ブラック・ブレット・オリジナル   作:水天 道中

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最後の進捗報告から今日でおよそ三ヶ月と半月。
十月下旬に入っても大した進展がみられなかった時はどうなることかと少しヒヤヒヤしましたが、こうして無事に年内の投稿ができました。

ただ、前回の後書きについて一つ訂正があります。
今回はバトルシーンを多めにしたいと考えていましたが、そこに行き着くまでに今回目指していた区切りを迎えてしまい、思ったほど盛り込むことができませんでした。
しかし本作の執筆開始当初から思い描いていた部分の描写はすべてかたちにでき、そしてかなり良い手応えを感じられるものに仕上がったので、個人的にはこれまでにないほどの達成感を得られています。

そんなわけで、原作及びコミック版B・Bに対する愛と敬意を山盛り詰め込んだ第七章、スタートです!


第七章 その(ひとみ)に強き光を

 未踏査領域で見つけた防御陣地(トーチカ)の中で、(さと)()(れん)()(ろう)は一人の少女と並んで(たき)()に当たっていた。

 落ち着いた色の長袖(ながそで)のワンピースにスパッツ。未踏査領域の地獄におよそ似つかわしくない(よそお)いの彼女の名は、千寿(せんじゅ)夏世(かよ)というらしい。序列千五百八十四位の闘神(とうしん)()(くま)(しょう)(げん)のイニシエーターだ。

 事の発端は、一時間ほど前に(さかのぼ)る。

 ヘリで広範な森の中に投下された蓮太郎と延珠(えんじゅ)は、何度かガストレアとの遭遇(そうぐう)を回避しつつ、順調に行軍を進めていた。

 だが、そこを突如(とつじょ)発生した重低音に(おそ)われる。

 音の正体に気づき蓮太郎が歯噛(はが)みしたのも(つか)の間、ステージⅣのガストレアに()(そく)され、命からがら追跡を振り切ってこのトーチカに辿(たど)り着いた。蓮太郎たちよりも先に来ていた夏世が負傷していたため手当てをしてやることになり、延珠は敵の接近を警戒して()(しょう)に立たせている。

 それから二、三言交わし、爆発物(ばくはつぶつ)を使ったのが夏世だとわかって問い詰めると、彼女は(わな)にかかったのだと語った。

 蓮太郎たちと同様に深い森の中に降りた伊熊ペアがしばらく進むと、森の奥で短く点滅(てんめつ)する青いパターンライトを発見。他の民警だと思った彼らは、不用意に近づいてしまったらしい。

 少し考えればあんな薄青(うすあお)い鬼火みたいな色のライトなんて、(だれ)も使ってないことはわかったはずなのに。そういって、夏世は小さくなっていった。

 そこからのことは、もはや語るまでもない。夏世が(とっ)()に使った(しゅ)(りゅう)(だん)炸裂音(さくれつおん)で起き出したガストレアたちに追われているうちに将監とはぐれ、夏世は(うで)を噛まれる(おお)怪我(けが)を負う羽目(はめ)になったのである。

 伊熊ペアを襲ったガストレアは、()(しゅう)(はな)っていたという夏世の話から、恐らくラン科の植物とホタルが混ざった()()混合ガストレアだろうと蓮太郎は当たりをつけていた。

 しかし、(きょう)(たん)すべきはその個体の(こう)()極まる戦術である。

 ホタルの中には、他のホタルの発光パターンを真似(まね)て、近寄ってきたホタルを捕食する肉食性の種も存在する。またラン科の植物には羽虫をおびき寄せる腐臭を放って花粉を運んでもらう種があると聞く。

 つまり今回は人間が近寄ってきそうな発光パターンを作り出し、さらには人間を誘い込むにおいまで合成していたということになる。おそらく、そこまで特殊進化した個体だとステージⅢというところだろう。

 幸い夏世が注入された体液はごく少量で、大勢にも影響はなさそうとのことで、いまはこうして彼女の傷の回復を待つことにしている。

 

 

      1

 

 

 (れん)()(ろう)の真剣な分析を受けて『生物オタク』という評価をくれた少女に「仕事に有利な知識を使ってなにが悪い」と食ってかかると「悪くなんてないですよ」と初めて少し楽しげに()を細めた。

「私、少しだけ(うらや)ましいです、延珠(えんじゅ)さんのことが」

 視線を(たき)()に落とした夏世に、蓮太郎は極力さりげない風を(よそお)って口を開く。

「……お前は、伊熊将監みてぇなプロモーターといて楽し……」

「──イニシエーターは、殺すための()()です。()()などありません」

 その返答に、防衛省で(たい)()した(しょう)(げん)とのやり取りが脳裏に再生された。

『道具……?』

『ああ? 決まってんだろ──イニシエーターだよ』

「違う!!」

 叫ぶと同時に、蓮太郎は思わず立ち上がる。

「お前も、延珠も……道具なんかじゃねぇ。道具……なんかじゃ……ッ」

 夏世(かよ)(だま)ってこちらを見上げていたが、やがて(うつむ)き気味に口を開いた。

「……(さと)()さんは、人を殺したことがありますか?」

「えっ……?」

 見ると、夏世は乾いた(ひとみ)で続ける。

「私はあります」

 蓮太郎は(いっ)(しゅん)、なにかの聞き間違いかと思った。

「……人を……人をッ、殺したのかッ!?」

「なぜ怒るのですか? 覚えていますよね、この事件の発端となったモデルスパイダー、岡島(おかじま)純明(すみあき)

「!!」

「彼のように人間からガストレアになり、私たち民警(みんけい)によって殺される例はいくらでもあります。そのとき人々の心に浮かぶ言葉は『退治』『駆除』。でもわかっているはずです。それは(まぎ)れもなく『人殺し』だと」

「……ッ」

「それでも、私たち(イニシエーター)の仕事はガストレアを殺す(退治する)こと。そして持ち主(プロモーター)の命令は絶対です。それがたとえ『人』を殺すことであれ、私は()()として従うだけです」

「……お前は、それでなんとも思わないのか?」

「思って解決するならば」

 カッと怒りが脊髄(せきずい)を貫き、気付けば蓮太郎は夏世に(つか)みかかっていた。

「ッ……。一度……延珠(えんじゅ)がプロモーター(くず)れの犯罪者を殺しかけたことがある……。延珠はそいつの手術中ずっと(ふさ)ぎ込んでたし、助かったと聞いた時は一日中喜んで見舞(みま)いにまで行ったんだ。

 延珠は『殺しの道具』なんかじゃねぇ。人間であり(おれ)の『家族』だ! お前だって──」

「里見さん──それは()(れい)(ごと)です。本当に家族なら、本当に大切なら、戦闘(せんとう)でも()(おもて)に立たせることなく、東京エリアで帰りを待たせるべきなのではありませんか……?」

 夏世の言葉が呼び水となって、先刻(せんこく)の出来事が脳裏をよぎる。

 ドラゴンのようなガストレアに捕捉され、勝ち目がないと()んだ蓮太郎は、逃走手段として延珠の機動力を借りることをごく自然に選択していた。

 俺は…………間違っているのか?

 (とっ)()に返す言葉が見つからず、蓮太郎は(こぶし)を握る。

 だが、夏世はそんな蓮太郎の逡巡(しゅんじゅん)に待ったをかけるように、右手を蓮太郎の眼前(がんぜん)()き出してきた。

「──でも、私は里見さんの言ってくれたこと、否定したくありません。(いく)らでも反論できます。幾らでも理屈を並べられます。でも、あなたは間違っていないと思える。

 (ひとみ)を見ればわかります。あなたは強い人です。でも自信を持てずにいる。もっと信じてください。あなたのことを。()()()に、強い光が(とも)るように。

 ──あなたは、正しいんです」

 あらゆる感情を放棄したような夏世の視線は、いつしか優しいものに変わっていた。

 と、手を下ろした夏世が遠慮(えんりょ)がちに「あの……」と続ける。

「そろそろ起き上がっても、いいですか?」

 そこでようやく自分が彼女を押し倒すような体勢になっていたことに気づき、(れん)()(ろう)(ほお)(こう)(ちょう)するのを感じながら身を起こした。

 なにか飲みませんか、と言って夏世(かよ)は自分の荷の中から湯沸かしを取り出すと、インスタントコーヒーを沸かし始める。

 やがて、マグカップが手渡されると、夏世も自分のカップにスプーンを()っ込んでかき混ぜた。

「お前は……()()()世界をどう思ってる」

 夏世はコーヒーを一口すすってから口を開く。

「……。私にとってはいまが『普通』ですから。そういう(さと)()さんはどうなんですか?」

「……ひどい世界さ。ガストレア大戦前じゃ考えられなかった。でも、この十年間でちゃんと復興を遂げて──」

「本当にそれは、()()()()()なんでしょうか」

 なぜだか夏世の発言にどきりとした。

「どうしてそんな……」

「私は大戦を知らない『無垢(むく)の世代』です。しかし子供を目の前でむさぼり食われ、恋人を醜い化け物(ガストレア)へと変貌(へんぼう)させられた『(うば)われた世代』の胸には、()きだしの(ぞう)()が見え隠れしているように思えます」

 夏世は立ち上がると、トーチカの窓に歩み寄りつつ続ける。

「里見さんの言う十年の復興の間にも、ただ殺戮(さつりく)能力に特化した武器が大量に開発されました。そしてここに、そのなかでも最強最悪と(うた)われた兵器がいまでも天と地を結んでいます。それが──『(あま)(はし)()』。

 ガストレア大戦が生んだ、人類の敗戦を見守りし、超兵器です」

 夏世が指さす方を見上げると、薄くかかった雲の中に走る梯子状の構造物が見えた。

「……これは氷山の一角にすぎません。里見さんも『新人類創造計画』は聞いたことがありますよね?

 『呪われた子供たち(わたしたち)』の戦闘能力の高さに気づいて、立ち消えてしまった計画だそうですが──かつてバラニウム合金の力を使って、最強の兵士を作ろうとした実験があったようです。大戦前の日本では考えられない人体実験までも、行われていたと聞きます」

 蓮太郎が話に聞き入っていると、夏世は蓮太郎の目の前を横切って元いた位置に(こし)を下ろす。

「……まあ、後者は(ひる)()影胤(かげたね)を見るまで都市伝説かと思っていましたが」

「力に……()()()()に頼るのは……()(きょう)(もの)のすることだ……ッ」

「里見さん?」

 蓮太郎はなんと言って良いものかわからずコーヒーに口をつけて誤魔化(ごまか)した。

 その時、夏世の(かたわ)らに置かれた黒い受話器のようなものからノイズと共に野太い男のうなり声が聞こえてきて、はっとする。

 どうやら無線機らしい。夏世が飛びついてつまみを回すと音が鮮明になっていき、やがてそれは忘れたくとも忘れられない男の声になる。

『き……ろよ。オイ! 生きてんだったら返事しろよ!』

 夏世が()(くば)せをした。(しゃべ)るな、ということだろう。(れん)()(ろう)(だま)って(うなず)く。確かに彼に、自分と夏世が一緒にいる理由を説明するのは骨が折れそうだった。

(しょう)(げん)さん? 音信不通だったので心配してました。ご無事でなによりです」

『たりめぇだろ! んなことより夏世、いいニュースがある』

「ニュース?」

『ああ。──仮面野郎を見つけたぜ』

 蓮太郎と夏世は顔を見合わせる。

「どこでですか?」

 ポケットから(つか)み出した地図を地面に広げ、将監が告げたポイントを探すと、すぐに見つかった。海辺の市街地か、近い。

『いま、近くにいた民警(やつら)を集めて(とつ)(にゅう)の準備をしてるところだ。ホントは出し抜いてやりてぇところだが、まぁ仮にも序列が上の相手だしな。荒れてた手柄の話もようやくまとまった。仲良く山分けだとよ、面白くねぇ話だ。お前もぶらついてねぇで早く来やがれ。──まぁ……お前が来る(ころ)には、終わってるかもしれねぇがな』

 夏世(かよ)の返答も聞かずに無線は切られた。確かに将監の後ろで、蛮声(ばんせい)や笑い声が聞こえていた。(しゅう)(げき)計画が進みつつあるというのは本当だろう。

 夏世は早速荷物を畳み始める。

「にしても将監が連携……想像できねぇな」

「なに言ってるんですか里見さん。将監さんは(のう)味噌(みそ)まで筋肉でできているうえ(こら)(しょう)がないのでそもそもバックアップなんてできません。連携とは名ばかりの、ただのリンチになるのが関の山でしょう。そして(いま)だに戦闘(せんとう)(しょく)のシェアを私たち(イニシエーター)に取られたのをひがんでいたりと、考え方が(きゅう)(たい)()(ぜん)としていて困るんですよねあの人は」

 あまりにも歯に(きぬ)着せぬ物言いに蓮太郎は(あき)れ返りながら、そこでふと、まだ一つ、大事なことを(たず)ねていないことに気づいた。

「そういえば、将監が前衛なら、お前は後衛だよな。今更(いまさら)だけどお前はなんのイニシエーターなんだ?」

「……まぁそれは追々(おいおい)ということで。とりあえずいまは──」

 荷物をまとめて肩から()げた夏世はそういって勢いよく(たき)()()み消す。

「行くのか?」

「えぇ、あんな人でも、一応ペアなので。(さと)()さんはどうします? 延珠(えんじゅ)さんを危険な目にあわせたくないなら……」

 その問いに蓮太郎はトーチカから二十メートルほど離れた場所に立つ相棒の小さな背中を見遣(みや)った。だがすぐに視線を夏世の方に戻すと、緩く口角を()りあげてみせる。

「……。いや、行くよ。なんせ、序列千番台のイニシエーターが一緒だからな」

「……あまり買いかぶらないでください」

 言いながらも、夏世はまんざらでもなさそうに口元に(かす)かな笑みを浮かべた。

 

 

 一方その(ころ)──

 東國(とうごく)民間警備会社の面々もまた、防御陣地(トーチカ)から出て渚島(なぎしま)から告げられたポイントを目指していた。(たき)()に当たっていた間は(だれ)()(しょう)に立っていなかったので、夜の森はひどく暗く感じる。よって現在はあえて隊列を(くず)し、(あか)()反響定位(エコーロケーション)(よし)()の嗅覚を頼りに進んでいた。

 直近の海辺の市街地、とはいったものの、そこまでには少しばかり(きょ)()がある。(ゆう)()たちが休息を取ったトーチカの周囲にはただ森が広がるばかりで、目的の街まで目立った人工物が無いのだ。

 途中、何度かガストレアと遭遇(そうぐう)したが、ステージⅠ程度であれば、メンバーに和穏(かのん)まで加わった一行の敵ではない。ステージⅡ以上の個体も目視する前に明理たちが次々と()(そく)し、無用な戦闘(せんとう)を回避。

 そうして歩くこと数十分。森を抜けて開けた場所に出た。首を(めぐ)らせると緩くカーブを描く海岸線の先、複雑な形状に張り出した恐らく港町と思われるシルエットが小さく確認できる。その中に一点だけ、明かりの(とも)った建物。あそこか。

「まだまだ距離があるね。渚島さんの話だと民警(みんけい)たちはもうかなりの数が集まり始めてるみたいだったし、私たちもできるだけ急ごう」

 (あや)()の言葉に勇磨も首肯(しゅこう)を返しながら、改めて(まなじり)(するど)くした。()(しゅう)をかけるというからには夜討(よう)(あさ)()けが基本だろう。あと二時間もすれば夜が明ける。作戦開始前に合流できるか(いな)かは微妙なところだった。

 勇磨たちは一旦(いったん)森に戻り、伸び放題になった下草を()き分けて進む。どこから見ているとも知れない飛行ガストレアに捕捉される可能性を少しでも抑えるために必要な処置だろうという判断だった。

 方角を見失わないようにライトでコンパスを照らしつつ進むと、やがて完全に視界が開ける。目の前の森までは目算で二百メートルほど。遠回りをする()(ゆう)はないが、直進したところでガストレアたちが見逃してくれる保証もない。

 勇磨はクソ、と毒づく。

「社長、迷ってる時間はねぇぞ。ここを()っ切るしかないだろ」

 彩花は勇磨の言葉に、深呼吸して一歩()み出した。その時「待ってください」という声が掛かる。

 見ると、(となり)に立つ相棒が(ひとみ)を細めて前方を見据(みす)えていた。

「明理?」

「あれは、まさか……」

 (つぶや)きながら、ラクシオから(うば)い取ったままになっていたライトのスイッチ(ふた)をひねる。

 その時、光の()が切り取った辺りの草むらでがさりとなにかが動いた。ややもせず、その中から小さな影が飛び出してくる。

 最初に見えたのは、二つの深紅(あか)い瞳だった。それが一人の少女だと気づいて、(ゆう)()は思わず息を()む。

 必死の(ぎょう)(そう)で走ってきた彼女もこちらに気づくと、勇磨たちの五メートル手前で立ち止まった。

 暗い色のミリタリージャケットにショートパンツ。さらさらの焦げ茶色の髪は無造作なショートだが、(ひたい)の両側で結わえた細い房がアクセントになっている。荒い息をつきながら、セルフレームの眼鏡(めがね)の奥でネコ科の動物を思わせる双眸(そうぼう)を軽く見開いていた。

「君は……」

 見覚えのある顔に、勇磨が呆然(ぼうぜん)と口を開きかけた、その直後。

「──みんな、逃げてッ!」

 逃げる。それが、少女の出した答えだった。

 確かに彼らは強い。それは防衛省で(しょう)(げん)に向かっていった彼の態度からも薄々(うすうす)感じていた。しかしそれもあくまで少女の常識で測り()る範囲内での強さだ。

 彼らを連れて引き返したところで、死の体現者たるあの()(じん)たちを相手になにができる? ここで戻れば今度こそ逃げられない。よしんばいいところまで食い下がれたとして、死んでしまったらおしまいなのだ。それでは先ほどの(しゅう)(げき)作戦の二の舞いになる。そして今度こそ、奴らを止める手段が無くなってしまう。

 ならばいっそのこと全員で撤退(てったい)し、一刻も早く本部に戻って救援を要請した方が合理的だ。多少の時間は掛かっても、確実に十分な戦力を確保できる。

 以上の思いを込めた叫びに、だが(あん)(じょう)というべきか、彼らは(めん)()らったようだった。

「ちょッ、ちょっと待ってくれ。逃げろってどういうことだ? (わり)ぃけど、いちから説明してくれるか?」

 少年の言葉に、(はや)る気持ちを(おさ)えるように胸に手を当て、深呼吸する。ひと息で調(ちょう)(そく)を終えると、改めて顔を上げた。

「あなた達とは防衛省で一回顔を合わせてるし、まずは自己紹介からね。私は(かぶら)()弥由紀(みゆき)()()(じま)ロイヤルガーダー所属のイニシエーターよ。……いえ、元、というべきでしょうね。だって、私にはもうペアを組む人がいないんだから」

「ペアがいないって、まさか……ッ」

 少年がなにかを言いかけたところで、(かたわ)らの相棒と(おぼ)しき少女が彼の脇腹(わきばら)(ひじ)小突(こづ)く。

 全員で簡単な自己紹介を()わしてから、改めて少女──(あか)()(たず)ねた。

「弥由紀さんも()(しゅう)に参加していたんですね。それでペアがいない、というのはどういう意味です?」

 その問いで改めて()き上がってきた恐怖と絶望感を飲み(くだ)し、弥由紀は(ふる)える吐息をつく。

「作戦は失敗したわ。集まった民警(みんけい)は私たちを含めて十四組と一人。大まかに接近戦部隊と中・遠距離部隊の二つのチームに分かれて、まず接近戦部隊の人たちが一斉(いっせい)(とつ)(にゅう)したんだけど……あいつらには歯が立たなかった。そのあと私たちも立ち向かったけど、多分いまごろにはもう……」

 目を伏せて首を振ると、一同の表情にも絶望の色が浮かんだ。(あや)()が両手で口元を(おお)う。

「なんてこと……ッ」

「それじゃあ、どうやってここまで……?」

 (ひな)()の問いに、(こわ)()る口をどうにか動かした。

「私たちペアは最初、(ふた)()に別れて離れた位置に隠れてたんだけど、戦いが始まって二分ぐらいで無線機の通信が切れたの。その時点で私は逃げ出した。ここにいたらみんな殺される。それだけは絶対に()けないとって思ったから」

 顔を上げ、もう一度全員の顔を視線でなぞる。

「だからお願い、私と一緒に逃げてッ。本部に戻って応援を呼ぶの。あいつらを止める方法なんて、私にはもうそれぐらいしか思いつかない……」

 (うつむ)いた弥由紀の言葉に、(ゆう)()たちは困惑して互いに顔を見合わせた。確かに、彼女の意見にも一理ある。奇襲が失敗したならば一度引き返し、他の民警の応援を待つのが得策だろう。

 だが、弥由紀の予想通り民警チームが全滅(ぜんめつ)していた場合、影胤(かげたね)(はば)むものは何も無くなってしまったことになる。

 いまから応援を呼びに戻って、間に合うのか。

「状況は()(あく)しました。ですが、もう引き返している()(ゆう)はなさそうですよ」

 勇磨が逡巡(しゅんじゅん)していると、(かたわ)らの明理がそんなことを言い出した。

「じゃあ、どうするっていうの!? この場の全員で立ち向かったって、そう易々(やすやす)と勝てる相手じゃ──」

「──いえ、そういうことではなく」

 ()みつくようにまくし立てる弥由紀(みゆき)の言葉を軽く手を上げて制する。見ると、彼女は横手の森の奥の方を静かに見つめていた。

 

 

 東國(とうごく)民間警備会社の面々が、弥由紀との邂逅(かいこう)を果たした、その少し前──

 まだ市街地から遠く離れた深い森の中を、一組の民警(みんけい)ペアが進んでいた。

 黒エナメルの多い服に身を包んだ少女・片桐(かたぎり)()(づき)は左右に分けて()った金髪をバリバリと()く。

「ねぇ兄貴ぃ、この森いつ終わるの?」

 すると前を行く、フィールドジャケットを羽織(はお)った長身の男性が()い茂る枝葉をかき分けつつ(こた)えた。

「そうカリカリすんなよ、マイスウィート。仕方ねぇだろ? オレっちたちが任された場所が街から離れてたんだからよ」

 言いながら男性・片桐(たま)()飴色(あめいろ)のサングラスごしに振り返ると、弓月は(いら)()ちの中にも不安を(にじ)ませた表情でこちらを見上げてくる。

「わかってるけどさぁ……間に合うの、これ?」

 その問いに、玉樹も(しぶ)い顔で森の向こうを見た。

「どうだかな……。確かにもう(だれ)かが影胤(かげたね)を見つけててもおかしくねぇ(ころ)()いだ。もしオレっちの読み通り(やつ)らが街にいるんなら、急がねぇとな」

 (うつむ)いてしまった妹に思わず()みこぼれると、玉樹は彼女の頭髪をくしゃくしゃと掻きまぜる。

「心配すんな。地形はこの通り()(ちゃ)()(ちゃ)だがコンパスは問題なく使えるし、迷うことはねぇ」

 ニッと笑ってみせると、弓月は微笑とともに小さく(うなず)いた。

 それからしばらく歩くと、やがて森が途切れ、見晴らしの良い平野部に出る。三日月型に湾曲した湾の先、遠く対岸に一点だけ明かりが小さく確認できた。

 玉樹は思わず苦い表情になって悪態をつく。

「シィット、こりゃ相当(きょ)()あるな。あそこまで行くには随分(ずいぶん)と骨が折れそうだ。……なぁ弓月、海の上を跳んで渡るとか、できるか?」

 ()(づき)はモデル・スパイダー、(すなわ)ちクモの因子を体内に宿したイニシエーターだ。彼女には両手の指先から不可視の糸を出し、自分の動いた空間に張り巡らせるテリトリー作成能力がある。

 それを考慮に入れたうえでの駄目元の問いかけに、弓月は案の(じょう)というべきか、信じられないという声を上げた。

「はぁ? そんなことできるわけないじゃん。なに言ってんの兄貴?」

「だよなぁ……」

「バカなこと言ってないでさぁ、早いとこ先を──」

 しかし、そこで不意に動きを止めると、視線をさっと街の方に振る。

「? どうした?」

 見ると、弓月は緊張した(おも)()ちで口を開いた。

「……兄貴、多分いまの、銃声だ」

「……ッ。お前、この距離で聞こえたのか?」

「聞こえたっていうか、(いっ)(しゅん)空気が(ふる)えたから……」

 その返答に(たま)()は納得する。網を張るクモは獲物がかかったことを糸の振動で感知すると聞く。

「じゃあ戦いはもう始まっちまったってことか。ならいまから(あわ)ててもどうにもならねぇな」

「兄貴?」

 玉樹は(きびす)を返すと、森の方に向き直った。

「ちょっと考えりゃ簡単な話だったんだ。未踏査領域でドンパチやれば、その音を聞きつけたガストレアが必ず集まってくる。オレっちたちの敵は、この作戦が始まった(しゅん)(かん)から影胤だけじゃなかったってことだ」

「なるほどね」

 それだけで()(さい)承知したらしい弓月が(となり)に来る。

「あのクソファッキンな仮面野郎には一発キツいのをこの手で入れてやりたかったんだがな……」

 玉樹が胸の高さで(りょう)(けん)を握ると、手甲(ガントレット)に埋め込んだ動力ユニットが起動。怒り狂ったハチのうなりに似た回転音をまき散らし始める。

 玉樹が使う武器(ぶき)は、バラニウム製の回転ノコギリ(チェーンソー)。手甲とコンバットブーツに小型化した動力ユニットを埋め込み、打撃と同時に標的の肉を削り取るものだ。

「腹ぁ(くく)れよ、マイスウィート! ここが正念場だ。向こうの連中が影胤(かげたね)に勝つかどうかは()けでしかねぇが、こうなった以上オレっちたちはこっちに集中だ。寄ってくるガストレアはここで残らず仕留(しと)める!」

 ()(づき)も力強く(うなず)くと、大地を踏みしめて力を解放。(ひとみ)が真っ赤に赤熱する。

 やがて、森から様々な鳴き声が聞こえてきた。弓月が腰を落としながら静かに口を開く。

「あたしは逃げ出す奴が出ないように(わな)張ってくる。兄貴はここでガストレアを押さえ込んでて。仕込みが済んだらあたしもすぐ戻るから」

「おう、気をつけろよ」

「わかってる」

 不敵に笑うと弓月は(ひざ)をたわめて思い切りバネの力を溜め、(ちょう)(やく)樹冠(じゅかん)を大きく越えて森の中へと消えていった。

 

 

      2

 

 

 午前四時。

 延珠(えんじゅ)を呼び戻して、三人でトーチカを出た。

 ぬくぬくと(たき)()に当たっていた(れん)()(ろう)たちより、外で長時間見張りに立っていた延珠の方が(はる)かに夜目(よめ)()いたので、先頭に立たせることにする。

 しばらく歩くと周囲をぐるりと森に囲まれた小高い丘に出た。眼下には不気味なほど静まりかえった街が広がっている。息を吸い込むと、()(こう)に運ばれてくる潮の(にお)い。

 三日月型に湾曲した湾には漁船や小型のボートなどが無数に係留されている。小さな街だ。大戦前も過疎化に悩まされていたのではないだろうか。

「ここに……影胤(かげたね)が……」

 蓮太郎が(つぶや)いていると、背後で(かが)み込んでいた夏世(かよ)が静かに口を開いた。

「この高台、つい先ほどまで野営を組んでいた形跡があります。(しょう)(げん)さんたちはもう街に降りたようですね」

「よし、じゃあ(おれ)たちも──」

「……(さと)()さん、延珠さん──静かに」

 夏世が口元に人差し指を当てた──次の(しゅん)(かん)(やみ)を切り裂く乾いた破裂音が聞こえて、蓮太郎はぎょっとして振り向く。

「銃声!? 始まったのか!?」

「蓮太郎ッ、あそこだ!」

 延珠が指さした先、(いっ)()(しょ)だけ明かりの(とも)る協会と(おぼ)しき白い建物周辺から、銃声と高い剣戟(けんげき)音が断続的に(ひび)いていた。

「くそッ! 夏世ッ、静かにってのはこのことだったのか!?」

「いいえ──別件です」

 夏世がこちらに背を向け立ち上がると、蓮太郎たちが歩いてきた道から、四本足の(けもの)が弾丸のような速度で飛び出してくる。

 宙高く身を(おど)らせたのはシカのガストレアだった。上半身の皮膚の至る所を突き破って(つの)()えている。

 力を解放して正面からそれを(むか)()つ夏世の判断は、至って冷静だった。

(ひだり)(まえ)、一歩半」

 短くそう呟きながら左前方に軽く()み出すと、凶悪なシルエットをもつガストレアの突進(とっしん)を最小限の動作で回避。

「「な……ッ!?」」

 しかし、まだガストレアも(あきら)めてはいない。地面を(えぐ)りながら四つの(ひづめ)で制動をかけ反転すると、今度は夏世の背中めがけて()っ込んでくる。

 蓮太郎たちは(あわ)てて両手をデタラメに振り回し合図を送るが、それでも夏世は動じていなかった。

「急な反転により(きょ)()計れず、右前足着地時──バランスを、(くず)す」

 あわやガストレアの角が夏世に届かんとしたとき、不意にその体が(かし)いだと思ったら、突進の勢いもそのままにこちら側に向けて()き飛んでくる。夏世はそれを屈んでくぐると、まだ空中にあるシカの鼻先にショットガンの銃口を据えた。

「なんで……ガストレアの動きがわかるのだ?」

「考えるんです」

 呆然(ぼうぜん)と発せられた延珠(えんじゅ)の問いに答えながら、夏世は(かん)(はつ)()れず引き金を引く。

 だが、事態はそこで終わらなかった。

 発砲音が響き渡るのと同時に、彼女の背後の森から大小二体のガストレアが飛びかかってくる。

(あぶ)ねぇッ!」

 蓮太郎は今度こそ矢も(たて)(たま)らず駆けだすが、夏世は余裕の笑みを消してはいなかった。

「そのための──『力』ですから」

 直後に起こったことは常識の埒外(らちがい)の現象だった。

 蓮太郎の眼前(がんぜん)で巨大ななにかが高速で跳ね上がる。かと思うや、ガストレアの小山のような巨体が突如(とつじょ)としてさいの目状に切り刻まれ、重い震動(しんどう)を立てて崩れ落ちたのだ。

 あまりの出来事に、蓮太郎と延珠は二人(そろ)って口をあんぐり開けたまま固まってしまった。

「バラニウム製のワイヤートラップです。ある程度の重量がかかれば発動するようにしておきました。平野に出るところを(ねら)っていたのでしょう。大型のガストレアは(せま)い森の中では速度が出ませんから」

「お(ぬし)……ッ」

 夏世(かよ)は、悠然(ゆうぜん)とショットガンの遊底(スライド)を引いて(はい)(きょう)しながらこちらに向き直り、(おごそ)かに告げる。

「私は──モデル・ドルフィン。イルカの因子を持つイニシエーター(『呪われた子供たち』)です」

 その様子を呆然(ぼうぜん)と眺めながら、(れん)()(ろう)は知らず()みこぼれていた。

「なるほど、イルカのイニシエーターか……。どうりで知的な物言いをする子どもだと思ったよ。(おれ)はてっきりシカ……」

「──(さと)()さん」

「?」

「グズグズしないで、早く港へ向かってください」

 再び背を向けて発せられたその言葉に、表情を引き()める。

「……お前はどうするんだよ」

 話している間にも夏世は背嚢(はいのう)を下ろすとありったけの予備弾倉を地面に並べ始めた。

「ここに残ります」

「は?」

「里見さんには聞こえないんですか? ここで(だれ)かが食い止めない限り──勝っても負けても全滅(ぜんめつ)しますよ」

 彼女の台詞(せりふ)が終わると同時に、(いま)(がた)抜けてきた森から高い鳴き声や低い(うな)り声が聞こえてきた。街から聞こえてきた銃声で目を覚ましたガストレアが様々な周波数帯で仲間と交信しているのだ。

 森を向いたまま「だから早く……」と続ける夏世に、だが蓮太郎はわずかな黙考の(のち)(こぶし)を握ると彼女の(となり)に進み出た。

「里見さん……?」

「向こうには(しょう)(げん)の他にも同序列、もしくはそれ以上のペアだっているはずだ。それならいっそ、俺もここを守って──」

 突如(とつじょ)、なにか白いものが猛烈(もうれつ)なスピードで(ほお)炸裂(さくれつ)し、蓮太郎は動きを止める。

 蓮太郎に平手打ちを浴びせた少女は、静かな怒りの(まな)()しでこちらを見上げていた。

「里見さんは未踏査領域(ここ)に何をしに来たのですか? 仲間ごっこですか? もし、将監さんたちが負けたらどうします? 三人でここを守っていた、それでどうなるんです?

 私一人よりもあなたたちのほうが戦力になると判断したからこそ、私が残るんです。いまできうる限りの最善手を打ってください、民警(みんけい)ならば!」

「だからお前をほっとけっていうのかよ!?」

 蓮太郎は叫び返すが、夏世の(ひとみ)に宿った強い意志は()(じん)()らがない。

「将監さんならそうします。私はあの人の道具です。あの人のために戦い、あの人のために死ねるんです。そしてあの人も振り返ることなく新しい相棒(イニシエーター)と組み戦い続けるはずです」

 蓮太郎は歯を食いしばり、(のど)から声を(しぼ)り出す。

「なんでだ。お前は普通の人間として……生きていきたいって思わねぇのか……? お前がそう考えるようになったのはどうしてだ。将監のせいなのか?

 もし……そうだとしたら……すまねぇ……。──俺は将監(アイツ)を、許せねぇ……ッ」

 夏世は(きびす)を返すと、ショットガンを拾い上げながら穏やかな調子で(こた)えた。

「……あなたはそれでいいんです。でも、ひとつ勘違(かんちが)いしているようですね。私だってここで死ぬ気はありませんし、そう命令も受けていません。様子をみて適当なところで切り上げますよ。

 里見さんにとっては()()(かい)な人かもしれませんが、もしよかったら──将監さんのこと、頼みます」

 

 

(れん)()(ろう)

 街までの斜面を()け降りていると、蓮太郎の(かたわ)らでウサギのように跳ねる延珠(えんじゅ)が、(めずら)しく真剣な(おも)()ちで視線を前方に()えたまま口を開く。

(わらわ)は、蓮太郎の相棒(イニシエーター)でよかったと、思っているぞ」

「……。あぁ……」

 もう、街は目と鼻の先だった。

 

 

 街に入ってからは、蓮太郎は建物の影を縫うように進んだ。家屋や小さなビルが原形を(とど)めているところをみると、ここの住人はガストレアに(おそ)われる前に早々に街を捨て東京に逃げ込んだのだろう。

 原形を留めてはいるが、完全に、というわけではない。通常、暖房が使われなくなった住宅は、寒暖差の影響をモロに受けて、(ぼう)(ちょう)収縮を繰り返した壁がぼろぼろになってしまう。併せてこの街に関しては潮風が基材を腐食させるので、より事態は深刻といえる。

 ()ち果てた街を見ながら、蓮太郎は人工的な環境の弱さをまざまざと感じた。

 無数に係留されたボートも(さび)だらけで、漁船に至っては幽霊船と()(まが)うばかりの奇々怪々な有様(ありさま)に変じている。風が吹くたびに、闇色(やみいろ)に塗られたシルエットがギッと耳障(みみざわ)りな音を立てた。

「延珠、もう少しで目的地だ。気ぃ抜くなよ」

「わ、わかってる!」

 徐々(じょじょ)に、銃声がした付近に近づいてきた。蓮太郎の心臓がばくばくと拍動する。レーダーのように敏感になった肌は、風が吹くたびにチクチクした。

 ──それにしてもおかしい。さっきから物音ひとつ聞こえない。影胤(かげたね)を倒したのなら、誰かが勝鬨(かちどき)くらい上げるんじゃないか。なぜ、こんなにも静かなんだ。

 (じゃ)()になった消音器(サイレンサー)を外し、右手にXD(けん)(じゅう)、左手にライトを持つ。(うで)を交差させて、手の甲同士を密着させるが、ライトはまだつけない。出会い(がしら)にライトの光を(たた)きつければ、相手の視界を奪いながら一方的に銃撃できるからだ。ハリースと呼ばれる近接戦闘用(CQB)銃撃テクニックである。

「──……夏世(かよ)……か?」

 その時、蓮太郎たちの行く手からドシャッという音がして、危うく発砲しそうになった。

(おせ)ぇぞ……。どこ、ほっつき歩いてやがっ……た」

 声の主・()(くま)(しょう)(げん)は、重い足取りでふらつきながらも、こちらに向かってまっすぐ歩み寄ってくる。延珠が明るい顔になって蓮太郎を見た。

「ということは──ッ」

「ああ、民警(みんけい)が、(ひる)()影胤に勝っ──」

 しかし、正面に視線を戻した蓮太郎の言葉はそこで途切れる。将監の背には、折れた巨剣(きょけん)が突き刺さっていたのだ。

「「!?」」

 ハッとした延珠(えんじゅ)が辺りを見回すと、闇の中から通りにぶちまけられた地獄絵図が浮かび上がってくる。

 一番近いものは、ほんの数メートル先にあった。

 切り(はな)されたイニシエーターの頭部は、顔に(きょう)(がく)を張り付けたままこちらを見つめている。

 その奥に点々と転がる死体の状態は、様々だった。下半身のないもの、上半身のないもの。元々は一人の人間だったものもあるのだろう。

 腕や(あし)を切断されたものもある。その(すき)()には銃を握ったままの腕や、(だれ)のものともつかない肉塊(にくかい)が転がっていた。

 彼らの身体(からだ)に刀や(やり)が突き立っている一方で、折り重なって倒れるプロモーターやイニシエーターの方は(すみ)やかに銃殺されている。

 その中には、防衛省で見た顔もちらほらあった。

「なんだ……ッ。一体これはなんなのだ、蓮太郎!」

 目を見開いたまま凍りつく(れん)()(ろう)の姿や、(あえ)ぐ延珠の言葉を意に介する(ふう)もなく、将監は続ける。

「おい夏世……聞いてんのか……。さっさと()()()……持ってこい……」

 ──将監……ッ。

「蓮太郎!」

 不意に横合いから掛けられた声にそちらを見ると、延珠が(くだ)けた巨剣の(つか)側を両手で(かか)えていた。

「へッ……。随分(ずいぶん)軽く……感じるな」

 愛剣が折れていることに気づいた様子もなく、将監は傷だらけの手を差し()べてくる。

「おら……お前が(おく)れッから目も耳もイカれちまったんだ……。とっととあの仮面野郎のとこまで……連れていきやがれ……」

 (うつ)ろな(ひとみ)(のど)の奥から荒い喘鳴(ぜんめい)を漏らしながらも、将監は続けた。

「次は……負けねぇ……ッ」

 顔や(うで)を始め体の至るところに負った切り傷から血を流しながら声を(しぼ)り出す将監を直視できず、蓮太郎はぎゅっと目をつぶって(うつむ)く。

 ──無茶だ……! いくらお前でも、もう……ッ。

 だがその時、差し出されたままだった将監の手の指を、小さな手がそっと握った。

 ──!? 延珠……!?

 延珠は何も言わず、決意の()もった(まな)()しで将監の手を引いていく。

 ()み渡る満天の星空のもと、血の海と化した路面を()みしめる緩慢(かんまん)な足音だけが(ひび)く。そんな中、ドクロスカーフの下から発せられた切れ切れの声が、 海風に乗って蓮太郎の耳に届いた。

「やっぱり……戦いってのはいいな……。俺、みてぇな(わん)(りょく)しか、能のねぇヤツでも、唯一(ゆいいつ)、自分の存在を感じられる……。

 ──お前()……そうだろ……? 夏世(かよ)

 その一言を聞いた(しゅん)(かん)、蓮太郎の思考が(つか)()漂白され、直後に(まなじり)が裂けんばかりに見開かれる。

「俺たちは……戦いから、離れれば離れる……ほど、(いて)ぇ目を見る……。(かな)いっこねぇ夢を語れば……語るほど……(つれ)ぇ思いをするんだ……ッ」

 将監の言葉が呼び水となって、先日の出来事が思い起こされる。

 影胤(かげたね)の卑劣な策により『呪われた子供たち』であることを(ばく)()された延珠は、(かよ)っていた小学校の退学を余儀(よぎ)なくされた。

 同級生から恐怖や嫌悪の視線を向けられ、化け物と(ののし)られ、最後には信じていた親友にさえ、周囲が延珠の仲間と見做(みな)すことを恐れて目を(そむ)けられた。

「だったら黙って俺に、使われてろ……。その間……その時間だけが……お前の存在を、正当化する……。

 ……夏世。……俺、たちは──」

 

 正しいんだ。

 

 不意に(しょう)(げん)(ひざ)をつき、手から滑り落ちた金属(かい)がアスファルトを跳ねる騒々(そうぞう)しい音が(ひび)き渡る。

 もう、二度と動き出すことはなかった。

 その半身に続いて、持ち主をも永遠に(うしな)った巨剣(きょけん)(つか)部分が、路面の上で(さび)しげに()(じろ)ぎする。規則的なガランガランという音は(うつ)ろな響きで通りを満たし、やがて消えていった。

 (れん)()(ろう)(こぶし)を握りしめると、食いしばった歯の(すき)()から(ふる)える声を絞り出す。

「わかってたんだ……。アンタは全部……ッ、わかってたんだ……ッ!!」

「蓮太郎」

 すると(かたわ)らに倒れ()した将監を複雑な表情で()()ろしていた延珠(えんじゅ)が、こちらに背を向けたまま(うつむ)き気味に口を開いた。

夏世(あの女)に、謝らなければならないな……」

『里見さんにとっては()()(かい)な人かもしれませんが、もしよかったら──将監さんのこと、頼みます』

「あぁ……謝るよ。許してもらえるまで、何度もッ、何度でもだ! だけどッ」

 顔を上げ、決然(けつぜん)と正面を見据(みす)える。

「その前に、やらなきゃなんねぇことがある」

 延珠も、静かな声でそれに(こた)えた。

「わかってる」

「──最後の、戦いだ」

 

 

 寄せては返す波の(つづみ)

 そのペアは桟橋(さんばし)の先端に(たたず)み、海面を眺めていた。

 ワインレッドの(えん)()(ふく)(そで)を通したシルクハットの怪人は、右手を胸の高さまで持ち上げるとおもむろに語り出す。

「初めて会ったころから、どうにも気になっていたんだ。君はいつも私の心のどこかに必ずいる。なぜだ? 私は強さを求め、また強い者を求める。

 いままでの圧倒的な敗北、圧倒的な恐怖を体験した君が、私のこの気持ちに答えられるなにかを、持っているというのか?」

 そこでシルクハットのつばに手をかけると、燕尾服の長い(すそ)(ひるがえ)してこちらに向き直った。

「──教えてくれないか、(さと)()くん」

 大量の手練(てだ)れを迎撃(げいげき)全滅(ぜんめつ)させた後だというのに、その体にはかすり傷一つない。

 同じく手傷を負った形跡のない黒ワンピースの少女は、つまらなさそうな顔でその言葉を聞いていた。

 しかし、蓮太郎の(となり)(しゃく)(ねつ)色の(ひとみ)に敵意を(みなぎ)らせる延珠の姿を認めると、すぐさま獰猛(どうもう)な笑みを浮かべて(こし)に差した二刀の(さや)を払う。

影胤(かげたね)……ケースは、どこだ……ッ!」

 生ぬるい風が肌を()でていく。月を背にして、(ひる)()影胤は鷹揚(おうよう)に手を広げた。

「幕は近い。決着を、つけよう!!」

 

 

      3

 

 

 蓮太郎が死闘に身を投じた、その少し前──

 

 (まが)()公立大学の本校舎から三百メートルほど離れたところに建つ大学病院。

 その北側、ひとけの少ない廊下の()き当たりには、床を四角く切り取った穴がある。

 かなりの急角度でついた階段を降り、悪魔のバストアップが刻まれた(とびら)をくぐれば、そこは法医学教室の室長が暮らす地下室だ。

 その法医学教室室長にしてガストレア(かい)(ぼう)()(むろ)()(すみれ)は独りノートPCに向かい、研究資料の整理をしていた。

 その時、背後からノックの音が聞こえる。

 手を止めて見ると、()し目がちな黒いセーラー服の少女が所在なさげに片腕(かたうで)(かか)えて歩いてきていた。

「おやおや、今日(きょう)はいかがされましたか? ──天童(てんどう)社長」

 

 

 席を立った菫が、コーヒー豆をコーヒーサーバーに突っ込みスイッチを入れると、ミルを()くガリガリという音が(ひび)き始める。

 そんななかで()(さら)は、引きずるほど長い白衣の背に向けて訥々(とつとつ)と語り出した。

「先生、その節は……お世話になりました」

「……その節、ね。世話なんて焼いた覚えはないな。自分の(ふく)(しゅう)のためにメスを持ったことはあるがね」

「それでも……ッ。先生のお(かげ)で、(さと)()くんは生きています。ありがとう……ございます」

「…………どうした、木更。今日はやけにしおらしいじゃないか」

 少しの間をおいて、思いがけず発せられた穏やかな声に、木更がふと顔を上げる──ところを見計らったように振り向いた菫の口角は、彼女が全力で木更たちをからかうとき特有の角度に()り上がっていた。

「──そんなんじゃ、(れん)()(ろう)くんがル◯ンダイブしてくるぞ?」

「しません! 里見くんはそんなこと!」

 (ほお)を真っ赤にして叫ぶ木更を(しり)()に、なおも菫が「そうかなぁ? いざとなったらしてもおかしくなさそうだけどなぁ」などと(つぶや)いていると、木更の語調は再び弱々しいものになっていく。

「私……止められなかったんです。里見……くんの事……」

 見ると、木更は(しょう)(ぜん)(うな)()れていた。菫は、鼻から小さくひとつ息を吐くと、ソーサーに()せたコーヒーカップを彼女の前のテーブルにそっと差し出す。

「木更。……止めても行ったさ」

「〜〜〜……ッ。でもッ。あのとき私を(かば)いさえしなければ──」

「──あのとき手術なんてしなければ」

 後付けの取っ手をつけた耐熱ビーカーからコーヒーをひと口(すす)り、菫は続けた。

「彼は言ってたよ。『あの日から一度だって恨んだことなんてない』とな。木更。私はその言葉を、彼を──信じたいんだ……」

 

 

 午前四時五分。

 生ぬるい風が(れん)()(ろう)の肌を()でていく。空気が張り詰め、呼吸することに罪深さすら感じる。

 汗ばむほどの(とう)()に、息苦しさに(おそ)われネクタイをむしり取るとブーツの底で土をにじった。天童(てんどう)戦闘(せんとう)(じゅつ)(ひゃく)(さい)()(きゅう)の構え』。天地は永久無限の存在であることを意味する攻防一体の型。

「構えろ延珠(えんじゅ)

「わかってる」

 (すで)に戦闘態勢に入っていた延珠(えんじゅ)が静かに答えると、敵も応じるように構えた。影胤(かげたね)が、()(ちょう)のフルオートカスタムベレッタを抜くと大型スタビライザーに格納した(じゅう)(けん)ユニットを展開し(りょう)(よく)を広げ、小比奈(こひな)も二本の小太刀(こだち)を六時を指すように上下に構える。直角交差した銃と剣は、月光を乱反射しながら死の十字架(デッド・クロス)を形作り、死にゆく者にあまねく(しん)()を刻みつける。

「準備はいいかい、小比奈?」

「はいパパ」

 二人(そろ)って正面を向いたまま短い問答を終えると、影胤は再びこちらに語りかけてきた。

「さあ(さと)()くん、物語は最終局面に入った。お互い、盛大にいこう」

 チリチリという断続的なスパーク音とともに、(うつむ)き気味に両(うで)を広げた(えん)()(ふく)の全身を青白い燐光(りんこう)が包み始める。

「──『マキシマム・ペイン』」

 突如(とつじょ)、影胤を取り巻く燐光が球状に(ぼう)(ちょう)。恐ろしい勢いで全員が立っていた桟橋(さんばし)を半分ほども粉々に破壊し、蓮太郎たちに殺到(さっとう)する。

 すかさず延珠が蓮太郎の腕をとると、後方に大きく(ちょう)(やく)した。視界が狭まるほどの強烈な加速度に、歯を食いしばる。

 しかし、攻撃(こうげき)は二段構えだった。

 (ひとみ)に赤い残像の尾を引きながら、黒いワンピースの少女が弾丸(だんがん)の速度で視界に(せま)る。

 延珠があわてて蓮太郎と靴の裏を合わせ、お互いを足場にして()(はな)すと、(しゅん)(こく)前まで蓮太郎たちがいた空間をなにかが(さっ)()した。延珠の靴底に仕込まれた重り(ウェイト)を小比奈の剣閃(けんせん)(かす)めたのか、バラニウム同士が(こす)れ合う甲高(かんだか)い金属音が(ひび)く。

「延珠!」

「蓮太郎!」

 空中で切り離された蓮太郎たちは反射的にお互いへと手を伸ばすが体勢を立て直せるはずもなく、すぐに(いし)(だたみ)が回転しながら近づいてきた。

 脳が高速で演算し、ほんの(つか)()時間の流れを遅く感じる。空中で後転すると首尾よく足が下に向いた。直後に石畳が(おそ)いかかってくる。

 内臓まで響く震動(しんどう)に蓮太郎が顔をしかめながら立ち上がると、ほどなくして濛々(もうもう)と立ち込める()(じん)の中に異様な長身のシルエットが浮かびあがった。

「やれやれ、小比奈はどうしても君のペアと遊びたいらしい。困った子だ」

 (くら)い気を(はな)ちながら仮面を押さえて白煙の(とばり)をかき分け悠然(ゆうぜん)と歩いてくる影胤(かげたね)を油断なく見据(みす)えながら、蓮太郎は静かに口を開いた。

「……いますぐ……いますぐ『七星(ななほし)()(さん)』とやらをぶち壊せば、ステージⅤの(しょう)(かん)を止められるの──」

「──不可能だ」

 両手を後ろ手に組んだ姿勢から右腕だけをこちらにまっすぐ伸ばし、(あい)(じゅう)『サイケデリック・ゴスペル』を照準する。

「私が立ちはだかっている」

 同時に蓮太郎もXD拳銃をドロウして影胤に向けると、決然(けつぜん)(にら)んだ。

「だったらぶっ飛ばして通るまでだ」

 

 

 午前四時十分。

 (さと)()(れん)()(ろう)(ひる)()影胤(かげたね)(たい)()を八百メートルの高空から静かに見下ろす電子の()があった。

 東京エリア第一区にある日本国家安全保障会議(JNSC)では、偵察(ていさつ)飛行している無人機(UAV)に備わる各種データ送信技術が、ほぼリアルタイムで映像を会議室のモニターに表示させている。

 作戦本部である会議室内には、死のような静けさが降りていた。

 長机に腰掛けた内閣官房長官や防衛大臣が気まずげにちらちらとお互いの顔を盗み見ている。

 つい先ほど、十四組と一人、計二十九人もの民警(みんけい)の社員が総出で蛭子影胤に挑みかかり返り討ちにされた映像を見たばかりだ。

 長机の(かみ)()に着いたJNSC議長・(せい)(てん)()は、真剣な(ひとみ)でモニターを見据えながら口を開く。

「現在、付近に他の民警は?」

 近場にいた渚島(なぎしま)後輩(こうはい)()(はぎ)()(ばや)くノートPCを(たた)くと即答した。

「一番近くにいるペアでも、到着に一時間以上かかるかと思われます」

 そのやり取りを受けて、渚島も自身のノートPCの画面に視線を落とす。

 液晶画面には東京湾沿岸の平面地図が映し出され、その上にGPSの反応を示す輝点(ドット)が点々と表示されていた。

 現在交戦中の二組の民警ペアからおよそ一.五キロ(はな)れた小さな平地に固まる複数の点。そこから海岸線沿いにさらに数百メートルおいて二つの点がある。

 単純計算では、一時間どころか三十分もあれば充分到達可能な(きょ)()だが、当然そうは(とん)()(おろ)さない。

 未踏査領域での活動はいかなる場合も音を立てないことが鉄則である。加えて、影胤の()(しゅう)が決行されたいま、戦闘音(せんとうおん)で目を覚ましたガストレアたちが音源へ向けて四方八方から集まってきているに違いない。

 決戦の舞台となった港町を目指している民警たちはそうしたガストレアの目をかい(くぐ)り、または倒しつつ進まねばならないのだ。

 どんなに上手(うま)く事が運んでも、少なくともその倍は時間が掛かるだろう。

 そして、問題はそれだけに(とど)まらない。

 渚島が地図上の輝点をクリックすると画面が急激に拡大されて、やがて一組の民警ペアが映し出される。続けてキーボードを叩くと、映像がトリミングされ、彼らの顔に焦点が当てられた。

 登録された顔のパターンと民警サイトの名簿リストの照合が完了し、ややもせず写真がポップアップ。

 片桐(かたぎり)民間警備会社。小さい事務所を(きょう)(だい)で経営しているペアで、ハチャメチャなパンクファッションに身を包んではいるが、これで千八百九十位の高位序列者らしい。

 タブを閉じると、今度は(いっ)()(しょ)に固まっている複数の点付近をクリックする。

 拡大された画面を一瞥(いちべつ)し、渚島は思わず内心で笑みこぼれた。経歴を確認するまでもない。よく見知った顔ぶれは(だれ)あろう、東國(とうごく)(あや)()社長率いる東國民間警備会社の面々だ。

 しかし彼らが一様に押し寄せるガストレアたちとの激戦の渦中にいることを思い出し、すぐに表情を引き()める。

 そう。ガストレアたちは人間が立てる音に集まってくる。そして現在まさにその標的の筆頭となっているのが、他でもない(さと)()ペアと(ひる)()ペアだ。

 この作戦は蛭子影胤(かげたね)討伐(とうばつ)が主な目的だが、それは敵が彼らだけであることと同義ではない。ガストレアの波が彼らに届いたが最後、作戦は足下(あしもと)から()(かい)し、『大絶滅(だいぜつめつ)』の未来が確約されてしまう。

 いまこの(しゅん)(かん)、津波のように押し寄せる(おびただ)しい数のガストレアを食い止める彼らこそ、東京エリアを守る最後の(とりで)なのだ。

 ──あとは頼んだぞ、(ゆう)()くん。

 ()(はぎ)の返答に、副議長の(きく)()(じょう)が立ったまま(かたわ)らの聖天子の顔を(のぞ)き込んだ。

「聖天子様、このままでは……」

 聖天子は正面の巨大なモニターを見つめたまま(しば)し黙考している様子だったが、やがて口を開くと会議室に()んだ声が流れる。

「まだ……希望はあります。──そうでしょう、天童(てんどう)社長?」

 最後の言葉と同時、いきなり彼女の背後の(とびら)が外側から押し開けられ、黒いセーラー服の少女が入室してきた。菊之丞が愕然(がくぜん)と目を見開く。

()(さら)……ッ!?」

「この戦いはもはや、里見・藍原(あいはら)ペアにかかっているといっても過言ではありません。二人の上司にあたる天童社長には、この会議に出席する義務があります」

「しかしッ」

 室内をスタスタと歩いてきた木更は、空いた席に(こし)かけようとしたところで、ふと顔を上げると菊之丞の方を見遣(みや)り、可愛(かわ)いらしい笑顔をつくった。

「ご()(げん)(うるわ)しゅう、天童(かっ)()

「……ッ」

「……では、早速ですが天童社長。本題に入る前に、まずはご連絡頂いた件について詳しい説明を聞かせてもらえますか?」

 列席者たちが顔を見合わせるなか、重々しく(うなず)いた木更はスッと立ち上がる。肩で風を切りながら部屋の中ほどまで進み出ると、居並ぶ面々に一枚のペラ紙を()きつけた。

 紙には一つのサークルが引かれており、その外側に寄せ書きのように直筆の名前と判が押してある。

 (せい)(てん)()は思わず息を()んだ。(からかさ)連判(れんぱん)だ。確か古く昔、百姓(ひゃくしょう)(いっ)()の固い団結を約束すると同時に首謀者(しゅぼうしゃ)を隠すために放射状に署名したものだ。

 周囲の視線はごく自然に、その無数の名前のうちの一人──防衛大臣に向けられる。他の高官たちは青い顔で彼の近くから後退(あとずさ)りしていった。

「ご機嫌麗しゅう、(くつわ)()大臣」

「こ、これはなんの(じょう)(だん)だ!」

「あなたの部下がこんな面白いものを持っていましてね。連判状に書かれている通りです。あなたが(ひる)()影胤(かげたね)の背後で暗躍(あんやく)した依頼人ということです。そして彼に『七星の遺産』を盗み出させ、テロに関する一連の情報をマスコミにリークしようとした」

「そ、そんな馬鹿(ばか)な……」

 木更は(あご)に手を当て、わざとらしく首を(かし)げる。

「それにしても直筆で傘連判なんて、随分(ずいぶん)古風なことをなさるんですね。おかげでこの計画に荷担した人間が一斉検挙できそうで手間が省けましたが」

 聖天子が合図を送ると、(きく)()(じょう)(いわお)のような相貌(そうぼう)で冷ややかに防衛大臣を見た。

「連れていけ」

「そ、そんな……。天童(てんどう)閣下ぁッ。私はッ──私はああああああッ!」

 護衛官(SP)(りょう)(わき)を抱えると、哀願し泣きわめく轡田を会議室の外に引きずっていく。

 閉まる(とびら)が大臣の訴えを無慈悲に退け、()(さら)が自分の席に戻ったところで、聖天子はふと(となり)から立ち上る(すさ)まじい殺気に気づいた。

「木更よ……よくもここに顔を出せたな」

 怒気(どき)(あらわ)にしかけた菊之丞に、木更は泰然(たいぜん)微笑(ほほえ)みを返す。

「お久しぶりですね、天童閣下」

「地獄より舞い戻ってきたか、(ふく)(しゅう)()よ」

「私は(まくら)(もと)()い回るゴキブリを駆除しただけです。ここに居合わせたのは単なる偶然にすぎません。気の回しすぎではございませんか?」

「よくもそのような()(ごと)を……」

 木更の(ひとみ)が冷たい(かがや)きを(はな)ちながら細められる。

「──すべての『天童』は死ななければなりません、天童閣下」

「き、()(さま)……」

 とても祖父と孫の会話には聞こえなかった。二人の関係をある程度知っているだけに聖天子も生きた心地がしない。

「二人ともその辺で。では、(わたくし)から改めて状況の説明をさせて頂きます。天童社長、先ほど十四組と一人の民警(みんけい)が蛭子影胤に挑み返り討ちにあいました。いずれも(さと)()ペアより格上の民警たちです。里見ペアの勝率は……いかほどと見ますか?」

 その問いに会議室がにわかに色めき立つ中、木更は感情を(まじ)えない冷たい瞳で顎に手を当てる。

「三〇%ほどかと……」

 高官の一人が無言で頭を抱え、全員が苦々しい顔になった。だが、(つか)()室内に降りかけた重い空気を、すぐに続いた木更の鈴の()のような声が吹き払う。

「……ですが、私は……信じています。──彼は必ず『勝ち』ます」

 官房長官が小馬鹿(こばか)にしたように腹を揺すった。

「天童社長、自分の抱えている社員を信じたい気持ちはわからないでもない。だがね、向こうにはあの『新人類創造計画』の生き残りがいるんだぞ!? 三〇%の勝率すらキミの願望でしか──」

「たしかに──みなさんの思う里見(れん)()(ろう)では、そうでしょうね」

「……………………は?」

 

 

 木更が(すみれ)のいる大学病院を訪れたのと同じ(ころ)──

 

 断続的な銃声に(けもの)たちの悲鳴が被さる。

 東國(とうごく)民間警備会社の面々は、森から次々と飛び出してくるガストレアを危なげなく(さば)き続けていた。

 (たま)()れしたワルサー(けん)(じゅう)を下ろすと、(ゆう)()は正面の森を油断なく見据(みす)えながら弾倉を交換する。

 一同は、(いま)し方(あか)()から自分たちが置かれた状況の説明を受けたところだった。

「なるほどな。つまり(おれ)たちは増援を呼ぶにしても、まず森のガストレアを片づけなきゃいけないってことか」

 寄り添う明理も前を向いたままひとつ(うなず)く。

「はい。そしてこのガストレアたちが目指すのは街で戦う民警たちです。私たちがここで押さえなければ、勝っても負けても全滅(ぜんめつ)。また、一匹でも逃がして内地への侵入を許せば、感染爆発(パンデミック)により東京エリアは明日にでも壊滅(かいめつ)します」

「シビアだな……」

 勇磨が思わず(ほお)を引きつらせたその時、近場の茂みから再び一体のガストレアが()っ込んできた。肉食獣にしては丸い(ひとみ)にライオンほどもある巨体。オオカミだ。

 勇磨は明理と二人して左右に飛び退()くと、その場で一回転。(うな)りを上げて(おど)りかかるオオカミとすれ違いざま、その脇腹(わきばら)目がけて右手の剣を振り抜いた。

 バラニウムブラックの刀身がオオカミの無防備な腹を(えぐ)り、短い悲鳴と()飛沫(しぶき)が上がる。

 一方、明理は()(ばや)くガストレアの正面に回り込み、うずくまりながらも勇磨を()(かく)するオオカミに向けてMP7の引き金を引き(しぼ)った。

 短機関銃(サブマシンガン)のフルオート射撃が、ガストレアの巨体のあちこちに小さな黒い穴を穿(うが)つ。明理はそのまま肉薄(にくはく)すると(ひる)んだオオカミの下顎(したあご)()り上げ、ガラ空きになった胸部にミドルキックを(たた)き込んだ。

 二百キロはくだらない巨体が地面と並行に()っ飛ぶと、背後にいたイノシシを巻き込み(くず)れ落ちる。オオカミの横腹をガストレアの巨大な(きば)が貫通し、(まつ)()痙攣(けいれん)すらも残さず絶命した。

 突進を妨害(ぼうがい)されたイノシシは(いら)()たしげにその死体を振り払い起き上がりかけていたが、突如(とつじょ)そこにギロチンもかくやという重い斬撃(ざんげき)が走り、イノシシの動きが停止する。

 ガストレアの頭上から降り注いだ(よし)()が地面に軽くめり込んだ巨剣(きょけん)を引き戻すと、一拍遅れて重い震動(しんどう)とともにイノシシの首が落ちた。

「──でも、本当にこのままでいいの?」

 見ると、やや(はな)れた位置に立つ弥由紀(みゆき)が不安そうな顔で続ける。

「私が言った通り民警チームが全滅していたら、影胤(かげたね)を止められる人は一人もいなくなったことになるわ。ここを動くのが無理でも、せめて本部にこの事を報告するべきなんじゃ……」

「いや、その必要はないと思うな」

 そう返したのは、ラクシオだった。

「実は君と会う少し前、政府関係者の後援者(パトロン)から連絡を受けてね。作戦に参加しているすべての民警の位置情報をGPSで追跡しているらしい。でも、それだけじゃ詳しい戦局は知りようがないからね。おそらくはドローンかなにかも使って、こちらの状況を逐一(ちくいち)確認しているんだろう。

 つまり、もし民警チームが全滅していたら、政府もすぐに次の手を打っているはずさ」

 人差し指を真上に向けて穏やかな微笑(ほほえ)みを浮かべたラクシオに続き、勇磨も口を開く。

「それにな、弥由紀。さっき『影胤を止められる奴がもう一人もいない』って言ったよな?」

「え? えぇ、だってそうでしょ? 近くにいた民警たち全員で集まって駄目だったんだし、他にあいつらをどうにかできる人がそう都合よくいるわけ……」

「ところが、そうでもないんだな」

「「「……?」」」

 事情を知らない弥由紀、和穏(かのん)、愛香が三人で互いに顔を見合わせる中、勇磨は不敵に笑ってみせた。

「──いるんだよ、一人だけ。このピンチをひっくり返せる奴が」

 

 

 (れん)()(ろう)が激しく(しり)もちをつくと、(ろう)(きゅう)()した堤防のブロックが(くだ)けて辺りに散らばる。

 (ひる)()影胤(かげたね)は、蓮太郎から取り上げたXD(けん)(じゅう)を手の中でポンポンと投げ上げながら、小馬鹿(こばか)にしたように鼻を鳴らした。

「フン……。あの身のほど知らずの民警(みんけい)たちといい、君といい、本当に期待はずれだよ」

 座り込んだ蓮太郎は(のど)から荒い喘鳴(ぜんめい)を漏らしながらも、懸命(けんめい)に挑戦的な笑みをつくる。

「そりゃ……悪かったな……」

「私は私のなかの声を信じて、君を待ち続けた。私を倒そうとする無数の敵のなかからたった一人だけ……君だけを待ち続けたというのに──これだ」

 影胤は蓮太郎の前に銃を(ほう)り捨てるとシルクハットの位置を直しながら(きびす)を返した。

「もう()きた。君は弱い。そこで東京エリアの(しゅう)(えん)を見届けていたまえ」

「……。……ッ。──待てよ……」

 遠ざかる(えん)()(ふく)の背を(にら)みながら歯を食いしばり、蓮太郎は再び立ち上がる。

「弱いさ、(おれ)は弱い……。だからみんなが後悔した。だから、信じなくなった……。だから……ッ」

「……いったい、何のことを言っているんだ……(さと)()くん」

 顔を伏せたまま繰言(くりごと)のように(つぶや)く蓮太郎を、影胤は不思議そうな(ひとみ)で眺めていた。

 

 

「官房長官、詳細は省きますが十年前、里見くんが天童(てんどう)の家に引き取られてすぐの(ころ)、私の家に野良(のら)ガストレアが侵入して、私の父と母を食い殺しました。私はそのときのストレスで持病の糖尿病が悪化。腎臓(じんぞう)の機能がほぼ停止しています」

 唐突(とうとつ)()(さら)の言葉に官房長官は話の流れを見失い、困り果てたような顔になる。

「た、確かに不幸な話だとは思うが、それがいったい──」

「そのとき私を(かば)った里見くんは、右手右脚(みぎあし)、そして左目を──失ったのです」

「失っ……た? どッ、どういうことかね天童社長。彼はどう見ても五体満足にしか……」

 長官が狼狽(ろうばい)(あらわ)にしかけた、その時だった。

『──そんなに()めるな。照れるだろ?』

 モニターからそんな声がしたと思うや、突如(とつじょ)画面に白衣の女性のにやにや笑いが大写しになる。

 不健康なほどに青白い肌。伸び放題の前髪で目元が半分隠れているが、よく見れば(すさ)まじい美人である。

『ごきげんよう、諸君』

 組んだ手に(あご)を落としたガストレア研究医・(むろ)()(すみれ)がそういったところで、官房長官が泡を食ったように立ち上がると、愕然(がくぜん)と目を見開いた。

()(さま)……ッ、室戸ッ!?」

「室戸医師、さっそくですが例のものを」

『ははあ、(せい)(てん)()様の(おお)せのままに』

 ざわめきが広がるなか、落ち着き払った聖天子の声に、菫は(しば)()がかった調子でお辞儀(じぎ)の仕草をする。

 直後、会議室内のすべてのモニターと端末の画面が切り()わり、ひとつの研究資料が表示された。

「……これはッ、まさか……ッ!!!?」

「十年前、里見くんは室戸医師に命を救われました。そしていま、このデータが手元にある意味……ご理解いただけましたか?」

「ああ……なんということだ……ッ」

 挑戦的な瞳で見返す木更の言葉に、机に手を()いた官房長官は(ぼう)()の表情で(しぼ)り出す。その顔には、深い恐怖が張りついていた。

「──彼も、そうなのかッ!!」

 

 

 ギィン、という音と共に()(ちょう)の銃が打ち合わされ、反動で双方が靴跡を引きながら()き飛ばされる。

(さと)()くん……君は……」

影胤(かげたね)

「!」

 なにかを言いかけた影胤の言葉を(さえぎ)ると、(れん)()(ろう)は地面に突いた右腕(みぎうで)を掴む手に力を込めて、眼前(がんぜん)に立つ宿敵を必死の(ぎょう)(そう)(にら)()えた。

「てめぇは……(おれ)が止める……。どんな手を、使ってでも……ッ!」

 (つか)()動きを止めた影胤だったが、すぐに(のど)の奥で笑い声を漏らし始めると、鷹揚(おうよう)に手を広げる。

「クックックックック。君はできもしない理想を(かか)げるタイプじゃないと思っていたが、どうやら思い違いだったようだ。どんな手を使ってでも……? ならば見せてみたまえ。この! 私に!」

「ッ!」

「君にはもううんざりだよ里見くん。そうやって(かな)わぬ理想と永遠の後悔を抱えて、死にたまえ」

 影胤は、(あい)(じゅう)『スパンキング・ソドミー』の撃鉄(ハンマー)を親指で起こすと、ことさらにゆっくり照準した。銃口の奥に底なしの深淵(しんえん)が見える。

「君は本当に、弱かった」

 こちらを射貫(いぬ)(ひとみ)がスッと細められ、殺意を放射。直後に容赦(ようしゃ)なく引き金(トリガー)が引き絞られる。

 トリガーと連動したトリガーバーを起点に、撃鉄が振り子の(ごと)く振られ、ブリーチブロック内に収まった撃針(ファイアリングピン)(やっ)(きょう)底部を打撃。発砲炎とともに、必殺の銃弾が()(せん)回転を描きながら吐き出された。

 ──その時、脳裏に優しい少女の声が木霊(こだま)する。

 

 信じてください。

 

 ()()()に、強い光が──(とも)るように。

 

 それが呼び水となったように緊張が去り、蓮太郎の体からふっと力が抜けた。

 小さな右手を眼前に()き出してきた少女の微笑に、蓮太郎もそっと笑って(ささや)く。

「信じてみるよ」

 蓮太郎が勢いよく顔を上げると、視野が広がり色味が鮮明になっていた。(ひだり)()に仕込まれた()()が視神経と直結したことで、三次元的に物体を(とら)えられるようになったのだ。

 義眼に内蔵されたグラフェン・トランジスタ仕様のナノ・コアプロセッサが起動、演算開始。黒目内部に()()(がく)的な模様が浮かび上がり、高速で回転。鼻の奥がツンとして口の中に極彩色(ごくさいしき)の味が広がっていく。

「うおおおおおおおおおおおおッ!!」

 ()(たけ)びを上げながら体を起こしざま、蓮太郎は(せま)りくるバラニウム弾に向けて右手を突き出す。

 空気を(さか)()く弾丸が蓮太郎の(てのひら)に正面から激突(げきとつ)した──直後、()んだ()(さい)(おん)とともに押し(つぶ)された。そのまま(こぶし)を握り、弾丸を掴み取る。

 果たして影胤(かげたね)は目を見開いて固まっていた。

(ひる)()影胤……、てめぇに礼儀を通す義理はねぇが、俺も名乗るぞ」

 強烈な衝撃力(ストッピングパワー)を押し返した反動で、蓮太郎の右手には()(れつ)(しょう)じていた。それは(またた)く間に掌、前腕(ぜんわん)へと広がっていく。のみならず、地を()みしめる右脚(みぎあし)も、可塑(かそ)性エストラマーやシリコンなどで構成された人工皮膚が()り返りながら剝落(はくらく)足下(あしもと)に溜まっていく。

「元陸上自衛隊東部方面隊第七八七機械化特殊部隊──『新人類創造計画』(さと)()(れん)()(ろう)

 やがて蓮太郎の右腕の下から真っ黒い腕が現れた。右脚も(また)から先を(おお)う光沢のあるブラッククロームが(のぞ)き、逆トゲのように突き出した空気穴が、自律的にバクバクと蠕動(ぜんどう)運動を始める。

 

 

「里見さんの義肢(ぎし)と義眼に使われている金属は超バラニウム。無重力下でバラニウムをベースにレアメタルとコモンメタル十数種を掛け合わせた、バラニウムを数倍する硬度と融点をもつ次世代合金です。

 蛭子影胤の所属していたセクション十六の戦術思想は『ガストレアステージⅣの攻撃(こうげき)を止められる絶対防御(ぼうぎょ)』。これに対し里見さんが所属していたセクション二十二の戦術思想はその真逆です。

 腕に十発、脚に十五発仕込んだカートリッジの推進力を(もっ)て超人的な攻撃力を生み出す──『ガストレアステージⅣの装殻(そうかく)を破壊できる絶対攻撃』。すなわち、彼は──蛭子影胤を倒せる、唯一(ゆいいつ)の人類なのです」

 蓮太郎の姿を映し出すモニターを背にして、会議室内に(せい)(てん)()の澄んだ声が、(おごそ)かに(ひび)き渡った。

 

 




読者の皆さん、少し早いですがメリー・クリスマス!
なんだか以前にも同じような挨拶(あいさつ)をした気がしますね。いや、別に(ねら)ったわけではないですよ? 投稿前の確認作業が思いの(ほか)長引いて、予定より多くお時間をいただく羽目になっただけで……本当ですよ?

まぁそんな話はさておき。本題に入る前に、これまでにも何度か小出しにしてきた今回のお話を生み出すに至った経緯について、少し語らせてください。
自分は本作の執筆開始当初から、大きくひとつの悩みを抱えていました。それは『一話の文字数をどの程度にすれば、読者の皆さんの期待に応えられるのか』というものです。そして手探りで文章量の加減を模索しつつ自身の技量と相談した結果、一万〜二万字をある種の基準として漠然と定め、各話の長さを自己評価していました。
無論、文字数だけで作品の質が決まるものでないことは理解しています。しかしこれまでの活動を踏まえて、読者の皆さんの期待に応えられる文章量と、自分が話の区切りをつけられる文章量が折り合うのがその辺りだろうと判断したのです。
そこで昨年『生存報告&活動報告(B・B)』でお知らせしたように今回、新しい試みを思いつきました。

これまで、自分は「こういうシーンがやりたい!」というプロットをいくつも書き留め、それを順に拾っていく作法をとっていました。そのやり方が変わることはないと思いますが、加えて今回『頭にある構想を各場面ごとに文章化し、それらを後から繋ぎ合わせる』という作戦に乗り出したのです。
こうすることでその時思い描いている構想を忘れない内に保存するとともに、その回の総文章量にあたりをつけ、削れる部分を(ずい)()削っていけば比較的コンパクトに文章をまとめられるのではないか、と。
結果はご覧の通り。無駄を削ることにはある程度成功したものの『どの描写も捨て難い』『では全部盛り込めばいいのでは?』という思いを押さえ切れず、最終的に書き留めていたほぼすべてのプロットを一話として繋ぎ合わせることになりました。
しかし後悔はしていません。お陰で今回やりたかったことはほぼ完全にやり切れたといっていい状態ですし、前書きでも述べたように、これまでにないほどの達成感、満足感を得られています。

ただ、これで自分の弱点をすべて克服できたかといえば、そういうわけでもありません。
自分はある場面を書く時、まずその場面を映像として思い描き、それを文章として出力していくという手法をとります。すると初めに想定した文章量より随分と長いものが出来上がってしまいます。
例えば前回、第六章『希望を背負った者たち』。同回の後書きにて原作第一巻『神を目指した者たち』に対応させたと説明したこのサブタイトルは実は本来、今回のお話の終わりを迎えて初めて、その意味を発揮するものでした。
蓮太郎が機械化兵士であるとついに判明した今回ですが、同時に、本作の主人公である勇磨の能力の全貌も明かすことで、二人の物語が並行して大きく動き出すという演出をしたかったのです。
しかし、同シーンを最後にもってきたことで『ここで当初の予定を敢行すると原作部分の盛り上がりの邪魔になる』と思い直し、コミック第三巻ラストの描写を忠実に再現する方向に(かじ)を切りました。こうして前回のサブタイトルは、東國民間警備会社の面々のことであり、和穏たちのことであり、また民警チームの希望を一手に引き受けて救援要請に向かった弥由紀のことをも示す現在のかたちに落ち着いたのです。
この辺りの問題についても、自分なりのより良い答えを求めて引き続き精進していきたいです。

さて、前回の後書きで本作の時系列について触れた際、コミック版での将監の死の場面を『是非すべてのB・Bファンの目に焼きつけていただきたい』といっていたのを覚えているでしょうか?
実のところ、この願いこそが自分を本作の執筆に駆り立てた原動力の一端であり、前回の後書きでもお話しした『本作を書くきっかけ』の一つなのです。
ハイ、というわけで、今回の原作パートはコミック第三巻のネタをふんだんに盛り込み、コミック版B・Bへの多大なるリスペクトのもと書き上げました。原作の該当箇所は、第三章の後半約四割プラス第四章の冒頭から二割ほどまで。ですが、コミック版では特に大胆にアレンジされた箇所の一つであるためボリュームがかなり増しており、第三巻の後半部分を丸ごと文章化し切っています。
原作第一巻にあたる物語の終わりまではこうしてコミックの描写をベースに書き進めていきますから、今後はそのつもりで本作をよろしくお願いします。

続いて今回もまた注釈というか、原作及びコミックの描写について考察のようなお話をば。
まず、本作では今回初登場した片桐兄妹ですが、ここで原作の描写を振り返ってみましょう。
第三巻で最初に弓月と顔を合わせた蓮太郎は『三ヶ月前の大捕物(おおとりもの)以来か』と発言しています。直後の会話の流れや時系列から考えてもこの『大捕物』とは『蛭子影胤テロ事件』を指す言葉でしょう。しかし第一巻の時点で蓮太郎が関わった民警は蛭子ペア以外では伊熊ペアぐらいしかおらず、彼ら兄妹は台詞(せりふ)どころかその存在すら明確な描写がありません。
ところが原作を注意深く読み返して、自分はある描写に目が留まりました。
蓮太郎たちが影胤たちとの決戦に臨んだのと同じ頃『彼らの一番近くにいた民警ペア』。この二人こそ片桐兄妹だったのではないでしょうか?
このように考える理由はいくつかあります。
まず、彼らほどの実力者ならば、『蛭子影胤テロ事件』でもある程度の戦果をあげたはずです。しかし、当然ながら蛭子ペアの奇襲には参加できていません。もし参加していれば将監と共に返り討ちに遭ったはずですからね。
そうなると、他に考えられるのは二つ。夏世のようにガストレアを止めていたか、奇襲作戦や蓮太郎たちの援護に間に合わないほど遠くにいたか。どちらにせよ今回のお話では、そんな考察を反映したかたちで片桐兄妹を登場させました。
ちなみに、アニメオリジナルの演出ではありますが、防衛省に召集された民警の中に彼らの姿がしっかりと描かれています。これは前述の考察の裏付けとしては弱いかもしれませんが、彼らを今回に登場させようと考えた理由の一つでもあります。
また本作では『一番近くにいたペア』を東國民間警備会社としているので、前述の考察通りには書けませんでしたが、これはつまり考察における片桐兄妹の位置に東國民間警備会社の面々を配置し、元々そこにいたであろう彼らをさらに少し離れたところに移動させたかたちになります。

次に、コミックの描写を踏襲した部分について。
一つ目は、本作第五章、蓮太郎が病院で目覚めた後の場面。特に注目して頂きたいのは、聖天子と通話中の蓮太郎の行動です。この時、蓮太郎は聖天子の言葉を受けて頭を抱えていました。
続いて今回第七章、夏世が蓮太郎に激励の言葉を贈る場面。夏世は蓮太郎を落ち着かせるように彼の顔に手をかざして語りかけます。
この二つの場面について、一つの共通点があることにコミックを読んだ読者の皆さんはお気づきでしょうか?
頭を抱える蓮太郎の姿勢は、よく見ると左目の辺りを押さえているようにも見えます。また、夏世の右手は蓮太郎の左目の位置に重なっていることが、たっぷり一ページ分以上ものコマ数を使って強調されているのがわかると思います。
そう、この二つの描写はどちらも蓮太郎が機械化兵士であることの伏線を担うものとなっているのです。特に、後者は今回のクライマックスで蓮太郎の回想にも描写されており、もりのほん先生が(ねら)って組み込んだ演出なのは間違いないでしょう。前者は少し細かすぎる気もしますが、蓮太郎が義肢の解放を(ちゅう)(ちょ)する表現として(うで)を握りしめているので、この部分も似た意味の可能性が高いといえると思います。
自分は基本的に、一文が過剰に長くなりすぎないよう可能な限り注意していますが、前述の二点については伏線としての効果を失わないよう、意識して手の左右を描写しました。

最後に、今回新たに名前が判明した登場人物の紹介に移りましょう。
弥由紀のイメージはSAOのシノン。ただし、容姿は現実(リアル)詩乃(しの)とゲーム版におけるSAO対応アバターのMIXで、総合的には現実、SAO、ALO、GGOの四世界すべての詩乃/シノンの要素を等量ずつ織り()ぜています。
また、彼女たちを『三ヶ島ロイヤルガーダー』所属としたことには明確な理由があるのですが、同じ会社に所属する伊熊ペアと同時に防衛省にいた問題の解決策についてもしっかり考えているのでご心配なく。また時間は空いてしまいますが、原作第一巻の終章に相当するあたりで説明していく予定です。

今回はコミック版B・Bの再現に注力したことで、勇磨たちの物語をほとんど前に進められませんでしたが、ここからはいよいよ最終決戦。次回以降こそは、これまで散りばめた伏線たちの回収を押し進められるはずです。
また、進捗報告も随時やっていこうと考えています。
やって……いけたらいいなぁ……。

さて、今年ももうすぐクリスマス。
次回はいつ頃お届けできるかわかりませんが、少なくとも年は(また)ぐはずということで、年末の挨拶(あいさつ)とさせていただきましょう。

読者の皆さん、来年もまた良いお年を!

それでわ、しーゆーねくすといやー!
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