立花響に救われた少女がヒーローを目指すお話 作:月夜 のかに
神話の時代から現代に蘇った神であるシェム・ハが起こしたユグドラシルの出現から始まった一連の大事件の終息から一年。世界は未だ混乱の渦中にある。
そんな中で急遽取り付けられた日本とアメリカによる会談が、そこでは行われていた。
世界規模で被害をもたらした件の事件の後、日本とアメリカの外交関係はかの反応兵器発射後の緊張を思い返すと想像もつかないほど良好であった。
しかし、それは表向きの話だ。世界の危機によって世界中の意思が一つになったのは利害が一致していたからに過ぎない。危機が過ぎ去ってしまえば、それぞれの国家の利害というものが存在する。
この会談にしても、二国間の友好を深めるなどと聞こえの良いおべんちゃらを並べながら、かつて風鳴機関が一任していた聖遺物の研究を「合同研究」と称してかっさらおうという訳である。
アメリカ側の外交官は机の書類を指しながら議題を読み上げ始めた。
「かの戦いによって我々は天羽々斬、ガングニール、イチイバル、シュルシャガナ、イガリマ、そしてアガートラームのシンフォギアを喪失した」
シェムハとの戦いの後、炎上し自壊するユグドラシル中枢からの脱出の折、六振りのシンフォギア、そして書類上は存在しない神獣鏡のファウストローブの計七つの聖遺物はその負荷によって砕け散り、装者の命を守るという最後の役目を果たして全て失われてしまっていた。
アメリカの外交官が強気なのも、そんな日本だけが独占していた外交的アドバンテージが失われたからであった。聖遺物を保有しないS.O.N.G.という組織など、アメリカの聖遺物研究機関からすれば最早取るに足らない存在である。それこそ、国連直轄の組織としての立ち位置故に下手に手出し出来ないだけのお飾り組織と成り果てたと言ってもいい。
だからこそ、ここでアメリカ側が提示する釣餌に、彼らはくらいつかざるを得ない。
「今までも再三要求してきた事ではあるのだが、我々はシンフォギアが失われた今こそ、リョーコ・サクライの発明は人類に平等に与えられるべきだと考えている。故に我々米国は日本にシンフォギアの情報の一般開示、及び機密情報の提示を要求する」
「っ、それは認められないと何度も言っている筈だッ!」
外務省事務次官・斯波田賢仁は声を荒らげて、眼前の机に置かれた書類に拳を振り下ろした。
「何もアメリカが独占しようと言っているのではない。言っただろう、人類に平等に与えられるべきだ、と。我々は新たなシンフォギア開発のプロジェクトを日米間で行いたいと考えている。……シンフォギアというカードを失った君たちにとってこの話は悪い話ではないと思うがね……?」
斯波田はその言葉にクシャリと手元の書類を握りしめた。この会談にはイエス以外の選択肢は
――そうしてその日、書類上は存在しない日米の会談は、ひっそりと幕を閉じた。
二カ国がその叡智をもって、かつてただ一人天才と呼ばれた女が遺したブラックボックスを暴かんと指を掛けたのだ。
EPISODE1
――災害、という言葉を聞いた時、あなたは何を想像するだろう。
地震か、それとも台風、はたまた洪水か。火災や津波なんてのも有る。どれをとっても、「災害大国」とまで揶揄されるこの日本という国に住んでいれば、それらは馴染み深いとも言えるもので、色々な種類を挙げる事が出来るだろうと思う。
しかし、この国で「特異災害」という言葉に絞れば、その言葉はたった一つの事象の事を指し示す。それこそが、この日本で唯一「特異災害」に指定されている〝ノイズ災害〟であった。
『(要約)――触れたヒトを炭素へと変えてしまう「ノイズ」と呼ばれる怪物が、どこからともなく突如として発生する事象の事を指す言葉である。
ノイズは思考を持たず、手短な生物へと自爆テロの如く己と道連れに人を灰へと変えてしまう。ノイズはある程度の時間が経過するか、人ひとりを殺害することによって消滅する為、災害の範囲はごく局所的なものに留まるものの、その発生に巻き込まれた人間の生存率は極めて低い、恐ろしい災害である。
唯一の救いは、その発生が極めて珍しく、またその範囲が局所的であるが故に、人生で通り魔に襲われる確率よりも低い確率でしか遭遇しないという点である』
今朗読したこれは、この世界における常識であり、小学校の社会科で皆が学ぶ内容である。しかし、この災害に被災した人がそう多くはない為に、知識として知っている程度のもの。通り魔に殺される方がよほど現実的な程に、普通に生活するだけなら無縁のものなのだ。
見たことは無いけれど、避難訓練はする。そんな地震や火事と同じようなものとして私たちは認識していた。
しかし今から数年前、東京のある地域の周辺では、その滅多に現れない筈のノイズが頻繁に現れていた時期があった。
そして、当時小学生だった「私」はその通り魔よりも遭遇するのが珍しいと言われるそれに、運悪く鉢合わせてしまったのだ。
――ノイズの出現を知らせる警報アラートが街中に鳴り響いている。目の前に風に乗って舞っている黒い
「はぁ……はぁ」
先程まで走っていた為に、その呼吸は未だ荒い。どれだけ落ち着こうと務めても、恐怖のせいか心臓の鼓動は早まったまま落ち着きそうになかった。
何故小学生の私が一人で路地裏に隠れることになったのか。それは、逃げ惑う人々の波に飲まれて私が父の手を離してしまったから。ノイズから避難するための街中に設置されたシェルターはすぐ近くなのだが、父が避難したそこへと向かおうとした時に、目の前の逃げる民衆が尽く空から襲ってきたノイズによって次々に殺された。ノイズは目の前の殺害対象を絶対に逃がすことは無い。ノイズ災害にとって、避難するその一瞬の判断の遅れは命取りだった。
父と引き剥がされて逃げ場を無くした私は咄嗟に、道脇の細い路地裏に隠れたという訳なのだ。大通りの方ではノイズに惨殺される人の悲鳴が聞こえてくる。しかし他人の心配をしている余裕などありはしない。
「ぐすっ、怖いよぉ……助けてぇ……」
路地裏で私は独りすすり泣いた。私の中は恐怖と絶望で埋め尽くされていて、目の前の光景は外の景色なんてものではなく、ただ真っ暗な闇が広がっていた。日中なのに、もう何も見えない程の暗闇に見えたのだ。
今いる路地裏からたった数メートルぽっちしか離れていない大通りからは、今だって凄惨な悲鳴が耳に届いてくる。そんな光景から私は目を背けたかった。
ああ、
心の中で私はそう呟いていた。
ノイズは災害だ。誰が悪いという訳でもない。でも私は、私の中に、遥かな昔から呪いのように根付いたこの意識を引き剥がすことが出来なかった。いつからなのか思い出せない。何故なのかも思い出せない。しかし、確かに私には聞こえるのだ。
また私のせいで、誰かが死ぬ。
そう囁く心の中の内なる自分の声だった。
私――
「ごめんなさい……ごめんなさい」
自分で口にしておきながら、誰に謝っているのかさえ分からない。これは今私が目を背けた誰かの死に対してだろうか。何となくだが、違う気がした。
「繝九Φ繧イ繝ウ縲√Α繝?こ繧ソ」
ディスクのスクラッチ音にも似た、意味のわからない音の集合体を耳にした。数分前に
ヒトに似た姿をした化け物が、大通りから私の方を見つめていた。その化け物に目などという感覚器官は見当たらないのに、それは確かに私を見つめていた。
「ひっ……!」
ひゅっと喉を鳴らして、元々恐怖で浅かった呼吸がその瞬間完全に止まった。息の仕方すら思い出せなくなってしまったのだ。
スクラッチ音に似た不可思議な音を立てながら、ノイズはだんだんとこちらに近づいてくる。
その化け物に、何故か私は手を伸ばしていた。完全に無意識下の事だった。私の奥底にある、私の認知しない罪悪感のようなものが私の身体を操っていた。そうすることが、私の呪いから私が救われる唯一の方法のように思えたからだった。
――私は、死に魅入られていた。
無音の中に、ディスクのスクラッチ音のような音が響く。いつの間にか人の悲鳴は鳴り止んでいて、辺りにはもう私と怪物達しか居ないのだと悟った。目の前には、それはそれは恐ろしい死が手招きしていた。次の瞬間には私の命が尽きるという絶望が私の心を満たして、ゆっくりと目を瞑って
私は、この瞬間に全てを諦めたのだった。死がこんな恐怖や、私を呪う強迫観念から解放してくれると本気で信じてすがってしまっていた。
「ダメだよ」
怪物が発する
それでも、聞こえる。何かが風を切る音。
そして、聞こえる、
彼女は、歌をうたっていた。
「生きるのをっっ――諦めないでッッ!」
そして、私は彼女の言葉にハッと閉じていた目を大きく見開いた。
風を切り、突然私の前に降り立った彼女は、私へと手を伸ばしていたノイズをその手で制止していた。そう、人が触れれば炭になって死んでしまう筈の怪物の腕を、その手でしっかりと掴んでいた。
「へ……」
「大丈夫、へいきへっちゃらだよ」
彼女、一見すると高校生くらいに見えるお姉さんは、私を安心させるようにそう言って笑いかけると、ノイズへと拳を振り払った。まるで虫を払い除けるかのように、振り払った拳にノイズの身体がボロボロと炭へと砕けていく。
ノイズは、倒すことが出来ないと小学校で教わった。
テレビの中なら、怪物が出てくれば真っ先に自衛隊が出動して怪物に攻撃を仕掛けるけれど、ノイズの発生に自衛隊が派遣されることはほとんど無い。
ノイズには現代兵器の全てが通じないからだった。ありとあらゆる手段を用いても、どんなに強力な兵器を撃ち込んでも、ヒトにノイズは倒せない。だから、ノイズは「災害」と呼ばれている。
――はずなのに、今目の前で、私を襲おうとしていたノイズはたった一人の少女によって消滅させられていた。
そんな光景に唖然としていた私は、ようやく今頃になって彼女に命を助けられたのだと理解した。
「――あっ! あのっ……ありがとう、ございました」
「キミが無事でよかった」
そう言ってさし伸ばされた手を、恐る恐る取った。
びくりと身体が
「私ッ……生きるのを諦めて」
涙ぐみながら言葉を詰まらせる私を見て、彼女は私が何に怯えているのか悟ったのか、安心させるように私を抱きしめた。
「だとしてもッ……キミは私を見て、私の手を取ってくれた。だから、大丈夫」
「……生きるのを、諦めない?」
「そう。その言葉は、私が昔ある人に言ってもらった大切な言葉なんだ。この言葉が、私に勇気をくれるの。――きっと、キミにも」
そうして、そのお姉さんは私の頭をポンと撫でると、にっこりと笑った。
「私……生きるのを、諦めない……ですっ」
思えば、俯かないで、しっかりと正面を見据えて誰かと話したのは、これが最初だったような気がする。
――それは、太陽のようなヒトだった。まるでテレビの中のヒーローのような装いで、風のように現れて颯爽と去っていく。
勇気が湧くような「歌」を奏でながら、恐ろしいノイズをもろともしない、そんな強さを持った人。マフラーを
いつだって、それこそノイズに襲われる前から、何処かで生きるのを諦めていた私が変わったとすれば、それはきっとこの日に違いなかった。
「今」の私は――
『正義の味方、ヒーローになりたい』
そう願い、そう在りたいと思う少女、神代天音が――
◇◆
――時は流れ、六年後、
ppppppppp……
「んあっ……」
けたたましい音量のアラームが部屋に鳴り響き、
寝癖でボサボサになった薄いベージュの髪を手櫛で整えながら、朝に極端に弱い彼女は大きな欠伸をする。
「やばいやばいもう始まっちゃう!」
バタバタとリビングに駆け込み、テレビを点ける。
今日は日曜日。学校が休みであるにも関わらず天音が早起きするのは、「怪傑☆うたずきん!」を視聴する為だ。
うたずきんは毎週日曜日の朝に放送している長寿アニメ。低年齢層の女児をターゲットにしたアニメなので、周りの友達はもう「卒業」してしまって、高校生になっても未だに「卒業」出来ていないのは天音くらいのものだった。
六年前にノイズに襲われた時、一人の女性に助けてもらったあの出来事以降、彼女は「ヒーロー」というものに人一倍憧れを抱き、また元々根っからの「オタク気質」であった天音は、テレビのヒーロー作品にのめり込んだのだった。
昔から視聴していた「怪傑☆うたずきん!」から始まり、最終的に天音が生まれるはるか昔のアニメ作品「電光刑事バン」にまで手を出す程に、天音はヒーローというものに傾倒していた。
言わずもがな「女の子らしい」趣味を持たなかった彼女は、友達からの理解を得られず友達が少ない中学生時代を過ごした。
しかし、そんな天音が孤独でなかったのは一人の親友と呼べる仲の女の子が居たからだった。その親友の名は
天音とは小学校からの付き合いで、天音と同じ私立リディアン音楽院高等科に通っている。
彼女は天音の全てを受け入れてくれる、数少ない理解者であった。
今週のうたずきんの放送が終わり、テレビの画面はニュースに切り替わった。
かつては一番最初に流れていた、前日のノイズによる犠牲者数を知らせる追悼画面も無くなって久しい。
テレビの中には、まるでそんな事は最早忘れ去られてしまったかのように平和なニュースばかりが報道されていた。
ニュースが天気予報の画面に変わる。若い男性キャスターが、本日は快晴です。と地図に指し棒を向けて言っていた。
――よかった、晴れだ。
天音は胸を撫で下ろす。
今日は詩織と一緒に出かける約束をしていたからだ。
◇
「な、ん、で!私にまだアルカノイズの殲滅任務に参加する許可を下ろしてくれないんですか!」
国連直下の超常災害対策機動部タスクフォース、S.O.N.G.本部の司令室に少女の声がこだました。
かつて錬金術師たちが錬金術によって生み出したノイズ、それがアルカノイズである。
この五年間で、世のアルカノイズをばら撒いていた錬金術師はかなりの数を拘束する事に成功した。
しかし未だ紛争地帯などでは、ばら蒔かれたアルカノイズが兵器として利用されている。
彼女が声を荒らげている理由とは、アルカノイズ殲滅部隊S.O.N.G.S.の作戦に参加させて貰えない事への怒りであった。
かつて櫻井了子が遺した櫻井理論が解明され、ノイズ研究はここ数年で飛躍的に進歩した。
その結晶といえるのが、現在ノイズの殲滅に広く使われている、位相確定障壁無効化兵装——通称、「対ノイズ兵装」である。
その対ノイズ兵装を使い、新たに結成された機動部隊
「大体、私はもう十分な訓練を積んでいるはずです!
どうして風鳴司令は私に実戦の任務を任せてくれないんですか!」
部隊の兵士というには華奢な体躯。一見すると普通の女の子にしか見えない彼女だが、ノイズを倒す為にかなりの戦闘訓練をしてきたのは事実であった。
しかし、その戦闘訓練が特殊であり、また音無凪咲という人物が特別な人間である以上、彼女と対峙する風鳴司令、と呼ばれる人物——風鳴翼には、おいそれとその許可を下すことは出来なかった。
「雪音補佐もなんとか言ってくださいよ!」
凪咲は翼の隣の席に座っている人物、雪音クリスにその矛先を変える。
「そうは言ってもなぁ……先輩がこう言う以上アタシにはどうすることも出来ねえよ」
「おい雪音、若輩の手前だ。先輩はよせと言っているだろう」
「あーーもう、慣れねぇんだよそういうの!
そもそもアタシがなんで司令補佐なんていう聞いたこともない役職に就いてるんだよ!」
「叔父様の決めたことだ。恐らくまだ私は司令として未熟だということだろう」
この五年でS.O.N.G.の内部事情は大きく変化していた。
S.O.N.G.の司令を務めていた風鳴弦十郎がとある事情でS.O.N.G.を抜ける事となり、その空いた司令の役職にあてがわれたのが、かつての天羽々斬のシンフォギア装者であり、弦十郎の姪である風鳴翼であった。
そしてそれと同時に司令補佐という役職が新設され、かつてのイチイバルの装者、雪音クリスがその席に就いたという訳である。
「とにかくだ。音無、今君に許可を下ろすことは出来ない」
「むうぅぅ……」
納得いかない、といった様子で頬を膨らませ、凪咲は
「先輩、いくらアイツが世界で一人しかいないシンフォギアの装者だからって何もあそこまで突っ撥ねる事も無かったんじゃないか?」
凪咲が退出し、静まり返った室内でクリスは翼に疑問を投げかけた。凪咲は現在、活動可能な唯一のシンフォギア装者である。
しかし、クリスは些か過保護過ぎるのではないか?という思いを持っていた。
実際、凪咲は装者になってまだ日が浅いとはいえ、ノイズと戦うには十分といえる程の経験を積んでいることが事実であるのは、戦い方の指南をしているクリスも認めていた程であった。
「いや、音無はまだ未熟過ぎる。復讐心だけを頼りにノイズと戦っていたあの頃の奏を見ているようだ。音無には奏のようには生きて欲しくないんだよ、雪音」
「相変わらず不器用っすね。先輩は」
凪咲は本部の自分に与えられた部屋に戻り、ベッドに横たわった。
首に掛けられたペンダントを外し、天に掲げる。照明に当てられた美しい青い色をしたペンダントは、ちかちかと光を反射していた。
——いつになったら私は戦えるんだろう。
私はノイズを倒せればそれでいい。
その為に私はこのシンフォギアの適合試験に志願したのだから。
私はあの試験で唯一、規定値に達する適合係数を出すことが出来た。
これは運命だ。そう思った。
シンフォギアを纏うことが出来る適合係数の規定値を超えたとはいえ、最低ラインの適合係数しか無かった私は、
厳しい特訓に耐え、はじめの頃は短時間しか纏えなかったギアも今では長時間戦うことも出来るようになったというのに。
凪咲は大きなため息をつくと、ペンダントを強く握りしめた。
◇
時計の針が十時ちょうどを指し示している。天音と詩織の二人は一部の人々から「聖地」と称される場所に来ていた。
「うぉぉ!やっぱり流石大都会……人がゴミのようだよ詩織!」
「落ち着きなよ天音……はい、ドードー……」
詩織は興奮を抑えきれていない天音を
詩織は長い黒髪の大人びた雰囲気の少女だ。子供っぽい天音と一緒に並んでいると同い年というよりもむしろ姉妹、もしくは先輩後輩という方がしっくりくる。
「うたずきんグッズにうたずきんコラボカフェ……ふへへへ……」
「天音、今凄い挙動不審だよ……?」
ここはオタクカルチャーの最先端をゆく街。街中には巨大なビルが立ち並び、壁面には大きなアニメの宣伝ポスターが貼られている。
「詩織、まずどのお店行こうか」
そう天音が切り出した瞬間だった。
日常が突如として非日常に変わる。
管楽器を吹き鳴らしたかのような巨大な音が、空に響き渡った。
とても音楽とは言い難い、不安感を与えるようなその音色に、天音を含めたその場にいた人々は皆、耳を塞ぐ。
「何っっ?!この音!!」
その音が鳴り止んでから天音の耳に飛び込んできたのは人々の悲鳴だった。
「あっちから悲鳴が!」
「天音!危ないよ!」
飛び出した天音の手を掴もうとした詩織の手は、虚しく空を切る。
「私は大丈夫だから!詩織はそこで待ってて!」
天音は悲鳴のした方へと駆けていく。
「自分に助けられる人がいるのなら、助けたい」天音は多分そう言うのだ。例えテロが起きたとしても、彼女はその渦中に身を投じて人を助けるのだろう。
そうやって天音が手の届かない何処かに行ってしまうのではないか、と詩織は不安に思っていた。
「天音はアニメのヒーローなんかじゃ無いんだよ……?」
◇
天音が路地を抜けた時、彼女の目に信じられない光景が映った。走ったことで早まった鼓動がバクバクとはっきり聞こえていた。
しかしこの激しい動悸はただ息を切らしていたからというわけではない。この早まる鼓動は動揺から来るものだ。
――なんで?
「何で……ノイズが……?」
見たこともない白いノイズが次々と人を炭に変えて虐殺していく。天音の脳裏に六年前の恐怖がフラッシュバックする。
そもそもノイズはもう日本では終息宣言が政府から出されていた筈だった。
しかし目の前で人を殺しているあの怪物は、紛れもなくノイズそのものであった。
「聖遺物反応を検知!更にノイズも出現したようです!!」
S.O.N.G.の本部でもこの異常事態を観測していた。アラートが鳴り渡り、藤尭が異常を翼に知らせる。
「馬鹿なっ……!ノイズだと?!」
翼は驚きを顕にする。
かつてノイズの発生源であったバビロニアの宝物庫は今はもう閉じられ、アルカノイズを作ることが出来る国内の錬金術師は、確認できる限りもう存在しないはずであったからだ。
「風鳴司令、私に出撃命令を出してください!今出られるのは私だけです!」
アラートを聞きつけた凪咲が翼に出撃の許可を求める。
今、日本にS.O.N.G.S.の部隊は残っていない。翼はやむを得ないと凪咲の出撃を許可する決断を下す他無かった。
「分かった。音無の出撃を許可する。しかし夢々忘れるな。そのギアは時限式だ。戦闘が長引けば無事で帰れる保証はない」
「分かっています」と凪咲は答えると、小走りで管制室を出ていった。
「にしても、ノイズ発生の前に観測された聖遺物反応はつまり……」
藤尭はモニターの観測データを眺めながら呟いた。この部屋でこの異常を観測した全員が、同じ結論に至っていた。
「ああ、何者かが何らかの聖遺物を使いノイズを発生させたのだろう。そしてその人物の狙いは恐らく……」
◇
私も逃げなきゃ——そう天音が振り返った時、一台の黒塗りの車がノイズに襲われながら凄い勢いで飛び出してきた。
人を避けようとハンドルを切ったその車はバランスを崩し大きな衝撃音を立て横転する。
――ドライバーさんを助けないと!
そう思うよりも先に天音の足が動いていた。
「大丈夫ですか!!!声、聞こえますか??」
天音は横転した車の扉を開き、ドライバーに声をかける。
「う……うぅ……」
「よかった!生きてる!」
天音はドライバーが生きていることに安堵した。
「君は……わざわざ助けに来たのか……?」
「そうです!おじさん!早くここから逃げましょう!肩を貸しますから!」
「いや、私のことはいい。君は一人で逃げなさい。私を連れていては逃げきれない」
「でも私は見捨てる事なんてできません!」
「私の事よりも、一つ頼み事を聞いてほしいんだ。お嬢ちゃん」
ドライバーの男は傍らにあったジェラルミンケースを開くと、中にあったペンダントを天音に手渡した。
「これを持って逃げてくれ。恐らくもう少しすればS.O.N.G.から応援がくるはずだ。その時にこれを渡してくれないか」
「でもそれじゃおじさんが助からない……!」
「いいから行くんだ!奴らからそれを守れるのは君しかいない!」
ノイズに襲われ、助けがくる望みも無くただ自分の命が終わる瞬間を待つ恐怖を知っているのに、目の前の人ひとり助けることが出来ない。
――やっぱり私は誰も助ける事が出来ないの……?
そんな無力感が天音を襲った。天音は自身の無力さに唇を噛みしめる。
ノイズはすぐそこまで迫っている。天音は決断しなければならなかった。それがどれだけ辛い選択だとしても。
『——胸の歌に耳を傾けて』
天音は誰かの声を聞いた気がした。しかし天音の周りには誰もいない。気のせいかもと思ったが、天音は胸に手を当て深く息を吸い込んだ。
ふと、天音は心の底から歌がこみ上げる感覚を覚える。
「|feerale en feel brionac tron《フィーレイル エン フィール ブリューナク トロン》」
メロディーを口にした瞬間、天音を眩い光が包んだ。
「なっ……聖詠だとっ」
溢れ出る光の奔流はやがて収束し、光の粒子となって天音を包む。そして、それは
S.O.N.G.本部でアラートが鳴り響く。
「司令!新たな聖遺物反応を確認!アウフヴァッヘン波形を観測、照合…………この波形パターンは……!」
藤尭は観測された聖遺物の波形を既存のデータと照合する。
照合の結果、合致するデータを発見、そしてその解析結果がモニターに映し出された。
映し出されたその結果に、風鳴翼は驚きを顕にする。
「……ブリューナク、だと!?」
EPISODE1 聖詠-はじまりの