僕が注文したものをちびちびと飲んで、飲み終わらせてしまって少し眠くなってきた頃にようやくお目当ての人物が帰ってきた。
「ったく、いつまで待たせる気だ。根本」
「なっ、お、お前! どうしてここに!?」
「別に喫茶店に僕が居た所で全く問題ないと思うが……まあいい。
貴様に少しばかり用があってな。ちょっと奥で話せないか?」
「ここは俺の教室なんだが……何でそんな自宅みたいなノリで言ってるんだ?」
「不満か? ならここで話すが」
「……来い」
根本に店の奥まで連れてきてもらったので早速用事を済ませるとしよう。
「コレを返しておく。煮るなり焼くなり好きにしろ」
「な、何だと!? どういう事だ!!」
根本に差し出したのは大会の時にチラ見せした女装根本写真集だ。
これをバラ撒かれる事は根本の社会的な死を意味し、脅迫のネタとしては最上級と言えるだろう。
「お、お前! どういうつもりだ!!」
「……あ、スマン、好きにしろとは言ったが捨てる時にはゴミの分別はちゃんと守って……」
「そういう意味じゃねぇよ!!」
「ああ、安心しろ。オリジナルデータもバックアップデータも全てその本に挟んだSDカードに移してある。
その本自体も一点もの。コイツを丸ごと燃やせばこれらの写真が世に出回る事は無いと思ってくれて構わん」
「それは助かるがそういう事じゃない! 一体何が目的だ!!」
「ん~、強いて言うなら……お前はもう十分に痛い目を見ただろうって事だ。
これ以上この件で貴様を苦しめるのは僕の趣味じゃない」
「……そ、それだけか?」
「ああ。不満か? 不満ならコレは持って帰るか」
「い、いや、不満は無い! それを置いていけ」
「ああ。そうしよう。じゃあな」
近くの机に……置こうとしたら微妙に遠いので床にそっと置いて立ち去る。
さて、教室に戻って……いや、その前にちょっとうろつくか。
あのクレーマー達がBクラスだけでネガキャンしてたとは思えないし、近所の様子を見ておこう。
「……あいつ、何だったんだ?」
アレを……今拾ったコレをネタに更に何か脅しをかけるというのならまだ分かる。
しかし、何事もなくただ返すだけ……メリットが皆無で、バカなのか、あるいはバカにされているとしか思えないがどちらでも無さそうだ。
「どうしたの代表」
「っ! 何だ、御空か」
「ええ、私よ。
空凪くんと一体何話してたの」
「お前には関係……いや」
関係ないと言おうとしたが、やたらと頭が良いらしいコイツであればもしかしたら分かるかもしれない。
……この写真集の存在も既に知っているはずだしな。コイツも撮影の手伝いしてたから。
「実はさっきコレを返された」
「えっ、コレを? 対価も無しに?」
「ああ。何か『もう十分痛い目を見たから』とか言って返された。
あいつはかなり計算高い奴だと思っていたが……一体何がしたいんだ?」
「ん~、予想くらいならできるけど」
「何だと? 予想でもいいから教えてくれ!」
流石はうちの副代表だ。何でこんなのがBクラスに居るのかは非常に疑問だ。
「結論から言うと……『報復が怖いから』っていう事と『悪影響を防ぐ為』って感じかな?」
「……は? どういう意味だ?」
「そのまんまの意味……って言っても納得しなさそうね。詳しく解説するわ。
まず、報復について。
単刀直入に訊くけど、代表は空凪くんを殺せって言われたら殺せる?」
「いきなり物騒な事を言い出したなお前」
「で、どうなの?」
「……別に奴の事は好きではない。むしろ嫌いな方だが……流石に殺すのはどうかと思う」
「正常な反応ね。じゃあもう一つ質問。
仮にだけど、さっきアレを返されずに年単位で脅迫され続けて身も心もボロボロになったとしましょう。
何度もリンチされ、お金も根こそぎ巻き上げられて、何度も死にかけた。彼のせいで。
そうなったら、今度こそ殺せるんじゃない?」
「そんな仮定はしたくないんだが……確かにそうかもしれないな」
本当にそうなってみないと何とも言えないが、そこまで追い詰められたら殺人くらいは普通にやりそうだ。
「今話したのはかなり極端な例だけど、小さい規模ならいくらでも起こり得る。
脅されてても、バレないようにこっそり嫌がらせするくらいはできるでしょ?」
「……確かにそうだな」
「うんうん。
ところで、話は変わるようで変わらないんだけど……7つの大罪って言葉知ってる?」
「キリスト教か何かの言葉だったか?
確か……傲慢、強欲、暴食、怠惰、色欲、憤怒、嫉妬……
……こんな感じだったか」
「お~、よく言えたわね」
「それが何の関係があるんだ?」
「ううん、関係ないよ」
「おいっ!」
「その7つは関係ないの。重要なのは8つ目」
「あ~……確かに何か聞いたことあるな。虚構とかそんな感じの」
「『選ばれた7つ』に対して『選ばれなかったその他』である8つ目はいくつかあるみたいね。
その中の1つが『正義』よ」
「正義だと? そんなのが大罪なのか?」
「そりゃそうよ。人はそれが『正しい事だ』って信じてればどんな残酷な事でもできるんだもん。
戦争とかが良い例ね」
人を殺すのは犯罪だが、戦時下であればむしろ推奨される、か。
「……確かに、とんでもない大罪だな」
「そもそも何が正しい事かなんて人間如きに分かる訳が無いってのにね。
で、話を戻すけど、仮に空凪くんが脅迫を続けていた場合、空凪くんはとんでもない大悪人って事になるわね」
「急に戻ったな。ああ。確かにその通りだ」
「で、それに逆襲して天誅を下そうとする代表は『正義』って事になるわよね」
「俺自体が正義だと言うつもりは全く無いんだが……確かに悪人を殺すのは『正しい事』ではあるのか。
だから殺しても大丈夫だと自分に言い聞かせて、実際に行動に移してしまう」
「そゆこと。いくら代表が相手だからって脅迫は明らかに悪い事だし、やり過ぎたら大悪人になる。
そしてバカな正義に逆襲される。相手が悪であればあるほど正義は過激な手を取れるようになる。
そうならないようにするために程々の所で止めたって事でしょう。要は空凪くんによる自衛策ね。
以上が『報復を恐れた』っていう事の解説。納得できた?」
「ああ。よく分かった」
やり過ぎたら悪人として報復される。
だから程々にしておく、か。考えたことも無かったな。
「次だ。確か『悪影響を防ぐ』とか言ってたな」
「ええ。突然だけど、卑怯な事全般についてどう思う?」
「何だ何だ、いきなり説教でもかます気か?」
「いやいや、そんな無駄な事しないってば。
う~ん、じゃあさ、『嘘つきは泥棒の始まり』って言葉知ってる?」
「当たり前だろう。幼稚園児でも知ってる言葉だ」
「うん。じゃあさ、その言葉の意味って正確に説明できる?」
「…………ん?」
説明も何もそのままの意味……いや、そもそも嘘を吐く幼稚園児を戒める為の出まかせじゃないのか?
「私もこの言葉の発案者と話したわけじゃないから想像でしかないけど……
この言葉は小さな悪事でも積み重ねる事で悪事そのものへの抵抗が無くなってしまうって意味だと思う」
「……言われてみれば確かに。そういう事なのか?」
「真相は分かんないけどね。
人の心ってのは人間の想像が及ぶ以上に繊細で尊いものよ。
自分の心を汚さないように、程々の所を見極めて代表に本を返した。そういう事だと思うわ」
「アイツはそんな事まで考えてたのか?」
「さぁ、ただの私の想像でしかないわ」
それはそうだが、御空の説明は何となく筋が通ってるように聞こえた。
両方合っているのかは分からないが少なくとも片方は合ってるんじゃないだろうか。
「……ちょっと微妙に外れる話だけど、ついでだからこれも言っておくわ。
代表、あなたが真に優れた指揮者になりたかったら、感情論すら計算に入れなさい」
「……意味が全く分からないぞ」
「代表は卑怯な事に対してあんまり抵抗は無いみたいだけど……私に言わせれば凄く勿体ないわ。
影響を考えてからやりなさいって事よ」
「……やっぱり説教なんじゃないか?」
「頭ごなしに説得する事を説教と言うならコレは違うわ。
何かやらかすとそれだけ人気は下がり、人気が下がると戦闘指揮に差し障りが出る。
感情論は下らないって思うかもしれないけどそれだけで切り捨てないで。悪い奴には従わないっていうアホな正義を掲げる人は確かに居るんだから」
さっきの8つ目の大罪の話にも繋がるのか。
確かにそういう奴は居たな。俺が卑怯者だからという理由だけで命令を拒否するアホだと思っていた、いや、今も思ってるが。
「逆に、善行を積む事で評価は上がり積極的に行動してくれるようになる。
あなたの指示に従う事こそが、善人に協力する事こそが精神的なメリットと成りうる。
その影響は……場合によるけど、嫌々行動するよりは明らかに良いのは明白ね」
「……下らない話だな。俺に対する感情だけでそんなに変わるのか」
「ええ。実に下らない、けど確かな影響を及ぼす。
正攻法で頑張って感情論を味方に付けるのも、邪道に走って敵に回すのも自由。だけど、そういう所でキチンと対価を支払ってる。
そういう事を意識しておきなさいって話よ」
驚いたな。優等生っぽく見える御空がまさか限定的にとはいえ『卑怯な事』を認めているとは。
いや、むしろ推奨しているな。メリットがデメリットと釣り合うならどんどん使って良いという事でもある。
感情論を計算に入れる、か……考えた事も無かった話だ。
「さてと、それじゃあ働きましょうか。
真面目に働く事が皆からの評価を得る第一歩よ」
「……それだけで評価が上がるなら確かにサボるよりも得だな。
分かった、何をすれば良いんだ?」
「そうその意気。まずは……」
後から振り返ってみると、この時の問答が俺のターニングポイントだったんだろう。
今まで俺を卑怯だと罵る奴は全員バカだと思っていた。楽できる手段があるんだから使うのは当然だ、と。
だが、その分だけ俺の心は歪み、周囲の人間の恨みを買う。
楽をした分の代償はしっかりと払っていた。その事実を俺はこの時にようやく気付いたんだ。
「以上、根本覚醒フラグを立てる回だ」
「基本的な内容としてはリメイク前とあんまり変えてないわね。表現方法が結構変わってるけど」
「筆者の数年間の人生経験が加算されたものだからな。それだけあれば色々変わってくるさ。良くも悪くも」
「天秤の例えが消えた代わりに8つ目の大罪と感情論の計算が入ってるわね。
ちなみにだけど、『正義』の解釈については筆者さんが字面から勝手に想像しただけであって本当にそういう意味なのかは調べてないそうよ」
「『狂信』があるくらいだからそう遠くは無さそう、と言うか『狂信』が『正義』って呼ばれる事もあるって話じゃなかったか?」
「さ~?」
「……まぁ、いいか。別に」
「では、次回もお楽しみに!」