4-1
遥か高空から見下ろす地上は、地上から見上げる空とは違って都市の色と田畑の色、河川の色と様々な彩りに満たされ、だからこそ、その細部にあるのであろう様々なものはあまりにも小さすぎて見えない。
小雨が降っている。降り出したのか降っている地域にキオが飛びこんだのかはわからない。しかし雨粒は
灰色と黒の雲がまばらな模様で空を埋め尽くし、昼頃には見えていた青空など、その向こうにあることはわかっていても、全く見えない。
その空……キオと同じ高度の向かいに、赤い光を見つける。
すかさずキオはそれを覗き見た。自分の目にあたる、眼球に似せて作られたカメラと、
ヘリコプター。それも、兵器などを搭載した戦闘ヘリ。
すでに向こうはキオに気づいている。真っ直ぐキオへ向かってくる動きに迷いがなく、そして今、ヘリの赤い光点ではない別の光が瞬間的、断続的に灯るのが見えた。
銃弾に仕込まれた炸薬が一瞬で燃焼を起こす炎――マズルフラッシュだ。
即座に呼び起こしたキオの想像を〈信仰の葉〉が捉え、現象として発現。
『自分の周囲であり自分そのものである球状の空間がたわんで形を歪め、その圧倒的な弾力と反動で元の形に戻る』
それによって誘発された弾みにより〈信仰の葉〉や内側の空間を引き連れて、キオは大気の中を跳躍。
地下から飛び立つ時も同じことをして弾んだが、今度は上昇ではなく下降だ。
先ほどまで細部が全く見えなかった地上が見る見る近づき、途中でひらりと一回転して落下の速度や方向のバランスを整えながら、遠くのヘリを見る。
放たれていた誘導弾が、白煙を軌跡にして伸びているのが見えた。
地上――コンクリートに左右を囲われた用水路に飛び入り、水の中へ突入する寸前で横へ弾む。衝撃で巻き上げた水飛沫を突っ切り、水面が〈想鐘〉の速度に追随して切り裂かれる。
すぐ後ろの上方から誘導弾が肉薄する。〈信仰の葉〉のカメラが、前を向いていてもその視認を可能にした。
ぐねぐねと曲がる用水路のコンクリート壁と水面にすれすれの距離を弾むことで、複雑なカーブを難なく推進。
その途中で、キオは領域の形を歪める。
完全な球状が前と後ろに対して伸びていき、外界の空気との摩擦や抵抗をできうる限り減らす。直進性に優れた一本の矢のようなフォルム。完全な球状こそがブラックホールと力場の維持には理想的な形だが、それを失ってもキオは〈信仰の葉〉により内側の流れを最適化させる。
誘導弾が上から迫り、距離を詰められたその刹那。眼前に現れた橋の下をくぐり抜けた次の瞬間に、橋ごと誘導弾は爆発して、橋だった瓦礫が飛散。
吹き上がった黒煙を被る前にキオは用水路から弾み出た。
誰もいない住宅街の中。
当時の住居には、そのほとんどにコンピュータが設置されていたとアリスから聞いている。
「ごめんなさいッ」
誰とも知れぬ持ち主へ、届かない謝罪を述べながらキオは窓ガラスを打ち破って中に入り――途端に静かになったそこで、家具や日用品に囲まれたそこからコンピュータ端末を探す。
一階には見当たらないと思ってすぐだった。
機関砲が呻りを轟かせて、キオのいる住居を外から壁ごと粉砕していく。
先ほどまでそこにあった家具や、棚の中にあった食器や家電さえもが、たった一撃で砕け散りただの廃品へと姿を変えた。
「うっ」
熱を持った鋭い痛みを感じる。急いで壊れた壁の隙間より空中へ身を投げ出し、未だ家へ機関砲を吼えていたヘリめがけて、キオは両手にそれぞれ持った対物砲を向ける。
手首のあたりに括りつけられた装置から細いアームが伸びて、弾の装填と装填レバーの固定を行った。
引き金を引いた反動で、腕の内側にある部品がいくつか軋みをあげる。
だがそれに構わず、キオはひたすらに装填と射撃を繰り返した。
その一発が当たる度にヘリの装甲が火花を散らし、へこみ、ひしゃげ、そして一つの弾がプロペラ根本にあるシャフトを貫通。そのまま燃料タンクへと弾が進入し……そこから爆炎をあげたヘリが住宅街へと突っ込んだ。
見上げた黒煙の向こうに、同じく赤い光点がちらほらと見える。
足下にはいくつもの住居が建ち並んでいる。その中の一つ一つを探し出している間に、また今のように襲撃されて撃墜してを繰り返すとしか思えなかった。
脇のスーツが裂けて赤い血が覗いている。雨粒程度なら阻むキオのフィールドも、さすがに飛来する銃弾を防げるわけではない。
今のは皮膚を掠めた程度で済んだが、次はそうではないかもしれない。いくら上下左右前後の全方向を見渡せる視界を持っていても、壁の向こうから襲い来る弾を透視できるわけではなく、無用の長物となってしまう。小さな家の中では視界全てが壁に阻まれる。
周囲の家を巻きこんで燃え上がる炎を見下ろしてから、キオは再び、高い空へとその身を踊らせた。
インターネットへ接続すること。そのためには、これまで地下に暮らしている人たちが捨ててしまった無線での接続は不可能であり、有線での接続を図る他ない。
接続を可能にする端末はインターネットに繋がっているコンピュータであれば、どれでも可能ではある。
アリスから忠告されていた通り、迫り来る兵器の猛攻を潜り抜けることが困難だった。
目的であるコンピュータは基本的に屋内に設置されており、開けた空間にはない。ましてや一番視界が開けている空中にあるわけなどない。
ならばせめて、少しでも広く造られている屋内にあるコンピュータを探すしかない。
弾丸の雨をかいくぐり、電線を支える鉄塔を抜け、キオの誘導した通りに追いかけていたヘリが電線をプロペラで引き千切り、それを巻きこんで失速……墜落。
自分の判断に従って、キオは一際高い廃墟が立ち並んでいる場所――ビル群へと飛びこんだ。
その中でも太く造られている、ほぼ全面が窓に囲われたミラーガラスへ向かう。
対物砲を放って破砕したガラスの隙間から、〈想鐘〉ごとねじこませる。
コンピュータによって仕事をしている描写が、アオバから見せられたたくさんの映画の中にはあった。
オフィスビルの、どこかの階。照明がついていないせいか薄暗くも横に広々とした空間。立ち並ぶ無機質なテーブルに均等の間隔で整列するコンピュータの群を見つけて、キオはようやく安堵した。
これほどの量があれば、よほどのことがない限りその全てを破壊されることもない。
首元からケーブルを取り出して、片方を首につける。
コンピュータへ単に繋いだところで、接続が完了したというわけではないことは、アリスの日頃の行動から見て取れた。
コンピュータ側が受けつけない可能性もあるが、元よりそれは知っている。そしてそもそも、コンピュータの電源を入れなければならないことも。
ケーブルのもう片方を握りしめながら、いつもアリスが押していたボタンを見つけて、それを押す。起動に時間がかかることは知っていたから、それが破壊されても大丈夫なように、横にずらりと並んでいる同じ機械の同じボタンを十回ほど押したところで、最初に押したものの前に戻る。
起動は、していなかった。
不思議に思うも、排熱ファンの音も聞こえなければ、点灯するべきランプも沈黙を貫いたままだ。
もしかしたら壊れていたのかもしれない。八年もの間放置されていたと考えればおかしくはない。
だが、それが他に押した全てがそうだとも思えなかった。
しかし、その全てが起動しない。
「どうして……?」
声に出してすぐに、窓の外から空気を引き裂くプロペラの回転音が飛びこんだ。
そちらへ対物砲を向けると同時――ヘリの向こうに、とあるものが見える。
つい今し方通り抜けた鉄塔。ヘリを絡め落としてだらりと分断された送電線。
「!」
気づいてすぐに、機関砲の咆哮が階に響き渡る。
一斉に飛び散るガラス片とともに、キオめがけて突進してくる弾丸の群。ディスプレイも、テーブルも、そしてコンピュータそのものも、ヘリのすぐ近くにあるものから次々とその形が溶けるように崩れていく。
机の下へ隠れるには〈信仰の葉〉が大きく、背の低い階だからか飛ぶには狭すぎる。
キオは背中のブラックホールに意識を集中し、球状に流動するフィールドをさらに高速で回転させ、ブラックホールの向こう側へ、意識しない意識の腕を突き入れた。
刹那――頭の奥に生じる鈍痛と引き替えにして、飛来する弾道や飛び散る破片が、その動きを緩慢に見せた。
いや、正確にはキオからは動きが緩慢であるように見えるのであって、動きが遅くなったわけではない。
〈加速〉――キオの時間軸そのものが通常のそれから外れて、キオだけが持ち得る時間へ没入する。
全ての方向に対する視界と弾丸を目で捉えられるほどの相対速度を手に入れた今のキオにとって、一方向からのみ迫り来る弾丸を回避することは容易となった。
そして全てが遅くなり、キオだけが常理を逸した速さを手に入れた世界の中。
先ほどよりも間隔が広くなったように感じる砲撃を断続的に繰り返すヘリ――そのシャフトへ、先ほど持っていたものとは別の対物砲を構え、一回だけ、引き金を引いた。
薬莢の炸裂により射出されたそれが空気の壁を突き破り、反対方向へ突き進む弾丸の中で一つだけが逆進し、キオの視界ではゆったりと回転するプロペラの隙間を通り抜けて……。
着弾とともに起こった爆発の衝撃が、ビルに張り巡らされたガラスのほとんどを叩き割った。
ヘリが地上に墜落する際の新しい爆音を聞き流しながら、キオはぐしゃぐしゃになったオフィスを見渡す。
このオフィスにあるコンピュータは――いやそれどころか、この建物、この地域にあるコンピュータが全て、使えなくなってしまった。
またどこかへ飛び立たなければならないと判断の後、どこへ飛べばいいのかと疑問が湧いた。
踏み留まりそうになる足をどうにか前に出して、キオはオフィスの外へ向けて歩き始める。
その瞬間に、白煙の軌跡が視界に飛びこんだ。
覗き見た直後に、慌てて反対側へ駆け出す。
ミサイル――それも大型、単に数百メートル先へ向けて飛ぶものでもない。もしかしたら大洋を飛び越えるような……。
〈加速〉を行って天井とテーブルの隙間を駆け抜けようとするよりも速く。
音を越える速度で去来したそれが炸裂し、ビルそのものを吹き飛ばすほどの灼熱が広がった。