陽炎と、雨によって生まれた水蒸気を立ち上らせる瓦礫の山のから、キオはその瓦礫を退けて這い出る。
建物だったコンクリートの巨大な破片そのものが、人間が素肌で触れれば皮膚を焼け焦がすほどの熱を持っている。
飛び上がろうとした時、体に流れる電力や周囲を渦巻く流れが上手く制御できないことに気づく。さらに体の延長や視界が先ほどよりも重く感じ……
……瓦礫に潰されたせいか、電力を通すことはできても、もはや粒子加速器としては機能していない上に、それが背中からぶら下がるせいで重力波を扱うことに支障が出る。
息苦しささえ感じる灼熱から逃げつつ、キオは両手で壊れた〈信仰の葉〉へ繋がるケーブルを引きちぎった。
「ううっ……ぁあ!」
その全てを挽き潰されるような激痛が、失われているはずの部分を駆け巡る。
例え壊れていたとしても、〈信仰の葉〉の全てに電気が通っているため、その全てにキオの意識は張り巡らされている。痛覚など存在しなくとも、今のキオにとって〈信仰の葉〉は掛け替えのない意識の通った肉体の一部であり、人にとっての腕や足、鳥にとっての翼と大差ない。
だからこそ、なくなってしまった肉体を受け入れられない脳が悲鳴をあげており、それがないはずの肉体に対する痛みとして発現している。
痛みに涙を滲ませても、しかしキオは飛ぶことを――粒子加速器を走らせることをやめない。やめてしまえば、それはブラックホールの消滅を意味し、電力の供給が途絶えることであり、死ぬことと同義だ。
だが、扱っている〈信仰の葉〉が少なくなれば少なくなるほど、ブラックホールは不安定になる。今はまだ脳に負荷をかけさえすれば、痛みと引き替えに今までと遜色ない動きを可能にできるだろう。しかしもし、もう一つが破壊されてしまったら、維持で精一杯かもしれないし、まだ大丈夫なのかもわからない。
底が見えないほどの深淵に満たされた穴へ飛びこむことは、それこそ底知れぬ恐怖を禁じ得ない。
だからこそ「次はない」と予防線を張りながら、覚悟を決めるしかない。
先ほどまであったはずの鉄塔――そこにぶら下がっていたはずの、分断された送電線も、跡形もなく崩れ落ちている。
その先を遡れば電気が通っている地域へたどり着ける……とは思えない。
送電線を遡る先とは、そのどっちなのか? キオも、頭の中に地図の全てを叩きこんでいるわけではないし、むしろ参考にならないと見もしなかった。
どの方角へ向かえば発電施設があるのかわからない。
途方に暮れる前に、また空の向こうから現れる新しい姿を後ろに見た。
ヘリとは違う流線型のフォルム。プロペラを搭載していない代わりに、薄く軽い形の全てを風に乗せて、ジェットエンジンで亜音速を滑空する――戦闘機。三機が三角形を作って近づいてくる。
エンジンの甲高い呻りと、金属の翼が大気を切り裂く音が一緒になってキオへ届く。
対物砲へ手を添えたけど、未だその熱を溜めやすい黒色の金属には、瓦礫から注ぎこまれた熱が逃げ切っていない。このまま弾を薬室へ込めたところで、熱に火薬が誘爆して暴発するか、歪んだフレームで弾が詰まって使えなくなってしまうか――どちらにせよ、使えないことだけはわかりきっていた。
加えて、戦闘機ほどの速度で動かれてしまえば、いくら〈加速〉していても、キオには放った弾を当てられる自信などない。〈加速〉しているのはキオ以外の何者でもなく、それは対物砲の弾も例外ではない。キオが放つ弾もこちらへ飛来する弾同様に、キオには遅い軌道を辿っているように見えてしまう。
対物砲などよりも速く放たれる弾……それが必要だった。
三機の戦闘機からそれぞれ二つの白煙――合わせて六つのミサイルが放たれた。
距離を置きながら弾み、〈加速〉し、一気に地表へ近づいて、細かな住居の隙間をジグザグにくぐり抜けていく。
〈加速〉の際に、脇の後ろあたりに取りつけられた容器から伸びたチューブが、キオの中に液状の栄養剤を流しこむ。
追いきれずに住宅へ突っこんで爆発するミサイルの群を背にしたキオは、手を伸ばして〈信仰の葉〉の内側に備えられた武装のケージから、二つの太さが違う筒と、大きな電源装置を取り出す。
三つの部品を繋げ、通り過ぎていく戦闘機の一つに向ける。あまりにも離れた距離、ヘリとは違い推進性に長けた高速での移動。そんな対象へ、まともに狙って弾が当てられるとは、この武器を取り出している時点で思ってはいない。
当てる必要はないが当たってくれるに越したことはない。考えとしてはその程度でも、狙いを定めることに気を抜くわけではない。
電源装置から筒へ流しこまれた電流とともに、その筒に激しい電磁圧と熱量が生じる。
レールガン。莫大な電力によって生じる電磁石の極を連続で入れ替え、その反発力を弾に積み重ねて超音速で射出する大砲。本来なら艦船などに搭載されるべきそれを、無理矢理に小型化してキオが撃てるようにしたものだ。
地に足を着いて、領域の内側を流れる重力の流動に指向性を持たせる。〈信仰の葉〉を一つ失っているせいか、頭蓋の奥でうずく鈍痛が激しくなるが、そうしてでも自分の姿勢を固定しなければ、その反動でキオの体は背にしているものごと潰れてしまいかねないからだ。
先端部分である細い筒が、もうすぐ溶けて形を崩してしまいかねないほどに赤熱している。
狙いを定めた戦闘機が、他の二機とともに再びこちらを向くためにカーブを描き……ちょうどその背をこちらに見せたその瞬間に、引き金を引いた。
赤熱している前半分――最初は別の部品だった細い方の筒が、ただ弾が内側を通り抜けるだけの衝撃に耐えきれずに、一部は溶けた熱の飛沫を散らし、そして一部は蒸発して跡形もなく消え去った。
〈加速〉しているキオですらも視認できないほどの速さで、弾は大気との摩擦に外側を溶かしながらも駆け抜けていき、大気が引き裂かれて出来上がった真空が白く円を描いて弾に追随する。弾は二機の間を通り過ぎただけだが、弾が引き連れていたソニックブームが襲いかかり、二機揃って爆発すら起こさせずに粉砕。壊れた部品にまとわりついていた液体燃料が空中で火を灯し、地上へ消えていった。
……それでもまだ、激しい風圧にバランスを崩したもう一機が、すぐに体勢を立て直して向かってくる。
続けざまにレールガンを撃つわけにはいかない。弾を格納している、後ろ側の太い円筒までもが熱に負け、溶けたフレームが歪んで撃てなくなってしまえば、それで一貫の終わりだ。すぐさまレールガンを分解して〈信仰の葉〉のケージに戻し、弾みを使ってこちらに接近してくる戦闘機の真正面へ、踊り出る。
背中に括りつけられていたそれを取り出し、構える。
それは一枚の板だった。薄く、長く、平たい、クロムとニッケルとチタンで構成された、剛性よりも耐熱を重視した合金。
それに備えられた小さなレバーを親指で弾いて電源を入れる。その縁と内部に張り巡らされた導電体が板へと莫大な電圧を流しこみ、先ほどの瓦礫なんかよりも遥かに高温の熱――それこそレールガンに等しい膨大な熱が抱かれ、陽炎を纏わせる。
ヒートブレード。そう呼称するのが妥当だろう。
それは確かに切るという意味では剣だが、剣としての機能を果たす刃はない。また、電動ノコギリのように細かな刃の数で削り切ることもできない。
圧倒的な熱量で、それに触れる全てを溶かし切ることが目的だった。
戦闘機の機銃から飛び出してくる弾丸の雨を、上に弾みながら回避する。
機体の腹から姿を見せたミサイルが白煙を噴き上げてすぐ――キオは弾むことも〈加速〉することもやめて、領域の動きをとある一定のパターンへ切り替えた。またも頭の中を貫くような痛みが生じる。
アリスはそれを〈猫のない笑い〉と称していた。
――ブラックホールは、その重力があまりにも強大すぎる故に内から外へ向かう光すらも逃さないことから黒だと称される由縁を持つ。その周囲にある渦を巻く模様は、それに巻きこまれる物体の流れであると同時に、ブラックホールへと吸いこまれていく光の屈折でもある。
その理論を転用し、重力に指向性を与えれば――。
放たれたミサイルは、その目標であるキオを見失ってただ直進することしかできず、どことも知れぬ空の彼方へ飛んでいく。
目標を失っても滑空を続ける戦闘機。しかし胴体に突如として
ヒートブレードを振るい、無人のコクピットが見える機種と翼を真っ二つに両断。戦闘機が火達磨へ変貌する前に、キオは遥か上方へと弾んで、再び重力流のパターンを〈猫のない笑い〉に変える。
光の屈折による光学迷彩。実際に消えているわけではなく、単に見えなくなっているだけに過ぎないため、それでも戦闘機に積まれているレーダーへは映ってしまうだろうが、どちらにせよ〈想鐘〉はそのものが保有している磁場も影響して、本来よりかなり大きなものとしてレーダーへ映る。
当たらない確証があるわけではないが、しかし見えなくすることで大まかな位置だけしか向こうは掴めない。
しかしその代償として、弾むことも〈加速〉することもできなくなってしまうが、今はそれで良かった。
自由落下を始める中で、キオはひたすら考える。
――接続できるコンピュータは、どこにあるのか?
送電線を遡ったところで、発電施設のある方とない方の二択に別れる。そしてどちらにしても、今のように兵器たちの急襲を受けることは間違いなく、その拍子に破壊されてしまうこともありえる。
それどころか、八年も無人だったであろう発電施設は、果たして今も機能しているのか?
機能していなかったら、それよりももっと遠くへ飛んで、機能している発電施設を見つけるまで虱潰しに飛び回らなければならない。
そんな余裕は、ない。
もしかしたら世界中の発電施設はとっくのとうに機能を停止しているのではないか? しかしそうであるなら、世界中のコンピュータは全て機能を停止しているはずであり、無人でヘリや戦闘機を飛ばすための無線基地すらも機能していないことになる。
なら、まだこのあまりにも広すぎる地球のどこかに、生きている発電施設があるに違いなかった。
しかし今もこうしている間に、ここめがけて数多の兵器が飛んできていることは間違いない。
戦闘機やヘリならまだしも、周辺の建物全てを巻きこんで爆発する巨大なミサイルが、遥か遠くから飛んでくるのでは、もし近くに発電施設があったところでそれ諸共吹き飛ばされて、また一からやり直さなければならない。
すなわち、地上のどこに居ても安心してコンピュータを接続できる場所なんて存在しないのでは?
焦る気持ちを胸に、だんだん近づいてくる地上を見やるキオ。
その地平線の向こうに、青い海が見えた。
……なら、海上は?
海上には原子力で動いている戦艦が複数あるはずであり、その中には有線接続を可能にする端末がいくつあってもおかしくない。
でも、結局それは頑強な艦船の狭い内部へ踏み入らなければならないことを意味し、さらにはその外から攻撃をして沈められてしまえば、逃げ出す手段なんて皆無に等しい。
今までも、コンピュータが密集しているビルごと吹き飛ばしてきたことを考えれば、とにかくキオへ攻撃すること以外の考えを持っていないのだろう。
それに今でも生きていそうな船といえば、初めから長期的に使われることを想定されている戦艦の類であり、戦艦なら今キオが対峙してきたものよりも遥かに多い戦闘機やヘリが積まれていてもおかしくはない……。
やはり、海でも無理だ。
キオは首を振って、対物砲が既に冷めていることを確認しながら、街から外れた地上へ、小さな弾みを何度も重ねて落下の衝撃を和らげ、着地する。
「じゃあ、どこに行けば……?」
気がつけば雨が止み、雲間から橙色と紫のグラデーションが広がる空が見えた。
その向こうに小さな黒点が見える。
覗き見て、それがアオバに教えられたものであることを思い出す。
〈クレイドル〉。
最大望遠で覗き見れば、形状が浮かび上がる。巨大な円柱の片端から、傘の骨のように広がっているソーラーパネル。
大規模通信サーバー型衛星。
地上でも海上でもない宇宙空間で、独立した電力を保持して稼働を続ける、巨大なコンピュータそのもの。
思わず、大きく弾んで〈加速〉した。
もしかしたら地上から宇宙という遠大な距離を、それこそミサイルなどとは比べ物にならない速度で駆け抜けてしまえば、その距離が長ければ長いだけ、ミサイルが到達するまでの時間差をより大きくすることができるのではないか?
しかしそのためには、宇宙空間へ身を乗り出さなければならない。またキオの想像もつかない負荷や温度差、気圧差も考えられるし、そもそも空気がなければ、いくらキオとて、脳が動かなくなってしまう。
だが考えてみればそれは、今の自分を考えればまだ可能性は見込めた。
重力の余波を操って密閉させるように仕向けることで、領域の外で変化する気圧をほぼ一切考慮せずに済み、領域の内側であれば空気が保持できる。
そして宇宙空間で生じている温度差は太陽の光をあまりにも直接に浴びてしまうことと、気圧差の二つの理由を持つが、夕方である今ならばまだ太陽の光を浴びる時間も、昼間よりは少なくて済み、既に気圧についての問題はなくなっている。
……本当にそれでいいのか、キオは不安になるけれども、しかし地球上にある可能性よりも、明らかな希望を感じることができた。
ならば、もう真っ直ぐに進むしかない。駄目かもしれないけれど、しかし進まなければ、あの時の決意をむざむざ捨てることになってしまう。
戻ってこいと、アオバもアリスも言った。キオも戻りたいと思っているし、それは揺らがない。
あの二人はキオの決意を飲みこんで、そして戻ってこないかもしれないという可能性があることを知らなかったわけでもないはずなのに引き留めず、キオへその言葉をかけた。
二人が見送ることを決めた覚悟のため。二人に応えようとする自分自身の意志のため。
だから――!