ラウラとペアの約束をした翌日の日曜日。雪月楯無はIS学園のモノレール駅の前で佇んでいた。
静かに壁に寄り掛かりながら、端末で時間を確認している。
その様子は優雅さを感じさせる程落ち着いており、時折駅前を通る女生徒達が振り返り見惚れてしまう。
それに気付いた楯無が微笑みながら小さく手を振ると、女生徒は黄色い声を上げて去っていく。
かれこれ三十分、こんな事を繰り返していた。
(……何これ?)
クールな表情を崩さず、内心汗だらっだらで楯無は思う。
(あれ? 俺、刀奈を待ってた筈だよな?)
(はい。マスターはこれから刀奈さんと買い物をしに、レゾナンスへ向かいます。現在はその待ち合わせです。……今朝の出来事ですが、マスターの記憶領域には異常がありましたか?)
「憶えてるよ。理解出来てないだけで」
思わず小さく声を出して、楯無は今朝の事を思い返す。
まず翌朝。更識刀奈が楯無の部屋に襲撃してきた。本日は生徒会の仕事が無く、予定が空いている。買い物に付き合ってほしいと。
勿論二つ返事で楯無は了承した。楯無にとって刀奈の用件は簪と同レベルで優先すべき事であり、誘われた時点で本日の用件は全てキャンセルであった。
簪は“打鉄弐式”の武装開発を楯愛と通話で相談する事になっており、シャルロットは訓練に打ち込む予定があった。共に過ごす相手も居ない楯無自身に特に用事もなかったのは言うまでもない。
そしてこれに着替えてほしいと渡された紙袋の中身を確認もせず、喜んで受け取った。刀奈の嬉しそうな笑顔があれば、警戒心など抱く必要もなかった。
同室のシャルロットが完全に状況に置いていかれていたが、もう色々と諦めていた。
そうして指定された時間の一時間前。渡された紙袋の中に入っていた服に楯無は着々と着替え――――次々と表情を殺していき、一度脱ぎ、何故か自分の荷物に入っていた物を着込んだ後に再び着た。
偶然帰ってきたシャルロットが唖然とする中、颯爽と部屋から出て行く。そしてIS学園からしれっと抜け出し、モノレールの駅で刀奈を待っていた。ラウラに見つからなかったのは運がいいとしか言いようがなかった。
言葉にすれば何もおかしい事は無い。至って普通の買い物の待ち合わせだった。
しかし、何故か。楯無は内心汗だらっだらであったのだ。
「ごめーん、お待たせ」
待ち人来たり。更識刀奈がやってきた。
お待たせ、とは言うが、彼女が遅れたわけではない。待ち合わせの時間には十分以上あった。
楯無は刀奈の方へ視線を向け、その姿に驚いた。
ゆったりとした半袖の水色のシャツワンピースのみのシンプルな恰好。彼女の明るく活発な性格によく似合っており、昔の彼女を思い出させるその姿は自然と楯無の表情を柔らかくさせる。
「待ってないよ。……早く来過ぎて晒し者だったけど」
「そ、そうね……ふふふ」
楯無の恰好を見て、刀奈は笑いを堪えるように小さく震えた。
明らかに笑いを堪えているだけのその様子を見て、楯無は呆れた顔をした。
「よく似合ってるよ。でも、人に贈る服と自分が着る服の気合いが逆じゃないかな」
「あら、ありがと。ちゃんと褒めてもらえて嬉しいわ。慣れてるのね」
「楯愛が会う度に褒めてほしそうにしてたからね。でも、似合ってるのは本当だよ」
「楯無君こそ、よく似合ってるわ。ふ、ふふふ……あははっ!」
遂に堪えきれず笑いだした刀奈に、楯無は溜息で返す。
「渡された服をきちんと着てきたのに、どうして笑われなきゃいけないのさ」
楯無は自らの恰好を見る。全て刀奈から渡された袋に入っていた衣服だ。
黒のサマーロングカーディガン、首元をしっかり覆う灰色のハイネックカットソー、そして水色のパンツ――――全て女性物である。おまけに左目には包帯を巻いていた。
送る方も送る方で、着る方も着る方である。
「ごめんごめん、でも本当によく似合ってるわよ。楯無君……いいえ」
悪戯っぽく舌を出して、刀奈は続ける。
「今日は――――帯ちゃんって呼んだ方がいいかしら?」
◇
「……で、何で俺はこんな格好させられてるの?」
モノレールに乗ってレゾナンスに移動して、刀奈の行きたい店に向かいながら問う。
特に理由も聞かずに女装したのだが、今思えば何で女装させられたんだろう。
刀奈はこちらを見て、さも当然の様に言う。
「楯無君は男性操縦者でしょ? そりゃあ一夏君程有名じゃないけれど、それでも一応有名なんだから。そうおいそれとIS学園の敷地外で活動は出来ないじゃない」
「そうかな。別に堂々としてれば案外平気だよ」
そもそも、それで包村帯に変装させてたら意味がないような気が。
こっちはこっちで殆ど国際指名手配みたいなものだ。何しろ篠ノ之束と繋がっているのが全世界にばれているのだから。
まぁ、これもこれで堂々としてれば案外ばれないもんだ。左目に包帯巻いた女性なんて案外どこにでも――――居ねぇよ。
「こーら。学園駅前ならともかく、ここは人通りが多いんだから。迂闊に声を出さないで」
確かにこんな格好をしている奴が男の声を出していたら世間的にやばい。
俺は心で相棒に語り掛け、モンドグロッソに出場した際に使っていたの方法で意思疎通を図る事にした。
『分かったわ……これでいい?』
普段の丁寧な言葉ではなく、女性的な口調で話したのは相棒だ。包村帯として活動をしていた時は全てこれで他者との意思疎通を図っていた。
脳内で会話出来る俺達には口裏合わせの必要も無い。女性的な仕草は束姉から仕込まれている。世界最強の目さえ誤魔化していた手法に隙は無かった。
刀奈も驚いたようにこちらを見ている。
「すっごい。今話してるのが専用機のコアって事? 本当に話せるのね」
そういえば千冬さんとの会話を聞いていただけで、こうして実際に話すのは初めてだったか。
俺は相棒に挨拶を促す。それに合わせて俺も口パクする。
『それでは改めて、初めまして。私は“黒雷”のISコアです。基本的には他人と話す事はありませんが、マスターが心を許している刀奈さんと簪さんは別です』
「あら、それなら今後の訓練でも気軽に話し掛けてくれると嬉しいわ。あと、『楯無』って呼んでね?」
『失礼しました。それではマスターに倣い、「更識さん」と呼ばせてもらいます』
俺に似て相棒も頑固だった。刀奈も苦笑いである。
それはそれとして、と刀奈は話題を変えた。
「こうして声まで変えてみると……女装が恐ろしく似合ってるわね、才能ある?」
『そうね。世界を騙しきる程度の才能ならあるかもね』
相棒は気を遣って話さなかったが、あとはナノマシンの影響もあるのだろう。
ISとの同調率を高める為の処置で、俺の身体はほんの少しだが真っ当な男性とは言い難くなっている。
「それに、こう……大分身体が女性的なような」
『それはそうよ、私は女の子だもの……なんて。中にお母様特製のISスーツを着込んでいるから、体型が女性的に見えるのね』
何故か入学初日に部屋に送られてきていた荷物の中に入っていた物である。
俺がモンドグロッソに出場した際に使っていた変装用のスーツだった。
確かに自分の家に放置してはいたが、あれを荷物の中に入れるとは、やっぱり俺の荷物を送ってくれたのは束姉だったのだろうか。
『やるならとことんやらないと。おかげで学園を出る時も怪しまれなかったわ』
相棒に合わせて微笑む。これ多分鏡で見たら自分でも分かんないな。
包村帯の声担当は話題を変える事にしたようだ。
『それで、今日はどこに行くの?』
確かに、俺は刀奈の行きたい場所を知らなかった。
「そろそろ本格的に夏になってくるじゃない? だから夏物が欲しいなーって」
『つまりレディースの衣料品店に向かいたいと。なら、何で私を呼んだの? 友人なら居るでしょうに』
「居るには居るけど、男の子の意見も聞きたかったのよ。だーかーら、アドバイスよろしくね?」
可愛くウィンクをする刀奈に対して、相棒は早速俺の意思とは違う事を話し出した。
『だったら私に頼むのは間違いね。たとえあなたが新聞紙を纏っていようと躊躇いなく似合うと評するような思考回路よ? 私からすれば、今のワンピースなんてウェディングドレスと見紛うぐらいだわ』
言いたい放題だが、言っている通りなので仕方がない。
しかしあれだな。相棒が普段の言葉遣いじゃないと物凄い違和感だ。
モンドグロッソの時は必要最低限しか話していなかったから、こちらとしても新鮮だ。
「そ、そう……やだ、お姉さん恥ずかしいわ」
『攻められると弱いのね。顔赤くしちゃって可愛い……それとも、白無垢の方が似合うかしらね』
これも俺の意思ではない。話せないのをいい事にやりたい放題だ。何か俺が口説いてるみたいになってるから止めろ。
しかし刀奈が可愛いのだけは間違っていない。ナイスだぜ相棒。
衣料品店に着いた。刀奈は咳払いを一つして仕切り直す。
「それじゃあ、お姉さんが試着していくから感想よろしくね」
『えぇ。意味は同じだろうけど、バリエーションは用意しておくわ』
そうして、全て本音の刀奈褒めちぎり大会が開催されたのだった。
◇
(……俺、生きてて良かった)
女性物を取り扱う衣料品店での刀奈の洋服選びに付き合って、俺は紙袋を持って店外の壁に寄り掛かっていた。
元がモデルの様な刀奈は何を着ても似合うので、感想はやはり殆ど同じようなものだった。
その中でも特に自分が気に入った何着かを刀奈は購入し、衣料品店での買い物は終わった。なら何故俺が外で待っているかというと、今度は下着を買いに行ってしまったからである。『最近きつくなってきたのよねぇ』とか自分の胸を寄せながら言わないでほしかった。
流石に下着を買いに行くのに付き合うのは無理だった。試着した姿を見る事も当然出来る筈もない。
中に居たら居たで店員が話し掛けてきて面倒なので、店外に避難してきた次第である。
だが、俺のこの変装は通用してるみたいだった。こうして人通りの多い店外に居ても誰一人怪しんでいる様子はない。
寧ろ男性からの視線を感じる事もあるくらいだ。左目に包帯を巻いているような女に声を掛ける勇気はないみたいだが。
――――と思っていたのだが、世の中にはチャレンジャーが一人ぐらいは居るらしい。
「……あれ?」
俺の目の前を通った少年が、振り返ってこちらを見た。
(げ……)
という感情を表情に出さなかったのは、自分で褒めてもいいだろう。
何しろ振り返った少年は――――織斑一夏。俺のクラスメイトだった。
気にしていないように振舞っても無駄だった。一夏は完全にこちらに興味を持ってしまっている。
「包村……帯さんですよね?」
俺の変装はばれていないようだが、俺の正体には気付いてしまったようだ。
誤魔化そうにも、一夏はモンドグロッソの試合のビデオをそれこそ擦り切れる程見ている。見間違いなどありえない。
人違いにしたって、左目に包帯巻いてる女性何てそうそう居るわけもない。詰んでいた。
ここは大人しく包村帯として対応し、一夏に去ってもらうしかない。
『騒がないでね。オフなの』
しーっ、と唇に人差し指を立ててジェスチャーすると、一夏は頷いた。
「お利口さんね」と微笑むと、一夏は顔を赤くして逸らしてしまった。篠ノ之辺りに見られたら両者共にグーパンである。
『あなたの事は知っているわ。有名人だものね、織斑一夏君』
「有名人なのはお互い様でしょう。世界第三位の実力者が、こんな所に居るなんて」
『買い物をしにきたのよ、ここはそういう場所なのだから。あなたもそうなのでしょう?』
「はい。日用品とか、色々」
言って、一夏は片手に持っていた大きなビニール袋を見せてくる。
寮生活には色々と必要なものも多い。特に男性である一夏にとっちゃ、購買で売ってない物も多いからな。
『IS学園に通ってるのよね。もう生活には慣れた?』
「まぁ、何とか。毎日ISに乗って、最近はどうにか自分の戦い方も見えてきた感じです」
一夏の瞳は活力に満ちていた。
来たるべき学年別トーナメントでのボーデヴィッヒとの対決もある。
それまでに、織斑一夏というIS乗りはどこまで行けるのだろうか。
「俺、千冬姉みたいになりたいんです。どこまでも強い、俺だけの力で――――皆を守りたいから」
『……そう』
相棒は静かに相槌を打つ。
「勿論包村さんにも憧れてます。千冬姉との準決勝……あれは、俺の中で一番の名勝負ですから」
俺と相棒は、ISを『力』と認識している一夏とは相容れない。
確かにIS自体は強力な兵器だ。だけど、その本質はきっと違うと思うから。
だが――――相棒が告げる言葉はそれじゃなかった。
『もし織斑千冬の様になりたいのなら――――誰かを守りたいのなら、私達に憧れるのは止めておきなさい』
「……え?」
(相棒……?)
『私達は、守るという行為には最も遠い存在だから』
言われた意味を理解していない一夏と俺を気にもせず、『今日の所はこれでお別れね。また何時か会いましょう』と告げる相棒。
仕方がないのでそっとその場から離れ、一夏が退散するのを待った。
離れた場所の柱の陰から一夏の様子を見ていると、さっきから黙り続けていた相棒がやっと口を開いた。
(マスター。先程は申し訳ありませんでした)
(……気にするな。そういう事だってあるだろ)
相棒の言葉は、本当は誰に向けて言ったのか。
その問いをする事は、俺には出来なかった。
日常回と言ったな、途中までだ