虹の彼方に、フェアリーテールの祝福を   作:在田

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第2話:どこにもいない ~Nowhere~
2-1


 大きいバッグ一杯に重いものを入れたアオバは、とても高い天井と、等間隔に並べられた石柱を見上げていた。

 視線を下ろせばいろんな人が行き来をしている。ついさっきまでアオバが加わっていた回収班たちが、荷物を配るためにトロッコを乗り継いでいる時間だ。

 

 アオバが十六歳になってから、そろそろ半年ぐらいが過ぎる。

 もうすっかり回収班の仕事にも慣れて、農作班にもちょくちょく顔を出すぐらいには力がついて体も大きくなった。

 視線を横にやって、階段を降りてきた人影に、アオバも背中を預けていた石柱から離れて、その方へ向かった。

 

 キオだ。

 あれからアオバは、キオの〝会えない時間〟きっかりに向かうことはやめようと思って、今みたいにキオが階段を降りてくることを待つことにしている。特に何か約束をしたわけでもないのに、キオも階段を降りながらアオバを探すようになっていた。

 シャワーを浴びた後だからなのか、この時刻なのに他の人と比べて、キオの髪の毛はしっかりと整えられている。やっぱりあの癖は健在なのか、キオも気づかないうちに手を髪へ伸ばしていじっている。

 そんなキオの髪の毛も、気がついたら肩に触るほど長くなっていた。

 背丈も、もしかしたらアオバよりも背の伸びが早いのではないかと思えるほど、日に日に大きくなっていくのを知っている……というより、最近になって節々が痛くなってきたアオバでも、だんだんとキオを見下ろす視線が高くなっていくのを感じている。

 まるで首輪のようにキオの首へ巻きついている黒い輪も、その後ろからリードのように伸びているヒモも、そして耳を覆い隠すヘッドフォンも、ずいぶん見慣れて、違和感が薄れてきた。

 

 アオバが近づきながら手を振って、キオも気づいて、笑顔を浮かべてこっちにやってくる。

 何度となく繰り返されても、アオバの胸にわき上がる嬉しさは変わらなかった。キオがアオバを嫌っていないどころか、むしろ好いてくれているのだと、アオバは勝手だけどそんなことを思って、その度に自信がついて……こんなことは誰にも言えないな、と鼻の下を指でこする。

 

 別に、一緒にどこかへ行くというわけではない。何せキオは首の後ろに繋がっているヒモを外しちゃいけないと言われているみたいで、キオはこの石柱が並ぶ地下空間の端にすら行けない。

 だから……この地下空間の端から端にも、回収班や農作班でいつでも外にも行けるアオバが、そんなキオに何も思わないわけがなかった。

 キオはそんな素振りを見せないし、いつもアリスと二人で何をしているのかも話してくれないけど、本当は気持ちを押し殺しているのではないかと考えてしまったら、あとはもう、そうとしか思えなかった。

 

 それでアオバは、回収班の特権を使うことにした。

 回収班は主にこの地下に暮らしているみんなのものを持って帰るのもそうだけど、リーダーであるケンジが決めたルールに従っていればそれ以外のものも持って帰ってきて良いし、実際にそうして、外から楽器を持ってきてバンドを組んだ人たちもいる。

 だからアオバもその人たちと同じように、本来回収班が持ってこないようなものを持ってきた。

 それをバッグの中から取り出して、キオに見せる。

 

「ポータブル……?」

「DVDプレイヤー。最近は全然見ないけど、これでいろんなものが見れたんだ」

 

 映画と言っても、たぶんキオにはわからないだろうから言わなかった。

 箱から無造作に引っ張り出して、箱はバッグへてきとうに詰っこむ。二つ折りになっている画面と本体を開いて床に置き、一緒に持ってきたDVDを入れる。かなりぞんざいな扱いだったけど、そんなことよりもアオバは、それを早くキオに見せてあげたかった。

 

 ……それはアオバの好きな映画だった。できればキオの好きな映画の方が良かったけど、覚えていない。もしかしたらそもそも聞かされていなかったのかもしれないけど、どちらにせよわからないことに変わりはなかった。

 キオは画面の中で次々と入れ換わっていくシーンを見て最初は目をキラキラさせていたけど、しばらくして見つめる視線が細くなっていく。アオバは気づくことなく、キオと一緒に座りこんでこの小さな画面を見つめているその時間が、ただ嬉しかった。

 

 ふとキオが、登場人物が外に出ているなんて、どうでもいいシーンで小さく言葉を漏らした。

 

「外って、こんなに明るいんだね」

 

 キオの横顔に笑みが浮かんでいる。

 その瞬間に、アオバは映画の中身なんて頭から吹き飛んでしまった。

 キオの笑みが嬉しそうなものなら良かったけど、そうではない。どこか悲しそうなもの……作り笑顔だというのがすぐにわかった。

 やっぱり何も思っていないなんてことはなかったんだ、と息巻いて自信満々に語ろうとする自分は、もういない。

 

 キオがふと、右手で髪の毛をいじる。

 それを目で追って、首に巻きついている黒い首輪と、そこから伸びる黒いヒモへ視線が向かってしまった。

 

「……ごめん」

 

 即座に停止ボタンを押す。

 どうにかしてあげたい……できることなら何でもやるし、キオが笑ってくれるなら、それでいい。

 そう思ってアオバはこのプレイヤーを持ってきたつもりだった。外がどんなものだったのかを見せて、キオに喜んでもらおうだなんてことを考えていた。

 

 しかし同時に、キオからしてみれば画面の向こうで広げられる映像は、それこそ画面の向こうの世界でしかない。

 起きてから一年以上もこの地下に居て、もしかしたらこれから先ずっと、この地下から……その地下ですら満足に行き来できないような生活を送るかもしれないキオには、外に出て青空を見上げるなんていうそれだけのことすら、できないということを……他の誰よりもキオに、残酷に突きつけていた。

 

 プレイヤーを閉じようと画面に手をかけて、すぐにキオの指が横から伸びてきて、再生ボタンを押した。

 画面の向こうでは、さっきまで写真のように止まっていた映像が、何事もなかったかのように動き始めて、夕焼けの海を映す。

 アオバが驚きのあまりに、その表情を隠さないまま振り返ってしまう。

 

 そんなアオバと目を合わせて、キオは嬉しそうな作り笑いを浮かべた。

 

「いいの。最後まで見せて」

「でも」

「今いいところなんだから」

 

 もう一度ボタンへ手を伸ばしたアオバの手を跳ね退けて、キオはプレイヤーを手に取って独り占めした。

 さっきよりも顔からすぐ近くにある、画面の向こうから届く夕焼けに照らされて、キオの顔がオレンジ色に染まる。

 

 今のキオが無理をしているなんてことは、すぐにわかる。でもそんなキオから、無理矢理にプレイヤーを奪い取ることなんて、アオバにはできなかった。

 プレイヤーを追っていた手を戻して、握り拳を作る。

 一番辛いはずの人が目の前で笑顔を浮かべているのに、自分の胸を絞めあげる罪悪感と申し訳なさで、アオバは泣いてしまいそうだった。

 

「ごめん、キオ」

 

 絞り出すように言葉を紡ぐ。でもキオは気にしないかのように……あるいは気にしているのにそんな素振りを見せないように、アオバを見上げて横の床を叩いた。

 

「一緒に見よ」

 

 首を傾けながら夕焼け色の笑顔を見せるキオを見て、アオバは鼻を少しだけすする。

 

「うん」

 

 言葉としてそう言ったのか、それともただ単に頷いただけなのか、判別はつけられなかった。

 それでもアオバはキオの横に座って、二人の膝の上にプレイヤーを置いて、映画の続きを見る。

 画面の向こうに見える夕焼けはまだ消えず、それを照り返す海を背景に、何人かの人たちが海に駆け寄って波の中に足を突っこんだ。

 その画面を指差して、キオは尋ねる。

 

「これは何?」

「それは……」

 

 指差されたものを見て、一瞬だけアオバは目を疑う。

 でも考えてみればすぐに、記憶を全部なくして、ずっとこんな場所で暮らしているキオがそれを知らないのも当然だと思えた。

 それも悲しかった。

 

「海だよ。地球の半分以上はこれで一杯になってるんだ」

「どうりで大きいと思ったら!」

 

 ……もしかしたら地球の解説もしなきゃいけないかなとアオバは焦っていたけど、どうやらキオも地球のことはさすがに知っていたらしい。

 内心ほっとしながら、冗談めかして驚いたような声を出したキオに、少しだけ笑った。

 

「へえ。海かぁ……」

 

 もう夕焼けでも海でもないシーンが映っているのに、画面を見つめながらキオは、うっとりとため息を吐くように言う。

 

「気持ち良さそう」

「……そうだね」

 

 海にだって行ったことがあるはずなのに……それすらもキオは忘れてしまっている。

 辛いことだとは思った。それでも、思い出が全部なくなったとしても、キオが別人になったわけじゃないとアオバは信じられる。

 思い出なんて、またこれから新しく作ればいい。また同じ時間を一緒に過ごせればそれでいい――そう、アオバはあの時に決めたのだ。

 その思いだけは絶対に間違っていない自信がある。

 ……そうならば、きっと今アオバが思い描いていることも、間違いじゃないはずだと、アオバは思っている。

 

「ねえ。明日の夕方は開いてる?」

 

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