全身無職に改造されたが、今は何とか時計屋やってる 作:ひょっとこハム太郎
「せ、セレナ、いい加減、機嫌直してちょうだい」
「つーん」
「確かにオレが気付くの遅れちまったのも悪いけど……」
「そうじゃないです。そっちじゃなくて、優斗さんが誰にでも優しいところに怒ってます」
「優しさを責められるのは初めてだなぁ。優しさって責められるべきところでしたっけ?」
マリアと優斗の再会、姉妹の驚愕からの土下座コンボから早数十分。鷲崎時計店の空気は非常に重苦しくなっていた。
三人は来客用の丸テーブルに腰掛け、それぞれの前には湯気の立ち上る紅茶入りカップが置かれている。しかし、紅茶のいい香りも今のセレナには通用しない。
彼女はマリアと優斗の出会いを知ると徐々に機嫌が悪くなり、今は頬を膨らませてそっぽを向いている。
まるでヤケになってひまわりの種を頬袋に詰め込んだハムスターのようだ。紅潮している頬が自分の子供っぽさに対する恥じらいと行場のない怒りを表していた。
自身の想い人が会えなかった姉に優しくしてくたのは嬉しく思う。きっと、自分の時と同じで捨て置くに捨て置けず、それ以上の感情は皆無だろう。だが、いくら姉とは言え、その優しさを無条件で向けるのは面白くない。彼の素敵なところと認めるが、色々と自覚してしまった今は素直に受け入れられない乙女心の発露であった。
そんなセレナを宥めようとするマリアと優斗であったが、一向に成果を上げていない。
必死さはマリアの方が圧倒的に上だ。折角、再開した最愛の妹との一時だと言うのに、つまらない喧嘩で時間を浪費したくない。今は、時間によって広がってしまった溝を少しでも埋めたいのに。
対し、優斗は苦笑いを浮かべるばかりでいまいち焦りが見られない。セレナの怒りが本気のものではないと察しているからだろう。
「しかし……お袋さんのことは残念だったな。大丈夫か?」
「……マムは、最後まで自分に出来ることをやり遂げてくれました」
「だから、大丈夫よ。悲しいけれど、確かに残してくれたものがあるもの……」
「そうか。それは素敵だ。素敵なお袋さんだ」
沈痛な面持ちで話題を変えた優斗の言葉に、姉妹二人の表情は落ち沈んだ。
セレナの機嫌を考慮しての話題転換にしては些か以上に空気を読まないであったが、別段、彼が好きで言っている訳でないことは表情を見れば、嫌でも分かる。人の死を使ったのではなく、人の死を悼むべく口にしたのだ。
マム――彼女達の偽りの母親、ナスターシャ・セルゲイヴナ・トルスタヤは既にこの世を去っている。
フロンティア事変においてはウェル博士による治療がなければ生きていけないほど身体を患っていた彼女であるが、その後、治療も受けることなく事変を最小限に抑えるべく尽力した。
弦十郎を始めとした日本政府関係者からも即時治療を受けるように打診を受けていたのだが、その全てを拒否。まるで燃え尽きる蝋燭が最後に尤も輝くように、自らの命全てを使って家族の命と自由を勝ち取ったのである。
その最後は世界を混乱の渦に陥れた者の一人に似つかわしくない、最愛の子供に看取られ、声を掛けて眠るように息を引き取る、非常に穏やかなものだった。
彼女の罪が贖われたとは言い難い。だが、一人の人間としてやれることをやり遂げた。別れの悲しみはあれども、絶望のない最後の一時は、その報酬には十分であっただろう。
最愛の母の死を悼む姉妹の表情。
だが、悲しみの中にも確かな希望と受け取った愛を見た優斗は、穏やかな表情で今は亡き母親を称賛した。それ以外の言葉が見つからないとばかりに。
「…………よし、墓参りでも行くか」
「え? でも、仕事はどうするつもり……?」
「いいよ、別に。どうとでもなる。折角だから、会えなかった時のイヴのことも伝えてやらないと。見た目よりもずっとお転婆だったってな」
「も、もう! 優斗さん、止めて下さい!」
「いいじゃんいいじゃん。何なら、他の家族も連れてくか? 車なら出すけど?」
優斗は椅子から立ち上がり、作業用の前掛けを外しながら屈託なく笑って言った。
確かにこの後、墓参りへと行く予定ではあったが、見ず知らずとまではいかないまでも、ほぼ無関係な人間を連れて行くつもりなど更々なかった。
無論、来て欲しくないわけではない。セレナが世話になったというのなら、一緒に顔を出す資格はある。況してや、マリアすらも知らないセレナの6年間を伝えられるのなら尚の事。
ただ、申し訳なくはある。セレナと関係があったとしても、ナスターシャとは顔も知らない間柄。優斗にしてみれば、関わる必要のない事柄である。
だが、彼はすっかりその気になっており、二人が止める間もなく何処かへと電話を掛け始める。営業用の口調を聞けば、どうやら自分の仕事を調整しているらしい。
もう此処まで来ては止めようもない。
いずれ記憶とは風化していく。それは家族の記憶であれ例外ではない。人の生は常に前に進み続け、記憶は常に新しいもので埋まっていく。何時までも同じ場所で立ち止まってはいられない。どれだけ愛していても、死という壁で隔てられれば嫌でも大切な思い出とは色褪せていく。
マリアにしてみても、セレナにしてみても、故人に敬意を払い、覚えていてくれる人が一人でも増えるのならば嬉しくあった。そうすれば、風化する記憶も、色褪せる思い出も、少しはその過程を引き伸ばせるのだから。
「じゃあ、私はお花を買ってくるね。調ちゃんと切歌ちゃんにも連絡しておくから」
「あ、私も行くわ」
「姉さんは此処で待ってて。優斗さんとお話したいことがあるんでしょう?」
「い、いえ、それは……」
(じゃあ、このまま私が貰っちゃっても、いいの?)
「…………!」
スマホを片手に店の奥へと消えていく店主を横目で眺めながら、セレナも立ち上がる。
此処は商店街の一角、探せば花屋くらいはあるだろう。優斗と知り合いだと言うのなら、既に場所を知っているかもしれない。
付き添おうとしたマリアであったが、セレナに止められてしまう。
確かに話したいことはあったが、それは何時でも出来る。別段、後回しにしてしまっても構わない。何よりも、相手はセレナの想い人。それと二人きりにはなるは気が引ける。無論、相手として相応しいと認めたわけではないが、それとこれとは話が別だ。
しかし、そんなマリアの言い訳を両断するように、妹は耳元で囁くように語りかけてきた。
顔には笑みが刻まれている。小悪魔のようでいて、同時に姉の幸せを願うような。或いは、今、生きている時そのものを全力で楽しんでいるような、そんな笑み。
僅かな出会いで生まれた暖かな気持ちを、何と呼んでいいのかマリアにはまだ分からない。仮に、それがセレナの考えている通りのものだったとしても、セレナにとってはまた良きことなのだ。
かつてはどれだけ望んで手に入らないと思っていたもの。普通に暮らし、普通に恋をし、明日がより良き明日であることを願って眠る、そんな生活。シンフォギアという望まぬ力を手にしているが、それもまた望んだものを守るためにあると言うのなら振るうに不足はない。
何処か影のあったかつての笑顔とは、少し異なる強さを秘めた笑顔。今を全力で生きるからこそ得られる、どのような結果でも受け入れるだけの強さが其処にはあった。
負けるつもり譲るつもりもないけれど、それが姉さんの気持ちだというのなら尊重するから。正々堂々、勝負をしましょう。
そう微笑んで、セレナは店のベルを鳴らして外へと出ていった。マリアには、それを見送ることしか出来なかった。
「あれ? どっか行ったの?」
「え、ええ、花を買いにね」
「あー、そっか…………しかし、参ったな。イヴとイヴでイヴが被ってしまった」
「そりゃ、姉妹なんだから当然でしょう?」
「まあ、そうなんだけど。これからは名前で呼ばなきゃならんのか。抵抗あんだよなぁ」
「そう? そういうものかしら?」
セレナが出ていってから暫くして、電話と出発の準備を済ませた優斗が戻ってくる。
前掛けを外して、無地の白いTシャツ、ジーンズの上に黒いライダースジャケットを羽織っただけの姿はラフではあるが、正式な行事という訳ではない以上、これでも問題はないだろう。
マリアは妹の言葉を認めた訳ではないが、妙に意識してしまって巧く目を合わせられなかった。熱くなっていく頬が赤く染まっていないか心配で仕方がない。
だが、優斗は気付かない振りをしているのか本当に気付いていないのか。頭を掻きながら近づいて、そのままテーブルにより掛かる。行儀のいい行為ではないが、彼の店である以上、咎める気は置きなかった。
どうやら彼は女性を名前で呼ぶのに拒否感があるらしく、顔は苦虫を潰したかのようだ。
マリアにしてみれば少し意外である。元々、海外出身の彼女にしてみればファーストネームで呼ぶ風習が身近。日本人は奥ゆかしい民族とは聞いていたが、その感覚は理解しがたいものがある。
況してや、優斗の人との距離感は、多くの人々よりもずっと近い。その癖、妙な所で二の足を踏む性質が少しだけ面白く、思わず笑いを溢してしまう。
「じゃあ、これまで通りに呼んだら? 別に構わないわよ?」
「それじゃあ二人一緒に居る時に不便だしなぁ。でもちょっとなぁ」
「そう構えなくてもいいじゃない。私の名前はもう呼んだでしょう?」
「あん時は名前しか教えてくれなかったじゃん」
困った顔で腕を組んでいる優斗の横顔を眺めながら、ほんの少し呆れてしまう。
彼なりに人との距離感を図っているのか、それともポリシーなのか。ますますもって理解し難い感覚だが、理解し難い故に口も挟みにくい。
手持ち無沙汰となり、熱を失って微温くなった紅茶を口に付ける。余程いい茶葉なのか、冷めてしまっても香りは微塵も失われておらず、味は落ちているが不味いとは言えない。
そうしている感も、優斗の観察を怠らない。最早、彼女自身もセレナの相手として見極めるためなのか、己の感情を見極めるためなのか、定かではなかったが、そうせずにはいられない。
ただ、その前に伝えて置かなければならない事柄を思い出し、僅かな懊悩の後に、マリアは口を開いた。
「――――飯塚 優斗」
「んあ? どうした? つーか、フルネームで呼ばれるの久し振り過ぎてびっくりしたわ」
「茶化さないで――――ありがとう。私の時も、セレナのことも。色々とね」
可能な限り簡潔に。けれど、其処に乗せる思いは万感を込めて。
多くを重ねれば、本当に伝えたい思いがボヤけてしまう。だから、敢えて短くした。
自分でも驚くほど穏やかな声。口が勝手に心を開いてしまったかのようだ。
時限式の装者として張り詰めているのではなく、姉として凛としたままでいるのでもなく、彼の前では
それを引き出せた、或いは曝け出せたのは、母親代わりであるナスターシャくらいのもの。もうそれだけで、彼が己にとって特別な立ち位置を獲得しているのは明らかだった。
「……礼は素直に受け取っておく。でも、オレが云々よりも、お前自身が手繰り寄せた結果だと思うよ」
「かもしれない。でも、貴方の言葉に何度も助けられたのは事実よ。当たり前に再会を願って、明日を疑わない心が、確かに手を引いてくれたもの」
「そういうもんかねぇ」
今度は優しさで象られた彼の顔を真っ直ぐと見詰める。恥じることも、照れる理由もない。でなければ、胸に抱いた感謝全てが嘘になってしまいそうで。
優斗は照れているのか、納得していないのか。首を振って諦めたように笑うばかり。
これだけ真っ直ぐに感謝を向けられては、素直に受け取らぬのは逆に非礼というもの。マリアの思いを踏みじってしまうことになる。どれだけ己が微々たる助けしかしていないと感じても、認めない訳にはいかないのだ。
「ねぇ、私も名前で呼んでも構わない?」
「じゃあ、オレもこれからは……いや、これからもマリアと呼ぶからな」
「ええ、そうして。その方が、私も嬉しいわ、優斗」
「そうかいそうかい。物好きだな、マリア。これからもよろしく頼むよ」
ほんの少しだけ勇気を出して、相手へと手を伸ばしてみる。
差し出した手を振り払われるのを恐れずに、多くの罪と失敗からようやく学んだ、誰かを信じる勇気を胸にして手を繋ぐ強さを添えて。
ほら、結果は何の事はない。目新しいものなど何もなく、胸が詰まるほど暖かな笑みが其処にある。こんなにも簡単なことだった。
自分を探し求めて手を伸ばし続けたセレナにも、かつての境遇から誰かを助けたいと手を伸ばし続けた立花 響には、きっと笑われてしまうに違いない。
けれど、その一歩は彼女にとって途方もなく大きい一歩で――――
「ええ、よろしく――――それはそれとして、セレナに手を出したら承知しないわよ。もし手を出すなら私が認めさせてからにすることね」
「オチつけてきたよ。ていうか、手を出す気とか更々ないんですが、こっちは?」
「は? セレナの何処が気に入らないというの!? 許せないわ、一から十までキチンと説明しなさいッ!!」
「お前、どうしたら納得してくれんの??? 面倒くせーねーちゃんだなー、もー!」
彼女の手を繋ぐ強さは、当たり前の再会と明日を疑わない心と共に――――