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喉も涙も、枯れてしまいそうだった。
それでもまだ、アオバは信じることをやめない。やめたらそれこそ、キオが居なくなったことを認めてしまう気がした。足掻くように、ただひたすらにアオバは認めなかった。
消滅した〈クレイドル〉の中に、確実にキオが居た。衛星軌道上から大気圏へ突入する超高熱の中に居たとしても。
ブラックホールによって〈クレイドル〉そのものが消滅しており、かつそのブラックホールの中心にキオが居たという事実が明白であっても。
アリスの言う通り、ブラックホールから奇跡のように運良く逃げることができ、高空から地上に落下したとしても。体内の電源が切れる数分の間、落下の衝撃で体が動かせなくても。電源が機能しているケーブルがどこにも見当たらなかったのだとしても。
断じてアオバは、それを信じなかった。
あらゆる理屈など全部かなぐり捨てて、アオバはただキオが生きていることだけを望んで、信じて、願う。
間違った願いだとも、願うことそのものが間違いだとも、アオバは思わない。
キオが空の彼方へ消える前に、アオバと約束したのだから。
ただその一点だけで、アオバは充分だった。
だから涙をひとしきり流し、喉が潰れるぐらい叫び終えたら、すぐに空を見上げる。
……そこに、一つの姿があった。
バタバタと風を切る音が聞こえて、それが近づいてくる。
それは一機のヘリコプターだった。
乱暴に着地してドアも弾けるように開き、その中から飛び出したラジコンの小さな車がアオバの前まで走ってきた。
アオバの目の前で止まったそれの背中に、とあるものが括りつけられていた。
ちょうど手に収まる大きさの、板状をしたもの。表面が黒塗りのガラスになっている。
スマートフォン。
なぜそんなものが、無人のヘリに乗って、誰が操っているとも知れぬラジコンに運ばれて、なぜアオバの前に現れたのか、まるで理解できなかった。
アリスも傍らで、涙を拭いながらそれを見下ろす。
アオバがそれに指を伸ばす前に、スマートフォンの画面に光が灯って、けたたましい音を鳴り響かせる。
画面には受話器のマーク。そして通話を意味する緑のアイコンと、拒否を意味する赤のアイコン。
不思議と、緑のアイコンに指が伸びた。
また黒一色になりはしたものの暗くなったわけではない画面の向こうから、声が聞こえる。
『……アオバ?』
間違えるはずなどない。約束した相手の声。
キオの声が確かに、聞こえてきたのだ。
「キオ? キオなんだね?」
返答される前に、アオバはしわがれた声で矢次ぎ早に質問を繰り出す。
「大丈夫?」「どうやって電話を?」「あと、他に……」
『ちょ、ちょっと。そんなに一気に言われても……とりあえず、大丈夫だから』
照れくさそうに、そして焦りながらも、しかしキオは含み笑いとともに声を返してくれた。
嬉しかった。
アリスがアオバのすぐそばまで駆け寄って、スマートフォンへ決死に語りかける。
「私だ。アリスだ。キオ、本当に生きているのか?」
『うん。お母さん』
落ち着いた、ゆったりと安堵しながら発せられたその単語にアリスは口元を顔で覆い、また――しかし先ほどとは別の理由で、涙を溢れさせる。
「それにしても、どこにいるの?」
『今は、太平洋の……潜水艦? の中に居る』
「潜水艦?」
『そう。教えてくれたから。この電話も』
「教えてくれた、って……誰に?」
『誰って……誰って言えばいいんだろう? とにかく、わたしがお話ししたかった相手』
キオから言葉が返ってくる度に、キオと話すことができている実感に嬉しさで一杯になると同時に、全く覚えのない情報ばかりが飛んできて驚きを隠せなかった。
「それって……」
「それは、人なのか?」
アオバの言葉を遮って、アリスがアオバの抱いていた疑問を言葉にした。
『ううん。違う。データ、って言えばいいのかな? データの人?』
キオにも上手く言葉が見つからないようだが、しかしアリスはそれを掬い上げて言い直す。
「……インターネットが抱いた意思」
『そう。そんな感じ』
キオの声が嬉しそうなそれに変わる。
「でも……」
アオバが未だ拭いきれない疑問を投げかける。
「なんで潜水艦なんかに? 〈クレイドル〉に居たはずじゃ……」
『そう。居たよ。アオバは見てくれてたんだ』
「そうじゃなくて! ……いや、でも、いいか」
話題を逸らされたことが少し嫌だったけれど、しかしアオバにとっては、結果としてキオが生きているということがあればそれで良かったから、どうでもよくなった。
『座標とかね、全部、計算してくれたから』
「座標、計算……」
アリスがその単語に反応して、一つの仮説を引っ張り出した。
「まさか、キオ。君はワームホールを物理的に通り抜けたとでも言うのか?」
アリスの言葉に、今度はアオバが反応した。
去年に話された単語。
その続きに、今キオが喋っているそれも含まれていた。
『そう。
「まさかそれを実現した瞬間を、確認できる時が来るとはな……それにしても、なぜそれができた?」
『計算してくれたのは〝あの人〟だからわからないけど……怖くなかったのは、アオバのおかげかな』
アリスが突拍子もない言葉に眉を潜めたが、アオバはこれ以上ないほどにスマートフォンへ身を乗り出した。
「どういうこと?」
『ほら、アオバ。わたしが居るって、思ってくれていたでしょ?
ありがとう。アオバが思ってくれなかったら、怖くてできなかったかも』
まるでその目で見て耳で聞いていたかのように、キオは何の疑いもなくそんなことを言う。
「どうして、僕が何を思っているかなんて、わかったの?」
『どうしてかなんて、わからないよ。ただ、わたしがまだ死んでないなら、それはアオバのおかげなんだなーって、なんとなくそう思っていた』
「……そっか」
アオバは再び、全く理論的じゃない言葉に、どこか安堵していた。
「さて、私はここまでだ」
アリスが立ち上がったかと思えば、アオバに変な言葉をかけた。
「あとは頼んだぞ。青の妖精よ」
アリスはアオバの元を――いや、アオバとキオの二人から離れていく。
しばらく、アオバもキオも、何も話さなかった。
その場の無音だけが互いのマイクとスピーカーを通じていたが、それ以外の何かが、マイクとスピーカーでも、それを通す電波でもなく、どれほどの距離を隔てていても、アオバとキオを直接繋げていた。
ただ二人が、それを乗り越えた結果だけを思いながら、穏やかな気持ちで、見えもしないお互いの笑顔を見つめていた。
キオが話しかける。
「ねえ。わたし、アオバのこと……」
「あのさ!」
キオの言葉を無理に遮って、アオバは大声を出した。
キオが話そうとしていた言葉の続きは、どうしてもアオバ自身の口から話しておきたいことで、だからこそ、いくらキオでも先を越されたくはなかった。
「海に行こう。今からさ」
「……どうして?」
少し驚いていたけど、しかしキオが聞き返してくる。
そこでアオバは、そろそろ沈みそうになっている夕日の、最後の一部分まで見送って、それから深い紺色の空に浮かび上がるそれを、キオに伝える。
「虹が綺麗なんだ。きっと星も綺麗だよ」
キオの返事が来る前に、アオバはその返事の内容を思う。
いや、アオバが思うまでもなく、そしてキオがわざわざ言い返すでもなく、キオがこれから喋る返答はもう、二人の間では、わかりきっていたものだった。
……完結です。
大学生最後の夏に書いていたものでしたゆえ、今読み返すと「おおぅ、技量不足ぅ」と頭を抱える部分が多くありましたが、
それでも、ここまでお付き合いいただいた方には、感謝を。