全身無職に改造されたが、今は何とか時計屋やってる 作:ひょっとこハム太郎
F.I.Sにて行われたネフィリムの起動実験と悲惨な結末から一年後。
優斗は全てが純白に包まれたかのような病室に居た。
何処かに傷を負ったとか、病を患っているという訳ではなく、今日は修理依頼のあった品を届けに来ただけであった。
「随分と無茶苦茶になっていたんで、ジャンク品からパーツを移植させて貰いました。正直、ほぼ別物になってしまって申し訳ないですが……」
「いやぁ、そんなことはないよ。ありがとう、これは亡くなった妻に死ぬほど頭を下げて買わせて貰ったものでね。大切な思い出なんだ」
開け放たれた窓からは、春一番が吹き終えて随分と穏やかになった微風がカーテンを揺らしながら、部屋の主と優斗を優しく包んでいた。
そんな中、全身包帯だらけになり、片足を天井から釣っている部屋の主――初老の男性が、さも愛おしそうに修理を終えて返ってきた時計を撫でている。
彼は数ヶ月前に交通事故によって重大な怪我を負って、この病院へと運び込まれた。
一命を取り留め、目を覚まして最初に気にしたのは、若くしてこの世を去った最愛の妻との思い出が詰まった時計。少ない小遣いをこつこつと貯め、妻に拝み倒して買ったオメガのスピードマスターだった。
尤も、小遣いだけでは足りず、妻が貯めていたへそくりを誕生日に合わせて大放出してくれたからこそ手が届いただが。その時は、時計を買えた喜びよりも、彼女を妻として選んだ自らの選択と幸運に歓喜したものだ。
だからこそ、事故によって見るも無残に壊れてしまった時計を見た時、彼は何を思ったか。
その消沈ぶりと来たら、多くの絶望を見てきたであろう医者や看護師が心を痛めるほど。このままでは治療に支障を来しかねないと判断し、善意から時計の修理が可能な店を探した結果、行き当たったのが鷲崎時計店の優斗であった。
「しかし、若いのに随分と良い腕だね。修理やオーバーホールに出すと、何処か手触りが変わってしまって嫌だったんだが、これは前のままだ」
「古い時計ですからね。使う人間の性格や思い出が詰まってますから。そういうバランスの調整も、ウチの売りなんで」
時計は日常で使いこそすれ、コレクターでもなければ年に何度も買う代物ではない。
故にこそ、使用者の性格と思い出の多くがそのまま反映される。小さな傷や磨り減り、色褪せ、くすみ、秒針の刻まれる正確さには、全てが詰まっていると言っても過言ではない。
それらをそのままに、客の大切な思い出が失われないように直すことが、修理の真髄であると優斗は考えている。
どうやら、その考えは男性には嬉しいものであったらしく、涙すら滲ませていた。恐らくは、自らを見守ってきた時計と共に、妻との思い出を振り返っているのだろう。
「それじゃ、今後ともご贔屓に」
「ああ、そうさせて貰うよ。料金の件だけど……」
「それは後で構いませんよ。色々大変でしょうしね。前金も貰ってますから、踏み倒されてもそれほど痛手じゃない」
「酷いな、それほど窮困しちゃあいないさ」
自らは彼の人生にとって異分子に過ぎず、たまさか道が交わっただけのこと。思い出に浸るには邪魔者以外の何者でもない。
来客用の丸椅子から立ち上がった優斗に、男は今回の修理に見合っただけの報酬はいくらであるか話そうとしたものの、今はするべきではないとに冗談交じりに断られる。
実際に、ジャンク品を手に入れられるだけの前金は受け取っており、手間賃工賃を無視すればトントンだ。
修理の仕上がり具合に客も満足している。こうした客は信用を裏切らない。口約束だけでも十分に金の回収を見込める。折角、思い出に浸っている客の気分を金の話で台無しにしたくはなかった。
思いが伝わったのか、酷いとは言いつつも男性の顔には穏やかな感謝が浮かんでる。それに返すのは、客の喜びを我がことのように思う笑みであった。
「――――ふぅ」
病室を出て扉を閉めると、途端に今までの笑顔が嘘のような無表情になり、扉に額を押し付けて小さく安堵の息を吐く。
どうやら上手く出来た、という安堵のようだ。
仕事に不安があったのではない。自らの仕事は完璧だったという確信に近い思いがあった。そんなことよりも、自らの内に生じ、消えぬ炎の如き激情を不意に解き放ってしまわないかが不安だった。
最近は人に合うのが怖い。この激情と眼の前の人間が何ら関係のなかったとしても、無関係で無意識に無知なまま無邪気に笑う顔にすら腹が立ってしまう。どうしようもない八つ当たりだと分かっていても、抑えられなくなる時が来てしまいそうで。
それでも今回は上手く抑えられた。
彼の浮かべた笑みは心からのもの。例えどれだけの激情に駆られようとも、他者の幸福を喜べない人間ではないのだ。
「…………」
依頼者の笑みをもう一度頭に思い浮かべ、抑えきれぬ激情を抑え込み、歩き出す。
最早、この場に用はなく、まだやるべきことは残っている。何時までも、長居はしていられない。
病院の廊下を進む。
良い雰囲気の病院である。病に侵され、傷を負った者の気落ちした様子が見受けられない。身体のみならず、心のケアが隅々まで行き届いているのだろう。
磨き抜かれたリノリウムには汚れ一つなく、春の暖かな陽射しを跳ね返している。医療従事者のみならず、清掃業者に至るまで自らの仕事に対して誇りを持ち、全うしている証左であった。
けれど、優斗の表情は廊下を進む度に険しくなっていく。
高校を入学するのとほぼ時を同じくして大病を患った、と語る彼にとっては病院など良い記憶などなく、嫌な記憶ばかりが蘇るのかもしれない。
人と擦れ違わぬのをいいことに、表情は険しくなる一方。まるで一族郎党が死滅してしまったかのような仏頂面である。
「………………はあ」
彼の仏頂面が頂点に達したのは、廊下の突き当りを曲がった時だ。まるで三千世界が滅びるさまを見たようだった。
視線の先では、年頃が14、5歳ほどの少女が四つん這いになって廊下で何かを探している。
ピンクブロンドの長髪は明らかに日本人ではないことを示しており、両目を覆うように包帯が巻かれ、盲人用の白杖が近くに転がっている。どうやら目を患っているのか、怪我をしているようだった。
普段であれば病院の誰かが彼女を助けたであろう。医師であれ、看護師であれ、それも仕事の一つであり、この病院の良き性質であれば尚の事。しかし、折り悪く、今は誰も近くに居ない。
「……何処……何処なの……」
一度は廊下を戻って別のルートを探そうとしたが、少女の泣きそうな表情と声を耳にした瞬間、ピタリと脚を止める。
自分が関わるべきでなく、関わる必要性もない。この病院なら、必ず誰かが彼女を助けてくれる。そんな言い訳を頭の中で重ねていたが、見てしまった以上、懊悩は消えてなくならない。解消する方法は唯一つ。
優斗はぐぐぐと口をへの字に曲げ、鼻の穴を大きく広げ、眉間に皺を寄せていく。明らかに不機嫌や不安と戦っている様子であったが、最後には大きく溜息を吐いて諦め、少女に向かって歩き出した。
「何か探してんの?」
「えっ!? ど、どちら様でしょうか……」
「あー、まあ、ちょいと此処に用事があっただけの通りすがり。手伝うよ」
「……え、えっと……えと……その、お願いします」
「はい、お願いされましたー」
唐突に声を掛けられ、少女は驚いて振り向いた。
目元は分からないが、口元と鼻梁だけでも愛らしさが伺える。歳を重ねれば、目を剥くほどの美人に成長するのは一目瞭然であった。
しかし、優斗は見た目の可愛らしさや美しさにまるで興味がないらしく、少女が何を探しているかを気にしていく。
今まで聴いた事のない声の主に恐れと不安を覚えているであろうが、優しさを無下には出来ないと少女は少し悩んだ末、素直に助けを求めた。
「で、何を探せば良いんだ?」
「……ギ、じゃなくて……ペンダントです。大きさはこのくらいで、細長くて角が丸くて」
「………………ペンダント、ね」
少女は自分の手を動かして、探しているペンダントの大きさや形を伝えてくる。
その様子に優斗は一瞬だけ眉をピクリと動かしたが、それ以上は何も言わずに廊下へと視線を向ける。
長く続く廊下には誰の存在も見当たらず、ペンダントらしきものもない。
悪意を以て誰かが持ち去った訳ではなさそうだ。ならば、考えられる可能性は一つ。運悪く廊下に置かれた長椅子や自販機の下に潜り込んでしまったのだろう。
少女の近くに設置されている長椅子や自販機から順番に、身体と顔をべったりと廊下にくっつけて覗き込む。
雰囲気や布ズレの音だけで何をしているのか分かるのだろうか、少女は慌てた様子を見せていた。目の見えない彼女には廊下の清掃が如何に行き届いているのかを匂いでしか知る術がなく、服が汚れてしまうと考えているらしい。
「あー、あったあった」
「ほ、本当ですか!」
「嘘ついてどうすんの。けど、こ、れ、はー……仕方ないか」
目的のペンダントは少女の探していた位置から最も近い自販機の下に隠れ潜んでいた。
だが、残念なことに、その隙間は余りに狭い。優斗や少女の手は勿論のこと、白杖ですら入りそうにもない。
このまま病院関係者に任せてしまうのが無難であったろうが、不安げだった少女の声色がパっと明るくなり、その考えも優斗の頭から吹き飛んでいた。
背負っていたリュックサックの中から、仕事道具であるモンキーレンチを取り出す。
本来、時計の修理に使うような工具ではないのだが、少し前にちょっとした善意から向かいにある喫茶店の業務用ドリンクサーバーを直してしまったことを切欠に、鷲崎時計店には時計以外にも様々な物品が修理に持ち込まれるようになってしまった。
失敗だったと思いつつも、修理代はキッチリと払われるので収入としては悪くないかったので、そのまま続けた結果、必要になった工具だ。
幸いなことに廊下に打ち込まれたアンカーボルトは特殊な工具が必要なくモンキーレンチ程度で簡単に取り外し可能。
手慣れた様子でモンキーレンチを操り、瞬く間にボルトを取り外して、転倒防止板が動くようにする。後は力仕事であった。
「ファイトォォォォォ!!」
「いっぱーつ、なんて……」
「んんぐぐぐぐッ! あッ、そういうの知ってんだ!」
「そ、それよりも気をつけて下さいね!」
何十年と続く長寿CMのフレーズを何となくノリで口にすると、以外や以外、少女は理想通りの返答をしてきた。
考えてみれば当然だ。目が見えない以上、リハビリやちょっとした散歩やトイレ以外は病室に缶詰状態だろう。することなど、点字でも覚えるか、テレビを
少女は音だけ何をしているのか悟ったのか、あわあわとしながら必死で告げる。
事もあろうに、優斗は自販機の縁に手を掛け、僅かに浮かせている。大した力である。これではゴリラと呼ばれても仕方ない。
全身の筋肉を盛り上げさせ、顔も真っ赤にさせながら自販機を浮かせる様は紛うことなき筋肉モリモリマッチョマンの変態だ。下手をすれば警察を呼ばれかねなかった。
「と、取ったぞぉ……!」
「や、やった……! ひっ……!」
もう一方の手を出来た隙間に差し込み、手探りの感触だけでペンダントを掴み取り、半端ない重量の自販機を離す。
少女の顔がパっと輝いたが、凄まじい重量を感じさせる音にビクリと肩を震わせた。
優斗は肩で息をし、一瞬で浮かび上がった玉の汗を拭いながら、取り出したペンダントを手渡してボルトを締め直していく。
「じゃ、じゃあ、次は落とさんようにね」
「え、あの、お、お礼を……」
「いいよいいよ、そういうの。難しいかもしれんけど、今度は君が困ってる誰かを助けてあげな。そうやって世界を良くしてこう。じゃ」
呼吸を整え、善意とは受けた当人に返すものではなく、別の誰かに循環させるものだと、盲目の少女には酷なことを告げて足早に立ち去ろうとする。
まるで少女を避けているかのような素振りであるが、それは事実であると同時に、間違いでもあった。
一刻も早く、この場を立ち去りたいのである。
考えてもみて欲しい。病院内の自販機を持ち上げて何かをしている男が、周囲からどのような目に映るのかを。しかも、その傍らには目の見えない少女が廊下に座り込んでいるのだ。最早、犯罪の匂いしかしない。
何の事情も知らないのであれば、自販機泥棒をしている男が少女に見つかって慌てて逃げようとしている図だ。通報待ったなし案件である。
「――――ちょっと?」
その時、背後から底冷えするような声を掛けられ、肩を掴まれる。
ギギギ、と壊れかけの絡繰り人形のような動作振り返ってみれば、にこにこと笑う看護師が立っていた。
但し、顔の半分は影で覆われており、凄まじい眼光を放っている。笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙を剥く行為が原点であると言われているが、さて……。
全くの余談であるが、この病院の関係者は全員が何からの武術の有段者である。近隣からは、武闘派病院などと呼ばれているらしい。
何故そのようなことになってしまったのか!
それは昨今、頻発する社会的弱者を狙った通り魔的な事件に対抗するためである!
抵抗する力を持たない小学生や介護が必要な者を狙う卑劣な犯罪者から患者を守るため、職業意識がクソほど高い院長と関係者は、最早患者の命は我々で守るしかねぇ! と一念発起!
警察との合同避難訓練や犯罪者の捕縛訓練に積極的に参加・開催するばかりか、それぞれが通信教育で段位を獲得しているのである!
犯罪者ぁ? 赤子の手を捻るが如しで頭の治療をしてやろう! テロ組織ィ? 壊滅する覚悟は出来ているんだろうなぁ!? 安心しろ、此処は医療施設だ! 誰一人として死なせん! 生きたまま地獄を味わうがいい!! ノイズゥ? 恐れるものかよ! 我が身を呈して患者を守ってくれるわ!! といった有り様である!
特に院長など野獣の肉体に天才の頭脳――――そして、神技のメスを持つ男などと揶揄されている。他にも、刺激的絶命拳を使わざるを得ない! と叫ぶ医者や、パンクラチオンを駆使し、駄患者が! 治りたくないのか! と叫ぶ医者や、ノーコンテニューでクリアしてやるぜ! と叫ぶ新米医師も目撃されている。どんな魔境だ、この病院は。
「セレナちゃんに何か御用かしら? それとも、その自販機に用があったのかしらねぇ……?」
「……………………」
優斗は女性とは思えない握力で肩に悲鳴を上げさせている手に目を向ける。
続き、衝撃で壊れてしまったのか、じゃらじゃら釣り銭を、ガコンガコンと中身の入った缶ジュースとペットボトルを吐き出し続ける自販機を見る。
そして、少女――――セレナの泣きそうな表情と看護師の怖過ぎる笑顔に、彼もまた笑みを浮かべた。
「ち、ちがうんですよ」
精一杯の思いで絞り出した声。
しかし、誤解を解くには至らず、壊れた自販機が元に戻る訳でもない。
次の瞬間、優斗は宙を舞っていた。
肉体の反射を利用した日本ならではの武術、合気道である。体重が80kgを軽く越える身体が浮遊して、反転した視界では般若の如き表情の看護師と、自分と同じくち、ちがうんですと呟いているセレナ、遠くには様子を見に来た他の医師や看護師の姿も映っている。絶望しかない。
初めた時間からして、段位自体はそれほどでもないと思うけど、実力的にはもう九段くらいあったんじゃないですかねぇ、と後に死んだ魚のような目で優斗は語ったという。
そして、彼はまだ知らない。数年後の未来において、中学生を大泣きさせ、その親友に通報され、現行犯誤認逮捕された挙句に、中学生の親御さんに袋叩きにされる運命を。どうやらそういう星の下に生まれてきているようだ。
何はともあれ。集まってきた医師と看護師達にボコボコにされながら――――この後、滅茶苦茶弁解した。
どうあっても誤解と通報と職質から逃れられない時計屋さん――――!