ちょっと短めじめじめ回
あれから一時間と少し後。
作戦の不参加を表明した事により待機を命じられた楯無は、大人しく自室で待機をしていた。
何よりも、何かをする気など楯無にはなかった。時間が過ぎていく感覚さえ麻痺する程、部屋の片隅に座り込んでいる。
「……楯無、居る?」
「……居るよ」
簪の声が襖の向こう側から聞こえ、返事をする。
「……入るよ?」と断ってから襖が開けられ、簪が入室する。
普段から明るい方ではないが、楯無の隣に座るその表情は暗い。事態は悪化している事は察せられた。
「ここに来ていいのか」
「今は、各自部屋で待機だから……どの部屋とは言われてない」
悪い奴だな、と楯無は揶揄うが、その声色は暗い。
「……一夏君と箒の作戦は、失敗した。一夏君が福音に撃墜されて、命に別状はないけど、意識不明の重体……」
「そうか……」
「福音はその場から離脱して、消息を絶った。ステルスモードで潜伏をしているんじゃないかって、先生達が……」
「光学迷彩を使っていなければ衛星で見つけられる。……問題は、超音速飛行から急に潜伏に変わったって事だけど」
「……誰かを、待ってる?」
簪の問いに、楯無は頷いた。頷いて、答えない。
答えるべきではない。もう雪月楯無は、今回の件に関わるべきではないと、ずっと自分を縛り付けている。
簪は楯無の顔を見て、そっと頭を撫でた。
「簪?」
「……泣きそうな顔、してたから」
そう言って、簪は楯無を抱き寄せる。自分より大柄な楯無でも、抵抗さえされなければすんなりと引き寄せられた。
楯無の頭を抱えて、ゆっくりと撫でる。普段の彼より、一回り小さく思えた。
「……篠ノ之博士が、関係してるの?」
「……、」
沈黙は肯定と同義だった。
あやす様に背中を撫でると、びくりと楯無は振るえる。泣き出す前の子供の様だと、簪は思った。
「教えて。篠ノ之博士は、何が目的なの?」
答えるまで離さない、と強く抱きしめる。
やがて、観念したように。ぽつり、ぽつりと。楯無は語り始めた。
「…………束姉は、ISを軍事兵器にする事を良しとしていない」
「だから、福音を暴走させたの?」
「福音の破壊、それに伴う“紅椿”の活躍。……それがきっと束姉の目的だ。千冬さんは、気付いてると思う」
織斑千冬の篠ノ之束との付き合いは、雪月楯無よりも長い。
楯無が気付くような事を、千冬が気付かないとは考え難かった。
「箒と“紅椿”のデビュー戦って事?」
「……そうだ。福音が居なければ、多分無人機でも来てたと思う」
「なら、楯無は何で行かなかったの? 楯無だって、軍用のISなんて……認められない筈」
「俺が行けば、束姉の計画に支障を来す可能性がある。俺は、翼をくれたあの人の邪魔は出来ないんだ」
ISに関しては誰よりも真摯である楯無が、唯一その信念を曲げる相手。
それが篠ノ之束。雪月楯無というIS乗りの始まりに居る人物。
詳しくは知らなかった。楯無はずっと語らなかった。それだけ、知られたくない雪月楯無の原初だった。
「……教えて。どうして、楯無は篠ノ之博士に出会ったの?」
だからこそ。更識簪は踏み込む。楯無の心の中を覗き込む質問をする。
だってそうだ。自惚れでも何でもなく、人生を掛けてくれる程。自分達姉妹は楯無の特別なのだと、簪は自覚している。
「……“黒雷”。お前はいいか」
『構いません。マスターとお母様の出会いを、簪さんは知る権利があります』
腕の中の楯無は、深く、何度か息を吐いて。小さな声で語り始めた。
今よりずっと前。まだ翼もない、幼く無力な少年と。世界に失望しかけていた、無気力な兎との出会いを。
◇
今より何年か前のある日の夕暮れ。いつもの公園。
一人の少女が、悲し気に笑いながら言った。『私、もう直ぐ刀奈じゃなくて楯無になるの』。
ある日の放課後。小学校からの帰り道。
一人の少女が、泣きながら言った。『私が何も出来ないから、お姉ちゃんは楯無になってしまったの』。
自分と妹を、乾いて罅割れていく心を眺めるだけの日々から救ってくれた、特別な姉妹だった。
何とかしてあげたいと思った。自分達を救ってくれたのだから、今度は自分が救ってあげたいと。子供ながらにそう思った。
だけど、自分は自分自身の事さえどうにかする事も出来ない子供でしかないのだと、少年は思い知らされた。
「……どうすればいいんだろうな」
少女達との思い出が詰まった公園の砂場で、ぼんやりとしながら独り言ちる。
言葉の通り、どうすればいいのかすらまるで分からなかった。何せ自分は孤児で、施設の世話にならなければ衣食住の保証すらない、何の力もない存在なのだ。
解決なんて出来やしない。連れ出したところで大人達に捕まって終わるのは目に見えている。
現実は認められないくせに、そういった現実だけは子供ながらに配慮するだけの知恵はあった。
「……翼でもあれば、二人が笑っていられる場所に飛んでいけるのかな」
馬鹿げた願望だと自分でも思うが、その呟きは運命だったのだろう。
「おい、そこの餓鬼んちょ。今の言葉ってどういう意味?」
視界に入り込んだ影に顔を上げると、エプロンドレスの魔法使いがそこに居た。
この辺りでは見た事がない女性だった。不思議の国のアリスの様な、常軌を逸した格好だった。夢を見せる御伽噺みたいな恰好とは裏腹に、この世の全てに失望した退廃的な雰囲気を纏っていた。
こういう輩は相手にするなと、施設の人間からよく言って聞かされていた。
にも拘わらず、少年は不思議と答えてしまった。そうしなければならないのだと、自分の心が叫んでいた。
「友達が、名前が変わっちゃうんだ」
「離婚でもするの?」
「違う。『楯無』になっちゃうんだって」
順序立ってもいない抽象的な説明だったが、女性は明晰な頭脳で微かなワードから推察した。
「『楯無』って、あぁ。日本の暗部の家系か。餓鬼んちょ、面倒なのと友達なんだね。それで、それが翼とどう関係あるの」
「俺だけじゃ、あの二人を救えない」
「『楯無』になってもその子が死ぬわけじゃないでしょ。呼ぶ名前が変わるだけじゃん」
「役割だって、言ってた。だから前の名前で歩む人生は消えるって」
役割だけが先行して、仮面を付けて一生を終える。
今までの自分なんてなかったように。前の人がやっていた事を引き継いで、死んでいく。
漠然とした感覚だったけれど、少年はそれが許せなかった。
「翼があれば、そんな事しなくていい世界に飛んでいけるかもって思ったんだ」
「人間が独力で飛べるわけないじゃん。男だからISも使えないしね」
「IS……? って、あのロボットのやつ?」
少年の雑な認識に、女性は「マルチフォーム・スーツだって」と訂正した。
それと同時に、少年の認識の浅さに興味を覚えた。女性にとって、ISの話題の中で策謀や政治的駆け引きが混じらない事は新鮮だったのだろう。
きっと、細かい理屈を抜きにしてISの説明をするなんて事は、嘗て親友にした以来だっただろう。
女性は少年と同じように砂場に座り込み、指先で砂に絵を描いた。
翼が生えた人間のシルエット。手元には一振りの刀。人間の周りには取り囲むように線が数多に引かれていく。
「ある時、世界中のミサイル発射システムがハッキングされて、日本に向けて二千発以上のミサイルが発射された」
「……何の話?」
「黙って聞け。そこで現れたのが、世界最初のIS“白騎士”。そのISは既存の兵器を圧倒する性能でミサイルを全て撃ち落とした」
「凄いじゃん、格好いい」
指先で描いたミサイルを模した多数の線をぐしゃぐしゃにしながら、女性は「でしょ?」と得意気に同意する。
「だけど世界はそうは思わなかった。各国はミサイルを撃墜したISを、未知の戦闘能力を持つ機動兵器として捉えて、戦力を投入してきた」
「“白騎士”はどうなったの?」
「勿論全部返り討ち。しかも一切の人命を損なわず、全て無力化をして夕暮れと共に忽然と姿を消した。これが世に言う『白騎士事件』。歴史の授業に出るよ。憶えておきな、餓鬼んちょ」
小学校にも通っていなかった頃の話をされて、少年は何となく頷いた。
この女性の言う事は聞いておいた方がいい。何と言うか、生物としての位が自分とは数段上な気がした。
「餓鬼んちょも女だったらISが使えて、その子を現実から守れる力を手に入れたのかもしれないのにね」
その言葉に初めて、少年は女性の発言を否定した。
「欲しいのは力じゃなくて翼だって。そっちも憶えておいてよ」
じとり、と横目で見た発言を受けて、女性はぽかん、と目を丸くして。
その一秒後、破顔しながら優しく少年の頭を撫でた。先程までの退廃的な雰囲気が薄くなり、少しだけ人間らしさが感じられた。
それと同時に慣れ慣れしさを感じた少年は、機嫌悪そうな猫の様に身動ぎをする。
「……何」
「ごめんごめん――――」
『今の言葉に、嘘はありませんか?』
女性の謝罪を遮った声に、少年は首を傾げ、女性は驚愕した。
「今の、誰だ?」
「う、そ……どうして。あれから今まで、他の誰かと喋る事なんてなかったのに……!?」
『答えてください。あなたは、翼を望みますか?』
ここには自分と女性以外誰も居ない。にも拘らず、第三者の声が聞こえた。
問おうにも女性は驚愕したまま自らの衣服の下に意識を向けている。確かに、声はそこから聞こえていた。
ともあれ、問いには答えなければならないだろう。少年ははっきりと答えた。
「望む。刀奈と簪が笑っていられる場所に飛んでいける翼が手に入るなら、俺は何だってする」
『あなたの意思は了承しました。お母様、彼がきっと、私のマスターです』
「……そう。“黒鉄”、君は見つけたんだ」
慈しみを携えた声と共に女性は自らの首元を撫で、立ち上がり少年に向き合う。
「餓鬼んちょ、名前は」
「雪月楯無」
「翼が手に入るなら何でもするって言ったね」
「言った」
問いへの答えは短く、躊躇いすらない。それは少年の覚悟の表れだった。
元より持っているものなど何もない。望んだ物が手に入る機会を逃す選択などありえない。
間髪なく返される答えに、女性は今までの退廃的な雰囲気を撤廃しながら、慈しむように目を細める。
「ISの開発者――篠ノ之束さんが、ISに認められた君に翼をあげる。その代わり、君はこれから束さんのお願いを聞いてもらうよ」
女性の誘いは、ある種悪魔との契約だった。女性――篠ノ之束に関わるという事が、これからの人生に於いてどんな意味を持つのか、少年――雪月楯無は『白騎士事件』の説明から何となく理解していた。
しかし。いや、だからこそ。何の力も持たない少年が誰かの人生をひっくり返すなんて、それこそ悪魔と契約しなければ成し遂げられないと思ったから。
「分かった。よろしく」
まるで明日の約束を取り付けるような気軽さで、少年で自分の人生を売った。
◇
それから暫くして。
雪月楯無は包村兎という女性に引き取られ、新たな生活を始めた。
それは篠ノ之束が用意した偽の戸籍で、後に逃亡生活を始める篠ノ之束が使い始める名義でもあった。
雪月楯無は地元から離れ転校をし、織斑一夏を監視する任務を篠ノ之束から受けた。それが初めての任務だった。
任務を続けていく中で、雪月楯無は週末を主に篠ノ之束の移動式ラボに攫われ、ISの訓練をした。
雪月楯無にはIS乗りとしての才能があった。平時ではたった一機のISにしか搭乗出来ないが、専用機として篠ノ之束から譲られた“黒鉄”との相性は最高だった。
第二形態に移行せずとも発動する単一仕様能力がその証拠であり、二人の歪みの象徴だった。
その歪みを抱えたまま、そして気付かないまま、第二回モンドグロッソに出場した。“世界最強”と相対した時にその歪みは決定的になった。
出会った時も。訓練の時も。第二回モンドグロッソ準決勝の時も。自らの目的の為に篠ノ之束から離れる時も。
――――雪月楯無は、何時だって空を見ていた。
じめじめ回はこの辺りで終わりたい所存