全身無職に改造されたが、今は何とか時計屋やってる   作:ひょっとこハム太郎

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「向日葵の少女と時計屋さん・弐」

 

 

 

 

「…………はぁ~」

 

 

 少女の出会いから数日後。

 引き継いだ時計店の中で優斗は笑顔でも無表情でもなく、後悔と共に溜息を吐いていた。

 

 あの後、怪我の手当てをしようとしたものの、肝心の少女は大丈夫ですから! 大丈夫ですから! と必死に連呼しながら逃げるように去っていった。

 

 彼にとっては些か以上に酷い反応であったが、少女にしてみれば当然の反応であったのだろう。

 相手の反応や行動よりも、自分の冷静さに欠いた行動の方が余程恥ずかしく、問題だらけであった。何とかしなくては、という責任感ばかりが先に立ち、思わず動いてしまったが、もっとスマートに事を収める方法もあったのではないか、と思う。

 

 

「……ヤバいよな、これ。新しい都市伝説が生まれるくらいならまだしも、完全に声掛け案件で収まってないよな。ただの変態ですよ……警察、来そうなんだけど」

 

 

 『怪奇! ブリッジ高速移動男!』という都市伝説のフレーズが頭の中に思い浮かぶも、それ以上に国家権力の動きが恐ろしくて仕方がない。

 まだ予想や妄想の域に過ぎないが、最悪の想定をしてしまうのが人間というもの。頭に思い浮かぶのは、赤いパトランプの輝きが商店街を埋め尽くし、手錠を掛けられて連行される己の姿。ニュースのインタビューでは周囲の人々が「いつかやると思っていた」と呟き、取り壊される店のリアルな情景。

 鮮明に見えた光景に、溜息どころか頭を抱える。己を信じて店を継がせた老人に申し訳ない。そもそも老人の家族にすら世話になっているのだ。恩を仇で返すどころの騒ぎではない。

 

 唯一の希望は、未だ見えない少女達の行動か。

 幽霊や化け物などの人智の及ばない超常の存在と勘違いしてくれていれば、都市伝説が広がるだけで済む。それ以外の場合はアウトである。

 

 

「まあ、いいか。何もかんも失うのにはなれてるし。爺さん達には素直に頭を下げてごめんなさいしよう」

 

 

 出来ることがない以上、悩んだところで意味がない。なるようにしかならない、と先日あった依頼に戻ろうとする。

 下手をすれば、自分の社会的地位を全て喪失するというのに、これだ。前向きと言ってしまえばそれまでだが、悪く言えば能天気ですらある。

 路頭に迷うという彼の経験は、社会に対する信頼を喪失させたのだろう。どれだけ苦しんでいようが、どれだけ助けを求めようが、社会は個人を救済するものではなく、あくまでもより多くが円滑に生活するための無慈悲な機構(システム)に過ぎない、と割り切っている。同時に、社会がなくとも個人で生きていく分には問題ないとも知っていた。

 

 捨て鉢と前向きさが混じった独特の思考のまま、雑念を振り払うべく工具を握ったが――――その時、来客を知らせるベルの音が鳴る。

 

 

「はーい、いらっしゃ――――」

「こ、こんにちは……」

 

 

 来客の姿を見た瞬間、優斗はビシリと固まった。

 それもその筈、来客者は未だ名前も知らぬ少女――――立花 響その人だったのだから。

 

 時間は平日の日中。学生は学校へと行っていなければならない時間帯。

 どう考えても、こんな場所に居るのはおかしい。そもそも、どうやってこの時計店にまで辿り着いたと言うのか。

 

 響の考えが読めず、困惑から挙動不審の様子を見せる。

 響ではなく、彼女の背後に視線を飛ばし、親の姿がないのかを確認。店の窓の外をチラチラと眺め、国家権力が待機していないかを汗を掻きながら視線を飛ばす。それでいて、これまでとは別の方法でイジめられているのか、とも自分だけでなく相手の心配もしている辺り人が良い。

 

 しかし、彼一人で答えなどである筈もない。

 疑問と苦悩の果て、優斗の選択は―――― 

 

 

「あの……」

「これで勘弁して下さい!」

「ふぇ? なんでお金…………ち、違いますよ! 今日はお礼に来ただけ!」

 

 

 ――――店のレジから万札を取り出し、両手で差し出しながら通報だけは勘弁してくれという、大人として余りにもみっともないものだった。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

「ほい、紅茶でよかった?」

「あ、は、はい。ありがとうございます」

 

 

 鷲崎時計店の中には来客者を饗すスペースがある。

 扉から向かって左。店内を覗き込める窓の直ぐ側に置かれたアンティーク調の丸テーブルと椅子。決して派手さはないが洋風の店構えと店内に合わせた調度は、買い揃えた先代のセンスが現れているかのようだ。

 この場で相手の依頼や思いを親身に聞き、或いは一刻も早く修理を終えた時計を受け取りたい客に待って貰い、或いは常連客との世間話をするために用意した、と優斗は伝え聞いている。

 

 先日のお礼礼の品を持ってきた……否、()()()()()()()響を座らせ、淹れたばかりの紅茶が入ったカップを差し出す。緊張した面持ちのまま座って礼を言う姿に、苦笑を漏らさざるを得ない。

 

 

「しかし、立花さんのとこのお孫さんとはなぁ。世間は狭いな」

「あ、あはは」

 

 

 当初は勘違いしていた優斗であったが、響が誤解を解くべく語って聞かせた経緯に、ようやく諦観の境地から開放された。

 

 響の祖母は、この店の常連の一人であった。

 先代の時代には、誕生日に夫から貰った時計の修理やオーバーホールで訪れており、代替りしても『時計以外も修理できるなんて便利ねぇ。時代かしら?』などと言って常連で在り続けてくれている一人。

 ここ最近は姿を見掛けていなかった。修理の必要なものがない、ということかと思ったが、どうやら事実は違っていた。

 

 兎にも角にも響は数日前の出来事を家族に語っていた。

 その時の特徴から祖母が優斗の存在に思い至り、礼をしてくるようにという流れになったようだ。

 

 

「ほら、立花も食えよ。これ美味いぞ」

「でも、お礼の品ですし……」

「いいって。オレ一人じゃ食い切れないし。貰った側が勧めてるんだから、ほら」

「はぁ、どうも……」

 

 

 お礼の品は焼き菓子の詰め合わせだった。

 クッキー、マドレーヌ、フィナンシェ、バームクーヘン。オーソドックスな洋菓子の数々が綺麗に包装されて箱詰めされている。

 有名店のものではないが、御中元などにはよく使われる類だ。決して安くはないだろう。

 

 その内の一つを二口でもふもふと平らげ、折角だからと渡してきた本人に差し出す。

 こういうの、受け取っていいものなのかな、と困惑しながらも響は空きっ腹に負けて受け取ってしまう。

 

 本日、この時計店に出向くという話になったのは、朝食の最中であった。

 優斗を知っていた祖母、祖母から話を聞いた母からお金を渡され、学校へ行く予定だったのにも関わらず、半ば追い出されるような形で家から此処へと向かわされている。

 お蔭様で朝食も満足行く量を食べられず、不安と不満を抱えたままで表情に出ていないか心配であったが、彼女にとって変な人にカテゴライズされている青年は頬杖を付いて微笑むばかり。心配は杞憂に終わりそうでほっとした。

 

 

「……ん、おいし」

「だろ? 一緒にあったかいもの、どうぞ」

「あったかいもの、どうも」

 

 

 テーブルに置かれた紅茶を手で示され、焼き菓子の影響で乾いた口の中を潤すように熱い液体を口に含む。

 砂糖の入っていないストレートティーは甘めの焼き菓子とは相性が抜群であった。口に含んだ瞬間、芳醇な香りが心地よく鼻を抜けていく。紅茶について詳しくはないが、相当に良い茶葉を使っていると素人でも分かるほどだ。

 

 優斗もお茶やコーヒーに詳しくはない。来客用の飲み物は全て、向かいの喫茶店の店長に頼んで用意してもらったものである。

 少々値は張るものの、概ね客には好評で滞在時間も自然と長くなっていく。そのため、テーブルには喫茶店のメニューまで用意してある。客が望めば、優斗が向かいの喫茶店に注文を出して持ってきて貰うのだ。

 こうした提携はこの商店街で珍しくない。大手スーパーや複合商業施設に対抗するために商店街全ての経営戦略として取り入れたものである。

 

 

「暫くゆっくりしていきな」

「でも、学校が……」

「このまま家に帰って制服に着替えて向かっても、午後だぜ? 今日はこのままサボっちまえよ――――とぉっ、悪い、電話だ。ちょっと出てくる」

 

 

 ジリリリ、と電話の着信を知らせるけたたましい音が鳴る。今時珍しい黒電話の着信音。古臭くはあるが、この店の雰囲気には合っていた。

 

 優斗はまるで不良学生のような言い分で、折角来たんだから学校なんてサボって話そうぜと言わんばかりに笑いながら席を立つ。

 彼は“良い奴”ではあったかもしれないが、決して“良い子”ではない。社会のルールは社会の一員として遵守すべきという考えはあっても、人の思いや感情を踏み躙ってまで守るつもりはない。そして何よりも、彼女の祖母や母が礼だけを意図して送り込んできた訳ではないことを察していた。

 

 半ば無理矢理、礼に赴くように差し向けられたのだろうが、先日の怪我は丁寧に手当されていた。服も綺麗に洗濯されていて、髪も整い、血色も良い。翻って、それらは母と祖母がどれだけ彼女を愛しているのかを示している。

 優斗は二人が一人娘・孫のイジメに気付いており、だからこそ今日此処へ向かわせたのだろうと推察していた。そう判断できるだけの材料は既に揃っている。かつて何かの修理をした時に顔を合わせた時に、孫がツヴァイウイングのライブ会場で大怪我を負い、今もリハビリに励んでいる姿が不憫でならない、と聞いていた。

 

 日本史に残る特異災害にして()()()()()。それが、響の巻き込まれた地獄であった。

 この世には、ノイズと呼ばれる人を炭素転換させて黒い砂塵へと変換する怪物が存在する。彼らは何の前触れもなく現れ、ただひたすらに人を殺す。

 その時、ノイズの標的となったのがツヴァイウイングのライブ会場であり、ノイズの出現によって惨劇の幕が開き、死者・行方不明者の総数が12874人に上る大災禍となった。

 

 しかし、生存者にとっての本当の地獄は其処から。

 ノイズによって亡くなった被災者は全体の1/3ほど。残りは混乱による将棋倒し、避難経路を確保するために争った末の傷害致死であることが週刊誌によって報じられると、世論は一気に傾いた。

 生存者への同情は生存者へのバッシングへと変わり、ただ生き残ったからという理由で誹謗中傷に晒された。或る者は耐えられずに自殺し、或る者は全てを捨てて逃げ出し、或る者は声を出さずに怯えながら暮らし、或る者は救いを求めて蹲る。

 

 詳しい内容は聞いていない。だが、状況から察せられる立花家の現状は控えめに見ても地獄だろう。

 本来は家族を守るための家や、若者を健全に育成する学び舎も、今や響を責め苛む拷問部屋に等しいに違いない。だから、そうした現実を忘れさせるために、全く別の場所へと送り出したのだ。

 

 その一件に関して、優斗自身は特段の感情は抱いていない。

 祖母に対しても御孫さんが生きていてよかった、としか伝えておらず、後の世論によるバッシングにも迎合しなかった。する必要性も感じていない。

 今を生きるのに必死な彼には、顔も知らないどうでもいい誰かを罵り、憎み、正義ですらないない正義を執行する時間など存在していない。そして、それを止める術も持っていない。

 無関係な人間らしい、無責任で無情な結論であったが――――それでも大事な上客が大事な孫を、大事な一人娘の未来を案じて送り出した。ならば、応えるのが人情であり人道であるとも結論付けていた。

 

 故に、まずは拷問部屋から解放してやることにした。

 いずれ生存者へのバッシングは終わる。関係のない人間が向ける理由もなく、偽りに過ぎない憎しみなど長く続かない。嵐が過ぎ去るように、ある瞬間を境に爪痕こそ残すがパッと止む。

 それまでの間、壊れかけている響が決定的な一線を越えぬように、逃げ場になってやるだけだ。それくらいのことしかできないが、と己の不甲斐なさに笑いながら。

 

 

「もしもし、鷲崎時計店です」

 

 

 優斗の内心や家族の思惑に気付いていない響は、電話を取る姿に拒絶と不和の様子がないことにホッと息をついた。

 ここ最近、人と顔を合わせることが億劫で、何処か恐ろしい。聞こえてくる陰口、謂れのない誹謗中傷、時折襲ってくる暴力。その度に、心も身体も傷ついていくのが分かった。

 それでも逃げ出さずにいれたのは、親友のお陰だ。彼女が居たからこそ、人と人の間には確かな陽だまりがあると信じることが出来ていた。

 

 しかし、不意に涙が流れそうになる時もある。今が、その時だった。

 この時計店が余りにも優しい雰囲気だからだろうか。それとも時を刻む音が響くお陰で、世界から切り離されたようだからだろうか。はたまた、肉親や親友以外にも受け入れてくれる人間が居てくれた事実からだろうか。

 ぐっ、と口唇を噛み締めて、鼻の奥がツンと痛むのを堪える。リハビリを終えて待っていたのは暖かな祝福ではなく、人の心の暗部だった。それ以来、涙を堪えるのが随分と上手くなったように思う。それが良いことなのかは別として。

 

 

「あー、悪ぃ悪ぃ。お待たせ」

「お仕事の、電話ですか」

「んー、そんな感じ。今度、コンプレッサーの修理してくれってさ」

「へー…………え? 時計屋さんなのに?」

「時計屋さんなのになぁ」

 

 

 暗い気持ちを振り切るように、電話を終えて戻ってきた優斗に話し掛ける。

 短い時間であったが、何となしに悪い人ではないと察せられた。その分、自分の境遇を知った時の反応が怖かったが、今は胸に渦巻く黒々とした感情を振り払いたかった。

 

 それから長い時間、ひたすらに世間話を繰り返した。

 最近の流行、親友の趣味、好きな食べ物、飲み物。逆に彼の仕事や時計について。話題は尽きなかった。

 流石に店主をやっているだけあって、優斗のコミュニケーション能力は高い。聞き上手の話し上手だ。

 響の踏み込まれたくない部分には決して踏み込まず、それでいてギリギリのラインに踏み込んでいく。話が途切れそうになると別の話題に切り替え、或いは話題を深く掘り下げる。話に耳を傾ける時は必ず頷き、自分の知らない内容は大げさに驚いてみたり、笑ってみたり、目を輝かせたり。内容自体は何の変哲もなかったとしても、彼のリアクションは一々面白い。

 少なかった口数は次第に増していき、響自身も気付かぬ内に、何処か固く無理をして浮かべていた笑みは、彼女本来のものへと変化していた。

 

 気が付けば日は傾いて、青かった空が薄紅に染まり始めようとしていた。

 

 

「………………そろそろ、帰らないと」

「そうだなぁ。残念、仕事をサボるにゃ、ちょうど良かったんだが」

「駄目ですよぅ。仕事と学校はちゃんとしないと。まあ、私も行ってないんですけど」

「偶にはいいだろう? 他の連中が真面目に勉強してる中、自由気侭に遊ぶってのも」

 

 

 新たな出会いとやり取りが終わってしまうことを名残惜しみながらも、響は椅子から立ち上がろうとする。

 正直、まだこの店に居たかった。家に帰っても待っているのは辛い現実と己の所為で苦しんでいる母親と祖母だけ。

 それでも帰らなければならない。大切な家族に心配をかけたくはなかったし、何よりも自分の帰る場所なのだ。

 

 苦しみに耐えながらも、苦しみに立ち向かおうとする少女の姿に笑みを浮かべながら口にする。

 

 

「――――また何時でもおいで。嫌じゃなかったらな」

「…………で、でも」

「いいよいいよ、オレも結構楽しかったし」

「………………ッ」

 

 

 その笑みと声色が余りにも優しすぎて、また涙が零れそうになった。

 既のところで堪えたが、もう決壊を堪えきれそうにない。人の優しさには触れてきた。けれど、それは見知った人間からだけだった。特に、こんな境遇に陥ってからは。

 共有したのは楽だけ。艱難辛苦は分かち合えない。きっと優斗さんには私の辛さは分からない、とも思う。でも、その一言は、自分の存在全てを肯定してくれているようで。

 

 

「……ぐっ……ふぁ」

「学校なんて行かなくてもいいんじゃねー? 所詮、学校なんざ小さい水槽だしなぁ。海に出るのもいいし、他の水槽を探してもいいよ。逃げるのは悪いことじゃねぇって。逃げ続けさえしなけりゃさ。気持ちの切り替えって重要だぜ? オレ、仕事始めて分かったわ」

「め、迷惑かけちゃうかも、しれないし……」

「いいって。楽しいことだけ共有できりゃいいけど、そういうわけには行かないからさ。何なら、暫くバイトでもしてみるか? 大変だけど楽しいぞ」

「うぅ、うぅぅぅ、うぁ―――――っ!!」

 

 

 一度崩壊したダムが誰の手によっても止められぬように、響自身にも、優斗にも流れ始めた涙を止める術はない。

 悲しみも喜びも一緒くたになって滂沱の涙として流れ出る。ありとあらゆる感情が泣き声となって喉から迸る。

 

 それらは全て生きてこその反応であり営み。

 川の流れが滞り水が淀むように、人の感情も吐き出さねば、底に溜まり拗れてしまう。

 

 今まで響が泣かなかったのは、家族や親友を心配させまいとしてであり、泣いてしまえば生き残ってしまったこと自体が間違いであると認めてしまうと思っていたからだ。

 彼女達くらいの年頃は何事も重く難しく受け止めすぎる、と優斗は考える。そんなことをしていたら、身が持たない。真面目さは必要だが、同時に同じだけの緩さも必要なのだと。

 

 泣いて崩れ、涙と鼻水、涎まで垂らして()のままの感情を露わにする響から視線を外す。その程度のデリカシーがない男ではない。

 少女の泣き声をBGMを聞きながら、見慣れた窓の外の光景を眺める。その表情は驚くほど穏やかで、まるで懐かしいものでも眺めているかのよう。

 

 子の手を引きながら買い物へと向かう親の姿。

 自転車に乗って何処かへと向かう年配の男の姿。

 何故か、必死な表情で掛けていく女学生の姿。

 

 何一つ変わらない日常の一幕。何処までも理不尽な目に合ってきた少女の泣き声すら冷徹に、或いは逆にそれすらも包み込むように日常は過ぎていく。時計の針は止められても、時の流れ自体は止められぬように。

 

 

「――――ん?」

 

 

 その時、過ぎ去った筈の女学生が凄まじい勢いで戻ってくると、凄まじい眼光で店の中を覗き込み、続いて優斗を睨みつける。

 

 瞬間、彼の表情は引き攣った。

 睨みつけてくる少女の表情の恐ろしさよ。肩で息をしているにも関わらず、釣り上がった眼尻と血走った目はまるで鬼女のようだ。

 

 全く知らない少女から凄まじい敵意を感じ取れば、さしもの優斗も冷静ではいられないようだ。

 

 

「あ゛ー、未゛来゛だぁ゛ぁ゛、う゛わ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛ん゛ん゛ッッ」

「あっ」

「もしもし、警察ですか?」

「ち、ちがうんですよ」

 

 

 響の言葉で全てを察した優斗の顔が蒼褪める。

 世間話の中であった彼女の陽だまり、親友が今、この光景を見ればどう思うか。初手通報の行動を見れば、考えるまでもないだろう。

 

 思わず敬語になった優斗であったが、最早全ては手遅れである。

 

 

 

 ――――この後、滅茶苦茶弁解した。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

「色々、ありましたねぇ」

「色々、あったなぁ」

 

 

 タープの下の日陰へと揃って移動した二人は、横に並びながら遠い地平線を眺めて出会いに思いを馳せていた。

 

 響は後ろで手を組み、優斗は腕を組んで互いにうんうんと頷いている。

 

 

「あの後、修羅と化した未来と通報でやってきたお巡りさんに物凄い勢いで弁解して」

「お前は泣きっぱなしだったから、何の意味もなかったけどなぁ……」

「結局、早とちりしたお巡りさんに現行犯誤認逮捕とかいうウルトラCを決めて」

「お前の泣きが、あ゛ーーーーーーーーーーーッ!!!! とか加速するし」

「だって、優斗さん何も悪くないし、涙も止まらないし……そのまま交番まで連れてかれたんでしたよね」

「その後、お前のお袋さんと婆ちゃんがやってきて、二人に袋叩きにされるし」

「信じてた所を盛大に裏切られたと思ったんでしょうね」

「結局、お前が泣き止んで説明してくれたから事なきを得たけどな」

「次の日、未来もお母さんもお婆ちゃんも三人揃って土下座でしたけど……」

 

 

 当時の混沌を思い出すと頭が痛くなってくるのか、二人してどんどん瞳から光が失われていく。しかし――――

 

 

「「あはははははははははっ!!!」」

 

 

 次の瞬間には二人揃って吹き出し、腹を抱えて笑い始めた。

 当時の苦労の余りに壊れてしまったのではなく、純粋に当時の出来事を笑い話と受け取っているのだ。 

 

 

「あ、ありえねー! お、オレ、オレなんも悪いことしてないのに! してないのに!」

「大人の男の人って隣で現役JCが泣いてるだけで犯罪者扱いとか酷すぎる!」

「いやいや待て待て待ちなさい! その後も酷かった! 酷かったぞ! お前が学校行くの嫌になったから一日バイトさせただけなのに、一緒に配達してただけで職質されたぞオレェ! 小日向も交えて遊び行った時も!」

「だって親子にも兄弟にも見えないですもん、私達! お巡りさんも職質しなきゃ職務怠慢ですもん!」

「アレェ!? オレ、お前等と一緒にされてる時、毎回職質されてる気がするんだけどぉ!?」

「「あっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」」

 

 

 笑い過ぎて膝に力が入らなくなったのか、二人は涙目になりながらその場に蹲る。腹筋大激痛である。

 ひーひー言いながら息を整えるものの、同時に脳裏へと思い浮かんだ別の光景に一瞬、真顔となった。

 

 

『またお前か』

『そりゃこっちの台詞ですよお巡りさん。事情は知ってるでしょ。いい加減、勘弁してくれませんかねぇ』

『こっちも仕事なんだよ。ったく、毎度毎度美少女侍らせやがって、羨ま――――けしからん』

『おい、聞いたか立花ァ! 小日向ァ! オレよりもこのお巡りさんの発言のがヤバくねぇ!?』

『はい、未成年者略取及び名誉毀損と公務執行妨害で逮捕ー』

『えっ――――マジで手錠しやがったよ、このポリ公ッ!!』

『……んん! んふふっ、げほっ、こほぉっ!』

『ぶふーーーーーーーーーーーーっっ!!』

 

 

 最近流行りのタピオカミルクティーを飲みに行こうとなった折、すっかり顔馴染みになった警察官とのやり取りは実にコント地味たやり取りが思い浮かぶ。

 優斗は驚きの余りに悲鳴を上げ、それを見ていた未来はタピオカが変な所に入って咳き込み、響は盛大に吹き出したのは記憶に新しい。

 

 

「お、面白すぎるでしょ、優斗さん……」

「オレは笑わすつもりがないのに、何か毎回面白い方向に転がってくんだよ……」

 

 

 笑い過ぎて虫の息となった砂浜に寝そべってピクピクと肩を震わせている。一度、ツボに入ると中々戻ってこれない質のようだ。

 暫くの間、揃って踏まれた蟻のように砂浜で藻掻いていたが、深呼吸を繰り返す事でようやく戻ってくることが出来た。

 

 響は膝を抱えて座り直し、優斗は胡坐をかく。

 其処から二人の間に沈黙が降り、細波の音と少し離れた位置で遊んでいる仲間達の笑い声だけで満たされる。

 

 

「なあ、立花」

「どうかしました?」

「今、楽しいか?」

「――――はいッ!」

 

 

 不意に出た言葉であった。

 それが如何なる胸中から放たれたものなのかを、響は知る由もない。

 

 抱え膝に頬を預け、白い歯を覗かせながら花が咲くような笑みを浮かべる。

 親友である未来は響をお日様そのものと捉えているようだが、優斗はどちらかと言えば向日葵ようだと認識している。

 何時までも、何処までも、傷つけられても、諦めずに光に向かって進む姿は、太陽を追いかける向日葵の性質に似ていた。尤も、向日葵が太陽を追いかけるのは、成長しきっていない蕾の頃合いだけであるが。

 

 ともあれ、その笑みも、その姿も優斗には眩しく映る。そして、そんな彼女に僅かばかりに力添え出来た事実は、彼にとっても誇らしく輝かしい思い出である。

 

 

「よぉし! んじゃ、次のイベントに行きますかぁ!」

「な、何ですとぉ! 今日誘われたのに、まだ隠し玉が!?」

「あるに決まってるだろう。遊ぶなら全力で遊ぶのがオレだぞ! やるだろ、海に来て、これだけ人数がいるならアレを!」

「ま、まさか……!」

「――――BBQの時間じゃあああああああ!!!」

「BBQ、だとぉ――!? こ、この私の目を持ってしても、このサプライズを見抜けなかった!」

 

 

 そして、今もまた輝かしい思い出は積み重なっていく。

 

 

 

 

 

 チク・タク、チク・タク。

 重なる思い出は何の為か。時計が見るのは更なる輝きか、はたまた――――

 

 

 

 

 




今は笑おう。何時か暗い過去を、笑い飛ばせてしまえるように――――

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