その艦、あきつ丸   作:友爪

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嗚呼、せめて私に死ぬ意味を。



プロローグ 猫と黒い艦娘

 人生最後の日に食べたいものといえば何だろう?

 

 

 やはり、肉かな。厚切りの霜降り肉を、パチパチ音の鳴る鉄板で焼いて、焼き目と赤身が絶妙なバランスになった瞬間にナイフを入れる。上質な脂が滴り落ちる肉を、口一杯に頬張って、咀嚼する。それを年代物の赤で流し込めたら──

 

 ごくりと喉が音を立てた。空っぽの胃が肉派に傾きかけた時、身体の一部が胃に抗議した。激痛、という形で。

 

 眉を顰めて、両太ももに目を向やる。普段であれば、色白で張りの良い健康的な美脚がそこにある筈であった。しかし、今や見る影もない。

 

 一面の赤。赤い軟体と液体、それと僅かの白い固体が、境界面も分からない程に混じりあっている。

 

 肌の内側に収まっているべき肉が剥き出しだ。歪に飛び出ている肉を換算しても、太ももの体積には明らかに足りない。心臓が拍動する度に、いっそ滑稽なくらい、ぴゅうぴゅうと血が吹き出ている。

 

 負傷──と言うより、もはや『爆発』としか表現出来ない様な有様であった。これで何故未だ立てているのか、自分でも気持ちが悪い。

 

 

「食欲が失せたであります」

 

 

 強襲揚陸艦、あきつ丸は文句を言った。

 

 肉は駄目だ。やはり、魚だな。

 

 直近に面した暗い海を眺めて、魚料理に想いを馳せる──調理法が思い付かない。それもその筈。魚など、艦娘として生まれてこの方、食べた事が無かった。

 

 海の底から『深海棲艦』なる謎の生物が、望まれざる海上封鎖をして久しい。漁師も釣り人も、陸に押し込められ、川魚などは既に喰らい尽くされた。今や魚とは幻の珍味だ。それを食べたいのなら、闇市で尻の毛まで毟られるか、命を顧みず海釣りに出るか、どちらかしか無い。

 

 あきつ丸は、どちらも御免だった。

 

 数度の発砲音が闇夜に響いた。非音楽的なそれは、あきつ丸を美味しい妄想から、不味い現実に引き戻す。

 

 

「──がせ。まだ近くに──」

 

「──出てこい、売女──」

 

「──ろしてやるっ──」

 

 

 複数人の粗野な叫び声が、遠く聞こえた。

 

 追い付かれたか──あきつ丸は目を細め、懐から愛銃を取り出す。弾倉を確認すると、残弾は一発だけだった。思わず笑いが込み上げる。

 

 我ながら上出来じゃないか。

 

 弾倉を戻すと、物陰に背中から寄りかかっていたあきつ丸は、力無く、ずるりと自ら作った血の海に座り込んだ。冷たい潮風が、艶やかな黒髪を靡かせる。

 

『強襲揚陸艦』という、特殊な艦種に生まれて十数年。海に出た事は一度も無い。本来ならば、艦娘とは海上自衛隊の管轄なのだろう。だが、どういう成り行きか、あきつ丸は陸上自衛隊に属していた。

 

 この奇妙な経緯について、上からの説明はなされなかった。しかし、推測は容易だ。伝統的に、海と陸は仲が悪い。そういう事だろう。

 

 さりとて仕事が無かった訳ではない。国内の内輪揉めに加担するという、極めて重大で無意味な仕事を任された。そのために、今、現に、こうして死にかけている。

 

 陸自情報機関によれば、外部組織と連み、国民生活に影響を及ぼす様な、極めて悪質な汚職を行う辺境の鎮守府が検知された(機関の報告を全面的に信用するならば、であるが)。

 

 困窮する国民を見捨てる訳にはゆかない、海自鎮守府摘発すべし──という大義名分(言い訳)を得て、あきつ丸は件の『取引先』で証拠を掴むため『鎮守府の遣い』として派遣された。

 

 そして、ひ弱で色白の令嬢ぶって健気にも諜報活動に専念していた所、露見したのだ。

正体がバレたのは過去に複数回あった。

 

 完璧に表面を取り繕ったとしても、鋭く看破する切れ者というのは、何処の組織にも一定数居るらしい。そうなると逃げの一手だ。今回も、さっさと逃げ切るつもりだった。だが、どうやら敵を舐めていたらしい。

 

 あきつ丸に銃撃は通じない。所詮は『点』での攻撃だ。艦娘の動体視力、運動神経を以てすれば恐るるに足りず、多少被弾したとしても、活動は可能だ。

 

 敵は学習したのだ。何時もの如く、あきつ丸が華麗に銃撃を躱していた所、唐突に『面』での攻撃に切り替えた。

 

 手榴弾、仕掛け爆弾、果てはグレネードランチャーまで……人外染みた間諜一人を殺すために、敵は徹底的に労を惜しまなかった。あきつ丸は対応しきれず、安全圏まであと一歩という所で被爆した。全て油断と慢心が招いた結果であった。

 

 瀕死の艦娘は、おぼつかない手並みで拳銃の遊底(スライド)を引いた。次いで、残り一発の銃弾を、果たして何処に向けて放つべきか迷った。

 

 力を振り絞り、僅かに半身と銃口を壁面のコンクリートの窪みから覗かせた。野蛮な連中は、自分の居場所を隠そうともしない。懐中電灯の明かりと、けたたましい怒声は着実に近付いて来ている。逃走経路で何人かは減らしたつもりだったが、未だ十分過ぎる程に多い。重火器のみならず、人材の投入も万全という訳か。

 

 今飛び出したらどうなるだろう?

 

 知れている。太もものみならず、全身を派手に爆発させて、肉片はそこら中に飛び散るだろう。その肉片は一片残らず回収されて、直ぐ隣の海に撒かれるのだ。魚を食べるつもりが、逆に食べられたのでは洒落にもならない。

 

 かと言って、このまま待っていても、いずれ見付かる。その時は、下賎な男共が思いつく限りの方法で責任を取らされた後、やはり海に撒かれる──どうあっても魚の餌は免れない。

 

 そのぐらいなら──あきつ丸は、銃口をこめかみに押し当てた。残り一発。元より、この状況を想定しての残弾数だった。

 

 むざむざ敵に殺されるよりは、生きて辱めを受けるよりは、自ら決着をつけた方が良いだろう。職務を全う出来ないのは無念だ。しかし、ここで潔く散華すれば、きっと自分ではない誰かを勇気付ける折もあるかもしれない。最期は、誇り高き艦娘の生き様を世に示すのだ──と、ここまで考えて、あきつ丸は自嘲した。

 

 これでは、前時代の精神論から何一つ進歩していないではないか。

 

 散華? 勇気? 誇り高き生き様?

 

 どの様な美麗美句を並べ立てたところで『犬死に』の姑息な言い換えに過ぎない。そんな事だから戦争は終わらないし、無くならないんだ。結局の所、小汚い女が小汚なく死ぬ、それだけで済む話ではないか。

 

 引き金に掛かる指に力が籠った。この上はさっさと自裁するに限る。あきつ丸は不意に笑った。どうせなら笑って死んでやろう。それがせめてもの反抗だ。

 

 

 さあ死のう。小汚い女は、他愛も無く死ぬさ。犬は犬らしく、無為に死ぬさ。

犬死に、犬死にか──

 

 

 喉が妙な音を立てた。指が動かない。内側から太い針金を通された様だ。何だ? 動け、動け。自分は死ぬんだ。今死ぬんだ──念じるうちに、目頭が耐え難い熱を帯びた。その熱は、太ももを抉る灼熱よりも、遥かに激しくあきつ丸を苦しめた。

 

 目頭に帯びた熱が、涙腺を通じて洩れ出す。血の海に、一滴、二滴と澄んだ潮水が混じった。

 

 この臆病者めが──自分を罵ってみても、大した効果は無かった。それどころか、心の奥底に沈めていたものが急浮上してきた。

 

 嫌だ、嫌だ! 艦娘として海に出る事も叶わず、このまま無意味に終わるのか。誰にも知られず、無為に消えてゆくのか。ならば自分の生とは何のためにあったのだ。死は怖くない。けれど、犬死には嫌なんだ。もっと有意義な死に方をしたいんだ。たったの一人でも、自分を惜しんでくれる人が居たならば、迷わずこの引き金を引けるのに──

 

 銃口の冷たさをこめかみに感じながら、あきつ丸は不意に悟った。

 

 前時代の人々は、死が恐ろしくて散華だの勇気だのを褒めそやした訳では無い。耐えられなかったのだ。自分が無意味に死ぬ事、人知れず消える事、犬死にする事に。

 

 けれどそれは、弱さを認められない故の逃避だ。卑怯者が自己を錯覚させるための方便だ。最期の時くらい、己に向き合わなくて何とする。

 

 自分は、逃げないぞ。

 

 あきつ丸は硬直していた四肢を脱力させた。沈めていた自分の弱さを認めた途端、楽になった気がした。改めて引き金に指を掛ける。もはや迷いは無かった。

 

 

「誰かそこに居るのか!?」

 

 

 何時の間にか、直ぐそこにまで迫った男が叫んだ。物陰の角に、何条もの懐中電灯の光が集中した。重火器が剣呑な金属音を立てる。じりじりと、靴音が近付いてくる。

 

 急かさなくても、今、死んでやるさ。

 

 

「因果。自分を殺すのには、何時も自分が必要でありますな」

 

 

 最期の最期は、海の藻屑と化して、在るべき場所へ還るのも悪くない。あきつ丸は

低く独り言ちて、指の筋肉を永遠に収縮させようとした──その時。

 

 

「にゃあん」

 

 

 場違いな声だった。いや、鳴き声だった。男たちの目前に物陰から現れたのは、一匹の猫──にしては、やけに太い声をした。

 

 あきつ丸は目を丸くした。この雉猫、何処に隠れていた? 全く気配を感じなかったが……。

 

 

「何だ猫か……」

 

 

 その台詞を一生に一度聞くかどうか。まるで漫画の様に男は呟いて、構えた銃を下げた。男自身、馬鹿馬鹿しいと思ったか、恥ずかしいと思ったか。慮外の乱入者には目もくれず、仲間を連れてそそくさとその場を離れた。

 

 猫は、男たちの目に付く場所にじっと鎮座していた。やがて声すら聞こえなくなると、あきつ丸の傍に寄ってきた。

 

 奇妙な猫だ。

 

 空間を支配する暗闇と、何より『猫』というインパクトで完全に麻痺した観察眼を奮い起こす。やけに凝った装いは、飼い主の趣味だろうか、海軍士官めいている。だが飼い猫にしては首輪をしていない。さりとて野良にしては不遜過ぎる。金色の瞳が闇夜にぼうっと浮かび上がり、多少ならず不気味だ。

 

 帰する所『奇妙』としか表現しようも無いのだった。ともあれ、信じ難い幸運に見舞われた事は事実である。

 

 

「助かったであります、猫閣下」

 

 

 あきつ丸は珍妙な猫に礼を言うと、コンクリートの隅から這い出した。立ち上がろうとして、失敗する。何度かそれを繰り返して、匍匐で進む事にした。

 

「助かった」と猫に言ったものの、本当に助かるかどうか、分からなかった。傷はともかく、失血が問題だ。息絶える前に、仲間に拾って貰えるか否か──

 

 

「おい、お前」

 

 

 背筋が凍った。太い男の声が、背後から聞こえたのだ。まさか、あの男たちの一人が残っていたのか!?

 

 匍匐の状態から、腕力だけで全身を瞬時に半回転させ、銃を構える。一人なら、一人だけなら何とかなる。しかし、背後には暗闇があるばかりで誰も居ない──猫一匹を除き。

 

 

「うおっ、危ねぇな! 何だ、意外と元気じゃん」

 

 

 猫は、とことこと顔付近まで歩み寄ってきた。あきつ丸は未だ、銃口を右往左往させ、声の主を探っている。

 

 

「ココだよ、ココ。目の前の猫」

 

「は……?」

 

「どうしたんだお前。太ももがえらい事になってるぞ。あいつらにやられたのか?」

 

 

 あきつ丸の脳髄は幾つかの選択肢を用意した。

 

 一つ、大量出血による幻覚。二つ、死に際に現れた心霊の類。三つ、現実。

 

 現実的なのは一つ目、その場合無視して進めば良い。二つ目であれば、もはや命運尽きたと諦めよう。しかし三つ目なら、三つ目なら、どうしよう。他に考えられる可能性は――駄目だ、血が足りない。

 

 

「まあ、そういう反応は慣れたもんだ。なんとビックリ現実だよ、コレ、現実」

 

「猫閣下が、喋った……」

 

「その礼節は評価するぞ。たが俺には『ノア』というちゃんとした名前がある」

 

 

 ノアと名乗った猫は、ぴょんとあきつ丸の腹の上に飛び乗った。ちゃんと重みを感じた。幻覚や心霊ではない。

 

 

「その傷で死なないって事は、お前艦娘だろ? 俺は海上自衛隊の端くれでな、危うい雰囲気だったから助けた」

 

 

 言いたい事は山程あったが、あきつ丸はその全てを棚上げした。最初の二つの可能性を捨てた訳では無かったが、彼女はシビアなリアリストだった。 この猫は海自と名乗った。陸と海は水面下で敵対関係である。正体を知られる訳にはゆかないが、発想を転換すれば、これはチャンスだ。

 

 

「そう、自分……私は艦娘です。海上を哨戒していたら、海辺で人影を見たので、注意しようと近付きました。そしたらいき

なり攻撃されたんです。まさか深海棲艦以外に攻撃されるとは思わなくて、捕まってしまいました。艤装も取り上げられてしまったんですが、命からがら逃げ出したんです。でも途中でやられてしまって……ううっ、痛い……」

 

 

 陸軍言葉を封印し、なるべく同情を誘う様な声色で、あきつ丸はすらすら(ぬけぬけ)と述べた。他人に見られる外見を完全にコントロールする術は、間諜任務で培った技術の粋と言える。

 

 

「ふーん、そうか」

 

「捕まる前、咄嗟に救難信号を出しました。きっと鎮守府の仲間が近くまで来ています。ノアさんには悪いのですが、呼んできてはくれませんか?」

 

「なるほど、事情は分かった。じゃあ、お前の所属と艦種、識別名を述べろ」

 

「……ううっ、痛い、痛い。お願いします。早く、仲間を」

 

「仲間っていうのは、銃声が聞こえた途端、黒塗りの車で逃げ去った二人組の陸自の事か?」

 ノアの金色の双眸が、鋭い光を放った。人間と比較して、何を考えているか分からない瞳だが、言葉の意図は明確だった。

 

 

 唯一の依り代にさえ捨てられた──対照的に、あきつ丸の目前はにわかに暗くなった。精神的というより、肉体的な原因かもしれない。

 

 

「聞いといて何だが、所属も何も答えなくて結構。俺は艦娘全てを記憶しているが、その中にお前の顔も名前も無い。だが心当たりはあるぞ。陸自が秘密裏に抱える特殊な艦娘。一切の詳細は不明だが、ただ一つ、黒装束らしいってな。で、お前の格好はどうだ?」

 

「…………」

 

「沈黙は肯定ということかな」

 

「日に二度も正体が露見するとは、このあきつ丸、生涯の不覚……であります」

 艦娘は手にしたままの拳銃を、腹の上の猫に向けた。正体が割れた以上、生かしておく訳にはいかない。銃弾は、一発残っている。

 

「俺を殺すか。へぇ、何の為に?」

 

「海に、陸の情報を渡さない為に」

 

「その陸さんは逃げたぞ。お前を見捨ててな。更に言えば、俺を殺したところでお前は助からない。骸が二つ、だ」

 

「……そのようですな」

 

 

 あきつ丸がそうであるように、ノアもまたリアリストだった。突き付けた拳銃が下ろされる。そして、銃口は再び艦娘のこめかみに押し当てられた。一周回って、同じ場所に戻ったのだった。

 

 

「骸は一つ、で十分ですな」

 

「やめとけよ」

 

「ノア殿、一つ頼みがあります。あの美しい海を、この下らない国を、どうか守護して下さい。自分は終生、下衆の艦娘でありました。争いの火種を生むばかりの、不肖の兵士でありました。後に続く艦娘がこんな有様にはならない様に……せめて誇りを持って死ねる様に、お頼み申します」

 

「やだよそんなの」

 

「……気の利かないドラ猫であります。荒唐無稽は重々承知。適当に頷いてくれれば良いものを」

 

「自分が勘定に入ってないだろそれ」

 

「は……」

 

「お前の言う、海や、国に、自分が入ってないだろ」

 

 

 腹の上のノアは歩み寄り、あきつ丸の胸の上に高く陣取った。金色の双眸が怪しく輝き、黒装束の艦娘を圧倒した。これは夢か現か? 息が苦しい。失血も相まって、判断が曖昧になってきた。

 

 

「あきつ丸、海に来ないか?」

 

 

 意識が掠れてゆく中、その言葉だけは、はっきり聞こえた気がした。陰々たる失望に浸り続けてきたあきつ丸にとって、余程に眩く、希望的な言葉だった。ならばやはり、これは夢だ。夢ならば、寝言の一つも言って良いだろう。

 

 

「魚。魚は食えるでありますか」

 

 

 それきり、瀕死の艦娘は意識を手放した。

 

 月だけが二人を白く照らしていた。純白のあきつ丸の肌を、夥しい流血の紅が伝い、彩っている。それでも何処か安らかな寝顔を見て、ノアは「何言ってんだお前」と苦笑した。

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