Charlotte Bravely Again(st) 作:天然の未
いや別にいらんよorむしろ邪魔だわという方には毎度ご迷惑をおかけしております。
天然の未です。
いつもご愛読ありがとうございます。
九話で割としっかり原作キャラを登場させ、今回もやっぱり原作キャラは登場します。
25年の時を経た彼らの登場には若干引いてしまうところがあると思いますので最小限には押さえますし、メインキャラの生徒会メンバーはたぶん2人ぐらいしか登場しません(今回ではありませんが)。それはそれで個人的には寂しい気もしますが、原作を壊さないように上手くやるつもりです。
では、少々無理矢理感が否めませんがここらで本編をどうぞ。
至って平凡な生活だった。
彼女は、至って普通の少女だった。
中学では、それなりに高い成績を保ちつつ、友達もおり、過不足ない生活を送っていた。
しかし、それが崩れてしまった。
何が彼女の運命の歯車を狂わせたのか、と問われれば、その答えは単純明快。
端から狂うことに決まっていたのだ。
それは、言うなれば彗星の起源と同じように。
始めから、全て決まっていたのだ。
始めから、彼女はこうなるべきだったのだ。
神の悪戯とは、こういうことを言うのかも知れない。
神はいる。
人類が、人類自らによってその存在を証明してしまったのだから。
抗い様のない運命のこと。
それを神と呼ぶのなら、神は存在する。
そしてそれはつまり──。
所詮、少年少女の運命は端からそこにあったということを的確に示していると言えるだろう。
ようやく春の訪れを感じ始めた4月の朝。まだ少し肌寒い日が続く。茜は学生服を見事に着こなしつつ小鳥のさえずりなんかを聴きながらこの歩き慣れた道を今日も歩いていた。学校の制服は、案外好きだ。動きやすいし、悪目立ちしないし、学校の友達と同じ服装でいることが、彼女にとってはそれなりに心地よいことであったのだ。とは言え勿論、一番の理由は彼女が服装に殆ど無頓着であることだったが。
そろそろか。信号待ちをしながら、茜はキョロキョロと辺りを見回した。同じ学校の制服を着た学生は沢山いた。この地域には住宅が固まっているので、だいたい皆通う中学は同じで、殆どの学生がこの道を使うからだ。小学校からの知り合いも大半を占めるので、仲の良し悪しは置いておいても取り敢えず、殆どが見知った顔だった。しかし、茜が探していた女子中学生はこの中にはいなかった。いつもこのくらいの時間になると後ろからやって来る彼女。
肩を叩かれた。この時間に肩を叩かれることは、最早茜の中では日常茶飯事だった。いつも通り、彼女はこの時間に後ろから走ってきたようだ。叩かれた肩と反対側を振り向く。彼女は十中八九、肩を叩いた手の人差し指を立てているからだ。
「おはようございます、琴羽」
「おはよう、茜」
手の内がばれた、と悔しがるように少し頬を膨らませた琴羽だったが、すぐにしぼませると元気に挨拶をしてくれた。
初めて彼女と出会ったのは、小学1年生の頃。小学校に入学したばかりで友達との適切な距離が分からず、クラスで1人だけ敬語を使って浮いていた茜に真っ先に話しかけてくれたのが彼女だった。
「寒いねえ」
「そうですね」
茜の態度はどこか冷たくも見えるかも知れないが、これが彼女の基本だった。それを互いに分かり合っているからこそ、琴羽はこうしてくすくす、と笑う。信号が青になる。
朝日が体の表面だけを暖め、寒暖差がアンバランスだ。手袋をする程の寒さではないが、しかし心地よいとは言いづらい気温。
新しい学年に上がって早1ヶ月が経過し、受験のことも考えて茜は過ごしていた。特別レベルの高い高校に行くつもりはなかったし、最近はいくら男女平等とは言え、女子が日本一の国立大に通っていると言うと、男どもが1歩引いてしまうような生きにくい世の中なので、適度な成績の高校に入れればそれでいいか、と気楽に考えていた。
前を歩いている男子5人組が馬鹿みたいに恋バナをして盛り上がっている。楽しそうで何よりだ。学校はもう目前で、生活委員と称された面々が門で挨拶運動をしていた。応える生徒は半々ぐらいで、この目の前の5人組は残念ながら応えない方だった。茜と琴羽は彼らの挨拶に応え軽くお辞儀をすると、門を通り下駄箱に向かう。
「琴羽は......生活委員じゃありませんでしたか?」
「うん。でも当番は来週だから」
「そうなんですか」
そんな会話を時折交えながら、茜と琴羽は下駄箱に到着した。さっさと靴を校舎用の青いスリッパに履き替えたのだが、先の男子5人組がいつまでもそこでぺちゃくちゃお喋りをしており、しかも横に広がっているので、この狭い下駄箱では前に進みづらい。邪魔だ。
はあ、とため息をつきつつ、この馬鹿どもに声をかけようと茜が1歩前に出た、まさにそのときだった。
「おい、お前ら。邪魔だ、通れないだろ」
後ろから赤髪の少女が出てきて、ガキ大将の如く威張りっぷりで彼らに言い放った。聴き馴れた声は彼女の代名詞とも呼べる芯のある力強いもの。
岩下沙良は、腕を組んでそこに頑張っていた。
「ああ、悪い」
反省しているのかはよく分からない(恐らく反省していないであろう)口調で男子の1人が応え、自分じゃないと言わんばかりに友人の1人を不機嫌そうに引っ張った。まだまだ子供だ。
「沙良、おはようございます」
「ああ、おはよう」
小さい鞄を肩で支えて、沙良は誇らしげに挨拶した。茜と琴羽の前を歩く。
「ほんっと、男子ってバカばっかだよな」
階段を上りながら沙良が呆れたように不平を漏らすのはいつものことで、大抵は馬鹿な男子に関してだった。男子に恨みでもあるのか、と聞くと、男子が馬鹿なのがいけないんだろ、とか言う始末である。要は沙良はこういうたちなので、別に気にすることではないのだ。
階段を上り終えると、廊下を少しばかり歩いて3人は同じ教室に入った。3年5組は彼女らの共同のホームルームである。つまり、3人はクラスメイトだ。クラスが変わると一緒に登校する人間も変わると言うのはよくあることだが、中1と中3で3人揃うというのは、ある意味奇跡かも知れない。
「あ、沙良!」
クラスメイトの1人の女子がすぐに彼女に気付くと、すぐそばに駆け寄ってきた。
「新曲聴いたよ! すっごくかっこよかった!」
興奮した面持ちで、ポニーテールの若干似合わない女子は瞳を輝かせている。まだ義務教育の過程の途中であると言うのにも関わらず、沙良はこのときには既に国民から十分注目されるアーティストとして、クラスでは人気者だった。しかも驚くべきことに、彼女が初めて動画サイトに曲をアップしたのは中2のときのことで、弾き語りの簡素なものだったのだが、しかし口コミで広まりいきなりその動画が100万再生を越えたという。最初、その話を沙良の口から聞いたときは、流石の茜も琴羽も何らかの嘘か誇張だとばかり思ったものだったが、しかし今では日本国民が認める才能あるミュージシャン。
「ありがとう」
軽く応える感じが、またスター性を引き立てていた。こんなのは馬鹿みたいな感想にも思えるが、しかし沙良にはそういう才能があるんだと茜は確信していた。人間的な魅力を彼女は兼ね備えている。茜は彼女を尊敬した。
チャイムが鳴った。予鈴だ。学年の始めになると、このぐらいの時間にはクラスメイトの殆どが教室に到達しているものなのだが、1ヶ月も経つと本性が出たりする。去年まで遅刻を繰り返していたような生徒は得てして、この辺りで遅刻をし始めるようになる。人間、そう簡単には変われないものらしい。
「じゃ、後でね」
琴羽が席に向かったのに続き、茜、沙良、もう1名の女子も席についた。
例えば、これが朝の風景。
昼食はいつも3人でとっていた。2回クラスが同じになったから気心が知れているというのも勿論あるが、それ以上に彼女らは馬があったのだろう。だから、中1の頃もだいたいこの3人だった。茜の大層な弁当に琴羽が毎度つっこみを入れ、沙良が馬鹿笑いをする。この日はえび天丼だったので、茜はいつも以上に美味しそうに食べた。そんなに食べて太らないの、と琴羽が呆れたように禁句を問いかければ、茜は当然のように『頭を使えば太りません』と言う。
例えば、これが昼の風景。
授業が終わると、今日の数学の内容が分からなかったとか先生の話が長いとか、そういう他愛ない話をして帰る。勿論3人だ。沙良はと言うと、帰る方向が茜、琴羽とは正反対であるにも関わらず、いつも一緒についてきていた。
帰り道、大体話題をふるのはいつも琴羽で、茜はそれに答え、沙良も勿論だが、彼女はどちらかと言えばそんな2人を1歩引いて見守ることに徹していた。原則として学校にお金を持っていったりはできないので、いつも帰り道のパン屋やコロッケ屋を茜が怨めしそうに見ながら家路を辿る。それを琴羽がくすぐったいように笑って、今度は茜が少し不機嫌になったりする。
例えば、これが夕方の風景。
何やかんやで3人は、やっぱり3人でいることを楽しんでいた。心地よく感じていたし、いつまでもこうであればいい、なんて思ったりもした。ときにはその気持ちを皆で語らい合った。
どうしてだろう、それが狂ってしまったのは。
茜には、以前から気になっていることがあった。それは、大親友である琴羽に関してである。
今日の帰り道がまさにそれだった。
パン屋を過ぎて、カップラーメンが出来上がる程度の時間が経過したときのこと。この道には車2台が通れるくらいの少し狭い十字路があり、茜が先頭切ってその交差部分に向かっていた。
「危ない!」
突然、後ろから声が聴こえたかと思うと、琴羽が茜の右手を後ろに引いた。思わぬ出来事に茜は尻餅をついたが、驚いたのはその瞬間。
目の前を突然、高速の車が通った。高速というのは、法定速度をちょっとオーバーしている、というくらいのものではなかった。高速道路でも100%取り締まられるレベル。その車が通った。余りにも速すぎて、車体の形なんて殆ど判別できなかった。白いのか、銀色なのかもよく分からなかった。
遅れて尻に痛みがやってきて、やっと判断が追い付く。つまり、琴羽は自分を助けるために腕を引っ張ったのだと。うるさいサイレンと共に目の前をパトカーが走って行くのを見ながら、茜は呆然と立ち上がった。琴羽を見る。苦笑いしていた。
「危なかったね」
茜は、この交差点で事故が多発していることを知っていた。理由は単純で、この交差点を囲う民家の塀がどれも高かったからだ。そして、その塀のせいで車の音だって殆ど聴こえない。多分、琴羽が助けてくれなくとも、茜はちゃんと右左を確認しただろうから問題はなかった。が、そんなことはどうでもいい。
「......よく見えましたね」
茜はびっくりした。交差点まではまだ3メートルぐらいの距離があったから。あの地点で気付くのは至難の業だと言える。
「何か、速い車が横切る気がして」
琴羽には度々、こういうことがあった。前に学校で震度3ぐらいの地震が起こったときも、彼女は1時間前ぐらいから『地震が起こる気がする』とか言っていた。普段が少し抜けている分、それを誰も気に留めなかったし、何なら実際に地震が起きた後でも、周囲の反応は『凄い偶然だね』程度であり、それ以上はなかった。
けれど、茜はやっぱりこの不思議な現象に疑問を抱いていた。どうも、ただたまたま偶発的にそういうことが重なったとかには思えなかったのだ。一度や二度ではない。誰も傘を持ってきていない日に彼女が傘を持ってきていればその日は天気予報は見事に外れ雨が降っていたし、台風が来るから学校は休みだろう、と皆が高をくくっていても、彼女が電話で翌日の持ち物を忘れたと尋ねてくると、台風は反れて午前中から授業があった。
何か特別な力があるのか。
そんな風に疑ってしまう反面──。
常識的な思考を有していた茜は結局そんな結論には至らず、毎日を琴羽と沙良の3人でそれなりに過ごしていた。それが普通だ。誰かに言ったところで、そんなことに興味を持つのはどこかのオカルトマニアか極端なミステリーオタクだ。
では、そんな琴羽がまたどうして急に姿を消したのか、と問われれば、やはりそれは茜の中にあった非常識的な思考が実のところは正解だったからだ。
彼女は特殊能力に目覚めていた。
人助けをしたい。
そんな純粋無垢な感情のせいで。
異変があったのは、5月下旬のある日。
その日茜は、普段なら絶対に後ろから肩を叩いてくるはずの琴羽がいないことに疑問を抱いていた。この信号機を待っているあたりには大抵、彼女は茜に追い付くのだ。不思議で周りを一周見渡してみても、やはり彼女はいなかった。馬鹿騒ぎしている男子5人は今日もここにいるというのに。
珍しいな、と思いながら登校する。そのときの茜は、多分彼女は途中で追い付いてきたりするのだろう、と年に1回あってもかなり異例のシチュエーションを想定しつつ歩いた。
しかし結局、茜が教室で予鈴の無感動な音色を聴いている頃になっても琴羽は教室に現れなかった。沙良はと言うと、同じく不思議そうに廊下を見たりあちこち探していたが、しかし琴羽は本鈴がなる頃になっても姿を見せはしなかった。
欠席だろう。恐らくそうだ。全世界で最も『欠席』の2文字が似合わなそうな、健康の塊のような琴羽ではあるけれど、彼女だって人間なのだから風邪を引くこともあるだろう。それか、どこかを怪我して病院に行っているのかも知れない。彼女の母親は心配性なので、朝起きて鼻血が出ていたくらいでもその可能性はある。あるいは、身内の不幸かも分からない。
しかし、教室に入ってきた担任の女性教師の口からは、驚くべき発言が飛び出した。
起立、礼、着席、と一通りの号令をし、皆に伝えなければならないことがあります、と前置きをそこそこに言い放った。
「美田さんは転校しました」
どよめきが走る。茜は始め、担任が何か冗談でも言っているのではないか
「......美田さんと仲良くしていた人たちにとっては辛いことかも知れないけど、彼女はもうこの学校には来ません」
その言葉を耳で聴いて、しかし聞くことはできなかった。拒んだのかも知れない。彼女は本当に何を言っている? 全くもって、茜には受け入れがたいことだった。
琴羽が転校。
無意識に、沙良の方を向いた。
彼女も全く意味が分からない、と言った様子で硬直していた。後ろからなので目は見えなかったが、きっと唖然としているだろう。
茜は気付けば立ち上がっていた。
「......どういうことですか、何で......何で急に」
「それが、私にもよく分からないの。昨晩、急に連絡があったみたいで......」
本当に意味不明だった。『昨晩』? そんな簡単に転校とかの手続きを進められるはずがない。まして、琴羽は茜にも沙良にも、一言も転校するなんて話はしていなかった。現実的に考えて馬鹿げている。しかし、茜もこれが夢だと思う程馬鹿ではなかった。
「......何で」
立ち尽くした。言葉も出なかった。いくらなんでも突飛過ぎる出来事だ。一体全体どうして琴羽は転校してしまったのか。親の都合? そんな話は聞いていないし、彼女の父親は、こんな言い方をしては悪いが冴えない中小企業で働いている。転勤なんてあり得ない。あり得たとして、単身赴任すればいいだけである。それをどうして琴羽が転校することになったのか。
他のクラスメイトも呆然としている。馬鹿な男子が琴羽に恋愛感情を抱いていた──あの5人組の中で、いつも琴羽のことでいじられていた──男子をにやけ顔で見つめ、全クラスメイトの反感を買った。ふざけた話だ。
始業のチャイムは本鈴の10分後。茜はどうしようもないまま殺伐とした1時間目に突入せざるを得なかった。
その日は授業には全く集中できず、むしろ集中できる人間が不可解で仕方なかった。冷静に考えれば、この突然の転校というのは現実的にもおかしい。だと言うのに、現にこうしてそれは成立してしまっている。
放課後すぐに、茜は職員室に向かった。担任が事情を知らない急な転校などあって良いはずがない。だからまずは学年主任の教師に尋ねた。琴羽はどこに転校したのか、何故転校したのか、と。
答えは、「分からない」だった。
教頭に聞いても、校長に聞いても答えは同じ。こんなことはおかしい。万一琴羽に関する中学転校の手続きなどで問題なんかが発生した場合に、学校が何も対応できないではないか。
誰も知らない、とは余りにも奇妙だった。
結局茜は、職員会議などという比較的どうでもいいことのために、職員室を追い出された。
もっと大事なことはあるのに。
為す術を失くし教室に戻ると、沙良がいた。彼女はギターを背負い、通学用の鞄を片手に提げていた。
「茜」
「......帰るんですか」
今思えば、このときの茜は冷静さに欠けていたのだろう。しかし、そうなってしまっても仕方がない程、今この場で起きていることは余りにイレギュラーな事態だった。
「......これから、バンドメンバーで練習があるんだ」
「琴羽のことはどうでもいいんですか」
実に冷酷な言葉を投げ掛けてしまった。やり場のない憤りと焦りに茜は蝕まれていたのだ。回避できないことですらあったと言える。
「......あいつのことは気になるけどさ......大事な時期なんだよ」
「沙良は琴羽よりバンドの方が大事なんですか!」
茜はもうどうすれば良いのか分からなくなり、その足で教室を飛び出した。今の問いに対する答えが欲しくなかったのだ。何を返されても苛立つだけだと思ったから。
このときからだったと思う。沙良と距離を置くようになったのは。
後に入ることになる生徒会でも、以前のように沙良と親しくはできなかった。今考えれば、彼女との仲は琴羽がいることで初めて成立していたのではないか。そんな風にすら思っている。
琴羽が転校して僅か3日ばかりが経過した日のことだった。その後も琴羽のことをしばらく調査し続けたが、結局茜は彼女の手掛かりは何一つ見つけられなかった。栗色の髪がよく似合う彼女の手掛かりは。
そうして過ごしているうちに休日になり、おつかいを頼まれたので、今はもう空き家になっているであろう琴羽の家の前を偶然通りかかったのが、不幸だったと言えばそうだろう。
表札はまだ、『美田』のままだった。だからだろう、気付けば茜はインターフォンを押していた。もしかしたら引っ越しの都合で一度こちらに来ているかも知れない。いいや、そんなことがあれば琴羽が茜を訪ねてこないわけがない。本当に唐突の引っ越しだったのだ。
けれど、押さずにはいられなかった。
ピンポーン、と面白味のない音が鳴って数秒、やっぱり誰もいるわけないか、と茜は諦めて早く買い物に向かおうと思っていた。
踵を返した瞬間。
ガチャリ、と音がしたのはまさにそのときで、茜はすぐにそれが扉の開く音だと理解した。驚いて返り見ると、そこには知っている顔があった。
「はい、何でしょう?」
目を見開いた。嘘かと思った。夢かと思った。けれど、この状況を夢だと思う程、茜は馬鹿ではない。
琴羽の母親だ。彼女の家に遊びに行く度目にした、少し背の高いあの優しそうな母親。
「......琴羽のお母さん、お久しぶりです。あの、琴羽は?」
と言ってから、言葉足らずなことに気付いた。仕方ない、動揺していたし、故にこの状況の喜びはどうしても大きくなってしまう。潰えた希望が回帰した。それは茜にとって、まさに地獄から天国だった。
が、その希望を殊更大きな絶望に変えるべく、琴羽の母親からは思いもよらない言葉が飛び出したのだった。
「......よく分からないのだけれど......あなたは?」
「......え?」
当然疑問が頭を巡った。何故って、決して彼女が冗談を言っているようには見えなかったからである。本当に困った表情でこちらを見ているので、茜は一気にこの状況がおかしいことを把握した。
「何言って......私です! 琴羽の友達の友利茜ですよ!」
「......ことは、って誰かな?」
それが決定打だった。
彼女は何と言っただろう。
もう、家にも何度も遊びに来ていた娘の大親友を忘れてしまう、極端に忘れっぽい母親
焦りにも近い感情に任せて叫ぶことしかできない。
「琴羽ですよ、あなたの娘さんじゃないですか!」
「え? えっと......」
茜はまだ、何かの冗談だと思っていた。いいや、正確にはそんな風になど思えていなかったのかも知れない。琴羽の母は至極
じゃあ、だとしたら、何が起こっている。
茜には見当もつかなかった。
「......何っ、で......」
そして、その茜の表情が余りにも悲壮的で、琴羽の母も身に覚えのない罪悪感を抱いてしまったのだろう、それから逃げるように、
「ごめんなさい、やっぱりよく分からないの」
と扉の向こうに隠れてしまった。ぱたん、と扉が閉まる音が聴こえても、茜はただ心ここにあらずの状態で立ち尽くしていることしかできなかった。
茜が、真実を恐れた瞬間。
茜が能力を発言した日。
何も分からないまま、10ヶ月の時が過ぎた。
茜は、独りで琴羽を探し続けた。まとまった時間さえあれば、各地の高校を探し回った。その間、沙良はロックバンド『Rest Arts』のボーカリストとして成長を続けていた。いつの間にか世界進出したと思えば、今ではYouChooseで再生回数億単位が当たり前になっていた。茜だって頭を冷やした。あの状況で、いくら琴羽のことが心配でも、大人が『引っ越した』と言っているのに、それと大事なバンドとを比べれば、どちらを取るべきかなど自明だった。急用でもなければ、そのために焦って辺りをうろついたところで、見付かる保証なんてなかったから。
あれ以来、沙良とは距離を置いている。茜だってこんなのは嫌だったが、現に琴羽は見付かっていない。だから、冷静になったとは言え、沙良との接し方に困っていた。思えば、沙良への自分の感情もまとまっていなかったんだろう。
高校受験も近付いてきたと言うのに、琴羽は見付からなかった。ここまで何の手掛かりも掴めないと、むしろ何か茜が勘違いしているだけで、実は琴羽が元気に生活しているんではないか、とか勝手に考えたりしていた。
そんなはずはないのに。
自分が狂っているのかも知れない、とすら思うようになった。琴羽の存在を疑ってしまう程、琴羽がどこにもいなかったから。その度にクラスメイトに琴羽がいたことを確認し、安堵と共に不快な焦燥を感じるのだった。
それに、この
そして、琴羽の行方が分かったのは──厳密には分かってはいないが──この2月上旬のことだった。
彼は、息を切らして茜の前に現れた。
眼鏡で坊っちゃん刈りの男。女子の中でも比較的背の低い茜は始め、彼を中学1年生ぐらいの少年だと思った。いつぞやの交差点だった。
「......疲れました」
見知らぬ制服。茜の知りうる中学ではないようだった。
「えっと......私に何か用ですか?」
割合声が低いその少年は完全に年齢不詳、という感じだったので、茜はいつも通りの敬語で彼に問いかけた。
少年は顔を上げ、茜に目を合わせる。
「......あなたは、特別な力を持っていますね?」
「......え?」
そう問いかけられて、動揺したのは事実だ。気付いていないわけがない。茜は、琴羽がいなくなった頃に特殊な能力を使えるようになった。それは茜にとっても分かりきっていたことだった。
他人の五感を奪う能力。
「......何故、そのことを? あなたは......」
「紹介遅れました」
そう前置きする。
「僕は星ノ海学園高等部生徒会の1年、松山です」
「星ノ海学園?」
受験生の茜にとって、それはよく耳にする言葉だった。星ノ海学園と言えば、辺りでは最もレベルの高い私立高校で、茜の高校にも、そこを張り切って受験しようとしている生徒がいた。世界中で一流アーティストとして活躍しているのにも関わらず勉強までできてしまい、帰国子女枠を狙う沙良がその1人だった。
去年、突然京都の中高一貫校に通い始めた従姉妹も、そう言えば以前は星ノ海学園を志望していたものだ。
「ええ、生徒会と言っても、今は僕1人だけですが......」
それから、松山は茜に生徒会のことを話した。自分の能力で茜が能力者であることを検知したこと、能力は思春期が終われば消えること、星ノ海学園はそんな能力を持つ能力者たちの保護をしていること、そして、科学者の存在を。
「......と、言うわけです」
松山は茜に交渉しに来たのだ。茜に、もう能力を使わないように。そのデメリット、危険性を伝え、そして恐らくそれだけならば茜も、快く了承しただろう。茜にとって、能力を使う必要など何らなかったから。
けれど、茜ほど賢い人間が、そんな分かりやすい事実に気付かないわけはなかった。すぐに察しがついた。あるいは、知らない方が幾分も楽だったかも知れない。ずっと彼女のことを考えていたのだ。
美田琴羽はどこに姿を消したか。その答えはこの知り合ったばかりの、きのこのような青年によっていとも容易く分かってしまった。
何より、彼女は、いや彼女も、特殊な力を使うことができた。今思えばそうなのだろう。彼女は危険を察知したり、何か不穏なものを何となく感じてしまう少女だった。そしてそれは今、松山によって単なる偶然でなかったことを証明されてしまった。
「......あの、私の友達が......」
茜は全て、松山に話した。琴羽のことを、琴羽に起こったことを全て。彼女が急に引っ越したことも、彼女の母親が彼女の記憶を失ったことも、包み隠さず話した。そして、その頃から能力が使えるようになったことも。
「......」
松山は何も言わなかった。勿論、茜の話したことの意味が理解できなかったわけではない。もしかしたら、その時点で彼自身の中では、その事実を認めてしまっていたのかも知れない。琴羽にどんな災厄が降りかかったかなど、考えずとも分かるようなことだったから。しかし、少なくとも口に出すことはしなかった。茜を気遣ってのことだ。
「理事長に会いに行きましょう」
そして、少しの静寂の後に茜に提案したのだった。『理事長』という言葉から茜が連想するものは、校長がひれ伏すような超お偉いさんだった。だから始めに松山が石造りのお地蔵みたいな顔でそう言ったとき、半ば恐怖にも近い感情が顔を歪ませた。
「理事長、って......?」
「ああ、安心してください」
緊張を和らげるように松山が小さく手振りをし、
「彼は僕らの味方です。それに......とてもユニークな方ですよ」
と口元を一瞬緩ませた。それがどういった感情を表しているのかは定かではないが、何にせよ茜は不安だった。今聞いてしまった事実によれば、琴羽は危険な組織に誘拐された、ということなのだろうか。いいや、琴羽のことだ、大丈夫に決まっている。そう信じる以外の現実からの逃げ方を、生憎茜は持ち合わせていなかった。
松山に連れられてやってきたのは、やはり星ノ海学園──と思いきや、彼はと言うと全然違う方向に進んだ。茜はそれに渋々付いていったが、途中松山を疑った。だってそうだろう、全く見当違いの方に進めば、先程の話の真偽に関わらず、自分を誘拐しようとしているのではないか、と少しだが思ってしまうのも仕方ない。けれど、茜はそれでも彼に付いていかなければならなかった。琴羽の手掛かりになることがひとつでもあるのなら──例えそれが、知りたくなかった事実だとしても──ちゃんと知っていなければならなかった。
それに、もし誘拐目的で、例えば裏に彼の言っていた『科学者』なるものがいたとしても、だったら松山のような、明らかに茜よりも非力そうな男を1人で向かわせたりはしないだろう。それより、早く気絶させたり眠らせたりする方がよっぽど合理的と言える。だからさほど警戒はしていなかったと言うのもまた事実である。
今回のことは、松山にとってもイレギュラーだった。今までは基本的に、1人で生徒会活動をしていた。そもそも、能力者が少なかったと言うのが大きな理由だった。そしてそれは恐らく、この時点ではまだ彗星の粒子が地上まで殆ど到達していなかったからだろう。
このときはまだ、後ろを付いてくるこの少女が同じ生徒会員として活動することになろうとは思ってもみなかった。
到着したのは、知らない建物だった。近未来的なその建物は、アニメの世界から切り取ってきたのではないかというくらいに綺麗で青いガラスは透き通り、人間に換算すれば真面目な男委員長。行く末は正義の政治家か世界を回る医者だ。大学の様にも見えるそれは、少し遠くから眺めたくらいでは到底全貌を把握できない大きな大きな研究所だった。
「白柳第一特殊科学研究所です」
松山は一度立ち止まると、根倉にも感じられるその低い声で言った。ずれた眼鏡の位置を直しているのが、後ろからでも分かる。
茜としては、今の状況がちょっと奇妙だった。初めは星ノ海学園の理事長室とかに行くのかと思っていたが、いざ松山に付いていってみると、全然逆方向に進んでいくことになり、気が付けばこんな場所にいたのだから。しかしそれがさほど不思議でもなかった、というのも同じく事実だった。星ノ海学園の理事長、という聞いただけで若干怖じ気づいてしまいそうな肩書きの人間が、この研究施設にいたところでそんなに違和感はない。むしろ結構イメージ通りな気さえする。
「ここにいるんですか」
「付いてきてください」
松山はこちらを振り返らず再び歩み始める。飽くまで淡々と行動する彼の感情はあまり上手く読めそうにない。きっちりと整理されたまっすぐな道を歩き、実にご丁寧な案内板を見ながら建物に到着すると、重厚で淀みないガラスの自動ドアを2枚通り抜け、その後やはりガラスの手動のドアを松山は前に押した。
中はと言うと、まず右手に客人の対応をしているのであろう、ホテルにもいそうな清潔感漂う受付嬢が2人。左手にはエレベーターがいくつもあり、奥は薬を連想させるような白の壁が隔たり、1つだけの手動扉が張り付いていた。よく見ると、その扉に『解析室』と書いてある金のプレートが小さく存在感を放っている。
松山は一度ハシビロコウのように無言で立ち止まって一通り見渡すと、すぐに動き出した。行動の読めなさは急な突風で目を襲うグラウンドの砂のようだが、明確な目的を持って女性2人の方に向かっている。茜も小走りで彼に続いた。
「七野さんはいらっしゃいますでしょうか」
松山は、生徒手帳と共に受付嬢に声をかけた。彼女らは何を思ったかは分からないが、「少々お待ち下さい」と丁寧な言葉遣いで微笑んだ後、ゆっくりと黒い扉の向こうに入っていってしまった。
約5分ぐらい茜と松山を待たせて、その男はやってきた。少しだけ髭を生やした男。金髪で少しだけチャラそうだが、根は優しそうで遊び心のありそうな男性だった。40代ぐらい。
「お、松山か。そっちの
その白衣の男は、おかしなことを言い出した。第一印象は、総合的に見てもやっぱりチャラい。ただし、それは嫌味なものではない。ただ、この状況で言う冗談ではないだろう。空気は読めないのだろうか。わざとだろうか。
「お久しぶりです、七野さん。早速で悪いんですが、零階までお願いします」
そんな男の発言を気にも止めずに、松山はただ木魚のように発した。
「隼翼か?」
「ええ」
「分かった、付いてこい」
七野というらしい彼は気軽に答えると、カウンターからこちらに出てきて、そして先程通った2枚のガラス扉の方に向かう。
「そっちは外ですよ?」
当然のように茜が疑問を持つ。我々は今、星ノ海学園の理事長なる人物に会いに来たわけで、それなのにどうして外に出るのだろうか。まさか、この金髪の学者みたいな人しか理事長の居場所を知らないとかで、わざわざここに来たのだろうか。茜の頭の中で、いくつも考えが巡った。
「良いから付いてこい、すぐ分かる」
茜は不思議に思いながら外に出る。そして、この研究所の敷地内である綺麗に揃えられた芝生を歩き、研究所の周囲を回った。初めは変に思った。ここには入り口は1つしかないように見えるし、あちら側に出口があるわけでもない。間もなくして、3人は研究所の背中の壁の前に到着した。
「......ここは?」
茜が口を開く。確かに目の前には、少しの光沢を持った白い壁しかない。後ろはフェンスを更に緑が覆い、左右は芝生の道になっていて、当然だがここに理事長がいるとはとても思えない。
「見てろ」
七野は言いながら前に出た。つまり、壁に近付いた。何をするつもりなのだろうかと思ったが、彼が壁に手を触れたと同時に、その手を起点にして壁を青い光の線のようなもの伝ったときには言葉を失った。壁が光っている、と言えば簡単だろう。10秒くらい音もなくそれが続き、間もなく壁の下部が奥に四角くめり込んでいった。未来の世界にでも来たのかと思っているうちにその壁は奥まで進んで停止し、茜はそこから階段が続いていることに気付いた。
「すげーだろ?」
軽く笑んで、七野は再び歩き始めた。その階段の奥へ。松山も操縦されたロボットのように何も言わず彼に続く。不審に思いながらも茜は進んだ。万が一何かあれば、能力で何とかなるだろう。
初めは暗く狭い道かと思ったら、途端にちょっと眩しいくらいの光が左右から照らし、その壁が研究所の中と同じようなメタリックなものであると分かった。
「どこに続いているんですか?」
茜は所々の扉を指紋やらパスワードやらで解錠している七野に話しかけたのだが、答えたのは地蔵の松山だった。
「零階です」
ゼロカイ。0階? と言うことは、地下1階という認識で良いのだろうか。地下1階。そんなものがこの研究所にはあるのか。
「一般には公開されていません。秘密裏の施設ですが、一応1階から4階までは零階を隠すためのフェイクです」
トンデモ事実を聞いてしまった気もするが、茜は驚くべきなのかもよく分からず、そもそも正しく彼の言葉を認識しているのかすら分からず、特に口を開くことはしなかった。ピピ、とまた1つの扉が開く。今度は虹彩認証だろうか。
「......随分とセキュリティが厳しいんですね」
「ま、それだけ隠すべきことがあるからな」
茜の中に、少しの好奇心が生まれた。つまりここは一般人には入れないような設計になっているのだろうか。よく見たら壁もえらく暑いし、少なくとも先程松山に聞いた『能力』に関係のある施設であることは間違いないだろう。
「この先に星ノ海学園の理事長さんがいるんですか?」
「そうだ」
「こんなところで、理事長さんは何をしているんですか?」
「......能力についての研究だな。まあ色々さ」
七野の言葉が少し意外だった。理事長という肩書きから察するに、やっぱり学校の理事とか何とかのちょっとお堅いことをなさっているのかと思っていたら、研究をしていると言うではないか。しかも、能力の研究。自分が能力者であるからこの男の言葉を疑ったりはしなかったが、どんな研究なのか気になるところではある。
「さ、着いたぞ」
最後の扉のパスワードを入力しながら、七野は一足早くそう告げた。言い終わる頃に最後のアルファベットを入力した辺りで、扉はガチャ、と鍵の開く気持ちの良い音を立てた。七野はそれをノブを握って前に押す。捻らずに押して開くようになっているのは、最後の砦だからだと容易に分かった。
部屋が奥まで広がっていた。研究所の本体に比べればあまり広いように感じない。研究員らしい研究員も数える程しかいないそこは、しかし見るからに立派な研究施設だった。医薬品のCMで見かけそうな、調剤とかが行われていそうな場所。白い光が白い壁の光沢をこれでもかと際立たせている。
「うわぁ......」
感嘆の声が漏れてしまうのも当然だった。茜は自分でも気付かないうちに1歩、2歩と前に進むと、辺りを見回した。
「凄いですね......」
まるでSFの世界だった。大きな研究所の地下に、こんな施設があるとは思いもよらなかったから。しかも一般人に秘密とは、どうやってこの場所で研究なんてしているのだろう。
「おい、隼翼はいるか?」
七野がこの部屋全体に行き届くぐらいの声でこの少ない研究員らに呼びかけた。隼翼とは理事長のことだろうか。先程も思ったが、茜はこの男が理事長を名前呼びにしているのが不思議だった。もしかしたら親しい仲なのかも知れない。
間もなく鳩みたいに無害そうな1人の研究員がどこかに行ったかと思うと、すぐに戻ってきて、そして少しの間があって男がやって来た。
白衣を着ているものだと思い込んでいたので、普通にちょっとお洒落な黒いシャツを着ているのを見たときには少し想定外でびっくりした。
見た目は普通の男性。40代くらいだろうか。いや、もっと若く見える。年齢不詳の彼は、一般的な黒がだいぶ薄くなった色の髪を眉にかかるくらいまで生やしていた。見るからに美形だ。俳優とかをやっていると言われたとしても余裕で信じてしまえる自信がある程。
「久しぶりだな、七野」
「おう」
2人とも、何だか楽しそうだった。たぶん、見たままの仲のよさなのだろう。久しぶり、と言うということは、果たしてどれだけぶりに再会したのだろうか。同じ建物にいるというのに今日ぐらいでないと顔を会わせることもないような関係なのか。
それとも、この施設自体がそういう場所なのだろうか。
「来るときは連絡入れろって言ってるだろ」
「ああ、悪い」
「で、どうしたんだ、今日は」
「ああ、それなんだが」
言って、七野は茜を振り向いた。ちょっと怖じ気づいたが、茜は挨拶をする。
「......初めまして、友利茜と言います」
恐る恐る言ったのが不思議だったのか、隼翼という男性は一瞬眉をひそめた。不審者でも見るような顔つきだ。が、すぐにそれを元に戻すと、今度は取っつきやすい優しい笑顔に直る。
「......初めまして、茜ちゃん。俺のことは気軽に隼翼って呼んでくれ。それで、七野が連れてきたってことは、君も能力者なのかな?」
いきなり単刀直入にそんなことを尋ねてきたので返答に困ったが、それを察したようで隼翼は「いや、怯えさせるつもりはないんだ」と胸の前で手振りした。
「大丈夫です。隼翼さんは信用できる人間ですから」
「え?」
松山がのっそりと出てきた。今の今まで存在を完全に忘れていたので、むしろそっちに驚いたのだが、その彼の言葉の意味が分からず気付けば聞き返していた。
「隼翼さんはもともと、僕らと同じ能力者でした。その能力は『
割合雑な説明だったが、茜は十分に理解した。少なくとも、今松山が何を伝えようとしたかは。しかし、鵜呑みにすべき事実であるかと言われれば、決してそんなはずはない。50%疑い混じりの目を隼翼なる男に向けた。
彼は軽く声を出して笑った。
「はは、そりゃ信じられないよな」
しかしそれに慣れているのか、彼はさほど落胆しているわけでもなく、怒っていなければ驚いたりもしていなかった。
「まあ、今のは冗談半分だと思ってくれて構わないよ」
隼翼は気さくにそう告げた。
茜には、1つだけ気になることがあった。それは、しかし茜自身もその正体に気付かないようなやや不自然、やや自然なもの。ただ1つヒントになるものとして、隼翼は杖をついていた。
「ああ、これか?」
七野がその茜の視線に気付いたようで、隼翼の柄つき針を拡大したような杖をひょいと取り上げた。
「おい七野、それ俺のライフラインなんだよ」
「いいだろ、ちょっとぐらい」
それで気付いた。何故なら、隼翼は取り上げられた瞬間、彼の顔ではなく胴体を振り向いたから。更に言うと、一見ピントが合っているようにも見えるが、その視線の向く方は皆目、見当違いだ。
──もしかして、目が見えていない──
「お二方、申し訳ないですがそろそろ......」
茜も十分察していると認識した松山は、わざわざ言わせまいという気持ちも働いて、2人に向けて声を発した。
「ああ、悪いね、松山くん。それで、今日はどうしてここに?」
やっとこさ本題に入ろうと、七野に杖を返された隼翼は自分の居場所を確認するように軽く地面を小突いた。
「友利さんのことなんですが......」
松山はそれまでのことをある程度話した。いつも通り生徒会活動として能力者を探知し、数多くの生徒の中から何とか茜を発見、能力者について説明したこと。
「そして......彼女のご友人が行方不明になっているという話を聞きました」
「行方不明?」
「ええ......友利さんのご友人は、ある日突然転校したそうです。最も仲の良かった友利さんすら、そのことを聞かされていなかった......ですよね?」
松山は確認の意思を含めて茜を振り返った。こくん、と茜は頷く。今の状況がちょっとだけ怖かった。認めたくないことを自ら認めてしまうようで。
「僕は、友利さんのご友人が科学者に連れ去られたと考えています」
至って単刀直入に松山は言った。茜は怖かった。こんな場所で能力者の研究をしているような、しかも一番全てを知り尽くしていそうな男性に話すということは、それだけ松山が彼を信頼しているという意味を持ち、同時にこの男性ならその答えを自ら導き出せるという確信すら持っているのではないか。それはつまるところ、この隼翼という男性の言葉は絶対であり、もし聞きたくないことを聞いてしまっても、もうねじ曲げられないことにすらなってしまうのではないか。
本気で怖くなり、しかしそれでも茜は、聞かずにはいられなかった。物事には順序がある。
「あの......琴羽はどこへ行ったんでしょうか?」
結論を急いでしまうのは、琴羽がいなくなった理由を知りたくないのと同時に、やっぱり知らずにいることも怖かったからだ。隼翼は優しい口調で彼女を宥める。
「まあそう焦らないで。それで、どうして茜ちゃんのお友達が科学者に連れ去られたと思ったんだい?」
真面目な口振りと、光が差さずとも確かな瞳で隼翼は松山の声の方に顔を向けた。真剣さが十二分に伝わってくる。
「......彼女のご友人......琴羽さんと言いましたか......が転校したあと、友利さんは先生方に琴羽さんの転校先を聞いたそうです。しかし、どの先生もそれを知らなかったとか」
隼翼は頷く。
「彼女は未来を知る力を持っていました......。それに......琴羽のお母さんが琴羽のことを忘れていたんです!」
必死さと不安さの混じった茜の言葉を聞くなり、隼翼と七野が動揺したように茜を向いた。仕方ない、そんな話を聞いて、当然だが落ち着いていられるはずはない。
「......それは......本当かい?」
信じられない、といった表情だ。七野の方は握りこぶしを作っている。それが茜を余計に追い詰めた。居ても立ってもいられず、茜は恐れるように再び隼翼を見上げた。
「琴羽は......無事なんですか」
何てことだ。こんなことがあっていいはずがない。隼翼は本気でそう思った。汗が嫌になる程流れる。恐らく目の前で焦ったような表情をしているのであろう茜の震える声が鼓膜を震わせるのが、隼翼すらも追い詰めた。
「......うん」
何とか自分を落ちつかせて、深呼吸をし、頷いた。
「俺のところに来てくれて良かった。松山くん、良い判断だったよ」
笑顔を作る。隼翼は知っている。最悪の事態はまだ免れているのだ。松山に視線をやった。
「後のことは全部任せてくれないかな。必ず琴羽さんは助けるから」
そして決して光のない視線をまっすぐと茜に向け返すと、そう約束したのだった。
「......本当ですか?」
「ああ、たぶん、琴羽さんは無事だよ」
「えっ?」
茜は半ば捨てかけていた希望をこうもあっさりと拾い上げられ、大した反応すら出来なかった。
「それって......」
茜は余りにも簡単に言い切ってしまう隼翼が意外で、頭が真っ白にすらなった。何故そう分かるのか。
「理由は分からないが、科学者は......しばらく能力者を連れ去ったあと、能力がなくなったら彼らを返すんだ」
「え......?」
意外にも疑問の声を先に漏らしたのは松山だった。そんな話は聞いていなかったからだ。
「俺たちにもよく分かっていないんだけど......何にせよ、万が一があるから琴羽さんは取り返さないといけない。手を尽くすよ」
隼翼は戸惑いながら、意志は固かった。
「......お願いします」
茜は深く頭を下げた。この人なら、任せてもきっと大丈夫だろう。そう思った。少なくとも、科学者のことを知った今、そう思わなければやっていけなかった。だから深く深く頭を下げ続けた。
「それと」
隼翼が再度口を開いたので、茜は頭を上げて彼に注目した。松山も茜に向けていた目を彼に移すと、眼鏡のずれを直した。
「茜ちゃんは、もう受験を控えているんだよね?」
「え?」
ひょんなことを聞かれ、思わず聞き返してしまった。
「え、ええ。私立受験は来週で、公立も1ヶ月後にあります」
まるで面接官の質問に答えるかのように茜はつらつらと事実を述べた。隼翼は顎に曲げた人差し指を当てて数秒考え、こんなことを口に出した。
「じゃあ、それを全部キャンセルして、
「......え」
言われたことを頭の中で整理した。自分が星ノ海学園に通う。そんなこと、考えたこともなかった。あれには当然、沙良みたいなずば抜けて頭の良い人間が行くものだと思っていた。高嶺の花であり、あまり意識したこともなかった。
「生徒会に茜ちゃんみたいな子がいたら、心強いと思うんだ。......ああ勿論、強制はしない。飽くまでこれは提案だよ」
笑顔でそう言う隼翼の言葉を飲み込み、しっかりと考える。星ノ海学園の生徒会。到底考えられないものだ。茜には本来、無縁なもの。
けれど、茜は知ってしまった。能力のことも、琴羽のことも。選択肢は自ずと決定されていった。
「......私......やります。琴羽みたいな人を1人でも助けたいです......!」
目など見えなくても、今茜が自分をまっすぐと貫くような瞳で見つめていることなど容易に分かった。だから隼翼は余計に辛くなった。
「ありがとう。手続きはこっちでしておくよ。......松山くんと仲良くしてやってくれ」
「......」
松山は、ただ黙っていた。このときは、まさかこの後4人ものメンバーが増えることになろうとは思っていなかった。
「これでいいか? じゃ、帰るぞ、松山と茜」
呼び捨てにされたことは敢えて言わないことにした。茜は松山の後ろを付いて行き、先程のロックが厳しい細い道に戻る。零階と呼ばれる部屋を最後にもう一度振り返ると、「お願いします」と隼翼に深く頭を下げた。懇願する気持ちだった。隼翼としても、少なからず胸が痛むものがあった。七野だって当然気付いていただろう。
扉が閉まった。
「......隼翼さんは、時間跳躍の能力を使って、日本を能力者が安全に暮らせる国にしました。そしてそれと引き換えに視力を失ったんです」
「え?」
帰り道、途中まで松山と帰る方向が同じだった茜はそんな事実をどう受け取って良いか分からずただ当惑した。
「嘘のように思えるかも知れませんが......全て真実です。そして彼は現在、能力の特効薬を作るために研究をしています」
「特効薬?」
「ええ、その能力は、11年前大気圏を掠めたシャーロット彗星がもたらしたもの。思春期の少年少女に訪れる病のようなものです」
それは茜の知らないことだった。が、大して驚きもしなかったのは、それ以上に色々なことが頭を巡っていたから。全てが全て、今日聞き今日知ったことだったから。
「......私に......できるでしょうか」
生徒会のことだ。まだ不安が募り、正直混乱していた。琴羽のことがひとまず落ち着いたと言え、しかし正体不明の組織に連れ去られていることは間違いないのだ。いつ何があるかは分かったものではない。
松山は立ち止まって、眼鏡を外した。こちらを見る。ひじきのように細い目だ。
「......大丈夫でしょう。僕でも1人で1年間やってこられたんですから」
不機嫌そうな顔だが、これで松山は茜を励ましているつもりなのだ。眼鏡をかけ直すと、再び歩き始めた。
この人は信頼できるかも知れない。茜はそう思った。彼の後ろを歩く。
1本の電話が入る。このタイミングで、彼自身の携帯に入った電話。隼翼はその電話の相手を、電話に出る前から理解していた。スマホを手に取りタップする。
「......もしもし」
『おい、隼翼』
「......何だよ、七野」
夜は11時を回った。隼翼は、七野がこんな確認の電話を寄越してくることなど最初から分かっていた。七野は間違いなく、茜のことにも気付いていたから。
『......あの女子......友利茜って、一希の子供だよな』
「......」
目に見えそうな程、深くため息をつく。仕方のないことだった。不運が重なってしまった。隼翼にはどうしようもないことだ。
「一希に顔向けできないな......」
独り言のように呟いた。
1ヶ月して、茜は星ノ海学園に入学した。入学の際に併設のマンションに移り住むことになり、母親はどちらかと言うと反対派だったが、父が何も言わずにそれを許可してくれたため、結局茜はマンションに引っ越すことになった。入学後すぐに生徒会に入った彼女はちょっとした噂になったが、しかしそれもすぐに収まってしまった。同じく星ノ海学園に入学した沙良とは別のクラスになり、未だ少し距離を置いていた。
そんなある日のこと。茜と松山は、自主的に進めている能力者の特徴に関する研究をしていた。まだ学園に入って1週間というところだが、能力者は既に3人現れていた。
そこにノックの音。
「はい」
松山が答えると、ゆっくりと扉が開き、女子生徒が姿を現した。
校内噂の少女。赤髪の少女は身1つで生徒会室に入ると、茜を驚かせた。
「......沙良」
岩下沙良がそこにいた。茜は沙良がここに来た驚きよりも、彼女と対峙することに対する気まずさを感じた。座っていた松山は立ち上がると卒業式のようにかくかくと動いて彼女に向かう。
「何か用でしょうか?」
沙良は真剣な瞳で彼を見つめ、言った。
「......あたしにも、能力者の保護を手伝わせてほしい」
それが2人をどれだけ驚かせただろうか。沙良はそのとき、『生徒会に入れてくれ』と言ったわけではなく、『能力者』という言葉を出した上でそれに参加することを求めたのだ。茜の口からは思わず驚愕の言葉が漏れた。
「どうしてそれを......」
「お前らがこそこそ何かしてるみたいだったからさ、昨日気になってあとを付けたんだよ。......そしたら、お前らが能力者と対峙してるのを見ちまった、ってわけだ。本当ごめん、勝手なことして......」
松山は鋭い目付きで敵を見るように沙良を睨んでいる。
「なあ茜、琴羽も能力者だったんだろ? だから科学者ってのに捕まった。違うか?」
「何で、科学者のことまで......」
一体、どこまで聞いていたのだろう。生徒会室は唯一防音になっていて、余程集中して聞き耳を立てなければ音1つ聴こえないはずだ。いくらなんでも耳が良すぎる。
「あたしも......あたしも同じ気持ちだ。琴羽が心配だし、同じ目に遭うやつを減らしたい。......こんなことしか言えないけどさ、頼む、生徒会に入れてくれ」
沙良は、また深く頭を下げた。その瞳からは真剣さが伝わってきた。松山は1歩彼女に歩み寄る。
「......能力者でない生徒を入れることは、原則として禁止されています。なので......」
「会長」
申し訳ありませんが、あなたを生徒会には入れられません。そう松山が言うのを止めるように、遮るように茜は彼の呼称を呟いた。
松山がこちらを振り向く。眼鏡を上げている。茜はそんな彼を逸脱なしの瞳で見つめ、瞬間、同じように頭を下げた。松山は驚く。
戸惑いもしていた。茜自身、まだ沙良への感情に整理がついていなかったのだ。あのとき、琴羽よりもバンドを重視して彼女を見捨てたと言えばそれは間違いではないし、それに関してはまだ思うところがあった。けれど。
「......私からも、お願いします」
「......茜」
沙良は頭を下げたまま茜に視線を向けた。あの日以来会話もしていない彼女が、今こうして自分のために頭を下げているのが意外だったのだろう。
後輩2人の直角お辞儀に挟まれてしまった松山は流石に行き詰まってしまい、圧倒されのけ反った後、ため息をついた。諦めのため息。
「......仕方ないですね、特別ですよ」
思わず2人、顔を上げた。
「......本当ですか?」
こんなのは久しぶりで、茜は不思議な感覚に陥っていた。他人のためにこんなに嬉しく思える。
「ええ」
「......松山さんだっけ、ありがとな......」
沙良は小さく笑む。
「ただし......分かっているとは思いますが、絶対に口外してはいけません。我々は末端故に一般人に最も近く、そして情報は漏れやすい。あなたに漏れてしまったように」
勿論、松山は最大限の注意を払っていたつもりだった。その上で漏れてしまったのは、完全に生徒会の落ち度である。会長である松山にその責任があり、今回は沙良であったから良かったものの、他の悪意ある人間であった場合どうなるか分かったものではない。改善しなければならないだろう。
この日が、生徒会員が3人になった日。この後立て続けに2人のメンバーが増えた。1人目は、余りに強力な能力を持つので危険が大きく、かつその能力は役に立つだろうという松山の判断から生徒会に入った。半分は保護が目的で、半ば無理矢理に星ノ海学園に転入してもらった。
『不死』能力の巧だ。
次に生徒会に入ったのは、『引き寄せ』能力を持っていた白柳雪。隼翼の研究施設に出資している白柳ホールディングスの社長の娘であることに気付いたのはすぐで、コネクション要員でもあった。彼女は茜たちと同じく星ノ海学園の生徒だったため、思いの外あっさりと承諾してくれた。割と周囲の環境に上手く対応できる部類の人間。巧が生徒会に加入した1週間後のことだった。
松山は、唐突に増えてしまった生徒会員たちに驚きつつ、初めは彼らと共に活動をしていた。が、あるとき彼の体力が尽きたことが原因で能力者を一度捕り逃したことがあり、以来メンバーも増えたため、会長だと言うのに能力発見と事務の担当係に回ることになってしまった。
一度、茜は生徒会に所属していることを父親に話したことがあった。父は何故かは分からないが、それにとても反対し、そんなことをしている暇があるならば勉強でもしなさい、と頑なだったため、茜はそんな父の意に反して秘密裏に生徒会活動を続けた。地方を巡ったり、何かと父の仕事は忙しいものなので、ばれやしないだろう、と高をくくっていた。
そんなこんなで続いた星ノ海学園生徒会は、あるとき転機を迎えることになる。
それは、雪が加入して1ヶ月程が経過した6月19日のことだった。
放課後、松山はまた能力者を発見した。そこまでは良かった。が、イレギュラーな事態が発生したのだ。それは、発生した能力者の能力に関して。
とある能力と似過ぎていたのだ。
松山は茜だけを生徒会室に呼び出した。
「どうしたんですか、会長」
呼び出された茜の方は、何故自分だけが生徒会室にいるのか疑問符だらけだった。松山が少し俯き加減なのも気になるところだ。彼はこう告げた。
「能力者を発見しました。能力は......『コピー』」
「コピー? って......」
茜にも思う節があった。それは、先日松山とした、本当にちょっとした会話の一部分。生徒会室に残っていた文書に関する会話だった。
「乗り移った対象の特殊能力をコピーする、という能力でした。『略奪』と似ている」
「......!」
「調べたところ、学園の生徒でした。名前は『音永夕輝』。1年5組の生徒ですね」
「音永......」
松山に渡されたのは、学校の全生徒の情報が1人ひとり丁寧に記録された端末。個人情報を保護するどこかの法律的にはアウトだが、星ノ海学園の生徒会では、生徒の保護のためにそれがなくてはならないのだ。現に強力な能力者が今、発見された。茜は次々に捲り、1年5組の音永夕輝なる生徒にたどり着いた。
顔写真と共に、住所から何から何までがはっきりと明記されている。
「茜さん、彼の家に向かっていただけるでしょうか」
松山の確認が入る。が、その回答など最初から決まっていたようなものだ。茜はレーザービームのように彼の顔に視線を集中させ答えた。
「はい」
音永夕輝なる能力者は電車で通学しているようで、彼の家まではまあまあな時間がかかった。ねずみ色の11階立てマンションは縦に長く伸び、真下から見るとそのまま天まで続いているのではないかと思う程だった。
エレベーターを昇り、6階で降りる。1階ごとに2部屋しかないこのマンションの手前、602号室の目前に到着すると、茜はちょっと緊張しながらやおらインターフォンを鳴らした。
ピンポーン、と軽快な音が鳴る。色に表せば黄色だろう。
太陽が背中を照らし、熱いくらいに暖めている。奥にある縦に長い扉は黒く、覗き窓は小さく茜を睨んでいた。そしてだんだんとその扉が開き、その少年は「はーい」と響く聞き心地の良い声を発しながら目の前に現れた。
身長は、173センチくらいだろうか。見てみると、少年の髪は一般的な黒色、と言っても他の男子とは違い彼の瞳と同じように淀みのない美しい色で、顔立ちもまあ悪くはない。一つの漫画の脇役キャラのような、少なくともそう形容しても誰も文句を言わないような、並以上主人公未満の顔は健康的な肌色。一方でどこか堅物そうな性格の伝わる表情。そしてその各々を、この家の雰囲気や当たり障りのない服装やちゃんとセットされた髪型が物語っている。きっと今頃、この制服少女が我が家に何の用だろう、とか疑問に思っているに違いない。
茜は微笑みながら彼を見上げる。
「初めまして、音永夕輝くんで間違いないですよね?」
2040年6月19日。それが、彼女が初めて彼に出会った日である。
「......と、ここまでが君に出会う前の私に起こった出来事です。何か役立つ情報はあったでしょうか?」
茜の父に、茜の目の前で死ぬ程恥ずかしいことを言い放った翌日。今朝から気まずくて茜とろくに顔を合わせられていない中、しかし茜の方は割と昨日の夕輝の消えたくなるような言葉で元気付けられたのか、以前のようにはきはきしていた。
今日も能力者が現れ、そして今は何とかそのやんちゃな能力者を取り押さえて説得した帰りだった。午後9時。現在、茜と2人で帰宅中なのは、何も解決せずに時間だけが過ぎた茜の友人・美田琴羽の問題について話し合うためである。隼翼なる男の仕事を待っているだけだった茜は不安を募らせ、沙良のこともあり、とうとう感情を爆発させてしまった。こんなことが繰り返されてはまずいし、夕輝としても美田琴羽という女子を放ってはおけなかった。何より、昨日茜の父・一希としてしまった約束を守るためにも、つまり茜を守るためにも、夕輝はまず琴羽のことを解決しようと思った。もしかしたら、沙良のことのヒントになることがあるかも知れなかったから。
「......まずは、その『隼翼さん』のところに行こう」
街灯が2人の影を伸ばす。
第十話は夕輝が生徒会に入る前のエピソード(茜視点)でした。続く十一話からは最終話まで一気に駆け抜けます。正月も気を抜かず書いていきたいと思っております。