立花響に救われた少女がヒーローを目指すお話   作:月夜 のかに

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EPISODE10 メロディア

 

 それは、いつのことであっただろうか。ルイスを喪ってから、何もかもがどうでも良くなっていた私にとっては、それが何時(いつ)のことだったかさえ記憶してはいなかった。何も考えないようにしていたのだ。それだけが、自分の身を守る唯一の術だと思っていたからである。ルイスとの日々も、束の間の夢なのだと、自分に言い聞かせながら、死んだように生きていた。

 周りの大人達から乱暴をされても、彼らの人形として振る舞い続けた。誰も助けてなどくれないのだから。彼らの汚らわしい視線が、指が、私に触れようとも、私は声を上げる気力さえ、残っていなかったのだ。

 

 ルイスが命を落とし、大人達は私にルイスの代わりを求めた。身勝手な大人達に身体を弄り回され、異物を埋め込まれたというのに、彼らはいつしか私のことを「失敗作」と呼ぶようになった。

 

 

 

「こうも反応がないと、張合いが無いな」

 

 男は私の髪をおもむろに掴むと、顔を引き寄せる。

 

「NO.7は実験にこそ何の役にも立たなかったが、こういう時には最高だったな」

 

「……? ああ、あの融合が成功する前にLiNKERのオーバードーズで死んだ奴か。そういえば、こいつと家族の真似事をしているのを見たことがある」

 

 ――彼らは、何を言っているのだろうか。何故、ここでルイスの話をするのだろうか。感覚を閉ざし、耳を塞ぎ、なにも見ないようにしてきたというのに、何故だか彼女の名前を耳にした瞬間から、私の胸の鼓動は明らかに早まっていた。

 

「ルイスに……何をしたの」

 

「ルイス……ああ、アイツの事か。アイツはお前と違っていい反応をするんだ。最初こそ泣きわめいていたが、一発クスリを使えばガタガタ震えて縋って来たよ」

 

「……クス、リ?」

 

「ああ、聞き分けのない奴をいい子にする薬だ。まぁ、例え最初から従順であろうと、キミのようなモルモットは愛玩動物になれはしないようだがね」

 

「アレはお前の事を庇っていたようだが、これでは無駄死にだな」

 

 無駄死に。彼は確かにそう言った。その言葉に、私は何故だか、途方もない不快感を覚えていた。どんな言葉を投げかけられようと、何も感じなかった筈なのに、今の私は明らかに彼らの言葉に動揺していたのである。

 この、快くない胸のざわめきは、今まで体験した事の無いもので、自分の身体を内部から引き裂かれるかのような強い衝動を伴っていた。

 

「はは、どうした? 見たことの無いような形相をしているぞ! もしかして、大好きなルイスを貶されて、憤ってでもいるのか? 人形のお前が!」

 

「憤っている……? 憤るって、ナニ? 私は……憤っているの?」

 

「少なくとも、私にはそう見えたがな。自分の事には無頓着だと思っていたが、まさか他人にはこれ程までに感情を(あらわ)にするとは。そういえば、アレが死んだ時も酷く取り乱していたな」

 

 憤る(Resent)。初めて聞く言葉だった。おそらく、それが今自分の中で沸き立っている感情の名前なのだろうという事は理解出来た。身を焦がし、理性すら焼き切ってしまいそうな、炎のような激情。

 そうだ。これはルイスを失ったあの日、彼らに向けた感情だ。喪失の悲しみと絶望の中に混じっていた、炎のような荒々しい衝動。

 今まで物語の中でしか知らなかったものを私は抱いていたのだ、と、この瞬間にようやく気づいた。

 怒り(Anger)――私は、怒っていたのだと、今この瞬間、ようやく自覚したのである。

 

「――そうか、私は、怒っていたのね」

 

「モルモットが感情を騙るか。何をされても無反応だった人形風情が」

 

 彼は私の髪を引っ張りあげ顔を覗き込むと、下顎を掴む。彼は私を蹂躙し、好き勝手に弄り尽くしておきながら、人形はつまらないと(なじ)っていたというのに、そんな私が感情を向き出すと、気に食わないといった表情で私を罵ってみせた。

 ならば、私はどうあれば良かったのだろうか。私は、何なのだろうか。私が生まれた理由とは、何だったのだろうか。

 

「私は、モルモットじゃない」

 

「こりゃ驚いた。お前にも自己主張なんてものが出来たんだ、なッ!」

 

 男の拳が、下腹部にのめり込む。私は思わず吐瀉物を床へと垂れ流した。黄色かかった、固形物の一切ない胃液である。

 

「おぅッ……うぇ……」

 

 ――気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪いッ!

 殴られた腹部は、鋭い痛みが過ぎ去った後も、締め付けるような痛みが残り続けていた。身体を支える力すら失い、がくりと膝が崩れる。私の身体は、男が握る髪でのみ支えられていた。

 今の私は、明らかにおかしい。ただの痛みなど、とうに慣れてしまって何も感じなかった筈なのに、今私はそれがどうしようもなく辛く、苦しかった。

 ――どうしてッ! 今まで、耐えられなかった事など無かった。何をされても、辛いだなんて思った事は無かった。なのに、どうして私は、今こんなにも苦しいと感じているのだろうか。

 

『それはメロディアが生きてるからよ。あなたは、人間なんだもの』

 

 どこからか聞こえたその声は、紛れもなくルイスのものであった。腹部の痛みと、苦しさで朦朧とする意識の中で、私は確かにルイスの声を聞いたのである。

 

「私は……ニンゲン」

 

『そうよ、メロディア。あなたは、人間として生きて、人間として死ぬの。だから、生きるのを諦めないで。あなたは、決して人形なんかじゃないわ』

 

 床を濡らしていた液体へと、透明な雫がぽつりと落ちた。私は一瞬、これが何なのか分からなかった。それが自分の顔を伝って落ちた一雫だと気づいたのは、力もろくに入らない右腕を持ち上げ、自分の頬に触れた瞬間だったのである。

 どうしてなのだろう。私は、悲しくなんて無かったというのに、私の頬には涙が伝っていた。

 

『生きて、メロディア! 自分は人形だなんて、そんな悲しい事言わないで!』

 

「――私は……人形じゃない。モルモットなんかじゃ無いッ!」

 

 私は、生まれて初めて自分の意思で反発した。大人達の言葉を、初めて否定したのだ。

 

「いいや、お前は人間なんかじゃあ無いッ! モルモットだ! お前は所詮(しょせん)、消耗品の実験動物なんだよッ! いや、実験動物以下だな。失敗作。融合症例の研究に貢献できなかった半端者だッ!」

 

 男は拳を握り、アザが出来てしまっている腹部へと、再び一撃を加える。

 彼の支えを失った身体は一気に床へと崩れていく。私は、余りにも無力だった。臓物が口から溢れそうになるような吐き気を堪えながら、ひゅう、ひゅうと、浅い呼吸を繰り返す。

 

「お前が出来るのはそうして私たちの欲望の捌け口にでもなる事くらいだ。お前の大切なアイツは無能だったが、それくらいは出来たぞ? 生憎、私はネクロフィリア(死体愛好家)()は無いから、お前がしっかり代わりを務めてくれよ。妹なんだろぉ?」

 

 うずくまった私へと、男の手が頭上から迫ってくる。高圧的な言葉と、力でねじ伏せるようなその素振りが、私にはとても恐ろしく感じられた。

 今まで私は、何も感じていなかった訳では無かったのだ。ただ、麻痺していたのだと、この時初めて自覚したのである。

 差し迫る男の手は、何故だかとても大きく感じられて、先程まで直視出来ていたはずの彼の姿も、今は真っ直ぐに目を向けることすら出来やしなかった。私はただ、ソレから目を背け、身を屈める事しか出来ない。

 ただ身体の震えを止めようと、肩を握りしめる。

 

「やだっ……やだぁッ!」

 

 目を塞ぎ、耳を塞ぎ、外界の全てを拒絶する。

 こんなにも無力で、抗う事すらも(まま)ならない。こんな事なら、何も知らなかった方が幸せだったのではないか。

 そんな考えが頭を()ぎった。かつて檻のような寝床で起居を共にした少女達が抱いていた感覚を、私は今更になって理解していた。私はどこまでも無知で、愚かであった。彼女達と同じ目で世界を見て、初めてその事に気が付いたのだ。

 男の手が身体に触れた。拒絶した私の世界へと、ずぶずぶと(えぐ)るようにして割り込んできたソレは、先程まで私を散々痛め付けていたモノだ。しかし今は、舐め回すように私の身体を這い回っていた。力と恐怖でねじ伏せられた身体は、事実、彼の支配下だった。首筋を撫でた手は、やがて人差し指だけになり胸の手術痕をなぞる。そしてゆっくりと腹部を下っていく。

 

「そうそう。それでいいんだ。お前も、クレイブソリシュも、全て私のモノなんだ。自由意志なんて必要ない」

 

「ひっ……やだっ……()れないで。(さわ)らないでッ! 嫌ぁッ!」

 

 限界であった。何も見たくない。聴きたくない。感じたくなんて無い。

 パニックに陥り、頭の中は既に真っ白であった私は、ただ闇雲に私の全てを侵そうとするソレを振り払おうとする。(カラダ)を這い回る気持ちの悪い感覚をただ、ひたすらに払い除け続けた。

 必死に。必死に、必死に、必死に。

 ――私の中に、入ってこないで。私を侵さないで。私の魂は――ルイスがくれた大切なそれは、私だけのモノよ。そう繰り返しながら。

 そうして、私の躯を這いずり回っていた、あの忌まわしい気持ちの悪い感覚はいつの間にか消えて無くなっていた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 パニックで乱れていた呼吸が、少しずつ平時のそれへと戻っていき、真っ白に飛んでいた視界も徐々にその像を結んでいく。

 しかし、ぼやけたその映像を脳が理解するよりも早く、私へと飛び込んできたのは、目の前の男の怒号であった。

 

「――モノめッ! お前はッ……バケモノだッ!」

 

 ぼやけていた像が、やがて人の形へと変わっていく。そうしてようやく、私は先程まで朧気であった、一面に広がっていたものの正体を理解した。

 血の海。真っ赤な鮮血が、辺り一面に広がっていたのだ。そして、男から少し目線を落とすと、私の傍らには赤い海に浸かって真っ赤に染まってしまっている男の片手が転がっていた。

 

「これ……私が……? (ちが)……私は」

 

「違うものかッ! 何がニンゲンだッ! バケモノが人間を騙るなッ!」

 

 体中を血まみれにした男はそう怒鳴り、私を蹴り飛ばそうとした時だった。透明の刃が、彼の足を切り落としたのである。

 振りあげようとした足は虚空を蹴り上げ、膝から切り飛ばされた脚先は、ばちゃと音を立てて血の海に落ちる。

 

「――ああアッ! ……くそッ……有り得ないッ……有り得る筈がないッ! アレはとりわけチカラを持たない欠片のハズだろうッ!」

 

 男は必死の形相で私へと這いずり寄る。私は何がなんだか理解出来なかった。しかし、彼が私をバケモノと呼び、その言葉の意味を理解するには十分過ぎる光景であったのは確かだった。

 

「ルイス……私は……私は……」

 

 怪物になってしまった。人間としての在り方すら、失ってしまった。化生と成り果て、ルイスが望み、私に託した人としての生すらも、私は最早歩む事は出来なくなってしまった。

 

「うぅ……ルイス……ごめんなさぃ……ごめんなさい」

 

「――解ってない男ですねぇ。怪物(バケモノ)って言うのは、英雄に殺されるモノの事を言うんですよ」

 

 見たことのない大人が、私の前に立っていた。白髪に、眼鏡をかけたその男は、今まで見てきたどの大人達とも違った雰囲気をしていた。そう、とても――異様な雰囲気を纏っていた。穏やかでありながら、何処か狂気を宿したような瞳。

 

「そう、それこそ君みたいな噛ませ犬(モブ)の役割じゃあないデスかッ!」

 

 彼は彼の足下で、辛うじて息をしている血まみれの男を鼻で笑うと、その男を蹴り飛ばす。そうして、彼は私に乱暴を働く訳でも、暴言を吐き捨てるわけでもなく、少し屈んで、手を差し伸べてみせたのである。

 

「大丈夫ですか? 怖かったでしょう」

 

 先程の男を蹴り上げた時とは打って変わって、穏やかなトーンでそう語りかけた男は、裸に剥かれて、痣だらけの身体を晒している私を見兼ねてか、自分が羽織っていた白いドクターコートを、私に掛けてくれた。

 

「私が怖くないの……? 私、バケモノなのに」

 

「ふんッ! 人の身に過ぎた力を持つ者をバケモノ呼ばわりするのなんて、凡人のする事だねッ! キミのその力こそ、人を英雄たらしめる物だというのにッ!」

 

「英雄……?」

 

「人の上に立ち、人を導く、新世界の担い手ですよ。いつだってヒトの世は、英雄が拓いたものです」

 

「私がその、英雄、なの?」

 

「いえ。しかし、可能性を秘めているッ! 人と聖遺物の融合ッ! 人を超越したその力を身に宿すソレは、まさしく僕が求め続けてきた物そのものですからッ!」

 

 彼の言葉は、とても難しくて、何を言っているのか殆ど理解出来なかったけれど、彼は私を、ヒトとして見てくれている。それだけは理解出来た。

 彼は私の事を、モルモットとも、人形とも、ましてやバケモノとも呼ばなかったのである。

 

「アナタは、私のことバケモノって呼ばないの?」

 

「君をバケモノだなんて、僕が呼ばせません」

 

 そう言った彼の手を、私は気付けば握っていた。胸が激しく高鳴っていた。彼はどこまでも眩しくて、その瞬間から、私の世界は鮮やかに色がついたかのようだった。

 

 ――この日、私は、私の人生を変える出会いをした。今まで出会った、どんな大人達とも似つかない雰囲気を纏った彼は、私に自由をくれた。

 

 後にも先にも、私を「メロディア」として見てくれたのは、彼だけであった。他の大人達はおろか、ヴィーデでさえも、私をバケモノと呼ぶというのに、彼は一度たりとも、私をそんな風に見はしなかった。

 それが私には、とても嬉しかった。

 今まで大人達に感じてきたどの感情でもない、高揚感のようなものを感じていた。彼の事を、もっと知りたいと思っていた。

 一回りも、二回りも年の離れた彼に、私は生まれて初めての恋をしていたのである。

 

 

 懐かしい夢を見た。それは、もう思い出したくもない辛い思い出であり、しかし同時に敬愛する彼の人と出会った大切な思い出でもあった。

 

「……ウェル様」

 

 ぽつりとうわ言を呟き、目を開く。いつの間に眠ってしまっていたのだろうか。

 そうだ、確か、喇叭(ラッパ)を吹こうとして、突然胸の痛みに襲われたのだ。そして、見たことの無い白銀色の石が突然、私の体から零れ落ちたのを見たのだった。今はもう、すっかりその時の胸の痛みは消えて無くなっている。

 目の前に人影があった。ふと、目に入ってきたその足元は、この近辺のホームレスのそれではない。ゴミだらけの汚いこの路地裏には余りにも不相応な、黒いハイヒールを履いている。

 

「……ヴィーデ?」

 

「メロディア・ロア・フエンテちゃん。で、よかったかしら?」

 

 聞き慣れない声に、メロディアは顔を上げる。

 ヴィーデでは無い。目の前の彼女は、もう知る人など殆ど居ない筈の、私の名前を呼んでみせた。黒いスーツにサングラスをし、桃色の髪の毛を腰より長く伸ばした、いかにも怪しげな女性であった。

 

「……誰ッ!」

 

 ギアのペンダントを取り出し、それを強く握りしめる。

 

「私はあなたと争う意思はないわ」

 

「生憎、私にはあるの」

 

 彼女は両手を上げ、害意がない事を示すが、メロディアからすれば彼女は自分の秘密を知る危険人物に他ならない。今更、人を殺す事に躊躇など無かった。

 一瞬で終わる。聖詠を歌う必要すら無い。クレイブソリシュの生み出す透明の刃。それで首を跳ねてしまえば終わる事だった。

 

「あなた、ドクターウェルを追いかけてここまで来たんでしょう?」

 

 目の前の女が口にした名前に、メロディアは半ば条件反射のようにぴくりと反応する。彼女は、ドクターウェルの事を知っている。それだけでは無い。メロディア自身との関係も、知っているかのような口ぶりであった。

 

「……どうしてそれを?」

 

「二年ほど前。何者かが密航し、その時に鉢合わせた船員を殺害する事件が起きる。それ以降、ドクターウェルについて、何者かが嗅ぎ回り始めた。これ、あなたの事じゃないかしら?」

 

「……争う気が無いなら、私に何の用? S.O.N.G.の人間、という訳では無さそうだけれど」

 

「そうね。私はS.O.N.G.の人間じゃないわ。今日は個人的にアナタと話をしに来たの」

 

「はぁ……今日はお話をしたがる頭お花畑ばっかりね。ウンザリしちゃうわ」

 

「ドクターウェルについて、知りたいんでしょう? 私は、少なからず彼と親交があったし、彼の死にも立ち会った。どう? 少しはお話したくなってきたかしら」

 

「あ……アナタ、ウェル様とどういう関係だったのよッ!」

 

 堪らずそう返したメロディアを見て、スーツ姿の女性はサングラスから鋭い眼光を覗かせた。

 

「あら、話し合いする気は無いんじゃ無かったかしら?」

 

 メロディアはぐぬぬと今にも歯軋りが聞こえそうな葛藤を抱きながら、完全にメロディアよりも優位な立場から交渉を試みる彼女へと視線を交わす。周到で、強かな女。まるでヴィーデと会話しているようであった。

 

 ――こいつ嫌いッ!

 

 と、メロディアは心の中で舌打ちをする。

 

「い、いいわよッ! 少しくらいなら付き合ってあげるわっ! その代わり答えなさいよッ! あなた、ウェル様とどんな関係だったのよッ!」

 

「心配しなくても、あなたが思っているほど親密な間柄でもないわ」

 

 彼女はそう言ってサングラスを外すと、サラリとそのボリュームのある桃色の髪の毛を手で靡かせた。改めて、先程まで鋭くサングラスの隙間から覗いていた彼女の目を見る。モデルのように長いまつ毛に、深く、濃いコバルトの瞳。その目鼻立ちから察するに、自分と同じ、この国の人間では無いであろう事が伺える。一言で言い表すとすれば、美しい。そう、とても美しい女性であった。

 そして彼女はメロディアへと自分の素性を語る。彼女は、マリア。

 マリア・カデンツァヴナ・イヴ。かつて、F.I.S.の一員として、ドクターウェルと同じ罪を背負った者。そう語った。

 

 

「そんなの、信じられる訳無いでしょッ!」

 

 マリアと名乗った女性がまず最初に語ったのは、メロディアを置いて日本へと渡ったドクターのその後の動向であった。

 メロディアの研究所を訪れたのと同じように、F.I.S.の外部協力者としてマリア達と共に活動、後にフロンティア事変と呼ばれる、ドクターの引き起こした先史文明の遺産の起動による世界規模の大事件。また、その後に起こった魔法少女事変と呼ばれる、世界崩壊の危機。

 彼女が語ったこの世界の歴史は、かつてヴィーデから聞かされた事と、数割は合致している。しかし、その細部は全く異なるものであった。

 ドクターは――ドクターウェルは、英雄と呼べるその偉業を、S.O.N.G.に剥奪されたのでは無かったか。咎人(とがびと)として、彼らに討たれ、無念の死を迎えたのでは無かったか。

 全く話が違う。メロディアの頭は、まさに今、混沌の渦中にいた。

 

「嘘よ……嘘よ嘘よウソよッッ!」

 

 彼女の語った、ドクターウェルという男の生き様は、彼の中の英雄像に必死で手を伸ばし続ける、一人の男の軌跡であった。憧れていた彼の姿とは程遠い。こんなのデタラメだ。作り話だ。そうやって、彼女の言葉を否定し続ける。

 しかし、彼女の語るドクターウェルという人物は、どこまでも鮮明で、時々、メロディア自身が目にしてきた彼と重なった。目の前のマリアが「あの男」と悪態をつきながら語る、そんなドクターの姿も、きっと自分の知らない彼の姿なのだろうと、何故だか納得してしまうのだ。

 

「違うッ……違うもんッ……ウェル様は……ドクターは……アイツらに……。だって、それじゃあ……」

 

 否定しなければ。でないと、認めることになってしまう。復讐など、仇など、初めから存在しなかったという事実を。

 ――私の炎は、一体誰に向ければいいというの。復讐という目的を失った私は、一体どうすればいいの。

 復讐が、唯一の生きる意味であった。彼を奪ったこの世界を滅ぼし、彼が成し遂げようとしていた力による人類の先導を、英雄としての偉業を成そうと奔走してきた。その為に、無辜(むこ)の人々を数えきれないほど手に掛けてきたというのに。

 

「信じろって言うの……? 無理よ……ッ! だって……もう、どうしようも無いの。私の身体に灯った火を、私は消すことが出来ないんだもの。これに縋らないと私は、今本当に私が生きているのかすら、分からなくなってしまうの」

 

「だったら、貴女はこれからも、そうやって偽物の彼の幻を追い続けるの? 彼が命を賭したこの世界を呪うのかしら」

 

「……分からないッ! 信じろなんて……無理よ、そんなの」

 

「別に信じて貰えなくたって構わない。でも、知って欲しかったのよ。こんな世界でも、あの最低な、ろくでなしが救って見せた世界だって事」

 

「……ちょっとッ! さっきから聞いてればウェル様の事を最低最低って、聞き捨てならないわッ!」

 

 マリアはメロディアをからかうようにクスクスと笑う。それが無性にメロディアの感情を逆撫でていた。

 

「ええ、最低、よ。彼の最期の問いに、私が出した答え。これからだって、変えるつもりは無いわ」

 

 ドクターウェルが瓦礫の下で事切れる直前、マリアへと投げかけた問い。

 

思い返すのは、かつてのチフォージュ・シャトーにて最後に交わした彼との対話の記憶。

 

『マリア……僕は英雄になれたかな……』

 

 瓦礫の下で、掠れた弱々しい声でそう問いかけるその男には、平時の軽口を叩くような男の面影は無かった。

 

『ああ、お前は最低の……』

 

 ――それが、あの日マリアが出した答えである。それは、永遠に変わることは無いだろう。それに、きっとあの男もそんな事望んでいないに違いない。

 

 あの男を許す事は出来ない。だからこそ、彼への弔いとして、マリアが彼にかける言葉はたった一つであったのだ。

 

「また会いましょう? 願わくば、もっといい形で」

 

「待って」

 

 メロディアはマリアの袖を掴み、マリアは足を止めた。

 

「何かしら」

 

「アナタはなんで、ウェル様を最低って言うの……? なんで、あの時あなたは少し悲しい顔をしたの?」

 

 メロディアは、何故彼女がウェルの話をする時に少し暗い顔をしたのか、その訳が知りたかった。

 

「大人のオンナにはね、秘密の一つや二つはあるものよ。――それよりも大事なのは、アナタはどう思ったか、よ。メロディア。あの男の最期に、私はあの答えしか持ち合わせてはいなかったけれど、アナタはそうじゃないでしょう?」

 

 マリアはそう言って、メロディアが袖を掴んでいた指を、ゆっくりと解き、メロディアへと背を向けた。

 

「私とアナタは似た境遇ではあるけれど、私はあの男に掛けてやれる言葉なんて、初めからありはしなかったのよ」

 

 マリアはあの日のウェルの幻へと、あの日と同じ答えを小さく口にする。

 

「……ああ、お前は最低の」

 

 ――最低の、英雄だ。

 

 彼の最期の問いへの答えは肯定。しかし、彼が何よりも求めていた、その二文字の言葉を口にすることは無い。あのろくでなしには、それくらいで丁度いいのだ。

 

「私なりの、答え……」

 

 コツコツとヒールを鳴らしながら自分の下を去って行くマリアの背を、メロディアは見つめる。マリアに言われた言葉がメロディアの頭の中から離れずにぐるぐると回っていた。

 ――もしも、ドクターの最期の瞬間に立ち会うことが出来ていたなら。私は、一体何を思い、何と言葉を掛けたのだろうか。そう、メロディアは自問する。

 きっと、その瞬間に自分が居合わせたのならば、今メロディアの頭にあるものと、同じ言葉を彼へと掛けるだろう。そうすればきっと今のように、目に見えぬ炎に、己の身体を焼かれる事も無かったのだろう。

 

「……あなたは、英雄です。……いえ、英雄でした。ウェル様は、私をあの箱から外へと連れ出してくれたあの日、あの瞬間から。――私の、英雄(ヒーロー)でしたッ……私はそんなあなたをッ……心から……お慕いしておりました……ッ!」

 

 ずっと、伝えたかった思いが、ぽろぽろと涙と共に零れる。口にして、ようやくメロディアは自分の本当の望みに気付いたのである。

 そう、ただ、この思いを彼へと告げたかった。何も言わずに自分の下を去ってしまった彼に、自分の思いを告げたかったのだ。

 

「……あれ」

 

 涙と一緒に、もうひとつ流れ落ちて消えてしまったものがあった。メロディアの身体を焼き、メロディア自身を苦しめていた見えない炎が、さっぱり消えてしまっていた。

 メロディア自身がどうしようも無かった、あの復讐への憎悪と、怒りの衝動だけが、炎となってメロディアの身体を突き動かしていた筈だった。あの炎が無ければ、ただの人形へと、あの頃の――彼に出会う以前の、生きる意味すら知らなかったモノへと、成り下がってしまうと、そう思い込んでいた。

 しかし、今のメロディアは、かつてのような何も感じぬ人形でも、復讐に取り憑かれたバケモノでも無かった。

 

「……わたしは、ナニ……? 私は……どうすればいいの……? ……ウェル様」

 

 心の中の彼は何も答えてはくれない。メロディアは、その答えを持ち合わせてなどいなかった。

 暗く静まりかえった路地裏で、少女は独り、すすり泣いていた。

 真っ白に燃え尽きた灰のように、復讐の炎が消え去った後にメロディアの内に残ったナニカは、かつての復讐心のように縋るには余りにも儚く、ちっぽけなものであった。虚無感にも似たものであるが、しかし、それはかつての「何者でもなく、真っ白であった」メロディアが抱いていたそれとは、明らかに違っているもの。

 かつて空っぽだったそこは、炎が消えても、空っぽへと戻ること無く、何かがあったのだ。

 それは、ドクターウェルがメロディアに遺したものである。

 儚く、哀しく、そして、心を締め付けるように(つら)い。しかし、メロディアにとっては大切な、メロディアが人間であることの証明。

 彼女の中に最後に残ったものは、それは紛れもない、彼への愛、であったのだ。

 

「そうか、私……哀しかったのか……ずっと」

 

 恨み、憎み、怒り、何かへとそれをぶつけて、必死で見ないようにしてきたのだ。復讐の炎の痛みで、上書こうとし続けてきた。

 彼を奪った世界を、顔も知らぬ誰かを憎むことの方が、遥かに簡単で、こうして恨み続ければこの心の痛みは消えるとずっと思い込んでいたのだ。

 

「つらいのに……かなしいのに……どうすればいいか、分かんない。この悲しみを、どこに向けたらいいの……? 何を憎めば、私は……」

 

 唯一メロディアの心を保つために存在していた、憎しみと怒りは行き場を失っていた。何かを憎むことしか知らない彼女は、最早何をすればいいのかすら分からなくなって、ただひたすらに、縋るようにドクターの名前を呼び続ける。母親を呼んで鳴き続ける子猫のように、彼女は彼の名前を呼んでいた。

 

 

 符坂詩織と、メロディア・ロア・フエンテの出会いは、詩織が意図していたものとは全く違ったものであった。しかし、僥倖(ぎょうこう)であった事は、その意図とは掛け離れたその実態が、良い意味で彼女の想像を裏切ったからである。

 それは風の噂程度の事であった。まだ誰も実態を掴めていなかった故に、どこの誰なのかすら分からない。分かっている事は、その人物の大まかな目的のみ。利害が一致するかすら分からない相手であったが、協力者を持たない詩織にとって、この噂はそんな不確定要素に賭けるに価する価値があった。

 そしてその日、詩織は彼女と出会った。

 長く伸びた白髪をボサボサに伸ばした、毛むくじゃらの塊。今にも野垂れ死にそうな、ふらふらとした千鳥足で人目を避けながら路地裏を彷徨(さまよ)うそれが、自身とそう年の離れていない幼気な少女であると詩織が気付いたのは、それがピタリと足を止め、詩織の方へと振り向いた後の事であった。

 

「食べる?」

 

 明らかに(ひもじ)そうな様子の彼女に、詩織は持ち合わせていたパンを取り出すと、彼女の方へと差し出した。どうやら英語は通じるようで、彼女は詩織の手にしていたパンを受け取ると、勢い良く封を開けて食いついてみせた。

 そうして、彼女の警戒心をある程度解いた段階で、詩織は彼女に質問を投げかける。彼女が何者で、どのような目的を持ってここへと流れ着いたか、詩織の伺い知る所では無かったが、目の前の彼女が何を探してここに居るかだけは知っている。

 

 詩織にとって、この情報はどんな武器よりも強力な力である。符坂詩織という人間は、いつだって暴力でも、恐怖でもなく、ただの言葉によって人を操ってきた。支配するのではない。ただ、人が詩織の望む行動をするように、誘導するだけ。詩織はただ、何が敵で、何が悪で、何が自らを脅かす存在であるのか。ただそれだけを吹き込むのである。それだけで、人は人を信じられなくなる。そうして、詩織は今まで自分の周囲をコントロールしてきた。

 彼女に対しても同様である。詩織は目の前の何も知らない、まるで初めて世界を見たかのように純粋で、まっさらな少女へと、()()(かた)る。

 勿論、詩織はドクターウェルなる人物について、何も知らない。詩織が前もって知り得ていた限りの事実と、嘘とを織り交ぜた、詩織に都合のいい作り話である。しかし、正しさなど、なんの意味も持たない。詩織の語る事こそが、彼女にとって唯一の事実なのだから。

 憎め。恨め。憎悪を向けろ。

 ――アナタが探すドクターウェルは、彼らに殺された。

 幼気な、純粋で無垢であった少女の心を、恐らく、唯一(すが)る事が出来たのであろう、その拠り所を、詩織の言葉が少しづつ、しかし確実に蝕んでいく。耳元で囁く詩織が、少女の顔を窺った時、そこに浮かんでいたのは、もう先程までの幼気な少女のそれでは無かった。詩織の言葉にみるみる顔を歪ませて、絶望の沼へと身体を埋めて行く彼女を見て、詩織は目を細めてクスクスと笑った。

 

――

 

「最初は、鉄砲玉にでもなれば上等と思っていたけれど」

 

 詩織は、目の前の手負いの少女を、見下すようにして、侮蔑(ぶべつ)の目を向ける。

 そう、鉄砲玉として、従順な駒が欲しかった。そうして手に入れたその駒は、詩織の意図せぬ才能を持っていた。それは、詩織の目的に有用な、特別な才能である。聖遺物を起動する、その一点において、融合症例という特殊な体質が持つ、その異常なまでに高レベルのフォニックゲインは、正に最高の力と言えるものであったのだ。

 何より、彼女は従順だ。詩織を完全に信じきっており、疑う事もせず、その復讐心を唯一の拠り所とする、脆い傀儡である。

 

 ――しかし、詩織は苛立っていた。

 符坂詩織という人間は、他人に対して苛立つ事など、殆ど経験した事が無いに等しい。何せ、符坂詩織という人間は、そもそも他人になんの期待もした事など無かったからである。

 神代天音に出会うまで、それこそ他の人間というもの自体に興味を抱いたことすらなかった。詩織にとって他人とは、全く別の生物に他ならなかったのだ。誰もが、詩織を羨望の目で見る。誰もが、詩織と自分は違うのだと、壁を作る。

 

 ――憧れ、艶羨(えんせん)し、嫉妬され、尊敬される。

 

 その目に、詩織は映らない。誰も詩織を見ようとはしなかった。理解される事は無かった。

 故に詩織も、他人に対して期待などした事が無かった。何かを求めた事など、有りはしなかった。

 

「――無様(ブザマ)ね」

 

 新たな喇叭(ラッパ)の起動は叶わず、挙句なんの成果も上げることも無く敗走した目の前の彼女へ、詩織は罵倒を投げかける。

 

「でもそうね、天音にキズを付けられるよりは幾分かマシか。前みたいな事をしようものなら――」

 

「……ヴィーデ。私を、騙してたの?」

 

 詩織はメロディアが発したその言葉に、一瞬言葉を詰まらせた。彼女が自分を疑う事など、考えた事も無かったからだ。

 否、彼女は詩織の事を疑う事など出来なかった筈なのだ。彼女を追い詰め、彼女自身に詩織が敢えて残した結論へと辿り着くように仕向ける。そうして、自分で見つけたと思い込んだ、その唯一の答えこそが絶対だと思い込む。それはある種の洗脳である。

 故に彼女が詩織を疑う事も、裏切る事も有り得ない筈だった。

 しかし、目の前の彼女が詩織へと向けている視線は、今までのそれではなく、明らかに疑いの眼差しである。それも、ある程度の確信を持ったものだろう。それでも、詩織へと問うのは、どこかでそれを信じたく無いのかもしれない。

 だが、詩織の答えは決まっていた。持ち主に逆らう傀儡など不要である。

 

「……答えてよ。全部、嘘なの? 私、ヴィーデを信じて今までやってきたわ。人だって、沢山殺してきたのにッ……!」

 

 詩織の足元に縋る彼女の姿は、詩織の目にはまるで「捨てないで」と懇願しているかのように映った。その姿が、今の詩織には余りにも醜く、唾棄すべきものに感じられた。

 彼女は、履き違えている。傀儡であるとは、どういう事かを。この関係は、表面的には対等なものだ。主従の関係では無い。しかし、対等ではあっても公平なものでは消して無いのである。

 詩織にとって、メロディアは道具でしかない。符坂詩織にとって、「ヒト」とは自身の世界を共有するものだけ。ソレ以外は全て、生命活動をするモノ、に他ならない。

 道具に「捨てないで」と懇願されて、それに応える義理など有りはしないし、捨てるという事に躊躇などする筈もない。

 

「ヴィーデ……」

 

「あぁ、(かしま)しい。本当に」

 

 詩織はその少し癖のある長い黒髪を、わしわしと掻き毟る。

 不愉快だ。ただの道具が足元に縋り、鳴く様が、その声が、耳障りだった。姦しく鳴るその不愉快な声を、今すぐにでも黙らせたいという衝動が詩織の腕を動かしている。

 

「……道具に思考は不要なんだよ」

 

 詩織は懐から取り出した喇叭(ラッパ)に口を付ける。そして、喇叭が鳴った。その音色は、美しいとは対極にあるような酷い騒音であったが、少なくとも詩織を苦しめていたあの姦しさは喇叭の音が塗り潰してくれる。

 聞いたことも無いようなその不可思議な旋律は、音楽というには余りにも酷い音の集合体の筈なのに、どこか懐かしさのような物が感じられて、詩織の心を満たすような感覚さえ覚える。そして、喇叭を吹くたびに詩織を狂気へと駆るその声へと耳を傾けるのだ。

 

「壊れたモノは捨てないとね」

 

「ヴィーデッ! こんなのって無いじゃない! 例えヴィーデが私を道具だと思ってたとしてもッ――信じてたのにッ!」

 

「アハハッ! なに、大丈夫よ。もともと、()()()()つもりだったんだから。大好きなウェル様に会わせてあげるじゃない。――あれだけ殺したんだもん。地獄に堕ちるには十分でしょう?」

 

 

「例のアウフヴァッヘンを観測ッ! ……しかしこれは」

 

 本部に聖遺物、そしてノイズの反応を知らせるアラートが鳴り響き、藤尭はモニターに映っていたその不可思議な状況を、司令である風鳴翼へと伝える。喇叭の反応、そしてノイズの発生は、これまでの彼女達との戦闘と変わらない。

 しかし、今回異質であったのは、敵であるはずの白いシンフォギアの彼女と、ノイズが恐らく交戦しているという状況である。つまり、今回のノイズ発生は、今まで幾度となくノイズの発生に関与してきた、あの白髪の少女によるものではなく、彼女と関係を持っていたと目される符坂詩織が、彼女に向かってノイズを放ったと考えるのが妥当である。

 

「……仲間割れ?」

 

「司令、……応援を向かわせますか?」

 

「しかし、あの二人はとても続けて戦闘を出来る状態では……部隊を手配するにも、このままでは間に合わない」

 

 翼が対応を決めあぐねていた時であった。司令室の扉が開き、聞き覚えのある声が司令室へと響き渡る。

 

「――迷っている時間なんて無いわッ! 翼ッ!」

 

 喝を入れるような声に、司令室にビリビリと緊張が走る。

 コツコツとヒールの音を鳴らしながら堂々と風鳴翼の椅子の前に足を進めた彼女は、その豊満な胸を支えるように腕を組んで、翼へと鋭い視線を送っていた。

 

「――久々だな。マリア。その口気、この一件に一枚噛んでいるな?」

 

「そうね、一年くらいかしら? といっても、割と頻繁に連絡はしていたと思うのだけれど?」

 

「……それはそうだがッ、ゴホン、それよりもだな。これもマリアの想定していた展開、という事か?」

 

 マリアは元シンフォギアの装者にして、翼が信頼を寄せる人物の一人。彼女はもともと、S.O.N.G.に在籍しながらエージェントとして諜報活動を行っており、現在でも国連の諜報員として世界中を飛び回ってS.O.N.G.を裏から支えている。

 広いコネクションを持っていた叔父で前任の司令である風鳴弦十郎と比べて、その分野の人物と交流が少ない翼からすれば、彼女はS.O.N.G.の専門とする分野の外側を知ることが出来る数少ない繋がりである。

 

「まぁ、この展開になるとは思っていなかったけれど。だからこそ、早く手を打たないといけないのよ。貴女だって、一人の女の子の命を捨て置くほど薄情でもないでしょう?」

 

「無論だ。私は司令である前に一人の防人だからな。しかし、今早急に人を動かすのは難しい。どうすれば……アタッ」

 

 翼の額をピンとマリアの指が弾き、反り返った翼の頭が椅子のヘッドレストをノックする。

 

「ホントに頭が硬いわね貴女は。ノイズの駆除は後回し。『要救助者』を救出するのにそんなに大それた人手は必要ないわ」

 

 マリアの言葉を横から聞いていたクリスがパチンと指を鳴らした。

 

「ハハーン、だからアタシ()な訳だ」

 

 

「あなたの刃は通用しない。知ってるでしょ」

 

 メロディアは手にしたアームドギアに力を込めるが、その刃は微動だにしない。目の前のヴィーデは脆い生身の人間だというのに、彼女に指一本触れる事さえ叶わない。彼女の目の前へと振り下ろされた剣は、赤い格子状の障壁によって完全に阻まれていた。

 

「それもレンキンジュツ、って奴なんでしょ」

 

「ヘリオス・トリス・メギストスなんてヤワなものじゃないよ。あなたにコレは貫けない」

 

 メロディアが障壁によって攻めあぐねている間に、ノイズがメロディアを取り囲んで襲いかかる。柔軟に変化する身体をドリルのような形状へと変化させ、メロディアのギアの表層を削り取っていく。

 

「くっ……」

 

 既に満身創痍のメロディアの体力は底をついていた。ノイズの炭素分解能力はギアが無効化しているとはいえ、純粋な物理攻撃によるダメージは確実にメロディアの体力を削っていた。

 歌えば歌うほど、フォニックゲインが上昇するに従って胸のクレイブソリシュが己の内側からメロディアを喰らおうと暴れているのを、メロディアは感じていた。

 息が上がる。意識を保つのが精一杯。ノイズを全て切り捨てる余裕すらありはしない。

 

「ふふ、苦しそう……。ほら、諦めたらウェル様と会えるよ」

 

「お断り……よッ!」

 

【Enjam(星屑)bre】

 

 コートを翻し二本の剣を振るって、メロディアの周囲を光の粒子が舞う。その粒子は周囲のノイズに触れた瞬間に次々と炸裂し、詩織の視界を爆煙が覆った。

 

「ちいっ!」

 

 詩織がノイズを使って目の前の爆煙を振り払った時には、既にメロディアの姿はそこには無かった。

 

「ふっ……ふふ……あはははは」

 

 詩織はメロディアを取り逃した事を悔しがるどころか、おかしそうに笑う。詩織の眼前、先程までメロディアがいたその場所には、小さな宝石のように太陽の光を反射する石が転がっている。それを詩織は一つ摘んだ。

 

「ホントに、可愛い子。バケモノが、ヒトとして生きられる訳無いのに……ね」

 

 ――

 

 息が上がる。何処へ向かっているのかも分からない。しかし、足を止める訳にはいかなかった。

‎ 背後からメロディアを付けるノイズを一体、また一体と確実に切り落としながら、メロディアはただ、あの悪魔のような女から逃れようとしていた。

 

「――なんなのよッ……どうしてこうなっちゃったのッ……カハッ……ゴホッゴホッ……ウェッ……」

 

 息を詰まらせ、噎せ込みながら、メロディアは口を拭う。メロディアの頬を涙が伝っていた。

 何故。どうして。現実は、メロディアへと非情に襲い掛かる。信じていたもの全てから裏切られ、もう何もかも失ってしまった。生きている意味すら、最早メロディアには見出す事などできなかった。

 しかし、だというのに、今でも浅ましく目の前の生に必死でしがみついている。

 ――身体が、熱い。焼けるように熱いのである。胸の中のクレイブソリシュが、己の内側からメロディアを喰らえば喰らうほど、その熱は段々と高まっていく。

 

「……やだ……ウェル様……ごめん、なさい」

 

 歩く力すら失って、メロディアは地面に倒れ伏した。目の前にはノイズが迫っているというのに、最早振り払う事すらままならない。

 ドクターへと一言、うわ言を発し、メロディアのシンフォギアは光の粒となって散っていく。変身が完全に解除されたメロディアの目に映っていたのは、今にも自分へと襲いかかろうとしているノイズ達の姿。そんな世界が、メロディアにはスローモーションのように見えていた。

 ――ああ、ここで終わりか。

 メロディアは死を悟り、ゆっくりと目を閉じた。きっと、これは罰なのだろう。それこそ、自分の命だけでは釣り合わない程の罪を犯して来たのだから。

 

「――ふぅ、間一髪って所か?」

 

 一発の銃声が轟き、メロディアは目を開く。

 目の前のノイズは、そのど真ん中に風穴を開けて沈黙していた。そして間髪入れず一発、もう一発と銃声は続き、目の前のノイズを確実に射抜いていく。

 メロディアは目の前で何が起こっているのか、全く理解できなかった。メロディアの目に映っていたのは、長い銀髪を靡かせて、火器を操る一人の背中であった。

 

「……綺麗」

 

 戦場を舞うように一発、また一発と引き金を引く彼女を見て、メロディアは呟いた。

 

「ブランクがあろうが、こちとら元シンフォギア装者だッ! 今更ノイズなんかに遅れを取るかよッ!」

 

 壁を蹴りこんでの高飛び。そして直上からの一斉射がノイズを襲う。弾を打ち尽くすやいなや、マシンガン二丁を放り投げ、懐のハンドガンで残ったノイズを狙い撃つ。

 この間、ものの数秒たらずだったが、たった一人の生身の人間によってメロディアの目の前のノイズ群は一匹残らず一掃されてしまった。

 

「……どうして。どうして私なんかを助けたの」

 

 メロディアは目の前の彼女に問う。

 彼女がS.O.N.G.の人間であることくらい、見れば分かる。彼女達にとって、自分は敵のはずだ。命を狙ってきた相手を助ける理由など存在しない。

 

「大人が子供守るのに理由なんていらねえよ。アタシが大人だからだ」

 

「……なによそれ」

 

 ――大人だから? 理解出来ない。納得出来るはずが無い。だって、今まで見てきた大人達は皆、誰も助けてなんてくれなかったのに。

 

「――誰も、助けてなんてくれなかったじゃない。私に優しくしてくれたのは……ウェル様だけなのに」

 

 そう、ウェル以外の大人達は皆、メロディアを力で蹂躙し、大切な物を奪い、メロディアの言葉など聞き入れもしなかった者たちだった。

 だというのに、目の前の彼女は何も言わず、ただメロディアの髪に手を触れると、優しく頭を撫でていた。そんな彼女の表情が、メロディアには一瞬哀しそうに見えた。

 

「――ごめんな」

 

 彼女はぽつりと、メロディアにそう呟く。何も酷いことをされていないのに、何故謝るのだろう。むしろ、酷いことをしたのは自分だというのに。

 何故、そんな目を自分へと向けるのだろう。

 

「……不思議なひと」

 

 段々と意識が遠退いていく。しかし、先程までの硬い地面の上で一人死を待っていたあの瞬間と違い、メロディアの身体を柔らかな感覚が優しく包んでいた。まるで赤子をあやす様に頭を撫でる感覚が、何故だか心地よく、安心する。

 こんな気持ちは、いつ以来だろうか。

 メロディアはどこか懐かしいような、そんな温もりの中で、ゆっくりと眠りに就いた。

 

「……誰も助けてくれなかった、か」

 

 彼女の言葉を聞いた時、クリスはどきりとした。まるでかつての自分を見ているような感覚を覚えたからだ。

 彼女の境遇をクリスは知らないが、それでもどのような経験をしてきたかは(おおよ)その想像が出来た。何せ、クリス自身が経験してきた事だ。身寄りのない子供が、悪い大人達にどんな目に遭わされるのか。幼くして融合症例になってしまった少女だ。非人道的な実験もされてきたのだと目に見えている。

 暗に、信用出来ないと言っているのだ。オトナは、助けを乞う言葉を跳ね除ける。だから、オトナは信用出来ないし、信用しない。

 それはとても悲しい事だ。だからこそ、守ってあげなければならない。それが大人になったクリスの責務であるのだから。

 安心したような顔をしながらクリスの胸の中で眠る少女を、クリスはそっと抱き上げるのだった。

 

 

……To be continued

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