情熱的な恋物語のほんの前日譚
そして、とある魔法使いの恋物語。
ざくざくと枯れ葉を踏みしめる音に、金属片が擦り合う耳障りな音が混ざる。
立ち並ぶ木々にも、弾けたような弾痕が目立つようにもなってきた。
半ばから無造作にへし折れた立ち木、
焼け跡が染み付いた地面、
パーツの足りない戦術人形の残骸。
物音に神経を尖らせながら、ありふれた戦場の光景に想像を巡らせる。
敵はどこにいたのか、味方の配置はどうだったか、戦況の推移はどのようなものだったか。
硝煙の匂い、焦った声、響く爆発音。
かつり、とひときわ大きい音が意識を現実に引き戻した。
見下げれば数歩先に筒状の塊が転がっている。先ほどの音はこれを蹴飛ばした際に生じたものだろう。
拾い上げる。
その鉄の棒には赤い装束を纏った少女の腕があった。あたりを見渡せば、上半身を失った同じ意匠らしいドレスを纏う死体を見つけた。
どうやらこれは彼女のものらしい。
一体、彼女はどの様にして死んだのか/壊れたのか興味はない。が、餞別くらいは暮れてやってもいいだろう。
踏みつけたせいで折れ曲がってしまった弾倉を抜き、銃についた汚れを軽く払い、倒れた彼女の側へ立てかける。最後に開いたままの瞼を軽く撫でて閉じた。
最後まで戦い抜いた彼女に休息を。
名もなき残骸に祝福を。
死するものに平穏を。
願わくば、そう、次があるならば。
「貴方に、幸運が訪れますように」
「ーーーーー、ーーーーー。ーーーーーーーー」
「お祈りは済ませましたか?」
「ええ」
「では行きましょう。目的地はもう直ぐですよ」
「ありがと、ナーちゃん」
艶消しのロングコートに着いた土汚れを払い、彼女の死体を一瞥してこの場を去る。
少し先には双眼鏡で周りを警戒している様子の
「ごめんね、目に止まっちゃうとつい」
「いつもの事ですから。それにアタシはマスターの優しさ、嫌いじゃないので」
「ありがとう、それじゃ行こうか」
「ええ、今日の仕事は大変ですよ」
この世界は残酷だ。
死ぬべきものが生き、生きるべきものが死ぬ。生死の境目が入り混じり、生者でも死者でもないものが闊歩する。私のような死に損ないが生きていられるのも、こんな混沌とした世界だからだ。
だけど、この世界にしか私に居場所がないとしても、こんな世界はきっとあるべき姿ではないのだろう。
間違った世界は正されるべきなのだ。
正すことが私が生まれた理由であり責務。
だから私は刃を振るう。
土は土に、塵は塵に、灰は灰に。
あるべきものをあるべき場所へ。
たとえそれが、かけがえのないものであっても。
◇◇◇
「おはよう、ナーちゃん」
「おはようございます......もうお昼ですけどね、マスター」
目を開けると、いつものように薄緑色の目がこちらを見ていた。そういえば仕事が終わって帰ってきたところだったっけか。
「ナーちゃん、今日の仕事は?」
「今日は仕事はありませんよ。昨日済ませてきたばかりじゃないですか」
「あれ、そうだっけ......?」
「もう、忘れっぽいんですから」
それで、どうするんですかと彼女は私に聞いた。
「お店、開けましょうか」
「はーい、今日も頑張りましょう」
返す答えは決まっているのに、いつも彼女は私にそう聞いてくる。
人間の意思という余分をそぎ落とした人形のはずなのにその余分を求めるのは滑稽そのものではあるが、誰かが言ったようにその余分こそ人間の美しさなのだろう。きっと人形もその余分に憧れてしまうのだろう。
だからどうだというわけでもない。
単純に彼女は私を
顔洗ってくるね、と洗面台に向かう。
洗う、と言っても濡らしたタオルで顔を拭くくらいしかしない。ここはあいにくと最前線、水は高いから無駄使いはしたくない。
顔を吹き終わったところで、ふと鏡を見る。
灰色の髪に灰色の目、血の気の失せた顔。無表情が刻み込まれて剥がれないこの顔は、あいも変わらず死体のよう、客商売では致命的な欠点だろう。
そうだ、ナーちゃんはこの前「笑顔が大事」と言っていたっけか。
確かこのように、と口角に指を当てて持ち上げる。
にこー。
にこにこー。
にっこにっこにー。
......やめておこう。背筋がぞわぞわする。
私がいつものルーティーンを終え部屋に戻ろうとすると小麦とコーヒー豆の香ばしい香りが漂ってきた。
「今日はトーストですよ」
私の考えを先回りしたナーちゃんの言葉通り、ホカホカと存在を主張するトーストに、薄っすらと湯気を立てるマグカップがテーブルの上に乗っている。
「じゃあ、両手を合わせて」
「「いただきます」」
祈りを捧げる。
私たちの生きる糧となるため犠牲になった生けるもののために。私たちがそれを無駄にしないことを誓うために。
ちょうど食事が終わったところで開店時間までもう少しとなった。
「お邪魔しまーす、空いてますか?」
今日も可愛い鈴の音が来客を知らせ、子供っぽいハスキーボイスが耳に届いた。
寝間着をカジュアルなワンピースと店の銘入りエプロンに着替えて、階段を降りて椅子に座っている常連さんに声をかける。
「「いらっしゃいませ。ようこそ、雑貨屋『アーネンエルベ』へ」」
今日もいつも通り、なにひとつ変わらない退屈な始まりだ。
そしていつも通りこの子供のようで子供でない、紫髪の常連さんは少しおかしな事を言う。
「早速で悪いんですけど、媚薬とかあります?」
「......ウチは雑貨屋であって薬屋ではないんですけどねぇ」
「いやあ、押してダメそうなんで、逆に押されてみようかと。我ながら良いアイデアだとは思うんですけどね」
「アタシとしてはあなたの思考回路の不良を疑うところです」
「押してダメなら押されてみろと」
「引いてみろの間違いですよ」
裏庭で育てている薬草を使ったハーブティーを入れながらナーちゃんと常連さんの話に耳を傾ける。
ウチにはカフェとしての面もあるため、少しばかりのカウンターもある。これといって美味しいお菓子やお茶があるわけでもないので、もっぱら利用しているのは毎日のように入り浸る彼くらい。
「相変わらずのようですね」
「ええ、相変わらずです。どれだけアタックしても振り向いてくれませんよ、はあーあ」
いつまでたっても思い人が振り向いてくれないという、人によっては重いのだろう悩み。
そんな悩みを抱えてやれやれと言わんばかりに首を振る常連さんはその言い方とは裏腹に楽しそう。
かれこれ数年の片想い、一年や二年どうという事はないという余裕がそうさせるのか。
「ひとつアドバイスすると、媚薬なんてものは無いんです」
「そうなんですか?」
「ええ、実際のところは精力のつくものや栄養価の高いもので、子作りの為に役立つと言ったところでしょう。
特定人物に惚れさせる、と言う便利なものはめったにないんですよ」
「自分で頑張れって事ですね、俄然やる気が出てきました!」
「とはいえ元気になればそれだけソッチの方の力も高くなるわけですし、あながち間違いでは無いですね」
「マスターさんその手のものがあるなら売ってください!」
相変わらず意見を二転三転させる人だ。しかし大事なお客様、希望に答えるのが店長としての務め。
「代表的なものではスッポン、エスカルゴ、ウナギなどでしょうかね。他には生卵や馬肉などが当たると思います」
「どれもこれも天然ものでべらぼうに高いじゃないですか、ヤダー!」
「でも買うんでしょう?」
「買いますよそりゃあ」
さも当然のように財布から黒いカードを取り出す常連さん。何を
「お代はしめて......これですね。お得意様ですし一割引きにしておきましょう」
「一割引いてもこの金額とかどんだけ高いんですかヤダー!」
「天然物は高いですからね」
「うう、サラバ今月の生活費」
「相変わらず無計画ですね。また給料前借りなんてしても知りませんよ?」
「しばらくは大丈夫ですよ。最悪の場合貯金に手をつければいいのですが......あれは結婚式用の費用で......」
「まったく、無計画なのか計画的なのか」
領収書を前に彼は指折りながらブツブツと呟いていたが「今月は糧食生活ですねぇ」と諦めたようにため息をついた。
「ところで、あなたの思い人はどのような人なのですか?」
「おや、突然なんでしょうか」
「なんとなく気になってしまいまして。貴方のような情熱的な恋ができる相手というのは、同じ女性として気になるものですよ」
「写真ありますよ、といってもそれなりには古いものですが」
彼女ですよ、と財布から今時珍しいアナログの写真を取り出した。
そこには正装らしい軍服のような格好をしたニコニコと笑う常連さんと、彼より一回り大きなふてくされ顔の女性が写っていた。ショートカットの茶髪に軍帽がよく似合う、可愛らしいひとだ。
「へえ、かわいらしいじゃないですか」
「でしょう? でも、先輩の魅力はそこだけじゃないんですよ。それに、僕の生き返らせてくれた恩人でもあるんですよ」
「生き返らせる? 医者なんですか彼女は」
「比喩ですよ。ほらたまに言うじゃないですか。心が死んでる、ってね。
毎日が苦痛でしかない。
目標も、夢も、楽しさも、何もかもがない。そんなただ生きてるだけの人間を死体と呼んでも差し支えないですよね。昔の僕はまさにそうでしたよ」
どこかここではない、きっと過去であろうどこかを見ながら常連さんは楽しそうに語る。
「人生は一期一会、出会う人は様々でありきっと一回きりなのだ、なーんてことわざがありますけど、先輩がそうだったんでしょうね。
僕の前に現れた彼女は鮮烈的で衝撃的で劇的に、死んだ僕を殺して生き返らせてくれたんです。
理由はありません。先輩がなにをしてくれたわけでもありません。たった一度だけ、初めて会ったとき。
なんて表現すればいいんですかね......ただそう思ったとしか答えられないんですよねー。
あの時です、彼女に憧れたのは」
「恋をしたのではなく?」
「ええ、憧れたんですよ。不思議なことに。結局、先輩のやる事なす事全部できなくて。それでも諦めきれなくてずっと背中を追い続けて......ふと思ったんです。
先輩めちゃくちゃ可愛いな、って」
ごうんごうんと備え付けの空調が動く音だけが場を支配する。そして少しだけ時間が経ち、一言。
「と言うわけでボクが先輩に恋をするキッカケでした、おしまい」
「......釈然としません」
「恋というのはそういうものなのです。人形にだって恋はできると思いますがね」
「信じ難いですね」
「きっと貴方にもいい恋人が現れますように......ってなんですかその顔」
「貴方のようなものであればお断りです」
「なんでですか!? こんな情熱的な恋人イマドキ居ません! むしろそんな恋人を得たことに運命をーー」
「まだ片思いでしょうに」
「ぐっっっふっっっっ!」
ナーちゃんの遠慮ない正論が常連さんに突き刺さる。
こんなにも彼女のことを愛していると言う常連さんで、しかしラブレターひとつ送ったことがない奥手なのだ。それを聞いたときは驚いたものだが、理由を聞けば納得もできた。
憧れの人に釣り合うようになりたい、告白するのはこれからだ。彼にとって彼女は恋する相手であり、憧憬を向ける対象でもあるのだろう。
こんな綺麗な願いを抱く人間を見るのは久しぶりだ。
「ついでに言うとここや私、ナーちゃんのことはどう思ってるんですか?」
「そうですね......ここにきたのも偶然ですし、第一印象は変な人だなあって感じでしたね。
マスターさんは肌が見えないくらいびっしり包帯巻いてる変人ですし、店員の人形はボクだけにアタリが強いですし、客観的に見れば良くはないとは思いますね。
話してみたら面白い人でしたし、良い関係であると思いたいですね。そちらは?」
「大丈夫ですよ。貴方はこの店の大事な常連さんで、楽しいことを話してくれる大切なお得意様です」
「それ素直に金づるって言いません?」
「そうだとしても、ですよ」
いじらしげに笑って見せると、常連さんは諦めたように苦笑いを返した。
それから何時間とたわいのない話をした、いや、常連さんだけが一方的に話すばかりだった。
近況のこと、先輩のこと、考えが古臭い上に暑苦しい上司のこと、イタズラと絵だけが取り柄の基地のマスコットのこと。彼は店に来ると決まってその話をすることが多い。
嫌そうにその話題を口にしている割には楽しそうで、きっと、彼がいる場所が過ごしやすいんだなと察することができる。不思議に思うのは、何故それをここに来て話してくれるのかということくらい。
何杯か茶を飲み、冷めてしまった最後の一杯を飲み干したところで常連さんは席を立った。
「じゃあいつものも一箱頼みます」
「また箱ですか? もっと身体を労ってください」
「いいじゃないですか、死ぬわけでは無いのでしょう?」
「しかしあれは......」
「彼は
「と言うわけです、まあ死ぬほど痛いのには変わりありませんがもう慣れましたよ。
しかし、最近のナノマシンは凄いですねぇ。飲んだ次の日は身体中が軽いんですよ。これなら書類仕事も捗るというもの。実は隠居生活中の科学者か何かだったり?」
「お客様」
「......と、詳しいことは探らないこと。この店のルールでしたね、失敬失敬」
しー、と人差し指を立てるナーちゃんをよそ目に私はカウンター下から抱えるほどの大きさの箱を取り出す。常連さんはその小柄な体格では抱え込むほどの箱を両手で受け取ると、おぼつかない足取りで出口へ向かう。
「はい、お代はサービスで1割引ですよ。
用量用法は守って......」
「はいはい、わかって......」
『緊急警報! 緊急警報! 地区周辺にE.L.I.Dを確認しました。住民の皆さんは速やかに避難をお願いします!
繰り返します!
緊急警報! 緊急警報!地区周辺に......』
「っ! 」
「危ないっ」
荷物を放り出して外に飛び出した常連さん。ナーちゃんが慌てて滑り込んで木箱をキャッチするのを横目に見ながら私もつられて外へ飛び出した。
奥まった通りの奥にある立地だからまだ混乱は目に見えて見られないものの、窓から顔を出す人影や同じく外に飛び出してきた人影もチラホラ。
そこに共通するのは不安や恐怖、そして混乱。
いつもの日常が崩れ去るという危機に震える姿ばかりが私の目に見える。
だが、彼は違った。恐怖、不安、混乱も勿論あるはずなのに、それを伺い知ることはできなかった。
勇気、責務、覚悟。
そして
ああ、なんという事だろう。
こんな顔は、わたしには出来そうにない。
嫉妬や劣等なんてつまらない感情がわくまえにわたしの心中を埋め尽くしたのはたったひとつの感情だった。
なんて、憧れてしまいそうな人なんだろう。
こんな人に、わたしはなりたいのだ、と。
「......って! なんでついてきているんですかマスターさん! 民間人は早くシェルターに」
「目的地はどちらですか」
「......G&K社 S08地区 作戦司令部です。
実はボク、PMCなんですよね。あんまり言いたくなかったんですけどーーー」
「大体わかりました。では捕まっていてください」
わたしは彼を抱きかかえるとそのまま地面を踏みしめ、飛び上がる。
G&Kの基地......あそこでいいのかな。脳内に無骨で排他的な建造物を思い浮かべながら屋根伝いにテンポよく駆けていく。眼下では非難するらしい人々が道にあふれ、こちらに気がついているのはごく僅か。おそらく騒ぎになることもないはず。
「ちょっ、これっ、マスターさん?!」
「舌を噛みますよ」
「いったいどういうひゃあああああああ!!!」
常連さんの悲鳴を耳にしながら鉄筋コンクリート製の屋上を踏みしめ、さらに上空へ飛び立つ。
軍用車らしい車列。飛び乗る様々な服を着た少女らしき人影、慌ただしく動き回るカーキ色の軍服姿。
見えた、多分ここが基地。
物陰の人気のなさそうな倉庫......あそこが良さそう。
なるべく死角になるような場所を選んで着地、無意識にお姫様抱っこをしていた常連さんを下ろし、肩を揺さぶる。
「到着しました......大丈夫です?」
「 」
「もしもし、起きてますか?」
「......アッハイ、起きてます」
「よかった。目的地ですよ」
「ああどうも......ありがとうございます」
慣れないことをして疲れたと言わんばかりに頭に手を当て、フラフラとおぼつかない足取りで影から出ようとして立ち止まる。
「貴方は......一体なんなのです?」
「詮索は不要だとお教えしましたが?」
「ああ......そうでしたね。なんでもないです」
「でも、貴方の恋話のお礼に一つだけ」
わたしはワンピースの裾を少しだけ持ち上げると、目一杯にからかうような顔を作って言った。
「わたし、実は魔法使いなんですよ」
風が舞う。
木の葉が踊る。
時刻はもうすぐ黄昏時。
死者と生者の境目が曖昧になるゴールデンアワー。
そこでわたしは死者へと戻る。
土は土に、塵は塵に、灰は灰に。
あるべきものをあるべき場所へ。
間違い続けるこの世界を正すために。
旅行から帰って来たら続き書きます。
需要あるのかな......