全身無職に改造されたが、今は何とか時計屋やってる   作:ひょっとこハム太郎

13 / 19
「無垢なる少女と時計屋さん・参」

 

 

 

「あら、優斗くんじゃない。またセレナちゃんにお見舞い……?」

「あー……まあ、そうです」

 

 

 優斗はセレナが治療を受ける病院を訪れていた。もう何度目になるか、彼自身も数えていない。

 すっかり顔馴染みとなった看護師達の一人が、スタッフステーションに顔を出した彼の姿を見ると喜ばしげに顔を綻ばせた。反面、優斗の表情は微妙そのものである。

 その表情も毎度の事なのか、看護師は微笑みながら面会者用の記入用紙とボールペンが挟まれたボードを取り出して差し出してくる。向かう病室と自身の名前、住所を書くのが、この病院の決まり。手慣れた動作でボードを受け取り、ボールペンを握って紙にペン先を奔らせる。

 

 人として正しいながらも軽率な行動から病院関係者に誤解され、お互いに弁解されながらも優斗だけはボコボコにされてギャン泣きする衝撃的な出会いから早数ヶ月。

 それきり縁も切れるだろうと思っていたのだが、セレナが病院の関係者に優斗の連絡先を聴いたらしく、後日、鷲崎時計店に彼女から電話があった。

 内容は、せめてもの礼の言葉と身体は大丈夫かという心配の言葉。病院関係者の手を借りたからこそ実現できたのだろうが、目が見えないという他人を気に掛ける余裕などない状態であろうに、他人の心配を出来る心優しい少女だった。

 最初の一回はそれで終わり。こっちは大丈夫だから気にせずに身体を治しなさい、と確かに伝えたのだが、その後も何度となく電話は掛かってきた。

 

 

『やっぱり、お礼を……』

『でも、飯塚さんにはお世話になったから……』

『そんなに忙しいなら、私から伺います』

 

 

 その度に、気遣いは必要ない、今は仕事が忙しいから、とあしらってきたのだが、最後には礼に店へ向かうとまで言われてしまい、優斗はいよいよ折れた。

 意思が強いと言えばいいのか頑固と言えばいいのか分からない彼女であれば、まず間違いなく店に来る。下手をすれば、目も見えないというのに病院関係者に頼らず自分一人で来ようとさえするだろう。そんなことになれば、自分をボコボコにした方々に何をされてしまうのか、考えただけで恐ろしかった。

 

 一度出向いてしまえば、セレナとの間には嫌でも交流が生まれる。

 それからは、仕事の合間に病院へと向かい、数十分ほど話して帰るを繰り返している。時折、外国人には理解し難い、日本語のニュアンスを教えるなどとしている内に、距離はぐっと縮まった。

 セレナもセレナだが、彼は彼で相当に人が良い。乗り気ではなかったというのに、看護師達と顔なじみになるほど足繁く通っているのだから。尤も、それは純粋な優しさからと言うよりも、彼女の境遇を知ったが故の同情が色濃い。

 

 彼女は、今や故郷や育った土地を遠く離れた異国の地で一人治療に励んでいる。家族と離ればなれになりながらも、いつかは会える日が来ると必死に言い聞かせながら。

 

 それ以上、詳しく聞いてはいない。聞く意義も意味もなかったからだ。

 多少の驚きと共に家族ぐらいは居て当然と受け入れながら、盲目であることよりも遥かに辛い境遇に同情を抱いた。抱いてしまった。

 其処からは坂を転がり落ちるが如く。それまで二週間に一度だった見舞いは一週間に一度と増え、今では最低でも週に二、三度は顔を出している。

 

 

「優斗くんが来るようになってあの娘、明るくなったわよ。君のお陰ね」

「元々暗い子って訳でもないでしょうよ。本来の調子が戻ってきてるだけでしょ」

「そうね。でも、知ってた? セレナちゃん、夜に見廻りに行くと一人で泣いてることも多かったのよ。気丈だけど、まだ子供だもの。家族と離ればなれになって寂しいでしょうに。でも、君と会ってからはもうぐっすり。私達も安心したわ」

「………………そうですか。患者のそういう情報、家族ならともかく赤の他人に明かすの、どうかと思いますけど」

 

 

 スタッフステーションで名簿に名前を書き込んでいる最中、看護師はそんなことを口走った。

 無論、世間話の延長線で口を滑らせたわけではない。この病院に属する者の職業意識は極めて高い。一人ひとりが患者の元気に退院していく姿を見ることを第一とし、それまでの間は何が何でも患者を守ろうとしている。

 故に、これは優斗に対する期待と信頼の表れであり、治療の一環でもある。自分達ではついぞ埋めてやれなかった孤独に対する医療行為。彼女としても不甲斐なさと歯痒さを覚えているであろうが、患者が心身ともに回復していくことに比べれば自身の無力感など些細なものなのだろう。

 

 その言葉を聞き、優斗は思わず握っていたボールペンを圧し折ってしまいそうになるほどの激情に襲われていた。

 しかし、期待を掛けられた優斗の表情はどんどん無くなっていく。どうやら、彼は負の感情が高まれば高まるほど、無表情になっていくらしい。

 胸の内にあったのは、強まる一方の憐憫。あらゆる意味で関わるべきではなかったという強い後悔。そして何よりも、ちっぽけな良心に従って軽率な真似をしてしまった自分自身への激しい怒り。

 

 

「ちょっと、どうかしたの……?」

「いえ、特に。はい、どうぞ」

「そう。なら、いいけど。体調には気をつけなさいね。見舞いをする側が体調を崩してちゃ、立つ瀬がないわよ?」

 

 

 顔色がどんどん変化していく優斗の様子に看護師は怪訝な表情を向けたが、当人は人懐っこい笑顔を浮かべて書き終わった名簿を渡すことで追求を躱す。

 それ以上、看護師が踏み込んでくることはなく、軽く手を降ってスタッフステーションを後にした。

 

 セレナの病室へと向かう途中、中学時代に比べて、随分と感情の隠し方や取り繕い方が上手くなった自分自身を嘲笑う。

 色々と酷い目にあったというのに、手に入ったのは望んでいない境遇や能力ばかり。これを自嘲せずにいられようか。

 

 それでも歩みと共に自虐の笑みを消し去っていく。

 自分以上に孤独かつ傷ついている者の前に立つには、余りにも相応しくない。例え、セレナの目が見えずとも、察しがよく賢い少女だ、変化を感じ取られては余計な心配をさせてしまう。

 

 なに、何のことはない。これまでも続けてきた。溢れそうな感情を覆い隠すなど、そう難しくはないだろう。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 病院の慣れた道程を進み、随分と見慣れた扉の前に立ち、慣れた手付きでノックを数回。

 

 

「はい。どうぞ、優斗さん」

 

 

 すると、扉を開ける前から自身の存在を正確に悟り、跳ねるような声色で返事が戻ってくる。

 視覚のない者は他の感覚が鋭くなると言われているが、実際に目の当たりにすると、何度でも驚いてしまう。優斗は舌を巻きながら扉を開け、部屋の中へ足を踏み入れる。

 

 病室はセレナが転ぶことのないように調度品が少ないながらも、ひとつひとつが相当に値の張る簡素でありながら高級感が溢れていた。

 高い金を払って入院させた、と聞いていたが、初めて脚を踏み入れた時は高級感に畏まってしまったほどだ。

 他に目に付くのは、看護師達が持ち寄ったであろう、暇を潰せるラジオやCDプレーヤー、知恵の輪、盲人でも一人で学習できるようにCD付きの点字学習本。それぞれが綺麗に整頓されて置かれている。

 一年以上もこの部屋で過ごしていれば、何処に何があるのかなど手に取るように分かるのだろう。散らかしたら散らかしっぱなし、という性格ではなく、使ったものは元の場所に戻す、という当たり前の習慣も自然に身についている。目の見えない状態でこれであれば、相当に厳しくも愛情を以て躾けられた背景が伺えようというものだ。

 

 

「よっ。また仕事サボりに来た。しかし、相変わらず凄いな。よく分かるもんだ」

「ふふ。扉の前への立ち方とか、ノックの仕方とか、人によって結構違うんですよ。優斗さんは分かりやすいです。大きい手で凄く優しく叩いているから」

「成程ねえ。目から鱗だ」

 

 

 扉に向かってベッドの縁に座ったセレナに出迎えられながら、優斗は感心しきりで部屋に脚を踏み入れた。

 脚をぷらぷらと揺らしている姿は行儀が悪く、大人びた彼女にはらしくない子供じみた仕草であったが、それだけこの時間を心待ちにしていたのだろう。そうして、何時ものように何気ない会話が始まる。

 

 考えてみれば当然だ。

 この病院の関係者は、心からセレナを気遣っているのだが、彼女にしてみればそれは仕事だから、という前提がある。彼等彼女等に手を焼かせている申し訳なさと不甲斐なさから、どうしても満たされない部分が生まれてきてしまう。

 その点、優斗の出会いはセレナにとっては僥倖であったのだろう。運命の悪戯と単純な善意やちっぽけな良心から始まった交流は、孤独であった彼女の心を徐々に解きほぐしていった。

 

 病院の者や優斗にすら語っていない彼女の境遇を考えれば、何ら不思議はない。

 

 幼くして両親を失いながら、ただ一人残った家族の姉と共に米国の研究機関で実験材料の一つとして扱われる毎日。

 しかし、その繋がりすらもネフィリムの暴走によって断たれてしまった。死すら覚悟して姉を含めた多くの人々を救おうとした正しい行いの報酬が、今まで自分が接してきたもの全ての失うなど余りにも惨過ぎる。

 

 最後に意識を失う直前、聞き慣れぬ声の男と聞いた事のあるような声の女が話していたような気がするが、重傷故に内容はよく覚えていない。

 そして、気が付けば日本の病院で治療されていた。セレナの混乱は、どれほどであったか計り知れない。全ての繋がりを断たれるということは、これまでの過去が現実のものであると実感できなくなるも同然なのだから。もし、この病院のように患者を第一として、行き届いた精神面のケアがなければ、彼女はとうの昔に壊れていただろう。

 

 唯一、繋がりが現実のものであると実感できたのは、自分を救った何者かが置いていった一つのペンダント。優斗が自販機の下から取り出したものだ。

 彼女がF.I.Sの研究対象となった理由であるシンフォギアのコンバーターユニットそのもの――――に、よく似た別物であった。

 ただ、視覚を失って鋭くなった感覚故か、それとも極めて高い適合係数を誇る彼女だからこそなのか、別物であるが同様の使い方が出来る、という確信がある。何よりも、胸の内には起動に必要な聖詠が常に浮かんでいた。それが、記憶にある過去や姉の存在を現実だと語ってくれていた。

 

 それでも、与えられたギアを起動させて自身の存在を知らせなかったのは、どのような影響が周囲に与えられるのか分からなかったから。

 F.I.Sと研究内容・成果をひた隠す米国政府は勿論のこと、日本政府とてそのような兵器の存在を認知すれば黙っている筈もない。日本に自身が確保されれば、F.I.Sの周知を恐れて、米国が全てをなかったことにしかねない。下手をすれば、自身の抹消に動くであろうし、自身の存在を知る無関係な病院の人々も同様だ。

 

 どれだけ動きたくとも、動くに動けない。

 視覚を失った以上に、状況と聡明さが彼女を雁字搦めに縛り付けていた。

 

 辛い現実を忘れさせて、希望を持たせてくれたのが優斗だ。

 初めは優しいけれど変な人。次は優しいのに誤解をされてしまった人。その次は、優しく助けられたからきちんとお礼をしたい人と、随分進歩している。

 余りにも辛すぎる境遇は、ともすれば彼女の人間性そのものを奪いかねなかったが、彼との交流が辛うじて繋ぎ止めた。彼の中に確かに存在している優しさを感じ取り、自分と他者を信じる心を少しずつ取り戻していくことが出来た。

 だからせめて、何かお礼をしたい。けれど、何も出来ない自分がもどかしい。そんなもどかしさすらも、今は愛しさすら覚えてしまう。

 

 そんな気持ちで、会話ばかりの交流は今も続いている。

 セレナにとって優斗の日常は非日常そのもの。米国では聞いたこともなかった話は刺激が強く、聞いているだけでも楽しく面白い。

 

 その時、ふと思い出す。楽しすぎて忘れていたが、今は唯一の友人である優斗には真っ先に伝えねばならないことを。

 

 

「そうだ。今度、目の手術をすることになったんです。何でも、角膜のドナーが見つかったらしくて。先生も張り切っていました」

「そうかぁ! 良かったな! 大丈夫か? 怖くない?」

「少しだけ。でも、大丈夫です。我慢できます」

 

 

 まるで我が事のように喜んで弾む優斗の声に、セレナはより一層暖かな気持ちが浮かんでくる。

 目が再び見えるようになる可能性を提示され、喜びはあったが、それ以上に不安と恐怖の方が強かった。これで駄目なら、もしかしたらもう一生、優しい姉や想像の中にしかない優斗の顔すら見れないではないか、と弱気になった。

 それも、一瞬で吹き飛んだ。目は見えずとも目の前に、自身の幸福を願い喜んでくれる人が居る。それはそれだけで、セレナの恐怖を拭い、生まれ持った勇気を再び奮い立たせるには十分過ぎた。

 

 

「目が見えるようになったら、何処に行きたい? 記念だ、連れて行ってやるよ。外出許可くらいはくれるでしょ」

「…………え、えっと」

 

 

 何気ない一言に、セレナは酷く迷って言い淀んだ。

 

 実際、目が治れば、一日くらいなら外出許可は下りるかもしれない。リハビリは続けているが、一人で歩けない訳ではないのだ。

 また年若い乙女を病院の中に縛り付けるほど、この病院の医者も看護師も無理解ではない。確かな生きる喜びを見出した方が、より早く、完全とした回復が見込める。外の世界にそれを見出すというのなら、それを許さない理由はない。

 

 今まで、狭い世界しか知らなかったセレナにとっては、興味を引かれて仕方がない。

 だが、それでも言葉に出来なかったのは未知への期待以上に、既知への愛着と郷愁が強かったから。

 

 未知へ期待を言葉にするのは、嘘を吐いたも同然。そんな不誠実な真似を優斗にしたくはない。

 けれど、既知への愛着と郷愁を語ってしまえば、確実に優斗へと迷惑を掛けてしまう。

 

 

「…………姉さんや皆に、会いたい」

「…………………………そっかぁ。そうだよなぁ。たった一人のねーちゃんと大切な家族だもんな。そうだ、当たり前だ」

「あ、いえ、ち、違うんです。その、そういうのじゃなくて……」

 

 

 気が付けば、口から意図せずに本心が漏れていた。

 硬さを帯びていく優斗の声に、セレナは泣きそうになった。恐れではなく、優斗を困らせているであろう自身の軽率さにだ。

 

 優斗に境遇の全てを語った訳ではない。

 それでも姉や血が繋がらないながらも大事な家族が居た事も、アメリカで意識を失って気が付けば日本にいて、家族の誰とも連絡が取れないことは語ってしまっていた。

 

 無理難題も甚だしい。自分よりもずっと年下の子だって、もっとマシな提案をしただろう。何せ、自分でも姉や家族がアメリカの何処に居るかすら分からないのだ。余りの情けなさにセレナは口を噤み、優斗も言葉を無くしていた。

 取り繕うべき言葉が見つからない焦燥にセレナの頭は真っ白になる。何かを言わなければと考えれば考えるほどに、思考は白痴に染まる。困らせた優斗への気遣いも含まれて、もう彼女の頭の中は滅茶苦茶だった。

 

 唯一つ、セレナの思考を訂正するのであれば、優斗は決して困っていたのではなく、ただひたすらに炎のような怒りを燃え上がらせていただけ。彼女ではなく、それ以外の何かに向けて。

 

 

「……よぉし。じゃあ行くか、アメリカ!」

「――――え?」

 

 

 他者の感情に機敏なセレナが、怒りを全く感じ取れない口調と雰囲気で、優斗は気軽にそう告げる。

 

 彼の言葉に、セレナはポカンと口を開けて呆然と返す他なかった。

 怒りは感じ取れなくとも、彼が何を考えているのか分からずとも、気軽な口調に反した覚悟の強さと重さは感じ取れたのだから。

 

 

「で、でも、優斗さんは関係ないです。それに、私だって、姉さん達が何処に居るかなんて……」

「かもな。でも、やらなけりゃ何も始まらない。やってみなけりゃ分からない。誰が賢くて、誰が愚かだったかなんて終わってみなけりゃ分からない。世の中そんなもんだ。諦めるのは、死んでからでいいだろ」

「……本気、ですか?」

「ああ。ついでさ、ついで。アンティークの時計なんかも仕入れてみようと思ってたからな。アメリカで高く売れそうな時計を探しながら、お前の家族を探すのも悪くない。一度は助けたんだ。二度も三度も同じだろ」

「…………初めてあった時とは訳が違います」

「オレも色々あった。言ったろ、全身無職に改造されて路頭に迷ったってさ」

「それ、面白く、ありませんから。私は、一人でも……」

「おっと辛辣。……だが、オレはそんな有り様になっても一人じゃなかった。お前も一緒だよ」

「………………」

 

 

 意固地になっていることは自覚していた。

 無意味に反発していた訳ではない。自らの事情に、相手を巻き込みたくなかっただけ。

 

 まるで言い聞かせるな口調で、優斗の申し出を断っていく。

 それでも頑として譲らない彼に、セレナは閉口せざるを得なかった。

 

 これ以上甘えられない、これ以上頼れない。ただでさえ、こうして大切な時間を私のために使わせているのに――――でも、いいのかな? 本当に、いいんだよね? 素直になっても、いいの? 甘えても? 頼っても? 願っても? 迷惑をかけても?

 

 そんな考えが浮かんでは消えていく。

 セレナが決定的な答えを出せないまま、時間ばかりが過ぎていく。

 左に右にと揺れ動く天秤を眺めているようなそんな気分。不安と喜び、迷いと誘惑が渦巻き、答えを言葉にしようとする度に、正反対の答えが浮かんで言葉にすることを邪魔していく。

 

 そんな中、優斗の無骨な男の手で肩を掴まれたのを感じた。慰めるものとは異なる、勇気づけるような掴み方だった。

 

 

「一人じゃない、とことん付き合うよ」

 

 

 あらゆる意味で決定打だった。

 

 

「優斗さん、顔、触ってもいいですか?」

「どうぞ、お好きなように」

 

 

 意を決したセレナが口にしたのは答えではなく、一つの願い。

 その意図を察したらしく、椅子に座ったままの姿勢で顔だけを近づける気配があった。

 

 気配に誘われるまま、セレナは両手で優斗の顔へと触れ、そのまま顔中へと滑らせる。

 人の手の感覚は他の生き物とは比べ物にならないほど繊細で敏感だ。場合によっては大きな分子や単細胞生物ですら感じられるほど。鋭敏な感覚と智慧で以て道具を造り出し、繊細かつ大胆に操って、この地球において他の種とは大きく水を開けて頂点に立つ文明を作り上げた。

 その触覚で、優斗の顔を探っていく。目や耳、鼻、眉や口唇の形までも満遍なく。

 

 

「はい。優斗さんの顔、覚えちゃいました。目が見えるようになっても、やっぱりなし、なんて言わせませんよ」

「勿論だよ」

 

 

 目が見えないまま、頭の中で優斗の顔を思い浮かべられるようになったセレナは少しばかり悪戯っぽく笑ってみせた。何の不安も憂いもない笑みだ。

 

 彼女に、優斗を巻き込むつもりはない。

 巻き込んでしまえば、間違いなく死ぬような目に合う。もしかしたら、本当に死んでしまうかもしれない。でも、頼れる時は頼ろうとは思う。彼の覚悟に応えた上で、諦められない願いがあったから

 

 そのための力は手の内にある。誰かが何の目的で残したかも分からないギアと、それを扱える自身の才能が。

 諦めかけていた願いが、今再び燃え上がる。決して消えぬ情熱と諦める理由のない愛へと形を変えて。

 

 セレナはこの時にはっきりと自覚した。初めはただの感謝だったかもしれないが、今は人としての暖かさに満ちた青年に対する恋心を。

 ただ苦しいだけの現実が、彼と共にある時だけは、楽しく喜ばしい時間へと変わる。もっと一緒にいたい、もっと話していたいという願いが恋でなく何と言うのか。

 

 そして、もう一つ決めた事がある。

 家族と再会できた暁には、必ず優斗を紹介しよう、と。彼が私の大切な人です、と。

 

 

 

 

 

 




望まぬ力と寂しい笑顔は、こうして望み叶える力と愛満ちた笑顔へと――――

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。