朝方。
例によって明理に叩き起こされた勇磨は、身支度を整えて朝食と日課を終わらせると、駅に向かう明理と別れて自転車に跨がった。
ペダルを踏む足に力を込めて漕ぎ出すと、朝の心地よい爽気を掻き分けていく。途中、東國民間警備会社のイニシエーターたちが集合場所にしている市民体育館前が近づいてくると、勇磨は挨拶がてら、集まっている少女たちに声を掛けた。
「おはよう。気をつけて行ってこいよー」
するとこちらに気づいた雛乃が満面の笑みで大きく手を振り返してくる。隣に立つ焦げ茶色のボブカットの少女は顔色ひとつ変えなかったが、目を逸らしながらも小さく手を上げて合図を返してきた。勇磨はふっとひとつ笑みこぼれると、正面に向き直って一層強くペダルを踏み込む。
愛香がウチの会社にやって来てから、今日で五日目になる。
無口で冷淡な態度から、勇磨も最初は人付き合いに消極的な印象を受けていたが、どうやら彼女は感情を表に出すことがそこまで得意ではないらしい。かといって雛乃のオープンな態度を拒絶するでもなく、こうして問題なく一緒の時間を過ごせているところをみるに、愛香も無事、東國民間警備会社に馴染みつつあるのだろう。
遠くを仰ぎ見ると、天を衝かんばかりに聳える漆黒の石版モノリスが陽光を眩く反射していた。
不思議な気分だった。
十年前、ガストレアの侵攻により物質文明は崩壊の淵に立たされ、夥しい数の人間が殺され、またガストレアに姿を変えた。あの頃、人々の心を支配していたのは絶望とやり場のない憎悪だけだった。しかしいまでは、日本は敗戦の傷を癒し、ようやく文明の針を二〇二〇年代前半のレベルにまで回復させている。
縦に一.六一八キロメートル、横に一キロメートルもある、ブラッククロームの金属塊。十キロおきに鉄塔の如く屹立し、無慮何百キロにも渡って関東平野の一部をすっぽり取り囲んでいるモノリス群。
──その中だけが、人類に残された最後の楽園なのだ。
清華高校の校舎が見えてくる頃には、勇磨は感傷を振り払い、この数日間の出来事を振り返っていた。
勇磨たちが、防衛省で謎の燕尾服の怪人・蛭子影胤と遭遇してから早くも丸四日が経過しようとしているが、あれから感染源ガストレアの新しい情報は一向に入ってきていない。
彩花や渚島も各方面で最善を尽くしてくれているが、なかなか突破口が見えてこず、手をこまねいているらしい。
勇磨にも自分の生活があるとはいえ、このままじっとしていてもいいものか。駐輪場に自転車を停めながら思い悩んでいたとき、ふと自分にもできる事があるのに気づいた。同時に、それを実行するには少しばかり骨が折れることを理解して逡巡するが、意を決してスマホを叩く。
【今日の昼、時間取れるか?】
無料メールアプリ『FINE』を呼び出して簡素な一文を送信。ややもせず既読の表示がつき返ってきた文面を見て、勇磨は苦笑した。
【Of course,certainly!!】
1
四限目の授業の終了を告げるチャイムが鳴り、教師が黒板の文字を粗方消して立ち去ると、教室には弛緩した空気が広がった。
勇磨は登校中立ち寄ったファーストフード店で購入したチーズバーガー二つを取り出して、手早く昼食を済ませると、教室を後にする。
校舎の端まで歩いていき、二階ヘの階段を上がると、ほどなくして『生徒会室』のプレートが見えてきた。勇磨が扉をノックすると、すぐに『どうぞー』という間延びした声が返る。
部屋の中に足を踏み入れると、正面で机に弁当を広げている少女が出迎えた。
「こんにちは,勇坊。待ってたよ」
箸を持ったままの手をこちらに向けてひらひらと振ってくる少女を見て、勇磨は軽く意外の感に打たれて口を開く。
「なんだ、まだ食べてる途中だったのか。お前のことだから『迎えに行く』とかいって教室まで乗り込んでくるかと思ってたけど、だから来なかったんだな」
すると、少女は短めの金褐色の巻き毛の下で軽く唇を尖らせた。
「だって、今朝になって勇坊がいきなりアポ取ってくるんだもん。そりゃあ、今日の今日で準備し切れるわけないよねー」
「あぁ、それはホントごめん。俺もここ数日で、色々あって焦ってたんだ」
勇磨が慌てて謝ると、少女はからからと笑う。
「冗談だよ.こうして雑談の時間が取れただけでも儲けものってことさ。いつもは私が遊びに行っても逃げられちゃうからね」
その言葉に、勇磨は思わず苦笑を漏らした。
彼女の名前は鬼灯佳澄。ここ、清華高校の生徒会長にして、勇磨たち東國民間警備会社にも装備品を提供している巨大兵器会社『鬼灯重工』の社長令嬢だ。
「まぁ,座りなよ」
「お、おう」
勇磨の視線などお構いなしに食事を続けていた佳澄が、口を動かしながら自分の前の席を指差し、勇磨はおずおずと着席する。
「もうすぐ食べ終わるからさ、ちょっと待っててよ」
「……焦らなくていいぞ」
そう返すと、佳澄は軽く頷きながらマカロニサラダを口に放り込み、ハムスターのようにもしゃもしゃと咀嚼していく。勇磨はその様子を何気ない調子で眺めながら、彼女の高貴な印象を受けない自然体の立ち振る舞いに思いを馳せた。
佳澄は、言葉の端々に流暢な英語が混じるその独特の口調から誤解されがちだが純粋な日本人で、海外の血は混じっていないらしい。当然ながら髪も地毛で、染めているなどということは断じてない。
ただ、父親の仕事の都合で幼い頃からアメリカで暮らしていた帰国子女で、日本語と英語が程よくブレンドされた不思議な節回しの口調については、そうした生い立ちに基づくものであるようだ。
勇磨はもうとっくに彼女の話し方に慣れてしまったため気にせず会話できているが、改めて思い返すと、英語の授業や課題に取り組むときと似たような感覚に陥ることは度々ある。
文面での遣り取りでも、佳澄の基本的なスタンスに変化はないため、彼女が感極まった際などには、日常的な雑談が英語のリーディングテストに早変わりしてしまったことも、これまでに一度や二度ではない。
よって勇磨は、グイグイ距離を詰めてくる佳澄の態度があまり得意ではないこともあり、学校では可能な限り接触を避けているのだ。
先刻の宣言通りまもなく完食するというところで、佳澄がふと顔を上げた。
「これ食べたら片付けるから、勇坊は先に隣の部屋に行っといて。ただし、一度向こうに入ったら戻ってきちゃ駄目、だよ」
勇磨にはその言葉の意味するところが理解できたので、佳澄の目をまっすぐ見返し、神妙に頷く。
「あぁ、心配すんな、ちゃんと解ってる。じゃあ俺は、ひと足先にお邪魔するよ」
「女性の持ち物を勝手に漁るのもダメだからね〜」
「わかってるよ! そんな事するわけないだろッ?」
席を立った勇磨の背に追いすがるように掛けられた悪戯っぽい声に、勇磨は頬が熱くなるのを感じながら叫び返した。
勇磨が佳澄の私室に入ると、そこはまるで別世界だった。
金属フレームがソリッドな印象を与える椅子や机の他に、左右の壁際には何に使うのかわからない大型の機械類が所狭しと並べられている。
極めつけは部屋中に漂う五十枚ほどのホロディスプレイだった。勇磨がいつもトレーニングに使っているゲームのメニューウィンドウによく似たものが、そこかしこで浮遊しながら株価や経済ニュースを始めとした様々な情報を表示している。
これは鬼灯重工が佳澄のためにあつらえた部屋だ。生徒会長を来年勇退したら、彼女はこの部屋をどうするつもりなのだろう。
勇磨が部屋の中をゆっくり歩いていると、ホロディスプレイの一つに表示された『ガストレア新法』の文字列に目が留まった。
何気なく手を伸ばすと、触覚センサーが勇磨の動作を感知したらしくホロディスプレイが白く発光。政治ニュースのネット記事を読み込み始めるウィンドウ内に慌ててブラウザバックのボタンを探してタップすると、ページがスライドして元の画面に戻る。
勇磨は胸を撫で下ろした。
日常的にネットサーフィンをする関係で、このテの些細なトラブルは慣れっこになっているので、その対処自体に問題はない。
だが、いまの場面をまかり間違って佳澄に見られようものなら、『勇磨は自室に上げてくれた女性の好意につけ込んで私物を漁る知能犯』として、最低でも学年全体に吹聴されることは必至だ。そんな情報が出回ってしまえば、勇磨の社会的地位が崩壊しかねない。
ウィンドウの待機時間が経過したらしく、ホロディスプレイは勇磨の手元を離れて再び部屋の中を漂い始めた。勇磨がそれを見送っていると、背後で扉の開く音がする。
思わず飛び上がりそうになりつつ振り返ると、丁度佳澄が入ってくるところだった。
「おまたせ〜」
「お、おう。……にしても凄まじい設備だな。俺たちと同じ時代の産物だとは思えねぇよ」
平静を装って笑いかけるが、金褐色の巻き毛の少女は勇磨の態度に残る僅かなぎこちなさを見逃さなかった。思考を巡らせるように勇磨から視線を外していたかと思うと、疑念の眼差しを向けてくる。
「もしかして、なにかいじったりした?」
「まさか……と言いたいとこだけど、誤解されたくないし、素直に白状するよ。悪ぃ、浮いてるディスプレイにうっかり触っちまった」
周りのホロディスプレイに再び接触しないよう気をつけながら、勇磨が降参を示すべく両手を上げると、佳澄はすぐに得心がいったような表情になった。
「あぁ,なるほど.正直でよろしい。それじゃあ──OK グークル,検索履歴見せて」
佳澄が滑らかな発音の英語でコマンドを発声すると、ややもせずディスプレイが飛来してデータを表示。佳澄は画面を覗き込むと、笑みを浮かべて続ける。
「ふむふむ。大丈夫だね.妙なシステムとか起動してないから、問題なしだよ」
「そりゃ良かった」
勇磨にひとつ笑いかけると、佳澄は部屋の中央付近まで進み出て振り返った。
「では改めて。──ようこそ私の生徒会室へ!」
芝居がかった調子で両手を広げた彼女の容姿には、先ほどから大きく変化した点がひとつあった。両の頰に、動物のヒゲを模した三本線が描き込まれているのである。
以前、何故そんなペイントをしているのか訊ねてみたことがあるが、曰く『これを描いてると、どういうわけか作業に集中できるんだよね〜』とのこと。
ただ、彼女なりの拘りはあるようで、ヒゲを描き込む瞬間は勇磨たちにも決して見せることをしない。
まぁ、それについては、さすがの勇磨も弁えているつもりだ。
いくらペイントする理由を上手く言語化できないとはいえ、佳澄にとっては重要なルーティンであるわけで、それ以前に女性に身支度中の姿を見せろというのはどう考えてもマナーの欠片もない要求だ。
それでも、気にならないといえば嘘になるわけで、勇磨は努めて彼女のヒゲを意識しないようにしながら口を開いた。
「お前が生徒会長だってだけで、別に生徒会室はお前のものじゃないだろ」
苦笑した勇磨の指摘にも、佳澄はふてぶてしく笑って応じる。
「細かいことはいいんだよ。どうせ私専用に特注されてるんだし、私の部屋と同じことさ。さて勇坊、今回もまた難事件に巻き込まれてるらしいね。感染源ガストレアがなかなか見つからないんだって?」
「耳が早いな」
「なんたって渚島さんから情報もらってるからね〜」
「あぁ、そういうことか」
鬼灯重工は多数の民警会社に装備品を提供している他、政府や警察の付属機関の仕事も一部引き受けており、その仕事は弾道分析に血液検査、DNA鑑定など多岐に渡る。
今回の一件についていえば、IISOの職員でもある渚島が勇磨から先日仕入れた情報を鬼灯重工に提供して調査協力を依頼したのだろう。
「画像データもあるよ」
そういって歩いていった佳澄が、部屋の正面奥にあったパソコンを操作。キーボード上に淀みなく指を走らせていたかと思うと、不意に彼女の背後にホロディスプレイが集合、合体して一枚の巨大ディスプレイになる。
映し出されたのは、勇磨も先日確認した民警機関のウェブサイトの、九十日間分のタイムラプス動画だった。パソコンの前でしばし唸った佳澄が続けて操作すると、今度は過去一週間分の記録に限定して数秒毎に画面が切り替わり始める。
佳澄がホログラムを迂回して自分の隣に立ったところで、勇磨は改めて口を開いた。
「この状況、お前はどうみる?」
「うーん,そうだねぇ……。確かに妙だよね。ガストレアの目撃報告は一件だけだけど、勇坊が倒した奴じゃない。そして感染源は別にいるのに、目撃情報さえ挙がっていない、と……。うーん?」
腕を組んで首を傾げる佳澄に、これまでに得られたヒントから思い立った質問をぶつけてみる。
「先生の話じゃ、ガストレアの能力によってこの事態が引き起こされているとしたら、まだ見つかってない感染源が光学迷彩を使ってる可能性も、ないとは言い切れないらしいんだ。
そこで聞きたい。光学迷彩なんて最先端の科学技術に近い能力をもったガストレアが本当にいるとして、ここまで上手いこと隠れ続けられるもんなのか?」
その言葉に、巨大兵器会社の社長令嬢サマは片眉を上げた。
「コーガクメーサイ? そりゃ不可能じゃないだろうけど、流石にその線は捨てていいでしょ。光学迷彩は簡単にいうと、光を物体の表面で滑らせて背後の風景に溶け込むっていう科学技術なんだよ。そんなこと、クモができると思う?」
「そりゃ……難しいな……」
勇磨の返答に、佳澄はひとつ頷く。
「うん.もしかしたら,蓮坊辺りに聞けば、また違う意見も得られるかもだけどね。彼、かなりの生物オタクらしいし」
「れ、蓮坊? そりゃなんだ、まさか蓮太郎のことか?」
困惑して聞き返すが、当のアメリカ帰りの帰国子女はなにを言ってるんだとばかりに平然と続けた。
「え? そうだけど、前から言ってなかったっけ?
うん。だからこの件には、なにか別のアプローチが必要だと思う」
「いや、そうだっけか? まぁ、いいけどさ……。
でも、別のアプローチっていったって、何か考えはあるのか?」
勇磨の問いに、佳澄は重々しく頷く。
「ひとつあるよ.──この情報が人為的に改竄されてる可能性さ」
「な……ッ」
勇磨はぎょっとして佳澄を見た。
「いやでも、そんなことして誰が得するってんだ?」
「さぁねー。でも、そう考えると納得できることが幾らかあるんだよ」
佳澄は頭の後ろで手を組みながら続ける。
「ガストレアの目撃報告件数が討伐件数と噛み合ってないのは、IISOなんかが調査すれば一発で発覚するだろうし、そんな事実が公になれば政府もタダじゃ済まない。
でも,この事態そのものを政府関係者がつくり出しているとしたら、騒ぎになっていないことにも説明がつく。だって,政府に情報を隠されちゃったら、誰も事の深刻さを知りようがないんだから」
勇磨は腕を組んで口を開いた。
「じゃあ、ここまでヤバい状況に陥ってるのに、政府が警報のひとつも出さないのも、自分たちが原因だとバレるのが嫌だからってことか……クソ……ッ。迷惑なんて次元じゃねぇ。一歩間違えば東京エリアが終わるんだぞ……ッ」
「まぁ、これは私の憶測だからね。色々言っちゃった後で悪いけど、勇坊は感染源探しに専念することをオススメするよ」
複雑そうな表情で返された佳澄の言葉を聞きながら、勇磨の頭にはふと別の考えが浮かんでいた。
「…………。……佳澄、さっきのデータ改竄した奴の話だけど、そいつの目的が、ただ自分たちの失敗を隠すためだけじゃないとしたらどうなる?」
「どういうこと?」
「渚島さんが言ってたんだよ。いま聖天子様が通そうとしてる『ガストレア新法』を、良く思わない連中が大勢いる、って。最初にそれを聞いた時はそりゃそうだろうと思ってたけど、問題はそこじゃない。あれは『政府関係者の中にも反対派が大勢いる』って言いたかったんだ」
まだ勇磨の言葉の意図を判じかねている佳澄に向き直り、彼女の目をまっすぐ見て続ける。
「いいか? 今回、事件の引き金を引いたのは蛭子影胤・小比奈父娘だ。もし、政府内の誰かが情報を改竄してるとして、バレたらそいつが無事で済む道理はないだろう。でも、その責任を上手いこと蛭子ペアに擦りつければ、世間の目は『呪われた子供たち』である小比奈にも向けられることになる。そうしたら世論を『ガストレア新法』排除思想に誘導しやすくなるんじゃねぇか?」
今度は佳澄が息を呑む番だった。
「でも、じゃあ勇坊は、それだけのことを指図できる人の中に内通者がいるって言いたいの?」
「それは……」
勇磨が言い淀んだそのとき、勇磨のスマホが震えてはっとする。ディスプレイに表示された名前を見て、応答ボタンに触れた。
『勇磨くん、いま昼ご飯中?』
「いや、もう食べ終わって、佳澄と今回の件について喋ってたとこだ。どうした、社長?」
『やっと例の感染源ガストレアの潜伏先がわかったの。第三十二区よ』
「第三十二区って、外周区じゃねぇか。なんでそんな離れたとこに……」
『よく聞いてね。そのガストレア、どうやら空を飛んでるらしいの』
なにかの聞き間違いかと思ってスマホを握り直す。
「感染者はモデル・スパイダーに書き換えられてんだ。なら、感染源ガストレアもモデル・スパイダーのはずだろ。クモが空を飛ぶなんて──」
『──とにかく、現場に急いで。ラクシオさんや明理ちゃんにはもう連絡してるし、他の民警たちも感染源を狙ってる。でも出遅れる心配はないわ。すぐ迎えがくるから、いまからそれで追尾して。ここまでやったんだから、今回ぐらいビシッと決めてきてよ? それじゃあ頑張ってね』
「あッ、おい社長、ちょっと待──」
ってくれ、そう言い終わる頃には、すでに不通音が流れていた。
勇磨は溜息をついてスマホを眺める。言うだけ言ったら切りやがった。
その時、どこからともなくヘリのローター音がして音源を探っていると、窓の方を振り返った佳澄が短く口笛を吹いた。
「Wow……彩花ちゃんも粋なこと考えつくねぇ」
勇磨も彼女の視線を追って呻く。やがてソレが視界にぐんぐん迫ってくると、ついにはローターの轟音で声も聞こえないほどになった。
いま正に校庭に着陸せんと高度を下げていく機体の側面には、鬼灯重工のエンブレム。ヘリの着陸が完了すると、ややもせず佳澄のスマホが鳴る。
「もしもし,お勤めご苦労サマ。……うん,いまからそっちまで送るね」
手短に対応して通話を切ると、巨大兵器会社の社長令嬢はこちらに向き直った。
「それじゃ、行こうか」
勇磨もひとつ頷きを返すと、二人で生徒会室を後にする。
校庭に出るとヘリの操縦士が降りてきていた。辺りを見回していた彼はこちらに気づくとまっすぐ歩いてきて、困惑した表情のまま姿勢を正す。
「佳澄様、昼食時にお呼び立てして申し訳ありません。それで、先ほどの電話で申し上げた件なんですが……」
「心配しないで.彩花ちゃんからここまで来るように頼まれたんだよね? 詳しい話も、こっちの勇坊から大体聞いてる。それで,彼を第三十二区に送り届けてほしいんだ」
こちらを見る操縦士に会釈しながら、民警許可証を目の前に差し出すと、操縦士が理解を滲ませた表情になる。
勇磨が助手席に乗り込んだところで、佳澄が口を開いた。
「勇坊」
見ると、佳澄はいつになく真剣な眼差しで親指を立てる。
「武運を!」
首肯で決意と謝意のほどを示したところで操縦士の声が掛かり、扉が閉められた。
2
ヘリが飛び立つのを待ち構えていたように急に雨脚が強くなってきて、窓の外は間もなく豪雨になった。
移動中のヘリの中は、外の荒れ模様に比して奇妙な静けさに包まれている。やはり、一大企業の設備だけあって、ローターがノイズを低減する最新式のものになっているのだろう。バタバタと空を叩く音は分厚いガラスを一枚挟んでどこか他人事めいた響きをもって拡散する。
勇磨は頬杖を突いて、彩花から送られてきたGPSの光点を眺めた。この雨で衛星が使えなくなった為、これは十分ほど前の位置だ。現在、勇磨達はここから更に移動しているに違いない。
その時、再びスマホが震える。着信名は明理だ。
『もしもし、勇磨さん? いまどの辺りですか?』
会話に支障は無いが、ノイズが酷い。どうやら雨の中を走りながら掛けてきているらしい。
「社長から連絡がきたと思ったら佳澄のとこのヘリが迎えにきて、それで第三十二区に向かってる途中だ。多分、いま下に見えてるのが石神井川かな。学校からまっすぐ向かってるっていえばわかるか?」
明理は、束の間考え込むように沈黙するが、流石の思考力で情報をまとめあげたらしい。すぐに、平素と変わらぬ冷静な声が返る。
『わかりました。こちらでもすでに、勇磨さん以外に複数のヘリを捕捉済みです。その位置からなら恐らく十時の方向に一機、確認できるのでは?』
その問いにスマホを耳に当てたまま顔を上げると、彼女の言葉を裏打ちするように正面左手からドクターヘリが飛来して苦笑した。
「相変わらずお前の能力には頭が下がるよ」
しかしその時、勇磨の目が奇妙なものを捉える。
ドクターヘリの行く手下方、地上八十メートルほどにヤジリ型の飛行物体が見えた。
明理はまだ異変に気づいていないらしく勇磨の言葉に照れくさそうに笑う。
『では、私はこのまま勇磨さんのヘリに合わせて動きます。着陸したら合流しましょう。此方の位置を伝えられないこともないですが……──勇磨さん?』
「明理、さっき俺から見えるって言ったヘリ、すぐ傍に変なの飛んでねぇか?」
明理が困惑する気配に続いて、通話口からカチカチと歯を鳴らす音。
『……確かに、なにかありますね。これは……こんなところに、凧……? ──ッ!!』
鋭く息を呑む音がしたと思ったら、なにか理解したらしい相棒が切迫した声でまくし立てる。
『勇磨さん、すぐに操縦士さんに指示を!』
「指示って、いきなりなにを──ッ」
『いま、私の反響定位で、飛行物体の内部に八本足のシルエットを確認しました。それが感染源ガストレアで間違いありませんッ』
「な……ッ」
勇磨は改めて謎の飛行物体に視線を戻した。先刻より接近していた白い二等辺三角形からは、確かになにか細長い八本足の影が透けて見える。
「なるほど、そういうことか。操縦士さん、あの白い凧みたいな奴を追ってくれ」
「どういうことです?」
「あれが感染源ガストレアだ。たったいま俺のイニシエーターが確認した。
生物に詳しい同業者から聞いたことがあるが、糸をパラシュート状に編んで風に乗るクモがいるらしい。でもアレはどういうわけかハンググライダーを編んでやがる。そんなクモはさすがの蓮太郎も知らないって……」
その時、セルシアの真剣な声が脳裏をかすめた。
『ガストレアは形象崩壊の過程で本来得るはずのないオリジナルの能力を生み出す個体もあります。それが突然変異による──』
「──進化の跳躍、か……」
ともあれ、これで街中の監視カメラに写らなかった理由がわかった。監視カメラは上から人間を見守るため下を向いているのが常だ。その遥か上空を滑空するガストレアの捕捉は、完全に運用思想の外だろう。
恐らくこのガストレア、爪でビルをよじ登り、高い屋上からビル風をしっかり味方につけて飛んでいる。頭がいい。
「ど、どうすれば?」
「高度を下げながらスピードを合わせて、このまま──ッ?」
そこでふと顔を上げた勇磨は、突然目に飛び込んできた光景にぎょっとして指示を言い止す。先ほどから勇磨たちの斜め前方を飛んでいたドクターヘリの後部跳ね上げ式のドアが、内側から暴力的な勢いで強引に開けられ、中からウサギ耳に似たツインテールの少女が現れたのだ。
──あの娘は、蓮太郎のとこの──?
仁王立ちで顔を伏せていた少女、藍原延珠は、機体の揺れがある程度収まったのを確認するや、迷いなくその身を空中に躍らせる。
「『あッ』」
通話口からの明理の声と自分のそれが被った。そこでまだ電話を繋いだままだった事をようやく思い出すが、この場合は寧ろ好都合だ。
『勇磨さん、なにが起きたんですッ? いま、確かにヘリからイニシエーターが──ッ』
「──延珠だ、明理! 蓮太郎のイニシエーターが、ヘリから跳んだ! とにかく、お前だけでも落下点に急げ。最悪、俺達で助けるぞ!!」
パニックを起こしかける明理に叫び返し通話を切る間にも、重力法則に従って頭から落下していく延珠はみるみる小さくなっていく。そのまま蜘蛛糸のハンググライダーめがけて流星のような勢いで激突。もつれ合うようにガストレアもろとも川沿いに走る森の中へと墜落していくのが見えた。
「高度下げろッ! 早くッ!!」
しかし恐ろしいことに、事態はそれだけでは終わらなかった。
勇磨の指示にヘリが降下を開始するのと時を同じくして、延珠が乗っていたドクターヘリからキラキラときらめく細長い物体が垂れ下がる。
勇磨が眉をひそめたのも束の間、今度は、助手席に座っていた黒服の少年がヘリから身を投げ出した。
「なッ、正気かよ馬鹿野郎! あいつらペアそろってなに考えてんだ!!」
仮にも命綱を使っている為か、蓮太郎の落下速度は先刻の延珠よりは遅く見える。だが、最早それも誤差レベルの話だ。『子供たち』である延珠でさえ、着地をし損じれば無事に済む保証のない高さを、この悪天候のなかビニール紐一本で懸垂下降するなど、自殺行為以外の何ものでもない。
勇磨の乗るヘリが着陸を完了するまで、時間にして一分にも満たなかっただろう。しかし勇磨にとっては叫び出したくなるほど永く感じられる時間だった。
ヘリが着陸するが早いか、勇磨は操縦士への謝辞もそこそこに助手席を飛び出して辺りを見回す。救援を要する可能性が高いのは蓮太郎の方だ。とにもかくにも、彼の安否を確かめなくては。
先ほど見えた方角から蓮太郎の落下位置にあたりをつけ走り始めてからほどなく、勇磨の後方の頭上からガサガサと葉擦れの音がした。かと思うや、隣に濡れ羽色の髪の尾を引く少女が降ってくる。
「勇磨さん、延珠さんが落ちた場所ならこっちですよ!?」
「それより、マズいことになった。さっきのヘリに蓮太郎も乗ってたんだが、あいつも延珠を追って飛び降りちまったんだ」
その言葉に、明理の顔から血の気が引く。
「あの高さからですか?」
「一応ヘリは降下し始めてたが、たいして変わらねぇだろ。感染源の討伐どころじゃねぇよまったく……。とにかく、そういうわけだからまず蓮太郎から助けるぞ。正確な方向、割り出せるか?」
「やってみます」
明理はその場で目を伏せて反響定位の構えをとった。勇磨が祈る間もなく、すぐに顔を上げて正面やや左を指差す。
「捕捉しました、あっちです。でも安心して下さい。ダメージのほどまではわかりませんが、なんとか歩くことはできているようです」
その言葉に、勇磨は内心で胸を撫で下ろした。
「そっか、良かった……。じゃあ、あいつには悪いが予定変更だ。先に延珠の加勢に向かおう」
「はいッ」
先ほど明理が示した方角に二人で向き直り、泥水を跳ね散らして疾走を開始する。少しして不意に視界が開け、現場の状況が明らかになった。
「これは……ッ」
勇磨は周囲を警戒しつつ近づいていき、正面に転がるそれを検める。
大方の予想通りというべきか、感染源ガストレアの体は空を飛ぶために極限まで減量されていた。全身が黒と黄の斑模様であることを除けば、外見はアシナガグモに似ている。
しかし、ガストレアは針金のように細い足を縮めて仰向けになっており、その頭部はハンマーで何度も打ち据えられたように激しく損壊していた。その姿から、ガストレアが事切れているのは言を俟たない。
くだんのジュラルミンケースが癒着していたであろう胴体上部には四角い穴がぽっかりと空いて辺りに血液を飛散させていたが、肝心のケース本体はどこにも見当たらなかった。
勇磨は困り果てて後ろ頭を掻く。
「これは、どういうことだ? 蓮太郎たちがこいつを倒したってことでいいんだよな?」
「そう考えるのが自然ですね。しかし、ケースは一体どこへ? 蓮太郎さんたちが回収したと仮定しても、撤収が早過ぎる気がします。タイミングから考えて、私たちとニアミスすらしないのは不自然では?」
「確かに……まだ近くにいるのか? いや、それともまさか、どっかで力尽きて……」
相棒の顔を見るが、明理はそれだけで勇磨の意図を汲んだらしく、静かに首を横に振る。
「残念ですが、この豪雨では私の反響定位も使いものになりません。勇磨さんたちのヘリの位置がわかったのはローター音で特定が簡単だったからです。それに森の中ではどのみち障害物が多過ぎて、せいぜい目視できる範囲を探るのがやっとです」
「そうか……。とにかく、まだ遠くには行っていないはずだ。急いで捜そう」
二人で頷きあうと、森の中へと慎重に分け入った。
3
辺りの森をしばらく捜索してみたが、芳しい成果は得られなかった。
明理が動き回りながら反響定位で捜索を試みるが、感染源ガストレアから半径百メートルを超えても勇磨たち以外に動くものは感知できず、篠突く雨が足跡を洗い流すせいで蓮太郎たちが移動した方向の見当さえつけられない。
勇磨は油断なく銃を構えて歩を進めながら、改めて脳内で状況を整理してみる。
勇磨を乗せたヘリが着陸した後、明理が二人の生存を確認しているので、そこまでは彼らもこの辺りにいたことになる。
問題はそこからだ。勇磨たちが彼らを見てからここに来るまでには幾何かの時間を要した。その短い間に二人の身に何かが起きたと考えるのが妥当。
歩いている内に木々の帳が晴れ、開けた場所に出た。勇磨は顔を上げて眼下に広がる光景を見下ろす。
そこは増水した川だった。とても泳いで渡れる流れではない。そこまで考えたところで、勇磨はなぜだか胸騒ぎを覚えた。
そもそも蓮太郎達はあの高高度から落下したのだ。ガストレアが倒されている以上、延珠が十全に動けていたことは容易に想像がつくが、蓮太郎まで長距離を移動できる状態だとは考えにくい。
だとすれば、彼らは何者かに襲われ、この川に転落した。あるいは、追撃を恐れて向こう岸に跳んだとは考えられないだろうか?
襲われた。誰に? 決まっている。ケース奪取を企む蛭子ペアだ。
あの燕尾服の死神がほんの数分前までこの場にいたという恐るべき事実に、勇磨が最悪の事態を連想しかけたその時、視界の端に奇妙なものを捉える。
近寄ってかがみ込むと、果たしてそれは一挺の拳銃だった。拾い上げて遊底の右側面を確認すると『SPRINGFIELD ARMORY USA』と打刻されている。
勇磨はそこまで銃について詳しいとはいえないが、この名前には聞き覚えがあった。というかこんな聞き慣れない社名の銃を使っている人物を自分は一人しか知らない。
その時、背後から足音が聞こえて振り返ると、捜索を切り上げた明理が歩いてきていた。
「駄目です。どれだけ捜索範囲を広げても、見つかる気配がありません……。勇磨さんは、こんなところでなにを?」
「見てみろよ明理」
持っていた拳銃の遊底を相棒に見えるよう突き出すと、明理が髪をかき上げて覗き込む。
「これは……スプリングフィールドXD……。まさか──」
顔を上げた明理に、勇磨はゆっくりと頷いた。
「──蓮太郎の銃だ」
蓮太郎が影胤の襲撃を受け、逃走する内に川に転落したという勇磨の推測に、もはや疑う余地は残されていなかった。
明理と二人で周囲を警戒しながら、川の下流を目指して慎重に歩いていく。
一時間ほど歩いただろうか。勇磨が対岸にも視線を配りながら進んでいると、不意に明理が川と反対の方向を向いて立ち止まる。
「どうかしたか?」
「誰か来ます、一人。明らかに民警ではありません」
ほどなくして、目の前の茂みがガサリと揺れ、一人の少女が現れた。雨に濡れた漆黒のストレートヘアーをうるさげに払いのけて顔を上げたところで、彼女もこちらに気づく。
美和女学院の黒いセーラー服に袖を通した少女に、勇磨も構えを解いて身体ごと向き直った。
「アンタは、蓮太郎のとこの社長じゃねぇか。天童木更さん、だったよな?」
「そういうあなたは、桐谷勇磨くんね? それと……明理ちゃん、だったかしら」
明理はその問いに礼儀正しく一礼する。
「東國民間警備会社所属プロモーター、桐谷勇磨のイニシエーターで、浪川明理と申します」
「それで、天童社長はなんでこんなところに?」
勇磨が尋ねると、木更は持っていたスマホにちらりと視線をやる。
「実は、さっき里見くんの携帯のGPSの反応が突然消えて、居場所が掴めなくなったの。だから私ひとりで反応が消えたポイントを目指してたってわけ」
勇磨はその返答に納得すると同時に、感嘆を禁じ得なかった。
天童民間警備会社は、こう言ってしまうと失礼だが余り儲かっておらず、社員も蓮太郎と延珠の二人だけらしい。その二人と音信が取れなくなれば、必然的に彼女が動くのが次善の策となるわけだが、だとしても社長自ら危険な現場に出向くというのは、思いついてもなかなか行動に移せるものではないだろう。
防衛省に召集された際に聖天子と繰り広げた舌戦の腕前を思い返しても、改めて凄まじい行動力の持ち主だと思う。
しかし、そんな木更も勇磨たちと出会った時点で、ある程度は状況が見えてきているのだろう。その美貌には、先ほどから翳りが垣間見える。
彼女を必要以上に刺激しない為にどこまで話すべきか迷ったが、少なくとも確定情報は共有するべきだと思い直し、意を決して持っていたものを差し出す。
「天童社長、その事なんだけど、これを見てほしい」
「これは……里見くんの銃?」
「川の傍に落ちてた。つまり、蓮太郎は……」
勇磨は傍らの増水した川に視線を向けた。
それを見て木更は小さく唇を噛んだが、すぐに軽く首を振ると決意の籠もった瞳を向けてくる。
「里見くんの銃、拾ってくれてありがとう。何があったのかもう少し詳しく聞きたいところだけど、いまは時間が無いわ。折角こうして会えたんだし、里見くんを捜すの手伝ってくれない?」
「……。……あぁ、勿論。最初からそのつもりだよ」
つくづく素晴らしい精神力だと思いながら、勇磨はひとつ頷きを返した。
それからは、木更も加えた三人で下流を目指す。
再び長時間の行軍が続くかと思われたが、存外早く目的地に辿り着いたらしい。
倒れた少年を懸命に手当てする少女と、すぐ傍らで彼女の作業を見守る筋肉質の巨漢。残る一人、へたり込んでいたウサギ耳のようなツインテールの少女は、こちらに気づくと泣きじゃくりながら走ってくる。
「あッ、木更ぁッ! 蓮太郎が、蓮太郎がぁ……ッ」
「延珠ちゃんッ」
木更は走ってきた延珠を抱きとめると、あやすように彼女の髪を撫でた。
「大丈夫、もう大丈夫よ……」
勇磨が歩いていくと、少女が応急処置の手を止めてこちらを見る。勇磨は倒れた少年の身体を一瞥して、思わず目を背けたくなった。
蓮太郎は身体の至るところから出血しており、その傷のほとんどは既に止血されていたが、まだ息があるのが不思議なほどボロボロになっている。
落ち着いた色の長袖のワンピースにスパッツの少女は、蓮太郎の傍らに屈んだまま静かに切り出した。
「弾はすべて摘出し、最低限の止血も済ませました。しかし当然ながら充分な治療とはいえません。救急に連絡しておいたので、じきにドクターヘリが到着すると思います」
「そうか……。こいつを助けてくれて、ありがとうな。……それで、君とは確か、防衛省で一回会ってるよな?」
「はい。まだちゃんと自己紹介していませんでしたね。三ヶ島ロイヤルガーダー所属プロモーター、伊熊将監のイニシエーターで、千寿夏世と申します」
勇磨はその言葉に、いままで敢えて意識から閉め出していた男に視線を向ける。
蓮太郎を挟んで勇磨の斜め向かいに立ち、だんまりを決め込んでいたドクロスカーフの男は、勇磨が見上げると気まずげに視線を逸らした。
勇磨はその態度に気持ち肩をすくめると夏世に向き直る。
「そっか。俺は東國民間警備会社所属プロモーター、桐谷勇磨。あっちは俺のイニシエーターの、浪川明理だ。よろしく」
勇磨が手を差し出すと、夏世はわずかに目を見開くが、すぐに手を握り返してくる。
延珠がしゃくり上げながら切れ切れに発した言葉を総合すると、彼女たちが直面した事態は、勇磨の推測からそう大きく外れるものではないようだった。
延珠が感染源ガストレアを倒した後、蓮太郎は無事ケースを回収。しかし、そこで突如現れた蛭子ペアの襲撃を受ける。一計を案じた蓮太郎は、延珠に逃走と救援要請を命令。泣く泣く従った延珠が幸運にも伊熊ペアと遭遇して助けを求め、現在に至るらしい。
勇磨は拳を握りしめて歯噛みした。自分があと一歩でも早く駆けつけていれば、少しは状況を好転させられたかもしれないのに。
普段の行いのツケを、まさかこんなかたちで払わされることになろうとは。
それから間もなくドクターヘリが到着し、夏世の説明を受けた救急隊に蓮太郎が担ぎ込まれる。
木更と延珠に伊熊ペアが続いて乗り込み、勇磨たちも同行を申し出ると将監は心底嫌そうな顔になった。しかし、勇磨の懸命な説得と夏世の仲裁で、なんとか事なきを得る。
蓮太郎は病院に着くなりERの医師たちに運ばれて手術室に消えていった。
夏世は真剣に蓮太郎の身を案じている様子だったが、将監が一言吐き捨ててその場を後にすると、彼に続いて病院を出ていってしまう。
手術が行われている最中、廊下の椅子で別の医師の質問が始まると、その場の四人で互いに情報を補足し合いながら事情を説明した。
後には、陰鬱とした空気だけが残された。
勇磨は椅子に座って項垂れ、瞑目して思考を巡らせていたが、やがて一つの考えに至るとなにも言わずに病院を後にする。
「勇磨さんッ」
正面玄関を出ると、すぐに明理が追ってきた。
「……どこに行くつもりですか?」
立ち止まり、振り返らず答える。
「蓮太郎には天童社長や延珠がついてる。俺達がこれ以上付き添っていても、してやれる事は何もない」
「そのお二人には、誰も頼る人がいないんですよ? ただ横についているだけでも──」
「落ち着いてよく考えろ、明理。お前なら簡単にわかるはずだ。確かに蓮太郎は適切な処置を受けていたし、助かる見込みもある。でも、万が一にも、だ──あいつがあのまま助からなかったら、誰が影胤を倒すっていうんだよ?」
明理がはっと息をのむ音が聞こえて「それは……」と口ごもる。
「俺だって、あいつが心配だし、可能ならここに残りたい。けどこんなことをしている間にも、敵は確実に計画を進めてるんだ。だったらこっちも、できる限りのことをしておかなきゃ」
「ですが……勝算はあるんですか?」
その問いに、一瞬言葉に詰まった。
「そればっかりは、やってみなきゃわからない……と言いたいとこだけど、正直苦しい。奴らの実力は本物だ。けど可能性はゼロじゃない。だったら俺は、そこに賭ける」
勇磨はスマホを叩き、数回のコール音のあと相手が出るなり問う。
「悪いが至急、例の訓練施設の空きを確保してくれるか? 東京エリア存亡の危機だ。時間がない。あの死神たちに勝てる方法が少しでもあるなら、ありったけ俺たちに叩き込んでくれ!」
電話の相手はしばらく無言だった。
勇磨は息を詰め、祈るようにして待つ。
やがて──
『OK,最善を尽くそう.どんな敵が相手でも、孤注一擲の大番狂わせをば、御目に掛けようじゃないか』
鬼灯重工社長令嬢・鬼灯佳澄の頼もしい声が返ってきた。