「……その後は、人間になる方法を探しながらレギムの街を経由してここフレドリアに来たという訳だ」
「そっか、大変だったんだね……昨日の人たちは?」
「奴らは
「ゔぁんぱいあはんたー……。ううん、セレーナが助けてくれたし! 気にしないで」
セレーナの口から出た聞きなれない言葉を復唱する。いつか見た文献や錬金術の本には、当然ではあるが載っていなかった単語だが、意味はそのままだろう。少なくともそんな名前で聞いた事は無いから、本業は既に傭兵業にシフトしていると言ったところだろうか。
昨日の二人――セレーナが氷で動きを封じてはいたが、そのまま置いてきてしまった。後を追いかけて来なかったのは幸いだった。今頃はもうどこかへ行っただろう。
「あの人たち、きっとまた来るよね……」
「……申し訳ない、巻き込んだ私の責任だ」
「セレーナだってわからなかったんだから仕方ないよ! どうするか一緒に考えよう? うーん……ここにいると危ないんだよね?」
「……あぁ、そうだな」
セレーナはクリスを自分の問題に深くかかわらせて危険に晒してしまったことに明らかに落ち込んでいた。いつもは平たく横に伸びている眉は、少しだけハの字に下がっている。牙の見える小さな口も、いつも以上につぐめられている。
「だったら、ボクもセレーナと一緒に旅するよ! 移動は遅くなっちゃうかもだけど……」
「だが、仕事や、友人があるだろう? この部屋にだって色々と……」
「うーん、それがね。家族から呼び出し食らってるんだよ……。ボク、実は家から逃げ出したまんまなんだ……見てこれ」
クリスが机の上の山積みの手紙の脇、二枚だけ既に封蝋の砕けていたその手紙の片方を、腫れ物でも触るかのようにゆっくりと手に取ると、載っていた赤いリボンが机の上に落ちた。中身の便箋を取り出すと、綺麗に二つ折りにされているそれを開いてセレーナに渡す。
セレーナは、豪奢な紋様と流暢な字で飾られた手紙に目を通し始める。
――クリスティーン・ローゼクルーシス・メンデリアムス・リル・アルヴィン・ロフタレッサ・ヴューストレム様
貴女が家を出て既に一年近く経ちます。唯一の手掛かりのサンジェルマン殿も口をつぐんだままで、貴女の行方を知らないと言い張り続けています。やはり貴女に錬金術を学ばせ、自由にさせるべきではなかった。十五歳までに国家錬金術師試験に合格しなければ家に戻るという約束を破ったのは貴女です。
貴女は女の子です。貴女にはヴューストレム家の令嬢として家の繁栄に尽くす義務があります。婿の候補は用意してあります。一から作法を学び直させますが、ヴューストレムと同じく侯爵家ですから悪くは無いでしょう。錬金術の事や家を出た事を黙ってさえいれば。
一人で遠く辺境の地まで旅をしたところで、何を得ることも出来ません。今ならまだ、これまでの事は幼さ故の過ちと思って許しましょう。今すぐに家へ戻りなさい。
「これは、何というか……娘への愛に溢れたお母様だな。というか、貴族の出だったのか」
「ぷは……! 本当にね! はぁ、何が嫌で家出したと思ってるんだか……。ボクはとっくに貴族じゃないつもりだったけどね」
セレーナは手紙を読み終えると、少し固めの折り目で便箋を折り直してクリスに手渡した。クリスは乱雑に手紙をしまって山の上に放るとカップに残っていた分のハーブティーを一気に飲み干し、一気に脱力して溜息を吐き出した。
「その山は全部?」
「うん……お金も入ってないし開けなくていかなって……あはは。それで、流石にこんなに届くから、少しだけ心配になって開けたらね……」
クリスは開封されていたもう一枚の手紙を広げ、セレーナの眼前に突き出した。差し出されたそれは、明らかに怒気を孕んでいる……装飾の無い白紙に、先程までの小川のような落ち着いた字体ではなく、まるで瀑布か何かのような荒々しい書き方だ。目の間近にあるそれを、セレーナは今度は声に出して読み上げた。
「――『これが最後通牒です。一年以内に戻らなければ探偵と傭兵を雇って強制的に
「そう……だからどっちにしろ、ボクは王都に行かないといけないの。――認められるかわからないけど、あと少し、次の国家錬金術師試験を受けるまでは待ってもらう。セレーナもここから南に向かうなら王都でしょ? それに、師匠からも何か聞けるかもしれないしね。それに師匠は国家錬金術師だから、もしかしたらツテで国立図書館も見せてもらえるかも」
「……そうか。色々と有難う、クリス」
「ううん。そもそもセレーナの役に立ちたい気持ちは昨日から変わってないしね!」
クリスの心の中にある感情は昨日からブレていなかった――襲撃に巻き込まれ、吸血されたとしても。錬金術を始めたのも、そもそもは人のために役立つことをしたいと思ったのがきっかけだ。きっかけは親の反面教師の結果かも知れないし、師匠が作る薬の使い道からかも知れない。周りにそれを誓えるような相手がいなかったから、一人で自分自身に誓った――人を助けるという信念。いつまでもそれを曲げずにいたお陰で、クリスは今まで一人でもやってこれたのだ。
「よし! そうと決まったら……どうしよう?」
「まずはエルフの魔術師に会いに行く。それと、クリスの造血薬だ。そうだな……もし私の血を普通の薬に使うのに抵抗があるなら、私の為に使うのはどうだ? 造血薬の効果が強くなれば私も吸血しやすい。……多少本末転倒という気はするが」
「それならまぁ……うーん?」
セレーナの提案にクリスは首を捻ったり傾げたりして、なんとなく納得のいかなそうな反応を示す。
「不満か?」
「いや、そしたら吸血の回数って増えるのかもなって思って……」
クリスが懸念していたのは吸血の回数だった。何故か貧血になるほどの影響は無いが、おととい、昨日と連続で吸血されている。そう何度もしていいのだろうか。それに……、
――本当に、癖になったらどうしよう……!
クリスは昨日セレーナにつけられた傷跡を手でなぞる。快楽と同じくそういう効果があるのか、傷はすぐに塞がるし痛みもない。
一回目はすぐに気を失ってしまったが、二回目は――ティエロが良く使う「ヤバい」という言葉はこういう時にこそつかうのだろう――本当に、本当に、自分がわからなくなってしまうような感覚があった。
「正直な話、眠る前に比べるとかなり力が衰えている……今までは必要最低限だけ吸っていたからな。血を大量に摂取すれば力も戻るだろうから、そうなれば助かるよ」
「そ、そっか。たくさん、たくさんか……」
クリスは、返ってきた答えが良いのか悪いのかもわからなくなってしまった。