブを掴んでできた火傷も、右手には無い。あるのは、手の甲に刻まれた赤い刻印のみ。
「せん、ぱい・・・」
俺はその時初めて、自分の傍らに彼女・・・マシュがいることに気づいた。マシュは申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、入るつもりはなかったんです。ただ、先輩の部屋からうめき声が聞こえましたので、その」
「うん・・・大丈夫。心配ないよ・・・それで、ここは、カルデアだよね」
俺の問いにマシュは頷く。やはり、帰ってこられたらしい。俺は自分の手を見つめ、開いて、閉じ、また開いた。この行動自体に意味はない。ただ、自分が本物であることを確認するかのように、無意識で行ってしまったのだ。
「・・・もう大丈夫だ。行こうか、ドクターの元へ」
「はい。あと・・・」
マシュは多少言いずらそうにもじもじと体を動かす。言わなければならない。しかし、説明できる自信が無い。そういった葛藤の末の行動なのだろうが、何とも小動物的で可愛らしい仕草だ。俺は思わず顔をほころばせて、自然と笑顔になった。
「あの、先輩・・・恐らく混乱するとは思いますが、どうか気を確かに持ってください」
「?」
俺はマシュの言葉に首を傾けながらも、とりあえずマシュと共に管制室へと急いだ。
そして、管制室へと通じる自動扉が開いた先には__。
中央にはポーズを取って静止する黒服の男が一人。
次に、白いキャンバスを前に筆を立てて男と見比べる美女が一人。
それを煎餅をかじりながら見つめるロマンと、白い鎧ではなくカルデアスタッフの制服に着替えたイーノックの姿が。他にも何人かカルデアの職員がいて、暖房器具で暖を取ったりしている。
「お、起きたようだね。兎も角、ファーストオーダー達成おめでとう。そして、お疲れ様。マシュ、連れてきてくれてありがとうね」
こちらのことに気づいたらしく、ロマンは席から立ち上がりそう言った。俺は、管制室で起きているこの意味不明な状況を頭の中で整理していたため、ロマンの言葉は「おめでとう」と「お疲れ様」以外聞き取ることができていなかった。
俺はロマンの顔を見つめ、そして管制室中央を見た。状況はさっき見た時と変わっていない。ロマンは俺の困惑に気づいたらしく、苦笑しながら説明しようとした。しかし、横から伸びてきた携帯を持った腕に阻まれた。
「そこから先は私が話そう」
そこにいたのは、ついさっきまで。ほんの数秒前までは中央で完全不動のポーズを取っていた人物だった。どうやら近くにいた美女はその模写をしていたらしく、被写体が急に離れたことに対してブーイングを行っていた。
紅いガラスのような眼と俺の目が合う。肌は白く、それを引き立たせるためか、靴も含めて服装は全て黒。よく見るとシャツはシースルーで、薄く炎が描かれている。まるで絵画か彫刻が喋っているみたいだ。男の姿を見て、俺はそう思った。
「さて、それでは話をする前に自己紹介でもしようか」
黒服の男は得意げにほほ笑み、滑らかに口を動かした。
「私の名はルシフェル。便宜上は、イーノックのサーヴァントとやらに当たるらしい。よろしく頼むよ」
▽△▽
__燃えろ。燃えろ。燃えて落ちろ。
焼けた野の香りを肺に満たす。弾けた肉の腐臭と混ざり合ったそれを嗅いだだけで、自身の全てが肯定されているような気分になった。少女は閉じていた目を開き、焦土と化した大地を城から眺める。空を埋め尽くす飛竜。渦巻く黒雲。思い描き、願い叶えたフランスの姿。
「ああ、でもジル。まだ向こうには青草が広がっている。のうのうと明日も平和に暮らせると思っている奴らがいる。そういう人たちって、どうすればいいか知ってるかしら?」
「ええ、勿論。生きたまま焼き、その後に串刺しですね」
「何を温いことを言っているのかしら。それは当り前のこと。彼らに相応しい最期は」
次の瞬間、花火のように打ち上げられた火炎が、まっすぐに隕石のように落ち__。
閃光と爆炎が生じた後には、何も残っていなかった。ただ、そこには街も無ければ人も無く、ただその残骸が虚しく転がるだけ。「竜の魔女」はまた焦土を広げた。
「ゴミのように、訳も分からずに死ぬ。まぁ、彼らにしては上等な最期でしょう」
「その通りです。ですが、どうかお忘れなく。西の地には手を出してはいけませぬ。あそこは」
「堕天使のいる場所ですって?それはもう何度も聞きました。そんなに私のことを信用できないのなら、いっそここであなたも燃える?」
それはご勘弁を。不肖、このジル・ド・レェ。倒れ死ぬその時まであなたに仕えると決めております故。
その答えを聞いた少女はジル・ド・レェと名乗った男に対して鼻で笑い。
次に、灰燼と化す街の姿を思い浮かべて歯をむき出しにして笑い。
最後に、未だ生を謳歌する人間達がいることに腹が立ち、歯を食いしばった。
掲げる旗は「竜」。災禍の象徴たる邪竜を以て、この世界に裁定者として審判を下す。
終わりのない戦禍を。吐き気のするような戦果を。
真の百年戦争を、今ここに作りだす。
「邪竜百年戦争」を。
▽△▽
熱気で歪む城を遠目に、風のように揺れる無色の世界に彼女はいた。
醜い、悪辣な、人に対する身勝手な復讐劇。だが、それを止めることは無い。何故なら彼女もまた、
「どれほど狂っていると言われようと、構うものですか。私は私の子供たちを愛します」
紫の独眼を持った黒鎧の老婆は、霧に紛れるようにしてその姿を消した。
To be continued