その艦、あきつ丸   作:友爪

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初めまして、さようなら。



第三章 愛しい大地は、全て、海に帰す

 佐世保の庭には、ちょっした東屋となっている所がある。鎮守府内の景観と、労務者の憩いのためだった。開けた場所に建っていて見晴らしが良く、海を眺める事も出来るので、少女らに人気のスポットだ。そのため、絶えず誰かが居座っていて、昼食を食べたり、井戸端会議に華を咲かせたりする訳だが……それも平時の話である。

 

 敵の断続的な爆撃に晒されて、屋根は跡形も無くなり、大胆な吹き抜けになっている。四方の柱が辛うじて体裁を保っているだけで『瓦礫の山』と言っても差し支えない。今となっては、誰も寄り付く理由も無いが──そこに一人。お話し相手など一人も持たない(持てない)陸女が、長椅子の残骸に腰掛けて、東屋を独占していた。

 

 今後再建されても悪い噂が起こって、もうこの東屋には艦娘が立ち寄らなくなるかもしれない。

 

 

 ざまあみろだ──あきつ丸は独り毒づいた。栄養バランスだけが長所で、汁気が皆無な棒型戦闘糧食を苦労して咀嚼している。執務室を出てやるべき事を済ませての、遅めな昼食だった。

 

 

 余りの味気なさを非難する様な目付きで、今日の昼食を睨む。まるで本当に棒キレを食っている感じがする。かつての産業大国が、最前線の健気な少女に送り付けるのがこんな代物とは、俄然泣けてくる。

 

 何とか最後の一片を喉奥に放り込んだ。残った包み紙を丸め放ってしまおうとして、はたと思い直す。少々考えを巡らして、結局ポケットに突っ込んだ。

 

 途端に馬鹿馬鹿しくなる。自分がやってきた事と、今からやろうとしている事と。何だ、ポイ捨て如きが。全く心根まで『ゴミ処理係』が板についていやがる。

 

 空を見上げる。遂には降り出してきそうな色だなと、あきつ丸はその黒さを眺めるにつけ思っていた。

 

 ここ連日、今に降るか今に降るかと待ち構えて、未だに降っていない。他に考える事は幾らでもあるのに、たかがお天道様に気を揉まなければならないのが無性に腹立たしかった。

 

 どす黒い空の真下には我らが鎮守府庁舎がある。赤レンガ作りの堅牢なビルディングで、ちょっとやそっと吹いただけでは飛んでいきそうにない。事実、連日の爆撃に耐え抜き、無益な会議で時間を潰せる程度には健在である。

 

 空襲の規模から考えれば、きっと幸運なのだろう。あの赤レンガ製の庁舎は、鎮守府の頭脳であるだけでなく、象徴でもある。艦娘は、あの赤を見て訓練し、出撃し、食って寝ては起きている。自然と心の風景に染み付いているのだ。自分の住処、守るべき場所として。それが崩壊するというのは士気にも直結する事件になり得るだろう。

 

 ただし一点、耐えきれなかった屋根の端々がおっ欠けていた。

 

 

「甘い、甘い甘い甘い」

 

 

 あきつ丸は、状況の中途半端が心底気に入らなかった。

 

 やる気が有るんだか無いんだか分からない深海棲艦、時間の浪費にしかなり得ない軍議、糞野郎でロクでなしの男、頑固で聞く耳持たない同僚、忠義忠節を留めるばかりの主人。

 

 何もかも、何もかもだ。

 

 戦争とは、何時も向こうからやって来る。誰が望んだでもなければ、意図した訳でもないのに、否応なしに暴力と破壊の渦に呑み込まれてしまう。あまねく犠牲を無くす事など、決して出来はしない。どれだけ力を尽くして回避を試みても、全ては始まってしまった以上、惨禍は決して避けられないのだ。

 

 

「――然れば、自分から赴くしかないでありませんか?」

 

 

 あきつ丸という器から、遂に致死毒が漏れ出した。

 

 例え屍山血河に塗装されていたとしても、その道が避けて通れないのなら、踏破するしかない。それから逃げ切れないのなら、闘うしかないのだ。

 

 一を処しては十を利す――無論、前者が小さく、後者が大きい程に重畳と思う。が、よしんば『一』に同法や、あわや自分が含まれていたとしても、一切の躊躇いは無い。『十』に比ぶれば、断然、無価値である。所詮は全体に対する些末事でしかあり得ないだろう。

 

 以上を実行するために、情けも容赦も持ち合わせてはならない――それを押し留められるとすれば、この世に唯一だけだ。

 

 斯くして、枷の外れた自分は、例外なくそれを実行する。

 

 あきつ丸の汚泥の様な色をした瞳の奥が、どろどろと不気味に流動する。曼珠沙華の唇が、すうっと両端に引き裂かれた。艦娘とは正に怪物だと、知らしめる様な凄惨な面貌だった。

 

 この世にただ一隻の強襲揚陸艦は、健気に過ぎる生死感を振りかざしながら、東屋の残り香(という名の瓦礫の山)に視線を移した。

 

 元は梁だったらしい木屑に埋もれるようにして、何やら、飛び出して見える金属棒がある。あきつ丸はぬっと立ち上がると、棒周りの木屑を軽く蹴飛ばした。

 

 現れたのは、T字型のバー、その下にくっ付く箱めいたもの。

 

 

「随分と、またトラディショナルな」

 

 

 しかし『時間』はぴったりだ。

 

 あきつ丸はそれに触れようと真白い手を伸ばす。ふと。気が付くと、T字の上に拳大の何某――妖精が一人(一匹?)座っていた。非難がましい目で、黒い艦娘を睨んでいる。

 

 あきつ丸は妖精の首根っこを摘み上げて、目前に持ってくる。

 

 

「何でありますなその目は」

 

 

 妖精は、やはり黙してあきつ丸を睨んでいる。良く観察すると、充血した目に隈が出来て、全身が煤ちゃけている。分かりやすく、過重労働への抗議であるらしい。

 

 艦娘は妖精ににっこり笑いかけると、そのまま握り潰した。

 

 手応えは無い。手を開くと、そこには空気の他何も無かった。どういう理屈か、跡形もなく霧散したらしい。潰されたからか、潰されそうになったからか――それすら謎である。

 

 特にあきつ丸は気にしていない。

 

 妖精とはそういうものだった。

 

 協力者という邪魔者を握り潰した手の平を一吹きし、ぶらつかせた後、改めてT字金属バーを撫でる。

 

 もう一度だけ、赤レンガの建物を眺めた。

 

 清濁併せ呑み、ようやく手に入れた夢の鎮守府務め。紛うなき『提督』と『艦娘』として、ピカピカな生活の象徴。国家平和と、人類守護の一大拠点。全ての中途半端の元凶。

 

 糞喰らえ。

 

あきつ丸はバーを思い切り押し込んだ。

 

 

 

 鎮守府庁舎がぶっ飛んだ。

 

 

 

 勢い良く、猛烈に、盛大に、一気に──ぶっ飛んだ──としか感じられなかった。

 

 鼓膜を引き裂く強烈な衝撃波やら、大気そのものを焼け焦がす様な熱風やら、飛散する赤レンガの爆弾破片やらを身体で受け止めたのは、全てその印象の後でであった。

 

 当然この大爆発に巻き込まれて、数メートルも後方に吹き飛ばされたあきつ丸は──狂った様に笑いこけていた。

 

 水を掻く風な手ぶりで瓦礫の下から抜け出すと、ごうごうと燃え盛る『夢の鎮守府』を見て、更に大笑いした。

 

 

「やり過ぎだ間抜け!」

 

 

 痛い腹を抱えながら艦娘は涙を拭く。

 

 分かっていたとは言え、一瞬真顔になってしまった。咄嗟に顔を庇ったから、目に見えた傷は無いだろうけれども、実際服の下は痣だらけになっているだろう。全く嫁入り前の身体に。

 

 妖精どもめ。これが鬱憤ばらしのつもりだったか。使い道の無い『ただの』炸薬をありったけ仕掛けたに違いない。否、意外と勝手が違かったので、念を入れただけなのかも──今にしては、最早どうでも良い。

 

 どちらにしても半端の無い、良い仕事だ。

 

 

「愉快痛快本懐であります」

 

 

 頭の中で、絶叫染みた通信が錯綜している。しかし取り分けて区別するまでもない、どれも内容は大体同じだ。

 

 敵襲か否か!? それだけである。

 

 あきつ丸は苦労して――本当に苦労して、滑稽味を抑え込んだ。そして声を『調律』して、通信回線の荒波へ飛び込んだ。

 

 

『敵襲、敵襲ッ! 提督の安否不明! 繰り返す、提督の安否不明! 総員直ちに戦闘配置へ! 作戦案に則り、攻撃へ備えよ!』

 

 

 駆逐艦の様な、でなければ戦艦の様な。誰でもあって誰でもない、微妙な声の調子であきつ丸は叫んだ。

 

 

『敵襲!? 戦闘配置!』

 

『急げ、もたもたするな!』

 

『回せーッ!』

 

 

 同僚たちの反応は、実に迅速であった。元来、高練度な艦娘たちの集まりである。敵が攻めてきた──その迫り来る現実を前にして、嫌も応もないという事を熟知していた。意見の相違でいがみ合っていても、お互いの正義心を忘れる程愚かでもなかった。

 

 であるが故、容易く戦争を始められる人種だった。

 

 あきつ丸は、吹き飛ばされてしまった軍帽を瓦礫の中から探し出した。太ももで土を払って徐に被り直していると、その上からぽたりと来た。

 

 見上げると、今度は頬にぽたりと来る。間もなく、それは全身を叩き始めた。

 

 ようやっと、お天道様も意志を固めたらしい──肌を突き刺す様な真冬の土砂降りを一身に受けて、あきつ丸は何処までも愉快そうだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 彼らは人と同じ感覚器を持つ訳ではない。実際問題、世界をどう捉えているのか、誰に知る由もない。けれども何処だかに理由があって、人の感じられる五感を同様に、或いはそれ以上に、高感度で察知する事が出来るらしい。

 

 辺り一帯にも憚り隠れない大爆発となれば、こと尚更である。音どころか、めらめらと宙を舐める爆炎の熱までも、その青白い肌に感じられそうだ。

 

 衝撃波によって海面に生じた波が遅れてやってきて、そこら一面に黒々ひしめく彼らも、波に合わせて浮沈した。

 

 唐突に爆破炎上した赤レンガ造りの建物を目前にして、比較的人型な一体が、首を捻る仕草をした。その調子で隣の人型を顧みたが、同じ風にしているだけだった。

 

 一連の所作は上辺動物的だったが、微塵の感慨も無い機械的な顔である。その不協和は、彼らを観察する者を不気味の谷に突き落とした。

 

 まるで魚の様な……という表現が、最もしっくりとくる奇怪な生命体であった。

 

 

 深海棲艦。

 

 

 と、彼らは勝手に呼ばれている。それというのも、彼らが名乗りをしなかったからである。

 

 何処か海の深い所からやってきて無差別に人類を攻撃する、世にも恐ろしい正真の化け物および魑魅魍魎にして妖怪変化──と当初思われていた。

 

 ほんの一時、怪物への対抗装置、艦娘が生まれるまでのお話だ。

 

 艦娘の運用によって、人類は自らの意志で化け物を殺せる様になった。未だ容易い話では有り得ない。しかし少なくとも意図的に殺せるのなら、もはや彼らは化け物ではなかった。そういう習性の生き物で、知られざる新種なのだろう。無闇に恐れる謂れも無い──と、実に人間らしい傲慢さに落とし込まれ、彼らはまた勝手に神秘性を失った。

 

 今の彼らは化け物ではなく厄介な生物災害であり、原因は分からないが、そのうち分かるだろうとされた。よく分からない生き物を、よく分からないまま駆除している、というのが現状の全てであった。

 

 御用学者連中がそれで良くとも、しかし、駆除させられる側はたまったものではない。

 

 現状がはっきり分からずとも、一つだけはっきりしているからだ。これが種族の生存を賭した『戦争』である、という事実だった。

 

 そして、件の人類の戦争のお相手は、どうやら集団的混乱の只中にある。

 

 アレ、鎮守府が爆発した──まぬけに聞こえるかもしれないが、事実を素直に受け入れようとしただけである。彼らは何もしていない。いや、断続的な攻撃はしていたが、今さっきまでは中断していた。だが圧倒的現実として、灰燼に帰す半ばにある鎮守府庁舎の光景を叩き付けられている。

 

 あれを破壊しなければならない──という強い観念(めいたもの)が、彼らの内にあった。一際目立つその建造物は鎮守府の象徴にして、きっと敵の拠り所である。それの破壊とは、敵の根城そのものを破壊するも同様の事だ。

 

 連日の爆撃にも、厚い上に精密な対空弾幕と、一騎当千とか言い様のない迎撃戦闘機隊によって、倒壊が阻まれ続けていた庁舎である。全くこれは数上の戦力差からすれば驚嘆すべき事だ。

 先の海上決戦では、幸いと言うべきだろうか、無策な平押しであったから単に多寡の問題で跳ね返しはしたものの、かなりの数を抉り取られた。これ以上下手に攻め込んで、追い詰められた猛虎を相手しては大量出血を免れ得ないだろう。だから数に頼んだ『楽』な攻囲を続けているのではなかったか。

 

 しかし庁舎は自ら木っ端微塵になってしまった、意味が分からない──彼らにとっては、仮に知性があるとするなら、こんな所だったろう。

 

 比較的人型の内でも、更に比較的兵装の立派な一体(人類側分類名無し)が前後に腕を振った。「とりあえずやってみろ」と言うのだ。空母や戦艦らアウトレンジ攻撃可能な個体は、この意見に逆らわなかった。彼らなりの上下関係もあったが、単に他にすべきを見い出せなかったからでもある。

 

 それから行われたのは爆撃も砲撃も歩調を合わせない、大雑把で精彩を欠く攻撃だった。何故か届きもしないのに、駆逐艦や巡洋艦までやたらに撃っている。

 

 反撃が無い。

 

 従来であれば、こちらの爆撃機が到達する前に迎撃に昇ってくる戦闘機、護岸への接近を阻む一斉射など、高練度を痛感させる応報が必ずあった。それが無い、とは、どいういう訳か。

 

 ばらばらとした攻撃は、誰が制止する訳でもなかったが、適当なところで止められてしまう。後にやってきたのは空白だった。多数の人間型、無数の非人間型、共に沈黙するばかりである。

 

 彼らは頭数こそ数多揃うが、指揮官らしい指揮官を持たない。個体差、性能による上下関係が『何となく』存在するだけで、決断を明確に担う者など存在しない。いざ戦闘になってしまえば、ただ上下関係に従って撃ちまくれば良いだけだから、考えなど要らない。実際問題それで勝てていたのだ。けれども、こういう場合──どうするのだ?

 

 つまり彼らは、埒が明かなくなってしまったのである。

 

 埒が明いたのは、とある空母ヲ級が、不意に杖を掲げたのがきっかけであった。何やら指し示している雰囲気で、沈黙するしかなかった彼らの視線が、自然、杖の先に誘導される。

 

 示されたのは沿岸の貨物用クレーンである。赤白の縞模様で目立つ仕様のそれに、皆々は覚えがあった。連日に渡り、真っ黒で不吉な不詳艦娘が天辺に立ってじろじろ観察してきた、あのクレーンである。

 

 今また同じ場所へと登ってきたのは、別種の艦娘だ。小柄の、恐らくは駆逐艦だろう。そして彼女が大きく振り上げたのは、正に黒とは真逆の色だった。

 

 

『白の旗』である。

 

 

 投降、戦意喪失、無条件降伏──かの白色の持つ意味を彼らは本能で受け止めた。だが、しかし勝利を確信する間も無い。白旗が掲揚されてから直ぐに別の駆逐艦が現れて、猛スピードで鉄骨を登るや、先の駆逐艦ごと無理やり白旗を引き倒した。

 

 と思ったら、また先の駆逐艦が立ち上がり、後の駆逐艦を突き飛ばして旗を奪い返す。このやり取りを数度に渡って繰り返した挙句、最後には未だ燃え盛る庁舎の飛び火を受けたか、旗は炎上して消し炭になった。

 

 真っ当な知的生命体がこれら一巡を目の当たりにした時、辿り着く結論とは何だろうか。

 

 赤レンガのシンボルマークは曇天に吹き飛び、分厚い対空攻撃のカーテンは不意に開け放たれ、白旗掲揚を巡って兵士が殴り合う。その様な状態の敵に対して、自群をどう動かすべきだろうか。

 

 彼ら深海棲艦が、実際どの様に判断したのか定かではない。定かではないが──雲霞の如き大群は、即座に全群進撃を開始した。

 

 少なくとも出来るだけ容易に、出来るだけ大きく『勝利』を手中にするためなのは確かだったろう。

 

 

 ◆

 

 

 一刻一刻に冬の雨が激しさを増している。

 

 全く降るのだか降らないのだか、ここ数日の優柔不断を一掃するが如く、雨神による絨毯爆撃は苛烈を極めた。

 

 鎮守府庁舎を呑み込んだ火災は反比例的に勢力を弱めていた。空中を舐めまわしていた巨大な炎の舌は、全身を豪雨に曝露され、今や瓦礫の屋根の下でちろちろと控えめに自己主張をするに過ぎなかった。

 

 雨の一滴がまるで氷針の様な威力だった。炸裂した氷針は即座に液体と化して流れ出し、容赦無く熱を奪ってゆく。敵味方へ無差別に着弾する、自然界からの攻撃である。戦場の環境は悪化の一路だった。

 

 大地に降るものが在れば、大地に登るものが在る。蠢動する無数の黒点、水面から這い上がる遠き深海からの化け物が、続々と陸上を侵してゆく。

 

 打ち寄せる荒波に後押しされる様に、ぞろぞろ、ぞろぞろと。彼らは接岸から誘われる様にして陸を内へ内へと侵蝕していった。

 

 人類史上最悪の事態だった。また艦娘にとって、それだけは絶対に防がなくてはならない光景である筈だった。

 

 人間様の領土が、よりにもよって非人間に侵されている!

 

 佐世保鎮守府、というあらゆる人材の掃き溜めは『化け物の百鬼夜行を陸に招いた』という不名誉な記録を人類史に残したのだ──後の顛末も含めて。

 

 化け物共が大地一面を跋扈しつつある。ただの人間であれば、低体温症で戦闘不能に陥ってもしようのない世界の中で、続々と上陸を果たし、勢力を拡大し続ける。

 

 雨の冷たさなど何一つ感じない、魚の様な瞳で彼らは鎮守府を見渡す。

 

 惨憺たる光景とはこの事だった。日々の癒しであっただろう酒保は、焼け焦げた数柱が立つばかりで跡形も無い。

 

寮舎の半分が屋根も壁も無く、住居としての役割を果たしていない。良く開けた中庭の樹木は大方炭になり、東屋は瓦礫の山だ。

 

 1ミリの隙間すら許容されないコンクリート張りの筈だった地面は見る影も無く、前後左右に大穴だらけだった。辛うじて幾つかの穴には青いビニールシートが被せられ、一応塞ごうとした努力が認められたが、その努力は途中で放棄されたらしい。殆どの穴は吹きさらしであって、基底の土砂から滾々と滲み出す海水に加え、雨水が流れ込み、泥水溜まりになっていた。

 

 何とか形を留めているのは、兵器廟、修理ドッグなど運営機能の中核を成す建造物。それ以外は連日の爆撃により、軒並みが破壊されていた。むしろ一部守られていただけでも褒められるべきだろう──最も肝心な建物は『消滅』してしまったが。

 

 しかし、彼らの大多数にとって鎮守府の惨状などどうでもよい事柄だった。確かな地面を、国家の領地を、艦娘の居場所を、自分の足で踏みしめている。それこそが大切だった。

 

 無意味にすり足をする個体がある、地団駄を踏む個体がいる。各々違いはあれど、一様に固い地面の感触を確かめている。

 

 彼らは、常に何かに駆り立てられていた。生まれ持った抗い難い性──いや『郷愁』とでも言うべきか。誰も彼も、内にあるそれに従って生きていた。

 

 

 

 愛しい大地は、全て、海に帰す。

 

 

 

 これが彼らの絶対的な行動原理であり、目標であった。そして遂に、目標達成まで漕ぎ着けたのだ。この愛しい鎮守府を、やっと海に帰す時が来た。

 

 深き漆黒の群勢、やがて最後の一体までもが上陸を果たした、その時。不気味な程に同調して、深海棲艦は一切の動作を沈黙させた。

 

 全固体が俯き、地面を凝視する形は、まるで黒魔術の儀式めいたものに見えた。

 

 いや、実際それに近いのかもしれない。深海棲艦は、大地を海に沈没させると言われているが、しかし、その手法を誰も知らないのだから──

 

 彼らのうち、一体だけは違う。

 

 彼らの中で最も兵装の整った深海棲艦、概ね『群れ』を率いて攻撃を指導した最上位個体である。地面に取り憑かれた様になった同類を他所に、しきりに光の灯らない目玉を動かして、辺りを警戒している。我々は目標に辿り着いた、辿り着きはしたが──静か過ぎる。

 

 艦娘は何処へ消えた。

 

 まさか白旗を振って直ぐに逃げ出してしまったのか。あれ程高練度で、鎮守府を守るのに躍起になっていた兵士が。仲違えによる抗争があったとして、こうも一目散に逃げ出すものか。

 

 違和感がある。どうしようもなく不気味で、心底悪辣な──まるであの黒装束の艦娘の様な。

 

 命運が翻ったのは、まるで一瞬だった。

 

 泥水を溜めるしか用をなさない、幾つかの爆撃痕に被せられたブルーシート──それらが同時多発的に、ひらりと、文字通り翻った。

 

 強風のためか? 否! 明らかに人為の、それも『穴の内側』からの人為である。

 

 頭を出したのは艦娘だった。前後左右に穿たれた大穴から、艦娘、艦娘、艦娘──そこではない、そこではない! 

 

 きりきりと鉄の擦れる音がする。穴の中から飛び出したのは艦娘だけではなかった。

 

 明らかに重巡か、それ以上の主連装砲、それらは設置された『台座』に据えられ既に狙いを定めている。それとほぼ同時、唸りをつけた大量の爆撃機が穴から飛び立つと、瞬く間に雨空を覆い尽くす。

 

 前後左右、そして空中──五面全ての打撃力が交差する結束点、我々はそこに棒立ちしている!

 

 一体何が起こっているのか分からない。圧倒的優勢で攻囲していた筈が、何故だ、いつの間にか逆攻囲されているではないか。

 

 今や泥水溜りの大穴は『塹壕』へ──塹壕に据えられた巨砲は『砲座』へ──砲座を据えられた鎮守府は『要塞』へ──全ては一瞬のうちに変貌を遂げた!

 

 艦娘にとって招かれざる深海からの客は、未だ大多数が地面に意識を取られている。山盛りの悪意を向けられている事に気が付いてすらいない──つまり彼らは遅すぎたし、艦娘たちが手の平を返すのには早すぎた。

 

 上位個体は恐慌に顔を歪め、声にならない悲鳴を上げた。めでたい事で、この個体が深海棲艦として初めて表に示した情動らしい情動だった。

 

 向かって正面の穴の中から、徐に一本の手が挙がる。

 

 

「ようこそ佐世保鎮守府へ、さようなら」

 

 

 手が振り下げられる。

 

 砲座は一斉に噴火し、爆弾が大地に降り注いだ。

 

 

 ◆

 

 

「いやぁ、死ぬかと思ったよね実際」

 

「まことまこと。提督殿が殉職なされては、佐世保鎮守府もはやこれまで、なんぞと思いました」

 

「燃料弾薬が気になってねぇ。ほら、俺ってマメだし? 一度気になったら居てもたってもいられないってゆうか? んで工廠まで見に来るじゃん。そしたら、さっきまで居た仕事場が爆破されんだもの」

 

「さしものあきつ丸めも肝が冷えましたぞ。青天の霹靂とは正にこの事、いえ、むしろ近頃お天気が悪うございまして。いつ頃ピシャリと来ても何らおかしくは無かったのですかな後講釈」

 

「見てよこの尻尾なんか、まだちょっと逆立ってやんの」

 

「ホホ〜、お猫様」

 

「崇めよ」

 

 

 外界から火山噴火の様な砲撃音が轟いてくる中、げらげらと場違いな大笑いが、兵器廟中に響き渡った。

 

 何処となく妖しい口調だったのだが、この二名──ノア提督とあきつ丸が妖しさ甚だしい存在なのは常からだったので、今更一々詮索する気持ちにもならない。

 

 

「……楽しそうなところ悪いんやけどね司令官さん」

 

 

 不服を全面に押し出した声で、軽空母龍驤が発言した。

 

 

「ん、どうぞ紅いの」

 

「ジブン何処に乗っとんのかな」

 

「何処って、龍驤の、頭の上……?」

 

「分かっとんなら降りろや糞猫ッ! 何を人様の頭に尻下ろしとんねん、失敬やとは思わんのかァ!」

 

 

 欠片も思ってなさそうな顔で、龍驤の頭上に陣取った提督は首を捻る。

 

 

「いやね、何と言うか、収まりが良いんだな。座ってくれとも言わんばかりの頭の形をしていたからね。案の定ぴったりだ。お前、前世は俺のイスかソファだったんじゃない?」

 

「んな最低な運命の再会があるかい! 降りぃ!」

 

「だって俺の腰掛けはさっき庁舎と一緒に吹っ飛んじゃったんだよ。指揮官たるもの座る場所が無いと可哀想でしょうが」

 

「提督殿、ほらほら。こっちの頭に来られてもよろしいでありますよ。幾ばくか遠くまで見渡せるでありますし」

 

「え……何だか病気になりそうだからいいや……」

 

「あんまりであります」

 

「降りろやッ!」

 

 

 紅い腕に叩き落とされる所を、間一髪で猫はひらりと身を躱し、卓上に降りた。悔しそうな龍驤を横目に、提督は髭を撫でてご満悦である──しかし、こんな風に楽しそうにしているのは首脳部だけだった。

 

 臨時指揮所として突貫改装された工廠は、そこかしこがごった返している。

 

 通信機に向かって悲鳴を上げている者が居る、書類の山を抱えて走り周り工具に足を引っ掛け転ぶ者が居る、職務放棄して遺書を書き出す部下を怒鳴りつける声がする──戦時の作戦本部というのは、前線とはまた別種の戦場であった。

 

 何せ『生きるか死ぬか』という極限の二択の挟み撃ちである。必死で各々の職務に齧り付くのが精一杯で、首脳の馬鹿騒ぎには耳も貸さない。

 

 

「はい、何、弾薬の消費が無茶苦茶ですって? バカモノ〜ッ! そんなもんは助かってから考えりゃ良いんです。何なら鎮守府が消滅してから考えますか? 分かったら撃ちなさい。叩け叩け、ひたすらに叩け、ぶっぱなせぇ!!」

 

 

 一際大きな怒号に目をくれると、大淀が受話器を叩き付けている所だった。提督曰く『ケチの権化』である補給担当艦は、自分で自分の発言にケタケタ笑っていた。半ばずり落ちた眼鏡の位置を直しもせずに、隈の濃い目で何枚か帳面を読み進めると、引きつった笑顔のまま、みるみる血の気が失せてゆく。

 

 恐らく数字のグロ画像か何かを目撃してしまったのだろう。突発的に書類に埋もれかけたマグカップを掴むと、中身を一気に流し込んだ。そして、またケタケタ笑う。

 

 マグカップからは、強いアルコールの臭気がした。

 

 

「哀れだなあいつも……」

 

 

 珍しく化け猫提督が他人を哀れんだ。

 

 補給担当艦という職務上、大淀は現在の鎮守府の『ヤバさ』を具体的な数値として把握しており、しかもほぼ不眠不休という極限状態で、いきなり戦場に駆り出されたのだ。酒の力を借りているとは言えど、恐慌しないだけ偉いと評価されるべきだった。

 

 

「お邪魔です」

 

 

 他人を憐れむ間もなく、提督は指揮卓上を冷たく追い払われた。

 

 たった今、尻を置いていた場所に駒が置かれる。秘書官の加賀にすら邪険にされた鎮守府最高指揮官は、しょうがないので綿の抜けたパイプ椅子から身を乗り出してそれを眺める事にした。

 

 それは作業台を転用した薄汚い指揮卓だったが、地図を広げるには苦労しない広さがあった。佐世保の縮小図が記されており、上に点々と駒が置かれている。駒は凸型をしていて、所謂『兵棋』と言われるものであった。色は赤と青がある。中央に固まった多数の赤駒を、少数の青駒が飛び飛びに囲む形であった。

 

 虚空を眺める様にしている加賀は、手元も見ずに黙々と駒を動かし続けている。正規空母として、もう一つの視野──偵察機を通して、戦場の風景をリアルタイムに反映させているのだ。

 

 と、加賀は赤駒を一つ取り除いた。

 

 

「良いではありませんか」

 

 

 あきつ丸が、爽やかさには程遠い笑顔で言った。遠い目をした秘書艦は、特に応答しなかったが、続けて赤駒を取り除く事で応えた。目だけを動かして、こっそり主人の顔色を見ると、指揮卓の端っこで小さく頷いているのが窺えた。黒いのはそれで満足して、改めて兵棋の動きに集中した。

 

 あきつ丸が考案した作戦は、今のところ見事なまでに的中していた──即ち深海棲艦を陸上まで『釣り出し』包囲殲滅を試みる、という作戦である。

 

 突然の庁舎爆発、白旗掲揚と仲間割れ、爆撃被害を逆利用した包囲攻撃──全てが敵を誘い込む罠であった。

 

 地図中央に押し固まった赤の兵棋、深海棲艦の群勢は、ますます直径を縮めている。こと海上であるならば『輪形陣』と呼ぶべきで、その防御に優れた陣形を選択するのは誤りではない。

 

 しかし、ここは陸地だった。

 

 最も愚かな選択をしたな──悪辣な作戦の考案者はほくそ笑んだ。

 

 海戦の常識は、陸戦の常識には当てはまらない。包囲に際して丸くなるのは、自ら殲滅を望むに同じだ。

 

 ここは正々堂々、互いに身を晒し続ける海とは違うのだ。こそこそ身を隠しながら囲んで叩く、などという武士道の欠片も無い、根性の悪い戦い方がまかり通る場所なのだ。

 

 そもそも暗くて綺麗な深海出身が、明るくて汚い陸の流儀に太刀打ち出来る訳がないだろう。

 

 今この時にも嵐の様な爆裂音と、豪雨が屋根を打つ音と、陸上生物の悲鳴と怒号とが、工廠内で混声合唱している。各々が声を張り上げる毎に、地図上の輪形陣は外縁から削れていった。また一つ、また一つと、加賀のしなやかな指によって赤駒が除かれてゆく。

 

 

 やがて、赤と青の数が同数に差し掛かろうかという時であった。

 

 

 

「いけるかもしれない」

 

 

 

 と、誰かが言った──誰が言ったのかを詮索するのは詮無い事だった。それは全員の心中を代弁したに過ぎないからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全く、それが良くなかったのかもしれない。

 不意に赤駒の群勢が蠢動を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(下)に続く…

 

 


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