立花響に救われた少女がヒーローを目指すお話 作:月夜 のかに
「私は
――たとえそれが、この世界に対する裏切りだとしても。
私は彼女から喇叭を取り上げると、その唄口へと唇を当てた。
私の、貫くべき「正義」。受け売りではなく、私が自分で選びとったもの。私の譲れないもの。
目の前の聡い彼女は、私の真意を悟ったのか、私を引き留めようと手を伸ばした。とても哀しそうな顔をして。しかし、私の決意は変わらない。残酷なこの世界は、君の罪を
私が赦そう。私が背負おう。君が背負うはずだったその罪すらも呑み込んで、私が君の魂をこの世界から救い出そう。
手を伸ばし、泣きそうな顔で私の名前を呼ぶ彼女の頭を撫でる。そんな哀しそうな顔をしないで欲しい。どうか、泣かないで。これは、別に永遠の別れなんかじゃないのだから。ただ、長い悪夢から目覚めるだけ。この世界の出来事なんて悪い夢だと思って、君は来るかもしれなかった明日を生きていくんだ。
だから、さようなら。私の大切な人。
哀しまないで。きっと大丈夫。私の出会いも、思い出も、全部消えてなくなってしまうけれども、それでも私達はきっと巡り会う。
それがどんな場所、どんな出会いだとしても。きっと私はまた、君を好きになる。
だから、おやすみ。私の大切な人。
――喇叭が、鳴る。
ほら、賛美歌が聞こえてくる。これはきっと、私達を祝福する歌。
――ハレルヤ。
私は歌う。彼女の罪を許し給えと。
――ハレルヤ。
ああどうか、次の世界。願わくば彼女に幸あれと。
◇
誰かの名前を、口にする。夢の中で、私へと優しく微笑んだ
そうして、私はアラームに叩き起された。もう四度もスヌーズ機能でなり続けていたらしい。
――ふと、頬に違和感を感じてそっと手で触れると、指が濡れて、私は泣いていた事に気付く。何故だか、私は涙を流していた。私は、どうして泣いているのだろう。分からない。ただ、誰かの名前を呼ぼうとしていた気がする。誰の名前かは、分からないのだけれど。
それは、普段ならもう学校に着いていてもおかしくない時間であった。完璧主義者のきらいがある詩織にとっては有り得ない不始末。寝坊など気が弛みきっているのだと一蹴するような事である。
しかし、今の詩織の心は穏やかであった。何か、今まで自分に纏わり憑いていた憑き物が取れたかのように、心が軽くなったかのような感覚。朝の気持ちのいい日差しにあくびをすると、のそのそとベッドから身体を引き摺るようにして両足を床へと投げ出した。
「おはよう、詩織。あなたがお寝坊さんなんて珍しい事も有るもんね」
机に並べられた三人分のディッシュの上に乗せられた一枚のエッグトースト。食べていないのはどうやら詩織だけらしい。ゆっくりと制服に着替えながらリビングに入ってきた詩織へと、母がくすくすと笑っている。
「笑うくらいなら起こしてくれてもいいのに!」
「目覚ましが鳴っても起きてこないから、むしろいつまで寝てるか気になってつい、ね」
「そんな事で大事な娘が遅刻しちゃうの見過ごすわけっ?!」
「いいじゃない。どうせ無遅刻無欠席が一遅刻無欠席になるだけなんだから」
「私からすると大事な事なの!」
エッグトーストを徐に掴むとそのまま口に運び、制服のボタンを留めながら慌てて家の扉を開いた。
遅刻するかしないかでいえばギリギリの時間であった。今まで常に一番早くに学校に着いて自主勉強に励んでいた詩織と比べれると全くの体たらく。このうえ遅刻まで付けるわけにはいかない訳で、本来なら全速力で学校へ向かうべきなのだが、今日の詩織はやはりどこかいつもと違っていた。
こんな穏やかな日があってもいい。清々しい朝の日差しに当てられて、小鳥のさえずりを聴く。優等生で完璧主義者の符坂詩織を、この一瞬くらい辞めても構わないだろう。むしろ、心の底ではこう在りたいと願っていたのかもしれない。
確か、彼女もこんなのんびりとした性格の少女だった気がする。自分とは正反対で、そんな姿を隣で見続けては、どこか羨ましいと思っていたような。ぼんやりと、顔も思い出せない夢の中の彼女の幻を、詩織は隣に思い起こしていた。
「しぃーおり?」
「――ぴゃっ」
「うぉっ、思った以上に可愛い声」
後ろから詩織の脇腹へと指が突き刺さり、詩織は驚きのあまりなんとも可愛らしい声を上げてしまっていた。少し苛立ちを孕んだ視線を後ろへと向ければ、指を恐る恐る下ろす歌恋の姿があった。
「うわ、てかホントに詩織だ……こんな時間に? 遅刻するよ?」
「そっくりそのままお返ししようか?」
よく見れば、歌恋の他にもう二人。詩織自身とあまり接点がなかった転入生の二人組。確か音無凪咲さんと、メロディアなんとかさん。そういえば、歌恋と彼女達は割と頻繁に一緒に居るのを見かける事が多い。願わくば、彼女達が歌恋の妄想癖の餌食にならないといいのだけれど。
しかしながら、歌恋は重度の妄想癖患者だが、その反面そのコミュニケーション力の高さから交友関係も広かった。誰彼構わず話し掛ける彼女の性質によるものなのだが、事実誰とも深い友人関係に発展することがなく、むしろ一定の距離を置かれがちな詩織には珍しい、仲がいいと言える友人である事は間違いなかった。
「別に、私だって遅刻くらいするよ」
そう返した詩織へと、彼女はまるで奇妙な物を目にしたようにその瞳を見開かせていた。
「えっ、な、なに……?」
「あっ、いや、ごめんね? なんか詩織、雰囲気変わった? いや、遅刻が珍しいとかそう言うんじゃ無くて」
「優等生なんかじゃ全然なくて、こんな遅刻するようないい加減なのが、ホントの私かもよ?」
「アハハ、何それ。それ、普段の詩織が言ってたら笑って否定してたわ」
「今も笑ってるじゃん」
「ハハ、そうだね。でもまぁ、確かに今日の詩織は詩織らしくないけど、私は今の詩織の方が好きかな」
今まで何年も時間を掛けて積層していった、周囲の人間と詩織自身によって塗り固められた符坂詩織という人物像ではなく、私がなりたかった私。自分の心の思うままに生きる自分。それを生まれて初めてさらけ出してみれば、ああ、なんてことは無い。他人の下馬評のなんと無意味な事か。
「はは、ありがと。いい友達持てて幸せだなぁ」
するとまた彼女がぽかんと口を開けるものだから、詩織は困ってしまった。そんなに変な事を口走っただろうか。
「友達、そっか、友達か。詩織が私の事友達って!」
「ああ、そういえば、私、歌恋の事友達だって自分から言ったこと無かったっけ」
「ナイナイ。どころか詩織だもん、私はこうして話しかけてるけど、内心鬱陶しがられてるのかと疑うくらいだったよ正直」
「そっか」
「じゃあ改めて、友達としてヨロシク」
「うん、よろしく?」
そんな不思議なやり取りをしたりして、詩織は普段ならば一人きりで行く通学路を、賑やかに談笑しながら歩いていた。これもまた、詩織にとっては初めての経験。談笑と言っても、基本的に喋っているのは歌恋ただ一人なのだけれど。詩織は、ただ歌恋の無限に湧いてでる話題に相槌を打ち、その数歩後ろを転入生二人組が静かに歩いていた。
「世界五分前仮説って知ってる? 世界が五分前に今この状態で作られたかもしれないってのを否定できないってやつ! これ見た瞬間はもう妄想癖が暴走しちゃったよ。一日中考えてたし」
「はえー」
「興味無さそうな返事過ぎでしょー。というか普段の詩織ならもっと相槌上手いじゃんー」
「自分にしょーじきに生きることにしたもんだからさ」
「ぐ、ぐぬぬぬ」
「というかそういう無駄知識どっから引っ張ってくるの」
「そりゃあもう太古のインターネットの深淵よ! おじいさん世代の古代の文化! オカルト板ってやつ! 凄いんだよこれが」
「ふーん、あ、長いならパスで」
「うわーん!」
そうして、彼女の興味のない話を傍目にぼんやりと歩いていると、それが目に入ってしまった。道路に飛び出す、恐らく近くの小学生と、その子に迫る車を。
普段の詩織ならどうしただろうか。恐らく、何もしない。詩織にできることなど、この時点で存在しない。もしかすると、車は子供の目前で止まるかもしれない。面倒事に首を突っ込む事などしないだろう。
だが、ああ、この瞬間は、考えるよりも身体が動くのが早かった。自分も飛び出して、その子を突き飛ばしていたのだから。
そして確信する。これは、死んだ。
歌恋は詩織が変わったと言ったが、確かに、今までの詩織ならばこんな行動絶対に取ったりしないと断言出来る。よりにもよって、理解できない、有り得ない、馬鹿だとさえ思っていた、誰かの為の自己犠牲を今まさに自分が行っているのだから。
そういえば、彼女もそうだったなぁ、などとまた存在もしない彼女のことを思い馳せていた。誰かの為なら自分を顧みない、ヒーローというものに心から憧れていた彼女。
「馬鹿だなぁ、私」
――本当に、馬鹿になった。そんな彼女に憧れていた私は、きっと大馬鹿者の予備軍だったに違いない。
「そんな事ないよ。カッコイイじゃん」
誰かが詩織の手を引いた。目の前で車がクラクションを鳴らして通り過ぎ、詩織は後ろを振り返る。
「あっ、ありがと……」
「どういたしましてッ!」
彼女はその太陽のような笑顔を詩織へと向けていた。何故だろう、胸が高鳴っていた。未だに先程の緊張が収まっていないのだろうか。彼女は、詩織と同じリディアンの制服を着ている。見たことの無い顔だから、上級生だろうか。
「助けてくれてありがとうございます」
「私なんて大したことしてないよ。それよりさっきの、かっこよかったよ」
面と向かって格好良いと言われて、顔が火照るような感覚を覚える。褒められた事なんて呆れるほどあるというのに、今までのどんな事よりもそれが嬉しく感じられた。
「あの、名前、なんて言うんですか」
「神代天音、一年だから敬語外してくれて大丈夫。多分一年生、だよね?」
「……符坂詩織」
「じゃあ、詩織、また学校で! 多分同じクラスなんじゃないかな! 私のカンよく当たるからッ!」
そう言って、まるで風のように彼女は行ってしまった。もう遠く小さくなってしまった彼女を、じっと見つめる。
天音。アマネ。小さく口ずさんだ彼女の名前が、何故だかよく言い馴染んだ音のような、そんな感覚が残る。ああ、きっとこれは運命の巡り合わせなのだろう。
でなければ、この胸の高鳴りを他になんと説明すればいいのか。
「天音ええええええええッ!」
小さくなってしまった彼女へと、全身全霊の声を張り上げて叫ぶ。彼女は気付いたのかこちらの方へと振り返った。
自分の心を包み隠さず、さらけ出す。勇気を出して彼女へと気持ちを言葉にして伝えて、そうすると私のヒーローは少し驚いたような表情を浮かべた後、優しく微笑んだ。
――風が、吹いた。清々しい、彼女のような風。
遠ざかっていく彼女の背中を見つめて、私は思い出した。
ああ、そうだ。私はずっと、夢の中で彼女の姿を追いかけていたんだ。夢の中のヒーロー。初恋の人。私の、憧れの人。闇の中に輝く、たったひとつの
「私も、なれるかな」
――いや、きっとなれる。夢の中で、彼女が教えてくれたのだから。自分を変えるのに必要なのは、ほんの小さな勇気だけなのだと。
勇気を出して踏み出した先には、きっとカミサマも知らない眩い世界が広がっている。
これは、私しか知らない、夢の中で出会った少女の物語。
私が憧れた、
戦姫絶唱シンフォギアWiND [完]
拝啓、戦姫絶唱シンフォギアWiND、完結までに三年余り、読み続けていただいた皆様、本当にありがとうございました。これにて完結です。
正直、心が折れそうだった事も何度かありましたが、皆様の感想のおかげで無事完結することが出来ました。評価や感想の方もお待ちしております。
改めて、ありがとうございました。敬具。