立花響に救われた少女がヒーローを目指すお話   作:月夜 のかに

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EPISODE8 VIDE

 

「でも――ワタシは大嫌いなんだよね」

 

 何故。どうして伝わらないのだろうか。

 否、心が通じ合えば分かり合えるなど、それは所詮身勝手な望みに過ぎない。受け入れてほしいと望んだ詩織自身が生み出した希望でしかないのだ。

 手を伸ばしても届かない。彼女の隣に立つことが叶わない。言うなればこれこそが〝本来あるべき形〟なのだ。夢が覚め、現実へと引き戻された後に残ったのは罪と罰。

 犯してきた裏切りは白日の下に晒され、そんな醜い姿に向けられる軽蔑の視線は、符坂詩織の心を絶望で満たすのに十分であった。

 

「あまね……私は……」

 

 ――ただ私を見て欲しかった。

唯それだけだった幼い少女の純粋な願いが生み出した(ひず)みは、今正に目の前に形を成して存在していた。

 見て欲しい。振り向いて欲しいと望んでいた筈なのに、本当の自分を見て欲しくないという矛盾。こんな事間違っていると分かっていながら、それでも彼女に嫌われまいと取り繕ってきた。

 しかしそれももう終わりである。符坂詩織の唯一の望みは、拒絶という最悪の形で潰えたのだった。

 

 

「出歯亀なんて、趣味が悪いんじゃ無いかなあ」

 

 風音はその眼下で気を失っている詩織を抱えた凪咲に言葉を投げかけた。

 

「殺人未遂犯にだけは言われたくありません。神代さんを犯罪者にするつもりですかアナタは」

「事故だと言えばみんな信じるだろうさ」

「何でそんなことを……」

「何でだって? それは天音が符坂詩織を心の底では恨んでいたからさ」

「は……? そんな訳……」

 

 風音の言葉に凪咲は面を食らう。

 先程、神代風音が符坂詩織へと発した言葉は、凪咲が知る天音なら間違いなく口にしない言葉だった。

少なくともそのような感情を彼女が抱いていたとは到底思えなかったのである。

 天音は、詩織のように他者にどう映るかを意識して、相手によって立ち居振る舞いを変えるような少女ではなかった。

 むしろ、真っ白過ぎるほどに純真無垢と言っていいような少女であった筈だ。少なくとも、凪咲の目にはそう映っていた。

 天音がどれ程詩織を気に掛け、大切に思っていたかを、凪咲は痛いほどに知っている。

 

「神代さんが符坂さんを嫌う筈が……」

「そう。だから天音は見て見ぬふりをした。自分の記憶に蓋をしたんだ。詩織の親友でいるために」

 

 風音は静まり返った階段をコツコツと靴音を立てて降る。

そして、彼女は凪咲の眼前に立つと、心底冷めきった目で凪咲を見下ろした。

 

「私が銃弾を受けた後、アナタの事励ましたの覚えてる?」

「当然です」

 

 忘れるわけがない。

あの日、凪咲を救ったのは紛れもなく天音の肯定であった。凪咲が銃を再び握れたのは、あの言葉があったからである。

 ――大丈夫。凪咲ちゃんは誰かを傷つけたりなんてしない。私が保証する。

 そう言って、震えていた手を彼女が握ってくれたからこそ、今の音無凪咲がいるのだから。

 

「おかしいでしょ、普通に考えてさ。自分の事は放っておいて出会って間もない、しかも自分を危うく殺しかけたような子の心配なんて」

「それは……神代さんは優しいから……」

「天音のアレは優しさじゃないよ。あの子はいつだって誰かの為に自分を押し殺してきたんだ。――なのにそんな事知りもしないで、どいつもこいつも〝優しい〟だけで片付けるッ!」

 

 風音は声を荒らげる。それは冷たい氷のような雰囲気を纏っていた風音が、凪咲に初めて見せた怒りの表情であった。

 

「天音の表向きの優しさに付け込んで、あの子を傷つけないで」

 

 そう言って風音はスカートを翻すと、返す言葉を失っている凪咲の前から姿を消した。

 天音を傷つけていたのは凪咲自身であるという風音の言葉。教室で聞いた時にはハッキリと理解出来ていなかったが、今しがたの言葉に凪咲は思い知らされた。

 ――いつから勘違いをしていたのだろう。

少なくとも出会って間も無い頃はこんな愚かな勘違いなどしていなかった筈なのだ。

 彼女は凪咲のように修羅の道を自ら選んだ訳ではない。彼女は偶然ヒーローに憧れただけの、普通の女の子だ。

 しかし、気がつけば天音は凪咲の理解者になっていた。価値観を共有し、同じ世界を生きているように()()()()()()

 そんな事、有り得る筈が無いのに。

 だって、彼女は〝こちら側〟の人間では無いのだから。

ましてや命のやり取りなんて、彼女が望んでいたモノであるはずも無かった。

 

「最低だ……私」

 

 とんだ思い違いをしていたのだ。いつだって自分がどれ程愚かな人間なのか、全てが過ぎ去ってから気付く。

 

「これじゃあ……ただ友達を地獄に巻き込んだだけじゃないですか」

 

 刀傷沙汰の阿修羅道のような世界。本来〝こちら側〟ではない人間が立つべきではない場所。それが戦場というものである。

 彼女は自分の意思で、覚悟を持ってここに居ると口にした。しかし、それが彼女の本心でないのだとすれば、神代風音の言う通り凪咲が天音を殺したと言っても過言では無いのではないか。

 凪咲は虚ろな目で天を仰ぎ、そして腕の中で意識を失っている詩織へと視線を下ろした。

 

 

「ここは……私、どうして」

 

 詩織が目を覚ました時、やけに低い天井が目に映った。

どうやらここは階段の踊り場では無いらしい。

そして徐々に頭が働き出すと、自分がいる場所が保健室のベッドの上だと気付く。

 詩織が視線を横に移すと、ベッドの傍らに凪咲の姿があった。

 

「音無さん……泣いてる?」

 

 詩織が目にしたのは、虚空を見つめながらぽろぽろと涙を流す凪咲であった。彼女は詩織が目を覚ましたのに気付いていない様子で、それどころか自分が涙を流している自覚が無いような、魂の抜けた表情をしていた。

 少し間を置いて凪咲は詩織の視線に気付いたのか、ちらりと視線を詩織の方に向けるとようやく詩織が目覚めている事に気付いたようである。

 

「ふっ、符坂さん! 目が覚めたなら覚めたと言ってくださいよ」

 

 凪咲は指で慌てて目元を拭うと、照れ隠しの文句を口にする。

 

「あんたが運んでくれたワケ?」

「ええ、まあ」

「じゃあ聴いてたんだ? あの会話」

 

 一瞬、二人の間を気まずい静寂が流れる。

 

「軽蔑したでしょ。友達面しといて私、天音に酷いことしてたの」

 

 詩織は一呼吸置いて、自分の口からこぼれた言葉に動揺していた。

一体何を口走っているのだろう。こんな事を言っても凪咲を困惑させるだけだろうに。

 実際、目の前の凪咲は困惑の表情を浮かべていた。詩織自身こんな言葉を投げかけられたら返す言葉が思いつかない。

 

「ごめん。こんなこと言われても困るよね」

 

 詩織の想像していた通りお互いの間にその後に続く言葉は無く、場の空気が重い。

 しかし、詩織が凪咲の方へと目を向けると彼女は何かを言いたげな様子だった。視線を鋭くして何か言おうと決意したような表情をしたかと思えば、口にする直前に視線を下に逸らす。

 

「何か言いたい事あるなら言えば?」

 

 詩織は痺れを切らして凪咲に問い詰めた。凪咲も詩織から逸らしていた視線を真っ直ぐに据えて踏ん切りが付いたようである。

 

「符坂さん。落ち着いて聞いてください」

「えらく勿体ぶって。今更何言われても驚かないって」

「神代さんは俗に言う二重人格です。この事、符坂さんご存知でしたか?」

「そんなの知るわけ――」

 

 詩織は否定しようとした時、頭の中に先日天音の部屋で見た古い日記の事を思い出した。天音と日記でやり取りをしていた誰か。

それが、天音の中の別人格だとすれば合点がいく。

 詩織の様子から何か思い当たる節があるというのを読み取った凪咲だったが、これ以上の詮索をしようとは思わなかった。

 詩織が口にしないという事は、口にしたくない何かがあるからである。何より腹を割って話をしている彼女が隠している事を無理やり掘り出すのは野暮というものだ。

 

「あの子は自分を風音と名乗っていました」

「さっき泣いてたのは、その風音とかいう子に何か言われでもした?」

 

 詩織は茶化すような言い草で、凪咲へと話題を逸らした。

 

「なっ……だから泣いてなんて」

「しっかり見てたんだから。ぼろぼろ泣いてたよ。ほら、目元赤くなっちゃってる」

 

 そう言って詩織が指差してみせた。凪咲の目元には涙を拭った跡がしっかりと残っていた。

 

「……私はまた間違えてしまったみたいです。あの時、病院であれ程後悔したのに私はまた同じ過ちを繰り返してしまいました」

 

 凪咲は一瞬言葉を詰まらせ、その続きを口にした。

 

「こうなってしまったのも全部私の所為なんです。私のせいで神代さんの心が壊れてしまったと、そう彼女から言われました」

 

 その言葉を聞いた詩織は唖然とする。頭の中が真っ白になった。

 

「は……? 何言って……変な冗談やめてよ」

 

 詩織はそう口にしながらも、それが冗談ではないという事は分かっていた。こんな話、冗談などで出来る筈もなかった。

 ――凪咲が天音の心を壊した。

凪咲が語ったその言葉は、今の詩織を絶望させるのに十分であった。

 最も恐れていた事が起こってしまった。

 神代天音の喪失は、詩織にとって人生の意味の喪失と同義だったからである。

 

「なんでこうなるかな……」

 

 詩織は立ち上がると凪咲の胸倉を掴んだ。持ち上げた腕によって襟が凪咲の首をきりりと締め付け、彼女は苦しそうに喘ぎ声を漏らす。この構図は、かつての病院での凪咲とのやり取りを詩織に想起させた。しかし、あの日と決定的に違うのは、今詩織には彼女を到底許す事が出来そうに無いという事である。

 

「私はさぁ……ただ天音と一緒に居られればそれで良かったのに。……どうしてこうなっちゃうかな」

「ッ符坂……さん」

「あの時も、あの時も、それに今も。いつも何時も、いつも、シンフォギアが私から天音を奪っていくッ! なんで? どうして?」

 

 シンフォギア装者との出会いから始まった天音の『縁』とも言うべき偶然の積層。

 彼女がそういったものに触れる度、天音は詩織の知らなかった顔を見せる。そうして変わっていく彼女を見る度に、詩織は不安に駆られた。

それは、いつか彼女の中から符坂詩織という存在がどんどん小さくなって、いつしか自分の事など見えなくなってしまうのではないかという不安である。

 いつの日も、天音の中から詩織の存在を侵していくのは『シンフォギアによって繋がった縁』であった。

 

「……お前らさえいなければ」

 

 詩織は凪咲をベッドへと押し倒し、襟を掴んでいた手はいつの間にか首を締め上げていた。凪咲は苦しみながら詩織の手首を掴み腕を引き剥がそうと藻掻く。

その目を真っ赤に充血させ、詩織の腕へと爪を突き立てた。

 

「……ッ……やめ……」

 

 その時だった。

 

「何してるの……」

 

 我を忘れていた詩織は、扉を開けてこちらを見ていた()()に全く気が付いていなかった。

彼女が発したその言葉を聞いて詩織は我に返り、声の方へのゆっくりと振り返る。

 詩織の手に入っていた力が抜けて、凪咲は噎せ返して咳き込みながら浅速呼吸を繰り返していた。

 

「あまね……これは……」

「――今度は凪咲ちゃんを虐めるの?」

 

 風音は天音の口調で詩織へと語り掛ける。

 

「違っ……私は」

「何がどう違うの?」

「……やめて……あなたは天音じゃない。私の天音はそんな事言わないッ!」

 

 詩織は目を瞑り、耳を塞いで叫んだ。しかし風音は詩織の方へと歩み寄り、尚も詩織へと言葉を掛ける。

 

「そうだね。アナタの天音(お人形さん)はそんな事言わないかもね。でも、そんなの初めから何処にもいないんだよ」

「やめて……やめてよッ」

「詩織はいつだって独りぼっちだ」

 

 その言葉は詩織にとって劇薬のようなもので、今までに過ごしてきた日々全ての否定にも等しい。

 詩織は風音の体を押し退け、己の中に有るやるせなさに似た感情を振り払おうとするかのように、叫び声を上げて逃げ出した。

 

 学校を飛び出して三十分程してからの事だ。

 詩織は行く宛も無くただ彷徨っていた。

 思えばこれが生まれて初めての〝サボり〟である。皆が持つ、優等生で非の打ち所のない、符坂詩織という人物像を壊さないように過ごしてきた故の無遅刻無欠席。しかし、もうそんな事は彼女の中ではどうでもいい事であった。

 平日の昼間の細い路地、辺りには誰もいない。

時折通り過ぎる通行人の視線を感じた。女子高生がこんな時間に、制服姿で辺りをふらついているのは、明らかに異常な光景であるから当然の反応である。

 詩織はふと、目に付いた光景に足を止めた。

 

「……懐かしい」

 

 懐かしい、と呟いたのは、ここが久しく通っていなかった小学校の通学路であったからだった。

 それはかつて天音と遊んだ公園。天音と詩織、二人だけの秘密の場所。――そしてそこは二人の心が永遠に交わらなくなった場所である。

 あの時、少しの勇気があれば何かが変わっていたのだろうか。

 詩織は夢想する。初めてこの公園で天音と言葉を交わした日。

『詩織ちゃんだから、いいんだよ』という言葉は、彼女にとって救いであった。何せ生まれて初めて人から必要とされたのだから。

 あの日、初めて天音の心に触れられた気がしたあの瞬間に、全てを打ち明けられれば、もしかすると彼女と本当の意味で親友になれたのかもしれない。

 そんな、もしも、を詩織は一蹴する。そのような未来は存在しないのだから。符坂詩織という人間は、弱く、人を信じる事が出来なかった臆病者である。

 あの瞬間、天音は確かに心を開いたのに、詩織はそれに応える勇気が無かった。

 

「……なに都合が良い妄想してるのよ、私」

 

 結局、最後まで『天音という人間』と向き合えなかった癖して、それを何かの所為(せい)にしている。天音と対等で、健全な交友関係を築いている凪咲に、嫉妬している事に気づいてしまった。

 天音の中で一番の親友。

それはいつだって揺らいでいなかった筈だったのに、気づけば凪咲の事を「羨ましい」と思っていた。

 哀れみでも、同情でも、ましてや、そのように扇動された感情でも無い、純粋な好意。彼女が詩織に向ける好意と、それは全く同質である筈なのに、詩織からしてみれば彼女が凪咲に向けるそれは『本物』であるように感じられた。

 

「私の天音(お人形さん)か……。言い得て妙じゃん」

 

 いつだって独りぼっちで、お人形遊びで寂しさを紛らわせてきたのと何ら変わらない。

 ――その時であった。

 大地が震えるような轟音が鳴り響く。それは世界の終わりのような、気味の悪い、『音楽』というにはあまりにも醜い音の集合体。終末の音(アポカリプティック・サウンド)という言葉は正にあつらえ向きの表現である。

 地獄から亡者が這い出でるように、人の形をした異形の怪物が湧いて出る光景は、正に『終末』そのものであった。

 化け物は路地で逃げ惑う人々へと襲いかかり、襲われた人々は怪物と共に塵へと還っていく。

 

「助けてッ!」

「嫌だ! 死にたくない!」

 

 あちらこちらから上がる悲鳴。数秒前まで道路を歩いていた人々は、皆同じようにここから一番近くにある特異災害の指定避難所である、小学校の敷地に作られたシェルターの方へと一目散に走っていた。

運転手が炭素の塵になった事でコントロールを失った車が、歩道に乗り上げクラッシュ音を上げる。

 そんな惨状を、詩織はただ眺めていた。

 一歩も動かず、まるで違う世界の出来事を見ているかのように、それを見据えていた。

 

「ちょっ……! キミ、そんな所で何してるんだッ!」

 

 一人のお節介な男が詩織に気づき、詩織の元へと走って来た。こんな状況で人様の心配だなんて、バカが付くほどのお人好しである。それこそ、天音に匹敵する馬鹿だ。

 

「向こうにシェルターがある! ほら、早く逃げな――」

 

 彼はその言葉を言い切る間もなく、背後から迫るノイズの体表に触れ、呆気なく無機質な炭素の微塵となって崩れ落ちた。

 目の前で人が死んだ。普通なら動揺して取り乱すのだろうか。それとも、ショックで一歩も動けなくなってしまうのだろうか。

 少なくとも、詩織はそのどちらでも無かった。

 彼女は、かつて人の姿をしていた塵の山を、冷めきった目で見下ろしていた。

 

「……馬鹿なヒト」

 

 詩織は眼前の山を右足で蹴り崩した。

細かい粒子が風に吹かれて、風下へと舞っていく。

 

「なんで誰かの為にそこまで出来るの……? ……どうしてアナタは手を伸ばすの?」

 

 それは今は塵となってしまった男に問うたのではない。ましてや、その男と同じように、そうしてきた天音に問うた訳でも無い。

この問いには、詩織が納得いく答が存在しない事を、詩織自身分かっていたからである。

 

「馬鹿みたいに他人の心配して、結局何も成せずに死んで」

 

 ――なんて()()()()

 

 もしもそれで、苦しむことも悔いることも無く、自分がしたい事をして、その末に無に帰することが出来るなら、詩織にとってそれは救済であるように思えた。

 

『………………』

 

 視線の先にノイズが居た。

否、それは先程からそこに()()()()()

 それは(もく)して、目の前の詩織を襲うこともなく、ただ見つめるようにして彼女の方を向いていた。

 少女とノイズが十メートルそこらの距離に向かい合っている様は、傍から見れば異常な光景に映るだろう。

 

「なんで、私はコレみたいに殺してくれないの」

『………………』

 

 ノイズは当然何も語らない。どころか襲いかかりもしないのである。

それこそ、まるで詩織の事が見えていないとでも言うかのように。

 

「私は生きてすらいない、とでも言いたいの?」

 

 思考することが無い、ただの生物の形を模しただけの災害に、詩織は語りかける。

 

「……殺してよ。いっその事、ここで殺してよ」

『………………』

「殺せ…………殺せえええエエエエエエエエエエエエエエエエッッッ!」

 

 

 ――目が覚めると、そこは自分の家であった。

 朧気な意識が徐々に明瞭になっていき、神代天音はベッドから上体を起こした。

 

「あれ……私……確か凪咲ちゃんの家で」

 

 思い出そうとすると頭に痛みが走る。時計へと目を移すと、針は七時を指していた。窓からは朝日が部屋を照らしている。当然、午前の七時である。

 

「やっとお目覚めかな?」

 

 覗き込むように天音の視界に割り込んできた少女は、王子様のようなキザな台詞を吐いてみせた。

 

「……おはよう。風音」

 

 彼女の名前を口にした時、何故か妙な違和感のようなものを感じた気がした。しかし天音には、それが何の違和感なのか全く見当もつかなかった。

 神代風音は()()()()()()()()()()()()

 昔から風音と呼んできたのだから、違和感など持つはずもないのだ。

 

「その厨二病拗らせた子みたいな喋り方、何とかならないの? というか、いつからそうだっけ」

「はは、いつからだったかなぁ? まぁ、天音がイヤというなら、ワタシは変えることも(やぶさ)かではないのだけれど」

「別に、イヤって訳じゃないけどさ」

「まぁ、ワタシは先に学校行くから、適当にゴハン済ませて、遅刻しないようにね」

 

 風音はそう言い残すと、先に家を出ていってしまった。

 リビングへと移ると、机の上に風音が焼いたと思しき目玉焼きの乗った皿と、茶碗が置かれていた。適当に済ませてと言いながら、律儀に朝食を準備はしていたようである。

 

「まともな朝ご飯食べるの久しぶりな気がする〜♪」

 

 ――久しぶり?

 天音はふと、自分が口にした言葉に疑問を覚える。何故、まともな朝食を取るのが『久しぶり』なのであろうか。風音が朝食を作っていたのは、何も今日が特別そうであった訳でも無いというのに、どうして久しぶりであると感じたのだろうか。

 そんな疑問に頭を傾けていた時、インターホンが鳴った。

というよりも、鳴り始めた。ドアの外でインターホンを連打しているのである。

恐らくそれは天音がまだ寝ていると思い込んでの行動だろう。

 

ふぁ()()ふぁ()()、いま()()()よぉ」

 

 天音は目玉焼きの残りを口の中に突っ込み、ご飯を掻き込むと、玄関の扉を開けた。

 

「って、なんだ……凪咲ちゃんかぁ」

「……私じゃ不満ですか。むしろ、誰だって言うんですか」

「誰って、そりゃあ…………誰だろう?」

「珍しくちゃんと起きてると思ったら、やっぱりまだ寝惚けてるみたいですね?」

「惚けてないよぉ……。五分で支度するからちょーっと待ってて」

「早く済ませてくださいね」

 

 凪咲はムスッとした表情を浮かべてはいるが、どうやら不機嫌という訳では無いようであった。

 

 

「まったく、昨日はびっくりしたんだから! 二人揃って学校お休みだなんて」

 

 一限終わりの休み時間、歌恋は天音の机の前に立つと、笑いながら語り掛けた。

 

「凪咲ちゃんも天音ちゃんのこと追いかけてったっきり戻ってこないし」

「それは、天音さんが具合悪い様子だったので……」

「天音ちゃん、具合もう大丈夫なの? 昨日は酷い顔してたけど」

「あはは、もうダイジョーブだよ。昨日は、凪咲ちゃんが……いっしょに……いてくれた……から」

 

 昨日の出来事が脳内にフラッシュバックする。紡いでいた言葉が途切れ途切れになり、天音は立ちくらみのような感覚を覚えた。

 

「おっと」

 

 凪咲が天音の肩に手を添えて、身体を支える。それと同時に、彼女は天音の耳に口を近付けると、ひっそりと耳打ちをした。

 

「昨日の事はご内密に。天音さんが弱ってるのに付け込んで襲った、なんてバレちゃうと私の立場が無いですから」

「そんな事言うわけ――」

 

 凪咲は天音の唇に人差し指を当て、言葉を遮った。

 顔が熱くなるのを感じる。恐らく二人から見た今の天音の顔は、それはもう真っ赤に紅潮している事だろう。それ程までに、不覚にも天音の心臓は高鳴っていた。

 

()()()()()、放課後にまたお伺いします。今はまだ混乱しているでしょうから」

 

 それだけ告げると、凪咲は机上に纏めていた教科書をトントンと整え、二限の準備を抱えて席を発った。

 

「なになに今の! も、し、か、し、て、昨日、凪咲ちゃんから愛の告白でもされちゃったり!」

 

 歌恋は、いつにも増して目を輝かせていた。普段であれば、妄想癖も大概にしてくれと()()()突っ込んでいる所であるが、今回は明確に違うと断言し難い。

 

「そう……なのかな? そう、なのかも」

「えっ、何その反応。マジ? マジのやつなの?」

「歌恋が振った話題なのに、それは酷くない?」

「だってー、天音ちゃんに限ってそんな事絶対無いと思ってたんだもん。そっか、そっかー、女子高だもんね、女の子にドキドキするのも良くある事だよ。うん」

 

 歌恋は勝手に納得して、腕組みをしながら首を縦に振っている。彼女の中での女子高観は一体どうなっているのだろうか。

 

「良くある……?」

「いや、ココがおかしいんだって! みんな淑女すぎ! 女子高なんて、普通は飢えたメスゴリラの巣窟なんだってば!」

「歌恋は漫画の読みすぎじゃないかなぁ」

 

 実際見てきた訳でも無いのに、驚く程の偏見。なにより、その言い方だと天音もその、飢えたメスゴリラ、という事になる。

 

「にしても、あのお淑やかな天音ちゃんに色恋沙汰とはねぇ。これは読めなかった」

「いっ、色恋……そういうのじゃ無くて!」

「えっ、でも告白されたんでしょ?」

「だから、分からないんだってば。もしそうだとしても女の子同士なんだよ? おかしいよそんなの」

「無自覚女たらしってのは罪だねぇ……」

 

 歌恋はそう言ってため息をつくと、席を発った。

 

 五限の終わりを告げるチャイムが校内に鳴り渡り、約束の放課後が訪れた。

 

「天音ちゃん、帰りに近くのクレープ屋さん寄ろうよ!」

「天音さん! 聞いて聞いて!」

「天音ちゃん――」

 

 授業を終えて、クラスメイト達が天音の机を取り囲んでいる。

 

「いやー、天音ちゃんってやっぱり人気者だねー」

 

 歌恋はその集団の少し外から呟いた。

 

「ワタシとしては、天音を独り占め出来ないのは不本意だけれど」

「ほーんと、同じ顔なのに何でこうも違うかな」

「あの子が人を惹き付けるのは、あの子だけの魅力だからね」

 

 風音がそう返すと、天音が風音に気付いた。

 

「かっざねー!」

 

 友達を振り切って風音へとダイブする。歌恋はその姿を見て呆れた顔をしていた。

 

「シスコンもここまで来ると引く」

「違うよ。風音に抱きしめられると、なんだか落ち着くんだよ」

「それをシスコンと言わずしてなんと言うのか」

 

「天音」

 

 風音は天音を抱いたままの状態で、天音に語り掛けた。

 

「なぁに」

「今、幸せ?」

 

 不意な質問であった。

 その言葉に、天音は少し言葉を詰まらせると、少し間を置いてからゆっくりと答えを口にする。

 

「幸せだよ。でも、なんでかな……こんなにいっぱい友達がいて、一緒にご飯食べて、お喋りして。なのにさ、何か足りないんだ。私は気づいたら、その何かを探してる。――そんなのおかしいよね。私、こんなに幸せの筈なのに」

 

 その『何か』は、心にぽっかり穴が空いたようで、その穴の形は丁度、ヒト一人の形をしているような穴であった。

 その時、天音の右手の指先をクイと引っ張る感覚があった。

 

「天音さん。昨日のお返事を、頂きに来ました」

 

 凪咲と天音は二人、誰もいない教室に立っていた。

 二人きりで話がしたい、という凪咲の気持ちを汲んで、天音が先に風音や友達達に帰るように促したからである。

 尚、想像通りと言うべきか、歌恋は二人の色恋をこの目で焼き付けるまでは帰る訳にはいかぬ、とその場を離れようとしなかったので、凪咲の指示で風音が引き摺って帰ったようであったが。

 

「天音さん。私の事、どう思ってくださっていますか」

 

 凪咲はじりじりと天音へと距離を詰めて問いかける。凪咲への距離が縮まる度に、圧迫感のようなものを感じた。

 

「どうって、そりゃあ好き……だよ」

「でもそれは友達としてですよね」

 

 凪咲との距離はどんどんと縮まり、無意識に後ろへと後退りしていた天音の背に窓が触れる。

 

「私は天音さんの『特別』になりたいんです」

「そんな事言われても困るよ……」

「昨日も話しましたが、私なら天音さんを解放させてあげられます。それこそ、今仰っていた心の隙間を埋めることだって出来るんです」

「凪咲ちゃんは、このモヤモヤの正体が分かるって言うの……?」

「それは天音さんの気の迷いです。私を受け入れてくれれば、そんな物は気にならなくなりますよ。だって、それは天音さんには不必要なモノなんですから」

「私には……不必要」

「そうです。ココには天音さんが望んでいた全てがあります。友達も、普通の日常も、それに大切な家族だって居るんですから」

「そうだよ……そうだよね。こんなに幸せなんだもん。きっとこれは私の気のせい、なんだよね」

「そうですよ。明日になったら全部()()()です」

 

 ――思考が重たい。何も考えられない。

 凪咲は両腕を背中へと回すと、唇を重ねた。それは昨日と同じ事の筈なのに、何故か抵抗する気は起きなかった。むしろ、安心している自分がいる事に、天音自身驚いていた。この感覚が懐かしく感じたのである。

 その感覚は風音に抱きしめられている時の感覚に似ていた。

 

「……いいよ。凪咲ちゃん、私、わたしも凪咲ちゃんのこと……」

 

 ――そうだ。悩むくらいなら受け容れてしまえばいい。全て委ねてしまえばいい。

 

『――神代さん』

 

 誰かの声。

 朦朧とした意識の中、ふと声が聞こえた気がした。

 

『約束だからね』

「――ッ!」

 

 朧げだった天音の意識が、一瞬にして霧が晴れたように冴えわたる。心に空いていた隙間に、その言葉はピタリと嵌った。それは、かつて彼女と交わした言葉。

 天音は突き放すようにして、凪咲の身体を引き剥がした。

 

「……天音さん、どうして」

「私、ココには居られない。あなたは凪咲ちゃんなんかじゃない」

 

 天音がそう言うと、凪咲の姿をしたそれは態度をがらりと変化させた。一息のため息をつき、天音を睨みつけるその表情は、先程までとは別人である。

 

「……出来れば、天音を傷つけたく無かった。でも、もう仕方ないね」

 

 天音の視界に映る世界が、硝子が砕けるようにして音を立てて崩壊する。そうして、何もかもが砕け散った世界には、ただ真っ暗な闇だけが広がっていた。

 

「ここは……」

「あなたの心そのものだよ。天音」

 

 天音の疑問に風音はそう答えた。

 

「心……?」

「そうだよ。天音の心象風景さ。そして、天音はいつもここで泣いていた。今も変わらず、ずっと」

 

 そこは心の底のそこ。神代天音の心の深淵。光も届かない、かつて神代天音が記憶の底に押し込めた場所。

 ――そうだ。私はここを知っている。

 蓋をしていた記憶が濁流のように流れ込む。

 酷いカビと埃の臭い。脳裏に刻みつけられたトラウマの記憶である。そこは狭くて真っ暗な、何も見えない押し入れの中であった。

 母はヒステリーを起こす度に、そこへ天音を閉じ込めていたのだ。

 ()()()()()()()()()から、母は気を狂わせてしまった。

 

「そうだ……私、いつもここで泣いてた」

 

 暗い世界に一人放り出されてしまった少女は、その孤独を紛らわせるかのように、自分の中にもう一人の人格を作り出した。それは、死んでしまった姉の幻影。神代風音の人格そのものである。

 

「それで、いつも風音が一緒に居てくれたんだ」

「そうだよ。何時だってワタシ達は一緒だったじゃないか」

 

 風音はいつも孤独だった天音に寄り添ってくれていた。例えそれが天音の妄想の産物だとしても、天音はそれに縋るしか無かったのである。

 そうして、いつからか、天音は風音になった。風音を演じている時だけは、母は天音に優しくしてくれた。それが天音に向けられた愛情では無かったとしても、そんな事は天音にはどうでもよかったのだ。

 母は風音が死んでしまった事実を受け入れられていない。

 そして、それは天音も同じである。否、天音の中で、風音はまだ生きていた。風音と二人でつけていた一つの日記。風音が死んでからも、その日記は続いていた。

 しかし、ある日を境にその日記は続きが記される事は無くなってしまった。

 

「でも、天音はワタシ達から目を背けた。笑顔の仮面を貼り付けて、あなたは符坂詩織の友達を演じるようになった。ワタシ達を置き去りにして」

「笑顔の仮面……?」

「そうだよ。もう剥がれ切ってしまったね」 

「私は……演じてなんか」

「天音、今、笑える? ホントウのあなたは詩織に、今までと同じように笑顔を向ける事が出来ると、本当に言いきれる?」

 

 ホントウの『私』。それはこの部屋で泣いているか弱いただの少女。ヒーローでも無ければ、詩織の親友『神代天音』でもない。そんな『私』は、『私とワタシ』をこの部屋に置き去りにしてきてしまったのだ。

 あの子の友達になる為に。

 

「そっか……風音は、今までずっと『私』の心配をしてくれてたんだね」

「だからこそ、理解できない。なんで天音は進んで符坂詩織(あの子)の人形であろうとするの? あの子は天音の事を騙してたんだよ?!」

「それは違うよ風音」

 

 声を荒らげて天音に問いかける風音に、天音は静かに答えた。

 

「詩織は私と似てるんだ。一人で泣いていた私と」

 

 いつだっただろうか。詩織と友達になって間もない頃。彼女はあの公園でひとり泣いていた。その姿を見て思ったのだ。

 あの子は私だ。独りぼっちで縋るものがなかった、あの頃の私なんだ、と。

 

「私は、あの子の味方でありたい。風音がそうしてくれたように」

「その為に、また傷付く事になるとしても? それでも自分に嘘をつき続けると?」

 

 天音は首を横に振る。

 

「もう私は自分の心に嘘はつかないよ。弱い自分も、この部屋に置き去りなんてしない。それに、私、気付けたから」

「何が! 一体何に気付いたっていうのさ!」

 

「私、もう独りじゃないんだって」

 

 闇が晴れていく。

暗く、狭い、おおよそ一畳ほどの広さしか無かった天音の世界には、それまで壁で隔絶されていた世界の外側が広がっていた。

 青空が広がり、清々しい風が吹き渡る青々とした草原である。

 先程まで泣いていた少女に、手を差し伸べる少女が一人。彼女が手を引いたその先には、凪咲や、友達、そしてS.O.N.G.の仲間達が手を振っていた。

 少女の瞳にはもう、先程までの恐怖も、涙も浮かんでいない。

 

「私、ヒーローになりたかった。でもそれは、悪いヤツを倒したかった訳じゃない。ただ、泣いてるあの子に手を差し伸べたかったんだ。あの人みたいに」

 

 天音は幼い『私』の姿を見届けながら、風音の方へと振り向き、言葉を投げかけた。

 

風音(ワタシ)も、そうだったんじゃないの?」

 

 風音は困惑の表情を浮かべる。

 

「ワタシが……?」

「だって、風音が私と一緒にいてくれた時、あの人と同じ事言ってくれたじゃない」

「「もう、大丈夫」」

 

 二人はその言葉を口にすると、ふふと笑った。風音は先程までとは変わって、穏やかな口調で天音に問う。

 

「もう一人じゃないんだね。私は」

「うん」

「ワタシが居なくても、平気なんだね」

「うん。泣きそうな時には、寄り添ってくれる友達が居るよ」

 

 風音は天音の言葉を聞いて、空を見上げた。

 

「……そっか」

「ありがとう、風音。私、もう大丈夫だから」

 

 風音は天音の背中をぽんと軽く押す。気付けば、天音の手にはいつの間にかブリューナクのペンダントが握られていた。

 

「歌って。誰かからの借り物の歌じゃない、天音だけの歌を。ワタシに聞かせて」

 

 天音は振り返らなかった。目から零れた涙を拭う。それは、かつての恐怖や不安から零れた涙では無い。

この涙は、背中を押してくれたヒトへの感謝の涙。

そして決別の涙である。

 

feerale en feel(フィーレイル エン フィール)……ブリューナク、トロオオオオオオオオオン!」

 

 ブリューナクのシンフォギアは、天音の変化した心象風景に呼応するかのようにその姿を変える。かつて憧れた、あの戦場の歌姫の姿を写すように、マフラーが(なび)く。

 天音の髪を風が軽く撫でた。それは、彼女が背中を押しているかのような、そんな優しい風であった。

 

 

 天音が再び意識を浮上させた時、そこは戦場であった。いや、これから戦場になる場所という方が正しいかもしれない。

 目の前にはノイズが群れなしており、隣では凪咲が得物を構えている。

 

「風音さん、ちゃんと協力してくださいよ?」

「あの……凪咲ちゃん」

「こんな時まで神代さんの真似はしないでくださいッ!」

 

 凪咲が凄い形相でこちらを睨みつける。これ程の敵意を向けられたのは初対面の頃以来かもしれない。

 

「ヒッ……」

「……もしかして、元に戻ったんですか」

 

 天音は大きく首を縦に降る。

 

「凪咲ちゃん、私、詩織の所にいかなきゃいけない! あの子に伝えたい事があるの!」

 

 突拍子もない天音の言葉であったが、凪咲は一瞬驚きはしたものの、天音の言葉を聞き入れてくれた。

 

「仕方ないですね。ここは私が何とかします」

「ありがとう!」

 

 天音は駆け出す。無論、詩織が何処にいるのかなど検討もつかない。しかし、感じるのだ。詩織はどこかで今も泣いている。ならば、ヒーローがする事はたった一つである。

 風音が背中を押してくれる。

 ギアは旋律を奏で、そのメロディは天音の心を映し出す。

 歌は鏡だ。天音の歌はいつだって、風音と共にある。その歌声は斉奏(ユニゾン)を奏でるかのように。

 

『――飛び立つのさ』

 

 天音は飛んだ。

 ただ、あの子の元へと飛んだ。ギアは天音の気持ちに呼応するように、翼を広げる。

 

『(Wind Wings)風の翼が あるのなら』

 

 ――かつての約束を果たすために。彼女に伝えなければならない言葉がある。

 天音がヒーローに憧れた本当の理由(わけ)、それは弱い自分を隠す為では無い。こんな大切な事を、今まで忘れていた。

 あの夜、正義の味方だから、と、詩織を置き去りにした事を思い出し、天音は沈痛な面持ちを浮かべる。

 何が正義の味方だ。すぐ傍に、手を伸ばさなければならない人が居たというのに。

 

『(Wind Wings)旋律の風は 羽となって! そらを 翔るよ 何処までだって 』

 

 ――誰の為のヒーローだった? 私は、何の味方のなりたかった?

 

『(Wind Wings)君に逢えたら 手を差し出して キミのヒーローになりたいッ』

 

 天音は詩織に向かって叫ぶ。

 

「しおりいいいいいいいいッッッ!」

 

 

「生きるのをッ――諦めないで!」

 

 符坂詩織は自分を呼ぶ声に空を見上げる。

 一閃。目の前のノイズを翠色(すいしょく)の槍が両断する。それは正に一瞬の出来事であった。

 

「天音……?」

「ごめん。詩織の気持ちに気付けなくて。寂しかったんだよね」

 

 天音は詩織を抱擁する。

 

「詩織は一人ぼっちなんかじゃないよ」

 

 天音のその言葉に、詩織は救われた気がした。

気付けば涙がボロボロと零れている。

 

「……あれ、おかしいな……私……なんで」

 

「詩織を、迎えに来た。もう詩織を一人ぼっちになんてしないから」

 

 ――そうだ、ただ私はこの言葉が欲しかったのだ。そんな事に、今更気付いた。ただ肯定して欲しかったのだ。自分の存在を。

 ――しかし。

 

「……酷いよ。なんで今更そんな優しい事言うの……? 私は……」

 

「あらあら面白い茶番劇ね」

 

 クレイブソリシュのシンフォギア装者、メロディア・ロア・フエンテが二人の姿をみて可笑しそうに笑う。

 天音は槍を構えて彼女を睨みつけた。

 

「……そんなに怖い顔しないで。私は今、別にアナタに興味なんてないわ」

「じゃあなんでここに居るの」

「だって面白いものが見えたんだもの。こんな所でなに友達ごっこしてるのかしら。ヴィーデ?」

 

 天音はゆっくりと後ろへと視線を移す。天音のヘッドギアへと、本部からの無線が繋がった。本部のオペレーター、友里あおいは焦った口調で天音へと状況報告を求めた。

 

「天音ちゃん! あなたのすぐ近くに例のシンフォギアとは別にもう一つアウフヴァッヘンの反応があるのッ! あなた、今そこに誰が居るの」

「……誰って」

 

 視線の先、詩織の手に握られていたのはのは、天音がよく知るものであった。聖遺物――黒い、喇叭(ラッパ)である。

 

「なんで、なんで詩織がそんなの持ってるのさッ!」

「……私、そっちにはいけない」

 詩織は喇叭に口を付ける。そして息を吸い込むと、それを吹き鳴らした。

 何者をも拒絶するかのような音。そして、現れたノイズによって詩織の姿は見えなくなってしまった。

 

「詩織ッ!」

 

 天音は槍でノイズの壁を薙ぎ払う。しかし四方八方から現れるノイズによって行く手を阻まれてしまう。

 切っても、切っても、切っても、詩織の後ろ姿に手は届かない。

 

「待ってよ! 行かないで!」

 

 天音の喉を締め付けられたように消え入りそうな叫びは、誰にも届かないまま空に熔けていった。

 

 ――ヴィーデ。それは音楽における反復記号。その語源はラテン語の「見よ」に起因する。

 孤独な少女はいつしか自分の事を「VIDE」と呼ぶようになった。それは自分の中にあった、たった一つの望みの為に。少女はただその為に、喇叭を吹き鳴らした。

 間違っている事は分かっている。しかし、私は、私のエゴの為に、この世界を敵に回すと決めたのだ。

 神の居なくなったこの世界に、私と天音の永遠の楽園を。

 私はヴィーデ。この世界を終わらせる者。

 

 

 

EPISODE8 「VIDE(私を見て)

 

 

 

 

……To be continued

 

 

 

[newpage]

 

おまけ

[用語集その四]

 

神代風音 ②

 

天音が作り出したもう一人の自分、その正体はかつて死んだ双子の姉、神代風音の人格である。神代天音は、正気をなくした母の為に死んだ姉を演じるようになった。

 

 

ヒーローになりたかった理由(わけ)

 

ただあの子の味方になりたかった。始まりはたったそれだけの、小さな思い。

 

 

ブリューナクのシンフォギア ②

 

天音の心象の変化によって、リビルドされたシンフォギア。これが本来の「神代天音の」ブリューナクのシンフォギアである。

細かい意匠が変化している他、槍に結ばれている、かつて天音を救ってくれた装者と同じマフラーは彼女にとって何よりもヒーローの象徴である。

 

 

心の斉奏(ユニゾン)

 

それはまるで、風音が外の世界へと飛び立つ天音の背中を押すかのように。天音の歌はいつだって風音と共にある。

その双翼は風音が遺した最後の軌跡。

二人の最初で最後のユニゾンは、瞬間的に爆発的なフォニックゲインを生み出し、シンフォギアをアンロック、多重制限解除による飛行能力の会得――擬似的なエクスドライブという奇跡のカタチを成す。

 

[chapter: 歌]

Wind Wings (神代天音/神代風音)

 

暗い恐怖も 涙の跡も 乗り越えて

今私はここに居る

握るその手 受け取った言葉は

次の一歩を 踏み出す 道標(みちしるべ)

 

(なんの為)その手を伸ばす

(誰のため)その愛を叫ぶ

だとしても 諦めない 私は

今――飛びたつのさ!

 

(Wind Wings)風の翼が あるのなら

私は 君に 伝えたい事があるんだ

 

(Wind Wings)旋律の風は 羽となって

そらを 翔るよ 何処までだって

 

(Wind Wings)君に逢えたら 手を差し出して

君のヒーローになりたい

私は歌うよ君に

これは私のそんな 愛の歌

 

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