立花響に救われた少女がヒーローを目指すお話   作:月夜 のかに

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EPISODE11 星の落ちた日

 雪音クリスは、自室のベットで眠る白髪の少女、メロディアを見つめていた。熱にうなされているようで、ベットの下に置いた水の貼った洗面器の濡れタオルを絞ると、そっとメロディアの額のタオルと取り替える。

 彼女を保護という形で自宅へと抱え込んでから、かれこれ数時間、クリスは目を覚まさないメロディアに付きっきりの看病をしていた。

 

「……ホント、眠っちまえばアイツらと変わらない、ただの子供にしか見えねえんだもんな」

 

 言われなければ、こんな小さな彼女が世間を混乱に陥れた凶悪なテロリストなどと夢にも思わないだろう。そう、彼女は子供だ。本来大人が庇護しなければならない儚くちっぽけな存在であった筈なのだ。

 しかし、彼女はこの残酷な世界を生き抜く為の選択肢を持ち合わせなかった。必死で生き抜いた末に成り行きで辿り着いてしまった場所が、そこだったに過ぎない。

 かつてフィーネに拾われたクリスと、彼女が今まで歩んだ人生はそういう意味でそう違わない。

 そんな彼女を見ると、雪音クリスは否が応でも痛感させられる。クリスの夢である、歌で世界を平和にしてみせるという両親から受け継いだ願いを成すには、まだまだ自分はちっぽけだという実感が、クリスの胸を締め付けるのだ。勿論、これはどうする事も出来なかった。誰も彼女を救うことなど出来なかっただろう。一言で言い表すなら、「間が悪かった」。

 しかし、だからこそクリスは目の前にあるものだけは取りこぼさないと誓っているのだ。それはクリスにとっての自戒であり、S.O.N.G.に入った理由でもあるのだから。

 

「……ごめんな」

 

 再びクリスは彼女へと謝罪の言葉を口にすると、頭をそっと撫でる。すると、うなされている彼女の表情は少しだけ和らいだ。

 

「大人だ、とか言っておきながら、アタシにはこうするくらいしか出来やしない。ホンットに情けねえよな」

 

 はるか昔、今クリスがこうしている理由を与えてくれた人、こうなりたいという淡い小さな憧れを抱かせてくれたあの背中には、まだ程遠い。

 

「ん……んん……」

 

「っと、起こしちまったか」

 

 少女は腕を伸ばすと、ゆっくりと瞼を開く。そして、知らない天井に困惑しながら、その視線をベッドの傍らに座っているクリスの方へと動かした。クリスは彼女の髪に触れていた手を引っ込めると、メロディアの額に掛けていたタオルをそっと取り除け、彼女の額へと手を触れた。

 

「もう人並みの体温だな」

 

 人並み、とは言ったものの、彼女の体温は世間一般的には高熱と呼ぶべきものであった。しかし、先程までの温度と比べると、本来人間が生命活動可能な体温という意味では(ようや)く人並みの体温を取り戻したといえる。

 

「ここ、どこ」

 

「アタシん()だ。ここなら安全だし、野宿するよりよっぽどマシだろうよ」

 

「あっ……あの……ありがとう……助けて、くれたんでしょう……?」

 

 まだ体調も優れていないであろう身体で、上体をむくりと起こすと、赤らめた顔の少女はクリスへと礼の言葉を口にした。病み上がりで、おそらくまだ意識もはっきりとはしていないであろう状態とはいえ、あの好戦的で殺意をむき出しにした獣のようだった彼女からは程遠い態度であった。そんなにも素直に礼を述べられるなどと予想もしていなかったものだから、クリスはフリーズしてしまった。それこそ、憎まれ口のひとつでも叩かれると思っていた意識外から放たれた不意の一撃。

 そんな状態のクリスの顔を、メロディアは不思議そうに覗き込む。

 

「あの……」

 

「いや、すまん。そんな態度取られるなんて思ってもなかったもんだから、な」

 

「それ、どういう意味」

 

「そんなに素直に礼を言われたもんだから、一気に気が抜けただけだ」

 

「そこまで恩知らずなオンナじゃ無いもの」

 

 目の前の少女は掌を胸にかざして、えっへんと言わんばかりに尊大な仕草を取る。戦場では鬼神のような雰囲気を纏っていた少女ではあるが、こうしてベッドの上にちょこんと座っている姿は年相応、というより少し幼すぎる程に子供らしい少女であった。

 そんな無邪気で自慢気な彼女の顔から一転、メロディアはムッと眉を寄せる。彼女は不満、というよりも、不信を抱いているような視線をクリスへと向けた。胸元にかざしていた掌を、おもむろにクリスが着せたシャツの胸へと突っ込み、何かを探す様にさわさわと弄る。

 

「当然だが、ペンダントは預からせて貰ったからな」

 

 メロディアが何を探しているのか、当然ながら理解していたクリスは、彼女が探していたソレをポケットから取り出し掲げて見せた。

 

「返してっ!」

 

「返しても何も、そもそもコレはS.O.N.G.(ウチ)のもんだろ」

 

「そんな事言って、結局のところ私に武器を与えるのが怖いんでしょ。でもね、こんな物無くたって、無防備晒してるアナタの首を掻っ切るくらい今だって出来るんだか……ら」

 

 メロディアはクリスの首筋に人差し指の爪を軽く立てると、脅し文句を並べて恫喝してみせるが、その言葉は最後まで続く前に力が抜けたように尻すぼみに途切れた。目眩を起こしたのか、がくりと頭からクリスの胸へと崩れ落ち、完全に支える力を失った彼女の頭部を豊満なクリスの胸が受け止めている。

 

「っと……無理すんな」

 

「無理なんて」

 

「別に、お前がここでアタシの首を掻っ切るっていうならそれでも構わねぇよ。でも、そんな恩知らずなオンナじゃ無いんだろ?」

 

 先程自分が言った言葉をそのまま返されて、メロディアは一瞬たじろぐ。胸に顔を埋めたのを恥ずかしがってか、彼女はその真っ赤に紅潮した顔を胸から離すと、飛び退くように体ごとベッドの端へと退いた。

 

「それは……そうだけど。そう、気が変わるかもしれないわ。A woman is a weathercock(オンナは風見鶏). とも言うでしょ」

 

「こっちで言う女心と秋のそら、か。日本語もそうだけど、真っ当な教育を受けてない割にはよく回る口だな」

 

「知らないことを知るのは嫌いじゃないのよ? ヴィーデからはギブアンドテイクという意味では裏切られた事を踏まえても十分な物を吹っ掛けたと思っているし」

 

「はっ、安い貸しで危うく命まで徴収されかけたヤツが何言ってんだ」

 

「それは……そうだけど」

 

「とにかく、これだけは誓ってもいい。アタシはお前を信用してないからコレを取り上げるんじゃ無い。でもなけりゃハナからお前を助けたりはしねえよ」

 

「ふーん、まぁ、アナタが私の事を本気で心配してくれているんだって、そう受け取って上げるわ」

 

 彼女がそう言うのも無理はない。何せクリス達は彼女からすれば、つい先程まで敵同士である。それこそ、一時の気の迷いで助けに入る方がどうかしていると言われればそれまでだ。敵にまでお節介をかけるのは、あのお人好しの専売特許だが、その考えに毒されると一般的な感覚というものを見失ってしまう。

 あのお人好し――立花響の事が頭にチラつく度、クリスの中でかつての立花響の姿と、目の前の少女の姿を重ねてしまっている。面影がある訳ではなく、彼女の萎靡(いび)沈滞としたその様子が、かつての立花響と重なって仕方がないのだ。

 エルフナインから聞かされた「融合症例」という彼女の特殊な境遇、そして彼女を抱き上げた時に気付いた、その異常な発熱。彼女が今どのような状態かなど、精密検査を通す必要もなくクリス自身がよく知っている。その先に待っているものすら、はっきりと。それは、かつて自分の目で見た光景の再演に他ならなかった。

 クリスが胸の内で葛藤していたのは、それを口にするか否か。彼女の行き着く先は遅かれ早かれ決まっている。

 ――しかし、それを口にして良いのか? 彼女から信頼も信用も築けてすらいない自分が、よりにもよって命をすくい上げておきながら、そんな残酷な事を口にするのか?

 クリスはそんな動揺しきった胸中を察されまいと、視線が揺れそうになるのを必死で抑え、彼女から視線を逸らさず会話を続けていた。

 

「お前、これが無くてもその聖遺物から力を引き出せるんだってな」

 

「そうよ。といっても、そんなに派手な事は出来ないけど。せいぜい目の前の人間の首を掻っ切るくらいよ」

 

「ギアも、その力も、今後使わないと約束してくれないか」

 

「――アハ、なにその下手くそな命乞い」

 

「はは、まぁな。こんな大人が、自分よりもちっさい子供相手に首を搔かれるのが恐いんだよ」

 

 ――何が恐いだ。聞いて呆れる。

 クリスは自分で口にしておいて、自分の言葉のチグハグさを自嘲する。当然、それはメロディアの言葉に乗っただけの、中身の伴わない適当な相槌のような返答。そもそも、首でも掻っ切ればいいと啖呵を切った後に続く台詞としては余りにも不細工だ。本心を隠すにしてももう少しマシな言い訳が有るものだろう。

 余りの大根芝居。メロディアも、流石にこれが本心では無い事は悟ったようだった。

 

「嘘、下手くそね。それとも和ませようとでもしてくれたのかしら?」

 

 クリスの胸中の葛藤など当然知らぬ目の前の少女は、大人への敬意など全く示す事もなく、小馬鹿にしたような笑いを浮かべてクリスを茶化す。

 

「ッ、こっちの気も知らないで。これ以上融合が進行すればッ……」

「すれば?」

 

 メロディアが聞き返し、クリスは押し黙る。そんな沈黙は、メロディアの一言によって強引に破られてしまう。彼女は、途中で言葉を濁らせ俯いたクリスの顔を伺うように、下手からクリスの瞳を覗き込んでいた。

 

「――私は命を落とす。でしょう?」

 

 クリスの瞳をじっと見つめる少女は、その胸中の奥底、噛み殺していたその言葉さえも見透かしていた。クリスが口にしなかった事実を、メロディアは淡々とした口調で断言してみせる。クリスの顔を覗き込む彼女の瞳は、どこまでも深く、深淵のようであった。

 

「お前……分かってて」

 

「いえ、だけど、そんな気はしていたのよ? いつか、私がこの内側に巣食っているクレイブソリシュに食い尽くされて、私というものは無くなってしまうんだろうっていう予感とでもいえばいいのかしら」

 

 彼女の浮かべている表情は諦観。恐らく、もう彼女には生に対する執着すら最早希薄なのだろう。

 

「……お前はそれでいいのかよ」

 

 重々しく口を開いたクリスの問いに、メロディアは困惑する素振りの一つすら見せなかった。それどころか、キョトンとした様子で首をかしげていた。

 

「私の命に(はな)から意味なんて無いわ。ずっと私以外のものに意味を見出してきたんだもの」

 

「意味なんて見つけりゃあいいッ! 誰だって、夢を見れるし、叶えられる――と、アタシは信じてる」

 

「励ますにしては、なんとも情けない語尾ね」

 

「るせェ。夢を叶えられてないアタシが断言しても説得力に欠けるからな。未熟者のアタシには今はこれが精一杯だ」

 

「もうじき消えてしまうような命に、これからの話をするなんて、アナタ残酷ね」

 

「かもな。でもアタシは、少なくともアタシの目の前で、あんな顔して逝こうとする奴は放って置けない」

 

「横暴ね」

 

 メロディアは呆れた物言いで、クリスを見つめていた。あとどれ程持つかも分からない命をすくい上げたと思ったら、彼女は諦めた目で死を受け入れるなと言う。それも真剣な眼差しで。

 しかし、死という運命からは逃れられない。己の身体が既に限界に近いことはメロディアにも分かっていた。そんな身で、何を見い出せと言うのだろう。幾人ものヒトを殺めてきたこの身で、どうして夢を語れようか。

 

「お前、何か夢見たことは無いのか?」

 

「夢……」

 

 ――夢。かつて夢想したこと。そんなものが無かった訳では無かった。

 かつて、ウェルとも出会う前。まだ施設で、ルイスと一緒に語り合った日々の中で、ルイスはいつもメロディアの知らない事を色々教えてくれた。それは、白い壁に隔たれた世界ではない外側の世界のお話。メロディアが施設の外側の世界について興味を持った日を境に、ルイスはかつて見た外側の話をメロディアは沢山聞かせた。

 それは、この真っ白な施設では存在しないものだらけの世界で、メロディアは想像を膨らませながらその話を聞き、頭の中でその情景をイメージしていた。外側の世界を知っている今なら何とも思わないような事まで、かつては「知らない世界」であったのだ。

 海という、水が沢山集まった大きな水溜まりがあること。

 外の世界には空が広がっていて天井なんてものは存在しないこと。

 夜になると空には「星」が瞬いていて、彼女は――ルイスは、それを眺めるのが好きだったこと。

 

「ほし」

 

「星?」

 

 メロディアがぽつりと呟いた言葉を、クリスは聞き返す。

 それは、かつての夢の残滓だった。そう、言うなればその残り香のようなもの。かつてメロディアが抱いていたその夢は、施設を出た瞬間にある意味半分は叶っていた。

 天井のない世界へ飛び出たメロディアは、生まれて初めて「宙」を見た。果てが見えない途方もなく高い天井。真っ暗な世界に月が輝き、そんな黒い世界に針穴が空いたように、無数の星が瞬いている。

 星を、いつか見たいと願っていた。いつか二人でここを出て、「二人で星を見よう」と約束した。しかし、一人見上げた星空は、とても空虚で、その瞬間メロディアは初めて自覚した。

 ――ああ、私の見たかった星空は、もう何処にも無いのだ、と。

 

 

「メロディア・ロア・フエンテです……よろしく」

 

 眼前の教壇の上で、そう名乗った見知った顔の白髪の少女に、神代天音は目を白黒とさせていた。

 夢か?それとも幻?転校してきた少女は、どこからどう見てもあのメロディアに違いなかった。担任が転入生が来ると言ったその状況に、とてつもないデジャビュ感を覚えたのがほんの数分前。案の定というべきか、想像通りというべきか、転入生が扉を開けた瞬間によく知る顔が目に入った時点で、天音の脳は考える事を放棄した。この転入も間違いなくあの司令達が差し向けたのは明らかであるのだから。

 

 雪音クリス司令補佐が孤立してしまったメロディア・ロア・フエンテを保護し、個人的に匿っている事は、天音も窺い知ることだった。しかし、天音が彼女と対面するのは先日の衝突以来のことである。

 普段であれば詩織が座っていた机。ここ数週間は空席であった天音の向かいに位置するそこに、今は見知った艶やかな長い黒髪ではなく、透き通るような白銀の長髪の後ろ姿がある。詩織のように上背がある訳ではなく、一見すると中学生ほどにも見える彼女の姿は、戦場という異常な場所から離れると、余りにも普通の少女にしか見えない。なにより、どのような魔法を使って彼女を懐柔したのかは分からないが、少なくとも今の彼女からは以前のような周囲に発せられる敵意や害意のようなものは全くと言っていいほどに見られなかったのである。

 

「カミシロ アマネ、と言ったわね」

 

 メロディアは振り返ること無く、天音へと声を掛けた。それは余りにも突然で、不意なことだった為に、天音は吃驚(びっくり)とした態度でただ肯定の言葉を返す。天音からは彼女の顔を窺うことは出来ないが、その声色は少なくとも今まで戦場で(まみ)えてきた彼女のそれとは全く違っていて、それはもう別人かと思えてしまう程に穏やかなものであった。

 

「アナタには酷いことをしたと思ってる。許されるとは思っていないけど、アナタにそれを謝りたくて」

 

「あっ、謝るなんて、別にいいよ、恨んでないよ! 少なくとも私は」

 

 彼女からそんな言葉が飛んでくるなど、予想出来なかった。彼女の後ろ姿からは、今彼女が何を考え、どんな顔をしているのか窺うことは出来ない。しかし、もしかすると正面から向き合って話すのが恥ずかしいのだろうか、と天音は勝手に想像する。

 

「ありがとう。でも、じゃないと私の気が済まないの。許されるべきじゃないと私でも分かっているけれど、それでも私がしてきた事の贖罪は、私のするべき事だから」

 

 メロディアはそう言うと、天音の方へと向き直し、頭を下げてみせた。そんな彼女に、天音はまたも吃驚(びっくり)してしまう。今、目の前にいる彼女は、本当にあの世界そのものに憎悪を向けていたような少女と同一人物なのかと疑ってしまうほどには、メロディアという少女は素直で、優しい少女のように見える。

 呆然とした表情を浮かべる天音を(いぶか)しんでか、メロディアは顔を上げると天音の顔をじっと見つめていた。

 

「……何よ」

 

「いや、メロディアちゃんって、根っこは優しい子なんだね」

 

「アナタ、喧嘩売ってる? ……そもそも私みたいな化け物を優しい子なんて呼ぶのは、それこそアナタと……」

 

 メロディアは必死で天音の言葉を否定するが、その言葉は途中で途切れてしまった。恥ずかしがっているのか、あるいは言いたくない事、思い出したく無いことだったのか、彼女は自分の口を手で抑え、黙り込んでしまった。

 

「私と、って事は、誰かに言われた事あるんだね」

 

「ああっ、やめ! 止めよこの話はッ!」

 

 メロディアは拗ねてしまったのか、それともやはり恥ずかしいのか、天音の言葉をばっさりと切り捨てると、ぷいと正面に向き直すと机に伏してしまった。

 完全に距離のとり方を間違えたかな、と天音がいつもの自己嫌悪に陥っていると、机に付したままのメロディアがぼそりと独り言のように呟いた。

 

「……もう少し――もう少し、言葉を交わすべきだったのかもしれないわね。私たち」

 

 メロディアの独り言に、天音は小さく相槌を打つ。もしも――言葉をもっと交わせたとしても、人と人とが分かり合えるとは限らない。

 今までの、語り合えず、すれ違い続けたあの戦い。確かにそれは正しかった道とはとても言い難いものであったけれど、しかし、あのすれ違いも、その一つ一つが繋がって今に至っている。もしも、「正しい」事を突き詰めた時、彼女は今ここに居ただろうか。

 

「これからだよ。私たちはこれから言葉を交わしていくんだから。今のメロディアちゃんがいるのは、今までのメロディアちゃんがいたからで、 私はそんな()()メロディアちゃんと、友達になりたいな」

 

 お互い、顔を向かい合うこと無く、まるで独り言のように呟いた本音。

 ありえることの無い〝もしも〟よりも、これからを語る。そんな〝もしも〟を望む程には、()を好きでいてくれるのなら、天音はそんな彼女を好きになれる気がした。

 

「友達……友達ね。……考えておいてあげる」

 

 メロディアがぽつりと返したその言葉に、天音は顔を綻ばせた。

 

 

 ――おおよそひと月前、メロディアさんが転入してからというもの、天音さんは彼女にご執心だ。

 廊下で天音の一歩後ろを歩く凪咲は、目の前の彼女へ視線を向けながら目を細めていた。

 凪咲にも知らされていなかったメロディア・ロア・フエンテのリディアンへの転入。名義上の保護者は凪咲と同じく雪音クリスとあった。おそらく、経緯は凪咲の時とそう変わらないのだろう。三人纏めて一箇所に集めてお互いに親睦を深めつつ、学校という場所である程度の社会性を身につけさせようという意図が見え透いた。

 そのこと自体に、凪咲は特に反論は無かった。保護した以上、あのまま雪音補佐の自宅に閉じ込めっぱなしという訳にもいかないのだから。しかし、メロディアが凪咲のスクールライフを侵食するというのならば話は変わってくる。

 

「メロディアちゃん、最近少しだけ楽しそうだよね?」

 

 廊下を移動しながら、天音は足早に先を歩くメロディアへと話しかけていた。それを華麗にスルーするメロディアであるが、その空気感は初めのそれとは全く違っていて、凪咲の心中はざわめいていた。

 転入からある程度の時間が過ぎ、学生の輪に溶け込めるのかと些か疑問であったメロディアは、特に何か問題を引き起こすことも無く学校の中に溶け込んでいた。それこそ初めは不満げであったが、今ではある程度学校生活を楽しんでいるらしい。といっても、凪咲にはいつだって無感情のようにしか見えないのだが、天音がそうだと言うのなら、きっとそうなのだろう。

 しかし、だからといって天音がメロディアにばかり構うのは、凪咲からすると少しばかり嫉妬してしまう。

 天音が凪咲に対して特別扱いしている訳でも、ましてや特別な人間だと認識している訳でもないというのは自覚している。

 彼女の行動は、かつて出会ったばかりの頃のそれと何ら変わらない。人のパーソナルスペースまで土足でズカズカと乗り込んできて、気づけば彼女のペースに乗せられる。だから、彼女がメロディアに対して特別な扱いをしているわけではない。

 

 しかし、彼女の興味や視線が自分以外に向けられているのが少しばかり恨めしく思ってしまった。

 

 そう、凪咲が想定してなかった事がもう一つあった。

 転入生、それもそれ以前は孤児だったというメロディアに高等教育など本当に付いていけるのかと初めの数日は疑問であった。どうやら転入にあたっての軽い試験は合格したようだが、彼女がそれ程高い学力があるとは思えなかったのである。

 しかし、凪咲のそんな疑問や不安は全く以て杞憂であった事が徐々にわかり始めた。

 初等教育など受けたことも無いはずのメロディアであるが、教師の説明はしっかりと理解している。特に、語学分野はとびきり優秀であった。英語も現代文も講師からお墨付きを貰うレベルの優秀さ。聞けば彼女は三言語を話せるトリリンガルだという。

 だからこそ、凪咲と天音が直面している現在の問題に、彼女が直面していないというのは、完全に凪咲からすれば想定外という他無かったのである。その問題の原因は、簡潔に言えばたった一つの事であった。

 そう――音無凪咲は、とんでもなくアホだったのである。

 

「追試、ですか……」

 

 数時間前、天音と仲良く職員室へと呼び出された凪咲は、担任から大目玉を食らっていた。

 目の前に出されたのは、二人の今回の中間考査の成績表。このクラスで赤点なのは五名ほど。その中でも、天音と凪咲は群を抜いて成績が悪かった。授業中寝てばかりで、頼みの詩織がいない天音の成績が悪いのはまぁ納得出来るというか、担任も想像がついていたので、いつも通りの説教を浴びせていた。しかし、授業態度が優秀で、積極的に授業に耳を傾けていた凪咲の点数が天音と殆ど変わらないという事実に、担任は頭を抱えていた。

 そう、凪咲は勉強が出来なかった。要領が悪いという言葉では最早説明出来ない程に、音無凪咲はアホであった。

 理性的な頭を持ち、普段の言動が馬鹿という訳でもない。彼女は至って真面目な生徒だった。そして、彼女は答案用紙を目の前にして、お手本のようにテンパった挙句、真面目に鉛筆に数字を書いて転がしたのであった。

 

「どうしましょう天音さん」

 

「どうもなにも、なんとかして追試パスするしかないじゃん」

 

 深刻なトーンで、天音にそう問いかければ、天音は机に肘をつきながら口を尖らせていた。問題はその、なんとかして、というのが余りにも不明瞭で、漠然としている事だ。今回普通に勉強して、普通に赤点を取った凪咲は、普通に勉強すればまた赤点をとる事くらい理解している。こうも何も身についていないのは、もしや頭の方に何か重大な問題を抱えているのではないかとすら思えてならなかった。

 

「あー、こんな時詩織が居てくれたらなー」

 

 天音は今は借りることの出来ない猫の手への未練をたらたらと垂れ流していた。彼女の今までの小テストの点数は、詩織が連日対策勉強を一夜で漬け込んでいた為にさほど悪い訳では無い。むしろ、平均点よりも遥かに高い。凪咲もそのお零れを頂いていたが、同じように勉強を教えられていても彼女の方が点数の伸び率は高いのである。そもそも、素の学力が普段居眠りばかりの天音と殆ど変わらない時点で凪咲は彼女に負けていた。

 それこそ、天音が居眠りをせずにしっかりと授業を受ければそれだけで追試なんて合格出来るのではないだろうか。

 そんな事を考えて更に気落ちする。出会ってから神代天音という人間には散々劣等感を植え付けられてきた。天性の才能で適わないなら、せめて努力でくらいは勝りたいというもの。これほど頑張ってるんだから少しくらい報われてもいいのではないか。

 しかしながら、具体的にどう頑張るのか全く閃かないまま、凪咲よりも先に天音は何か思いついたように勢い良く机から顔を上げた。

 

「そうだ! メロディアちゃん勉強教えてよぉ!」

 

 ちょうど偶然にも天音の目の前を通りかかっていたメロディアは、突然の天音の言葉にビクリと肩を跳ね上げると、心底嫌そうな顔を浮かべながら天音の方を振り返った。

 

「はァ? ()よ」

 

「そこをどうにかッ!」

 

「……じゃあ代わりにアナタも私の言うこと一つ何でも聞くってのはどう?」

 

「えっ、何でも……何でもかぁ……」

 

「じゃないとフェアじゃないでしょう? 嫌なら別に私はアナタを助ける義理もないし、ご破算ね」

 

「うぅっ、何でも言うこと聞くのでお願いします……」

 

「ふふ、下手(しもて)からお願いされるっていうのも悪くないものね。じゃあ今度の休みに私の家においでなさい」

 

「メロディアちゃんの家って、クリスさんの家だよね……?」

 

「そうよ。自分の家と思ってって言われたんだから、私の家に相違ないでしょう」

 

 ――と、そんな会話を聞いていた凪咲はというと、心中は大混乱である。

 オウチデ、ベンキョウ? 二人きりで? 天音さんとあの女が? 確かにそう言っていたような気がする。数秒後に正常な機能を取り戻した凪咲の思考は、ようやく目の前の状況を理解した。

 駄目だダメだ、絶対に駄目に決まっている。天音さんと二人きりでおうちデートなどは絶対に駄目だ。

 

「だめだめだめダメですぅッ!」

 

「――は?」

 

 急にそう叫んで、約束をしてその場を去ろうとしたメロディアを背後からガッツリとホールドして見せた凪咲へ、メロディアはそれはもう大層不愉快といった声を出して振り返る。

 

「私にも勉強教えてくれませんか……」

 

 メロディアは少しだけ考え込んだ後、「ああ、そういう」と小さく言葉を零した。そして、にぃっと目を細めると、意地の悪いような微笑みを凪咲に向けたのであった。

 

「なら勿論、何でもお願い聞いてくれるのよね?」

 

「ええ、それは勿論」

 

「ふぅん、じゃあこっちのお願いは今使っちゃいましょうか。そうね、『あのコを私に頂戴』とかどうかしら」

 

「――ッ!」

 

 メロディアはするりと華麗なターンで切り返し、凪咲のホールドを振り解くと、逆に凪咲の腰に手を添えて支える姿勢になった。そうして彼女は凪咲の耳へ小さくそう呟いたのである。

 彼女はあの子を頂戴と言った。その言葉の真意は明白であった。

 彼女はというと、そんな動揺した凪咲の顔を見て、それは満足そうにニマニマとした微笑を浮かべている。

 

「ウソウソ冗談。ほんと可愛らしいわね。アナタがあの子ばっかり見てるもんだから、ついつい揶揄(からか)いたくなるのよ。略奪愛の趣味なんてないから安心して。私には心に決めた人がいるから」

 

「ハーーーー? そんな事無いですから? 天音さんばっかりなんて見てませんからね」

 

「はいはい、分かってる。当然分かってるわ。恋、素敵じゃない。アナタ程分かりやすくじゃ無かったけど、ヴィーデがあの子に向けてた顔もそんな可愛らしい顔だったわよ?」

 

「かわっ」

 

 凪咲とメロディアの間には殆ど会話など成立してはいなかった。凪咲がなんと返そうと、帰ってくる言葉はこの調子なのだから、どうしようも無い。

 とんでもない恋愛脳だった。そう、それはまるで何でも色恋に変換してしまう歌恋の妄想癖のような。いや、妄想ではなく的確に人の内心にズカズカと殴り込んでくる分彼女の方がタチが悪かった。恋愛脳は知り合いに一人で十分である。というか、むしろ一人も必要ない。

 転入した当初は殆ど喋らなかったというのに、最近よく喋るようになったと思ったらこれだ。これが彼女の素という訳だろうが、本当に()()()()をしている。

 

「――ほんっと、ムリです」

 

「そう、じゃあやっぱりご破算ね」

 

「……好きですよ! ええ好きですとも!」

 

 完全にメロディアに乗せられて凪咲が叫ぶが、ここは教室で、それも隣にその本人が居ることなど凪咲はすっかり忘れていた。

 

「凪咲ちゃん……何が?」

 

 隣の机に座っていた天音が凪咲の方へと振り向き、そう問いかけた時、凪咲の顔はもう真っ赤に紅潮していた。いや、一度面と向かって好きと伝えた過去があるのだから、特に一世一代の大告白という訳でも、知られたくなかった胸の内という訳でも無かったのだが、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

「フフ、アナタからのお礼は今の分でチャラにしてあげるわ」

 

「ホント、いい性格してますよ」

 

「お褒めに預かり光栄だわ?」

 

 メロディアは、外国人だから嫌味なんて分かりません、とばかりにそう言い残してその場を去っていった。嫉妬心半分、追試への焦り半分で持ちかけた勉強会への参加であったが、蓋を開けてみれば始まる前から凪咲はメロディアにその嫉妬心を軽く弄ばれてしまっていたのであった。

 

 

「――んで、この状況と」

 

 クリスは呆れたという風なトーンで呟くと、目の前の光景を見つめる。見慣れたものだ。大体多いと月一くらいで見るような光景なので、別に何か思うところがある訳でも無いのだが、未だに初めにこのような事態になった時から毎回心の中で思っていることは変わらなかった。

 

 ――いつからアタシんちは溜まり場になった?

 

 目の前には、拾った餓鬼が家に連れ込んだよく見知った顔の学友二名。全く、この家にはシンフォギア適合者を吸い寄せる魔力でもあるかの如く人が湧いてくるんだから不思議でたまらない。まぁ、クリスが拾った少女が珍しく楽しげなので別に野暮なぼやきを呟く気など全く以て無かった。

 

「さぁさぁ上がって」

 

「おじゃましまーす」

 

 ――アタシんちなんだが?

 いや、別に構わないのだけれど。確かに自分の家だと思って好きにしてくれていいとは言ったけれど。にしても好きにする限度があるだろう。その態度は家主にしか許されないヤツだ。

 

「クリスー、お菓子ってまだ残ってたかしら」

 

「ちよっ、メロディアちゃんクリスさんのこと呼び捨てなの?!」

 

「そうよ?」

 

 ――そうよ? じゃねえんだよ。それについては散々苦言を呈しただろうが! と、クリスは心中で叫びながら、ぐっと拳を握りこみ怒りを抑えていた。しかしまぁ、暁切歌と月読調以外の全ての年下から先輩への態度とは思えない扱いを受けてきたのだから、これくらい可愛いものだ。そう、外国人なのだから。マリアだって大体フルネームで呼んでいるイメージがある。――いや、マリアだって年上には敬称を付けていた。ここまでクリスが年下から砕けたコミュニケーションを取られるのは、それだけクリスが親しみやすいのか、それとも舐められているのか。小日向未来辺りは前者なのだろうが。

 彼女の使っている日本語はクリスとは正反対のとても上品なものなのに、他人への態度がこうも大きいのを見ると、この少女はおそらく後者か。大人というのを舐めすぎだ。

 

「ねぇよ」

 

「棚の中に隠してたマドレーヌってもう食べちゃった?」

 

「ハ? なんでアタシの秘蔵知ってんだよ……」

 

「さぁ、なんででしょうね」

 

「別に良いけどよ……」

 

 そうして、クリス秘蔵のマドレーヌはメロディアによって(あば)かれ、客間の高校生の女子会に持って運ばれた。実直に言って、本来クリスがひっそりと楽しむために購入した少し高価な店のものの為、子供たちに食べさせるには口惜しいものであった。勉強会と聞いていたが、高そうなお菓子が卓上を陣取っているその空気感はもはや茶会である。しかし、年の離れた後輩たちが楽しそうにしているのを見ると、まぁいいか、とクリスは隣の部屋から客間を見つめた。

 歳の遠い妹。いや、むしろ感覚としては手のかかる娘か。クリスに娘はいないが、子供を養うのは案外悪くはない気分であった。初めから反抗期真っ盛りの、それも大層生意気な娘だが、それでも案外母性本能のようなものに訴えるものがある。

 このままの生活を続けるのも案外悪くないかもなと、クリスは思いながら頬杖をついた。

 

 

「ほんと、どうしてこうなったのかしら」

 

 お菓子のひとつくらいあった方がいいかと、気を利かせたメロディアはクリスが隠していたマドレーヌを机に広げた。どうせ勉強だけでは彼女たちの息も詰まると思っての配慮だ。そこにクリスへの配慮は全く含まれていなかったが、まぁこれも勉強会の為だ。現に、クリスからの許しもあったのだから構わないという事だろう。

 

 しかし、これが裏目に出た。驚く程に勉強が進まない。

 というか、天音に関しては最早勉強道具が机に出ていない。彼女の前にあるのは、マドレーヌが包装されていた個別包装の袋の残骸だけである。そしてその挙句、いくつかマドレーヌを平らげて次に彼女の目線が向いたのは、勉強道具の入った鞄ではなくメロディアだったのである。

 

「よく見たらメロディアちゃんの私服かわいー!」

 

 天音は四つん這いの姿勢でずいずいとメロディアへと詰め寄ると、メロディアの私服を物珍しそうに見つめる。

 メロディアに自分の私服などあるはずも無く、当然ながらこれはクリスから譲られたお古の洋服である。

 一見するとそんな印象は全く感じられないが、クリスの背丈はメロディアとそう変わらない程には小さい。合わない部分といえばそれこそ一回(ひとまわ)りも二回(ふたまわ)りも大きい胸部くらいのもので、体型を問わないようなものならそれ程違和感なく着ることが出来た。

 想像していなかったのは、クローゼットの中の洋服が(ことごと)く可愛らしい、いかにも女の子らしいフリフリとしたものであった事くらいだ。別に不便も無かったので、メロディアは気にせず適当なものを着ていた。

 

「すごー、フリフリだー」

 

「ちょっ、やめて」

 

 天音はというと、スカートの端をつまみ上げたり好き放題である。いかにも頭の悪い感想を述べている彼女の耳にメロディアの静止は届いていない。

 

「これクリスさんのお古でしょ? かわいー」

 

「もぅ、やめてってばッ」

 

「あっ」

 

 天音を振り払おうとした瞬間、天音はバランスを崩してメロディアを押し倒した。

 

「ごっ、ごめんッメロディアちゃん!」

 

「……大胆ね」

 

 メロディアがふざけてそんな事を言うから、更に現場は大混乱である。押し倒した当事者は顔を真っ赤にしてフリーズするし、その隣では凪咲が鬼のような形相でメロディアを睨んでいる。そんな状況がメロディアには可笑(おか)しくて可笑しくて堪らなかった。本当にもう、腹がよじれるかというくらいに笑った。

 

「アハハハハッほんっと面白い何それ、ほんとあなた達可愛いわ」

 

「天音さんッ! いつまでそうしてるんですかッ! メロディアさんも天音さんの事からかわないでください。次やったらほんと殺しますから」

 

「……あっ、うん。そうだね凪咲ちゃん。ごめんぼーっとしてた」

 

「ハーほんとからかい甲斐(がい)があるわ」

 

「ほんとにそろそろ制裁が必要ですね」

 

 そんな会話をする三人の背後に、ただならぬ気配を感じたその瞬間、三人は振り返って頭上を見上げる。

 そこにあったのは青筋立てて仁王立ちするクリスの姿であった。

 

「――騒いでないでさっさと勉強しろッッッ!」

 

 ――

 

「そろそろ休憩にしましょうか」

 

 メロディアがパンと手を叩くと、天音も凪咲も、もうクタクタといった様子でその場に倒れ込んだ。三時間ほどぶっ通しでテスト範囲の内容を詰め込んだのだから、疲れ果てるのも仕方がない。しかし、どう考えても一番疲れているのはメロディアだった。

 元々ゼロからのスタートとはいえ、一度教えてしまえば(そつ)なくこなす天音はまだ手は掛からないのだが、途中参加の音無凪咲が想像以上の曲者(くせもの)であった。何よりも面倒なのが、彼女、説明を聞いている時は澄まし顔でこくこくと頷くのだが、実際に問題を解かせると自信満々の顔で不正解の答えを書いて渡してくるのである。これでは彼女がちゃんと理解しているのか一見では確認できない。

 教師も手を焼く訳だ。真面目な顔して何も理解していないのだから。この理解力のなさで今までS.O.N.G.でやっていけたのが不思議なくらいだ。いや、むしろ戦う事以外はろくに何もこなして来なかったのか。

 

「アナタ、ほんと入学して半年以上何してたの?」

 

「ぐうの音も出ません……」

 

「追試明後日でしょう? こうなったら夜までみっちり詰め込むしか無いわね」

 

「ひえっ……ちょっと外の風に当たってきます」

 

「ごゆっくり。帰ってきたらまたみっちり詰め込んであげる」

 

 凪咲がげっそりとした顔で部屋を後にしたのを見届けたタイミングで、天音はメロディアに問いかけた。

 

「やっぱり私間違ってなかったね。メロディアちゃん、すごく優しい」

 

「はぁ?」

 

「だって、初めはあんなに嫌そうだったのに、こんなに真剣に勉強の面倒見てくれてるでしょ?」

 

「それは、単に約束したんだから当然じゃない」

 

「ほんとにそうかなぁ……? 昔のメロディアちゃんだったら、絶対引き受けてすらくれなかったと思うよ?」

 

 彼女の言う、『昔』とは、一体いつの事を指すのだろうか。出会ったばかりの頃? それとも、入学した頃だろうか。前提として、この状況が起こりうる、という事ならばそれ以降の事か。

 しかし、メロディア当人からすると、こういう所謂(いわゆる)普通の生活というものを、普通の事として受け入れる事以外に大きく自分自身の価値観が変化したとは全く思っていない。

 自分の本質は何一つ変わってはいない。それを忘れてしまったら、自分は自分の罪を忘れてしまう。故に私は何も変わらないし、誰にも変えられない。それがメロディアの信条であった。

 しかし、天音にそう問われた時、メロディアは咄嗟に否定する事ができなかった。むしろ、そうであるとさえ思ってしまった。約束だの、責任だのという言葉でどれだけ取り繕っても、今のメロディアを動かしていたのはそんな建前のものなどではない事を、メロディアは自覚していた。

 

「そうかもね」

 

 素直にそう答えたのが意外だったのか、天音は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、何も言わずに目を細めてメロディアへと微笑み掛けた。

 

「ねぇ、アマネ。アナタから見て、()()()()はどう見えた?」

 

 突然の質問。普段は二人称で人を呼ぶメロディアが、珍しく(かしこ)まって天音の名を呼んだと思えば、突如飛び出してきた詩織の名前に、彼女は少し困惑のような色を浮かべていた。

 

「どう見えたって、どういう事?」

 

「そのままの意味よ。何となく、気になったのよ。私はヴィーデとしての彼女しか知らないから」

 

 符坂詩織、ヴィーデという少女の異質さ。違和感と言ってもいい。こちらの生活を送るようになって、メロディアは初めて普通の生活というものを理解した。率直に言って、メロディアは今の日常に満たされていた。幸せだとすら感じていたのだ。

 だからこそ、彼女が何を考えていたのか、メロディアには理解出来なかったのである。

 

「私から見た詩織は、普通の女の子だよ。みんなあの子の事を完璧超人とか天才だとか好き勝手に言うけれど、私から見たらあの子はただ少し不器用なだけの女の子にしか見えなかったな」

 

「『普通の女の子』ねぇ。――彼女も、今の私と同じような気持ちになった事って、あったのかしら」

 

「今のメロディアちゃんの気持ち?」

 

「そう。言うのは少し恥ずかしいけれどね、今、私しあわせなの。アマネや、ナギサとこうしている時間が、とっても楽しいから」

 

「ふふ」

 

「どうして笑うのよッ!」

 

「だって、メロディアちゃんがそう思ってくれてたなんて、私嬉しいんだもん。友達になりたいって言った時は、はぐらかされちゃったけど、いつの間にかメロディアちゃんが私達の事、友達だと思ってくれてたんだって」

 

「友達……」

 

 彼女がそう口にするまで、メロディアはそんな事考えた事も無かった。今メロディアの感じている彼女らへの感情をどう呼称するか、メロディアは初めて知った。ルイスは、メロディアにとっていわば家族だ。しかし、それと似ているようで、しかし少し違う彼女への思いをなんと言うかなど、メロディアは知らなかった。親愛とは違う、しかしウェルへのどうしようもない恋のような熱さでもない、安心するようなこれを、友愛というのだと、今知った。いや、どこかでは気づいていたのかもしれない。

 あの日ぽっかりと開いたメロディアの心の穴中に、その穴を埋めるように降り積もっていく何かは、復讐心のように冷たく、痛いものでは全然無くて、ほんの少し暖かく心地よい。

 

「私、アナタが好きよ」

 

「えぇっ、どうしたの突然ッ」

 

「勘違いしないで欲しいけど、当然友達として、よ! いつかの返事。アマネ、私の友達になりなさい」

 

「ふふ、もうなってるよ」

 

「――好きとか聞こえましたが! 何二人でコソコソやってるんですかッ」

 

 外で聞き耳を立てていた凪咲がそのワードに激しく反応して、もう我慢ならないと勢いよく部屋へ討ち入った。

 

「ふふ、アナタのことも好きよ?」

 

「ふぁっ……えっ、そ、そうですか、ありがとうございます?」

 

 凪咲は突然の告白に意味がわからないといった表情で語尾を上げて答える。

 

「よし、決めたわ。何でもの約束。あなた達に私から聞いて欲しいお願い」

 

「突然だね……」

 

「ですね……」

 

「いいじゃない、別に。それに、今日が『一番いい日』なのよ」

 

「一番いい日? 一体何の……」

 

 メロディアは偶然今日ふと見たテレビのニュースを思い出す。特別今日は『見える』らしい。それは運命の巡り合わせか、それとも必然であったのか。

 クリスに引き取られた初日、クリスに「夢はないのか」と聞かれた時、メロディアはかつて見て、そして消えた夢の残滓をクリスに聞かせた。

 それは、幼い少女が夢見た、正に夢幻(むげん)であった。勿論、今となってはそれが憧れが見せた幻である事は理解していたし、憧れなどとうに捨て去っていたが、クリスはそんなメロディアに、かつて友から教えられたという秘密の場所を教えてくれた。

 そこは、都会の雑踏とは違って、それはそれは美しい景色が目に映るという。そこならば、いつかメロディアが見たかったものが見られるのでは無いかと、クリスはメロディアに言った。

 永遠に無くしてしまった、ルイスと望む星を。今は見つけられなくても、いつか、そこで見つけられるのでは無いかと、彼女はそう言った。

 ならば、今宵見られるという、霜月の空に、流れては消える数多(あまた)の一条こそが、そうなのでは無いのか。

 

「――星を見たいの。私は、星を見たい。あなた達と……友達と、一緒に」

 

 ――

 

 勉強会の延長戦は結局夜まで続き、そのままの流れで約束通り星を見る手筈になった。夜は冷えるからと、クリスが三人にコートを貸し出してくれたので、今の三人は秋冬用コーデの上から、クリスのロングコートを羽織っている。

 その場所は、林を抜けた高台にあった。ひっそりとした、緑生い茂る緩やかな丘。そこでふと宙を見上げると、黒紫(こくし)の空には数えきれない程の星が瞬いていた。

 

「綺麗だねぇメロディアちゃん。私、こんなにいっぱい星が光ってる空を見たの初めてだよ! メロディアちゃんは、星が好きなの?」

 

「――私は、少なくとも初めて本物の星を見た時は、好きじゃ無かった。だって、寂しいような気がしたもの」

 

「寂しい?」

 

「ルイス、私の大切な人は、星を綺麗で、好きだと言っていたわ。でも、いざそれを見た時に、消えてしまいそうで、ちっぽけな星達が、私はとても寂しく見えたの」

 

 メロディアが見たかったのは、結局のところ星ではなく、ルイスが見ていた星だった。彼女が美しいと語ったそれを、メロディアも見て見たかったのだ。

 

「星って、小さくて、今にも消えそうだけど、だからこそ、綺麗だと思えるんだと私は思うな」

 

「そうかしら」

 

 そう言って、視線を隣の天音の顔から宙へと移した時、メロディアの視線の先をフッと過ぎ去る白い光があった。

 それは、ほんの一瞬の輝き。流星と呼ばれる、大気圏で燃え尽きるほんの小さな塵の一欠片だと、知識では知っている。しかし、今メロディアの目に映ったそれは、(ただ)の塵と吐き捨てるには余るものであったのは確かだった。霜月の全天に、一箇所から飛び散るようにして、その一条は次々と顕れては消えていく。確か、こと座流星群と言うらしい。

 その小さな微塵たちの最期の煌めきは、美しかった。ほんの一瞬のその煌めきに、メロディアは目を奪われていたのだ。

 

「メロディアちゃん? メロディアちゃーん」

 

「……アマネ。ごめんなさい。私見とれてたみたい」

 

 完全に心を奪われていたメロディアは、天音の呼ぶ声にようやく気づくと、視線を宙から隣へと落とす。

 

「ね、キレイでしょ? 確かに一瞬で消えちゃうけれど、その一瞬一瞬が儚くて」

 

「そうね」

 

「メロディアちゃんは星を寂しい、って言ったけど、あの星だって一つひとつは小さくて、真っ暗な空に独りで輝いていても、他の星と繋がってるでしょ?」

 

「そうね。まるでヒトみたい」

 

 ヒトは一人で世界を生きねばならない。しかし、各々が独りで生きているという訳ではなく、どこかで繋がっている。

 どこか、何か。同じ何かを共有し、広い世界を迷わないように。歌が、シンフォギアという不思議な繋がりが、メロディアや天音達を繋げているように。

 ――だとすれば、ヴィーデは何を道標に、あの道を進んでいたのだろう。彼女が特別に思っていた天音と、何を共有し、どんな世界を見ていたのだろう。

 

「あの星。あの強そうに紅く光ってるあの星。まるでメロディアちゃんみたいだと思わない? だとすると、あの青くて小さいけど、でも綺麗に光ってるあれは凪咲ちゃんかな?」

 

 天音は空に輝く星を指差し、「じゃあアレが私で、全部繋げて装者の大三角!」と、はしゃいでいた。

 

「そんな星座は無いわ。ちなみに、私の星って言ってたあの紅いアンタレスは、あの星とあの星らを繋いでさそり座に……」

 

「……メロディアちゃん?」

 

 急に押し黙ったメロディアを、天音は心配そうに覗き込んだ。自分の心中を悟られないように、メロディアが彼女からの視線を逸らそうと言い訳を考えていた時、天音と凪咲の通信機器が鳴った事によってその必要は無くなったのだった。

 

「ふえっ……! こんな時間に?!」

 

「……みたいですね」

 

「メロディアちゃん! ごめん、先にクリスさんの所に戻ってて! それと、絶対に変な気は起こさないでね! 絶対だよ!」

 

「……アマネ。今日はありがとう。アナタと星が見れて、本当に良かった」

 

「私もだよ」

 

 そう言って、彼女達は聖詠を口にすると、ギアを纏って街の方へと先に向かっていった。

 

「――今日が、『その日』なのね」

 

 メロディアは呟く。それは、いつか来ると分かっていた終わりの日。日常も、平穏も、全てが終わる終末。ヴィーデがいつか語った、彼女が目指した終着点。

 メロディアは、宙を見上げて「ソレ」を見つめる。

 さそり座の隣に輝く星。否、それは星ではなく、完全起動を果たした聖遺物の輝きである。

 宙のさそり座を指した時、メロディアはソレを見つけてしまった。

 ――空に輝いていた七つ星を。本来、十一月の夜空には輝くはずのない星を。本来神話の時代より、さそり座と交わることの無い因縁のあるその星が、さそり座の隣を輝いていたのである。

 それは呼ぶなら、()のオリオンとでも呼べばいいのだろうか。

 ヴィーデが「神の領域に至る門」と呼ぶもの。「黙示録の喇叭(ラッパ)」の作り出した、終わりの星であった。

 

 

 かくして、賽は投げられた。時計の針は終わりの(とき)へと示され、これより先を示すことは無い。それはこの世界の終着点。そして、()()()の始発点である。

 七本の喇叭は光を放ち、宙へと昇った。

 偶然にも神の摂理を体現し、神の力と接続した天然の神門、オリオンを模した七つの鍵によって、これより『エルサレム』が顕現する。その瞬間こそ、彼女の願いが成就する時であった。

 

「――ああ、私はこの瞬間を幾千年もの間待ち望んでいた」

 

 神が降り立ち、そして我らルル・アメルを見放して幾千年の月日が流れた。しかし、その歴史も、もう終わりの時を迎える。

 詩織は愉悦し、吐息を漏らした。

 

 東京番外地・特別指定封鎖区域。またの名を、カ・ディンギル跡地とも呼ばれるそこ。それは、かつて旧・私立リディアン音楽院が建設されていた敷地の周辺を指す名称であった。

 

 数年前の大事件の中心地であり、その日、月はかつての姿を失った。

 殆ど全壊してしまったリディアンの校舎の周辺地域は、一瞬にして危険地域として封鎖が決定し、誰も寄り付かない死地となった。そして数年の時の中で、皆の記憶からその場所は失われていった。危ないから寄り付かない。そういう意識だけが残った場所である。符坂詩織は、ヴィーデとして活動をするようになってから、この場所を拠点としていた。

 

「――ひとりで何しに来たの?」

 

「分かってて聞くことかしら」

 

 詩織は虚ろな目を一人の侵入者へと向ける。

 

「ええ、わざわざ死にに来るなんて。拾った命なんだから、例え今日までだとしても大切にすればいいのに」

 

「生憎だけど、目的が違うわ。私がアナタを終わらせに来たんだもの。いつかアナタがそう望んだように」

 

「――は?」

 

 メロディアの言葉に、詩織はその瞬間初めて感情を表にした。それは、まるで理解出来ない、とでも言っているかのようにメロディアには感じられた。そして、その返事がメロディアの感じてきた彼女の異様さの答えだとも、メロディアは確信する。

 

「皮肉なものね。アナタは私と真逆で、『持っていたのに、捨ててしまった』なんて。私、アナタの泣く顔を初めて見たあの日、出会ってから初めてアナタを人間らしいと思ったのよ」

 

 メロディアの前では感情らしい感情など顕すことも無く、まるで悪魔か怪物と呼ぶしかない存在であったヴィーデが、初めて見せたあの表情。あの日にメロディアが目にしたのは、世界を滅ぼすと笑いながら語ったヴィーデという怪物では無く、符坂詩織という一人の人間であった。

 

「でも、今のアナタをそうは思えない。アナタは覚えてる? あの日、ノイズに自死を望んだあの日に、アナタが何を感じていたのか」

 

「何を言って……」

 

「――ああ、あの日に感じていた事も。あの日の涙の意味さえも、アナタはもう覚えていないのね。アナタ、本当は救われたかったんじゃないの? アナタが本当に欲しかったのは、世界の終わりなんかじゃなくて、ただあの子からの(ゆる)しだったんじゃないの?」

 

 メロディアの言葉に符坂詩織は答えなかった。どこまでも深く暗い、深淵のような紅い瞳がメロディアを見つめていた。

 

「私が……? そんな事、ありはしない。私は――私が、天音を救ってあげるんだから」

 

 重々しく口を開いた詩織の言葉に、メロディアは諦観の表情を浮かべて瞳を閉じた。

 怪物と呼ばれた自分が、一人の人間としてあの子と手を取り合えたのに、本来ヒトらしさを持っていた筈の彼女が自らその身を怪物に落とすというのは、なんと皮肉なものだろうか。

 ノイズに私を殺せと叫んだ彼女は、もうここには居なかった。あの日、彼女が望んだのは断罪である事など、彼女の口から告げられなくても今のメロディアには分かる。なにしろ、メロディア自身もそれを望んでいるのだから。

 自殺願望は、ある種の自己嫌悪。それは、罪の意識と良心が自分という存在を許せないからこその嫌悪。裁かれなければいけないという強迫観念であった。

 ならば、それすら忘れてしまった彼女は最早ただの怪物だ。彼女の奥底にあった、狂気が符坂詩織という少女の形を成しているだけのものである。

 

「あの子に親友殺しなんて背負わせなく無いもの。……だから、アナタはここで私と死ぬのよ」

 

 

 これは、本当に現実世界での出来事だろうか。そんな事を思ってしまう程に、神代天音の目に映った目の前の光景は、悪い夢のように現実的なものではなかった。

 何より、それを現実に起こった事だと認識したくなかったのである。

 本部にて常駐しているスタッフからの入電で街へと降りた天音の耳に飛び込んだのは、どこからともなく聞こえる喇叭(ラッパ)の音だった。そして、その音が鳴り止んだ時、次に聞いたのは、地獄のような阿鼻叫喚。

 夜の街の静けさは一瞬にして失われ、人の叫びが夜空にまで響く。無数のノイズが次々と人を虐殺していく。空も、街中も、路地裏さえも、異形の化け物が埋めつくしていた。

 空からは洋凧(カイト)のようなノイズが爆撃するようにノイズをばら撒き、街中はノイズがひしめき合っていた。

 ある場所ではシェルターへと飛び込んだ人々が、後から来た人らを突き放し、またある所では自分の命惜しさに人同士が殺し合う。ノイズから身を守る為に作られた筈のシェルターの中にすらノイズが侵入し、中の人間が皆殺しになった場所もあった。

 アスファルトで綺麗に舗装されていた筈の道路など、もはや灰に覆われて砂漠のように成り果て、民家やビルからは火の手が上がっていた。夜中だと言うのに、黒煙とそれを照らす焔によって視界は明瞭に赤く染まっていた。

 建物の中も、路地裏にも、何処にも逃げ場など無かった。そこにあったのは、生物が生きることの出来ない地獄だった。

 

「――こんなの、ないよ。夢だよ、きっと」

 

 天音は、ただ立ち尽くしていた。目の前でノイズと戦う凪咲の姿をただ見ている事しか出来なかった。

 本部のオペレーターからの通信がヘッドギアから垂れ流され続けていたが、その内容が何一つ頭に入ってこないのだ。

 

『――ノイズの数、……嘘っ、十万、二十、未だ増え続けて……そんなっ、こんな規模で……部隊ッここだけは死守してッ! 「しかしッ、防衛線、持ち堪えてはいますがこのままではッ」 ここが墜ちたらあの子たちはッ――ザザッ――』

 

 途切れ途切れの、ノイズ混じりの司令通信。回線は不安定で、いつの間にか通信は途切れていた。

 

「たす……けなきゃ。そうだ……みんなは? S.O.N.G.の人達は……」

 

 リディアンの友達たちは無事だろうか。本部の人達は? そんな事を思いながら、天音はようやく、身体の震えを鎮めて槍を握り締めた。

 しかし、足を踏み出そうとした時、天音の身体を何かが掴んだ。

 天音が視線を落とすと、そこにいたのはノイズから逃げ延びて天音へと縋り付いた一般人の男。満身創痍で錯乱しながらも、彼は天音に助けを乞うた。燃える屋内から逃げ出したのか、身体には火傷の跡もある。

 

「助けて……どうか、助けて……死にたくない。死にたくないんだ」

 

「あ、わ、わたしは」

 

 ――助けられない。そう口にしかけた。確かにこの瞬間、命を切り捨てようと考えてしまった。誰かを助けたいとそう願った筈の自分が。

 

「私が、助」

 

「死にたく――」

 

 天音が言い淀んでいた言葉を掛けた瞬間には、彼は灰燼と化していた。彼の背後に迫ったノイズの手によって、彼は人の形を保てずにバラバラと崩れ去ったのだ。

 

「けて……あげ……あ、あ……あああ」

 

 差し出した手は、何処にも向けられる事は無かった。そこにあるのは、かつて人だった塵である。

 

「あああ……あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ」

 

 

「ハァッ!」

 

 メロディアの一閃は、詩織に届くことなく障壁によって阻まれる。

 

「無駄だって、知ってるのに」

 

 攻めている筈のメロディアの顔が苦痛に歪む。パキパキと鉱物の砕ける音を立てながら、メロディアの身体のそこら中に薄く小さな結晶が現れては砕けていく。

 胸の、クレイブソリシュの欠片が埋まっている傷跡は、剣のように鋭い結晶によって穿たれていた。焼けるような熱と、体を裂くような鋭い痛みがメロディアを襲っていた。

 

 ――クリスや、アマネに、あれだけ引き止められたのに。後で知ったら怒るかしら?

 

 いや、恨まれる、かもしれない。

 

 メロディアは胸にあるギアのコンバーターを指で握った。クリスの留守を見計らって、彼女の部屋を物色した時、彼女秘蔵のマドレーヌと一緒に、小さな小箱を見つけた。その中に入っていたのは、メロディアの青いギアペンダントと、もうひとつ、真っ二つに砕けた赤いギアペンダントだった。

 

 ――勝手に持ち出してしまって、ごめんなさい、なんて。多分クリスにはもう言えないでしょうね。

 

 しかし、メロディアは歌う。クリスや、天音との約束を破る事になっても、今のメロディアにはそれよりも守らなくてはいけないものがある。大切なものが。

 

『私の見ていた世界は どこか空虚で寂しい世界で

だけどアナタが教えてくれたよ いつかあの子が見ていた世界を』

 

 剣を構えた。痛みなど、知ったものか。こんなの、苦しくなんて無いのだと、メロディアは自分に言い聞かせる。あの子を悲しませるくらいなら、自分が全て背負ってみせる。それがメロディアにとっての贖罪だった。

 

『やっと見つけたんだ アナタの星を』

 

 融合症例の生み出すフォニック・ゲインは並の装者を凌駕する。生まれて初めて全力で歌ったメロディアのフォニック・ゲインは、それこそ、天音たちの全力を遥かに凌ぐ程のエネルギーを放っていた。しかし、それは同時にメロディアにとっても劇薬となり得るものである。

 聖遺物の力を引き出せば引き出すほどに、メロディアとクレイブソリシュの融合は進む。だんだんと身体が自由に動かなくなる様な感覚をメロディア自身感じていた。

 メロディアは紡ぐ歌詞をぴたりと止めると、瞳を閉じた。しかし、それは諦観の態度では無く、その瞳が開かれた時、詩織が目にしたのは、メロディアの瞳から流れる一筋の涙であった。彼女は、真っ赤な涙を流しながら、終わりの歌を口にした。

 

『――Gatrandis babel ziggurat edenal

Emustolronzen fine el baral zizzl

Gatrandis babel ziggurat edenal

Emustolronzen fine el zizzl……』

 

 ――絶唱。

 シンフォギアの決戦機構の一つ。莫大な力を生み出す反面、逆流したエネルギーが使用者の身体にも大きなダメージを与えかねない危険な技。シンフォギアとある種の一体化をしているメロディアは、融合している聖遺物によってそのダメージを帳消しにする事が出来るが、聖遺物との融合は加速度的に促進される。

 メロディアがそれを口にするという事は(すなわ)ち、クレイブソリシュにその身を全て捧げるということに他ならなかった。

 

「――終わりにしましょう」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 メロディアの周囲を眩い光が包む。それは、まるで星の煌めきのような、閃光を放つ剣。耀剣・クレイブソリシュ。魔を打ち払う「光の剣」であった。

 それはメロディアの号令によって、空を翔ける。尾を引き、流星のように、夜空を翔けていく一条の光だった。

 

「――ッ」

 

 詩織の障壁に、空から降り注ぐ光の剣という名の流星が、当たっては粉々に光の粒となって砕けていく。しかし、一枚、二枚と詩織の障壁もまた、ガラスのように砕けて散った。

 

『オルフェウスの流星が 繋げた星の絆 いつか私の星が 星座になるのを願いながら』

 

 メロディアは歌う。肺が出血しているのか、吐血で声を出すことすらままならない。しかし、メロディアは歌う事を止めなかった。

 ふと詩織が目にしたのは、宙に月を背にした少女の姿だった。手にした剣を構え、流星が穿った彼女の防御の穴を狙い、彼女は残った最後の一本を掲げていた。

 

「ヴィーデ。アナタが私に色々な事を教えてくれた事、一応感謝してるの。でも。――だから、これで終わりにしましょう? さようなら」

 

 メロディアの放った剣は、詩織の最後の障壁を破壊し、その勢いは衰えること無く彼女を――穿った。

 クレイブソリシュの白い刀身は、詩織の腹部へとずぶりと刺さり、その身体を貫き通した。そして、その先端は大地へと突き刺さり、剣によって大地に(はりつけ)にされた符坂詩織は、脱力した様子でその身体を海老反りにして沈黙していた。

 足が崩れ、詩織は地面に仰向けに倒れる。虚ろな目で自分の腹部に刺さった剣を見つめていた。

 

「……私やアナタも、死んだら星に上げて貰えるのかしら」

 

 メロディアは、最早朦朧とする意識の中、そんなことを考えていた。ヒトは死んだら神によって宙に上げられるという。人が死ぬことを「星になる」と表現するのは素敵な表現だと、メロディアは思った。

 星座として結ばれて、語られるのは化け物や、それを退治した英雄である事も多い。

 

「だとすれば、あなたは怪物として、私は……英雄として、かしら」

 

 英雄に、なれただろうか。いつか、ドクターが自分をそうであると呼んだ。怪物では無く、英雄と。

 

「ドクター。ドクター、ウェル様。私は……アナタが望んだ英雄に、なれたでしょうか」

 

 薄れゆく意識の中、メロディアのギアは解かれ、糸が切れたマリオネットのように宙を墜ちていく。ぼんやりと宙へと手を伸ばし、星を掴もうと手を開いてみる。

 

 すると、誰かが手を掴んだような感覚を覚えた。

 

 

「メロディア。君は英雄だ。僕は君を誇りに思いますよ」

 

 

「ウェル……さま……! ああ、私は、ただ、あなたにそう言って――」

 

 それは、一人の少女が最期に見た幻。朧気な意識がみせた泡沫の夢。

 純白のシンフォギアは光の粒へと変わり、宙に散っていく。

 

「――流れ星……メロディアちゃんの……歌が聞こえたような」

 

 天音は虚ろな目で地獄の空を見上げた。

 

 焔によって赤く照らされた、星一つ見えない明るい夜の空に、見えるはずのない一筋の流星を見た。

 

 今日見た流星の中でもひときわ美しい、純白の一条は、堕ちて、燃えて、――尽きた。

 

 

 

 

 

 

EPISODE11 星の落ちた日

 

 

 

 

 

 

……To be continued

 

[newpage]

 

[chapter:用語集 その六]

 

 

冬のオリオン

 

 シンフォギア世界の星座は、本来の、定義する所の我々の世界の星座、というものから半年分ズレている。簡単に言うと、夏と冬の星座が反転している。故にシンフォギア世界ではオリオン座は夏に、さそり座は冬に見られる星座なのである。

 地軸のズレ、極は変わらず、何故星座だけが鏡合わせになっているのかは不明。

 

 

流星群

 

 こと座流星群のこと。この世界では11月にピークを迎える。

 

 

オルフェウスの流星

 

 メロディアの歌詞に出てくる言葉。こと座の事を「オルフェウスの竪琴」と呼ぶ。メロディアはこと座流星群を、オルフェウスの流星と表現した。

 

 

耀剣・クレイブソリシュ

(voc:メロディア・ロア・フエンテ)

 

それは何時かの夢のカケラ あの日アナタは言ったんだ。どこか遠くの遠くの話。

それは何処かの夢の記憶 あの日私は知ったんだ。アナタの見ていた遠くの景色。

私の見ていた世界は どこか空虚で寂しい世界で

だけどアナタが教えてくれた いつかあの子が見ていた世界を

やっと見つけたんだ アナタの星を

 

オルフェウスの流星が 空を翔けていくんだ

私という星を 繋げる橋のように

オルフェウスの流星が 繋げた星の絆

いつか私の星が 星座になるのを願いながら

私は宙の開拓者 暗闇だって掻き分ける

私が星になっても 寂しいなんて思わないでしょう

必ず見つけ出すから アナタの星を

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