虹の彼方に、フェアリーテールの祝福を   作:在田

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 しばらくして陽が落ち始めたところで、見張りの時間は終わった。

 階段を降りながら、アオバとキオはわずかながらも会話を重ねる。

 アオバが外で体験した様々なこと。キオが訓練で積み重ねてきたこと。

 ……それは今の今まで話してこなかったものではない。だけど二人とも、その話題について積極的に話せないような後ろめたさを持っていた。

 だから階段を降りている今、今までと同じ話題だけれども、二人はいつにないほど明るく、そして楽しく話すことができて……だからこそ、アオバはうっかり、思っていたことをそのままに口にしてしまった。

 

「キオはこれからも、ずっとこうして暮らしていくのかな……僕は、暮らしていくんだろうけど」

 

 アオバが見たのは、通ってきた階段に敷かれている、キオと繋がっているケーブル。

 そしてキオが見たのは、そんなアオバの目だった。

 

「わたしは……わからない」

 

 キオが立ち止まって、手を握っていたアオバも歩を止めて、改めてキオを見やった。

 

「わからない、って何が?」

「ずっとこのままがいいのか。このままじゃない何かをしたいのか。わたしは……わからない」

「僕は……」

 

 思わず何か返答しようとしたけど、結局それがキオ自身のことだとわかってすぐに、口を閉ざした。

 キオのことならキオが決めればいいことで、むしろキオ以外が何かを言ってはいけないことだと思った。だからアオバは言いかけた言葉を誤魔化した。

 

「どっちでもいいと思うよ。キオの好きなように、キオのやりたい方をやれば」

 

 キオの目を覗きこむ。澄んだ水面を思わせる綺麗な青。先ほどその美しさに気づいてから、何度となくその目に視線を吸いこまれてしまう。

 

「わたしは……」

 

 キオもまたアオバを見つめ返して、けれどすぐに下を向いてしまった。

 キオは、自分の首から伸びているケーブルを見ているのかもしれない。

 

「やっぱりわからないの。やりたいことって。

 そもそもわたしに、やりたいことがあるのかどうかもそうだし……わたしが何者なのかも、わたしはわからない」

「……っ」

 

 キオを励ますことができる何かを言おうと口を開いて……しかし言葉はおろか、声すらも口から出ることはなかった。

 キオがアオバの唇に人差し指を添えて、首を横に振ったからだ。

 その顔には確かに笑みが浮かんでいるけど、さっき見たような清爽とした笑顔ではない。

 何かを諦めた笑顔。

 

「みんなはわたしを人間だと言ってくれるけど、みんなにはこんなケーブルもついていないし、機械で動く部品なんて存在しない。わたしにはたくさんあるのに」

 

 キオはアオバの手を振りほどき、数歩ばかり階段を降りた踊り場で、床のケーブルとひょいと手に取った。

 

「だからきっと、わたしは、みんなが生き返ったと言ってくれているその子じゃなくて、ただの機械なんじゃないかって」

 

 透き通った瞳を氷のような冷たさで湛えて、キオはアオバを見つめる――いや、視線で鋭く射竦める。

 

「生まれてきた時の記憶は確かにないけど、生まれた時の体を、みんなは持っている。

 でもわたしは持っていない。

 今のわたしが生まれたときには、始めからこの体だから……」

 

 キオの声が濁り、肩が震えていることに、アオバはようやく気づく。

 それが嗚咽なのだとわかるまで、そう時間はかからなかった。

 キオは後ろへ下がり、手すりに腰を押しつけて、ゆっくりと仰け反る。

 

「だからわたしは機械なんだって、そう思っちゃうときがあるの」

 

 つい数瞬前までアオバの胸に突き刺さっていたキオの視線が鈍くなって、涙が浮かんだ。

 

「……違う、違うよ」

 

 咄嗟に階段を駆け下りるアオバ。

 だけどキオの言葉は止まらない。

 

「わたしが本当に機械なら、やりたいことなんてきっと、これから先ずっと、絶対に思いつかない。そんなこと、機械にはできないから!」

 

 キオの手が首元へ伸びる。

 溢れてくる言葉を止められなかった。

 

「駄目だ!」

 

 首元のチョーカーが外れたところで、その根元に添えたキオの手ごと強く握った。

 ……決して外さないために。断じて外させないために。

 キオが階段から落ちないように自らの胸元へ抱き留めて、アオバは駆け下りた勢いを殺しきれず踊り場に転がる。

 一段と大きな音が響いた。

 

 先ほど――穴の底へ落ちた時とは逆の体勢。キオがアオバの下に居る。

 だが呆気に取られた表情など、二人は浮かべていない。キオの瞼から溢れだした涙はもう、止まらなくなっていた。

 

「どうして……」

 

 呂律が回らないせいか、それを上手く聞き取れない。でも何を言わんとしているのかは、すぐにわかった。

 

「あの時は外させてくれたのに。今は!」

 

 キオの手がアオバの胸に当てられる。小さな拳がアオバを小突く。

 あの時はアオバが率先して外した。外させた。大人たちにバレないように隠して、結局バレて、ケンジには殴り飛ばされ、アリスには聞かされたくもないキオの体のことを教えられた。

 

「あの時は、僕は何も知らなかった」

 

 後悔が、未熟すぎた自分の過ちが、アオバの声に滲んでいた。現実を知れたとしても知ること自体が苦渋で、いっそ知らないままで居られれば幸せだったかもしれない。

 しかしそれだけではいけないとも思っていた。どちらが良かったのか、今となってはわからない。

 

「このケーブルを外して、それでもわたしは生きていたい! わたしも、アオバみたいにいろんなところに行って! もっとたくさんのことを知りたかった……ずっと、ずっとそう思っていた……」

「僕だって!」

 

 もう、アオバも泣き始めていた。キオの頬にアオバのが落ちてキオの涙と混じり、一つになってキオの頬を流れ落ちる。

 叫ぶように、わめくように、二人はお互いの距離を詰めていく。

 苦虫を噛み潰したような顔で、アオバは泣きじゃくるキオから目をそらさない。

 

「……僕だって、外してあげればどれだけいいかって、ずっと思っていた。でも、僕には外せない。今はいろんなことを知って、それが……そのケーブルが、キオにとって大事なものなんだって思い知らされたから」

「じゃあ、じゃあ! わたしは機械なの!? アオバは……みんなはこんなものついていないのに、私だけ!」

「キオは人だよ! 機械じゃない……僕は、そう思っている。思っていたい」

「……だったら、ケーブルを外して」

 

 冷えた言葉が、アオバに突き刺さって心臓を鷲掴みにする。

 キオの手が、ケーブルごと握り込んでいたアオバの手をするりと抜けて、外側から握った。

 アオバの手にキオのケーブルが……柔らかい首の皮膚を隔てたその内側に、骨とは違う硬い何かがあるのが、わかる。

 キオの青い瞳の横には、今でも確かにヘッドフォンがついている。でもそれはヘッドフォンの形をしているだけでヘッドフォンではなく、機械の鼓膜なのだとアリスは言っていた。

 それを外せばキオは、全ての音を聞き取ることができなくなってしまう。

 

 首から伸びるケーブルを外しても、少しだけなら動くことはできる。でもキオの体内にある電池がなくなってしまえば、また去年の繰り返しになる。

 他にも、アオバが知らないだけでキオの体が機械だと思い知らされるところはたくさんあるのだろう。

 こんなにも、アオバの下で、人間そのものとしか思えない姿で、アオバよりも人間らしく、感情に従って涙を流しているのに。

 ケーブルを抜くこと……それはキオを殺すことと同義だ。

 

「そんなこと……できない……っ!」

 

 瞼を固く閉じて、その隙間から涙をこぼし、アオバは首を横に振るしかなかった。

 また三年前までの五年間を繰り返すことなど、もう今のアオバには考えられない。

 キオはまだ涙を浮かべながらも、アオバから目を逸らして、失望を口にする。

 

「アオバもそんなことを言うのね。アリスと同じ。みんなと、大人と同じことを……」

 

 大人。それはアオバが嫌っていた人たちだった。少なからずキオが目覚めるまでの五年間を、ずっとそんな思いを抱きながら過ごしてきたはずだった。アリスのような理屈ばかりしか言わない人間が、大嫌いだった。

 ……大嫌いだった、はずだった。

 

「僕だってできるなら、大人になんてなりたくない。ずっと現実を知らないまま、楽しいままいつまでも暮らしていられる子供で、ありたかった!」

 

 アオバは自分の涙を拭い、息を飲んだ。

 この言葉は、アオバにとって一つの宣言だった。宣言であり、決別であり、そして誓約でもあった。

 

「でも現実を見ないといけない。知らないといけない。そうじゃないと、自分で考えることも思うことも決めることもできない。だから僕は、大人になるしか、なかったんだ」

 

 今度はキオが、言い返そうとした口を閉じる。

 いつの間にか、アオバが大人を忌み嫌っていたことを、キオもわかっていたのかもしれない。

 一年前までキオのことも知らなかった少年が、今となってはその配慮まで含めて一人前の大人に等しい考えを抱いていることが……そしてその考えこそが少年の嫌いだったものであるにも関わらず、抱いてしまった。

 いや、そうせざるを得なかった。もう子供ではなくなったアオバの悔しさが、今流れている涙に滲んでいた。

 

「そっか……アオバは、決めたんだ。そうなるって」

 

 キオは悲しそうに眉をひそめる。

 無力感からの悔しさに耐え、アオバは顔を手で覆いながら首を縦に振った。

 嫌っていたはずの大人にならなければならないという選択が、アオバにどれほどの苦渋を与えていたのか、キオには正確な重さなどわからなかった。しかしアオバにとって、それが非常に大きく重いことだったという点だけはわかる。

 むしろ、それだけで充分だった。

 

「ねえ、アオバ。わたしはどっちならいいの? 人間なのか、機械なのか」

 

 キオの言葉に、アオバは急いで自分の目元を拭って涙を掻き消した。

 アオバにとって、さっきの言葉を言い終わった瞬間から、その誓約は肝に刻みこまれて宣言として縛りつける――だからこそ、アオバはアオバの思う大人としての行動を、自分に求めていた。

 同時に、大人としての立ち振る舞いの中でも、決して大人が嫌いな少年からの卒業と、あまりにも未熟すぎる大人としての自覚も、そして自分自身が何を思っているのか、あるいはその思っていることに従った素直な行動も、兼ね備えなければならないと。

 

「わたしが誰かにとって都合のいい人形でしかないなんて……わたしは嫌!」

 

 だからアオバは、喉を搾るように叫んだキオの目元を拭った。

 それが今、目の前にいる女性に対して行うべきことだと考えたことであり、アオバ自身もやるべきだと思ったことだった。

 

「キオがもし本当に機械だったなら、泣くなんてしないし、そもそも機械か人間かを、疑問になんて思わないと思うよ」

 

 そしてアオバはキオの傍ら――階段に座ってキオに背を向けて、目元を擦りすぎてひりひり赤くなっているだろう自分の顔を見せないようにする。

 これからアオバがキオに告げる言葉は、アオバ自身の誓約よりも、遥かに恥ずかしいものだと思ってしまったから……それでもちゃんと言わなければならないと判断したから。

 

「みんなが人間だって言ってくれてる。キオが実際に人間なのか機械なのかなんてどうでもいい。キオがどっちになりたいか、じゃないのかな。

 キオのことなんだからさ。そこからゆっくり決めればいいんだよ。キオ自身のこともやりたいことも」

 

 アオバは立ち上がり、キオへ手を伸ばす。

 階段を登る時のように、あるいは去年のように――もしかしたら、そのずっと前にあったかもしれない、忘れてしまった記憶のように。

 

「……うん」

 

 その手を再び握ったキオが体勢を整え、乱れてしまった服装を直す。

 今度こそ、何も喋らないながらも、喋る以上に何かが共有されている実感を伴った静謐さを、一緒に握り締めて、階段を降り始めた。

 

 

 階段を降りきる頃になって、たくさんの人々が歩く音だったり、何かの道具を使う音だったりが周囲を立ちこめる。

 ようやく、アオバもそれにつられて何かを声にすることができた。

 

「ま、まあ僕としては、キオにこのままいてほしいかなー……なんて」

 

 階段を降りている最中の咽び泣いていたキオよりも、わんわんと泣き叫ぶように宣言などをしてしまったり、我ながら臭いと思えるようなカッコつけた台詞を吐いたりしていた自分の方が恥ずかしくなって、取り繕うようにアオバは、今までの子供らしく振舞っていたかった自分を再び持ち出す。

 さっきまで、なぜあんな台詞が堂々とつっかえることなく声に出来ていたのか、さっぱりわからなくなってしまうぐらいには、おそるおそるといった情けない声だったと、アオバは思う。

 そして階段を降りて振り返り――アオバはキオの表情に、戸惑いを隠せなかった。

 

「わたし、わかったの」

「そっか」

 

 隠せなくても、それでもアオバは取り繕おうとした。

 キオの中で何かの答えが出たのなら、本人の口から語られるまで他人が問い詰めてはいけないな、とも思った。

 

「わたしのやりたいこと……それと、やらなきゃいけないこと」

 

 しかし次にキオが浮かべた表情を見た瞬間に――階段を降りるというあまりにも短い時間の中で、あまりにも速く、そしてあまりにも唐突に出てくるキオの答え――アオバはその瞬間に至ってようやく、キオが自分と同じ年齢になってしまったんだということを実感せざるを得なくなった。

 笑顔。キオはいつも笑顔だったが、しかし先ほどの泣きじゃくっていた表情とは裏腹に晴れやかなものであり、そして同時に、アオバの抱いていた苦渋をも思わせる悲愴さを共存させた微笑み。

 それでも頬をあげて必死にはにかむキオが、小首を傾げてアオバに告げた。

 

「アオバ、ごめんね」

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