立花響に救われた少女がヒーローを目指すお話   作:月夜 のかに

15 / 17
EPISODE13 始まりの歌とはそれはただの風だった

 

「天音さん。今助けますからッ」

 

 四張の弓は光の矢を構えると一斉にそれを射ち放った。

 凪咲の周囲を浮かぶ四つのアームドギアは、凪咲がひとたび手を振りかざせば同時に次の矢を矢継ぎ、再びうち放つ。四本の光の尾が伸びる。そしてそれはふたたび竜の頭を穿った。竜がその傷を癒せば、次の矢がまた頭を吹き飛ばす。

 

「このッ――煩わしいッ!」

 

 竜が薙ぎ払うように熱線を放っても、凪咲はひらひらと宙を舞って全てを躱す。エクスドライブが会得した飛翔能力により、重力という枷から解き放たれた凪咲は、そのまま天音の元へと飛ぶ。

 

「何度遮られてもッ! 何度でもッ! 何度だってッ!」

 

 ――乱れ打ち。旋回軌道をとりながら、攻撃を掻い潜り、四張の弓を総動員して釣瓶打ちを繰り返す。肉の壁を破壊しても、一瞬にして再生され、そしてまたその肉壁を破壊する無限ループ。しかし、それでも確実に近づいていた。

 竜はその表皮の肉を変形させ、尾のような触手たちを作り出して凪咲を捕らえようと繰り出す。

 

『邪魔ッ――めざわり目障り目障りッ! どうしていつも――邪魔するのっ!』

 

「ええ、お邪魔虫ですともッ! そう言えば、あの時もそんな事を言ってましたね。『お前さえいなければ、私の天音は』――怖いんですか? いいえ、怖いんでしょ? 二人だけの間に何かが入り込んでくるのが」

 

「ッ! 分かったような口を利くなああああああッ!」

 

 詩織の激昴に応えるように触手はその勢いを増して凪咲へと襲いかかった。

 

「いいえ、何度だって言ってやりますよ。あなたは独りが怖いんです。天音さんの為と言いながら、自分のために天音さんを慰み物にしてるだけなんですもんね」

 

『違うッ! ――違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う……ちがうっっっっッ!』

 

 竜は苦しんでいるような素振りで頭を揺さぶる。詩織が否定し、拒絶を示しても尚、凪咲は詩織への言葉を掛け続ける。

 

「天音さんはあなたの事を本気で思っていたのに。あなたはどうしてあの子の気持ちをこうも簡単に踏みにじれるんですかッ!」

 

「踏みにじってなんかッ! 私はただ、あの頃みたいに。ただ、『ふたりぼっち』になりたかったッ! 今みたいな上辺だけの関係なんかじゃなくて、私と天音がもっと深い所で繋がっていたあの頃のようにッ!」

 

「そんなの只の思い違いでしょう。都合がいい理想の像をあの子に押し付けてるだけでしかない」

 

「違あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁう! あの頃、私達は確かに繋がっていたッ! 分かりあっていたッ! 言うなれば、ナカマだった。同族だった。孤独の中を生きていた。私達は、同じだったんだッ!」

 

 ――孤独な、仲間。

 それは酷く矛盾した言葉だった。一人である事を孤独というなら、二人ならば孤独では無いだろう。寂しさを紛らわす対象がいるのだから。

 しかし、彼女はそれを孤独と呼んだ。かつての天音も、そうであったのだと。二人の友人同士では無く、あくまで「孤独な二人」であったのだと、そう語っているのだ。

 そうして成程(ナルホド)、得心がいった。凪咲が彼女に感じていた、今まで言語化出来なかった違和感のようなもの。彼女が孤独と呼ぶものの輪郭を、凪咲はようやく捉えた。

 

嗚呼(ああ)、なるほど。そういう事ですか。あなた、誰にも――本心なんてもの晒した事が無かったのですね?」

 

 ぴくりとその言葉に反応してみせた(かのじょ)に、凪咲は確信した。

 孤独とは、一人である事、「心を通じ合える人が居ない」という事である。であれば彼女は――いや、かつての彼女たちは、きっと誰とも心を通わすことが出来なかったのだろう。そんな孤独を、誰かに心を開くことが出来なかった彼女は、自分と似た神代天音という少女に半ば縋る形で、埋めようとしたのではないだろうか。

 

「符坂さん。あなたは、いつかから時が止まったままなのですね。あなただけが、何処かに取り残されてしまった」

 

 何がきっかけだったのか。いつからなのか、凪咲は知る由もない。しかし、彼女が言う孤独というものを凪咲も知っていた。時が止まっていた、と表現するのが相応しいあの頃の事。

 妹の沙波を失ってから、世界というものに絶望しきっていたあの頃である。

 外の世界というものに絶望していた。だってそこには、もう自分を愛する人も、愛していた人も居ないのだから。そうして凪咲の時間はあの失われた時間で止まってしまった。置いて行かれてしまった。否が応でもこの世界は回り、時は進み続けるというのに、時が進めば進む程、凪咲の見ていた時間は遠く、遠くへと過ぎ去っていく。否、現実が遠くへと遠ざかっていくのだ。

 世界への絶望。それが彼女を形創っているのがわかる。

 ――ああ、可哀想に。

 気付けばそう口にしていた。目の前の、狂気に駆られた、とても人の道からは遠く離れてしまったその人物に、哀れみの目を向けていた。

 

「あなたは、きっといつかの私だ。それに、私の知らない、いつかの天音さんも、きっとそうだったんでしょう。天音さんだけじゃない。誰だってそうなるかもしれない。あなたは、あなただけが、取り残されてしまったんですね」

 

 いつかの神代天音という少女が、立花響というヒーローとの出会いで変わったように。

 長い間過去に囚われ、復讐にのみ執着していた自分が、神代天音の言葉に救われたように。

 凪咲の止まってしまった時間を、彼女が溶かしてくれた。その言葉で、その温度で、凪咲の心を救ってくれたのだ。彼女がいたからこそ、今の凪咲があった。今、凪咲が歌い続ける理由は、彼女がくれた全てに起因している。この世界を生きても、いいのかもしれないと、再び思うことが出来たのは紛れもない友であり、戦友である神代天音がいたからだ。

 だからこそ、彼女に報いなければならない。くれたものを、返さなければならない。

 彼女が再び、誰かの言葉でその身を深い孤独の闇に沈めてしまわないように。いつかの自分が、そうであったように。世界に絶望なんてさせるものか。だってそれは、彼女が教えてくれたのだ。

 

『分かったような……分かったような口を利くなあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ! チガウと言っているだろうがああッ! お前ッ! 私が可哀想? カワイソウだとォッ!』

 

「ええ。可哀想です。ただの一度でも、本心を晒せば良かったのに。そうすれば、きっとあの子はそれを無為にはしなかったでしょうに。きっとそんな無間地獄(むげんじごく)からだって救い出してくれた筈です。なのにアナタはよりにもよって、アナタの事を一番に大切にしてくれていたその子を、自分と同じ無間地獄に引きずり下ろして安心しようなんて」

 

 ――助けてと。一言、助けてと誰かに伝えれば、きっと誰かが手を伸ばしてくれたかもしれないというのに。自分の弱いところを見せることが出来れば、こんなに拗れてしまうことも無かったかもしれないというのに。

 それは――彼女のプライドが許さなかったのでしょうね。それを失ったら、彼女を守る殻のようなものは失われてしまうから。

 凪咲は一年にも満たないとはいえ、符坂詩織という人物を見てきた。他人に弱みを見せず、完璧を演じていた。凪咲の前では、彼女に気を許したような態度を取ってはいるが、いつだって符坂詩織というアイデンティティを殻として纏っていたのだろうという事を、今だからこそ強く感じていた。

 目の前の符坂詩織だった人物は、むき出しの心を敵意、害意として凪咲へと向けている。その抜き身の刀のようなむき出しの心は、今まで見てきた符坂詩織とは全く違って、これが本来の詩織という人物だと凪咲は直感的に理解したのである。

 本来の符坂詩織という少女は、凪咲から見てとても弱い少女に映った。こんな少女が完璧を演じていたのである。そんなもの、心が擦り切れて限界が来て然るべきである。

 しかし彼女は誰にも、天音にさえその心の奥底までは晒さず、一人で抱え込んできたのだ。その姿勢は最後まで崩れず、最終的に天音を半ば引きずり下ろす形で自らの傍に戻そうとした。

 それのなんと哀しい事か。その姿の一端を少しでも天音へと晒したことはあったか。否、無かっただろう。晒していれば、きっと彼女はここまで世界を呪うことも無かっただろうし、きっと天音も彼女の弱さに寄り添えた筈なのだから。

 そんな少女に、世界を滅ぼすような巨大な力が渡ってしまったのはなんという不幸だろうか。それが半ば呪いとなって、彼女を更に縛り付けてしまったのであろうから。であるからこそ、凪咲は彼女を見てこう思うのだ。

 なんと、哀しい少女なのだろう。ああ、可哀想に、と。

 しかし、凪咲に彼女を救うことは出来ない。彼女を僅かな時間しか見てこなかった凪咲に、彼女の心の奥へと潜り込むことなど出来やしなかった。彼女を真に救う事ができるとすれば、それは神代天音ただ一人だった。

 だからこそ凪咲は、凪咲の出来ることをするのだ。希望を繋げる為に、このシンフォギアはあるのだから。メロディアが命を賭して繋げた希望を、思いを、背負ってここにいるのだと、凪咲は自分を奮い立たせる。

 今、誰かの言葉によって世界に絶望しようとしている少女を救い出す為に。かつて掛けられた言葉をあの子に返す為に、凪咲は竜へと弓を引くのだ。

 

『いい加減にしてよッッッ! アナタの言っていること、訳が分からないッ! その目を向けるなッ! 私を、憐れむなッ!』

 

 竜は凪咲へと先程までの数倍の量の尾を繰り出し、凪咲を拘束する事に成功する。そして、そのまま更に畳み掛け、竜からすれば羽虫のようであった彼女をその尾で四方から囲って押し潰した。

 竜の眼前、あともう少しで空にある竜の(こうべ)に届くといった所で、地面から伸びた複数の尾の先端は、締め上げるようにして彼女を捻り潰そうとしている。

 

『ククク、あはははははははッ! ばぁか、ざまあないわ。何がカワイソウ、よ。分かったような口を利いて。いいえ、分かるはず無い。私達は――私達の孤独は、私達だけのものなんだから。それを無間地獄だと言うのなら、私は天音と地獄にだって堕ちられる。天音と二人の地獄はきっとこんな世界よりは幸せに感じられるはずだから』

 

 尾が彼女をキリキリと締め上げれば、隙間から少女の喘ぎ声が零れる。苦しそうなその声を聞いて詩織は愉悦に震えていた。

 

『あはははははははッ! ほらッ! 結局無駄ッ! あなたが何をした所で、私達には届かないッ! ほぉら、色々してくれたけど今度こそオワリ。天音が、あなたを殺して終わるの』

 

「くっ……ふさか……しおりィィ……アナタはぁぁッ!」

 

『天音があなたを切り捨てれば、晴れて天音は外への執着を完全に失うでしょう。そうすれば、ふふ、あはははははははッ! あなたの声は天音には聞こえていない。届かない。今の天音は言わば目隠しされた不安の中に居る。自分以外の全てが信じられない闇の中で、あの子は昔のあの子を取り戻すの。不安なあの子は私に縋る。私だけがあの子に寄り添ってあげられるんだもの』

 

 凪咲は彼女の言葉を聞いて途方も無い不快感を伴った表情を浮かべていた。天音の尊厳全て踏みにじるその行為を、彼女が愛と(のたま)う。なんと傲慢なのだろうか。

 符坂詩織は、出会った頃からずっと天音のお姉さんのような存在だったらしいという話を凪咲は聞いた事がある。子供っぽい天音と、傍から見れば大人びた詩織はよく姉妹のようであったという話だ。それは、彼女たち二人の姿を見ていた凪咲も知っていた。この関係も、発端は恐らく詩織がそのようにして天音に取り入ったからなのだろう。

 しかし、彼女は知っているのだろうか。彼女が「姉」という存在を何故そこまで求めていたのかを。符坂詩織という人間が収まったその小さな隙間に本来存在していたのは、何だったのかを。

 天音のことを、本当に愛していた彼女――神代風音を。

 

「あなたこそ、分かってない。全然分かってなんかない。あなたは、あの人の代わりになんてなれやしない。絶対に」

 

『あの人……? 誰それ。そんなの私達には関係無い。だって私だけが天音の寄る辺だもの』

 

 関係無いと凪咲の話を一蹴し、詩織は天音の耳元で穏やかに囁くようにして、言葉を吹き込む。

 

 さぁ、天音、あの子を殺しなさい。と。

 

 しかし、竜は動かなかった。竜は、天音は、それを拒絶した。

 

『う……あ……わたし……は』

 

『……あまね? 天音は、私の言葉だけを聞くだけでいいの』

 

 その瞬間、何かが爆ぜる音と共に凪咲を拘束していた尾が消し飛んだ。周囲を浮かぶ凪咲の天羽々矢のアームドギアがひとりでに、凪咲を締め上げていた尾をその矢によって吹き飛ばしたのである。

 

『――このおぉォッ!』

 

「ようやく届きましたよ」

 

 竜の首元。まるで協会のステンドグラスの窓にも見える装飾で飾られたそこで、凪咲は詩織へと向けて矢を構えていた。

 金の鱗で覆われた玉座の間のような空間に、肉壁に飲み込まれるような形で少女は囚われていた。神代天音と、彼女を後ろから抱擁するようにして両腕を添わせている符坂詩織の姿がそこにはあった。

 

「天音さんッ!」

 

 囚われの天音は凪咲の呼び掛けにびくりと反応を示すが、見開かれた彼女の視線は凪咲を捉えてはいなかった。彼女の瞳に浮かんでいた感情は怯えであった。わなわなと身体を震わせて、目の前の凪咲に恐怖していた。

 

「……あまねさん?」

 

「聞こえてないよ。それに、見えてもいない。あの頃の天音は、こんな風に他の誰にも心を開かない子だったから」

 

「だとしても、私は無意味だとは思いません。だって、天音さんは一度、ヒーローに心動かされたんですから」

 

「だからって、あなたがこの子にとっての“カッコイイお姉さん”になれると? ははッ、冗談」

 

 肉壁がその形を変えて凪咲を拘束しようと襲い掛かる。襲いかかったそれに四肢を絡め取られても尚、凪咲は天音へと手を伸ばし、天音へと言葉を掛ける。

 

「天音さん、どうか思い出して。あなたが、なりたかった自分を。あなたを想っている人達の事を」

 

 

 

 ――目の前に広がっていたのは、酷く朧気(おぼろげ)ながらも、何処かに懐かしさを感じる風景であった。今よりも随分と低い視線の先、地面にはすらりと()()の影が伸びている。

 駆け出せばその影は天音の後を必死で追いかけて、そうして少ししてから後ろから手を掴んで、息を切らした彼女が天音を引き止める。まるで連星のように互いに引き合って、離れないでいた。否、連星というよりも、惑星と衛星の関係だったかもしれない。容姿こそ瓜二つといえど、彼女は余りにも大きすぎた。それは、天音にとっても、母にとってもである。

 

「風音、早く!」

 

 いつものように彼女よりも先に駆け出し、振り返って自分の後を追う彼女の姿を見()る。普段と変わらないそんな行為だった。しかし、そのとき目に映ったのは酷く青ざめた彼女の顔で、次の瞬間には全てが過ぎ去ってしまった後であったのだ。

 

『――馬鹿ッ!』

「えっ」

 

 いつものように彼女は手を取って、しかし彼女はその手をぐっと強く引くと天音を後方へと投げ飛ばした。

 どん。という衝撃音と共に、目の前の彼女の姿が消えた。

 ――そうだ、これは、あの日の記憶だ。あの日の悪夢だ。かつては毎日のように(うな)された夢に違いなかった。いつからか、彼女の存在と共に記憶の底に追いやって、見ることもなくなってしまった記憶の欠片だった。

 

『――救急車ッ!』

『人が轢かれたぞッ!』

『ああああッ! 風音ッ! 嫌ああッ!』

『……お母さん。申し訳ありません。手は尽くしたのですが……残念ながら』

『いえ……ありがとうございました』

『楓さん、娘さんの事、お悔やみ申し上げます。しかし、あの風音ちゃんがねぇ』

『……? 風音が、どうかしたのですか』

『へ……いや、申し訳ない。触れるべきではなかったか』

『天音ちゃん、塞ぎ込んでしまったって話だよ。ほら、今もそこで俯いて』

『誰が呼び掛けても返事が無い。あの子、大丈夫か?』

『仕方ないだろ。そっとしてあげるべきだ』

 

 ――ごめんなさい。ごめんなさい。全部、私のせいなんです。私のせいで、風音は死んだんです。私が、あの子を殺したんです。そして多分、私が死ぬべきだったんです。

 

『アマネちゃーん、ほら、こっちにおいで』

『だめだめ、この子、ずっとああしてるんだ』

『ほら、()()、お母さんとあっち行こうか』

「うん」

『……楓さん? 風音ちゃんは……いや、それに天音ちゃんもどうして』

『何が、ですか』

『いや、風音ちゃんは』

『何言ってるんですか? 風音はこの子です』

『楓さん、風音ちゃんは事故で』

『――風音はこの子ですッ!』

「お母さんッ! 大丈夫だから。私は風音だからッ!」

 

 ――あの日。風音が死んだあの日から、私は風音になった。

 母は、風音の生前から器用な人ではなかった。それこそ、その愛情を二人の娘に振り分けて注ぐことすら出来ないほど不器用な人。分かりやすく良い子で、自分と違って粗相のない賢い子だった風音へとその愛情が向けられるのも無理はなかった。いつだって天音は風音と比較され、叱責を受けるのが常であった。風音が気を回して、天音に手柄を譲る形で母の意識を天音へと向けさせたりして、ようやく普通の母子(ははこ)の体裁を形作っていた。しかしそれでも風音がよく出来た姉である事に変わりはなく、母の意識も常に風音の方に向いていたのは確かだったのである。

 風音が死んだことによって、この母子の体裁は完全に崩壊した。家庭そのものが大きく歪んでしまった。しかし、母にとっては天音が居なくなっても娘に向ける愛情の総量に変化などなかったのである。なにせ、彼女は愛情を二人に振り分けて注ぐことが出来なかった人なのだから。その対象が天音へと変わっただけの事だった。

 だから、天音もそれを拒むことは無かった。姉に向けられていた筈の愛情を全て独り占めできるというのは、天音にとって悪い心地ではない。故に、天音は風音の()()を演じた。

 

『何やってるのッ!』

 

 天音がドアノブへと手を伸ばした時であった。母の怒号が廊下に響き渡り、天音は肩をびくりと縮こませた。それは、風音を演じていた天音が久々に耳にした母の叱り声であった。かつて天音を叱り続けていたあの声色だ。

 かつて怒鳴られ続けていた日々を想起して顔を青くするが、大きく息を吸い込んでから瞳を閉じて心を落ち着かせると、怯えている心を奥底へと押し込めて「風音の表情」を作った。穏やかで、冷静で、大人びたような彼女の表情の仮面を貼り付けて、天音はゆっくりと後ろへと振り返った。

 

「なぁにお母さん」

 

 我ながら名演だった。何かにつけて風音と比較され貶されてきた天音だが、双子なのだから風音のことは誰よりもよく知っているし、見ても来た。故に風音のように振る舞うことだって出来た。そもそも、風音ならばと常々言い続けた母の手前、天音自身彼女を強く意識し続けていた。

 しかし母は鬼気迫る表情を浮かべながら天音へと詰め寄る。彼女の様子は明らかに異常だった。

 

「何しようとしてたのッ」

「何って、お使いだよ。よく行ってたでしょ」

 

 天音と風音の二人で、度々行っていた夕飯のお使い。風音が偶に気を利かせて夕飯を作ると意気込んでは、その食材を買い出しに最寄りのスーパーへと出掛けていた。

 天音が風音として買い物に出かけるのも、何も不自然な事では全く無かったのだ。むしろ、天音は風音をしっかりと演じていた。だが、母は天音からショッピングバッグを取り上げると、天音の手を無理やりに引っ張って部屋の中へと引き戻そうとした。天音の手首を握りしめる彼女の手はとても強く力が込められていて、子供の力では振り解けそうも無かった。

 

「あのっ……お母さん? 痛いッ、痛いよ」

 

 部屋の奥へと引き戻され、天音はようやく手を離して貰うことができた。

 

「危ないじゃないッ! 外へ出ちゃ駄目ッ!」

 

「お母さん……? 私は」

 

「なんで……? どうして私の言うこと聞いてくれないの? 風音は物分りがいい子だもの、分かってくれるでしょ?」

 

 完全に錯乱した母の姿。母は天音の肩を掴んで強く揺すりながら天音に問い詰める。自分の理想の娘の幻影を、天音へと押し付けていた。物分りが良くて、なんでも母の言うことを聞く娘の幻影である。勿論、そんな人形のような娘像は、もはや風音の姿からは遠く離れたものであった。

 そうして、母は天音の髪を引っ張って天音を押し入れへと閉じ込めた。押し入れは、その日から天音の反省室となった。

 

「やだッ! お母さんッ?! 出してッ! 出してよッ!」

 

 真っ暗で、ホコリまみれの息すら苦しくなるような密室空間。天音が何度謝っても、母は何も答えなかった。むしろ、天音が謝れば謝るほど母の怒りを買うことになった。それは、風音がする事では無いから。

 尿意を催しても、解放されることは無く、その場でそれを垂れ流した。最早、人間としての尊厳すらそこには無かった。泣いても、同情もされない。何をしたら許されるのかすら、天音には分からなくなっていた。あの人が天音に何を望んでいるのか分からなかった。そう感じる程に理不尽で、暴力的な害意に晒されていた。

 この監禁行為は、天音の心を完全に壊してしまった。狂人の狂気に当てられて、十歳にも満たない少女の心が耐えられる筈も無かった。子供にとって、母親とは世界の殆どといってもいいのだから。

 そしてその日、天音は押し入れの中で彼女と出会った。天音は、もう大丈夫、と手を差し伸べた、自身の狂気が産んだ彼女の手を取った。取らざるを得なかった。そうしなければ、現実に心は耐えられなかったからである。

 

「へぇー、天音にそんな事があったんだねぇ。今の天音を作ったのが名も知らぬヒーローさんだとすると、私の天音はあの押入れの中で生まれたんだね。お母様には感謝だなァ」

 

 全く興味が無いとでも言うかのように、全く感情のこもっていない口ぶりで彼女は呟いた。

 天音を後ろから抱きしめて、詩織の長い黒髪が天音の右肩から胸元へと掛かっているのが視界に入っている。

 まるであの日の押し入れのように真っ暗で、冷たい空間に、背中から詩織の体温だけを感じることが出来た。不覚にもその体温に安心している自分がいて嫌気がさしてくる。

 

「今ね、私達は喇叭で繋がってるんだよ。心も、身体も。だから、今なら天音の心がまるで私のものみたいに伝わってくる。安心した、やっぱり天音は私と同類だ」

 

 そう言ってケラケラと笑う詩織。そして天音は理解した。彼女が求めているのも、神代天音という人間では無いという事を。彼女が求めているのも、本質的には天音の母と変わらない。

 そうして天音の心は深く闇に沈んでいく。もう慣れきってしまった。人間の脳というのは極端なストレスを前にすると思考することを放棄するもので、事実今の天音もそうであった。

 

 べちゃりとした感覚が手の平に伝わり、その視線を下ろした。

 

 そこにあったのは、死体だった。それはそれは惨たらしく死んでいた。その顔には見覚えがある。彼は、天音に命乞いをした男だ。地獄のようになった街を逃げ惑い、ノイズに追われて自分よりも遥かに幼い少女に助けてくれと泣きついた大人だった。天音が助けなかった大人だった。

 

「天音が見殺しにした人間第一号だね」

 

「――そうだね」

 

 自分でも驚く程に冷たい声色だった。虚ろな瞳をそれへと向けながら、天音は詩織の言葉に頷いた。

 何も感じなかったのである。罪悪感も、救えなかったという後悔も、嫌悪感も何もかも感じなかった。あの時は確かに感じたはずの後悔は、今この場に欠片も持ち込めて居なかった。

 私は、こんなにも他人をどうでもいいと思えるような人間だったのか、と自分自身を笑った。

 見渡せば、そこは死体の山だった。天音が見殺しにした男、そして、()()()()()()、数えきれない程の無辜(むこ)の人々。それらで形作られた死が積み重なった山。

 ヒーローである事を辞めて、思考することすら放棄して、ただ詩織が望むままに振舞った。かつて母に望まれたように、何も考えず、何も感じず、彼女の理想の娘に徹したあの頃と同じように。

 「私」は必要とされていない。誰も救えないヒーロー擬きなど、誰からも求められていない。いつだって、求められていたのは「風音(ワタシ)」であり、「あの頃の天音(わたし)」であって、私じゃない。

 だから、私はただ詩織の望むままの私でいい。

 

「今の天音、とおっても素敵だよ」

 

「そうかな」

 

「うん、その目。あの頃と同じだもん。何も感じないんでしょ。分かるよ。私もそうだったから。目の前で馬鹿な人がノイズに殺されても、何も感じないの」

 

「そうだね……そうだった。『私』って、こんな人間だったね」

 

 背中にぴたりと触れている、詩織の肌の温度だけが明瞭に天音へと伝わってくる。詩織の、サラサラとして、色白で柔らかな肌。とてもふくよかとは言い難いけれど、しかし美しい形をした乳房が背中に直接触れている。

 冷たいだけの死体の山と違って、彼女の温度は暖かく心地よい。

 

「あったかい」

 

 詩織がぽつりと呟く。

 

「私、天音に初めて会った時、どうしようもなくドキドキした。今までどんな人と出会っても、みんなここの死体達と変わらない。私を温めてはくれなかったから」

 

 詩織は天音の身体を抱きしめる力をきゅっと強める。彼女の顔を天音は伺うことは出来ないが、彼女は天音の体温を噛み締めるかのように全身で天音を求めていた。

 

「もうどこにも行かないで。他の何かになろうなんて思わないでもいいでしょう? 私は天音とただこうしていられれば、それで十分」

 

「……私も」

 

 お互いの体温がひとつに溶け合うような感覚。それは孤独という名の暗闇にただ一つぽつりと灯っている灯台の明かりのようであった。

 理解できない人の心の大海原。誰からも自分の心は理解されないし、誰も心の奥底に立ち入ることは無い、そのような場所で、ただ一つの確かなもの。

 

 天音は「もう、いいか」と心の中で諦観していた。いわば、彼女にとってのヒーローへの憧れもまた、こんな暗い海の、どこかにあるかもしれない港を求めてもがいていたようなものだ。しかし、この小さな灯火の下にいれば迷う事は無いのだから、それで十分なのでは無いか。そんな事を思い始めていた。

 

「……もういいか。全部捨てても」

 

 瞳を閉じてそう呟いた時、誰かの声を聞いて顔を上げた。

 

「可哀想」

 

 彼女はそう言って、天音達の前に立っていた。哀しそうな表情を浮かべながら。

 

 音無凪咲が、そこにいた。足元に山のように積み重なった死体達と同じく、天音が切り捨てた筈のもの。あの山の中に彼女が紛れていたとして、それをもしも天音が目にしたとして、果たして今の天音にそれを憂う事が出来たのか。

 

「……凪咲ちゃん」

 

 カワイソウ、とは、一体誰に対して言った言葉なのだろうか。

 ――詩織へ? 私へ? それとも、

 

「……凪咲ちゃん、私、凪咲ちゃんが思ってるような人間じゃない」

 

 凪咲は何も答えずに、ただ天音の言葉を聴いていた。

 

「失望、させちゃったよね? 私、結局こんな人間なの。凪咲ちゃんの言うサキモリっていうのにもなれやしない。何も、守れない。隣にいる大事な人さえ……自分さえ、守れやしないの。そんな私、嫌いでしょ? あの時だって、凪咲ちゃん私の為に怒ってくれたのに」

 

 少しだけ、涙が頬を伝う。天音は凪咲の顔を見ることは出来なかった。出来るはずもなかった。今彼女がどんな感情を持って、どんな表情で天音を見つめているのか知るのが怖かった。

 きっと、彼女は怒っているだろう。呆れているかもしれない。あの時のように、叱咤(しった)の言葉を掛けようとさえ思わないに違いない。

 だから、これでお別れにしよう。そう思った。さようならと、そう伝えれば全てが終わる。

 

「――ほんと、馬鹿ですね」

 

 しかし、彼女が呟いた言葉に、怒りの感情は含まれていなかった。呆れは――しているような口振りだったが、それでもマイナスなニュアンスが含まれているようには天音には感じられなかった。そう、それこそ普段の何気ない軽口のような雰囲気をそれは纏っていた。

 

「私達がなんであなたを好きなのか、あなたのどこが好きなのか、あなた自身が分かってないんだから」

 

「それって……どういう」

 

「――あなただから、好きなんですよ。あなたがどれだけ孤独だと思い込もうと、私が否定しますから」

 

 わたしだから、「私」を好きでいてくれる。「私」で、いいのだと、彼女は言った。あれだけ誰かに必要とされたくて、何かになりたくて足掻いていた私でなく、神代天音という人間を、彼女は肯定してくれていた。

 

「私を……好きだって……そう言ってくれるの?」

 

「ええ、言いましたね」

 

「こんな……私を?」

 

「ええ。それに――」

 

 約束が、あるんでしょう?

 彼女はそう耳打ちをした。ふふ、と笑いながら。

 ――約束。かつて詩織とした、約束。風音の夢の中で、天音が詩織の事を思い出すきっかけになった、ある日の出来事。

 そして、おそらく詩織はもう覚えてはいないだろう。天音でさえ長く忘れていたのだから。

 

「でも、どうしてッ! これは私しか」

 

「言ったでしょう。ワタシ達は、天音が大好きなんだよ。例え天音が自分自身を嫌いでもね」

 

 ふふ、と彼女は笑った。視線を上げて、目にした彼女の瞳は優しく天音を見つめている。

 

 ――黄金色の瞳。お母さんにそっくりの、優しい黄金色。大好きだった姉の優しい瞳が、そこにはあった。

 

「私も、きっとあの子も、思いは同じ。だからあの子にお願いしたんだしね。ホントに、危なっかしいのは全然治んないんだから。ワタシの妹は」

 

「風音ッ! ――お姉ちゃんッ! 私はッ」

 

「ほうら、天音。眠り姫はもう起きる時間だよ。王子様を待たせちゃいけない」

 

 

「ようやく……私を見てくれましたね?」

 

 ――信じていた。凪咲が今まで見てきた神代天音という人間は、必ず自分の呼び掛けに答えてくれると。故に彼女が凪咲の呼び掛けに反応するように手を伸ばしたその瞬間、凪咲は迷いなく彼女の手を掴んでいた。

 凪咲は天音の手を取り、彼女の身体を竜の肉壁から引きずり出す。

 

「凪咲ちゃ――むぐっ」

 

 空中へと投げ出された天音の腰へと手を回し、凪咲は彼女の唇を奪う。

 目の前の彼女は突然の事に頭が真っ白になっている様子だった。しかし、拒絶すること無く、瞳を閉じて凪咲に身体を委ねている。押さえ付けていたリビドーのような激しい衝動に、音無凪咲は突き動かされていた。

 言葉が出るよりも先に、身体が彼女を求めるようにして、気が付けば彼女へとキスをしていた。

 

「目は覚めましたか、お姫様?」

 

「……それはッ……狡いよ凪咲ちゃん。……初めてだったのに」

 

 しおらしく口元を腕で隠して視線を逸らす彼女を見て、凪咲の中で征服欲のようなものが満たされていく。

 ああ、そんな顔も見せてくれるんじゃないか、と。今の彼女は、まるで普通の女の子のようだった。どこにでも居る、普通の女の子だ。特別なシンフォギア装者でも、ヒーローでも無く、ただのありふれた十五歳の少女然としていた。

 腕で隠していても隠しきれない程に顔も、耳の先まで真っ赤に染め上げている彼女は、きっとどこにでも居る、普通の女の子に違いなかった。

 

「凪咲ちゃん、私の事、好き?」

 

 天音が突然そんな事を聞いてくるものだから、凪咲は一瞬戸惑ったが、はい、と答える。

 いつからだったかは自覚していないが、それでも気が付けば彼女に惹かれていた事に違いはない。

 

 他の何よりも愛しい人。

 

 心にぽっかりと空いた穴を埋めてくれた人。

 

「前にも言ったでしょう。大好きですよ。あなたがそうして笑ってくれるだけで、この瞬間を愛しいと思えるんです」

 

 ――ああ、きっと、こんな気持ちだったんだ。妹の、沙波の、言葉の意味。ようやく見つけられた。他の何よりも愛おしい、その為なら自分の命を賭してでも守りたいと思えるもの。

 今、気づいたよ、沙波。私が今まで生きてきた意味を。あなたがくれた、この命の使い方を。

 

『――――返せッ! 返せ返せ返せ返せ返せカエセカエセカエセカエセェェッ! 天音はッ! 天音は私と一緒に居ないとイケナイノッ! 私だけが天音を幸せに出来るんだ!』

 

「……いいえ。彼女はきっと、自分で自分の道を切り開いて行くんです」

 

「――凪咲ちゃんッ? どうしてッ!」

 

 天女の羽衣のような披帛(ひはく)を、天音にそっと掛けると、凪咲は天音を突き放した。それが、きっと自分の代わりに彼女の身を守ってくれる。

 

『――Gatrandis babel ziggurat edenal

Emustolronzen fine el baral zizzl

Gatrandis babel ziggurat edenal

Emustolronzen fine el zizzl……』

 

 羽根を翻し、凪咲は天音に背を向けると、天音を取り返さんと迫る竜のその巨体へと弓を構えた。

 

 ――絶唱。エクスドライブモードによって、シンフォギアを体の一部のように御しているとはいえ、凪咲の身体が限界を超えている事実は消える事は無い。当然、再度の絶唱に音無凪咲の身体が耐えきれる筈もなかった。それは凪咲自身が深く理解している。

 

 だからこそ、彼女は決断した。メロディアが語った、命の使い方は自分で決める、というあの言葉が、やけに耳に残って離れない。自分の命の灯火は、きっと今にも一息に吹き消されようとしている。しかし、きっとこの火は天音さんの心に灯って、明日へと繋がると、信じているから。

 

「――沙波。今度は、間違えて無いですよね。これで、いいんですよね」

 

 そう呟いて、瞳を閉じた。

 

 絶唱――天羽々矢・神立。

 

 凪咲の四つの弓のアームドギアへと、同時に稲妻が落ちた。

 

鳴神(なるかみ)の――少し(とよ)みて降らずとも――吾は留らん(いも)し留めば』

 

 宙に浮いていた四つの弓は、絶唱に呼応するようにして変形し、組み合わさり、四つに別れていたアームドギアがやがて巨大な一つの砲身へとその形を変えていく。雷とは、読んで字のごとく、神鳴りという言葉が転じたもの。神が落とす神秘の力。天羽々矢は、鳴神の力を以て、神の力を謳う竜にその巨大な電磁砲(レールガン)の砲身を向けていた。

 

「天羽々矢は天だって穿つ至高の一箭(いっせん)。それが例え神であろうともッ!」

 

 それは、轟雷が轟くような一撃だった。青白い稲妻が迸り、次の瞬間に音速を超えた弾丸が竜の頭に風穴を開ける。先程までと違い、神の力なるものによってその傷が修復されることは無かった。天羽々矢の一撃は、確かに竜に確実な傷跡を残していた。

 

『なんで邪魔するんだよッ! どいつもこいつもッ! あの駄犬ッ――メロディアだってそうだッ! そうまでしてッ――命まで投げ捨てて、なんでわたしと天音を引き裂こうとするんだッ!』

 

「――引き裂こうだなんて。ホントに、被害妄想もここまで来ると笑えますね。私が貴女を『可哀想』だと言った意味が、最後まで分からなかったらしい」

 

 アームドギアを全て捨てて、符坂詩織の眼前で凪咲は笑う。そして、彼女に抱き着くようにして、詩織の耳元で凪咲は歌う。

 

 ――再び、二度目の絶唱。

 

 アームドギアを介さず、己の身を通してエネルギーを暴発させる。言わば、自爆。連続の絶唱に、凪咲のギアペンダントに大きく亀裂が走っていた。

 

「……ごめんね。いや、ありがとう、アメノハバヤ」

 

 凪咲は天羽々矢のギアペンダントをそっと撫でると、亀裂の入った部分から二つに砕け散る。エネルギーが炸裂した衝撃波によってギアが消滅した生身の肉体は空へと投げ捨てられた。

 

 最早身体は自分のものでは無いかのように動かない。感覚もない。空に投げ出されているはずなのに、風を切っている感覚すら無い。痛みも感じられなかった。目も――殆ど見えていない。これは夜の暗闇なのか、それとももう光を捕らえられてすらいないのか。

 

「……さ」

 

 声も――出せないようだった。

 ――沙波。私に命をくれた愛しい妹。私は、私が正しいと思うことを成しました。今まで、間違えてばかりだった人生だったけれど、自分が選んだ選択に、初めて後悔しないと胸を張って言えるような事です。

 だから、もういいですよね。アナタの元に帰っても。きっと、私はあなたにとって、誇れるお姉ちゃんで、あれましたよね。

 

 

「お姉ちゃん、私はいつだって、お姉ちゃんが大好きだよ」

 

 

 感覚なんて、もう何も感じなくなってしまった筈なのに、誰かが傍にいるような感覚を覚えていた。妹の、声がする。耳に残って離れなかった、かつては呪いのように思えてすらいた、彼女の最後の言葉と、同じ言葉を、変わらない同じ声で、語りかけていた。

 でも今なら、それを呪いだなんて思わない。私も、同じ気持ちなのだから。

 

「ええ、私も――大好きだよ」

 

 空に言葉が溶けていく。音無凪咲の身体が、灰のように朽ちて、空に溶けていく。凪咲が常に身に付けていた、妹の赤い遺灰と、混ざり合うようにして、それは空に散った。

 そうして、音無凪咲に灯った灯火は、静かに闇へと溶けていった。

 

 

 ――どうして、何故、大切なものというのはかくも儚いのだろう。

 

 竜が、倒れるのを見た。それは命の最後の輝きだった。とても眩しくて、天音がどれだけ背伸びしても届くはずも無いような、強烈な煌めき。

 音無凪咲は、天音を守る為に、その命を全て燃やして、その身を散らした。

 何故? どうして? 

 いつだってそうだ。天音を残して、皆先にどこかへ行って居なくなってしまう。風音も、凪咲も、こんな自分を守る為に、その命まで費やして。こんな、誰かに守ってもらわないといけないような、弱くてちっぽけな存在の為に、本来死ぬ筈では無かった命を犠牲にしてしまった。

 

「一人に……させないんじゃ無いのッ! 私をひとりぼっちにさせないんじゃ無かったのッ!」

 

 どうして、こんな事になってしまったのだろうか。その答えは単純だった。天音が弱いからだ。何かに、誰かに守ってもらわないといけないような、弱い人間だからに他ならなかった。

 もしも初めから、風音のように大人で、自立して、なんでも一人でこなせるような、ちゃんとした人間だったのなら、子供っぽさなんて無いような人間だったのなら、その子供っぽさで風音を殺すことも無かったのだから。

 凪咲のように、確固とした自分を持って、サキモリとして誰かの為に戦うという強い意志があったのならば、彼女をボロボロにして、挙句彼女の命まで犠牲にさせる事など有るはずも無いのだから。

 全ては天音の弱さが招いた事だ。

 

「……大好きだって、言ってくれたのに」

 

 自分の愚かさを呪った。彼女達は、一体何を思って天音を助けたのか、全く理解できなかった。

 風音は――何故好きなのか、天音のどこを好いているのか、天音自身が理解出来ていない。そう言っていた。

 

「私はッ――――! 私がキライだッ! 大っ嫌いだッ! 私の事が好きだって、そういうのならッ! どうして私を置いていったのッ!」

 

 慟哭混じりの、泣きながらカラカラになった喉で叫ぶ。居なくなりたい。ここから消えて無くなりたい。いっそ、死んでしまいたい。

 なのに、風音も、凪咲も、それを許してはくれない。「生きろ」と、彼女達が天音に何度もそう頭の中で繰り返し叫ぶのだ。それは――きっともう呪いに違いなかった。

 自分の首を、両手で締め付ける。気管を全力で圧迫し、だんだんとその呼吸が浅くなっていく。反射的に自分の手の力を緩めようとするのを抑えて、さらに手に力を込める。

 ――ごめん。私、結局弱い子のままだった。愚かな私のままだったよ。凪咲ちゃんも、風音も、二人が命を捨てても、私は結局変われなかった。

 だんだんと視界が霞んでいく。思考も、だんだんと回らなくなっていた。

 天音の懐からカランと何かが落ちる音がした。朦朧としていた天音はぼんやりと懐から落ちたそれを見つめる。霞んだ視界が捉えたそれが、何か理解した瞬間、天音は驚いて手の力を緩めてしまっていた。

 大きくむせ返って嘔吐(えず)き、荒い呼吸を繰り返しながら、天音はそれを手に取った。

 

「――ギアの、ペンダント……私の?」

 

 それは、詩織に捨てられてしまった天音のシンフォギアだった。

 

「でも、どうして」

 

 ――いいえ。彼女はきっと、自分で自分の道を切り開いて行くんです。

 

 最期に、凪咲が天音へと掛けた言葉。ギアの羽衣と一緒に、天音の懐にそれを預けていたのだ。

 

「……凪咲ちゃん」

 

 だとしても、今の天音には戦う気力など無かった。そこに居たのは、ただの十五歳の無力な少女だ。ヒーローでも、なんでもないただの神代天音という少女。

 現に、これを手にしても天音の心に歌は浮かんでこない。聖詠は、心のウタは、どこにもありはしなかった。

 

『――ホントにそれでいいの?』

 

 風音の、声が聞こえる。いいんだよ。だって、もう私には歌えないんだから。

 

『――いいえ、天音さん。歌えます。胸のウタは、いつだって天音さんの中にあるんですから』

 

 無理だよ、凪咲ちゃん。見つけられないんだ。何処にも無いんだよ。一人で私は歌えないんだ。凪咲ちゃんだって、そうだったじゃないか。

 

『天音さん。天音さんは、一人なんかじゃないですよ?』

 

 一人だよ。ひとりぼっちだ。

 大切に思ってくれてた人を犠牲にして、最低な私は結局ひとりぼっちに戻っちゃったんだよ。今こうして私に話し掛けてるアナタだって、私が作り出した都合がいい妄想に違いないんだ。病気なんだよ、私は。

 

『――神様も知らない ヒカリで歴史を作ろう』

 

 

「それ……」

 

『そう、逆光のフリューゲル。天音が昔好きだった曲。天音は、天羽奏が好きだったよね』

 

「……風鳴司令の前だと、言いずらかったけどね」

 

『私も混ざりますッ! 逆光のシャワー 未来照らす――せーのっ』

 

『『一緒に飛ばないか?』』

 

 ――二人から、手を差し出されたような気がした。

 

「……でもっ……私は」

 

『前を向いて。ひとりじゃない、一人になんてさせない』

 

 彼女達の問いかけに、天音は大きく頷く。涙を袖で拭い、目の前のペンダントに手を伸ばした。

 

『前に言ったでしょう。天音の歌は、いつだってワタシたちと共にある。天音が歌う歌に、ワタシたちは生き続ける』

 

『天音さん、あなたの歌はきっと、あの子にだって届きます』

 

 目の前の、凪咲の絶唱によって崩れた身体を再生させる悍ましい姿をした竜を見据える。呪いのような意識の中に飲み込まれて、詩織の精神は最早全く別のものに成り果てていた。そこにいたのは、「喇叭の中にいた誰か」の意識と彼女の孤独が溶け合った怪物だった。

 

『天音ェッ! ナンデ? なんでわたしを置いていくの? どうして、天音はわたしを選んでくれないの?』

 

「詩織。私は、あなたと一緒にずっとそうしているのは、嫌だ」

 

『……天音は、私を否定するの? 私じゃ……ダメなの?』

 

「ううん、私は君を救うために、戦うよ。君との約束を守る為に」

 

 ペンダントを掲げた。胸の歌は、変わらずそこにあった。彼女達が気付かせてくれた。見えなくなっていただけだった。本当はそこに変わらずあったはずなのに。

 天音の大切なものは、見えなくてもそこに確かに存在していた。ただ、見ようとしていなかっただけだった。

 

「私はッ――! もう二度と生きるのを諦めないッ! 諦めたりしないッ!」

 

 

 

 

 

 

 

「――その通りッ! 私が伝えたコトバを、忘れないでくれてありがとう。そうだよ。生きるのを、諦めないでッ――!」

 

 

 

 

 

 

 竜の身体が、砕けた。衝撃波、のようなものだろうか。一撃にして、その体を大きく抉りとっていた。そうして、声の主は天音の前に降り立った。

 ――靡くマフラー。その後ろ姿は、見紛う筈もない。かつて、憧れ、目に焼き付いていた彼女の背中そのものだった。

 それは、かつて天音の命を救ったシンフォギアの少女。あの時、お好み焼き屋で出会ったリディアンの先輩、立花響と名乗った女性であった。

 

「……お姉……さん?」

 

「……そうだよ。久しぶりだね。っていっても、ついこの間ぶりだけど」

 

 彼女に並び立つように、美しい黒髪の女性、小日向未来もその場に居合わせていた。彼女もまた、響と同じく白と紫色のシンフォギアを纏っている。優しく天音へと語り掛けた彼女らに、天音は困惑の表情を浮かべる。

 

「どうして」

 

 その時、天音の通信端末に緊急のコールが鳴った。それは、先程から音沙汰の無かったS.O.N.G.司令室からの入電である。

 

『あー、こちらS.O.N.G.仮設本部、現在司令代行を務める風鳴弦十郎だ。どうやら、響くん達は無事そちらに到着したようだな』

 

「師匠ッ!」

 

「あのっ! これはどういう」

 

『喜べ、増援だ。エルフナイン君の秘蔵っ子。プロジェクトアナゲンネーシス(再生)、第三世代シンフォギア。機能停止した聖遺物を解析し尽くして生み出された、まさしく聖遺物の紛い物。こいつをかの国に隠し通すのは骨が折れたんだからな』

 

「その節は、本当に助かりました。ボクには政府関係者とのパイプなんて弦十郎さんくらいしか居なかったものですから」

 

「エルフナインさんまで!」

 

 恥ずかしそうに天音の前に現れたのは、研究者であるエルフナインであった。

 

『オレとエルフナインに解き明かせない命題など存在しないッ! たとえ聖遺物だろうと紐解いて見せるさ』

 

 エルフナインの身に付けているインカムのような端末から、少女の意気揚々とした声が鳴り響く。

 

「さぁキャロル、ボクたちも皆さんの助けになりましょう。演算、任せます」

 

『ああ、任されてやる』

 

 エルフナインが手をかざすと、彼女の身長程の錬金術の錬成陣が展開され、紫色を基調とした竪琴が姿を表した。

 ポロロロンと、竪琴を爪弾けば、それは形を変え、弦がまるで生きた繊維のようにエルフナインを覆っていく。そして、まるでシンフォギアのような装束に変身した。

 ダウルダブラのファウストローブ。錬金術によって駆動する、回天装束。かつて、キャロル・マールス・ディーンハイムが纏った竪琴の鎧。キャロルしか行うことの出来ない錬金術の術式制御を、アーティフィシャルインテリジェンスであるCAROLに任せることによって、エルフナイン単独でダウルダブラを起動させる離れ業であった。

 

「――音無。お前の生き様、見届けたぞ。人を防人るのが我らが務め。音無、お前は立派な防人だったッ!」

 

 一閃。竜の身体を両断する。

 

 絶刀、天羽々斬の一撃。かつてよりも更に格段に練り上げられた斬魔の一閃である。

 

「風鳴司令までッ!」

 

「――私達も」

「――いるデスよッ!」

「さぁ、私達も行くわよッ! 調、切歌ッ!」

 

 シュルシャガナのシンフォギアを纏った月読調と、イガリマのシンフォギアを纏った暁切歌はそれぞれが各々のアームドギアを構え、以前目にした抜群のコンビネーションによって竜を翻弄する。

 そして、二振り目のガングニールのシンフォギアを纏ったマリア・カデンツァヴナ・イヴがその大槍を構えると、槍から放たれた光の砲撃が切歌と調を迎撃しようとする竜の攻撃を薙ぎ払って焼き切ってみせた。

 

「お前はよくやったよ。だからそんなに一人で背負い込むな」

 

 天音の頭を、背後からポンポンと撫でながら、雪音クリスは天音に語り掛けた。不意に優しい言葉を掛けられて、また涙が頬を伝っていた。

 

「でもっ……私のせいで凪咲ちゃんもメロディアちゃんも」

 

 天音が俯くと、クリスは天音の頬を指で摘んで自らの方へと向き直させた。

 

「馬鹿野郎。誰のせいでもあるもんか。それでも、誰かに責任ってんが有るなら、それはアイツらの命を預かってるアタシの責任だ。責任ってのは、オトナが持つもんなんだから」

 

 そう天音に言い聞かせると、天音に背を向けて眼前の仲間たちを見据えていた。彼女の背中を、天音は見つめる。とても大きくて、頼もしい、大人の背中。

 本当は誰よりも辛いはずなのに、彼女はそれを天音に一切吐かなかった。誰よりも彼女達を大切にしていた、それこそ、本当の娘のように扱っていたのに。

 

「……ありがとうございます」

 

「アタシはなんもしてねえよ」

 

「いえ、クリスさんはいつだってこうして私たちを導いてくれています」

 

「はっ、そうかよッ!」

 

 クリスは小っ恥ずかしいとでもいいたげに、鼻を指で擦る。

 

「さぁ、アタシ達も山門からの喧嘩見は終いだ。あの竜の中のあの子に、用があるんだろ?」

 

「――はいッ!」

 

 天音は駆け出すと、ペンダントを掲げて聖詠を口にする。いつだって、天音の中にあった胸のウタ。風を受けて天へと飛び立つ双翼の歌。

 そして、凪咲が信じて、託したウタ。

 

「これが私のッ――シンフォギアだァァァァァァァァァァァッ!」

 

 

 夜の闇に、燃え盛る業火が怪物を照らしている。符坂詩織であったもの。今はもう、名もなき怪物と成り果ててしまった、おぞましき黙示録の獣。世界を地獄へと変えて、ケラケラと笑う怪物である。

 

 黙示録の喇叭によって符坂詩織の魂に巫女の少女の魂にはヴィーデとしての記憶が刻まれている。

 それは遺伝子レベルで潜伏し、魂を上書きするフィーネの転生ではなく、もっと単純な、自分の思想を他人に植え付けるというもの。

 その魂は上書かれるのでは無く、変質する。本来ヒト一人分しか入らないグラスに、二人分のワインが注がれる。零れた部分はどうなるか。

 当然、グラスから溢れ、零れ落ちていく。符坂詩織は無意識下に、自分の恋心だけは零れ落ちぬように守ってきた。他の何を捨ててでも。

 しかし、もはや彼女は自分というものを見失っていた。狂気の中で唯一確かな灯火が、彼女を彼女たらしめていた筈だった。そんな薄氷のような詩織の意識をつなぎ止めていた筈の、彼女への恋心さえ、今の詩織を侵食する狂気には耐えきれなかった。

 ヒトとして造られたグラスに、本来入るはずのない神のチカラが注がれた彼女の器は、余りにも不安定な状態にあった。

 今の彼女には、どうして神代天音という人間を求めていたのか。たったひとつの望みだった筈の願いでさえ、思い出せなくなっていた。

 

『ああ、もうどうでもいいや』

 

 先程までの執着など何処かに置いてきたかのように、詩織は呟くと、眼下の虫のようにちっぽけな存在たちを見下ろしていた。

 

「――詩織。私との約束、覚えてる?」

 

 目の前の()が、詩織へと語りかける。約束――そんなもの、もうどうでもいい。私の過去なんて、そんなもの必要ない。どうせ、もうじきこの世界も、その生命もさっぱり消え去って、生まれ変わるのだから。

 

『知らない。覚えていない。知りたくもない』

 

 ただ、自分の中にある望みだけが今の詩織を動かしていた。今世への呪い。自分が望む世界を手に入れる為に。何故この世界を呪っているのかさえ、今の詩織には思い出せないが、詩織に刻まれた本能のようなものが、詩織を突き動かす。

 

『――約束なんて無価値、無意味だッ! 今この瞬間に、この世界は終わるのだからッ!』

 

 詩織は再び喇叭を吹き鳴らせば、天空に輝いていた巨大な構造物も呼応するように共鳴する。

 世界が、だんだんと崩れていく。街が、大地が、森の木々が、更にはそこに住む鳥や動物までが、光へと還元されて、セカイという名のテクスチャが、段々とまっさらに書き換えられていく。

 

「これはッ――まるで魔法少女事変の再現ッ!」

 

「とんでもねぇトンデモなのデスよ!」

 

 人が抗うには余りにも強大すぎる埒外の力を原動力とした世界を崩壊へと導く旋律を前にしても尚、彼女達の瞳は絶望に染まりきっては居なかった。圧倒的な力を目の前にしても、彼女達はいつだって希望を諦めない。例え万策尽きようとも、一万と一つ目の手立ての存在を信じて、抗い続けたのが彼女達なのだから。

 そして、「奇跡」というのはそんな一生懸命な人間に(もたら)される報酬、一万と一つ目のたったひとつの冴えたやり方というものなのである。

 

『……何故ッ!』

 

 世界の崩壊が、止まる。

 

 先程まで確実に世界を蝕んでいたそれが、めっきりと静まり返り、世界は再び夜の静けさを取り戻していた。

 

「その庭に咲き誇るはケントの花。知恵の実結ぶディーンハイムの証なり」

 

 彼方よりエネルギーの奔流が柱となって立ち上る。それは、今空の支配者のようにそこにあり続ける聖なる都、エルサレムが接続している天にある神の力の大元、天のレイラインと照応し、大地の龍脈から流れ出たエネルギーをそこへとぶつけていた。

 そのエネルギーの中心にあったのは、かつて撃ち落とされた、エルサレムと同じワールドデストラクタ、遺棄されていたチフォージュ・シャトーである。

 

『――エルフナイン君ッ! 龍脈の要石、そのロックを俺の権限で解除したッ!』

 

「ありがとうございますッ! 弦十郎さんッ!」

 

『それがオレのチフォージュ・シャトーと同じだと言うのなら、敵わぬ道理など在りはしないッ!』

 

 かつてチフォージュ・シャトーが世界を解体しようとしていた渦中、ドクター・ウェルとエルフナインやS.O.N.G.スタッフ達はその機能を反転させて分解した世界を再構築した。その時ウェルが書き換えたプログラムによって、現在のシャトーは分解装置としてでは無く、むしろその反対の機能を持った装置として存在している。

 エルサレムが世界を解体しようとすれば、シャトーがそれを妨害する。ある音に対して、それに対して逆位相となる波形の音をぶつけて相殺するノイズキャンセリングのように、エルサレムとシャトーは拮抗し、エルサレムの無力化を果たしていた。

 

『あのデカブツとオレのシャトーでは出力が違う。いずれ押し負けるだろう。だが、終わりまでの少しの猶予くらいは作ってやるッ!』

 

『――無駄な足掻きをぉぉおおおおッ!』

 

「無駄なんかじゃないッ!」

 

 天音は詩織へと叫び、竜へと駆け出す。それは傍から見れば蟷螂(とうろう)の斧とでも言うべき無謀なものだ。竜が一息に消し去ってしまえる虫の抵抗である。

 竜は、彼女へと熱線を放つ。その無慈悲な一撃、それで彼女の命は終わるはずだった。

 

『――どうして』

 

 熱線は彼女の目前で辺りへと四散する。天音が手にしているアームドギア、槍が、虹色の輝きを放っていた。

 

『ギアブラスト!』

 

「私の天羽々斬」

「アタシのイチイバル」

「私のシュルシャガナ」

「アタシのイガリマ」

「私の神獣鏡」

「「そして、私たちの、二振りのガングニール」」

 

 天音の槍に結ばれていたマフラーが、今は八つ結ばれていた。それぞれが、彼女たちから託されたギアがその形を変えたものである。

 

「託したよ」

 

 シンフォギアを。そして、世界の命運を。今この瞬間、たった一人の少女に全てが託された。この世界の行く末は、相対する二人の少女たちに懸かっていた。

 

「はいッ!」

 

『どうしてッ――そのヒカリは何だッ! この神の力にどうして抗うッ! 何故抗えるッ! 戦えるッ?! 確かにアマネの心は折砕いた筈! なのにどうして私の邪魔をするッ! その光は何ッ?! 何なのよ!』

 

「神の力とか、そんなの私はどうでもいいッ! 私は詩織、アナタに私の気持ちをぶつけるだけッ!」

 

『――Gatrandis babel ziggurat edenal

Emustolronzen fine el baral zizzl

Gatrandis babel ziggurat edenal

Emustolronzen fine el zizzl……』

 

 絶唱を口にする。凪咲が口にした、シンフォギア最後の切り札。天音にとって、それは覚悟の表れであった。この身も、彼女のように散ってしまっても構わないという覚悟だ。

 槍を握る手に、そっと誰かが手を添える。目をやれば、そこには立花響が優しく微笑んでいた。彼女だけではない。クリスが、翼が、調と切歌が、マリアが、未来が、槍を握る彼女の手を握っていた。

 彼女達もまた、天音に合わせるようにして絶唱の旋律を口ずさむ。絶唱の八重奏(オクテット)が生み出す旋律は、やがて虹色の光となって彼女達を包み込んでいく。

 

「セット、ハーモニクス」

 

 響が、そう呟くと、天音の方を見遣る。天音はただ頷き、その槍を天に掲げた。それは、たった一人の少女が起こした小さな風だった。しかし、今この瞬間、それは誰かが手を貸し、支え、育み、段々と大きくなっていく。嵐へと、変わっていく。

 

「イグニッションッ! ――エクスドラアアアアアアアアアアアアイブッッッッ!」

 

 それは、光り輝く虹色の嵐であった。輝く旋風が、まるで竜のように立ち上っていた。黙示録の竜の目の前に現れたそれの中に、一際輝く一つの光。

 限定解除を果たしたブリューナクのシンフォギアが放つ輝き。

 エクスドライブモードとなったブリューナクのシンフォギアを纏った、神代天音が、詩織へと槍を向けていた。

 

「詩織。ほんとはずっと、寂しかったんだよね」

 

「違うッ! 違う違うチガウッ! 私は私の為に世界を終わらせるのッ!」

 

 竜は天音の言葉を否定すると天音を薙ぎ払おうとするが、天音はそれを槍で粉砕する。

 

「違わないよ。あの時、詩織が私の心に触れたように、私も詩織の心に触れた。ようやく君の本当の気持ちを知れた」

 

「黙れ黙れ黙れェェッ! 邪魔するなら殺すッ!」

 

「ならッ! どうしてそんなに哀しそうな顔をしているのッ!」

 

「なっ――」

 

「詩織、私は詩織のこと、好きだよ。詩織は、私のこと嫌い?」

 

 天音の問いかけに、竜の動きが完全に止まった。詩織は沈黙していた。彼女から段々と殺気が削ぎ落とされていく。

 

「……すき。私も、天音の事が好き」

 

 天音はニカッ、と太陽のように眩しい笑顔を見せる。それは、余りにも眩しすぎた。彼女はまるで太陽のように、詩織の暗澹(あんたん)たる心を照らしていた。深い深い沼のような闇に飲まれていた、本当の詩織を、彼女は探し当てて手を差し伸べてくれていた。

 

「辛いんでしょう? 苦しいんでしょう? なら、頼ってよ。私を。誰かを。詩織の事を思ってる人の事を信じてよ。ひとりぼっちだなんて言わないでよッ!」

 

「――ちがァうッ! 私は天音みたいになれないッ! なれやしないッ! 私はこんなに卑怯で、最低な人間なのッ! だからひとりぼっちなのッ! 今までも、これからだってッ!」

 

「私だってそうさッ! 私は、私の事が大嫌い。でも、こんな私でもいいって言ってくれた人が居るんだ。だからさ、詩織も信じてみてよ。私を。誰かをッ!」

 

「――無理だよッッ! 私ね、怖いんだ。天音にすら本当の私を知られるのが怖かったんだ。だからずっと嘘を嘘で塗り固めてきたんだ。そんな私が、誰かを信じるなんて」

 

 出来ない。出来るはずが無い。卑怯で、臆病で、いつだって誰かに失望される事を恐れて逃げ続けてきた詩織に、誰かを信じることなど。信じられたなら、こうして最低の方法で天音の心を自分のモノにしようなどと思うはずもないのだから。この醜い黙示録の獣は、詩織の心の体現であった。詩織の心の壁そのものだった。

 

「出来るッ!」

 

 そんな彼女の心の壁を打ち砕くように、固く閉ざされた肉の壁を天音の槍が一撃で穿った。ボロボロと砕けた肉壁から、僅かな光が差し込んでくる。

 

「……天音」

 

「約束、果たしに来たよ。覚えてる? あの公園で、私が君にした約束」

 

 公園。かつて詩織と天音が友達になった、二人の始まりの場所。

 

 ――私、決めた。私ヒーローになるッ! 詩織を守ってあげられるような強いヒーローに。

 ――ふふ、なにそれ。私、神代さんに守られるほど弱くないんだけど。

 ――じゃあさ、詩織がほんとに辛い時に君の助けになれるような、そんなヒーローになるからさッ! だから、その時は私を頼ってね? 助けてって言ってくれれば、いつだって駆けつけるのがヒーローなんだからッ!

 

「……ヒーロー」

 

「やっぱり、覚えててくれた。そう、ヒーロー。正義の味方。詩織の味方。約束したでしょ? 私は君を見捨てない。ひとりぼっちになんてさせない」

 

「私は……」

 

「ほら、頼ってよ。詩織の本当、私が受け止めてあげるから。少しは、弱い所を見せてもいいんだよ」

 

「……けて。――――助けてッ! 天音ッ!」

 

「もちろん」

 

【 GLORIA 】

 

 詩織を取り込んでいた悍ましい闇を振り払うように、光が全てを薙ぎ払う。詩織が纏っていた、否、取り込まれていた憎悪の塊のような肉塊ごと、全てが崩れ去っていく。黙示録の竜は、詩織を失ってその体を崩壊させていく。

 そして、詩織は空へと投げ出された。

 

「ほらッ! 言えたでしょ! 誰かを、信じられた」

 

「――うんッ!」

 

 差し出された手に、恐る恐るだが、詩織も手を伸ばしていた。伸ばすことが出来ていた。彼女の手を、掴むことが出来ていた。

 

「こんなに――簡単だったんだね」

 

「そうだよ。みんながこうして、ほんの少しの勇気があれば手を取り合える」

 

「……なのにッ――私はッ! こんな事すら分からずに取り返しが付かない事をッ! ごめんなさいッ! ごめんなさいッ――! 私はッ!」

 

 泣きながら顔を隠し、懺悔する詩織の手を天音はそっと取ると、詩織へと笑い掛けた。愚かなかつての自分が、取り返しの付かない罪を犯してしまったというのに、彼女は詩織に笑顔を向けていたのである。まるで、心配するなと励ましているかのように。

 

「――詩織は悪くないよ。詩織の罪は私の罪。私は詩織の味方(ヒーロー)だから。そう、決めたから。だから、私が全部背負ってでも、君の全てを守ってみせる」

 

 彼女は、そう言って詩織から喇叭を取り上げた。愛おしいものを見るようなその瞳が、なぜだかその奥に哀しさを孕んでいるように見えた。まるで、別れの挨拶のような。

 だからだろうか。詩織は天音から喇叭を取り返そうと手を伸ばしていた。

 

「ダメッ! 天音ッ!」

 

 喇叭が――鳴った。

 

 それはまるで、別れの歌だった。そう、詩織の罪を塗りつぶすように、エルサレムは賛美歌を響かせていた。

 光の奔流が、全てを飲み込んでいく。まるで今までの出来事全てが、胡蝶の夢だったかのように、現実であったものは全て泡沫になって弾けていった。

 

 ――ハレルヤ。

 

 それは、全ての罪の許し。

 聖なる都エルサレム。魂達を救い、新しい世界へと誘うもの。

 

 ――ハレルヤ。

 

 エルサレムは、人々を祝福する。賛美歌が聞こえる。それは、彼女の歌声のようで。

 

 ――ハレルヤ。

 やがて、私の意識は溶けていった。この私の罪を世界ごと掻き消すかのように。

 

 

 

EPISODE13 始まりの(バベル )とは、それはただの風だった

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。