立花響に救われた少女がヒーローを目指すお話   作:月夜 のかに

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EPISODE9 誰がために 後編

 

 

 鼻腔を、線香の香りがすり抜ける。(かえで)は天音について来て欲しい所があると言い、天音は彼女の背を追って此処(ここ)へ足を踏み入れた。パタパタと手を扇いで手に持っていた線香の火を消すと、ゆっくりと先端から煙が立ち始める。そうして線香を供える母の背中を、天音はじっと見詰めていた。

 

 墓石には神代風音という名前が刻まれていた。

 

「このお墓ね、あの人が建ててくれてたみたい。私も来るのは今日が初めてなんだけどね」

 

 母はそう言うが、長い間手入れをするべき人間が立ち寄っていないにしては、墓石の周辺はそれ程荒れていない。墓花の様子からしても、これが供えられたのはつい最近の事なのだということが(うかが)えた。

 

「お父さん……こんな事してたんだ」

 

 父は、おそらく話せなかったのだろう。

 天音と父の会話はいつだって、どこか作り物めいている。お互いに、仲のいい親子のように振舞っているが、父は天音と深く接する事を避けていた。母について訊ねず、自身が負っているはずの心の傷さえまるで無かったかのように振舞っている天音に余計な事を話して、その日常を壊してしまう事を彼は恐れていた。

 この風音の眠る場所は、そんな歪な日常の外側で唯一、天音たち家族を繋いでいた証であった。誰からも忘れられてしまった本当の彼女へ花を手向ける事が、彼なりの贖罪だったのだろうか。

 誰が悪かった訳でも無い。彼女の死によって、家族を構成していた歯車に亀裂が走った。正常に回らなくなってしまったそれの崩壊を止められなかった後悔の念を、父は一人で抱え込んでいたのかもしれない。

 墓には、墓花とは別に鮮やかな黄色をしたマリーゴールドが添えられていた。その名前が示す通り、黄金のような黄色。母と同じ、風音の美しい瞳の色であった。

 

「私ね、ここに来るのが怖かったの。風音が死んでしまったのは分かっていたのに、心の底で受け容れ切れなかった」

 

「でも、私をここに連れてきてくれた」

 

「あなたが私に勇気をくれたのよ」

 

「私が?」

 

 しゃがんだ姿勢のまま母は振り返って、後ろに立っている天音を見上げた。

 

「何もかも無くしたと、勝手に思い込んでいたけど、天音は今でも私をお母さんと呼んでくれた。私にはまだ大切なものが残っていると、あなたが教えてくれたの」

 

 大切なもの、と自分を呼んでくれた事に、天音は少し驚いていた。母にとって大切なものは、姉の風音だと思い込んでいたからである。何も出来ない出来損ないの天音と違って、姉は優秀だった。それ故に母は風音の死で変わってしまったのだと、天音は思っていた。

 

「私の事、大切って……ほんと? だって、私は」

 

「当たり前でしょう。だって天音も私の大切な娘なんだから」

 

 気がつけば、天音の頬を涙が伝っていた。そして、せき止められていた堤防が決壊するように涙が溢れかえっていた。天音は年甲斐もなく号泣した。

 平気だと、どれだけ心を偽っても、奥底では母の愛を求めていた。風音へと向けられていたそれを、自分へと向けて欲しいと願い続けていたのである。

 天音の目尻に、ハンカチーフが触れる。涙でボヤけた輪郭がはっきりとした像へと変わり、天音の目に映った母の顔は、穏やかな表情をしていた。

 

「天音、あなたが私の娘でよかった」

 

「……ん」

 

「甘えん坊さんね」

 

 天音は黙って母の胸に(うず)めると、彼女は笑って頭を撫でる。

 そうして時間は過ぎ行き、風音へと合掌をする母がぽつりと言葉を零した。

 

「本当は、もっと昔から気づいていたの。でも、それを認めてしまったら、風音がいなくなってしまう。それが怖かった。でも、ここに来てそれは違うって、やっと気が付いた」

 

 母は天を仰ぐ。その視線はどこか虚ろで、しかし先程までのような空っぽの瞳では決してなかった。

 

「いなくなってしまった人を想うって、こういう事なのよね。残された人が、今を生きていけるように。……その為にお別れしないと、いけないのよね」

 

 それは、(かえで)の心に訪れた数年ぶりの平穏であった。心を病ましてしまう程に抱え込んでいたものを吐き出して、気が楽になった。

 お別れは辛いものだと楓は思っていたが、これもまた一つの通過儀礼なのであると痛感する。本来、人が生きていく上で乗り越えなければならない大事な事であると、数年間も気が付かなかったのだ。

 

「ありがとう」

 

 ――後ろに立つ天音が口にした言葉を、神代楓は一瞬、理解出来なかった。

 

「ワタシは、居なくなってなんかいないよ。いつだって、天音や、お母さんの傍に、ワタシは居るから」

 

「風音……?」

 

 一瞬、風音の声がした気がした。

 楓は後ろを振り返る。風が彼女の長い髪を靡かせ、楓は手で髪を押さえる。一瞬だったが、振り返った楓の目が捉えたのは、彼女と同じ黄金色の瞳であった。

 髪を巻き上げる程の青嵐の風が、マリーゴールドの切り花を巻き上げる。ひらりひらりと天音の足元に落ちたマリーゴールドを、楓は拾い上げると、それを目の前にかざした。

 

 楓の目に映っているのは、天音の左目を隠すように視界の半分を覆うマリーゴールドと、そのもう半分に映る天音の藍緑色の瞳。

 

「お母さん?」

 

「……なんでもない。またね、天音」

 

 風が吹き止み、髪を押さえていた手を下ろすと、楓は目の前の娘の名前を呼ぶ。目の前の彼女は父譲りの瞳を細めると、にっこりと笑ってみせた。

 ずっと、失ってしまったと思っていた物は、見えないだけですぐ傍にあったのである。

 

例えそれが幻だったとしても、風が運んだ娘の言葉は、楓にとって本物のように感じられた。

 

 

 もうすっかり日も暮れて、真っ暗になってしまった駅前を天音は歩いていた。天音の家は、駅からリディアンの校舎を越えて少しした所だ。

 独りで駅前の雑踏を歩いていると、どうしても頭の中では考え事をしてしまう。そうして一歩二歩と足を進める毎に、その思考回路はネガティブな方向へと転がりがちである。事実、天音は無意識にため息をついていた。

 

「そこのオジョーサンッ!」

 

「――ひゃいッ!」

 

 突然、後ろから天音を呼び止める声に、天音は素っ頓狂な声を上げた。振り返ると、立っていたのは知らない女性。茶髪に、少し癖のある、肩の位置より長めに伸ばしたミディアムヘアをしており、眩しい程の明るい笑顔を天音に向けていた。

 人違いかと思ったが、お嬢さんと呼んだ様子から察するに、そもそも誰か特定の人物を指している訳でもなさそうである。

 

「こっちでお好み焼きのお店やってるんだけど、どう?」

 

 女性は手作りのビラを天音に渡す。つまるところ、キャッチセールスを行っていた訳だ。しかし不可解なのは、何故駅前ではなく、このような駅前から少し離れた路上でセールスを行っていたのかという点である。天音は首を捻っていた。

 

「なんでこんな所で?」

 

「そんなに大きなお店でもないしね。それに、お店ココだし」

 

 天音が視線を彼女が指さした建物に移すと、その小さな店の看板には『ふらわー二号店』と書かれていた。手元の渡されたビラへちらりと視線を移し伺うに、お好み焼き屋のようである。

 リディアンにこれだけ近いというのに、全く存在を知らなかった。実際、今もそれ程賑わっている様子も伺えない。

 

「二号店って、ここ、チェーン店なんですか?」

 

「いや、違うよ? このお店ね、元々リディアンの近くにあったんだ」

 

「今も近くじゃないですか」

 

「あー、ここじゃなくて、正確に言うと、今は使われてないリディアン旧校舎跡の近くね」

 

 天音はふむふむと首を振る。そうすると、女性はこの小さなテナントの一階を改装した店の成り立ちを説明し始めた。

 

「リディアンの校舎が無くなって、それからもふらわーのおばちゃん、――元々の店主さんはその場所でお店続けてたんだけど、店主さん、リディアンの子達に、またお好み焼きお腹いっぱい食べさせて上げたいって、ここに新しいお店を建てたんだよ」

 

 天音はへぇ、と相槌を打つ。

 

「ねぇ、もしかしてキミ、リディアンの学生さん?」

 

「へっ……あっ、ハイッ」

 

 突然の質問に天音は声を上擦らせてしまった。それがおかしかったのか、目の前の女性はふふ、と笑う。

 

「もし良かったら寄っていって?」

 

「えっ、いや、それは……」

 

「大丈夫! お代は私の奢りでいいからッ!」

 

 そう言って彼女は天音の背中を押し、半ば無理やり店内へと天音を招き入れた。

 

「いらっしゃいませ! ……って、その子困った顔してるじゃない。もしかして、無理やり連れて来たの?」

 

 扉を(くぐ)ると、厨房には黒髪の女性が立っていた。肩ほどまで伸びたその艶やかな髪を、真っ白なリボンで纏めている。

 

「いや、確かにちょっと強引だったかもしれないケド、この子、なんだか悩み事抱えてそうだったから、とりあえずお腹いっぱい食べさせてあげようかなって……。この子、私たちの後輩みたいだし」

 

「もう響ったら……。ごめんね? 迷惑だったら別に食べて行かなくても大丈夫だから」

 

「あっ、いえ、迷惑って訳じゃあ無いですけど」

 

「ほら、座って座って」

 

 響と呼ばれた茶髪の女性に促されるがままに、天音は一番手前のカウンター席へと座った。彼女はニコニコとしたスマイルで、水の入ったコップを天音へと差し出す。

 

「暗い気持ちになった時は、お腹いっぱい食べるのが一番ッ! ね?」

 

「私、そんなに落ち込んでる様に見えてましたか……?」

 

「相当ね」

 

 天音自身、そのような自覚は全くといっていい程に無かった。確かに気落ちしていたとはいえ、全くの赤の他人に心配をされてしまったという事実は余りにも恥ずかしいことこの上ない。

 一日のうちに、人に心配をかけ過ぎてしまっている。恐らく凪咲もそんな天音が見ていられなくて、あのような行動を起こしたのだから、自分の不甲斐なさに身の置き場がないというものであった。

 

「お腹が空いたまま考えてたら、悪い答えばっかり浮かんでくるものよ? はい、私特製のお好み焼き。このお店の味とは少し違うかもしれないけど、お口に合うかな」

 

 黒髪の女性は天音の卓へと、既に焼きあがった状態のお好み焼きが一枚載った皿を差し出す。ソースとマヨネーズが綺麗な格子模様を形作った、お手本のような表面に鰹節がダンスを踊っている。

 

「このお店の味と違うかもって、どういう意味ですか?」

 

「あ、私たち二人とも、腰を痛めてお店出られなくなっちゃった店主さんの代わりにお店のお手伝いに来てるから。おばちゃんのお好み焼きには(かな)わないっていう意味」

 

「誰かの為にそこまで出来るなんて、凄いですね」

 

「今ここに立ってるあの子がね、何かしてあげたいって聞かないから」

 

「へへへ、ごめんね未来まで巻き込んじゃって」

 

「もう、ほんとに」

 

 そう言って笑う響に、未来と呼ばれたその女性は頬を膨らませる。しかし、怒っている様子ではなく、むしろ二人の間には絶対的な信頼が見て取れた。

 

「……羨ましいです」

 

「――何が?」

 

 響は天音の呟いた言葉の真意を問う。その真意は今自身が抱え込んでいる悩みが根底にあるものである故に、言葉が喉を通らない。ようやく口から零れたのは、まるで吐息のように消えゆきそうな声であった。

 

「私は、詩織とそんなふうになれなかったから。私は、あの子の事を何も知らない……」

 

 消えゆきそうな声は、やがて後悔や自責を孕んだ声へと変わる。拳を握る手の力がぐっと強まり、その手は震えていた。

 そんな天音の様子を見て、響はふむふむと頷くと、(おもむ)ろに卓に置かれた箸を手に取る。お好み焼きを一口大に切り分け、その切れ端を天音の口へと放り込んだ。

 

「むぐっ……」

 

「どう? 美味しいでしょ」

 

 一口大というには少し大きめのその切れ端を飲み込む。彼女の言う通り、実際、このお好み焼きは美味しかった。気が付けば、先程の心の翳りがどこかへ飛び去ってしまった訳で、彼女の言っていた言葉が正しかったというのも今なら理解出来る。

 

「……美味しい、です」

 

「美味しいものを食べれば大概の悩みは吹っ飛ぶものだよ。それでも消えないなら、誰かを頼ればいいんだから」

 

「昨日も、似たような事を言われました。助けになりたいって」

 

「いい友達だね」

 

 天音はお好み焼きの二口目を口へと運ぶと、こくりと頷いた。

 

「――私、正義のヒーローに憧れてたんです」

 

「憧れて()? 今は違うの?」

 

「いえ、今でもそう成りたいと思ってます。でも、正義ってなんだか、分からなくなっちゃって」

 

 天音は彼女たちに、今胸の内に秘めている悩みを全て晒した。正義の味方に憧れて、人助けをしている事。それが原因で親友との仲が拗れてしまった事。そして、自分の中の正義が揺らいでしまった事。勿論、秘密と言いつけられている事に関しては、上手い具合にぼやかして。

 事情を知らないからこそ、話せる事もあるというものである。一通り話終わると、話す前より既に心が軽くなったような感覚を覚えた。

 

「なるほどね。その詩織ちゃんって子の味方をしたいけど、詩織ちゃんは悪い事をしてて、雁字搦(がんじがら)めになっちゃった訳だ」

 

 天音はただ、黙して頷く。

 

「少しだけ、むかし話をしてもいいかな?」

 

 響はそう言うと、天音の隣のカウンター席へと腰掛けた。

 

「私もね、昔キミと同じ様な事をしてたんだよね。あ、人助けって意味では今でも、か」

 

 昔の事を思い浮かべているからだろう。響の視線はどこか遠くを眺めるようであった。しかし、その視線が時々、天音の首から下げられている青色のペンダントに向けられているような気がした。

 

「私も、自分の正義を信じて、それが誰かの為になるって、本気で信じてた。でも、自分の正義が必ずしも他の人の正義と同じとは限らないんだ」

 

「そう、ですね。そう思います」

 

 正義のカタチは一つではない。それは、数多のアニメを見続けてきた天音にも理解出来る。ヒーローが誰しも同じ思いで戦っていた訳では無い。天音自身を形作っているのは、かつて見たヒーローの姿、そして、その後のアニメ達によって形成された、所謂(いわゆる)テンプレート的な正義のヒーロー像である。

 しかし、誰しもが天音のように正義の味方然とした思想を持っている訳ではない。人が正しいとする事を正義と呼ぶのならば、人それぞれに正義は存在するのだから。詩織にとっての正義と、天音の正義が必ずしも相容れるとは限らない。

 

「もしもそれで誰かと衝突してしまった時、お姉さんはどうしたんですか?」

 

「私はいつだって、真っ直ぐ、一直線に向き合ってきたかな。例えぶつかっても、最後にはお互い、手を繋げるって信じてるから」

 

 真っ直ぐ、一直線に。その言葉を天音は小さく口ずさむ。俯いていた顔を恐る恐る上げた先には、真っ直ぐに天音を見つめる響の視線があった。自信、というよりも、経験からくる確信のようなものを抱いた瞳である。

 

「私は……怖い、です」

 

「それは、拒絶されるかもしれない事が、かな? ……私だって、手を伸ばした皆と手を繋げたって訳じゃ無いよ。でもね、これだけは覚えておいて。例え拒絶されたとしても、誰かへ手を差し出すって事は絶対に、無駄な事なんかじゃないんだよ?」

 

 響は優しいトーンで、天音へと語りかける。そんな彼女の(あつ)い瞳を真正面から見据えて、天音は彼女の言葉を胸に刻んでいた。

 

「むかし私、正義のヒーローなんて要らない世界になればいいのになーって思ってたんだよね」

 

「ヒーローの要らない世界?」

 

「平和で、皆の幸せが踏みにじられたりしない世界、ってコト。でもさ、こうして生きてると、ヒーローってそんなに大層なものでもないなぁって思うんだ」

 

「私はッ! そんな事ないと思います。少なくとも、私が見たあの人は」

 

 ――あの人は、大層なものと定義するに値するヒーローであった。

 そう天音は感じていた。

 それは、かつて見た本物のヒーローの背中。はっきりと顔は覚えていないが、その背は、その言葉は、紛れもなく物語のヒーローそのものであった。

 あの背中は、大きくて、優しかった。

 

「それも、ヒーローの捉え方の違いなんだよ。ヒーローって、そんな大層なものじゃなくて、誰かの為に何かをしてあげたいと思ったなら、それは立派なヒーローなんじゃ無いかな。例えば、今日、私はふらわーのおばちゃんにとってのヒーローだしッ!」

 

 彼女はそう言って、眩しいくらいに笑ってみせた。

 

「――誰かのため」

 

「キミ、えっと、名前は?」

 

「神代天音、ですけど……」

 

「天音ちゃんは、ヒーローになりたいんでしょ? どうすればいいか分からなくなった、って言ってたけど、本当はもう分かってるんじゃない? 誰の為に、何をするべきなのか」

 

 彼女の瞳は、真剣であった。出会って間も無い、ただのお好み焼き屋の店員。なんの接点も無い、赤の他人である。

 しかし、彼女は天音の言葉を真摯に受け止め、本気で天音の苦悩と向き合っていた。彼女の言葉からも、それがはっきりと伝わっていた。

 

「でもッ……あの子はそんな事求めてないかもしれない。独りよがりな正義のヒーローなんて、そんなの偽善者と変わらないじゃないですかッ!」

 

 そう叫ぶ天音の卓上で握られていた拳に力がこもった。言葉を口に出してから、天音の頭の熱が冷めていく。

 自分が口にした言葉の意味を、ようやく理解すると、天音は響へと頭を下げた。

 

「……ごめんなさい」

 

 彼女は、詩織の事も、天音の事もよく知らないというのに、ついこの間、凪咲へしてしまった事を、あろう事か見ず知らずの女性にしてしまった。

 彼女の言葉は正しい。そして、何よりも真っ直ぐであった。それこそ、ある種の理想論ともいえるものである。それ故に、天音はこの言葉を理解はしても、受け入れる勇気が持てずにいた。

 

「でも、それってエゴじゃないかって思っちゃうんです。偽善なんじゃないかって」

 

「……だとしても、誰かを想う優しさは、誰にも曲げられない、正しいものだって、私は思うな。誰かから偽善と言われようと、天音ちゃんが信じて握りしめた正義なら、それはきっと間違ってなんかいないよ」

 

 彼女の言葉を否定するような、意地悪な問いかけ。しかし、彼女はそう答えた。

 彼女が見せた一瞬の沈黙。偽善だと、かつて誰かに言われた事があるのかもしれない。

 深く息を吸い込む。そして、一呼吸終えて、天音は再び箸を取った。

 

「うわっ、そんなに一気に食べたら喉詰まらせるよッ?!」

 

 そんな響の制止を無視して、天音は皿のお好み焼きを平らげると、コップ一杯の水を一気に飲み干した。

 

「んっんっ……ぷはぁ……ご馳走様でしたッ!」

 

「お粗末さまでした」

 

 綺麗になった皿を下げながら、未来は天音の顔を見てふふと笑う。

 

「ふえっ、私の顔、何かついてますかッ?!」

 

「いや、何もついてないよ」

 

「うんうん、別におかしくて笑ったんじゃないから。その様子だと、もう大丈夫そうだね」

 

「――はいッ! 本当に、ありがとうございますッ! ご馳走になるどころか、こんな個人的な話まで相談に乗ってもらっちゃって」

 

「いいのいいの。私が好きでやった事だから」

 

 席を立ち、扉に手をかけた天音だったが、ふと扉にかかっていた手を下げて振り返った。

 響の方はというと、その様子を見て何か忘れ物でもあったのかと、荷物を入れる為の足元の籠へとちらりと目線を移していた。別に、忘れ物をしたという訳でも無かったので、その籠の中身は当然空である。

 

「あの、どうかした?」

 

「変な事、聞いてもいいですか?」

 

「今更勿体ぶる事も無いよ。何かな」

 

「お姉さん、あの、昔どこかで……お会いした事ありましたか?」

 

 会話が、一瞬止まった。天音は響の顔をちらりと伺うと、彼女は少し驚いたような表情を浮かべた後、首を捻った。

 

「いや、初対面だと思うよ」

 

「そうですよね。変な事聞いてごめんなさい。なんだか、初めて会った気がしなくて」

 

「良かったら、また来てね。私達は居ないけど、おばちゃんが作ったお好み焼き、ホントに凄く美味しいんだよ?」

 

「はいッ!」

 

 扉の外から夜道を歩いて行く天音の背を見届けながら、未来は響の方へちらりと目を向けた。満足そうな表情を浮かべる彼女をみて、もう問う必要は無いかと思いつつも、本当にいいのかと、未来は隣の彼女へと問いかける。

 あの少女がこの店に立ち寄ったのは、きっと運命の巡り合わせなのだろう。そう、思えたからである。

 

「今の私はあの子のヒーローじゃなくて、ただのお人好しなお姉さんだから」

 

「でもあの子、響のことずっと憧れてたみたいなのに」

 

 それこそ、それを話せば彼女はこの運命の巡り合わせをきっと凄く喜ぶだろう。募る思いもあるかも知れない。響のようになろうと、生き方まで変えてしまうような出会いだったのだから。

 響は、それをどう思っているのだろうか。自分の行為が、人ひとりの人生を大きく変えてしまった事に。少し昔の彼女なら、きっと自分の行動で誰かが危険な道に足を踏み入れてしまったかもしれないという事に、少し考え込んでしまっていたのでは無いだろうか。

 

「もうあの子にはあの子の道があるんだもん。私なんかが口を出す物でもないよ」

 

「響、なんだか嬉しそう」

 

「うん、なんだかさ。私の中で奏さんの歌が生きてたみたいに、あの子の中にも、私の歌が生きてるんだなぁって。それがすごく嬉しくてさ」

 

 ◇

 

「天音さん、どうしたんですか? 顔赤いですよ」

 

「ねえ凪咲ちゃん、なんで昨日から名前で呼ぶように……?」

 

「天音さんが私を下の名前で呼ぶんだから、私が呼んだって構いませんよね? というか、最初に呼べっていったの天音さんですからね」

 

「そりゃあそうだけど、いざ呼ばれるとなんだか恥ずかしいっていうか、というか、それもあるけど、なんだか近くない?」

 

「そうでしょうか」

 

「――そうだよッ!」

 

 凪咲はぴったりと天音にくっ付いていた。肩と肩が触れ合う程の距離である。近い。余りにも近かった。

 先日のデート(のようなもの)の後から、凪咲の様子はおかしかった。パーソナルスペースが、余りにも近い。人の事を言えたことではないが、天音のようなスキンシップとまではいかないものの、今の凪咲は明らかに天音に対するパーソナルスペースが狭くなっていた。少なくとも、少し前までは彼女と天音との間にはある程度、物理的距離があったはずなのである。

 

「あのー、音無さん?」

 

「なんで急にそんなに、よそよそしいんですか」

 

「じゃあハッキリ言うよッ! この間から、凪咲ちゃん変だよッ!」

 

 ずっと感じてはいたが、口にはしていなかった事を天音はついに告げた。しかし、それを告げられた凪咲はというと、特に意に介した様子もなく、むしろその距離を詰めてにんまりと笑ってみせる。

 

「好きな人に触れ合いたいと思うのは、普通の事ですよね。天音さんだって、よく符坂さんにこんな風にしてたじゃないですか」

 

「そうだけど……確かにそうだけど、違うッ! こんなの凪咲ちゃんらしくないーッ!」

 

 天音は堪らず空へ叫び声を上げる。余りの声量に、ほかの通行人がびくりと天音の方を向いた。

 とてつもないデジャビュ感。そう、それは風音が夢の中で生み出した凪咲を見ているかのような違和感だった。厄介なのは、今回は紛れもなく、夢から覚めることない現実で起こっている出来事だという事である。

 

「第一、凪咲ちゃん私の家に迎えに来たって事は、一回学校通り過ぎてるよね?」

 

「何か問題でも? 天音さんが起きるの遅いから、私がわざわざ迎えに来てるんです。感謝してくれてもいいくらいです」

 

「ありがと……う? でも、わざわざ迎えにこなくてもいいのに。というか、こんなにくっ付かなくてもいいのに」

 

「私がこうしたいんです。今は叶わなくても、いつか奪ってみせますから」

 

「……何を?」

 

「天音さんの、イチバンを、ですよ。今はまだ、私じゃ敵わないみたいですから」

 

 凪咲は天音の手へと、その手を伸ばし、ぎゅっと掴むと駆け出した。

 

「ほら、行きますよ。そんなに時間に余裕がある訳じゃ無いんですからッ」

 

 そんな凪咲の表情を見て、天音は思う。表情だけではない。先程までの天音からすると変、とも思える凪咲の言動、その全てを総括して、天音は今の凪咲に抱いている思いである。

 

「凪咲ちゃん、変わったね」

 

 呟いたこの一言の言葉。それは天音が凪咲に抱いた印象を一言で言い表す言葉であった。

 彼女は、変わった。別に、それが悪い意味という訳では無くて、違和感はあっても、それは天音にとって心地の良い変化であったのだ。それこそ、一瞬だけ、その夢幻(ゆめまぼろし)に身を委ねようとすら思った、あの風音の作り出した夢の中の世界の彼女にも似た心地の良さである。

 そう、居心地が良かった。それは、彼女の変化によるものなのか、それとも、彼女が天音にそう感じて貰おうと彼女自身を変化させたのか。凪咲程に特別親しい間柄とも言えない歌恋を除けば、詩織以外と真っ当な友達など作った事も無かった天音にとって、この感覚は初めてのものだった。

 

「……私が変わった、ですか。そうかもしれません。でも、私を変えてくれたのは天音さん、アナタなんですよ?」

 

 凪咲は天音の手を引きながらも、振り返って笑ってみせた。

 音無凪咲という少女は、こんなに、明るい少女だっただろうか。いや、少なくとも、最初はそうでは無かった。天音が彼女を変えた、と言われても、そんな自覚は全く無い。そう思わせるような何かを与えるどころか、むしろ彼女に与えてもらってばかりだとすら、天音には思えたのだから。

 

「私、別に凪咲ちゃんに何かしてあげられたことなんてなんて」

 

「じゅうぶん貰いましたよっ! それに、天音さんがどう思おうと関係ありません。私が今こうしていたいんです」

 

「凪咲ちゃんがそう言うなら、私はいいんだけど」

 

「それはそうと、天音さん。少しは、ドキドキしたり、してくれましたか?」

 

「なっ、してないよッ! こっ、これくらい友達同士ならよくやることでしょッ! 凪咲ちゃんだってさっき言ってたじゃん」

 

「ふふ、確かに、そうですね」

 

「そうやって凪咲ちゃん、この間から私の事からかって。意地悪(イジワル)

 

「私は別にからかってなんか……いや、そうですね。私はイジワルなんです。だから、天音さんが私にドキドキしてくれるまで、私は天音さんに意地悪しちゃいますから」

 

 凪咲は振り返って、悪戯な笑みを浮かべる。

 その時、二人の通信端末が同時に鳴りはじめた。二人は鞄から通信端末をそれぞれ取り出し、連絡元を確認すると、それは風鳴翼からの至急の連絡であった。

 

 

 早朝の市街は、狂騒に包まれていた。平日の早朝、そこに訪れていたスーツを着たサラリーマン果ては老人まで、誰もがパニックに陥っていた。突如として現れたノイズの手によって、次々とその身を灰へと変えていく。

 そんな地獄の中心で、彼女は喇叭(ラッパ)を吹き鳴らしていた。

 

「――あら、遅かったわね。ここにいた人達は、もう殆ど死んでしまったわよ」

 

 喇叭を吹きやめた白髪の少女は、目の前に立っている二人のシンフォギア装者へと語り掛けた。

 

「……アナタはッ! どうしてこんな事をするんです」

 

 凪咲は歯を食いしばって、目の前の惨状を見つめていた。山のように塵が積もり、風が吹く度にそれは砂嵐のように視界を遮る。一瞬にして、その尊厳すら踏みにじられた、その一つひとつが先程までは生きていた。命であった筈なのである。

 

「どうして? ヴィーデがそう望んだからよ。喇叭を鳴らせ、ってね。これが私のするべき事なんだって」

 

「命令されたから人を殺すなんて……そんなの狂ってます」

 

「昔、言ったはずよ? 私は、私の目的の為なら悪魔と相乗りだってするってね」

 

「さぁ、私たちも、殺し合いましょう?」

 

 メロディアは、青いペンダントを手から垂らし、その眼前に掲げた。

 

lucrezia chloive solais zezzl(ルクレイツィア クレイヴ ソリシュ ズィーズ)

 

 白光(びゃっこう)(ほとばし)り、メロディアを包んだ。帯のように靱やかな、波紋の如き光が広がると、やがてそれは一点に集束し、シンフォギアの形を成す。長い立ち襟の羽織を翻し、メロディアは襟の先を摘むと、口元を隠すようにくいっと襟を引いた。

 

「私の復讐は、アナタ達を殺すまで終わらないんだものッ!」

 

 メロディアは凪咲へと距離を詰めると、片腕に握られた剣を振り上げる。凪咲は咄嗟にアームドギアを使って剣を受け止めようと試みる。しかし、次の瞬間には鋭い痛みが走り、鮮血が凪咲の視界に映っていた。

 

「うっ……ぁ」

 

 剣戟(けんげき)は完全に防いでいた筈だった。しかし、剣の先端は凪咲の肩を掠めている。

 世間一般的に太刀等の日本刀に顕著に見られる、峰の反りとは真逆に湾曲した、草苅り鎌のような形状のその剣は、例え受け止めても、押し込めば切っ先は敵の懐に潜り込む。紙一重の防御を容易く破り去る形状である。

 

「もう一発お見舞いしてあげる」

 

 メロディアがもう一方を振り上げた時、金属がぶつかり合うような衝撃音と共に、その剣は槍の矛先によってその行く手を阻まれた。

 凪咲はその隙を見て後退し、天音と互いに武器を押さえ付け、(しのぎ)を削るメロディアは、それを看過するも、軽く舌打ちをする。

 

「アナタ、会う度に別人みたいね。最初はヒーローの真似事をしてる餓鬼かと思えば、冷めた目で私に殺意を向けたりもする。今度は何? 今のアナタからは、戦いの意思すら感じないのだけれど、ここに何しに来たのかしら?」

 

 メロディアが槍の先へと視線を移すと、相対する天音の表情は、とても戦場の敵を見つめるそれでは無かった。害意など全く汲み取れないその表情は、むしろ哀れみを向けているようにも思える。それが無性にメロディアの癇に障った。

 

「私は、神代天音。あなた、名前は?」

 

「は? なんで私があなたに名前を教えないといけないのかしら」

 

「私、あなたの事をもっと知りたいから」

 

「私はお断りよッ! だいいち、知ってどうするっていうの? 私とアナタが敵同士な事に変わりは無いじゃないッ!」

 

「だとしてもッ! 話せば分かり合えるかもしれないでしょッ! どうしてあなたは、そんなにも私達を、S.O.N.G.を恨むの? 話さないと、分からないよ」

 

 少し哀しみを含んだような、掠れた声で、神代天音はメロディアへと問う。彼女が、何を憂いているのか、メロディアには理解できなかった。

 分かりたい? 分かってどうするというのだろうか。メロディアの身体に灯った、復讐という名の炎は、消すことなど叶わない。この炎は、もう手遅れな程にその身体を焼いてしまっているというのに。

 この炎の苦しみは、メロディアにしか分からないものである。この火傷を見て、痛ましいと思うことはあれど、その痛みを共有する事など、理解することなど、出来る筈もないのだから。

 

「ドクター……ウェルキンゲトリクス博士、という方を、アナタは知ってる……?」

 

 ぽつりと、メロディアは目の前の少女へと問う。この時、メロディア自身、それを口にした事に驚いていた。なにせ、神代天音の問いかけに答える気など、更々無かったからである。

 

「知らない。その人は、あなたとどういう関係だったの?」

 

「……私は、あの方をお慕いしていたわ。だけど、殺された。アナタ達に」

 

 メロディアは憎悪の篭った瞳を、目の前の少女へと向ける。

 彼女は、ドクターとの面識は無いようだったが、そんな事はメロディアにとって関係無い事であった。シンフォギアを纏う、S.O.N.G.に与する者である時点で、彼女もまた憎き復讐の対象でしかない。

 

「……ころ……された?」

 

「そうよッ! あの人は、人類を救う英雄になる筈だった人よッ! あの人の夢を語る時の瞳は、誰よりも澄んでいたッ! あの人の夢が、私の夢でもあったのにッ!」

 

 初めて、自分を道具ではなく、人として見てくれたのが、ドクターであった。彼はメロディアに夢を語った。英雄となり、人類を導く担い手になるという、壮大な夢である。

 そんな夢の為に、彼はメロディアの力が必要だと、確かにそう言ったのである。融合症例と彼らが呼ぶ、この異物を埋め込まれた実験動物(モルモット)のカラダが、彼の夢の一端となり、彼の助けになるのだと、その事実がメロディアには喜ばしがった。

 完成したネフィリムリンカーをメロディアへと見せながら、ドクターは語った。ヒトと聖遺物の融合こそ、人類が英雄となる鍵なのだと。そして、それは融合症例であるメロディアがいたからこそなし得た偉業なのである、と。

 

「でもッ……全部、奪われた。ウェル様から便りが無くなって、少ししてから。私は、その時ようやく全てを知ったわ。彼が、S.O.N.G.のヤツらによって殺された事を」

 

「そんな……あの人達がそんな事するわけないよッ! 人を殺すなんて、そんな……」

 

「でも事実、ウェル様は殺されて、シンフォギアは英雄扱いだもの。こんな世界、間違ってる。だから、あなた達は私に殺されるのよ」

 

「それでも私は、あなたと分かり合えると、本気で思ってるよ」

 

 嘘偽りない純粋な瞳で、天音はメロディアを見つめていた。メロディアがどれだけ言っても、彼女は己の主張を曲げることは無く、メロディア自身、彼女の気迫に気圧(けお)されていた。

 

「――クドいッ!」

 

 メロディアは鍔迫り合いをしていた剣を一気に振り抜き、槍を弾き返すと距離を取る。そして、天へと掲げた剣をその場で振り下ろした。

 

【Meteoros(煌めく) Cen(流星)telleantes】

 

 それは正に、『流星』そのものであった。白く輝く流れ星のごとき勢いで、天音と凪咲へ、複製された白く輝くクレイブソリシュの剣が降り注ぐ。二人のギアを切り裂きながら、次々に剣が地面へと突き刺さっていった。

 

「くっ……こんなのッ、防ぎきれません」

 

「凪咲ちゃんの弾丸を降らせるヤツとは比べ物にならないくらい、重いッ! 捌ききれない……かもッ」

 

 天音は槍、凪咲はライフルによって、避けきれない剣の軌道を逸らしながら、ギリギリの防御であった。弾かれた剣は金属音を立てながら地面へと転がり、降り注ぐ剣もまた、それらにぶつかって弾き飛ぶ。

 ようやく剣の雨が降り止むと、辺りは剣で埋め尽くされていた。天音と凪咲は肩で息をしながら片膝をつく。しかし、俯きながらもその視線はメロディアへと向いている。

 凪咲はライフルを構え、メロディアへと放つが、打ち出された弾丸は呆気なく彼女の剣によって(はじ)かれた。

 

「くッ……」

 

「ふん、他愛無い。こんな単調な攻撃が通用すると、本気で思ってるの?」

 

 ハンドガンへと変形させたアームドギアを、凪咲はメロディアへと絶え間なく打ち続けるが、メロディアは片手だけを動かしながら、襲いくる弾丸を剣の腹で捌き、その足を進めていく。

 そんな時、焦りで歯を食いしばる凪咲へと天音が耳打ちをした。

 

「凪咲ちゃん、少しだけ、時間を稼いでくれない?」

 

「……何か策でもあると?」

 

「私が、なんとかする」

 

 その真剣な眼差しを見て、凪咲はやれやれと息をついた。実際、凪咲の攻撃は完全に見切られているのだから、彼女に賭けるのも悪くは無い。と言うよりも、賭けたくなってしまっていた。

 

「……そんなに長くは持ちませんよ?」

 

「少しだけ、注意を逸らしてくれるだけでいいの」

 

「分かりました。任せましたからねッ!」

 

 凪咲はハンドガンで牽制しながら、メロディアとの距離を一気に詰める。

 一発。二発。そして三発。メロディアはそれらの弾丸を丁寧に捌く。二人の距離はどんどん短くなっていく。

 

「ハッ、わざわざそっちから近づくなんて、ついに観念したのかしらッ?!」

 

 ――ガリガリッ! と、音を立てながら、剣がアスファルトを削り取る。メロディアは剣を下からすくい上げるように振り上げた。

 

Luz() de() las() est()rellas】

 

 振り上げた剣の軌道をなぞるように、白い斬撃が凪咲へと襲いかかる。それは、まるで地面を抉り取りながら進む、鮫の背びれのように、一直線に進んで行く。

 

「――なっ」

 

 凪咲を追うメロディアの視線は、その瞬間空を向いた。

 ――跳んだ。このコンマ数秒という時間、余りにも短いこの瞬間、静止したような世界でメロディアが目にしたのは、身体をスピンさせながらメロディアへと銃口を向ける凪咲の姿であった。

 応戦しようと剣を振り上げる。しかし、届かない。間に合わない。彼女の方が、早い。

 

「天音さんッ!」

 

「生意気なのよッ! インチキ装者風情が!」

 

 発砲。銃弾が掠めた直後に振り上げた剣戟が、凪咲のギアインナーを引き裂く。

 着地した凪咲は、身体の中心線を捉えるようにして胸元まで達しているインナーの切り傷を手で抑えていた。どうにも、傷は浅く、致命には達していないようである。

 

「チッ……浅いか」

 

 目の前の満身創痍の少女へと、トドメの一撃を加えようとした瞬間、身体が異様に重いことに気が付いた。否、動かないのだ。

 

「なっ……これは……まさか、初めからこれが狙いで」

 

 凪咲はしてやったりという顔で、にやりと笑う。その視線を、メロディアは追う。その瞳が捉えていたのは、メロディアでは無かった。メロディアの背後、そこで、彼女はこの瞬間をじっと待っていたのである。

 

「天音さん……キメちゃって下さい」

 

 メロディアの髪が、風で揺れた。先程まで無風だったというのに、気がつけば空気の流れが変わっている。その気流は、まるで背後の天音の槍へと収束しているようであった。

 彼女の槍に巻かれたマフラーがバタバタとはためき、構えた槍を中心に小さな竜巻が渦巻いている。

 

「後で、お話しよう。あなたの言い分は分かったけど、それが正しいのか、私には判断出来ないから。……だから、今は全力であなたに勝つよ、私は」

 

 収束した竜巻はやがて、槍の先端にて視覚的に見えるエネルギーの塊へと変わる。

 

Zephyros Blaster(ゼピュロス ブラスター)

 

 圧縮されていたエネルギーは、その緊張が解かれた瞬間に、光の奔流となってメロディアを襲う。それは、竜巻を周囲に纏いながらメロディアのギアを焼き、剣を、ギアを、その嵐で弾き飛ばしていく。

 

「ああッ――そんなッ! 有り得ないッ! こんなのッ!」

 

 ギアが軋み、かまいたちのような鋭い旋風が、メロディアを切り刻む。

 

「はは、槍から、熱線に、竜巻ですか……なんでもアリですね……」

 

 凪咲が脱力した様子で笑うと、天音は凪咲にウインクを飛ばしてみせる。

 

「ノンノン。長物にビームは、お約束だよ?」

 

 閃光はやがて消えゆき、その中心には、ボロボロのギアを纏いながら、拾い上げたアームドギアを使って、辛うじて立っているメロディアの姿があった。

 

「――有り得ない。私は、負けない。負けられないのよッ」

 

「ねえ、一度、お話しようよ。S.O.N.G.の人達が、悪い人たちな訳無いよ。だから――」

 

「そんなの、どうでもいいッ! 私には、復讐(これ)しかないのッ! 大事な人も、夢も奪われた私には、もう、これしか」

 

「私は、あなたと友達になりたい。だから、あなたの名前を、教えて?」

 

 何故だかその瞬間、メロディアは目の前の彼女の姿が、どこかヴィーデと初めて出会った時の姿と重なった。目の前の彼女は、あの悪魔そのものが人の姿をしたような女とは、似ても似つかないというのに。

 彼女と出会った時、彼女から似たような問いかけをされた。彼女に付いて行ったのは、メロディアの目的に彼女が有益だったからである。

 しかし、今、目の前で手を差し伸べる少女は、メロディアからすれば殺すべき敵である。だというのに、何故だかメロディアはその手を取ろうとしていた。そうだ、この感覚をメロディアは知っている。

 彼女は、かつての親友と――ルイスと、どこか似ているのだ。

 

「――それでも」

 

 メロディアは無意識に天音へと伸ばしていた手を退くと、剣を手にした。

 

「私は(これ)を手放すなんて出来ない。もうどうしようもないのよ。それ位に、私の中の炎は私を焼いてしまった」

 

 この炎が消えるのは、復讐を遂げた時だけなのだと、メロディア自身が一番分かっていた。故に、その手を取ることは出来ない。

 

「――メロディア。それが私の名前。大切な人がくれた、私だけの名前よ。次は、私が勝つから」

 

 メロディアは薙ぎ払うように剣を振るう。その軌道をなぞるように、メロディアの周囲を白く煌めく光の粒子が舞っていた。

 

【Enjam(星屑)bre】

 

 瞬間、その光の粒は炸裂し、連鎖的に次々と閃光と爆風を生み出す。至近距離での爆発に、天音と凪咲は吹き飛ばされてしまう。

 爆煙によって奪われた視界が、次第に晴れていくと、そこにはもうメロディアの姿は見えなかった。

 

「メロディア……ちゃん、それが、あの子の名前……」

 

 

 そこは人気(ひとけ)のない狭い路地裏。陽の光は差し込まず、居るのはせいぜい野良猫や、溝鼠である。メロディアは肩で息をしながら、そこへと逃げ込んでいた。この場所は、普段ヴィーデから便りが無い時によく住処にしていた所でもあった。野良猫や、溝鼠と同じような暮らしをしていたのである。

 そんなメロディアの生活を、ヴィーデはあまり良く思っていなかったらしい。彼女からは「あなた、臭い」と散々(ののし)られた。それこそ、出会って間もない頃に彼女がメロディアへと向けていた視線は、汚物を見るような目であった。

 

「ほんっとに、最悪」

 

 ギアを解除し、メロディアは壁を背に倒れ込む。初めは容易いと思っていたが、こうなるとは想像もしていなかった。

 メロディアがヴィーデに指示された命令はたった一つ。

喇叭(ラッパ)を吹け』たったそれだけの命令であった。ヴィーデから手渡された、六本の喇叭。これらを起動させるのが、メロディアの課せられた使命である。

 

「あと、一本……あと一本鳴らせたら……私は……英雄になるんだ。復讐だって、果たせるんだ……だから、見ててね、ウェル様」

 

 軽く喇叭へと口を当て、息を吹き込む。しかし、喇叭は鳴らない。喇叭を持つ手の力も、もう限界であった。

 カラン、という低い金属音を立てて、喇叭はメロディアの手から零れ落ちた。

 

「拾わ……なきゃ」

 

 メロディアが喇叭を拾おうと、手を伸ばしたその時、胸を締め付けられるような痛みに襲われた。

 胸が、熱い。それはまるで、クレイブソリシュが己を食いつくそうとしているような感覚であった。メロディアは胸を手で抑えると、ちくりと掌を突き立てる異物に気付いた。

 

「なに……これ」

 

 ポロリと掌から零れ落ちたそれは、地面を転がって喇叭にぶつかる。

 ――白い、結晶。それは白金のように白く光沢を放つ、小さな欠片であった。

 

……To be continued

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