学年別トーナメントの各学年の各ブロックが終了し、残るは決勝戦のみとなった。
決勝戦は一年生から順に行われるが、今回の学年別トーナメントの一番の目玉試合はその一年生決勝で決まりだった。
世界に三人の男性操縦者が一堂に会し、残る一人はドイツの最新鋭のISを引っ提げた代表候補生。
その試合を明日に控えた雪月楯無は食事や入浴を済ませた後湯冷ましを兼ねて学生寮の外のベンチに座り、空間に投影されたモニターを一人眺めていた。
映し出されている内容は愛機のパラメーター。
便宜上は第三世代機である“黒雷”は、とある装備の試験機として開発された機体である。
しかし、データは既に取り終わっており、本来であればその完成品を搭載する予定であった。それを拒み、機能を一機能のみに限定したままなのは“黒雷”自身の意思だ。
故にISとして見れば“白式”同様、未完成の欠陥品である事は変わりない。それに加え、本日行った初の学園での本格的な運用。メンテナンスを兼ねたパラメーターチェックは必須だった。
「……稼働率九十九%。相変わらず、残りの一%は埋まらないままか」
大体のパラメーターチェックを終え、楯無はモニターと共に瞳を閉じ、思考の海へ意識を沈める。
“黒雷”を束から受領した時から起きていた、稼働率の問題。
包村帯として“黒雷”の当時の姿である“黒鉄”に搭乗していた際には、稼働率は安定して百パーセントを記録し、単一仕様能力まで発現していた。
その愛機との好相性や、楯無自身の力量により彼は世界三位の実力者にまで上り詰めていた。
そして第二回モンドグロッソが終わり、“黒鉄”は“黒雷”として生まれ変わる。
その時から現在に至るまで、稼働試験や実戦を含めた全ての搭乗で稼働率は九十九%を超える事は出来なかった。
世代による機体スペックの拡張により、十全に扱えなくなったわけではない。搭載されている装備の性能も遺憾なく発揮し、次世代へ大きく貢献している。
「ま、考えても仕方ないよな」
現状で困っている事でもない。出ない答えを探す事を止め、そろそろ部屋に戻ろうとした時――――。
「――――だーれだ?」
背後から何者かにそっと手で視界を塞がれ、からかうように声を掛けられた。
しかし楯無にこんな風に接してくるのは一人しかおらず、声からして楯無が聞き間違える筈もなかった。
「かた……更識先輩、でしょ?」
右手で相手の手を掴みながら、楯無は振り返る。
案の定正体は刀奈であり、目隠ししていた関係上鼻と鼻が触れ合いそうな程至近距離で目が合った。
赤い双眸に引き込まれそうになりながら、楯無は相棒へ心の中で語り掛ける。
(分かってて教えなかったな)
(マスターにとって不都合な相手ではなかったので。寧ろ嬉しいのでは?)
確かにな、と楯無はちょろく納得する。
「どうしたの? ……お風呂上りみたいだけど」
「それは楯無君も一緒でしょう? シャンプーのいい匂いがするわ」
湯上りで上がっている刀奈の体温が楯無の肌に伝わる。
どうも気恥ずかしくなった楯無だが、刀奈の方は不満な様子だった。
何度かすんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅いだ後に、更に密着して唸る。
「うーん……でも、いつもの楯無君の匂いの方が好きね」
「……そう」
自分も普段の刀奈の匂いの方が好きである事は、口が裂けても言えなかった。
恥ずかしさから身を引いてベンチに座り直した楯無の隣へ、刀奈は腰を下ろす。
どうにも普段の笑顔とは少しだけ違うその笑顔に、違和感を覚える。
「楯無君こそ、簪ちゃんやシャルル君とは一緒じゃないの?」
「俺、常にその二人と一緒に居る認識なんだね……。まぁ、間違いじゃないか」
何しろ幼馴染とルームメイトだ。一緒に居てもおかしくはない。
今日一緒ではない理由は単純だ。
「シャルは一夏と明日の作戦会議、簪は今日の試合の振り返りを篠ノ之と……だって。一夏と篠ノ之は同室だから、準決勝の対戦カードが一部屋に集結するわけだけど」
その場の空気が不安だが、実りのある時間にはなるだろう。
おかげで一人ぼっちになった楯無だったのだが、本人はそんな事気にもしていなかった。一人は慣れっこである。
それで、と楯無は切り返す。
「更識先輩はどうしてここに?」
「湯冷ましに散歩でもしようと思ったら、一人ベンチで真剣にモニターを見る楯無君を見つけたから。お姉さん、少しどきっとしちゃったわ」
「凛々しい楯無君って貴重だから」と付け足して揶揄うように笑う刀奈を見て、楯無は昔を懐かしむように静かに微笑みを返す。
昔からそうだった。彼女――更識刀奈は、雪月楯無の孤独を埋めていた。
唯一の家族である楯愛を守る為に己を擦り減らし続けていた楯無には、拠り所は無かった。
幼い楯愛とは寄り添って支え合う事は出来なかった。クラスメイトの簪には弱さを見せず、対等でありたかった。
故に、年長者である刀奈に自然と拠り所を求め、刀奈も無意識にそれに応えている。
「Bブロック決勝戦、格好良かったわ。今までは男性操縦者と言えば織斑一夏君って感じだったけど、観客の生徒達も何人かは楯無君の事意識し始めたんじゃないかしら」
そんな拠り所からの言葉に、楯無は不満そうだった。
「……別に、いいよ。俺、名前も知らない人に意識されたって嬉しくないし。俺は二人が見ててくれれば、それで十分だから」
楯無が飛んだのは更識刀奈と更識簪、たった二人の為だ。
その飛翔から不特定多数が何を感じ取ろうと、楯無の知った事ではない。
拗ねた様子でそっぽを向いた楯無を、刀奈は悪戯っぽく見つめ――――。
「あーもう、可愛いっ!」
急に楯無を抱きしめた。
完全な不意打ちにより体勢を崩した楯無は刀奈の方へ倒れ込み、胸元へ顔を埋める形となった。
その膨らみの柔らかさに顔を赤くして咄嗟に離れようとした楯無だが、刀奈はそれを許さない。
「ほらほら、お姉さんの柔らかい感触を堪能出来るのは今だけよ? サービスサービス!」
(堪能していいのか……)
(マスターが特定の誘惑に異常に弱いのを見ると、相棒として安心します)
仕方ないのである。こんな風にサービスされたのならば、それを享受する以外の選択肢は存在しなかった。
あっさりと抵抗するのを止め、大人しく抱きしめられている楯無だが、抱きしめられる理由そのものはない。あとこのままだと窒息する。
何とか顔を上げて刀奈の方へ向いて、酸素を確保する。
「そもそも、何で俺サービスされてるの?」
「そりゃあ勿論、サービスされるような事を言ったからよ」
機嫌よさげに頭を撫でてくる刀奈を見つめながら、完全に弟扱いだな、と楯無は苦笑する。
異性として意識されているのかいないのか、判定は微妙な所である。
それはそれとして、サービスされるような事を言ったっけ、と疑問にも思っていた。楯無としては思った事を言っただけだ。
「うんうん。嬉しい言葉も聞けたし、こうして楯無君成分も補充出来たし、明日の決勝はいい試合が出来そうだわ」
「それは良かった。俺も楽しみだな、更識先輩の試合」
刀奈の体温に蕩けそうになりながらも、何とか力を込めて拘束から抜け出す。あのまま行けば刀奈の匂いに包まれて寝落ちは確実だった。
それにそろそろ湯冷ましには長い時間だ。身体を冷やして明日の試合に影響があるのもいけない。
楯無自身もそこまで長居する予定が無かった為に上着を着てきてはいなかったので、刀奈に貸す事も出来なかった。
刀奈は視線を微かに寮の玄関の方へ向け、何でもないように告げる。
「さて、そろそろ戻ろうかしら」
「身体冷やしたらいけないしね。俺ももう少ししたら戻るから」
「そうね。それじゃあ、また明日。決勝戦、楽しみにしてるわ」
こりゃ気を抜けないな、と頷いて刀奈を見送って、楯無は伸びをした。
六月の泥濘の様な空気が肌を撫でる。心地がいいものではなかったが、不思議と嫌な気分ではなかった。
この夜が明ければ、また本当の翼で飛ぶ朝が来る。
夜明けが待ち遠しいと思ったのは、久しぶりだった。
――――そして、そう思った矢先。
「楯無……?」
伸びきった背後から声を掛けられて振り向いた先には、先程まで居た刀奈の妹である簪が立っていた。
ヘッドギアも付けておらず、普段掛けている眼鏡型の携帯ディスプレイも身に付けてはいない。
その表情は何故ここに居るのかと問いたげで、湯上りなのか髪の毛は仄かに湿っていた。
そこまで観察して、楯無は刀奈が退散した理由を察した。
(簪の気配を察知して逃げたな。流石、更識家十七代目当主)
楯無は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
少し向き合えばそのすれ違いは終わりを迎える筈なのに、その一歩を踏み出す事がこんなにも難しい。
「……どうしたの?」
しかしそれは更識姉妹の問題で、楯無が自ら首を突っ込んでいい事ではない。
楯無の隣へ座った簪へ、誤魔化すように問い掛けた。
「いや、何でもない。反省会は終わったのか?」
「うん……一夏君とシャルルからも話を聞けたから、収穫があった」
「そうか――――……一夏、君?」
今、聞き捨てならない言葉が聞こえたような。緊急事態発生である。
ぎぎぎぎ、と錆びたロボットの様なぎこちなさで簪の方を見る楯無。
その顔には冷や汗がだらだらと流れており、ISバトル時の逆境に高揚する性分は多分人違いである。
戦況を分析する冷静さなどどこかに置いてきてしまった幼馴染へ、簪はきょとんとした表情で肯定する。
「二人も作戦会議の前に振り返りをしたいって言ったから、一緒にしてたんだけど――――あっ」
問題がそこではない事に気付いたのか、簪が声を上げた。
急激に顔を赤くしながら、慌てた様子で楯無の服を掴んだ。
「ちが……違うの。反省会の時に、一夏君が『こうして試合をしたんだから、もう名前で呼んでいいよな』って……む、向こうも『簪さん』だから! そんなんじゃ、全然ないから!」
必死に弁明をしているおかげでどんどんと距離を詰めていっているが、夢中になっている当の本人は気付く事は無い。
なので殆ど密着状態になりつつある事に緊張しているのは、更識姉妹の事になると途端に思春期に突入する楯無だけである。
他者が焦っているのを見て冷静になっていくのはよくある事で、最早簪が自らの懐に居る状況の方が余程緊急事態だった。
このまま背中へ手を回したらどうなるのか。簪の熱と匂いに理性が麻痺しそうになるのを必死に堪え、楯無は何とか語り掛ける。
「……わ、分かった分かった。確かに一夏は天然誑しで、小学生の頃から何人もその被害にあったのを見てきたけど、流石に簪は違うんだな?」
「そ、そう。一夏君は箒と鈴の事もあるし……そういう風に見た事、ないから」
誤解が解けて安堵したのか、簪は顔を赤らめたまま楯無を見つめる。
赤らめている理由が密かに変わっている事には、楯無は気付かない。密着されててそれどころではない。
頭の中で素数を数えながら自分を落ち着かせ、気になっていた事を尋ねる。
「……と言うか、篠ノ之とペアを組んだ時も思ったんだけど、よく一夏と仲良くなったな。その辺りは、もう区切りが付いたのか?」
織斑一夏とは“白式”と“打鉄弐式”の開発を巡る倉持技研のいざこざがあり、篠ノ之箒は“ゴーレム”襲撃事件で楯無が大怪我を負う原因を作った人物である。
箒の件は楯無自身が自らの怪我に関しては別に気にしていない事もあって分からなくもないが、自らの専用機の件はそう簡単に踏ん切りが付く事ではない筈だったが。
その問いに対し、簪はゆっくりと頷いて肯定した。
「……箒は、最初にペアを組もうって言われた時、ISのコーチをしてほしいとも頼まれた。皆が大変な時、自分が何もできないのは嫌だから……って」
「……そっか。篠ノ之も見る目があるな。代表候補生の簪なら、コーチとして申し分ないし」
「一夏君も……朝練を見た時も思ったけれど、彼なりに努力してるのを、感じたから。“打鉄弐式”の件は……正直、私の筋違いな所もあったし」
それでもやりきれない感情があった筈だが、それも“打鉄弐式”が完成に近付いてきたが故だろうか。
ともあれ、簪の人間関係の蟠りが無くなったのは楯無にとっても喜ばしい事だ。
――――まぁ、それはそれとして。
「簪さんよ、そろそろ離れないか?」
抱き着かれて見つめられて、楯無の理性はそろそろ限界だった。
言われて、簪は漸く自分の状態を理解する。だが、顔を赤くしつつも彼女は豪胆であった。
「……嫌」
離れる事を拒否して、寧ろ強く握り締める。
まさか拒否されるとは思っていなかった楯無は声にならない声を漏らす。
「……私、今日は頑張った。訓練機と訓練機の組み合わせで準決勝まで行った。……だから、その。……ご褒美、頂戴?」
上目遣いでそう言われると、そうしなければならないだろう。
確かに簪は頑張った。頑張りは報われるべきだ。自分が褒美になれるのなら素晴らしい。
その手の言い訳を心の中で百回程繰り返した後に。
「……じゃあ、少しだけだぞ」
心を無にして、彼女の背中に手を回した。
次回はきっと戦うと思う