どこかの時間。どこかの海上。兎印の移動式ラボ。
日本のとある旅館へ高速で移動するラボの中、ラボの主は投影された仮想キーボードを叩き続ける。
「もう直ぐ会えるからね」
世界中から指名手配をされている天災の言の葉は目前に鎮座する赤い鎧に投げ掛けられた。
愛する妹に願われ、用意された紅い椿の華。白に並び立つに相応しい機能と色を持った、彼女の為だけのIS。
モニターに表示される数値を眺めながら、これから向かう場所に居る旧知の仲を想う。
「元気かなぁ。箒ちゃん、ちーちゃん、いっくん……それに」
彼女にしては珍しく、ほんの一瞬だけ躊躇して。
「――――なーちゃん」
名を呼び、再びキーボードへ指を滑らせた。
◇
「海だ!」
「海だ!?」
「海だぁぁぁぁぁ!!?」
空の彼方に踊る影に続きそうなクラスメイトの絶叫が、臨海学校の宿泊先である旅館に向かうバス中に響き渡る。
クラスメイト達の言う通り、車窓の向こう側には太陽を反射して輝く一面の青が広がっている。
隣の席のシャルも海を見ながら、うっとりとした表情を浮かべている。
「ほら、見てよ帯。綺麗だね」
「そんなにいいもんかねえ……」
海ならIS学園からでも見える。俺にとっては授業中に眺める海が一番綺麗に思えた。
外の様子から目を背けるように反対側を向くと、通路を挟んだ向かい側に座っている千冬さんと目が合った。
慌てて目を逸らすが、それが不審に映ったらしい。千冬さんが揶揄うように問うてくる。
「どうした雪月、海は嫌いか?」
「別に嫌いではないんですけどね。唯、昔飛行訓練中に機体制御を失敗して太平洋に沈没した苦い思い出がありまして」
ISを起動してから数ヶ月という設定の筈の人間が言うにはおかし過ぎる発言も、千冬さんの前では隠すような事もない。
千冬さんの隣に座っている山田先生が首を傾げていたが、真実に気付く事はないだろう。
唯、それに反応したのは千冬さんではなく、俺の後ろの席のラウラだった。
「教官と斬り結ぶ程の貴様にも、そんな時期があったのだな」
「最初は誰だって初心者だからな」
後部座席からにゅっと顔を出してきたラウラに、視線だけ向けて返す。
最近――学年別トーナメントが終わってから、ラウラは俺の正体に気付いているような発言をする。
隠しているわけではないから別に構わないのだが、あれだけ嫌っていた包村帯に対して食って掛かってこないのは正直意外だった。
まぁ、俺の正体を知りながら変わらず関わってくれるのはありがたい。IS学園の暗部に所属するシャルもそうだが、軍人であるラウラに素性を知られているのはいざという時便利だろう。
「帯、もう初心者って取り繕う気はないんだね……」
シャルの苦笑いは尤もだが、俺のせいだけではない。クラスメイトは最近は初心者ぶっても誰も信じてはくれなくなってしまった。
いくら何でも学年別トーナメント決勝まで進んだ人間を初心者とは言えないのだろう。経歴を疑われないだけありがたい。
経歴は疑われていない。専用機を持つ理由として企業にも属してはいる。なので俺は一応はIS学園の一般生徒な筈……なのだが。
「こうしてバスの最前列に配置され、席の左をIS学園暗部、右を世界最強、真後ろをドイツ軍特殊部隊長で固められているのは作為的なものを感じる」
普通の人間が一人も居なかった。オセロだったら俺も特別な人間になってしまう。
後部座席で篠ノ之やセシリアと楽しくトランプしている一夏と比べると、大分待遇に違いがあるような。
「贅沢な悩みだ。教官……織斑先生の隣など、泣いて喜ぶ者も居るだろうに」
「今直ぐ代わってやるから連れてきてくれ。需要と供給を一致させろ」
「それは出来ない相談だ。教官から、楯無をその席から移動させるなと命を受けているからな」
ラウラの爆弾発言に「ちょっと待て」と千冬さんを睨むが、鼻で笑われてしまった。
問題児扱いされている事に異論はないのだが、些か厳し過ぎるだろう。
「ISの実技はちゃんとやってるし、山田先生に授業で当てられてもちゃんと答えてますよね」
「お前はそれ以外が酷過ぎる。山田先生に指される比率が高いのは何故か考えてみろ」
「正答率が高いからでは?」
「雪月君がよくお外を見てるからです~……」
千冬さんの隣からひょっこり控えめに顔を出した山田先生が、残酷な現実を教えてくれた。
隣のシャルに助けを求めても、「帯、ちゃんと授業は受けようね」と人差し指で鼻を押して注意された。お母さんかお前は。と思ったけど、俺母親の記憶なかったわ。
まぁ千冬さんはともかくとして、山田先生に問題児だと思われるのは少しショックなので、これからはちゃんと授業を聞こうと思う。控えめに、やんわりと、けれど切実にお願いされるのは素直に心が痛かった。
「今度から俺が授業中海を見てたら、個人間秘匿通信で注意してくれ」
「あはは……。でも、授業中でも帯に話し掛けられるのは楽しみかな」
好意全開で微笑んでくるシャル。楽しそうで何よりだった。
あれから色々と吹っ切れた感があるが、それだけ抱えているものが大きかったって事だろう。
「……僕は嬉しいよ? 帯が隣の席に居てくれて」
「まぁ、俺も大して話さないクラスメイトが隣に居るよりは居心地がいい」
「本当? よかったぁ」
余りにも純粋に喜んでくるシャルの笑顔が眩しくて、思わず千冬さんの方へ目を逸らす。
……千冬さんと目が合った。これ自体はさっきもやったが、さっきよりも遥かに意地の悪い笑みを浮かべてやがる。
「どうした楯無。流石のお前も、好意は無碍に出来んようだな」
名前で呼んでくる時点で、もう揶揄う気しかないのは丸分かりだった。
「ほっとけ。どっかの世界最強の敵意よりは百倍ましだよ」
「本当!?」
「助けてくれラウラ……」
「私に助けを求めるとは、相当追い詰められてるな貴様」
「青春ですねえ……」
シャルも告白以来大体こんな感じだった。
千冬さんの言う通り、俺は好意を無碍にするのは苦手らしい。自分にこんな一面があるとは思わなかった。
まぁ、そもそも俺に好意を向けてくれる相手が殆ど居なかった。
唯、好意を向けてくれる人達の中で簪の事を強く意識した。
分かってる。俺の決意さえ簡単に歪めてしまうくらい、更識簪という少女の好意は俺にとって大切なものだ。
「……そうか。暫く一緒の部屋じゃないんだよな」
「帯? どうかした?」
「いや、何でもねえ」
一度は別部屋になったんだ。三日ぐらい何て事はない。寧ろIS学園に戻った後、思い出話をする楽しみが増えたじゃないか。
そんな風に自分を納得させている内に、バスが止まった。どうやら旅館に到着したらしい。
目的地の旅館に到着すると、生徒達は千冬さんの先導に従い宿の入り口に向かう。
「ここが今日から三日間お世話になる花月荘だ。全員、従業員の余計な仕事を増やさないように注意しろ」
千冬さんの注意に、全員が『よろしくお願いします!』と大きな声で挨拶をした。恐らく本当に大騒ぎはしないだろう。訓練されたものである。
入り口で俺達を待っていた三十代前半ぐらいの女将さんは、柔らかな笑顔で俺達の挨拶を受け入れてくれる。
「こちらこそ。今年の一年生も元気があってよろしいですねえ。……あら、こちらのお二方が?」
女将さんが俺と一夏に向けた視線に、千冬さんが『視線をしろ』と目で告げてくる。
「織斑一夏です、よろしくお願いします」
「雪月楯無です。お世話になります」
ぺこり、と二人揃って頭を下げる。
頭上から「当旅館の女将をしております、清洲景子と申します。こちらこそよろしくお願いいたします」と声を掛けていただいて、頭を上げると、にこにこと俺達を見ている清洲さんが。
「二人ともお利口そうな子ですねえ。織斑先生?」
「見た目だけです。中身は問題児で参ってますよ」
あんまりな言われようだが、先程バスの中で散々山田先生に諭されたので否定はしない。
一夏の方は納得いかなそうに千冬さんの方を見ていたが、何か言うと問題児を体現するだけなので黙っている。やっぱりお利口だと思うんですよ。
「それでは皆さん、お部屋の方へどうぞ。海に行かれる方は別館の方で着替えられるようになっておりますので、そちらをご利用くださいな。他に分からない事があれば、従業員の方へどうぞ何なりと訊いてくださいまし」
中からぞろぞろと出てきた多数の従業員によって、部屋割ごとに決められたグループが一つずつ先導されていく。
中には簪の姿も見えた。俺に気付いた簪がこちらに小さく手を振って、それに気付いたクラスメイトであろう女子に揶揄われて顔を赤くしていた。
まぁ、何と言うか。簪もクラスに馴染めているようでよかった。俺に言われるのも簪は遺憾だと思うが。
女子全員が居なくなって、残されたのは俺と一夏の男二人。
「ねーねー、おりむー、なっしー」
と思ったら、一人の女子が残っていた。
俺の事をボールに入るモンスターみたいな仇名で呼ぶのは、布仏本音。通称のほほんさん。
更識家としての簪の従者でもあるらしく、簪と近しい俺に対してはちょくちょく話し掛けてくる。
一応刀奈の真意は知っているとはいえ、それでも刀奈に自らの近況が無作為に伝わっていくのは流石に嫌らしい簪の意向により、大した話はしていないのだが。
布仏の方も自分が警戒されているのを分かっているらしく、そこまで深くは関わってこない。なのでこれだけふわっふわな雰囲気を纏っていても、俺は未だに苗字呼びだった。
「二人の部屋ってどこー? しおりの部屋割には書いてなかったよー?」
「本当だ。どこか知ってるか、楯無?」
「何で今気付くんだお前……。知らないけど予想は付いてる。ほら、そこに世界最強のルームメイトが居るぞ」
視線で先を促すと、そこには腕を組んでこちらに歩いてくる千冬先生。
「お前達の部屋はこっちだ、着いてこい」
「あ、もしかして……」
「珍しく察しがいいな、織斑。横の悪友の入れ知恵か?」
「話を通りやすくしただけなのに酷い言われようだぜ。まぁ、そういう事だ布仏。一夏目的の連中には忠告しておいてくれよ」
「うん、分かったー。遺書持参だねー」
違うけどもういいや。うちのクラスの生徒達ならそれで意味は通じるだろう。
千冬さんに連行された部屋は、予想通り教員室。つまり、千冬さんと同室って事だ。
まぁ女子避けとしてはこれ以上ない人選だろう。放っておいたなら臨海学校の間一夏に安息の場所は無いし、千冬さんと一夏は家族なので、同室でも倫理上の問題はない。
「スペース割はお前達の好きにしろ。女子共が騒がしくなければ何でも構わん」
「あはは、寮だと皆平気なんだけど、臨海学校だとテンション上がっちゃうもんな」
本当に珍しく一夏が千冬さんと同室の意味を察している。何だ、遂に一夏も春に目覚めたのだろうか。
窓際から見える絶景のビーチに、既に心が浮ついてでもいるのかもしれない。
「……あぁ、それと楯無」
千冬さんが俺を名前で呼んだ。
それは今は教師としてではなく、友人の姉として俺に話している証だ。
「何ですか?」
「もし私や一夏と同室で眠れそうになければ、隣に元々お前達用に用意していた空き部屋がある。そちらに移っても構わない」
「何だ、随分と好待遇だな」
不眠症だったのは施設に居た頃の話だ。それも一人か楯愛と一緒なら普通に眠れる程度には改善している。
IS学園に入学した当初も、寮のルームメイトが簪だったおかげで睡眠に問題はなかった。
まぁ、デュノア社のスパイだったシャルが転入してきた時は眠りが浅かったのは確かだが。おかげで昼寝と寝落ちが結構多かった気がする。
――――と言うか、何故千冬さんがもう殆ど支障をきたしていない俺の睡眠障害を知っている?
俺の睡眠障害を知っているのは、施設の人を除けば更識姉妹と楯愛、そして束姉ぐらいだ。
更識姉妹や楯愛が千冬さんに言うとは思えない。俺はその該当者の前では遠慮なしに眠れる。施設の人とはそもそももう殆ど縁がない。残るは束姉なのだが……。
「……まぁいいか。じゃあありがたく。俺も千冬さんと同室って情報は出回ってるだろうしな」
「そうか。二人とも、今日は夕方まで一日自由時間だ。荷物を置いたら、海にでも行ってこい」
「よっし、同じ部屋じゃないのは残念だけど、それまでは一緒に遊びつくそうぜ、楯無!」
「周りがそれを許したらな」
そして多分許されない。許されるのだったら俺達は教員と同室になったりなんかしないのだ。
「私は他の先生達との打ち合わせがある……が、そうだな。それが終われば、ひと泳ぎぐらいはするとしよう。偶には身体を動かさんとな」
「動かさなくても十分強いだろ……」
世界最強なら運動不足ぐらいで丁度いいだろ、と思いつつ、俺は荷物を置く為に隣の部屋に退散した。
次は多分海です。海以外に行く場所ないのできっと海です。