GAMERA/シンフォギアの守護者~The Guardian of Symphogear~第二楽章-LUNAFALL 作:フォレス・ノースウッド
完全に門外漢側からは『魔法』も同然な摩訶不思議な妖術なんだけど、錬金術師当人らにとってはちゃんとした『学問』かつ『科学』な代物なので。
理系で言えば数式も、音楽家で言えば譜面もちゃんとした言語だけど、門外漢からすればわけわかめな記号の連なりにしか見えないのと同じですよ。
とは言え某ハガレンとどっこいどっこいで『一部の共通項を除けばこんな錬金術あるかい!!』となりましたわシンフォギア時空の錬金術も。
「朱音さん?」
「っ……」
一週間前の《武装組織フィーネ》が起こした大規模テロ直後の二課仮説本部でのミーティングを反芻していた私の意識は、エルフナインの声で現在に引き戻された。
気がつくと、二課本部内の食堂のテーブルでエルフナインと差し向かいで座っていた筈の自分は、いつの間にかキッチンフロアのシンクの前で彼女に振る舞っていたスイーツを盛らせていたお皿や食器を一通り、洗い終えてしまっていた。
「も、もしかして朱音さんが披露したのはいわゆる〝無我の境地〟と言うものですか!?」
「それは、違うと思う」
おそらく傍からは、人の聴覚では聞き取れない超音波の類に反応してる猫ちゃんみたいな状態で、無意識下にて家事に勤しんでいたであろう自分に対し、興味津々に瞳を輝かせ嬉々としてぐいぐいと質問してくるエルフナインを前に、私は苦笑で応じる。
どちらかと言えば私が今行っていたのは、せいぜい〝解離〟とか〝白昼夢〟と呼ぶべきだろう……要はぼーっとしてその間の記憶が無いってこと。
私の場合は大抵、気分が乗って歌い耽っている時によく起き、それに気がついて恥ずかしい気持ちになるのがお決まりの流れ。
ただ今回の場合は、《武装組織フィーネ》に関する情報を回想している中、身体はお皿洗いら食後のお片付けをしていた。
我ながら無意識下でも正確に家事を全うできてしまうくらい手先が器用は有難いけど、いざ意識が戻るとヒヤリとするものである。
「あの言葉の本来の意味って――〝自我への執着から解放〟だからね」
「そうなのですか~~……ほうっ~~……でも新たな発見になりました~」
仏教における《無我の境地》の正確な意味を簡単ながら説明すると、エルフナインは好奇心と新たな知見を得られた喜びたっぷりに頷き、私はその愛らしさに心(むねのうた)がほっこり温まるのを感じ取る。
一方でこれでは本来の意味での《無我の境地》からは程遠いな~~と自嘲もした。
「そういう意味では《錬金術師》たちも、〝無我〟からは遠い境地にいる存在かな~~」
「どうしてですか?」
「《錬金術》に限らず〝科学〟とは、端的に言えばこの世の理の全てを解き明かそうとする学問でしょう?それを究めようとする方々を〝無欲〟とは言えないよね」
「あ~~僕たちは確かに……探求心と言う欲求を内にたっぷり抱えていますね」
エルフナインと雑談を交えつつ、私は次の人にも問題なく使えるようシンク内を一通り掃除し終えた。
仏教のように欲も俗世も否定する気はないが、ゆえに自重と自省も必要である――と、改めて自分言い聞かせて、エルフナインを艦内になる研究室へと送る為に食堂を後にする。
「ごめんね、本部(ここ)に缶詰にしちゃって」
「朱音さんが謝ることはありません、僕の立場を踏まえれば、この程度の〝軟禁〟で済ませてもらっているだけでも好待遇です」
エルフナイン当人の口からも直々に言及されたが、現状のこの子の身柄は、この二課仮説本部内にて軟禁状態にある。
こうして艦内を出歩かせるだけでも、必ず同伴者が必要なくらいで、現在エルフナインが自由に活動できる範囲は本部内の寝泊まりも兼ねた研究室一角に限定されていた。
この子がそんな身の上にある理由は幾つかあり、《武装組織フィーネ》に関する情報(てがかり)を手見上げに二課と接触してきた重要参考人でもあるし。
マリア・カデンツァヴナ・イヴをプロデュースし、かの組織の支援者(パトロン)の疑惑がある世界有数の大企業のCEO《キャロル・マールス・ディーンハイム》と、外見年齢差以外は瓜二つな曰くもあるし。
何より、現代社会では創作(フィクション)以外では過去の遺物でしかなかった《錬金術》は実存する学問にして技術であると証明する〝生き証人〟でもあるからであった。
時を再び一週間前に遡らせよう。
「朱音(くさなぎ)……どうしたのだ?」
これまで見たことのない前世の記憶(ビジョン)――〝ガメラと柳星張(イリス)と人類が強力してレギオンに立ち向かう〟――が脳内に突如として映写された中、ポーカーフェイスの裏で戸惑う私の耳に、翼の声が入ってくる。
「いや……私もあちらさんの数の少なさに面を喰らってね、いくら私と同じ身の上の転生者、それも前世の宿敵がいるにしてもだ……」
今は正体の分からぬ未知の記憶を切り出すのはよそう、と僅かな間で保留を選んだ私は、
それらしい言い訳を咄嗟に述べた。
事実、中隊に小隊どころか、小説や映画にもなった八甲田山の雪中行軍に成功した明治の日本陸軍のメンバーよりも小人数過ぎる構成。
司令役がナスターシャ教授で、参謀担当がウェルだとすれば、実働メンバーは漆黒のガングニールのシンフォギアを使うマリアと、ザババのギアの担い手なあの二人と、そしてあの柳星張転生体しかいないと来た。
「朱音君、その宿敵の記憶と能力を有しているであろう少女については?」
「〝神隠しの〟間に再会は果たしていた事実だけはおぼろげと、今思い出せるのはそれだけです」
前世(ガメラ)に関する情報は、現在私が覚えている分からさらに抜粋したものしか司令ら二課と翼たち装者たちにしか伝えていない。
この世界では現状虚構(フィクション)の産物でしかない〝怪獣〟が社会に与える影響と、
打ち明けた相手側の心情を案じて意図的にそうしたものあるが、実際自分も全て覚えている確証も無かったからだ。
柳星張に関する情報も、我がギアたる勾玉(ガメラ)が覚醒したての時点では一旦秘匿しておく方に仕分けしておいたのだが、あの夏の神隠しの件が起きた後、私は〝不意に思い出せた〟と言うことで、奴の出自と生態と能力に関する自分が知り得る一通りを二課に公表しておいた。
理由を端的に述べるなら、自分と言う前例がある以上、他にも〝怪獣転生者〟が表れて相まみえる可能性が前々から頭の片隅にあったのだが、神隠しから帰還してからはその懸念がより強まったが為、実際その懸念は当たったわけだし、この事後会議(デブリーフィング)の場で事柄の説明を省略できた。
「博士の方はどうですか? あちらの装者たちについての情報は――」
「思い出せたわ、加えてご先祖様のレポートにかかっていたプロテクトも一部解禁できたのがこちら~と」
「《レセプターチルドレン》……」
櫻井博士がモニターに英語で記述されていた記録(レポート)のデータを表示し、その題名部分に表記されていた単語を私は口にする。
「了子くん、この子供達(チルドレン)と言うのはやはり――」
「そ、この子たちはもしこの私〝櫻井了子〟の代で〝バラルを穿つ〟ことができなかった場合に備えて、ご先祖さまがこっそ~り集めていた子孫の子どもたちよ」
次にその子孫たちの写真と名前と大まかなパーソナルが記載されているリストがモニターに載せられ、下へとスライドする中、私はその一人一人を速読して脳に記録させていく。
暁切歌――イガリマを使っていた少女。
月読調――シュルシャガナを使っていた少女。
二人とも推定年齢十四~十五歳、《F.I.S》に拾われる以前の経歴は不明……と、もしかしたらこの名前も組織に拾われた際に付けられた〝仮名〟で、親の顔はおろか肉親から付けられた本名すら、当人たちは知らない可能性も伺えた。
それだけこのリストに載るフィーネの次の引っ越し先の物件として選ばれた子孫の子どもたちは得てして身寄りのない、生まれもそれまでの育ちも分からぬ天涯孤独な身の孤児たちばかりだ。
例外と言えばマリア・カデンツァヴナ・イヴ……生まれが東欧のとある国の戦災孤児とある、デビュー曲の英語詞を歌う音色から北欧訛りが混じっていたのも頷けるし、そこから矯正するだけでも相当な努力を積み重ねたのだと容易に想像できた。
〝セレナ・カデンツァヴナ・イヴ〟
そんなマリアには妹がいた……生年は奏さんと同い年、どうやら幼いころから姉妹二人、紛争地を渡り歩く過酷な日々の中で《F.I.S》に拾われたらしい。
過去形を使ったのは……他の子たちと違って没年が記載されていたから、つまり既に故人だと言うこと。
向こうの〝事情〟を知る上でセレナと言う子は重要なカードだと自身の直感が告げているが、仔細は後で博士とエルフナインに改めて聞くことにしよう、他にも確認と共有しておきたい質問(てがかり)が山ほどあるからな。
とは言え、柳星張(イリス)転生体の少女……正確には少女たちのこともチェック。
比良坂真矢/彩矢。
前述のザババのギアの二人と同様、《F.I.S》に保護される前の経歴は不明か……だがどうやら組織に保護されている時点で人格を複数有していたと思われた。
「ちょっと、私からもまた質問良いですか?」
次の質問を私が切り出そうとする前に、響がよそよそ気味に手を挙げる。
「はいどーぞ、響ちゃん」
「じゃあやっぱりあの時マリアさんが言ってた通り、今のマリアさんはフィーネさんが―――」
「「それはない(わね・だろう・です)」」
「えっ…?」
打ち合わせしたわけでもないのに、私と弦さんと櫻井博士とエルフナインはほぼピッタリ重なる形で、響の質問に応じ、自分が抱える懸念に対してNOと返されて呆気に取られる響は口をぽかーんと半開きにし、いつもよりまるまると点になった双眸を寿命が間近な電球よろしくちかちかと瞬きさせていた。
「おい、いつまでバカみたいにボケっとしてんだ?バカ響」
「むぐっ!」
「っ~~!」
呆然状態の響に、溜息を零すクリスの手は半開き気味のままな彼女の口を下顎から両頬ごと巻き込んで挟み込み、アヒルの嘴っぽくなった口からムニュっとした感触音が鳴ると共にひょっとこの仮面みたいなお顔になった様を前に、思わず私と櫻井博士の腹筋が刺激されて噴き出してしまった。
フィーネの魂が抜け、私とクリスの歌声で覚醒してからの櫻井博士との今日までの付き合いで分かったことだが、自分と博士の腹部にある笑いのツボの位置は結構被っているらしい―――ことは置いておいて。
「〝私たち〟に何か起きた場合を見越して、例の子孫(こどもたち)の中にご先祖様が憑依したかの検査ぐらい《F.I.S》はとうの前に行っているでしょ、その辺の記録も入手しておいたのよね?エルフナインちゃん」
「はい、《F.I.S》本部の襲撃前にどうにか取得できた記録が正しければ………《レセプターチルドレン》からは誰一人フィーネが転生した痕跡は一切見られなかったそうです」
「ご先祖さまと自称してたマリア・カデンツァヴナ・イヴの演技に対する朱音ちゃんの感想は?」
「〝ハムレット〟………〝大根〟ですね」
自分と響に相対していた際のマリアの台詞(ことば)と立ち振る舞いを一通り思い返した私は、その演技力を厳しめに表した。どっちの単語もはっきり表するなら〝下手くそな演技〟を意味している。
「じゃあ朱音ちゃん、マリアさんが自分がフィーネさんだってこと嘘だと……」
「――分かった上で付き合ってた、大体〝終焉の巫女〟を演じてるにしては潔癖過ぎだよ、〝人質なんて趣味じゃない〟とか、ちゃんと記録(げんさく)を読み込んだのか?と言いたいね」
自分でも意地悪なのを自覚的に、口元を皮肉で微笑ませる。
二課仮説本部に戻る間に、私は二課専用ドローンカメラが捉えた映像から、マリアの口の動きが読める映像を重点的に見直し、読唇術で言葉を抜き出していた。
本物のフィーネなら、あの時人質全員を解放する真似などしない、自分の側に事を有利に進める為の手数(カード)として大いに利用し、場合によっては見せしめに何人かの命を生贄にすることも辞さない筈だ。
「そこも朱音ちゃんと同意見よ私も、ご先祖様は悲願の為ならあらゆる泥も毒も被って喰らい尽くすだけの覚悟と、その為に手段は選ばぬ悪賢さもあった、あの〝アイドル大統領〟からはどっちも感じられなかったし、演技力も朱音ちゃんの方が上手よね~~弦十郎くんはどう?」
「大体のことは朱音君と了子君に言われてしまったが――」
司令は天井を見上げながら下顎を指で撫でた。考え事をしている時によくする彼の癖である。
「実際長年の付き合いで悟られてた俺自身の甘さを躊躇いなく突いてくる程には〝彼女〟は非情に徹することができた……のを踏まえると、マリアはそこまでなり切れない甘ちゃんだと感じた、俺も人のことは言えん身だがな……」
フィーネの搦め手で重傷を負った胸部へ、自嘲の籠った人差し指で突き、当事者にして経験者は語る。
弦さん――司令との戦闘で追い詰められた際に〝櫻井了子〟としての顔を見せて油断した隙を突くことを躊躇なく実行した事実や、実際に相まみえた経験があるこちらからすると、はっきり言って〝解釈違い〟としか言いようがない。
少なくとも私と櫻井博士は、端からマリアが次代のフィーネだとは端から思っていなかったし、ダメ押しで念入りに行われたであろう《F.I.S》の検証実験でも結果が出なかった以上、フィーネ当人が今回の事態に直接関与している可能性は限りなく低いだろう。
「響だってまた彼女と戦うことになって〝この道しか選べなかった〟悲しい姿を見せられるのは嫌だろう?」
「うん……」
もしかしたら《F.I.S》に悟られないくらい意識を完全に乗っ取っていない塩梅で、あのリストに載る子孫たちの内の誰かに宿っているかもしれないが……それでもフィーネと〝同じ人間として手を取り合いたい〟気持ちを胸中でくすぶらせている響の心情を案じて、この件に関する深入りは、程々かつ丁重に控えておくことにした。
「私としては《F.I.S》関連は一度持ち越しにしたいんだけど、司令やみんなはどうかな?」
「異存はない、俺もそろそろエルフナイン君のバックボーンについて気になっていたものでな」
他の皆も同様のリアクションだ。
よし……これでやっと本題中の本題に踏み込める。
「〝錬金術〟って、やっぱ専用の円陣書いたり手をパンしたりして、物質(もの)の形とか取っ変えられるもんなのか?」
「クリス、その錬金術はあっちの漫画の世界の中だけの設定だよ」
「へ?マジかぁ?」
両手を合いの手にしてパンと鳴らしたクリスに、私はツッコミを入れた。
まあ二〇〇〇年代に二度もアニメ化され、現代日本で錬金術と聞かれて真っ先に思い浮かぶくらいには今でも人気は健在な名作少年漫画(コミック)だけど、錬金術絡みの設定は作者本人も『こんな錬金術があるかい!』と自ら突っ込むくらいには独自性が強い。
「そうだったのかァ!?」
――ちょ、おいおいおい~ちょいと待て待て待たんかい!
Et tu,Tsubasa(翼、君もかよ)?
前に私は、アニメの主題歌たちも名曲ばかりなかの錬金術バトル漫画を二人に勧めたことがあって、どっちも嵌ってくれたのには嬉しさがある一方、現実の錬金術もあんな感じだと鵜呑みにしてたボケ具合に対し、私は苦笑する裏でこの二人以外と似た者同士だな~~と改めて実感した。
「この先輩方の様子のおかしなボケたちはスルーしていいからねエルフナイン」
「わ、分かりました……ご忠告ありがとうございます」
「「おいッ!」」
翼とクリスがこれ以上ボケ続けて響たちにまで伝染して連鎖しないよう、二人を指差したままエルフナインにちょっとしたアドバイスを送る………って何? そのジト目で不服そうなお二人の表情と態度は、ちゃんと〝先輩〟と呼んで敬意を表しているじゃないか~~まったく困った戦友(せんぱい)たちだ、やれやれと私はスルーする。
「じゃあ、君たちが究めている本家本元の〝錬金術〟について、教えてくれるかな?」
「はい――」
組織としては余りに小規模な《武装組織フィーネ》が今夜の様な大舞台を演出できるだけの蛮行を可能とさせた支援者(パトロン)にして、現代にまで人類史の影で密かに存続していたテクノロジーたる《錬金術》を究めし者たちに関するクエスチョンタイムを再開しようとした矢先――。
「なんだか外が騒がしいわね……」
櫻井博士がぼやいた通り、レクレーションルームの外から騒音が響いていた。
具体的には、男一人が〝もう帰らせてくれ〟駄々をこね放題に情けなく喚き立て、他の人間たちが非常に困らせられ、どうにか解放までもう暫く待たせてほしいと宥めている。
五感は人並みより鋭敏な私の耳は博士が言及する手前から、騒音の正体も込みで察していたが、重要参考人(エルフナイン)からの事情聴取を優先して無視を決め込むつもりだったが………。
「博士、今は聞き取りの方を――」
私が制する前に博士は、部屋の自動扉を開けてキャットウォークへと飛び出し。
「ちょ~っとぉ~~近所迷惑なんですけど貴方たち、何で揉めてるのかしら!?」
遅れて廊下に出た私は、予想通り騒ぎの当事者が先のエルフナインを狙ったノイズとオートスコアラーとの戦闘に巻き込まれて本部(ここ)に保護されていた守崎洸氏であること、立ったまま気絶同然に寝ていた状態から目覚めて早いところ帰らせてくれとせがむも、特異災害とシンフォギアを直に目にしたことで執り行わなければならない手続き諸々で二課エージェントの方々から引き留められている状況だったことを目にし、額に手を当て溜息が漏れ出た。
だがボヤいてる暇は無い……早く博士を部屋に引き戻して聴取を続行しようとしたが――。
「おとうさん……?」
背後から聞こえた響の声と。
「響……」
驚きで一転大人しくなった守崎氏の口から発せられた響の名から、対処が後手に回ってしまったことを思い知り、自分のこめかみから気まずい味がしみ込んだ冷や汗が一滴、滑り落ちる。
博士もおおよその事態を把握したようで、口を両手で塞ぎ、ばつの悪そうな面立ちで固まっていた。
「あ~~ひ、響……これはどういうことかと言うと―――」
この状況に至った経緯(じじょう)を説明しようと振り返った私の翡翠(ひとみ)が目の当たりにしたのは、回廊を脱兎の如く走り、小さくなっていく響の悲痛な後ろ姿。
「「響ッ!」」
その背中へと私と回廊に出てきた未来が呼びかけるも、全く応じてくれないまま響は去ってしまっていくのであった。
それから一週間後の現在に戻って。
エルフナインとのティータイムの後、私は司令室の片隅でエルフナインからの聴取を元に櫻井博士が作成した《錬金術》に関する調書(レポート)を読み直していた。
「朱音ちゃん、〝今日のあったかいもの〟どうぞ」
「あったかいもの、今日もどうもです」
今日の友里さんが淹れてくれた《あったかいもの》はチョコチップが振りかけられたカフェラテ、最初はチョコとミルクが混在する甘さが広がったと思ったら、後からコーヒー本来の苦みがじわりと効いてくるグラデーションが香ばしい……一口で多層な味わいができる〝逸杯(いっぱい)〟だ。
「なにか進展はあったかしら?」
「《武装組織フィーネ》関係は現時点でも何もです、一切の恣意行動も、各国との交渉も確認されてないそうです」
同じく友里さんの逸杯(あったかいもの)を片手にデスクワーク中の博士が彼女に新たな情報は無いかと問うが、現状は相も変わらず……あれだけ大掛かりなテロを起こした以外に、かの組織が目立った行動は見せていない。
「あれだけ派手なパフォーマンスをしておいて、この沈黙は逆に怖いですよ」
藤尭さんの言う通り、最終目的にして御題目の〝月の落下から人類を救う〟までの過程で次にどんな破壊工作を目論み、仕掛けてくるのか、こちらからすると却って気の抜ける暇もない不気味な沈黙具合である。
「朱音ちゃんの思うところは?」
「ネフィリムの〝餌代〟だけでもバカにならないのに悠長だな~~と」
「そうよね……ご先祖様のレポートにもあった〝共食いすら厭わぬ飢餓衝動〟なら、獄中生活でも常にハラペコ間違いなしなのは容易に想像つくわ」
増殖分裂型を掃討する為に私たちが用いた〝絶唱の四重奏〟のエネルギーによって、連中が有しているネフィリムが目覚めているのは確実と見当ついている。
けどただ起こしただけでは《フロンティア》を起動するには至らない……その癖日々の活動量はバカにならない暴食の化身も同然な完全聖遺物だ。
そんな代物を〝方舟〟の動力炉となるくらいに成長させたければ……それこそ聖遺物レベルの物体を摂取させなければならず、それを手にするアクションを起こすだけでも大事になる筈なのだが………一週間経っても目立った動きを氷山の一角どころか、雪の粒子が少々大気中に漂う程度すら見せないので、二課(こちら)はエルフナインが提供してくれた情報以上の手がかりをほとんど手にすることができずにいた。
「エルフナインちゃんの方は?」
「私が確認した限り、今日だけでも十回は覗き見してましたね」
とは言え、全く何事も無かった……言うわけでもない。
エルフナインが命がけで情報提供してくれなければ、私たちは向こうの内情と目的を掴むのにもっと苦労させられていただろう。
先程のティータイムも含めて、エルフナインに美味しいものを提供しているのは私なりの感謝と気遣いもあるんだけど、意図はそれだけじゃない。
「あんな良い子がこちらの動向を漏らす〝毒〟と言う件ですが……やっぱり俺には到底そんなことできるとは思えませんね」
「そこですよ藤尭さん」
私も櫻井博士も、エルフナインは〝内通者(スパイ)〟としてわざと二課に保護されたと踏んでいた。
当たり前のことだがこちらが情報を入手できた好都合は、向こうにとっての不都合。
なぜノイズと配下の《オートスコアラー》を差し向けておきながら、みすみすエルフナインと二課との接触を、《武装組織フィーネ》の支援者でもある錬金術師――キャロル・マールス・ディーンハイムは許したのか?
「ある意味で最強の内通者とは、当人にその〝自覚〟が無いと言うことです」
「無自覚なら、周りに演技してるとボロが出ちゃうリスクの心配も無用よね~~」
それはつまり、エルフナインは〝無自覚なスパイウェア〟として敢えて泳がされていたと言うこと。
「エルフナインがキャロル・マールス・ディーンハイムの創造した人造人間(ホムンクルス)なら、感覚器官を共有することぐらい、造作も無いでしょう」
一週間前の聴取中に私が覚えた違和感から、自分と博士はエルフナインが五感で見聞きした情報はリアルタイムで創造主(キャロル)に送られている可能性に行き付いた。
今では視覚ぐらいなら、虹彩の微かな変化で共有されている状態だと分かるまでになっている。
大事な事態となっていないだけで、既に二課とあちらとの間には情報戦と言う〝戦争〟の真っ只中にいる、油断大敵な状況そのものだ。
でも友里さんの〝あったかいもの〟を悠長に味わう余裕はまだあるので、レポートの読み返しを一旦止めて、カフェラテの旨味を堪能させてもらうことにした最中――。
〝~~~♪〟
腕に付けた二課用通信端末(スマートウォッチ)のメール着信音が鳴り出した。
ホログラムモニターを表示させて、送り主を確認すると。
「博士、響からです、今日の〝検査〟には遅れると……」
「あらまあ……理由は――聞くまでもないわね」
「Yeah(ええ)……」
そうして残っていたカフェラテを飲み干す。
せっかくの友里さんの逸杯なのに、今響が置かれている状況を想像するだけで、しかめ面になる程の酸味(えぐみ)一色になってしまった……自分のバカ舌めと心中揶揄して、カップを机上に置いた時。
〝~~~♪〟
今度は私用のスマートフォンの着信音が、服の布越しに突如鳴り出した。
ここにいる誰もが、この異常事態に息を呑んで黙する。
最新鋭の潜水艦でもある二課仮説本部内はその仕様上、市販の携帯電話レベルの電波は届かない、当然艦内では電話もメールもネットも使用不能、外部から内部にいる人間に通話することも同様。
なのに沈黙のせいでよりけたたましく聞こえてくるのは、朱音私用の市販されている折り畳み式スマートフォンに他ならなかった。
朱音は懐から端末本体を取り出し、画面を開いた瞬間。
『留守番電話サービスに切り替わります』
咄嗟にスピーカーモードをタップする。
端末から、常人の耳ではモスキート音としか思えない奇怪な雑音だったが、朱音の脳裏は確かにメッセージの内容を受信していた。
「緊急の要件ができたので出かけます」
了子のデスク上にあるペンとメモを借りてメッセージを書き記し、彼女に手渡した朱音は司令室を後にしようとする。
「待って朱音ちゃん!」
――と、了子が朱音を呼び止め、振り返ると、飛んできた物体を二つ、己が反射神経で手に取る。
錬金術師が長距離移動に使う《テレポートジェム》だった。
「研究用にエルフナインちゃんから幾つか借りてたの、それを使った方が速いでしょう?」
「貴重なのを……どうも」
了子のご厚意に感謝の笑みと言葉を返す朱音は、さっそく一本目を床に落として割る。
マゼンタ色でヘキサゴン上の方陣が出現し、閃光が放たれたほんの一瞬の間に、朱音の姿は司令室から空間転移で消えたのだった。
つづく。