Charlotte Bravely Again(st) 作:天然の未
7分割を統合しただけで内容は同じです。
既に読んだ方は続きからで支障ありません。
CBA第一話です!
サブタイトルは、『我自分を思う』。
原作の一話を思わせるタイトルですね。
さて、この作品を読む上で、注意があります。
2040年の乙坂有宇と奈緒は結婚しており、また僕の書く主人公の能力は、パロディでも何でもなく大真面目です。
まずはCBA第一話を、お楽しみ下さい。
『我思う、故に我あり』とは哲学者・デカルトの言葉だ。他人の存在を証明してみせることは出来ないが、自分だけは存在していると証明できる。それは自分が考えているからである。そしてその証明が通じるのも自分にだけ。実に的を射た、不変の真理である。
「昔の偉人は凄いこと考えるよなぁ......」
登校中の彼はそんな言葉をただ何の気なしに漏らした。
2039年8月、まだ中学3年生の彼は、そのときには既に自分を思い続けていた。自分とは何なのかを朝から晩まで追及する日々だった。何をもって自分なのか。自分は誰が確認するものなのか。他人から見ても自分は自分なのか。今ひとつ彼は、自分が何者であるかを認識できていなかった。
──しかし彼は知っていた。この世界の全ては相対評価で出来ていると。
例えば人間。性別、年齢、身長、体重などの彼らを取り巻くあらゆる相対的な要素によって、出来るスポーツや遊び、就くことの出来る仕事、職場を制限されたりする。学校で良い成績を取れば自分の選んだ高校や大学に進学することができるし、そうでなければ進む学校を制限されることだろう。
例えば数。「100は大きい数ですか」という質問にどう答えるだろう。人によってまちまちだが、正確に言えば「1よりは大きいだろうが、10000よりは小さい」と言えるだろう。
例えば東京都。彼の住む街、東京都は果たしてどんな街だろうか。その答えを出すのに東京都だけを見るのには限界がある。神奈川県と比較して人口は多い。愛知県と比較して面積は狭い。他の46道府県と比較して一番都会と......言えるのだろうか。少なくとも、そう考える人間が大多数であり、殆どの心の広い人間はそう答えるだろう。やはりいつでも嘘をつかないのは相対評価だ。
だから彼は自分をより詳しく知るため、他人を見てみようと思った。今になって考えてみれば、彼のその心理は「彼」のものと見事に一致していたと思われる。
そしてそれが彼がその能力を呼び起こしてしまったのかも知れない。しかも偶然だろうか、能力すら「彼」のものに、あまりにも酷似していたのだった。
とは言え思春期の多感な時期であるから少しこういうことを考えるだけで、彼は至って普通の中学生であった。
その彼は今、中学の教室にいる。髪型の落ち着いた身長165センチ程の彼の友人が、彼の名を少し皆より高い声で呼ぶ。
「
それは、休み時間のなんでもない会話の一行目。授業が終わりある生徒は先生に質問をしに行き、ある生徒は同じグループの友達と話し始める中、その友人が始めたのは最近第三期が始まった、原作ラノベがバカ売れしてアニメ化したとかいう異世界転生系アニメの昨晩の内容が面白かっただのなんだのという話だった。しかしながら
だからこそその能力を初めて使ったときには、純粋にとても驚いた。ただ自分を知るために他人を深く知ろうと思っただけだった。それがまさかその『他人』に自分がなろうとは、思いもよらなかったのである。どういうことかと言うと、しかしこれは非常に説明しづらい。今まで何となく凝視していた人間が「ここ」にいる。自分はというと、後ろでばたりと地面と完全に重なるように倒れていた。滑稽な状況である。......つまるところ夕輝は、他人に乗り移っていたのだ。
それから夕輝はその能力を色々と試してみた。まず使い方。その能力は乗り移りたい相手を見て、少し念じるだけで発動した。念じる、と言うと齟齬がある気がする。この感覚は多分乗り移りが出来る人間にしか分からない独特のものだと思う。そして今も目の前でアニメについて語る友人に乗り移ろうとすれば、いとも容易くそれが出来るのである。ついでに言うとこの能力を使っている間夕輝の本体は魂の抜けたような、脱け殻のような状態になり気付いたら怪我をしている、ということもしばしばあった。デメリットも大きいが夕輝は、この能力を何かに使えないかと考えてみたりもした。
しかし、僅か『1秒』しか乗り移れない能力では嫌いな人間に乗り移ってまた別の嫌いな人間を殴ったりして気晴らしをすることも、女の子の体に乗り移って下着を見ることも、テストでカンニングすることも出来なかった。彼は能力発現後一週間にして、能力を使うことを止めた。
まして音永夕輝という人間に限って、カンニングをする必要など一切なかった。カンニングなどしなくとも、常に成績は学年でもトップクラスだったからである。少なくともクラスの中には、彼より勉強の出来る人間はいなかったと思う。だから彼がこの辺りでは一番の学力を誇る私立高校『星ノ海学園』を志望しても、疑問に思う人間はどこにもいなかった。妬む人間は多少いたかも知れないが。
そんな彼らの期待に何の気なしに夕輝は応えた。彼は疑いようのない確かな学力を有していたのだった。流石に首席合格とはいかないが、それでもこの辺りきっての進学校に入学したのはかなりのことだった。他人にその名を言えば間違いなく『凄い』か『自慢か』のどちらかで返されるような学校だったのだ。
しかし星ノ海学園入学してもなお、彼の人生は自分探しの旅に成り立っていた。彼にはまだ自分が見えていなかった。それは初めて能力を使って10ヶ月が経った2040年6月になっても、変わらぬことだった。
しかし人生、転機が訪れる瞬間とは案外分からないものである。夕輝の場合今日がそれだった。2040年6月19日。それが、彼が初めて彼女に出会った日である。
学校から帰ってしばらく経った。部活に入っていない夕輝は妹よりも一足先に帰宅を遂げると、ソファに寝転がってテレビを見た。頑張れば子供は三人入るか入らないか程度の大きさでクリーム色が何ヵ所か剥げているソファは、母が生きていた頃から使っている愛用だ。ソファから1メートル程の正面に大画面の薄いテレビが立ち、女子アナウンサーがニュースを報道する声が画面越しに聞こえる。横を見れば妹が作った焼き魚がラップされてそのままの、儚く香ばしい良い匂いがする。テレビの上の壁に設置された片開き式の小さな収納庫には普段はいない父の好きな本がいくつも並んでおり、しかしそれを読む人はいなかった。
『──が地球に接近してから早12年。その実態に迫ります』
ボーッとテレビを眺めていた。最近のニュース番組はどうでもいい特集ばかりで視聴率を稼ごうとしているのであまり見る気になれない。だがやることもないので夕輝は流れるニュースを、魂のない人形のようにただ眺めていた。最早テレビの画面もアナウンサーの声も目に、そして耳にこそ届くが情報として脳に届いてこない。勉強でもしよう。夕輝はそう考えた。勉強が好きなわけじゃないし、正直めんどくさい。でも、勉強をすれば「自分」を見つけられると昔、大人に教わったのだ。よっこらせ、と重たい腰を上げて、夕輝は細長く狭いキッチンに向かうと奥に入り冷蔵庫を開いて結露した保冷ボトルの麦茶を取り出し、キッチン入り口付近の若干重たい引き出しを手前に引き、コップを取り出して右手のボトルからコップに麦茶を注いだ。とくとく、と規則的な音をたてていく、青のコップ。妹の好きなスライムのキャラクターがデザインされているそのコップは、次第に冷たくなっていく。注ぎ終わり夕輝はボトルを置き、口元へ運ぶと中身を一気に喉へ流し込んだ。冷えた感覚が喉から全身へ伝播していくと共に、冷たいものを一気に飲み込むと現れるあのキーンとする刺激が脳に走った。確か正式名称は『アイスクリーム頭痛』。その頭痛に少しだけ麻痺しながらも、ともかく勉強をしようと玄関から一番近い部屋に向かった。夕輝の部屋である。そしてすべての始まりはそのドアノブに手をかけた、その瞬間だった。
音がした。といっても、普段からよく聞いている音。よくある家の、チャイムの音だ。軽快に弾むその音の鳴るところは、目の前。すたすたと歩いて、鍵を時計回りに回しドアノブを持って下に捻ると、扉を開いた。
「はーい」
太陽が微妙に眩しい。11階建てマンションの6階、奥にある縦に長い柵から日の光がちらつく。そして逆光で隠されながら、その少女は目の前にいた。
身長は155センチくらいだろうか。見てみると、少女の髪は薄いクリーム色、と言っても家のソファの色より何倍も綺麗で淀みのない美しい色で、顔立ちもかなり整っている。一つの漫画のメインヒロインのような、少なくともそう形容しても誰も文句を言わないような可愛らしい顔立ちには碧の眼。一方で真面目そうな性格の伝わる立ち姿。そしてその各々を青空や、街の風景や、日の光が修飾している。そんな制服少女が我が家に何の用だろう。純粋に疑問に思った夕輝。
「初めまして、音永夕輝くんで間違いないですよね?」
声もその容姿に似合った、透き通ったものだった。
「え、はい」
一体夕輝に何の用なんだろう。
「私、同じ高校で今度同じマンションに引っ越してもらいます、
と丁寧に彼女は言った。若干能動態と受動態を使い分けられていないのが気になったが、そんなことにいちいち口を出しはしない。夕輝は取り敢えず、
「ああ、よろしく」
と軽めに答えておいた。夕輝としては本当にただ、ああ、マンションにこの美少女が越してくるんだなあ、とその程度の気持ちでいたのだ。だから我が家に引っ越し屋が来たときにはそれはもう驚いた。それに比べ、妹の
「じゃあ、お願いします」
にこり、とおじさんたちに微笑みかける春。身長は153センチで、今年から中学3年生になる彼女はその翠眼と淡い橙髪が印象的な少女だ。
「おい春、何だこれ?」
「見ての通り引っ越しだけど......兄ちゃん、目、悪くなった?」
当然のように春は、夕輝の質問にそんな解答をした。
「俺たち、引っ越すのか?」
「うん、話聞いてない?」
そんな話一言も聞いていない。というか、聞いていたところで快く「はい、分かました」なんて答えるはずがない。......いや、待てよ。そういえば昨日......
「昨日可愛い声のお姉さんから電話がかかってきて、兄ちゃんの学校の隣のマンションに引っ越せって」
やっぱりそうだ。星ノ海学園の隣には確かに何人住んでいるのか分からない程大きなマンションがあったのだ。いや、いやいや待て待て。
「で、お前は何て答えたんだ?」
焦った表情で夕輝は春に聞いた。我が妹が二つ返事でそんな馬鹿げたことを了承するような馬鹿だとは思ってないぞ......しかし何と言うか、焦りも虚しく予想通りの返事が返ってきた。
「『はい』って」
「......そうか。うん」
やはりだ。というか案の定だ。これはまずいぞ。引っ越しというと膨大な金がかかる。今のマンションのご近所さんにも迷惑をかけるし、というかそもそも春よ。
「お前、学校はどうするんだ?」
そう、夕輝は毎日星ノ海学園には電車で一時間近くかけて通学している。そしてその学園の隣のマンションに住むということは、夕輝としては通学が大分楽になってありがたいといえばそうだが、逆に言えば春は今は近所の中学に、これからは一時間近くかけて登校しなければならなくなるということでもある。
「昨日のお姉さんが星ノ海学園中等部に転入しろ、って」
「......そうか。うん」
ますますまずい。あの学校に入るとなると入学金もかなりかかる。俺だって金のせいで、受けるかどうか迷った時期もあったくらいだ。それだけじゃない。春は勉強は出来る方なので周りに置いていかれるとかはないだろうが、今までの学校の友達はいいのだろうか。いや待て待て。もしかしたらこれは、身に覚えのない引っ越しをさせて金を巻き上げる新手の詐欺かも知れない。しまった。そんなものにうちの妹はまんまと引っ掛かってしまったのか。詐欺師恐るべし。
「ちなみに、引っ越しも入学金も学校持ちで生活費もある程度、いや結構出してくれるんだって」
「......え!?」
一瞬春が何を言ったか分からず反応が遅れた。引っ越しと入学の金をあちら持ちで、生活費も出る? しかも結構? いやいや、そんな美味しい話があるか。ますます怪しい。世の中はそんな上手くは出来ていないのだ。春よ、やられてしまったな。
「一週間前ぐらいに、お父さんにも許可を取ったってお姉さんが」
「うん、春。兄ちゃんの話を聞いてくれ。これは、新手の詐欺でな......」
と言おうとしたそのとき、夕輝の大腿がぶるぶると小刻みに震えた。彼のスマホが着信を伝えているのである。夕輝はその電話に出た。
「はいもしもし、音永です......って父さん? ......うん......ああ、聞いたけど......えっ!?」
大きな声を出してしまったせいで昨日夕輝が座っていた色の剥げたソファを運ぶ二人のおじさんと春に、こちらを凝視されてしまった。
「うん......分かった、はい、はーい」
画面をタップして、ため息と共に電源を切る。
「父さんもか......。我が家はこれからどうなってしまうんだ......!」
『事態は深刻だ......!』という感じで言ってみた。もうこうなったら仕方ない。明日まではされるがままにされて、明日学校に行ったら先生に訴えてやろう。一体誰が学園のお偉いさんになりすまして悪さをしているのか、暴いてやる。夕輝はそう決意した。そう、これはこれから始まる、1人の少年と詐欺師たちの闘いの物語である──。
なんてことには当然ならず、学校側に聞いてみても結果は同じだった。これはもしかすると......
「本当に、ただ引っ越しするだけなのか......」
奇しくも大正解だった。余りにも唐突に、余りにも不本意な形で幸せのニューライフが始まってしまった。悔しいが、これは詐欺でも何でもないようだ。しかもあろうことか、キッチンが広い。リビングが広い。トイレと風呂が別々についている。テレビが壁にくっついた最新のいいやつ。何だこの至福の空間。非常に悔しいが、なんだかめちゃくちゃ心が踊る。今日は調子が良いぞ。6月は21日、夕輝は最高の気分で学校に歩き出した。
で、クラス替えというのは1年に1度というのが普通ではなかっただろうか。その常識はもう古いのだろうか。いや、にしても何故俺『だけ』。悪意しか感じない。あまりに突然の出来事だったので、夕輝の頭はまだ状況を正確に理解できていなかった。何故か6月の今になって夕輝は1年5組から1組に移動することになった。やっとクラスメイトの名前を大体把握した頃だったというのに。引っ越しといい今回のことといい、この学園には訳の分からないことが多すぎる。謎が深まるばかりだ。......そう、これは1人の少年が、この学園の秘密ららを解き明かしていく、迷宮学園ストーリーである──。
ということも、特になかった。新しい教室で受けた授業はあっという間に終わり、夕輝は青色にラメの入ったファスナー式のちょっと格好いい筆箱や、赤や薄い茶色のノートや、明朝体で「現代国語」と書かれた、どこか風情のあるデザインの緑色の教科書を通学用のバッグに詰めて、帰る支度をしていた。と、突如そのバッグの黒が、極夜のように濃くなった。何かの影だとすぐに分かった夕輝は、はっと目線とを上げる。するとそこにはあの碧眼の少女がいた。
「こんにちは」
少女はこちらに話しかけてきた。やはり鼓膜好みの良い声だ。
「えっと......友利だっけ? どうした?」
突然の彼女の登場に少し戸惑いつつも、夕輝はそう尋ねた。彼女は、
「君に話すことがあります。付いてきて下さい」と、突拍子もなく夕輝に言い放った。
「......ん? どこに?」
「生徒会室です」
むむ、急に厳かなワードが飛び出してきた。一体俺はこれから何をされるのだろうか。拷問でも受けるのだろうか。そんな風に色々考えていると、
「早くして下さい。会長たちも待っているので」
と彼女が急かしてきた。会長。生徒会長のことだろうか。俺は何をしでかしたのだろうか。......というか、彼女がこう言うということは、彼女も生徒会の一員なのだろうか。まあ考えても仕方ない、観念して一先ずこの少女について行こう。そう思った夕輝は、バッグのファスナーを左右両側から挟むようにその頂点で閉じると、椅子を後ろへ引き、立ち上がった。
「分かった、取り敢えず行くよ。早く帰りたいから早めに済ませてくれ」
消極的な姿勢を見せた夕輝に少女は少し不満そうな顔をして、ふい、とあちらを向いて歩いていってしまった。正直嫌だったが行くと言ってしまった以上は行くしかないので、夕輝は彼女に付いて行った。
歩きながら夕輝は彼女に話しかけた。
「なあ、話って何だ?」
少女はこちらも見ずに言う。
「後で話します。いいから今は付いて来て下さい」
思っていたより素っ気なく返されてしまった。もう少し話してみようと、夕輝は続ける。
「えっと......何で俺は急に引っ越しをさせられたんだ?」
それに対して彼女は、
「それもちゃんと会長があっちで話しますから、取り敢えず来て下さい」
と答えたのであった。まあそう言うなら、と夕輝は言われた通り黙って付いていくことにした。ここで話せないということは、秘密の話なのか、若しくは長い話なのだろうか。いずれにせよ面倒なことみたいだ。
そんなことを考えながら歩いていくと、「生徒会室」と書かれた札が、恐らくその「生徒会室」と廊下を隔てる天井に近い窓の枠からひょいと顔を出していた。ここか。
「到着しました、生徒会室です」
生徒会室なんて初めて来た。夕輝はこの人生で、よもや自分が生徒会などというものと関わるとは思っていなかった。そんなものは、自分が目立ちたいだけの人間か、とにかく優越感に浸りたいだけの人間か、悪意なんていうものを知らない馬鹿だけが積極的に関わるものだと思っていたからだ。
「入りましょう」
学校の部屋としては珍しい両開きの厚い扉。随分近付き難い雰囲気だ。前にちらっと見た校長室の扉より何倍もしっかり、がっちりしている。その扉の右側を、彼女はぐっと押す。そして一足先に入った彼女に続いて、夕輝もゆっくりとその中へと進んだ。未だかつて足を踏み入れることのなかった、未知の領域へ──。
「うわあ......!」
思わずそんな声を漏らしてしまった。夕輝の目にまず入ったのが、一番奥に位置する窓。窓と言っても、普通の教室の窓とは格が違う。空に接する方の壁1つ分を全て、その窓が占めていた。そしてそれは、格子状に交差する骨組みによって上下に2分割、左右にそれぞれ6分割、合計で12分割にされている。手前を見ると木製の机が、しかし木製と言えど驚くべき光沢を持っており、鏡のように室内全てを映していた。向かって右側には何やら資料の積まれた段ボールやらが置いてあり、そしてその奥にまるで図書室の1つの棚のように本がずらりと並んでいた。左の壁には古い日本地図、それに何かのメモがまばらに貼ってある黒板、右奥にある、螺旋階段も魅力的だった。そして、こちらから例の机を支点に対象の位置にある校長だか社長だかの座っていそうなデスクで、眼鏡で細身の、薄茶の坊っちゃん刈りが手を組んでいた。更にその手前の左右それぞれに青髪の少年と薄い黒髪の少女、右側にある二人分の椅子の奥側に赤髪の少女がいた。
「ようこそ、生徒会へ」
薄茶の眼鏡が喋った。低くてぼそっと根暗そうな声。
「僕が生徒会長、2年の松山です」
そう言うと彼は続けて、掌を開いてそれぞれ指し示しながら他のメンバーの紹介を始める。
「長髪の彼女が
「ちょ、先輩、馬鹿そうは余計だろ!」
と、会長にあたるらしい松山にツッコミを入れる男はスタイリッシュな髪型の青髪青眼。見た目は......男前ではあるが、確かに馬鹿っぽい。身長は夕輝より2センチ高いくらいだろうか。
「雪も何とか言ってくれよ!」
「まあまあ、深山くん」
どうやら本気で怒っているようだ。やはり馬鹿なのか。そしてその彼をなだめるのは、優しそうな、気の弱そうな長髪少女。身長157センチ程の彼女は白柳雪と言っただろうか。紫色の瞳が特徴的な落ち着いた面立ちは、彼女が清楚な大和撫子であることを物語っている。
「ま、確かに深山は馬鹿だからな」
と、椅子に座ったまま巧を見て嘲笑的に罵る少女。松山の紹介によると彼女も同じ1年生らしいが、そこにはそうとは思えない大人っぽさと170センチくらいの高い身長があり、しかし一方で、その発言にはどこか子供っぽさも感じられた。巧のものとは質の違う水色の瞳は、彼女が少なくとも純日本人ではないことを示している。
「で、音永だっけ? 話は聞いてるよ、これからよろしくな」
この短い会話でも分かるような姉御肌の少女は、そう夕輝に語りかけた。声は大人びたもので美しく、その程度は筆舌に尽くし難い。
「いや、待ってくれ。俺が話を聞いていない」
夕輝は冷静に切り返した。こんな訳の分からないところにいきなり連れて来られて、一体何だと言うのだろう。
「まあ焦らないで下さい、今から話しますから」
会長の松山はそう言うと組んでいた手をほどき、その厳かな椅子から立ち上がってメモの貼ってある黒板へ向かった。そしてその1つを指し示すと彼は話し始めた。
「約12年前......2028年のこの時期、地球にとある彗星が急接近しました。......ご存知、シャーロット彗星です」
それは、メモと言うよりは、一枚の画像。紫色に煌めいた、どこか情緒的な、彗星の画像。確かに知っている。幼い頃、まだ小学校に入る前だろうか、母と、1つ年下の妹と一緒にわざわざ遠くの山まで観に行ったっけ。かすかに記憶がある。いや、そんなことは今関係ない。シャーロット彗星? 何故今ここで唐突に、そんな彗星の話をし始めるのだろうか。
「なあ、俺は引っ越しの理由とかそういうのを聞きたかったんだが......お前ら天文部か何かか?」
「いいえ、至極真っ当な生徒会です。いいから話を聞いて下さい」
まるで、そう言われるのを予期していたかのような返答だ。松山は続ける。
「そのシャーロット彗星の、周期はご存知ですか?」
周期。知ってるっちゃ知ってる。
「もともと75年だったのが、何故か25年で地球に接近したんだろ?」
「その通り、話が早くて助かります。巧くんのときより格段に早く済みそうです」
「なっ」
不意打ちのディスりは巧にダメージを与えた。
「で、その彗星がどうしたんだ?」
夕輝は松山が2年の先輩だと知っていたが、どうも敬語を使う気になれないのは彼がチビだからだろうか。座っていてもそれはよく分かる。
「──宇宙に存在するあらゆる彗星は、イオンなどの微細な粒子や塵を振り撒きながら移動しています。そしてシャーロット彗星もまた、その彗星の1つです」
頭が痛くなりそうな話が始まった。どうやらここは生徒会という名目で天文学を研究している集団のようだ。
「しかしながら、シャーロット彗星だけは他の彗星とは違い、特殊な粒子を振り撒いているんです」
他の彗星と違う。やっぱり至極真っ当な天文部で間違いなさそうだ。
「シャーロット彗星の振り撒く特殊な粒子を、彗星に関する研究の第一人者である堤内氏は、シャーロット彗星の頭文字を取って『C粒子』と名付けました」
なんだか授業を受けているような感じだ。せめて座らせてくれてもいいじゃないかとは思う。と、唐突に、松山が夕輝に近付いた。目の前まで来ると、
「そしてそのC粒子には、とある、驚くべき力があるんです」
松山は少し声を大きくして、しかし冷静さは失わない喋り方だ。
「驚くべき力......?」
その言葉を漏らした瞬間、今、彼の話に少しだけ、純粋に興味を持ってしまった自分に夕輝は気づいた。いや、どうせなんでもないような話だろう、と自分を取り繕っていると、松山はまた移動していた。彼の手元には地球儀と、小さな丸い球。地球儀は置いたまま、球の方だけを遠くから地球儀に近付けるように動かして、話を続ける。
「彗星は12年前、大気圏を掠め、大量のC粒子が地球に振り撒かれました」
と言いながら球を地球儀すれすれに近付け、そして楕円を描くように遠ざけて行く松山。
「C粒子は、まだ謎の多い未知の粒子です。しかし、分かっていることもあります」
松山はその球を置くと、少しためて言った。
「......まず、粒子は現存する物理法則では説明のつかない振る舞いをします。具体的には、まるで意思でもあるかのように思春期の少年少女に近づくことなどです」
うん、間違いなく生徒会ではない。来る部屋を間違えた。科学部なのかも知れないそれとも物理部だろうか。そんな風に思いつつ、少しだけ興味を持ってしまったのも事実ではあったので、夕輝は参考程度に話を聞いてみようと考え、黙って耳を傾け続けた。
「ここからが肝心です」
松山は、一層深刻そうな雰囲気で夕輝を見た。何を話すのだろうか。
「粒子たちは思春期の少年少女に近付くと、彼らの脳内に潜り込んで、彼らから特殊な力を引き出してしまいます」
「特殊な力......? それは......つまり?」
「火を吹くとか、透明人間になるとかです」
「......は?」
一瞬、彼の口から発された言葉を脳内で情報として変換するという、何でもない作業が遅れた。
「だから、粒子が脳内に潜り込むと火を吹いたり、透明人間になったりすることが出来るようになるんですよ」
そして夕輝は、もう一度その言葉を聞くと、今度はきちんと理解し、そして思った。前言撤回。こいつらは天文部でも物理部でもない。ただの頭のおかしい連中だった。
「......そうかそうか、分かった、ありがとう。もう何も喋らなくていい。俺は校長にでも話を聞いてくるとするよ、じゃあな」
そう言い残して、その生徒会室(仮)を出ようとした、その瞬間。
「例えば、そうですね......。他人に乗り移る、とか」
扉の横で壁にもたれ掛かっていた碧眼の少女が、そう言った。
「だから......」
夕輝は確かに、「そんなことあり得るはずがないだろう」と言おうとしたのだ。しかし、確かに何かを思い出してもいた。
「待てよ......?」
心当たりがあった。
夕輝には、心当たりが『あってしまった』。
そうだ、中学3年のあの頃、夕輝は......人に乗り移ったことがあったのだ。
ばっ、と声の方を向くと、友利茜はすたすたとこちらに近付き、そして夕輝の手のひらに触れた。
「......何だ?」
彼女の急な行動に、夕輝が戸惑ったその瞬間。
「......へっ?」
驚きのあまり、思わず素っ頓狂な声が出た。......いや......違う。声が出た、『はずだった』。声が出ていない。いや、声を出したのは確かだ。『自分の出したはずの声が、自分に聞こえない』。待て待て、落ち着け。そもそも何故驚いたのだろうか。そうだ、『目が見えない』。目は開いているはずなのに。いや、どうなんだろう。目は開いているのだろうか。目を開いている感覚がない。何も感じない。見えない、聞こえない。体の外の空気に、温度を感じない。いやいや、体があるのかすら。
「......五感を遮断して立っていられるとは、君、中々やりますね」
ふと、声が聞こえた。それは、友利茜のものだった。目の前に彼女が『いる』。確かに『いる』のだ。
「彼女の能力は『遮断』。対象に入るあらゆる情報を約10秒間、シャットアウトする能力です」
横から松山の声が聞こえた。見ると、先程の大きな机に椅子を引いて腰掛けていた。
「分かっていただけたでしょうか? これが、特殊能力です」
松山は、眼鏡のずれを、親指と人差し指を使って直した。
「あ、ああ......」
夕輝は戸惑いながらも、しかし目の前で起きたことを、認めざるを得なかった。
「......確かに、中学3年の頃、他人に乗り移る能力を意識して使ったことがある。......けど、それと、生徒会と、俺が引っ越したのと、何の関係があるんだ?」
素朴な疑問。夕輝は正直目の前のことを理解するのがやっとで、その先のことなんて何も考えられなかった。
「ここからは、私が話します」
夕輝は、そう発した隣の少女に目を向けた。
「茜さん、一応僕の仕事なんで......」
「特殊能力は思春期にだけ訪れ、思春期が過ぎると同時に消えます」
松山は、苦笑いしながら茜に声をかける。恐らく松山としては、生徒会長の務めをしっかりと果たしたいのであろう。彼女は松山など気にも留めずに説明を続ける。
「一見夢のような力です。例えば空気を振動させる能力を持つ少年は、その力を使ってギターの音色を変え、アーティストとして人々を魅了していきました」
確かに夢のような力である。さっきの『遮断』能力だって、使い様によっては色々な面で活躍するかも知れない。
「しかし、その能力を悪用しようとする悪い大人もいます。それが、私たちが『科学者』と呼んでいる人間です」
少女は一層鋭い目付きで、何かに対する敵対心を露に説明を進めていく。
「今話した『振動』の少年は、2003年の周期の際に能力を得ました」
その言葉はなんだか、時間的な面で具体性を持っているせいで変に現実味を帯びている。勿論、現実だからなのだろうが。しかし。
「そして能力を公に使用した彼はまもなく、科学者たちに捕まり、実験対象......モルモットにされました」
今度の言葉は逆に、まるでぴんと来なかった。科学者に捕まる。モルモットにされる。少々現実離れし過ぎではないか。
「......その人はどうなったんだ? 細胞を採られたり、身体検査とかをされたりしたのか?」
夕輝はそう聞いてみた。が、予想とは反して彼女が返したのはこんな台詞だった。
「それも勿論あったでしょうが、主な実験は脳波の計測です」
なるほど、確かに脳内に潜り込んだ粒子が原因なら、脳を調べるのが1番手っ取り早いのかも知れない。
そんなことを考えている夕輝に、彼女はこんな問いを投げかけた。
「その際、少年は脳に高い電圧をかけられました。......彼はどうなったと思います?」
急にそう聞かれたので、夕輝は少し考えてからこう答えた。
「え......そうだな、毎日そんな実験を受けて、精神的に病んでしまった、とか?」
彼女は、呆けた顔で
「なるほど......。あながち、間違ってはいませんね」
と言った。その後、しかし彼女はその鋭い目で真実を再び語り始める。
「彼は大脳のほとんどの機能を失い、物事を思考することができなくなりました」
「え......?」
突発的な恐怖が、夕輝を本能的に襲った。ぞわりと神経の一つひとつが身震いをしているのが手に取るように分かる。
「彼は起きているときも寝ているときも、常に理性のない獣のように唸り声を上げ続け、目の前にあるものを破壊し続け、鎮静剤で押さえるしかない状態にまでなってしまいました。......彼はそれで、作曲をしているつもりだったんです」
「......?」
そんな衝撃的なことを言われても言葉が出なかったのは、ただただショックだったからだ。
「科学者というのは、そういう恐ろしい存在なんです」
こんな話は、すぐに鵜呑みにしていいものではない。そうであって、いいはずがない。騙されているだけかも知れない。頭の中では分かっている。分かっているはず、なのに......
どうして、こんなにも説得力があるのだろうか。
「我が校併設のマンションは、そんな科学者たちから能力者を守るための施設であり、あなたに、そしてあなたの妹の春さんに引っ越しをして頂いたのは、そういう理由です」
唖然とした。
「妹のことも知っているのか......。全く、プライバシーも何もありゃしないな」
「あなたのことは、色々調べさせて頂きましたから......。この生徒会では、そういうことが許されるんです。能力者の、安全のためですから」
話を聞く限り、彼女の話す内容は、にわかには信じられないようなことだらけだった。法なんていうものに縛られない世界もあるんだな、と夕輝は思った。
「ま、そういうことさ」
夕輝の後ろの方から、親しみが十二分に練り込まれたような、楽観的な声が聞こえてきた。その、爽やかにも感じられる声の持ち主は、先程酷い罵倒を受けていた、青眼の少年だ。
「俺たちは、そういう......グループなんだ」
雑だった。
「ああ、音永、そいつの言うことは無視してくれていい。深山は、ほとんど内容がないことしか言わないやつなんだ」
「なっ!」
この芯のある澄んだ声の少女は、イメージ通りと言うか、見た目のままと言うか、平然とした顔で少年巧を罵る。そして、それをあの清楚系長髪少女の白柳雪が宥める。その一連の流れが出来ていた。これだけ見ていれば十分に、これが普段通りの雰囲気である、ということが分かる。
眼鏡の松山が咳払いをした。
「話を戻しましょう。茜さん、問題ありませんよね?」
「ええ」
こくり、と少女は頷いた。どうやら、あとはこの生徒会長が全て話してくれるようだ。
「僕たち生徒会の目的は、先程も申し上げたように、科学者たちから能力者を保護することです。そして日本には、まだまだ野放しになっている能力者が大勢います」
眼鏡の奥に、細くも真剣な眼差しがちらちらと覗いている。
「星ノ海学園生徒会は、そういった能力者を発見し、科学者たちに実験台に見つけられる前に未然に保護する......。そういう存在なのです」
分かると言えば分かるし、分からないと言えば、分からない。何より、この学校にそんな秘密があるとは思ってもみなかったのだ。ただの、頭が良いだけの私立高校だと思っていたし、そもそも生徒会がそれを担うのも不思議だった。しかしながら、特殊能力などという、科学では説明のつかないような超常現象と比べてしまえば、割りとどうでも良いことだった。
「......趣旨は、理解した。俺が引っ越しをさせられた理由も、お前ら生徒会がやっていることも、なんとか理解できた」
「おいおい、マジかよ......。お前、ひょっとして頭良いのか?」
幽霊のように後ろから出てきた彼は、呆気にとられたようにそう言った。
「......少なくとも、お前よりは頭の良い自信があるな」
「なっ!」
反応が、先程、あの赤髪の少女によって罵られたときと同じであるのも、彼が馬鹿であることを物語っていた。
「まあまあ、深山くん、怒らないで下さい」
「まだ怒ってねえー!」
中々、腹から声が出ている。応援団にでも入っているのだろうか。それとも、毎日こんなやり取りをしているのだろうか。宥めに入った白柳雪に、適切にツッコミを入れている。空気が読めているのか、素なのか。
「......お楽しみのところ悪いんですが、まだ話の途中です」
クリーム色の髪をくるくるといじくりながら、彼女は透き通った声で言う。
「ああ、あとグダグダだ」
びしっ、と右手の親指を上に立ててキメ顔をしているのは、岩下沙良。口角の上がったその隙間から見える歯は、キラーン、と音を鳴らしている。
これは、何かの芸なんだろうか。何とか倶楽部とか、何とかブラザーズとか、何とかトリオみたいな類いのものなのだろうか。
「楽しんでねーし、グダグダになってんのもお前らがいちいちつっこむからだろうが!」
深山巧の猛反発。
「つっこんでるのはそっちだろうよ。それとも何だ? あたしにケンカでも売るつもりか? この世界的大スター・岩下沙良様にぃ?」
岩下沙良も譲らない。
「まあまあ二人とも、落ち着いて」
そして宥める白柳雪。
そろそろこの流れに飽きが来ていた夕輝は、赤髪少女が発した意味深な言葉にも注意が回らなかった。それより、早くあの二人のどちらかがこのグダグダを止めてくれるのを待ち望んだ。
「さ、三人とも、一旦冷静になりましょう。巧くんも沙良も、そんなにむきにならないで下さい」
発したのは友利茜。彼女は脱線しすぎたこの話に収集をつけるため、ため息を吐いた後、この中に割って入ったのだ。どうやら、気持ちは夕輝のそれと同じものなのだろう。
「あ、ああ、ごめんな、茜」
発したのは、赤髪の彼女。
「私はもともと冷静です......」
少し腑に落ちない、といったニュアンスを含んだ白柳の表情。胸の前で両手を握り、まさに、雪のように白い肌の中の紫色が友利茜を、少し不満そうに見ていた。
「......では、本題に入ります」
松山のその独特の声が、各々の鼓膜に届いた。すぐに全員の注意は彼に向く。
「本題? さっきのが本題じゃないのか?」
夕輝は考えるともなしに、そう聞いた。もともと気になっていたことが一通り解決した夕輝は、それで全て終わったものだとばかり考えていたのだ。松山は、一定のトーンを保ちながら答える。
「はい。そもそも、よっぽどのことがない限り、特殊能力がシャーロット彗星の再来に関係していることなど、能力者にも伝えません」
「え? ......じゃあ、どうしたって俺にそんなことを?」
松山は、その真面目な口調に少し息を含ませて、夕輝にまっすぐとこう言った。
「......音永夕輝くん」
夕輝はもう、彼が重要なことを言おうとしていることに気付いた。そしてその夕輝の直感は、見事に的中した。
「あなたに......生徒会に入って頂きたく思います」
「......え?」
唐突の台詞に、一瞬戸惑う。そして夕輝は、それを今やっと飲み込んだ。
「俺が、生徒会に......?」
飲み込んだ、とは言え、完全に理解したかと言えばそうではなかった。余りにも唐突過ぎるし、自分が生徒会にスカウトされるような理由も、特に見当たらなかったからだ。
「はい、我々星ノ海学園生徒会は、あなたの力を必要としています」
夕輝はまだ、混乱の中にいた。
「待てよ、俺の力を必要としてる? もしかしてお前たちが勘違いしているなら言うが、俺の他人に乗り移る能力は、乗り移った相手の体を好きなだけ操れるような便利な能力じゃない。ただの、1秒の間しか乗り移れないだけの能力だ」
松山が、打てば響けと言い返す。
「いいえ、勘違いしているのはあなたの方です」
その松山の視線からは、相手を支配するような迫力すら感じられた。
「あなたの能力は、ただの、1秒の間しか乗り移れないだけの能力ではありません」
「え?」
「やはり、気付いていませんでしたか......。その能力は、使い方次第では恐ろしい厄災にもなりかねない......そういった類いのものなのです」
突然に松山がそんなことを言うので、夕輝はまだ彼の言いたい本質のこれっぽっちも理解できていなかった。それも、当然と言えば当然である。
「つまり......何が言いたい? 俺のこの能力が、他人に1秒乗り移るだけの能力じゃないなら、一体どんな能力だって言うんだ」
その問いをかけられた松山は、眼鏡のずれを再び親指と人差し指を使って直すと、夕輝に向かって、驚くべき真実を告げた。
「あなたの真の能力、それは、特殊能力の『コピー』です」
「......? コピー?」
ぽかん、としながらも、夕輝は内容に追い付けてはいた。恐らく夕輝は、松山がこれから言うのであろう言葉の、8割は理解できていた。しかも、ある程度すんなりと。頭では理解しているのだ。それでも、やはり、信じられなかった。今までの途方もない話に比べたら、分かりやすいものであるのに、信じやすいことであるのに。
「あなたは特殊能力をコピーする能力を有していて、その手段が乗り移りである......。言ってしまえばそれまでです」
しかし夕輝は、何故自分がこんなにも、彼の説明を受け付けないのかも理解していた。今、説明されている事実が、自分のことで、しかも当事者である自分に身に覚えのないことだったからだ。それを理解していたからこそ、信じられはせずとも、嘘ではないとも思えた。どちらか、と聞かれれば、どちらでもある。
「まともには信じられないが......要は、俺の能力は能力者に乗り移ることでその能力を使えるようになる力、っていうことでいいか?」
夕輝の呑み込みの速さに、少し驚いたような表情を、松山は見せた。
「......その通りです。この短い説明でそこまで理解して頂けたなら、こちらとしても手間が省けてありがたい限りですね」
「じゃあさ、この能力......試してみてもいいか?」
夕輝は、特にこれと言った感情もなくそう言った。強いて言うなら、現実を受け入れてみようと考えたのだ。
「え? ......ええ、まあ良いですが......。じゃあ、雪さん、お願いできますか?」
松山はあの、率先して仲介役を買って出る少女に目を向けた。
「あ、はい。大丈夫です」
気の弱い女子と、普通の女子の中間のような声を出す、白柳雪。松山は再び夕輝を見て、手のひらで彼女を差した。
「彼女の能力は、物質の『引き寄せ』。但し、生物には使えません」
彼がそう言うと、差された当人は本棚にあった一冊の赤い本を見て、そして軽く力を込めた。すると、その分厚い本は彼女が用意していた手のひらを目掛けて空中を翔んできた。
「うおっ!」
ぱしっ、と辞典をキャッチすると、彼女はにこり、と柔らかく微笑んだ。
「では音永くん、早速試してみましょう」
「あ、ああ......」
目の前で起こった超常現象よりも、それに対して全くの一人も動じていないことの方が夕輝に違和感を与えた。彼らはこういうものを何度も見てきたんだな、と思った。
松山の言う通りに、夕輝は久々の感覚であの少女に乗り移ってみた。ふわりと全身が浮いて物凄い速度で別の体と一体化する、あの感覚。
1秒が経ち、夕輝が彼自身の体に戻ると、誰かの胸が目の前にあった。
「ん......?」
不思議に思い、上を見上げる。すると、何かくすぐったいような、青いものが夕輝のおでこに触れた。よく見ると、それは、彼の髪の毛だった。
「おはよう、夕輝!」
深山巧だ。
「おはよう、って、たった1秒だぞ」
「そうだったな、あっはっは」
彼は相変わらずの能天気を発揮した。そんなことは良いとして、まだ検証しなければならないことがある。早速夕輝は深山巧に持たれ掛かっていた体を起こすと、白柳雪の持っていた本に向かって手をかざした。
「ほっ」
思い切り、力を込める。すると、その本は夕輝の手のひらを目掛けて......翔んでは来なかった。
「えっと......コツがいるんです。本を引き寄せようとするんじゃなくて、本を自分がキャッチしに行くようなイメージで......」
能力者本人の助言ほど、役に立つものもないだろう。もう一度試した夕輝の手の中には、分厚い本があった。
「できたな......」
できた。できてしまった。ということはつまり、やはり松山の説明は虚偽でも何でもなかった、ということになる。
「あなたの能力は、他人の能力を使うことができる非常に便利なものです。但し、別の能力者に乗り移ってしまえば、その能力がコピーされる代わりにもとの能力は消えます。つまり、今の状態のあなたが別の能力者に乗り移ってしまえば、あなたは引き寄せ能力を失う、ということになります」
「......なるほどな、上手く出来てる」
それにしても。夕輝にはひとつ、気になることがあった。
「にしたって、そんなこと......俺の能力のことを、何でお前たちはそんなに詳しく......俺の知らない部分まで知っているんだ?」
「それはですね」
口を開いたのは、松山ではなくさっきの美しい声の少女。
「あの、茜さん? そこ僕が言うんで......」
「会長の特殊能力です。彼の能力は、『能力者の発見』。能力者が能力を発現したおよそ10ヶ月後に、その能力者を発見し、そして能力についての詳細を知ることができる能力です。あなたを見つけたのも、そして野放しになっている能力者たちを見つけるのことも、彼の能力によって賄われています。そうですよね、会長?」
ことごとく松山の仕事を奪う彼女はそう言って、ちら、とその松山の方を振り向いた。
「ええ、まあそうですが......」
少し不服そうに松山は視線に応えた。
それから、目の前の少女がこちらをじっと見る。何を言おうとしているかは分かった。先程の言葉も加味すれば、そんなことは簡単に分かり得た。
「音永夕輝くん、私たち生徒会には、君の力が必要です。入って頂けませんか?」
この台詞を言うのも恐らくは会長である松山の仕事なのだろうが、友利茜は気にしない。
「......」
「星ノ海学園の生徒会に入っていただけないでしょうか?」
正直のところ、夕輝はまだ少し困惑していた。当たり前だが、今日生徒会に来たときには、こんなことを言われるとは到底思っていなかったのだ。
しかしながら──。何となく、この後の展開も夕輝には予想できてしまった。
「......嫌だと言ったら?」
「......拒否権はありません。生徒会長の命令は絶対です」
聞けば聞く程、無茶苦茶な話だ。今の日本ではそんな絶対王政は許されないであろうに、ここではそんなこともあり得てしまうようだ。
「そりゃ......仕方ない」
別に、よくある話だ。珍しいことではない。勿論、その内容を除いて、だが。
拒否権はない、とまで言われてしまえば、夕輝はもう認めざるを得ないとまで思ってしまった。
「じゃあ......まあ、いいよ」
それは、夕輝にとってはごく自然な、ごく当たり前の答えだったのかも知れない。普通ならためらうところなのだろうが、そこには夕輝の降参の意味もあった。
「......へ? 今、何て......?」
巧が驚いたような表情で夕輝を見ていた。素っ頓狂な声。要は、時間が必要だったのだ。まさか、ここにいる誰もが、そんな簡単に夕輝が了承するとは思っていなかったからである。こんな反応をされると夕輝もちょっと戸惑う。そんなにおかしなことを言っただろうか。
「だから、この生徒会に入ってやる、って言ったんだ。何か不満か?」
一同唖然としていた。それもそうだろう。言葉にしたのは巧だけだが、驚いたのは全員。神妙というか、しん、と静かな空気がそこには漂っていた。
「断ったところで無駄なんだろ? 俺はもう本来なら知り得ない秘密を知ってしまったわけだし」
察しの良すぎる夕輝に驚いていた一同。それから実に5秒ぐらいのことだろうか。ふー、と大きくため息を吐いて、ようやく松山が発する。
「では、音永くん、よろしくお願い致します」
それが合図となり、始めはきょとんとしていたメンバー全員が、やっと思考をまとめられてきたようで、理解に追い付いた脳が、確かに夕輝が生徒会に入ることを了解したということを認識した。
口に出したのは巧。
「よっしゃ! じゃあ早速、今日からよろしくな、夕輝!」
「......ああ」
「おい深山、あんまり音永に馴れ馴れしくすんなよ? また嫌われるぞ」
「『また』って何だよ! 俺がいつどこで誰に嫌われたって言うんだよ!」
「まあまあ......」
そして同時に生徒会に入るということは、この一連の流れにも慣れる必要がある、ということになりそうだ。はあ、と吐いたため息には、そういうバリエーションの感情が含まれていた。
「あと、友利? お前も......よろしくな」
夕輝に話しかけられたことに気付いた少女は、きょとん、という表情でこちらを見た。
「え、ええ。よろしくお願いします。......それから、私のことは是非名字ではなく名前で呼んでください」
彼女はそう言った。理由は分からないが、名字はお気に召さないのだろうか。
にしても、若干1名の馬鹿が賑やかだ。賑やかを通り越して、うるさい程である。そんな巧をよそに確認する。
「ああ、分かった。茜、って呼べば良いんだな?」
「はい、よろしくお願いします、音永くん。......いや、君は音永というイメージがないので、夕輝くんでいいでしょうか」
「え? ああ、何とでも」
「よろしくお願いします、夕輝くん」
俺と彼女は、何でもない、平凡な挨拶を交わした。
それが、彼女──友利茜との出会いだった。
夕日が窓から、眩しい程に差し込む。
家に帰ると、妹の春がとんとん、と軽快で規則的な音をたてていた。それは、ロックが異様に厳しい玄関の扉を開け、家の中に入ったときだった。こんがりと香ばしいような、そんな匂いが漂う。絞られたレモンのほんのりと酸っぱい匂いが、唾液腺をくすぐる。顔が少しすぼもうとしているのが分かった。靴を脱いできちんと揃えると、まだ初々しい自分の部屋に入り、革の通学用バッグを置くと、すぐに洗面台で手を洗い、うがいも怠らず、広いキッチンに出た。
「あ、兄ちゃん、お帰り」
春の声は、中学3年生らしい、大人と子供の混ざったようなものだ。
「ああ、ただいま」
大きなテーブルの、3つある椅子のうちのひとつに腰掛けると、ふう、と疲れを吐き出した。
「兄ちゃん、今日は遅かったね」
「ああ、ちょっと色々あってな」
「そ」
兄と妹の不思議な距離で、会話をした。春とは昔からこんな感じで、これがいつも通りだった。仲が特別良いわけでもなく、かといって悪いわけでもなかった。両親が家にいないと、嫌でもそうなるものなのだろうか。
しばらくして、夕輝が机の奥にあるテレビに向けていた視線が、遮られた。かた、と音をたてて少し錆びた色の薬缶が目の前に置かれたからだった。
「ほら、兄ちゃんも、テレビばっか見てないで手伝って」
ほいほい、と適当に返事をし、夕輝は春が作ってくれた夕食の皿を、一つ一つ運んだ。
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせて、二人で夕食たちに感謝を込めた。そこに広がっていたのは。
「なあ、春。これは?」
「え? ......見ての通り、ご飯とお味噌汁と、サラダと鮭とスライまるだよ?」
普段通りの、一風変わった会話。
「ああ、知ってるな。そのスライまるは、何から出来ているんだ?」
それは、不思議な食物だった。青い、ぷるぷるのゼラチンのようなものが、透明なまま表面に皿を映している。
「食後のデザート。ブルーハワイ味のスライまるだよ?」
「すまんが、俺はブルーハワイ味のスライまるとは遭遇したことがなくてだな......」
「ただのゼリー。毒なんて入れてないから安心して」
また、これだ。春は毎日の食事に、魚類とスライまるをほとんど欠かさない。『スライまる』というのは、以前、夕輝の友人が熱く語っていた異世界転生系ラノベのキャラクターで、スライムだ。春の好きなキャラクターであり、朝晩ともに食卓に並ぶ。......にしても、世界中のどこを探しても、毎日スライムを食べる文化を持つ民族は見つからないのではないか。それに、正直魚類だけではなく肉類も出してほしい。
「何? 妹が寝る間も惜しんで研究したスライまるスイーツはご不満?」
「いやいやいやいや、そうじゃないんだが......」
「だが、何?」
「......」
夕輝は、この妹にはめっぽう弱い。それは、甘いとかそういう意味ではなく、夫婦喧嘩で必ず夫が負ける、というそういう系統のものだった。
「何でもありません」
そもそも、料理を作ってもらっているのだから、贅沢を言ってはいけない。スライまるのゼリーも、食べてみればとても美味しかった。強いて言うなら、夕輝はブルーハワイ味というものを、食べる前も食べた後も、決して理解するに至らなかった、ということだ。ラムネっぽいというか、柑橘系っぽいというか、しかしこれ、と形容できるに適した言葉も見つからず、結局は理解を諦めた。いや、形容できないからこそ、『ブルーハワイ』なのかも知れない。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
二人は食器を諸々片付け、そしてそれからは各々の世界に入り込んだ。
就寝時間になり、夕輝は自分の部屋の布団に潜り込む。何だか眠れない。食事中は忘れていたが、風呂に入っていたときも、今も、今日の不思議な出来事が考え事の大部分を占めていた。こんなことは、初めて能力を使った日以来のことで、そんな自分も少し不思議だった。
あのおかしな生徒会に入る。決めた理由は、単に断る理由がなかったから、というだけではないだろう、と今思った。
この出会いが、自分を変えてくれるのではないか。
この出会いで、自分が何者であるのか、知ることができるのではないか。
そんな風に、考えたのかもしれない。
そう、直感したのだ。
大きなあくびが出た。
やっと少し眠くなった脳で、夕輝は考えていた。
もうほとんど考えることを止めた脳で、夕輝は思っていた。
俺って、何だ?
俺がいる、意味って何だ?
いつか分かる日が来るのだろうか。
睡魔が覆い被さった。
第一話を読んでくださった皆様、ありがとうございます。主人公の能力が、「コピー」と、まるで原作をパクったような設定になりましたが、第二話もこの調子でどんどん書いていきたいと思っております。
タイトルである、
「Charlotte Bravely Again(st)」。
どう読めば正解なのでしょうか。
自分でもよくわかっておりません。
そんな不甲斐ない天然の未ですが、今後ともよろしくお願いいたします。