虹の彼方に、フェアリーテールの祝福を   作:在田

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「やはり、まだ居たか」

 

 アリスの言葉は、ドアの傍らに腰を下ろしていたアオバの頭へ降り注いだ。

 

「……」

 

 アオバが無言でアリスを見上げる。アリスはそれを受けながらも視線を合わせず、ふーっと白い息を吐く。

 

「先ほどの話をさらに補足しよう。

 肉体ですら外部記憶装置ならば、人は確かに、この世界において人間の形をしていれば人として認められるであろうが、その肉体を失った存在を人として定義するものは何なのか?

 外部に散りばめたはずの記憶と気持ちとの関係性を喪失してしまった人間は、その気持ちをどこから発生させるのだろうか?」

 

 最後まで聞き終えて、アオバは立ち上がった。

 眉根に皺を寄せて、アリスの白衣の端っこをも視界に入れないようにそっぽを向いて、それでもアオバは静かに、でも確かに、アリスへ向けて言葉を叩きつけた。

 

「それは、キオのことですか?」

 

 アリスのふーっと長い吐息が聞こえて、煙草の臭いが鼻に入りこんでくる。煙たくて、とても臭かった。

 しばらく、アリスが煙草を吸っている横で、アオバはずっと立ち尽くしていた。

 そして煙草を吸い終わったのか、アリスが扉の横に置いてあった空き缶に吸殻を入れて、また口を開いた。

 

「彼女が、ブラックホールを背負っていることは言ったな」

 

 アオバは視線だけ、アリスを向く。

 扉に寄りかかって、アリスはアオバではなく天井を見上げていた。

 

「本来ならば、ブラックホールの生成には巨大な粒子加速器が必要であり、それを動かすためにも莫大な電力が必要となる。

 だが現在は、部屋に埋め込まれたあの小規模な装置により部屋そのものが粒子加速器として機能し、そしてその粒子加速器も、彼女が生み出したブラックホールからエネルギーを取り出して機能させているのだ。

 この意味がわかるか? 明らかにエントロピーを逸脱しているのだ。

 ブラックホールを保持するために機能するはずの粒子加速器が、なぜブラックホールに維持されている?

 確かに彼女がブラックホールの余波で作り出す重力障壁は見事なもので、粒子加速器そのものの機能を存分に発揮できるのだろう。

 だがそれでも、エネルギーの生成と保持には摩擦にも等しいロスが生じる。たとえブラックホールから電力を取り出すことができても、それで粒子加速器そのものを動かし続けてブラックホールを形成し続けることができるなど、本来ならばできるはずがないのだ。

 さらに言えば、ブラックホールからワームホールを作り出すことは、理論上は可能であることに間違いはない。

 ……だがそれは、マイクロブラックホールなどではなく、もっと規模の大きなものが複数並び、加えて、それらの力に指向性を与えていればの話だ。

 私が昔に働いていた場所も似たようなことをしていたし、私自身、今と同様の研究で機械を使い、本当にごく短い刹那の間だけ、マイクロブラックホールの生成ができたことはある。

 だがそれは今現在のような状況になる前の世界で、世界最高の設備と私の他に様々な研究者が居てこそ成し得たことであり、今のような劣悪な環境で、なぜブラックホールを保持し、なおかつエントロピーを逸脱できるのか?

 挙げ句の果てには、ブラックホールの生成がやっとだった我々にはワームホールなど机上の空論でしかなかったのに、なぜ研究者でもなければ大人としての知識すら伴わない彼女がああも簡単に実現してしまうのか?

 我々が総力を挙げて機械を使っていたのに対し、彼女はたった一人で機械と融合することで実現してしまう。数字の上に何の変わりもないはずだというのに。

 ……この違いは、何だと思うね?」

 

 言葉の最後だけ、アリスとは思えないほど感情に溢れていた。

 本当に疑問を抱いているのだとわかる瞬間だった。

 でも話された中身は、アリスほどの大人がたくさん集まって研究するほどの話であることに変わりはない。

 

「難しくて、よくわかりません」

 

 アリスが頬を緩めた。

 何がおかしいのかわからなかったけれど、それでもアオバは続ける。

 

「あなたの言っていることが僕には、科学の話なのか、それとも魔法のことなのか、わからない」

「過ぎた科学は最早、魔法と区別することはできない。科学もまた魔法の一環なのかもしれないし、魔法や奇跡と信じられてきたものもまた、ただの物理現象の積み重ねによって起こるものでしかない」

 

 アリスはまだ、笑みを崩さないままにアオバの言葉に言い返しているのか言い返していないのか、中途半端な内容を喋る。

 

「さしずめ私は、緑の魔法使いといったところか?」

 

 アリスは視線を落とす。一瞬だけ青葉と視線が重なって、すぐにアオバは逃げるようにそっぽを向く。やっぱり答えられない。

 

「穴に落ちても、鏡文字の詩が読めても、結局は夢境でしかない。意味のないことか」

 

 その言葉を最後に、沈黙が二人の間を流れ出す。

 アリスが何を思ってそんな言葉を長々と言っているのか、さっぱりわからなかった。

 何か大人なりの考えがあってのことなんだろうし、きっと言っていることも正しいことなのだろうけど、でもアオバには何がどう正しいかすらわからない。結局、アリスが何を言っているのか、その理由も中身も目的もわからない。

 

「先ほど話したキオの訓練室は、いずれその機能をフィッティング・スーツの周辺機器として搭載し、一種のパワードスーツのようになるだろう」

 

 だから唐突に話されたその話も、アオバにはわからない。

 

「私はそのパワードスーツに『ティンカー・ベル』と名づけるつもりだ。

 童話の『ピーターパン』に出てくる空飛ぶ妖精の名だ。妖精が存在し続けるためには、他人から存在されていることを思われ続けなければならない。

 彼女をワームホールの向こう側へ消失させないために、君は何をするべきなのか?

 君は彼女にはなれないのだから、その意味をわからないとは言わせんぞ」

 

 アオバは壁から背中を離す。

 ……最後の最後だけは、違った。

 

「わかりました」

 

 それだけ言って螺旋階段を降りていく。

 アリスの話は長くて難しいことばかりだったし、考えていることもよくわからないことだらけだ。

 ……それでも、そうじゃないところだってあるということはわかった。

 

 でも結局、アオバはアリスが嫌いだということに変わりはない。

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