そして前半の脳みその蕩け具合
「――――なし。楯無……」
誰かに身体を揺さぶられた。遠慮がちで、優しい揺らし方だった。
だけど、どこか起きる気にはならなかった。何ならこのまま揺さぶられていたい気分だ。
意識のどこかで聞こえる、俺の名前を呼ぶ声が心地いい。
「……もう。寝坊助?」
呆れたようなその声に甘えてしまいたくなる。
――――あぁ、そうか。俺をこんな気持ちにさせる人はそうは居ないし、俺を呼びに来る人はきっと一人だ。
ゆっくりと目を開けて視界を確保すると、飛び込んできたのは水色。
それを俺は知っている。何しろこの部屋でずっと見続けてきた色だ。
「かん、ざし……」
覚醒していく意識から、無意識に名前を呼ぶ。
俺の寝顔を覗き込んでいた簪は「うん」と返事をして、優しく俺の前髪を払った。
「あぁ……“打鉄”のデータ整理してたら、知らない内に眠ってたのか」
「よく眠っていた……今日は疲れた?」
確かに今日は転入生が来たり、山田先生と戦闘実演をしたり、シャルの正体を暴いたりとイベント盛り沢山だった。知らぬ間に疲れていたのかもしれない。
……まぁ、一番の要因は簪の匂いに包まれていたせいだろうが。
「あれ、そういやシャルは?」
『シャルロットさんは織斑一夏が夕食に誘いました。マスターは眠っていたので置いていかれましたが』
一夏なら簪が迎えに来ると知っているだろう。別に置いていかれたわけでは……ないよね?
「何か怪しい動きをしてたか?」
『いいえ。眠ったマスターを見つめ続けていました。彼女の専用機が起動した様子もありません。ですが一度だけ、今の簪さんの様にマスターの顔を覗き込んでいました』
何がしたいんだあいつは。デュノア社のスパイ的な事をしていなかったなら別に何だっていいが。
暫くは眠りが浅くなりそうだ。施設に引き取られた当初を思い出す。あの時は一人か、傍に妹が居ないと碌に眠れなかった。
俺と相棒がシャルの対応を検討していると、簪は不思議そうに尋ねてくる。
「シャルロット……? 楯無の同室の人?」
そういえば簪は、自分が引っ越した初日に新しく同居人が決まった事を知らなかったのか。
しかもそれが転入生で、挙句性別を偽っていた女子だったとは考えもしないだろう。
「……話せば長いんだが」
俺は簪に事情を説明した。それはもう一から十まで。
別にシャルには『誰にも言わない』なんて約束はしてない。誰彼構わず言うつもりもないが、必要ある相手には言うのを躊躇う事もない。どうせ後で千冬さんに報告しなくちゃならないし。
――――事情を説明し終わると、そこには微妙に機嫌が悪い簪さんが。
……地雷を踏み抜く事上手いなぁ、俺。
「シャルに……帯。随分、仲良しそう」
「……そうか? 俺は呼んでって言われたから言っただけなんだけど。寧ろ友好度は零だな、現時点で」
別に今のシャルと仲良くするつもりもないのだが。一夏相手にスパイをするなら別に好きにすればいいが、俺に対してはさせるつもりはない。
シャルル――デュノア社のスパイと話す事はない。話すとしたら、やりたい事を見つけた少女――シャルロット=デュノアとだ。それが何時になるのかは知らないが。
俺は簪と刀奈の事で手一杯なんだ、構ってられるか。
「気を付けてね……“黒雷”の事も、狙ってるかも」
「それは気を付ける。あいつのやりたい事がスパイのままだったら、その時は潰すよ」
今はまだ存在すら知らないだろうけど、“黒雷”の事を狙うのだったらそれは俺の敵だ。
俺の翼を狙うのであれば、全力で排除させてもらう。
「……まぁ、それはおいおいとして。一番気になってた事、訊く……」
何だろう。他に聞く事でもあっただろうか。
簪は顔を赤くしながら、今までの勢いはどこに行ったのかと問いたくなるレベルでもじもじしていた。
「な、何で……私が使っていたベッドで、寝てるの?」
そういえばそうだった。俺は今、簪が使っているベッドに引っ越したんだった。
その理由は俺のつまらない拘りだが、それを本人に告げるなんてどんな罰ゲームだ。
しかし簪は俺が答えるまでこの話題から離れてくれはしないようだ。とんだ詰み状態である。
……まぁ、ISスーツの一件で色々とはっちゃけてしまった感はある。
(言っても大丈夫かな)
(今更です。私からすれば、マスターと簪さんはむっつり同士でしかありません)
俺はともかく、簪まで酷い言われようだ。いや、確かに知らず知らず着替えを覗かれてたりはしたけど。
とにかく、言わなければならないらしい。こうなればもうやけくそだ。
「……だって、簪のベッドが誰かに使われるの嫌だったし」
「そ、そう……」
簪は更に赤面して俯いてしまった。恐らく俺の顔も同様だろう。頬が恐ろしく熱い。
「その、ベッド……私の匂い、付いてない?」
付いてます。めっちゃ付いてます。その匂いに包まれながらさっきまで寝てました。
どう考えてもやばい奴だから流石に黙っていたのだが、俺の表情で伝わってしまったのだろうか。簪は顔を極限まで赤くしながら、俺の事をじとーっ、と睨んできた。
「えっちじゃなくて……変態?」
「相棒曰く、お互い様らしいぜ。流石に簪は俺の匂いを嗅いだりはしないだろうけど」
ははっ、と自嘲めいて告げてみれば、簪の反応が無かった。
顔の赤さを維持したまま、俯いて両手で顔を覆ってしまった。
引かれているわけではないらしい。……という事は、だ。
「……簪? もしかして……」
「もう、死ぬ……死ぬしかない」
膝から崩れ落ちてベッドに上半身を投げ出した簪。……もう何も言うまい。と言うか人の事を言えない。
いやまさか、本当にお互い様だったとは。道理で偶に俺が起きた時と掛布団の位置が微妙にずれてるな、と思ったんだ。この部屋にカメラや盗聴器の類が無くて良かった。
しかし、これでは不公平だろう。俺は簪の匂いに包まれながら眠るのに、簪はそうではない。
明らかに俺の思考がいかれ始め、理性が全力で仕事を放棄していた。
俺はいそいそと制服を脱ぎ、中に着込んでいたワイシャツまで脱ぐ。流石に寒いのでその後また制服を羽織るが。
脱いだワイシャツを簪に羽織らせると、漸く簪は顔を上げた。
「これ……今、楯無が着てたの?」
「……要る? パジャマにでもと思ったんだが」
最高に頭の悪い言葉を告げると、簪は再びベッドに突っ伏して顔を隠す。耳まで赤いのは言わずもがな。
そうしてたっぷりと一分ぐらいうーうー唸った後。
「偶に……交換してもいい?」
ぼそぼそと告げるその言葉に、本当にお互い様だなと思った。
◇
簪と夕飯を食べ、お互いの部屋に一度戻った後。簪は大浴場へ入浴しに行った。
髪を乾かしてくれる約束は未だに継続中らしい。シャルが居ようとお構いなしだな。
俺もさっさとシャワーを浴びなければならないのだが、その前にやる事があった。
「千冬さん、校舎近くのベンチで待ってるって言ったよな」
『はい。シャルロットさんの正体の報告、そして今回の報酬の要求を手早く済ませましょう』
やる事は相棒との会話の通りだ。こんな面倒はさっさと終わらせてしまおう。
そしてさっさとシャワーを浴びて髪を乾かしてもらおう。
そう思いながら千冬さんとの待ち合わせ場所へ向かえば、道中でとある少女が居た。
見た事がある……と言うか、今日初めて見た顔だ。
「……何してんだ、ボーデヴィッヒ」
月明りを浴びて輝く銀髪が印象的な少女――ラウラ=ボーデヴィッヒは、俺の声に振り向いた。
だが、明らかに歓迎されてはいない。無表情ながらも鋭く睨むその赤い瞳はナイフの様に感じられた。
「……貴様か。今の私は機嫌が悪い。早急に消えろ」
「機嫌が悪くなくてもナイフぶん投げてくる奴に言われてもなぁ。まぁ、お前には用はないし早急に失せるけど。じゃあな」
そうして俺はボーデヴィッヒの横を通り過ぎようとする。この先に千冬さんが待っている。
「――――待て」
だが、俺の行進は足下に刺さったナイフによって縫い付けられた。
ボーデヴィッヒの方を向けば、やはり視線はナイフのままだ。眼光で何回俺を殺せば気が済むのだろう。
「一々ナイフを投げるな。出席簿と違って当たったらやばいんだ。本気で対処しないといけないだろ」
「知った事か。……貴様、包村帯というIS乗りを知っているか」
意外な奴から意外な名前が出た。有名だな包村帯。
そして知ってるも何も本人だが、今の俺は雪月楯無。あくまで他人である。
「あぁ。第二回モンドグロッソに出場した女性だろ? 確か、準決勝で棄権したって」
「そうだ。私はその女を探している」
ボーデヴィッヒの感情が初めて揺らいだ。氷の様に冷たい彼女が初めて見せた感情。
――――それは、怒りだった。
ナイフの様な赤い瞳は、今は紅蓮の様に燃え上がっているように見える。
「……見つけて、どうする気だ?」
訊きたくないが訊くしかないだろう。他人である内に情報収集しておかなければ、いざ発覚した時には手遅れになっている可能性がある。
ボーデヴィッヒは俺の足下に投げたナイフを拭き抜き、塵を振り払いながら告げる。
「無論、倒す。奴の準決勝の相手は教官だった。教官が“零落白夜”を発動し斬り捨てようとした瞬間、奴は棄権したのだ。自らの敗北を受け入れる事が出来ず、教官の前から逃走し、教官の名誉ある戦いに泥を塗った! ……奴だけは何としても見つけ出し、教官の代わりに私が否定しようのない敗北を与える」
絶対にばれないようにしよう。そう心に誓った。
ボーデヴィッヒ、すっごい面倒くさい奴だった。
とにかく話題を逸らして包村帯の事は忘れてもらおう。
「そういや、その眼帯の下はどうなってるんだ? ファッションじゃないだろ」
「貴様には関係ない」
「俺もナノマシンで左目潰れてんだけど、お前もそういう類?」
しれっと言ってみれば、ボーデヴィッヒが反応した。どうやら当たりの様だ。
「……貴様も、越界の瞳を?」
確か、ドイツがISへの適合性向上の為に行っていた処置の事だ。
肉眼へのナノマシンの移植なんていかれた事、束姉以外にやろうとする奴が居るんだな。
まぁ、俺の左目の場合はナノマシンとの相性が良好過ぎたせいで起きてしまった事故だが。束姉とドイツの科学力の差である。
そういった意味では、俺とボーデヴィッヒの左目は似たようなものなのだろう。
「越界の瞳が何なのかは知らないけど、俺はISとの適合性を高める為だ。似た者同士、よろしくな」
(知ってる事を知らないと告げ、仲良くする気もないのに『よろしく』と言うマスターのあまりの白々しさに、織斑一夏の監視をしていた頃を思い出します)
相手は俺に恨みがあるドイツ軍人だ。そういう軍事機密は知らばっくれるに限る。
握手を求めて手を差し伸べてみるも、ボーデヴィッヒは応えない。そういや俺の事は包村帯に似ているから認めないんだったか。似ているどころか本人だが。
俺は手を引っ込めて、ポケットの中に突っ込む。転校初日から仲良くする社交性があったらナイフは投げてこなかったな。
「じゃ、俺はもう行くわ。お前も外出禁止時間になる前に部屋に戻れよ。寮長はちふ――――織斑先生だから、迷惑掛かるぞ」
「忠告は受け取っておこう。貴様も教官に迷惑を掛けるな」
それを言うには遅過ぎた。ぶっちゃけ千冬さんに迷惑を掛けて遊ぶのが趣味と化してしまっている。
寮に向かって歩き出したボーデヴィッヒを見送っていると、後方から足音が聞こえた。
『マスター。後方に織斑千冬の存在を確認しました』
相棒が“黒雷”から直接声を出して俺に知らせた。千冬さんに対して、自分はここに居ると威嚇しているようだ。
俺を守る事に関しては過保護な相棒を指先で撫でてから振り返れば、相棒の言葉通り千冬さんが歩いてきていた。
「おや、千冬さん自らお迎えですか?」
「遅いからもしやと思い様子を見にくれば、ラウラに絡まれていたのか」
そう言いながら千冬さんは何かを投げてくる。キャッチすれば、それは微糖の缶コーヒーだった。
「飲め、楯無。私の奢りだ」
「……これで迷惑料とか言わないだろうな。シャルの件、貸し一つだぜ」
「構わんさ。さぁ、飲め」
何だ、やたら勧めてくるな。まぁ、千冬さんなら毒とか入れてるわけでもないだろう。言われた通りにプルタブを開けて缶コーヒーを飲む。ベンチ座らせてくれよ。
さて、とりあえず千冬さんにはシャルの件を報告した。報告し終われば、千冬さんは顎に手を添えて神妙な面持ちだった。
「成程、大方の読み通りだな。それにしても一日で終わらせるか、お前は」
「面倒だったからな。で、学園としてはどうすんの」
「……今はまだ、特に対応する事はないだろう。デュノアが何か行動を起こさない限り、状況を刺激しない方がいい」
強制的に退学とかはしないらしい。お優しいこった。
「ともかく、ご苦労だった。暫くは監視を続けろ」
俺は千冬さんの私兵ではないのだが。ま、千冬さんには俺の事を学園に黙ってもらってるから、やらない事もないが。
但し貸し一つは変わらない。シャルを押し付けてきた事自体は根に持ち続けてやる。
俺がこの貸しを何に使おうと考えていると、千冬さんが何でもないように言ってきた。
「さて。ラウラの事も頼んだぞ、楯無」
「……は?」
「だから、デュノアに続きラウラの事も頼んだと言ったんだ」
この人は一体何を言ってるんだろう。
「ボーデヴィッヒは無理だろ。初めて会った相手にナイフ投げてくるような奴だぞ」
「だが、先程は話が盛り上がっていたようだが?」
「包村帯への恨みを聞かされてただけだ。後は左目のナノマシン談義。それも会話らしい会話じゃなかったけど」
最終的に握手を拒否された。……いや、考えれば考える程無理だろこれ。
しかし千冬さんはそうは思わないようだ。
「ラウラの自己紹介を見ていただろう。あいつは興味のない相手にはあぁいう態度を取る。恨み口であれ、会話らしくない会話であれ、ラウラから何か行動を起こしたというだけでお前には十分な可能性がある」
「じゃあ一夏でいいだろ。挨拶がビンタだった分、まだ友好的にいけそうだぜ」
「お前に拒否権はない。もう先払いの報酬を受け取っているからな」
にやりとそんな事を言われても、俺は何にも受け取って――――。
そこまで考えて、俺は自分が握っているものを思い出した。
やたら飲むのを勧めてきた微糖の缶コーヒー。今はもう空っぽである。
「……嵌めたな」
じろりと睨んでも、千冬さんは涼しい顔で受け流すだけだ。
「そう怒るな。何もクラスに馴染ませろとは言わんさ。唯、ラウラが何かしらを発散できる相手であってくれと頼んでいる」
「何かしらって……それこそ一夏でいいだろ。あぁいう輩は真正面からぶつかってくる相手の方が合ってる」
「だから頼んでいる。あいつは一夏の事にも執着しているが、包村帯にも執着しているIS乗りだからな」
そうして踵を返す千冬さん。
完全に去る体勢になる前に、一度だけ振り向いてこう言った。
「お前はISにだけは真っ直ぐだと、私は知っている」
嘗て、世界最強を決める舞台で刃を交えた相手が言った言葉。
織斑千冬と雪月楯無の空は相容れない。だから、俺にとって千冬さんの言葉は意味のないものだ。
そう思っている筈なのに、その言葉を否定するわけにはいかなくて、やり場のない気持ちを空き缶と共に握り潰した。
簪さんとの絡みを書く→話が進んでいない事に気付く→後半で適当に話を進める
がいつものパターン。
そしてラウラさんのお世話まで頼まれた。