Charlotte Bravely Again(st) 作:天然の未
本日、Charlotteの再放送がとうとう最終回を迎えてしまいました。
ので、21時更新の原則を無理矢理ねじ曲げ、再放送の終わる00時30分に更新致しました。
再放送で初めてCharlotteを知り、涙した方。疑問を残した方。
まずは浸って下さい。Keyの醍醐味です。
ちなみに天然の未はKeyの醍醐味とか言いつつニコニコの生放送でやっていたCLANNADは観ていません。
あれを今観てしまったら、当時よりも涙腺が脆くなった僕は小説の執筆に手をつけられなくなるのではと考えたためでした。
さて、前書きはこの辺りで。
今回、物語は再び大きく動きます。
あ、今回コミカライズのネタバレ含むのでご注意下さい!
「能力は......特殊能力の『略奪』」
その言葉から、夕輝の夢は始まった。
その場に夕輝はおらず、けれど知っている場所だった。
星ノ海学園の生徒会室。
けれど心なしか全てのものが新しく、あの螺旋階段も格段に綺麗になっていた。
始めは、これが何なのか分からない。
けれど、夢を見ているうちにだんだんと、これが何なのかを理解し始めた。
「だって、あなたは私の命の恩人ですから」
「釣れたっ!」
「1人の対象者から視認されない。それ以外の人間には普通に視認できます」
「あゆと有宇お兄ちゃんは、星ノ海学園の高等部と中等部に、特待生として転入するって聞きましたー!」
「一度捕まったら人生おしまい。......あたしの兄のことなんですけどね」
「能力者を守るために、ある人物が今のシステムを作り出した」
「監視カメラには、ただの喧嘩としか映らない」
「作曲です。これで兄は、ギターを弾いているつもりなんです」
「言葉を選んでみてはどうですか」
「長期彗星なのですー!」
「『口寄せ』。......もう1つ。『発火』」
「マシュマロが、焼きたての焼きマシュマロになってるー!」
「じゃあな。ずっとありがとな。最高に......楽しかったぜ!」
「『念動力』」
「カンニング魔の乙坂有宇くん♪」
「『空中浮遊』」
「ZHIENDの音楽は凄く凄く広大で、ひたすら孤独なんです。それは作曲もこなすボーカルが、両目の光を失っているからだと思うんです」
「能力は......『崩壊』」
「助けて! 『お兄ちゃん』!」
「返したくても......もう、返せないじゃないか......!」
「病人扱いするなぁ!」
「ずっとです」
「「はい、出来ました」」
「くそっ......甘くて不味いのに......何だよこれ......っ!」
「その子は強姦犯との間に生まれた子です」
「最後にゃ、引き換えに視力を渡して、ジエンドさ」
「もし、そんな時が訪れた日にゃ......上手くやれよな」
「ナ......オ......」
「Trigger!」
「『略奪』という最強の能力!」
「皆のために......世界を変える!」
「では、長い長い俺の
「行っけえぇぇぇっ!」
「シャーロット彗星は75年の周期で地球に接近する。......そのとき、未知なる粒子が地球に降り注ぐことになる」
「
「隼翼......やっぱ、プウってあだ名......嘘だったんだろ......」
「では約束。帰ってくること」
「ここらがセンスの良い引き際だぜ」
「僕は約束したんだ......世界中の能力を全て奪い取り、あいつのもとに戻るって......。......あいつって、誰だっけ」
「僕が神! 全てこの僕が決める!」
「だがそれは蛮勇......死んでいたところだぞ」
「あたしはですね......あなたの恋人です」
「乙坂有宇くん......お帰りなさい」
「これからは、楽しいことだらけの人生にしていきましょう!」
「恋人同士は、下の名前で呼び合うものだと思うんです」
──どうして彗星の速度が変わっているんだ......!──
「......っ」
とても長く、そして余りに短かった夢は最後、隼翼の言葉によって終わりを迎えた。
目を開く。知らない天井だった。
「ここは......」
呟いて、視界の端に2人の人間が映ったのが何となく分かった。起きたばかりの不明瞭な状態だったが、彼女らが慌てた様子で声をかけてきたおかげで、2人が誰なのか分かった。
「兄ちゃん......? 兄ちゃん、分かる?」
「夕輝くん......よかった......」
2人は春と茜だった。妹の春は覗き込んでいた顔をくるりと後ろに向けるとたったと走り、皆に兄が起きたことを伝えに行った。
「......」
今、夕輝の脳内の集中の殆どはそんなことよりも見た夢の内容に向けられていた。だから例えば、今自分がどこにいるかなど考え始めてコンマ1秒で考えるのをやめたし、こちらが相似世界である可能性など忘れていた。
──それぐらい、衝撃的な夢だったのだ。
まずは内容を大まかに噛み砕いていく。あれは前周期の『略奪』能力者である乙坂有宇の記憶だと理解した。ただし、どちらかと言えば映画を見ているような、小説で言えば三人称視点であり乙坂有宇の視点からというわけではなかった。だから、言ってみればあれは乙坂有宇を取り巻くストーリーなのだろう。たまに時系列がばらばらにもなっていたが、彼が能力者として発見されてから全世界の能力を奪い取るまでの一部始終を、夕輝は嫌に鮮明な夢として見た。
そして、夢として見てみてなお、あれが夢だったのだとは思えなかった。
全てが鮮明に思い出され、映像もはっきりしていた。だからこそ夕輝は思い出したのだ。
夢に出てきた乙坂有宇と友利奈緒。夕輝は彼らを実際にこの目で見たことがある。夕輝がスライまるを創り出し、彗星の落下を止めた日の翌日。
彼らは──未来の両親ではないか。
そしてそれが本当だとしたら、一家揃って過酷すぎる、と思った。
そして何よりも──。
「夕輝! 大丈夫か!?」
「音永くん!」
声のした方に、布団に寝そべったまま顔を傾ける。
「......皆」
巧、雪、マツリ、怜と彼らを呼びに行った春だった。
「ここは......?」
と尋ねようとしたところで、今更ながら白いかけ布団からはみ出した右手に温かな感触があることを認識する。
見てみると、茜が夕輝の手を握っていたのだと分かる。目を閉じて、夕輝の温もりを確かめるように強く強く、夕輝の手を握っていた。
何かに恐怖しているようにも見えた。
「......茜」
まるで、倒れた恋人が意識を取り戻したときのような。
ゆっくりと体を起こし、再び右の方に目をやると、巧たちが駆け寄ってきたと言うことが分かった。そしてここがどこであるのかもすぐに理解する。
「......病室」
夕輝の脳裏に母の記憶がフラッシュバックする。あのときも、こんな風な病室に母は入院していた。
入院?
「なあ、何で俺は......」
と言おうとしたところで思い出した。
「そうだ、俺は確か......」
夕輝は、自分の中に『略奪』の能力が宿っていることに気付いてしまった。だからその力で怜の『崩壊』能力を奪おうとして──。
乗り移るより前に、意識を失った。そしてそれは、世界の入れ替わりが起こった最初の日のものによく似ていた。
「夕輝お前、急に倒れたんだよ。それですぐにここまで運ばれて......」
「......そうか」
巧の言葉によって、こちらが相似世界ではないとはすぐに分かった。またも入れ替わりは起こらず、夕輝は病室で目覚めた。
「お医者さんは、軽い貧血じゃないかって。お父さんもすぐ向かう、ってさ」
「......父さんも......そうか」
沢山の情報を一気に伝えられても、夕輝はあまり驚きはしなかった。もっと膨大なデータが夢の中にあったから。
間もなく医者がやって来て、気分とか色々を聞かれた後、ちょっとした血圧の検査なんかをして、夕輝は結局小一時間程度で病室をあとにした。あの夢のことはよく分からない。
最後に目にしたのは病院の石銘板。白柳第三病院、と刻まれていた。その名で思い出すのは、白柳弓という名の彼女のことだ。夢に出てきた彼女は、たぶん雪の母親なんだと思う。そう考えると辻褄が合う。
「......なあ、雪」
「何ですか?」
「お母さんのことは好きか?」
「え?」
学園からそう遠くない病院だったので、皆で歩いて帰っていたのだが、唐突にそんな話題を振られて雪は困っていた。
「えっと......勿論、好きです。けど、きっとそれだけじゃないと思います」
どことなく恥ずかしそうに雪は言う。
「実の親をただ好きでいられる人なんてたぶんいないんじゃないかな......。親しい人には、それなりに嫌いな部分もあると思うんです」
「......うん」
普段なら滅多に話さないことを、雪が話している。夕輝はそれだけで新鮮だったが、あの夢を見た後ではまた違う感想を持った。
あのどこまでも真っ直ぐな、けれどどこか気弱な、まるで雪みたいな少女を見て。
茜は以前、どこかで言っていた。雪の能力発症の原因は、彼女の母にあるんだと。雪は忙しい母の気を引きたくて、『引き寄せ』の能力を発現してしまった。
けれど、今の雪を見ていると、それらも乗り越えてしまっているように思えた。
これは完全に夕輝の妄想だが、以前の雪には居場所がなかったのではないだろうか。そんな中で母も多忙を極め、誰かの気を引きたかった。
そして今は違う。今、彼女には生徒会という居場所ができた。勿論、クラスであったりもするかも知れない。
ただ、もし本当ならそれはとても良いことだと思う。あんな夢を見た後だから余計にそう思える。
「何の話してたんだ?」
雪と2人で皆の後ろを歩いていると、巧が振り返って尋ねてきた。素朴な疑問、といった顔だ。
「まあ、ちょっとした世間話だよ」
「何だよそれ、気になるじゃねえか」
「相変わらずめんどくさいな、お前」
「あぁ!? めんどくさいとは何だ、めんどくさいとは!」
「まあまあ、深山くん」
このやり取りは久しぶりかも知れない。
夕輝は巧と雪との会話をそこそこに、春と怜の相手をしている茜とマツリのもとに向かう。
「あ、兄ちゃん。調子どう?」
「まあ......悪くはない」
「そっか......なら良かった」
春は少し後ろめたそうな顔をして俯く。きっと、彼女にも思うところがあったのだろう。
あの場で春だけが、夕輝が数日前からあまり元気がなかったということを知っていた。もっと早く気付くべきだったとか、そんなことを考えているのかも知れない。
しばらくそうしていた春は、やがて拳を高く上げる。
「よーし! 今日から兄ちゃんが貧血で倒れないように、貧血に良い料理を作るぞー!」
そんな風に気張っているのを見ると、彼女なりに気を遣ってくれているのかも知れないなと思う。
「あ、それなら俺も手伝うぜ」
意外にも、少し後ろを雪と歩いていた巧がそう発言した。
「......巧ってそういうの詳しいのか?」
「ああ、まあな。忘れてるかもしんねえけど、母さんが歩けなかったときはずっと、俺が料理作ってたんだぜ?」
そう言えばそうだった。巧はこんな馬鹿だが、以前は1人で家事をこなしていたのだ。
「あ、じゃあ今度一緒に料理しましょう、巧さん!」
「おうよ!」
拳を作って腕をがしっと立てるポーズを決める。どんな料理にする、とか話ながら、間もなく春は後ろの巧の方に寄っていった。何の流れなのかは知らないが、春に続いて怜、そしてマツリも後ろに移動し、前後の人数差は逆転した。
隣には茜、ただ1人。
「......心配かけたな」
「......本当ですよ......」
思ったより即答されたので、夕輝は隣の背の低い茜を見てみる。
表情は窺えないが、心なしかちょっと怒っているように見えた。ちょっと寂しそうにも見えた。
茜の声が震える。
「......凄く......怖かったんですから......」
「......!」
夕輝は自分がどれだけ眠っていたのかを知らない。あの鮮烈な夢はやけにスピーディーに進んだし、体は思ったよりすっきりしていた。
けれど、空はもう暗い。真っ暗だ。
茜は、ずっとああして手を握っていてくれたのだろうか。
「......不安にさせたな......ごめん」
「......」
左を歩いていた茜が、夕輝の左手を握る。
「......茜」
「もう嫌です......二度とあんな思いしたくありません」
「......」
まだ声を震わせている茜にどう声をかけるべきなのか、夕輝は考える。考えて、口にした。
「......もう茜に怖い思いはさせないよ......約束する」
ぎゅっ、と強く。握った手を握り返す。
「......!」
茜の頬がみるみる紅潮する。唇が小刻みに震えている。
巧の一言を思い出す。
──キスとかしたのか?──
「......」
付き合い始めて2ヶ月とちょっと。まだ早い。それは夕輝の中での正常な感覚だった。
けれど、例えば巧の言うキスとかをするならば、それはこういう場面なのだろうか。
巧の言う。
──巧?
夕輝ははっとして、後ろを振り返る。もうむしろ、振り返らなければよかったと後で後悔した。
そこには夕輝たちにそれぞれ別々の反応を示している人間が5人。
口元を手で押さえ赤くなっている雪。満足そうににやけて夕輝をじろじろ見ているのが巧。
怜は下を向いてもじもじしており、春は笑いをこらえるみたいに顔を手で覆ってぷるぷるしている。そこにマツリの氷よりも冷たい目線が突き刺さる。
「──!」
やってしまった。これは後で各方面からさんざん弄られるやつである。目の前でカップルが手を繋いでいるというのに口出しをしてこない辺りには優しさを感じるが、何にせよ夕輝はこの握ってしまった手をどうするべきか考え、茜を見やる。
彼女は頬を赤くさせたまま震えつつも、握る手は決して離さない。
降参だ。
弄るなら弄ってくれ、と吹っ切れることにする。茜は今、それを承知でそれでも夕輝と手を繋ぎたがっているのだろう。
今更ながら、凄く不安にさせたのだと実感する。
今ぐらい良いじゃないか、と夕輝は思う。
考えるのは後。何故か倒れてしまった理由も、あんな夢を見た理由も、今考えなければならないわけではない。
茜のことが何より大事なのだから。
「お赤飯炊かなくっちゃ」
春の小さな声が聴こえた気がした。無視。
背の高い男性は夕輝の家で味噌汁を啜っていた。ゆっくりと、じっくりと味わうように。それから春の焼いた渾身のシシャモを口に含む。
もくもく、と咀嚼して、一言。
「......美味い」
「......ほんと? 良かったぁ」
春は嬉しそうに微笑む。
「春はこんなに料理が上手くなったんだな......母さんの味を思い出すよ」
父は感慨深げに頷く。
「......うん」
春は下を向く。照れ隠しのような、そんな感じ。
結局父は病院には間に合わず、夕輝たちとは家で合流した。かなり動転した様子で夕輝のもとに駆け寄ってきたときは流石に驚いたが、こうして3人で食卓を囲んでいると落ち着くものがあった。
夕輝は春の隣に座り、春と父が向かい合っている。仕事から抜け出して急いでこちらにやって来たのだろう、父の髪は乱れており、服も会社に行く格好そのままだった。
父は半分ほどご飯を食べたところで、決心したように真面目な様相になって、こんな話を始めた。
「......春、夕輝」
「......ん、何?」
「父さんな......こっちに住もうと思う」
「......え?」
突然の意思表明に固まる夕輝と春。食事中で特にそれらしい会話もなく急だったので、その言葉は大いに2人を驚かせた。
「......こっちって、こっち?」
春が目を豆鉄砲を食らった鳩みたいに開く。
「こっちだ。って言っても、2人が嫌なら、このマンションに一緒に住まなくてもいい。その場合は近くの賃貸でも探すことにするよ」
「え、でも......どうして急に」
春は疑問を率直にぶつける。夕輝の気持ちをほぼ代弁してくれていると言っていい。父は少し間を置いて、こう答えた。
「......今日、夕輝が倒れたって連絡が入って......父さん、間に合わなかったろ? 今回は大事にもならず済んだけど、もし一大事だったらと思うと......」
夕輝はその話を聞いただけで、大まかに父の胸中を推し量ることができた。
父は母のことを思い出しているのだ。
病院に着いた頃には手遅れだった、母のことを。
「......だから、こっちに住もうと思う」
「けど......仕事は」
夕輝はすぐに返した。単純に、色々なことが心配で。......もしかしたら、父のことも。
父は優しく微笑んで、夕輝の頭に触れ、そしてぽんぽんと撫でた。
「......前も言ったろ。仕事なんかよりも、父さんは夕輝と春のことが大事なんだ」
「......っ」
それは嘘偽りのない、飾らない父の本音。夕輝はまた泣いてしまいそうだった。最近は、涙腺がやけに脆い。それを抑えるので精一杯だ。
「今すぐ決めなくていい。ただ、父さんと一緒に暮らすことも考えておいてくれないか」
「......分かった」
夕輝は頷く。それから、目尻に溜まった涙をばれないようにこっそり拭う。
春の膝の上にぬいぐるみとして乗っかっていたスライまるには、残念ながら見られてしまったが──。
ご飯を食べ終わり、ごちそうさまと手を合わせる父。
「それじゃあ、父さんは戻るよ」
「......もう行っちゃうの?」
「......大丈夫。またすぐ会える」
春の頭をぽんぽんと叩く。春は父を抱き締めた。
夕輝はふと、そこに母の面影を覚える。春が抱きついているのは父だけではないように思えた。
もう会えないけれど、母を想う気持ちで夕輝たちは母と繋がっている。
そんな風に思えた。
父は間もなく「じゃあ」と軽く挨拶をすると、すぐに扉を開けて玄関を後にした。少しだけ、別れを惜しんでいたように思えた。
「......春、先風呂入るか?」
「うん、そうする。スライまる、行こ」
「おう」
スライまるは春のことを全くそういう目で見ていないようで、勿論春もスライまるをそういう目では見ないため、いつも一緒に風呂に入り一緒に眠っている。兄妹みたいだと思う。スライまるはお兄ちゃんであり弟。そんな感じ。
春とスライまるが風呂に入って5分程。ふと、夢のことを思い出していた。夢と思うには鮮烈な夢。そのせいで夕輝は今なおその全てを記憶している。
けれど──何か忘れているような気がする。
それは、そう思ってからコンマ1秒とかからず思い出せるようなもの。何故なら夕輝にとってもっとも重要なものの1つだからだ。
けれど、そのコンマ1秒もかからないうちに、思考を遮るようにインターホンが鳴らされた。
「......?」
午後8時。こんな時間に誰だろう、父が忘れ物でもしたのだろうか、と思ってモニターを覗く。そこにいたのは。
『音永夕輝、話があります。ちょっと良いですか』
マツリだった。
「こんな時間にどうしたんだ」
「音永夕輝に頼みたい......いえ、伝えたいことがありまして」
「......?」
連れ出されたのはマンションの屋上。一応茜という彼女がいるので、誤解のないようにしたいのだが、マツリはそんなことはお構いないしだ。
彼女は手すりに手をつき、小さくため息をついて、あの大きな月を見上げる。彼女の上に白いもやが出来た。
しばらく口を開かないので、夕輝から何か言うことにした。
「......伝えたいこと、か。ちょうど良かった。俺もお前に聞きたいことがあったんだ」
「......そうでしょうね。私があなただったとしてもそうでしょうから」
──どこまで分かっているのだろうか。何をどこまで知っているのだろうか。夕輝はマツリを睨む。ただし、以前のような不審の目ではない。
マツリは何を考えているのか分からない、一切隙のないオーラはそのまま、微笑んだ。
「......良ければ、先にあなたの質問を聞きましょうか」
試すようにも思える笑み。夕輝はごくりと唾を飲む。
「......まず、お前が何をどこまで知っているのかを教えてくれ。それと、どうして沙良のことを覚えていたのかも。......そもそも、沙良に何が起こった? 沙良はどこにいる?......お前は何者なんだ」
だんだんと疑問は質問に、質問は詰問に変わっていく。夕輝自身も相当焦っていた。
「......聞きたいことはそれだけですか?」
「......いや、まだだ」
夕輝はすぐに、もう1つの質問を思い出す。
「......俺の能力......『コピー』能力は、『略奪』能力に変化してる。......どうしてなのかを、お前は知ってるのか......?」
これは完全に勘だった。もしかしたらマツリには関係ないのかも知れない。けれど、聞くべきだと思ったのだ。
「......なるほど。それで全部ですね?」
「......ああ」
相似世界のことは聞かない。何故なら、マツリも知らない可能性があったからだ。根拠は、彼女が相似世界にもいたということ。それだけだが、最大限の警戒をしなければならない。
警戒? マツリを?
「......どこから話しましょうか......」
マツリは呆けて空を見上げる。手すりから手を離し、夕輝に顔を向けた。
彼女が発したのはこんな言葉だった。
「音永夕輝。あなたは神を信じますか?」
「......え?」
急に何を言い出すのか。夕輝は口をぽっかりと開ける。
「......私は信じています。少なくとも、人間の言う"神"という概念は、ね」
「......?」
訳の分からないことを言って話を逸らそうとしているのだろうか。夕輝は首をかしげる。
「仏教でも、イスラム教でもキリスト教でも何でもいいですし、勿論一神教でも多神教でも構いません。......そうですね、定義するならば"人間または世界の成り行きを決定してしまう存在"とでも言いましょうか。そういう存在のことを......」
「ちょっと待ってくれ」
夕輝は間隔のないマツリの論説を止める。
「......何でしょう」
「俺は神なんて胡散臭いものの話をしに来たんじゃない。質問に答えてくれ」
「......せっかちですね」
マツリは文句を言うように吐く。
「まあいいでしょう。......では、私から。あなたに謝らなければならないことがあります」
「......」
マツリはいつになく真剣な表情になる。それだけで、彼女が重要なことを言おうとしていると分かった。
「白状しましょう。......私は、本当は能力を持っているんです。騙していてすみませんでした」
「......え」
しかしそれは、夕輝が思っていたよりもうんと小さなことだった。確かにこちらの世界のマツリは能力を有していないと言い張っていたが、今までマツリがしてきたの事の数々はどれも、少なくとも能力も持たない人間の成せることではなかった。
「それは......もしかして、ひと──」
『秘匿』、と言おうとしてすぐに口をつぐむ。想像していたよりもマツリの言葉に驚かされなかったが故に気が緩んでしまっていたが、相似世界のことに繋がるような発言は控えた方がいい。
と思ったのが1つ。
──マツリがあの能力を使ったのを一度しか見たことがなかったため、忘れてしまっていた。
夢に出てきた生徒会メンバーの友利奈緒。彼女の能力はあのマツリのものと
松山曰く、それはあり得ないことなのだと。
ここにもまた、疑問が生まれる。
『コピー』と『崩壊』に留まらず、『秘匿』までもが。
そこで驚愕していた夕輝は、この後マツリがもっと衝撃的な発言をするのであろうことなど知るよしもなかった。
「ひと......? って一体何でしょう」
「いや、気にしなくていい」
夕輝はできるだけどうでもいいように言う。
「......まあ言いとして、私の能力ですが......」
当然だが、夕輝はこのときマツリが『秘匿』と言うものかとばかり思っていた。だってそうだろう。マツリ以外では、真の世界と相似世界の人間の持つ能力は同じだった。
だから、マツリの放った一言に夕輝はとうとう絶句する。
「......私の能力は『未来移動』。言葉通り、未来に移動するというものです」
「────は?」
頭上の月と背面の黒い空がマツリの髪を揺らす。この瞬間、空気が変わったような気がした。
一瞬で、夕輝は混乱状態に陥る。
「え?......ちょっと待てよ、何の冗談だ?」
「分かりにくかったですかね......そうですね、簡単に言えば、
「違う、そうじゃない......!」
溢れる程の困惑故、夕輝は先程一度は言うまいとしたことを口に出してしまう。
「何でそんな......お前の能力は『秘匿』......1人から見えなくなる能力じゃないのか......?」
マツリは何を言っているのか、と少し首をかしげた後、何か思い出したかのように顔を夕輝に向ける。
「それは......どこかで聞いたような能力ですね......そうだ、確か前回の周期の......友利奈緒、と言いましたか」
「......!?」
何故、そんなことまで知っている。いや、本来ならば夕輝も知らないはずのことなのだが、しかしマツリがそれを認識しているということにとてつもない疑念を覚えた。
「......どうしてそれを......」
「......あなたに私の正体を教えましょう」
マツリは煌々と輝く
「私は......この時代の人間ではありません」
「......は?」
「今の呼び方で
「──え」
いくつもの情報が、夕輝の脳内を光の速さで駆け巡る。
マツリの能力は『秘匿』ではない?
『未来移動』とは一体何だ? どうして相似世界とこちらとで能力に齟齬が生じている?
マツリは相似世界を知らない様子だった。
それは良い。
待てよ、どうして友利奈緒のことを知っている?
夕輝と同じように夢を──違う、そんな言い種ではなかった。
15世紀?
室町時代だ?
「何言って......そんなの俺が信じるわけ......」
「......そうでしょうね。俄に信じられる話ではないと分かっています」
楽しそうな表情をほどくと、マツリは飽くまで冷静に、しかし真剣な顔で返した。
「......ですが、信じてもらわなければ困ります。私は......音永夕輝、
「......何言って......?」
分からないことが余りにも多すぎて、夕輝はとうとう言葉を失った。
「話を元に戻しましょう。まず、私が何をどこまで知っているのか、でしたね。その解答はずばり......大体全部、でしょうか」
「......?」
「先程も言ったように、私はこの能力を使って過去から跳んできました。そしてその際、私は15世紀から今に至るまでの全ての事象を一瞬で"見"ながら跳んできたんです。血で血を洗う戦も、世界規模の大きな戦争も、小さな生命の誕生も、ありとあらゆるもの
「......!」
本当に信じられないことだとは思う。未だに夕輝はその言葉の半分も飲み込めてはいない。頭は常時混乱の最中で、口も思うように開かない。
けれど。
辻褄は合っている。ずっと謎のままだった、マツリが夕輝たちのことや能力を詳細に知っていた理由。その散りばめられたピースが今、マツリの言葉によって1つの形になっている。
だからマツリは夕輝たちのことを知っていた。そう考えられはしないか。
「......じゃあ、沙良は......!」
夕輝は焦りにも似た感情で口を開く。
過去から移動してきたなんてことを信じられる程夕輝は非常識ではなかったが、けれど嘘だと言い切れる程の常識人でもない。
何故なら、夕輝はシャーロット彗星という不気味な存在と、それによって生み出された能力者たちの数々を知っているから。
では。
仮にマツリの話が真実だとして、そうだ、彼女はこう言った。
全ての事象を見てきた、と。
ならば、沙良の身にに起こったことも知っているはず。夕輝はそう考えたのだ。
「沙良はどこに行った? あいつは生きてるのか? 今はどこにいるんだ!?」
すがるような思いで尋ねる。夕輝がいくら探しても見付からなかった沙良のこと。
マツリは答えを知っている。
そう思ったら、もう理性を忘れたようにマツリの肩を強く掴んで揺らしていた。
マツリは落ち着いたように息を吐き、その手を払いのける。
「......まあ、落ち着いて下さい」
それから咳払いをすると、いくらか弱々しい声色になって言う。
「岩下沙良がどこに行ったのか、ですが......実は、分からないんです」
「......そんなデタラメな......」
「本当です」
冷たい空気を彼女の声が貫く。
「そもそも、私が彼女の存在を知っていること自体が幸運だと言えるかも知れません」
「......どういうことだ?」
「万人がその名を知り、そして"何故か"存在を忘れた岩下沙良のことを私が覚えているのは、恐らく能力の性質上、でしょうね」
「......?」
前髪を触って、マツリは考える素振りをする。
「岩下沙良の記録はあるとき、突然世界から消失したんです。......そのときを境界にして、世界の全てはまるで最初から岩下沙良などという存在がいなかったかのように振る舞い始めました」
ただし、夕輝と茜を除いて、だが。ともかく夕輝はそのことをよく知っている。実際にそれを理解してしまったときは流石に卒倒しそうだった。
「......ですが、私は飽くまで"見た"だけ。岩下沙良のいる世界を"見た"だけで、その場に"いた"わけではありません。だからその境界線による影響を受けなかった......私個人はそう考えています」
「......」
筋が通っていないとも言い切れない。
「でもお前は世界のありとあらゆる事象を見たんだろ? なら沙良がどうなったのかも......」
「いえ」
虚空を声が通り抜ける。後には何も残らない。
「言ったでしょう。あるとき突然消失したのだと。私が知っているのは飽くまでその事実で、その理由までは......分かりません」
「......っ」
これまでの説明に一通りの辻褄があっているせいで、嘘を言っているようには到底見えない。あるいはマツリという人間を夕輝がどこかで信用してしまっているからなのか。
「じゃあ......どうして俺と茜だけが沙良のことを覚えていたのかも、どうしてその後茜がお前と入れ替わるように沙良の記憶を失ったのかも」
「......それも分かりません」
「......そうか」
沙良と結び付きが強かったからだろうか、とかも勿論考えた。けれど、ならば例えば時間制限みたいなものがあるとして、茜の方が先に忘れた理由も、巧や雪や弟の怜を差し置いて夕輝が彼女を覚えている理由も夕輝には分からなかった。
「けれど、私は飽くまで15世紀から2040年までの間に起こった事象を見てきたに過ぎません。.......ですから、例えば岩下沙良の消失が今より未来に生まれた能力者......あるいは私がこの能力を使うより前の能力者の能力によるものである可能性なんかは捨てきれません」
マツリはそんな説明をしてきたが、夕輝は今一ぴんと来ない。
「......未来はともかく、そんな過去から今に干渉するなんて、あり得るのか?」
「......」
そう尋ねると、ようやくマツリは黙った。それから、小さな声で、しかし夕輝には聞こえるように呟く。
「......私がまさにそうなんですけどね」
「え?」
夕輝はその意味を正確に把握しなかった。過去から今に干渉。確かにマツリは過去からやって来ているわけだが、では何を目的としてやって来たのか。
その疑問にマツリが答えるのは、間もなくだった。
「『お前は何者なんだ』......でしたね。いいでしょう、私が何者で、どうして
「......」
しんと静寂が空間をつく。また風が吹いた。冷たい風は夕輝の熱くなった頬を冷やさんとばかりに吹いているが、この後夕輝は今までとは比べ物にならない程愕然とすることになる。
髪を揺らしたマツリは大きく息を吸って、一気に余りにも重い事実と質問を同時に投げ掛けた。
「私は──この時間の
「......は......?」
始めは、一気にまくし立てられ過ぎてその言葉の意味も分からない。
マツリが、神の使い?
──自らを犠牲にして人類を救う?
夕輝が?
「......はっ」
思わず笑いがこらえきれなくなってしまった。
「ははっ......冗談はよしてくれよ。人類を救う? 神? お前は何を言ってるんだよ......」
何故だろう。
自分の表情が、だんだんと曇っていくような気がした。
「そりゃあそうか......15世紀から来たんだもんな、神を信じていたっておかしくはないさ。でもマツリ、良いかよく聞け。神なんていないんだ。無知な人間が作り出した、想像の産物なんだよ」
マツリはずっと真剣な顔を続けている。
「......まあ音永夕輝が神を信じようが信じまいが私には関係がありません。人類を救ってさえくれればね」
「救うって......何から人類を守るって言うんだ? 地震か? 飢饉か? 火山の噴火か? 神の怒りか? それとももっと大きな災厄が起こるとでも教え込まれたのか?......そんなの嘘っぱちなんだ。ノストラダムスの大予言も、ベテルギウスの超新星大爆発も妄想だった。そもそも神なんてのが虚構の存在なんだ。お前だって分かってるんだろ?」
「......分からない人ですね」
マツリは夕輝を睨む。鋭い目付きが刺すようだった。
──どうしてだろう。
「人類が滅ぶ程の地震なんて起こりません。世界規模での飢饉も、火山の噴火も起こりなんてしません。私は人間の考えた予言なんて信じてはいませんし、耳を傾けるつもりもありません」
「じゃあ!」
「忘れたとは言わせませんよ」
「──」
夕輝は、分からなかった。
こんなスピリチュアルな話をし続けているマツリの言葉に、どうしようもない説得力を感じてしまう理由も。
まるでマツリに追い詰められているみたいな心境に陥ってしまっている理由も。
「何のこと......」
「分かりませんか? あなたは知っているはずです。少なくとも
「......?........................!」
夕輝はすぐに、あの夢の内容を思い出す。
まさか、と思った。
「......乙坂有宇のことを、あなたは知っているはずです。
「何でそれを......」
「それは、神があなたに見せたものです」
「は......?」
まだそんなことを言っているのか──
──とは夕輝はとうとう言えなかった。
神なんて信じていない。それは変わらない。
けれど。
じゃああんなに鮮明で、しかも恐らく本当にあったこと──の夢を、一体誰が見せたと言うのか?
夕輝は考える。
何かのからくりがあるはずだ、と。
「まだ分からないみたいですね......神のいるいないは重要ではないんです。私は神の存在を確信していますが、あなたが信じるか信じないかは大事なことではありません。あなたの見た夢に何か別の仕組みがあると考えるなら、私はそれを否定したりはしません」
「......え?」
「私は飽くまで、あなたに人類を救ってほしいだけなんです」
「......どういうことだよ」
マツリは立ち尽くして動けない夕輝の周りを歩く。屋上の固い地面から、こつ、こつという音が空気に発散していく。
「......このままでは人類は、間違いなく滅亡するでしょう。......あなたはその夢で、一体何を見てきたって言うんですか? あるいは、会長に何を聞いたというんですか?」
「え......」
夕輝が何かを見落としている、ということだろうか。間違いなくそうだ。夕輝の周りを一周して、マツリはまた正面に立つ。
「乙坂有宇は、何故全世界の能力を奪うことになったのか。覚えてますよね」
「それは......」
夕輝はそれからすぐにその理由を思い出した後。
とうとう、マツリの言わんとしていることに気付いてしまう。
「......まさか......」
こくり、とマツリが頷いた。意志疎通が上手く行ったことを確信したように。
「それが、あなたの最後の質問に対する答えです」
「そんな......」
夕輝は殆ど全てを理解してしまった。
そうだ。
乙坂有宇は自らの能力により、世界中の能力を奪い始めた。
それは、友利奈緒の助言によるもので。
では、その前は。
もし、乙坂有宇がそれをしていなかったのなら、今頃どうなっていたのか。
──海外ではテロ集団が一斉蜂起し、すぐ日本も巻き込まれるだろう。......熊耳もいなくなってしまった。俺たちも、これからどうなることやら──
──当時、能力を利用して勢力を広げる組織が世界各地に表れ始め、恐らくそのまま能力者が野放しになっていれば今頃日本など火の海だったかも知れませんね──
「気付いたみたいですね」
「人類を滅ぼすのは......
マツリは首肯する。
「その通りです。能力者は集団化し、大きな組織となってテロや紛争を起こします。......今だって、小さな紛争が起きていないわけではありません」
「え......」
「ニュース、見ませんか? 今も世界各国、様々な地域で紛争が起きていますが、あんなのはまだ優しい方です。放っておけば、今度こそ平和大国、日本は火の海になり、やがて世界規模にも及ぶ戦争は人類の終焉をもたらすでしょうね」
「......!」
夕輝はとうとう、恐ろしい事実を知ってしまった。そしてそれらは到底、マツリのついている嘘だとも、どこかの時代の人間の虚言だとも妄想だとも思えない。
「だから、『略奪』能力を俺が......? でも何で......」
夕輝ははっとする。
「そうだ......」
夕輝は
全てを理解したわけではない。
「まだ答えになってないぞ......何で
マツリは夕輝をまっすぐ見詰め、答える。
「それは......今回の周期で、『略奪』の能力者が現れなかったからです」
「......は?」
流石の夕輝も今の返答には呆気に取られる。
略奪能力者がいなかった。だから何なのだと言うのだろう。
「......『略奪』の能力者はいない。けれどこのままでは人類は滅びてしまう。......だから、代わりにあなたのコピー能力を略奪能力に変化させたんです」
「誰が」
「神です」
「っ......」
またそれか、とはもう言えない。
おおよそマツリの言う"神"というのを否定するならば、『人に鮮明な夢を見せる能力』と『能力を別の能力に変化させる能力』が必要だが、そんな能力を持つ人間がいない。
「何で......俺じゃなくたって良いじゃないか! 思春期の人間なんてこの世にごまんといる。わざわざ俺を選ばなくたって、能力を変化させるぐらいなら最初から能力を持たない人間に『略奪』の能力を与えれば良かったじゃないか!」
怒りと不安と分からないことへの恐怖に、とうとう声が荒ぶる。対してマツリは態度を変えようとはしない。
「それは不可能です」
「何で!」
「あなたの能力は偶然にも、略奪能力に似ていました。だから神はあなたの能力を略奪能力に変化させられたんです。能力を元々持たない人間に能力を与えることなんてできません」
「っ......!」
そんなことを言われては、どうしようもないではないか。
「......んだよそれ......ふざけるなよ......!」
夕輝は今にも発狂してしまいそうな程混乱していた。
「そもそも......さっきから神、神って言ってるけどな......俺の知るような神は、人間と交信をするなんて......いや、そもそも人間を救おうとするのがまずおかしいだろ......! 自然界からしてみれば、秩序を壊す人間なんて一刻も早く滅んでほしい存在のはずだ」
「......」
じとーっとした目で、マツリは夕輝を見る。ここにかなり温度差を感じるが、夕輝は飽くまで焦っている。
まだ、認めたくないでいる。
「あなたの思い描く神は、何と言うか......冷酷と言うか、残忍と言うか......無慈悲ですね」
マツリはまた、前髪を撫でながら考える。
「そうですね......あながち、間違いでもないかも知れません」
「え?」
「私は直接神と話したわけではありませんが、神とは常に不完全なものです。完全ならば、略奪能力を作ることだってできるはずですからね」
今まで夕輝の理論に対する反駁を連ねていたマツリに肯定されてしまったせいで、とうとうやるせない気持ちにすらなってしまう。
「......何だよそれ......無茶苦茶過ぎやしないか......? 神なんて、ふざけてる......」
「ええ、確かにそうかも知れませんね。しかしその神と同じくらい、彗星もまたふざけてるんです」
「え......?」
夕輝はとても大きな違和感を感じる。何か、おかしい。
「ちょっと待ってくれよ。神なんてものがいるなら、彗星を作ったのも神なんじゃないのか?」
極めて素朴な疑問だった。マツリはなるほど、と呟いて答える。
「ええ......2つは完全には切り離せないものでしょう。けれど、同時に対立するものでもあるんです」
「......?」
その言葉については、とうとう意味が分からなかった。
「彗星がふざけている、と言いましたね。......例えばですが、能力は思春期の人間の欲望によって生まれます」
「......それがどうしたって言うんだ」
「おかしいと思いませんでしたか? あなたが他人を羨んで他人の能力を手にする力を授かったことも、白柳雪が他人の注意を惹き付けたかったがために物を引き寄せる能力を手にしたことも......欲望に対して、何の解決にもなっていません。結果的に、人類を滅ぼす道具になっているだけ」
「......」
冷たい風が耳を凍てつかせる。
長い長い沈黙がその場に居座った。
夕輝は呆然と立ち尽くす。
マツリの言葉の矛盾点を探す。
神なんているわけがない。
次に自分の考察の矛盾点を見付ける。
神がいないなら、どう説明するのか。
考えて、考えて、思考の迷宮に陥る。
間もなくそれを切り裂いたのは、マツリのこんな言葉だった。
「......ですがまあ、あなたには選択権があります」
「え?」
楽観的に、少し楽しそうにマツリは笑んだ。
「選択権、って」
「簡単です。自らの身を犠牲にして人類を救うか、それとも責任を放棄して人類の終焉を見届けるか、と」
「......は?」
マツリは何を言っているのだろうか。夕輝には分からなかった。本当に、それくらい混乱していたのだ。
「それで......いいのかよ」
「神はあなたの行動まで強制することも束縛することもできません。全てはあなたの自由です」
「......」
本当に、おかしな話だ。未だ夕輝は、マツリのことを信じることができなかった。
けれど同時に、"神"という存在のことを除けばマツリの説明に納得してもいた。
筋が通っている。
夕輝は、混乱を通り越して呆れていた。呆けていた。そんな状態で、やっと絞り出した言葉。
「......ちょっと、時間をくれないか」
「......ええ、別に私は構いません。ただ......決断は早い方が良いでしょうね。乙坂隼翼は、再び日本が危機的状況下にあることをもう既に察知しているでしょうし」
「......分かった」
夕輝は不安だらけの心臓をぎゅっと握って頷く。そして思い出す。
「......けど、その前にやらなきゃいけないことがある」
「崩壊能力を奪うことですか?」
間髪入れずマツリが言い当ててくる。
「......そうだ」
素直にそう答えると。
「それはさせられません」
何とマツリは、夕輝が怜の能力を奪うことをここで禁じる宣言をした。
当然、疑問を持つ。
「どうして」
「......あなたが4つ目の能力を奪ったとき、神はあなたが世界中の能力を奪うことに同意したと判断します。ですから、もし自らを犠牲にして人類を救うことを決意したならば、そのときはあなたは彼の能力も奪わなければなりませんし、そうでないなら奪ってはいけません。......ああ、あなた一度、崩壊能力を奪おうとしましたね? だから神に眠らされたんですよ」
「......」
出た。"神"だ。神が判断するから奪ってはいけない。神が夕輝を止めるために夕輝を眠らせた。
「何だよ......それ」
そんな言葉しか出ては来ない。
「岩下怜については、放っておくのも危険ですから生徒会がこの後も面倒を見るでしょう。余程のことがなければ、崩壊能力は発動しませんから」
「......」
マツリのそんな付け加えによって、夕輝の感じていた違和感がぶり返す。
だって。
怜はあんなに怯えていたじゃないか。
見ず知らずの人間に誘拐され、恐怖して、何度も何度も叫んでいたじゃないか。
なのに、崩壊能力は発動しなかった。
松山の能力柄、あの頃には既に能力が発現していなければおかしいはずなのに。
あれは一体どういうことだ?
「......では、そろそろ冷えてきましたし、戻りましょうか」
マツリが先を歩く。夕輝はしばらく動けずに、そこに立ち尽くしていた。
──いくらなんでも、唐突すぎる。
乙坂有宇がしたのと同じようなことを、自分にもしろと?
それに、今回の周期で現れた能力者は、数も強力さも段違いである。
「......音永夕輝、置いていきますよ」
どうしてマツリがあんな風に、いつも通りの調子でいられるのかも分からない。
マツリはこれからどうするつもりなんだ。
今の夕輝には疑問だらけだった。分からないことだらけだった。マツリの説明を、"神"という切り口から崩すことはできないだろうか。
そう思ったけれど、恐らく無駄だ。
隼翼に聞けば、今日本が、世界がどんな状態に陥っているのかなど一目瞭然。夕輝にはマツリの説明の、少なくとも根本的な部分は崩せない。
歩き出すその足が震えているのが分かる。
夕輝はその足を無理矢理に動かす。
その日は殆ど眠れなかった。
憂さ、雨と共に降る。
昨日までの雲ひとつない天気から一変して、今日は朝からひどく暗い空模様だった。
夕輝の心境を投影するみたいに。
窓を張り付く結露が外の景色を隠す。外側は見えない。もしこの外で何かが起こっていたとしても、夕輝には内側のことまでしか分からない。
井の中の蛙が、もし外にも世界があると知ってしまったら。
その外の世界に、自分の知っている、信じている常識に矛盾するものがあると知ってしまったら。
蛙はどうするだろうか。
「夕輝」
「......」
「おい、夕輝!」
「っ?」
二度呼ばれて、夕輝はようやく巧の声に気付いた。
「お前、どうしたんだよぼーっとして。一緒にゲームやるか? お前一回もやってないだろ」
「......ああ......そう言えばそうだな......」
胡乱な視界には、自らの座っているテーブルの椅子と、隣の巧、ゲームをしている怜やマツリや雪が見えた。それを遠目で観戦している茜と春とスライまるも。
全く、怜もよくスライまるのことを受け入れたな、と思う。それどころか、マツリの助言によって茜は怜に彼自身の能力について教えることを決定した。今の彼は、自分の能力も、何故我々が自分に近付いたのかも知っている。
けれど、皆に囲まれてゲームをしながら談笑している姿はやっぱり楽しそうだ。
「......ゲームも良いけど、午後になったら勉強会もするぞ」
「うえっ! マジかよ!」
恒例行事、勉強会。取りあえず皆で一時間でもいいから勉強をしようの会である。星ノ海学園は殆ど宿題を出さない学校なので、自分から進んで勉強をしなければ置いていかれてしまう。
巧は最近だいぶ、学習内容に追い付いてくるようになった。母のことでゆとりができた分、勉強する時間も増えたのだろう。勉強の2文字を出しただけで文句を言うわりに、いざ始めると集中してやるし、怜や春にも勉強を教えてくれる。ちなみに家ではスライまるが春に勉強を教えることが多い。曰く生前はクイズ研究部とやらに入っており、博学だったとか何だとか。詳しくは追求しなかった。
「じゃあ......ちょっとだけ、ゲームやるか」
「おう、そうしようぜ。皆、夕輝がゲームやりたいってさ!」
「え、じゃあ私もやる!」
別に率先してやりたいと言ったわけではないが、春もやると言い出している。ちなみに春は、この手のゲームは要領を掴むと一瞬でオンライン対戦でも勝てるようになるので怖い。
「じゃあ怜くんとマツリさん、やろ!」
「え......うん」
「良いでしょう、音永夕輝なんてボッコボコにしてやりましょう」
「お前言葉遣いたまに怖ぇよ!」
「ふふっ......」
巧が突っ込み、雪が声を抑えてツボに入る。この一連の流れはいつも通りだけれど、夕輝にとってはそのいつも通りが恐ろしくて仕方なかった。
マツリは平然と、昨日の話が嘘だったかのように振る舞っている。いつも通りである。何も思っていないのか、何かを思った上で演技しているのか、それも分からない。
マツリのことが、夕輝はまだ分からない。
──それから、もう1つあった。
夕輝が、この何でもない"いつも通り"を恐れる理由がもう1つあった。
「私、スライまる使うね!」
「ふっ、音永春、スライまるは上級者向けですよ? 良いんですか?」
「まあ見てて下さいよ、マツリさん!」
えっへんと胸を張るが、春は今日初めてこのゲームをプレイしたはずだ。しかも怜たちと一戦二戦交えたぐらい。の割に自信満々なので凄い。春の膝の上のスライまるはと言うと、自身が勝手にゲームのキャラクターにされていることが気に食わなかったのかちょっと嫌そうな顔をしている。
「じゃあ僕は......このキツネで行きます」
怜が慎重にキャラを選ぶ。戦う度にキャラを変え、しかしちゃんと毎回好成績を残している怜は凄いのだと思う。
「じゃあ俺は......こいつで」
一番上にいた、緑色の剣士。オーソドックスっぽいので選んだが、強いのかは知らない。
「なるほど、賢明な判断ですね。では私は......」
マツリはスティックを操作して、藍色の布を全身にまとった骸骨のキャラを選んだ。死神っぽい鎌も持っている。
「おおマツリさん、"ジョーカー"を使うんですね!」
「他のキャラは飽きてしまったので、攻撃に特化したこのキャラを使うことにします」
春が一番はしゃいでいるが、何だかマツリもとても楽しそうに見えた。それが心の中のもやを広げていく。
まだ夕輝には分からない。
「では、対戦スタートです。音永夕輝、大まかな操作は分かりますね?」
「え、ああ」
マツリに話しかけられただけでドキリとしてしまう自分が情けなかった。
『レディ、ゴー!』というゲーム内の掛け声によって、戦いの火蓋が切って落とされた。
「......もー、マツリさん、強すぎるー」
「いえいえ、音永春も今日始めたにしてはなかなか手強かったですよ。慣れさえすれば、そのうち私にも勝てるかも知れませんよ」
「......強者の余裕だ......」
春は慰めるように頭を撫でるマツリに震撼する。もう自分がヒエラルキーの下位にいることを知ってしまったようだ。可哀想に。
「それにしても......音永夕輝は弱いですねー」
「......悪かったな」
「では、そろそろお昼ご飯が出来たようですから、いただきましょうか」
「......えっ?」
春が驚いたように後ろを振り向く。茜と雪が出来立てのお好み焼きを持ってきていた。春がまたがくかくと震えて愕然としている。
「そんな! 私も一緒に作りたかった......!」
ゲームに熱中しすぎてお好み焼きが焼ける音にも匂いにも気付かなかったのだろう。春は立ち上がると、キッチンに向かった。
「私も運びます!」
「あ......僕も手伝います」
怜は、本来ならば一日中家に1人でいなければいけないところをこうして昼ご飯まで作ってもらってしまっているのに思うところがあるのだろう。素直な少年は立ち上がり春の後を追った。
「......」
「......さ、音永夕輝、私たちも行きましょう」
「お前は一体......どういうつもりだよ」
「......」
夕輝はマツリの振る舞いが意味するところを知らなかった。少々演技がかっているから余計に、かも知れない。マツリに疑いの目を向け続けていた。
同時に、どうしてそんなことをしなければならないのかも、よく分からなかった。
やっと、マツリのことを受け入れることができ始めたのに。
「......いえ、ただあなたに、いつも通りの日常を過ごしてほしいんです」
「......?」
その発言は何だか、マツリらしくない、と思った。
過ごして"ほしい"という言い回しのせいだろうか。
「あなたには、申し訳ないことをしてしまったと思っています」
「──」
夕輝は言葉を失う。
どうしてそんなことを言うのか。
夕輝はまだ、やるとも言っていないのに。
「......1つだけ聞かせてくれ」
くるっと向き直してテーブルに向かおうとしているマツリを止める。彼女は口を開かず、こちらを振り返ることもなかった。
夕輝は、問う。
「主語が聞こえなかったな。......それは......"神"の言葉か? それとも、お前の」
「兄ちゃん、マツリさん」
「うおっ」
猛スピードで春が間に割り込んでくる。
「ご、は、ん。準備できたよ。早く!」
何故、あんなことを聞こうとしたのだろうか。
どうでもいいこと──なのだろうか。
夕輝にとって、マツリとはどういう存在なのだろう。
「夕輝くん?」
「......ん?」
どこからか呼ばれた気がして、顔を上げると茜がいた。
「......分からないところでもあるんですか?」
「え......いや、大丈夫だよ」
作り笑いをして答えるが、不安はなくなってはくれない。
本当なんだよな。
昨晩の、あの話は。
「......夕輝くん、根詰めすぎて疲れちゃったんじゃないですか?......ちょっと、休憩しましょう」
「......ああ」
茜に言われるがまま、夕輝はテーブルを離れる。茜も付いてきた。テーブルでは他の5人とスライまるが各々の勉強をしている。
「......」
「......」
質問以外では全員殆ど口を開かないという謎の真面目っぷりのせいで、ここはやけに静かな空間と化してしまっていた。春が時折うーんと唸ると、スライまるがひょこんと現れ、考えさせるべきときは考えさせてそれでも分からない場合はヒントを出してあげたりする。数学教師になればいいのに、とか思う。
疲れていると言われたら確かにそうかも知れない。ここ最近色々ありすぎて、ずっと疲れているのは確かだ。
けれど同時に不安でもあったし、何より夕輝は自分を──自分のことを今、嫌いになりそうだったのだ。
人間は皆、自分のことを善人だと思いたい。自分は優しいんだと、正しいんだと思いたい生き物なのだ。だから、間違ったことをしてしまっても言い訳や正当化をしたがる。それは一種の自己防衛でもあるのだ。
夕輝だって、今まで自分は本当に優しい人間なのだと思っていた。それは口に出しもしないし、心の中でも殆ど思わないが、感覚的にそう思い込んでいた。
──あの選択肢を提示されてしまうまでは。
「夕輝くん」
「うわっ」
立ち尽くしたままでぼーっとしていると、茜が至近距離で声を発したため思わずよろけてしまった。夕輝はたじろぐとその拍子に何かを踏み、その固いものに滑って転んだ。
「うおぉっ!」
間もなく夕輝は変な声を出し、『ぷつっ』という小さな音を左側から感じつつ、床に頭を激突させた。
「いでっ!」
「あ、夕輝くん!」
慌てて茜がしゃがみこむと、勉強組もこちらを向いた。
そして間もなく、左手にあるテレビが突然に着く。何故、と考えるまでもなく、自分が踏んだのはテレビのリモコンで、その際電源を入れてしまったのだと気付いた。
そして夕輝は目にする。
「うおい、夕輝......大丈夫......」
『ここで速報をお伝えします。────で10ヶ月近く続いていた大規模な──に、動きがありました。突如戦場に──歳ぐらいの少年たちが──人程現れ、──────たということです。繰り返します。10ヶ月近く続いた──の──に、動きがありました』
「......!」
どこかのテレビ局のアナウンサーが発した言葉の殆どが、強く打って混乱した頭には入ってこなかった。
けれど、断片的な情報を集積することで、夕輝はそれが大まかにどんな速報であるのかを認識する。
「......紛争ですか......」
「え......」
雪の何気ない言葉は今の夕輝に、嫌ほど重くのし掛かる。
「18歳ぐらいの少年たちが、たった20人......って」
「っ......」
このとき、マツリがどんな表情で夕輝に視線を向けていたのか、夕輝は知らない。視線を向けていたのかすらも。
夕輝は恐怖した。
そしてそんな自分を嫌いにすらなりそうで──。
立ち上がると、走ってこの場所を飛び出した。
「夕輝くん!? どこ行くんですか!?」
「......っ」
遠くから茜の声が聴こえる。
逃げ出してしまいたかった。
どうして、自分が。
どうして──。
夕輝は、刺すような雨粒に打たれながら走った。
「はぁ、はぁ......」
『猫』の能力者を追い掛ける以外では最近全然運動をしていなかったため、夕輝はすぐに息を切らした。
靴どころか靴下の中までがびしょびしょで、服とズボンは鬱陶しい程に体に張り付いていた。そこに汗が混じって蒸すような暑ささえあるのに、首筋と背中だけがただ滝に打たれているように冷たい。
ざあざあと音を立てて雨が一面を飛び跳ねる。まるでこの場所が全て電車になったみたいにうるさい。
マンションの中の、ページをめくる音と食洗機が稼動する音以外に何も音の聴こえない静かな空間からは分からなかった。
体ががんじがらめにされ、空気は夕輝の体をその場に押し留めて動けなくさせた。
横を車が通る。この空間はいつになくその音を歪めて、水しぶきが上がる音までもが1秒、2秒、3秒とずっと残り続けた。完全に消えることはなく、代わりにこの水たちの喧騒の中に混ざり合っていく。
今が昼か夜かも分からない。分厚く黒い暗雲は、夕輝を昼でも夜でもない雨の世界に閉じ込めた。
もういっそ、雨になってしまいたい。
どこまで走ってきたのか。
両膝に手をついて立ち止まると、足元ばかりにやっていた目を前に向けた。
何も考えずに走ってきたせいで、自分がどこにいるのかも分かっていなかった夕輝は、やっと現在地を確認しようと試みる。
「......はぁ、はぁ」
心臓がはち切れんばかりにどくどくと跳ね、猫背になっていないとちぎれてしまいそうだ。
そんな状態で顔を起こすと、そこにはいつか見た橋があった。
──あの日も、こんな雨が降っていた。
「......ここって......」
「音永夕輝」
「......っ?」
突然後ろから声がした。けれど、地面を踊る雑音のせいで夕輝はそれ程驚きはしなかった。
音に敏感になってしまっていた夕輝は、すぐにその声の主に見当を付ける。
マツリ。
振り向く。
「......お前、どうして」
「そりゃ、あんな風に急に飛び出されたら、追い掛けなければと思うでしょう」
「......そうじゃない」
マツリは右手に透明の傘を差している。その表面にぼつぼつと雨が当たって野太い音が騒音に加わった。
左手にはもう一本、黒の傘を携帯していた。
夕輝は、異様だと思った。
「......こんなところまで走ったら、疲れて汗ぐらいかいてもおかしくない。なのに、何故息切れもしていないのか、ですか?」
「......」
夕輝の疑問はマツリにはお見通しだったようだ。
「言ったでしょう。私は室町時代から来たタイムトラベラーなんです。当時は戦も各地で起きましたから、これぐらいの体力はないと生きていけません。村が放火でもされたらすぐにやられてしまいます」
「......」
「......怖いですか?」
マツリは突然、そう聞いてきた。先程まで感じていた"いつも通り"の雰囲気ではない。今のマツリは、昨晩夕輝を呼び出したときの彼女と同じだった。
端的に、答える。
「......怖いさ」
「......」
マツリはそれに反応をせず、ただ夕輝を見詰め続けていた。まるで、夕輝の言葉がこれで終わりではないことを分かっているように。
「......俺は......突然『略奪』なんて能力に目覚めて、訳の分からない神様なんかからの依頼を受けて、しかも......世界中の能力を奪う? できなかったら人類が滅ぶ?......何だよそれ......ふざけるなよ......怖いに決まってるだろ......」
紡いでいくうちに、それが自分の本心であることを改めて確信する。同時に、それらが言霊となって夕輝の張り裂けそうな心臓を握り潰さんとしているのが分かる。
怖い。
「......だけど......もっと怖かったんだ......」
がたがたと震える。大きすぎる自己嫌悪に陥って、戻れなくなりそうだった。
けれど、心の内に押し留めることはとうとうできなかった。
「......俺が一瞬でも......
それを発した瞬間だけ、全ての騒音が消え去った気がした。一瞬だけ、時が止まってしまった気がした。そしてすぐに動き出す。
夕輝自身が否定したがったから。
──人は、誰しも優しくありたい。正しくありたい。いい人でありたい。
夕輝だってそうだった。
けれど、夕輝の本心のうち、1人はこう言ったのだ。
──神だの何だのよく分からない理不尽なもののために、お前が犠牲になる必要なんてない。人類が滅びてしまったとしても、それはお前のせいじゃない──と。
それは決して優しい答えでも正しい答えでもない。
こういう場合によく、こんな表現をする。
『悪魔が囁いた』んだと。
そんなのは大嘘だと夕輝は知っている。
そんなのは、常に正しくありたい人間が、まるで自分の悪事を、間違いを、失態を他人のせいにしたいがために生み出した想像の産物である。神と何ら変わらない。
責任を神やら悪魔やらに押し付けたところで、そんなのは不正解だ。
悪魔でさえ、
それを分かっているから、夕輝は自らを嫌った。恐れた。
「俺は、俺が......俺自身のことが怖かった」
悪魔があれば、当然天使もある。人間は自分の中の天使と他人の中の悪魔ばかり見たがる。そうすることで自分は理想的な人物だと思い込みたがる。
けれど実際はどうだ? まるで自分の中に悪魔なんていないと思い込んでいたせいで、息を潜めていた悪魔に蝕まれている。
正解など、分からなかった。
「......どうすれば良いって言うんだよ......。何が......何が正解だって......」
片膝が固いコンクリートに接地した。そのせいで、もう片方の膝もすぐに落下した。
もう、言葉は出なかった。
遠くの信号が赤になったことを、雨の地面が光を反射して伝える。車の音が消える。
そこに、際立ってこつ、こつ、と堅硬な音が響いた。空気だけでなく、湿った地面も伝わってこちらに近付いてくる。
マツリがこちらに近付いてきていた。
やがて、肩より上の雨が止む。見上げると、傘を差したままのマツリは夕輝を立ったまま見下ろしていた。
「......誰も」
彼女は呟く。
「......私も、神すらも、あなたを責めることはありません。ただ、事実として受け入れるだけです。あなたがどんな道を選んでも、ね」
「っ......」
「だから、正解なんてありません。音永夕輝、あなたは悩み続けて下さい」
分からない。雨のせいにして、聴こえないふりをしたかった。
そんなのは慰めにもならない。
慰めを欲しているわけではないと思い込みたかった。
そんなのは......全くの嘘だった。
「考え続けて下さい。あなたにはそれをする義務があります」
夕輝はやがて、自分の目の前に差し出された1本の傘に気付く。
「......帰りましょう」
姿勢を低くして、マツリはそう声をかけた。
その表情は決して、笑ってはいなかった。
それからは、あっという間に時間が過ぎた。
夕輝たちは能力者を発見しては能力を使わないように注意をし、それが終わると怜の家を訪問した。春とスライまるを連れて、ボウリングにも行った。
大晦日が明け、長かった12月が幕を閉じると、正月。松山も交えて近くの神社を参拝し、おみくじを引き、怜の家でバラエティ番組の正月特番を観たりして過ごした。怜の母は正月でも忙しいようで、殆ど家にはいなかった。
それから、皆で餅をついたりもした。何故か雪の家に杵と臼が完備されており、春の炊いた餅米で一から餅を作った。
一番驚いたのは、巧がマンションに引っ越してくることが決まったこと。経済的にだいぶゆとりができ、巧の家の場合、音永家程ではないがそれなりに補助も出るので、思いきって決断したそうだ。
冬休みは本当に楽しく、だからこそ夕輝は未だ決断できずにいた。
──テレビを付ければ、テロが激化したり、と思えば急に鎮まったりなんてニュースが決まって報道されていた。
能力者が暴走しているのだろうか。
それに比例するように、貿易の制限、相場の乱高下、各国の焦り......。その関係に確執が生まれたりしているのも、日本にも経済的な打撃があるのも全て、
夕輝はそれらの事実を知ってなお、日常が壊れるのも、独りで海外に飛ぶのも、日本がテロや戦争に巻き込まれるのも、人類が滅びるのも、そのどれもが怖かった。
そんな感情のまま迎えた、1月5日、土曜日。
何も変わらないまま、10日の日が過ぎてしまった。
けれど、夕輝の中に混在するあらゆる気持ちは決して風化することなくそこにあり続けた。
今日は、怜の母が家にいるそうだ。久々の休みらしく、だから夕輝は普段なら上るはずのエレベーターを下りている。
エントランスを出ると、最初に見えたのはクリーム色。次に、大人っぽい水色。そして、淡いピンクのもこもこのコート。
ちょんと肩をつつくと、彼女は跳び跳ねた。
「わっ」
彼女はすぐにこちらを向く。ちょっと頬を膨らませているのは、怒っているのだろうか。
「びっくりさせないで下さいよ」
「はは、ごめん」
デートという名目で茜に会うのは、実に1ヶ月ぶりぐらいだろうか。巧の家から帰るときもクリスマスイブの日も2人きりだったが、2人で計画を立てて出掛けるのはあの日以来だった。
まだ、何も始まっていなかったあの日。
マツリにすら出会っていなかったあの日。
あの日と今では、もう何もかもが違う。
今日は遠出はしない。午後からのデートなので、遠出をしていると遅くなってしまう。家まで一緒なので暗くなってから茜が1人になるなんてことはないが、何せ茜は可愛いので5時とか6時には帰ろうと思っている。
あと、今日は茜の父も家にいるらしいので。
「......前、2人でお出掛けしたのが随分前みたいに思えますね」
「......そうだな」
茜も夕輝と同じ感想を抱いていたようだ。もっとも夕輝は相似世界との入れ替わりもあり、体感時間は2ヶ月弱程だが。
「確か、マツリさんが来る前でしたね」
「......ああ」
またも夕輝と同じことを考えていたようで、彼女は呟いた。
「最初はちょっと不思議な人だと思っていましたが......悪い人ではなさそうでよかったです。春ちゃんにも優しくて......」
「......」
最初と最後を否定するつもりはない。最初は不思議......何なら不気味な人間だと思っていたし、彼女は春や怜にはとても優しい。巧の扱いは雑であったりするが、それは割と皆そうである。
ただ、"悪い人ではなさそう"という言葉については、夕輝は肯定も否定もできなかった。
人類を救うために
「......夕輝くん?」
「ああ、いや......そうだな。そう思うよ」
「......」
一瞬考えてしまったせいで返事に遅れ、茜に、買い物に出掛けたが財布を忘れる陽気な主婦を見るような目で見られてしまった。
「全く。......」
拗ねたように言い切って、その後彼女はまた真っ直ぐ前を向いた。
「早く行きましょう」
茜が少し早足になり間が空いたので駆け足になってその距離を縮めると、夕輝は彼女と同じスピードで彼女の隣を歩く。
この1ヶ月で、茜との関係性も大きく変わった気がする。
ずっと胸の中に居座る嫌な気持ちを、今だけ振り切ろうと夕輝は首を振った。
近くに、大きな森林公園があった。
一般公園のエリアと植物園のエリアに分かれており、入場料は300円である。
夕輝たちはそこをただ歩いて回った。入る前から周囲は葉の落ちた木々に囲まれており、よく晴れた天気もあって空気がとても美味しいように感じられた。
冬だからなのだろうか、人は殆ど見受けられない。せいぜい60代ぐらいの白髪の男性やらがいたぐらいで、恐らくこの場所で大声を出しても誰も気付きはしないだろう。そんな場所だった。
入ってしばらくすると大きな広場があり、茶色くなった芝生がどこまでも続いていた。そしてその広大な芝生の上には、どこまでも青い空が広がっている。
「......広いですね」
「誰もいないけどな」
「......」
きょろきょろと周囲を確認する茜。敵に追われる身のスパイみたいだ。早急に顔を左右、後ろに向けると、口に両手を持ってきて、メガホンみたいな形にする。
まさか、と思ったときには遅く。
「やっほ────っ!」
大声で叫んだ。
静かになったところで、空からは風の、地面からは芝生が揺れる音の返事が返ってくる。
「......えへへ」
楽しそうに笑う茜。人がいたらかなり変な目で見られるぞ、と思いつつ、見ていたらやってみたくなった。口に両手を構え、息を大きく吸う。
「......やっほ────っ!」
が......今度は何も起こらない。
「......俺は受け付けないみたいだな」
「ふふっ」
「......」
2人はぐるぐると訳もなく辺りを散歩した。この時期に人がいないのがよく分かるといった具合に、何もない場所だった。
一本道ができていて、枯れた木の枝がアーチを作っていた。春になるとここに桜が咲いて綺麗なのだと言うが、これはこれで悪くないとも思う。
「......綺麗ですね」
「......そうだな」
それは見えないくらい向こうまで続いており、夕輝たちはその間を、何気ない会話をしながら歩いた。気付けば手も触れ合っていた。
それからと言うもの夕輝と茜は2人、ゆったりとしたペースでそこにある道を徒然なるままに進んだ。水辺では鴨を見付けて、あの鴨は巧に似ているとか、あの水鳥はマツリみたいだとか話したし、冬でも青々と荘厳にそびえ立っていた竹林の中では、怜の話や夕輝の父の話や、スライまるの色の変わり方の話なんかをした。
休憩スペースやベンチもあり、昆虫を展示している建物なんかもあったので、歩き疲れればそこで少し休憩を取る。時たま生まれる沈黙もまた心地よかった。
建物から外に出ると、ざわざわと揺らめく芝生の上に再び青い空。冷たい空気が美味く、気持ちはとても清々しく、隣にいるのは茜。
不思議な感覚だった。
茜といるこの時間が不思議だった。
今、こうして手を繋いだまま時が止まってしまえばどれだけ良いだろうと思った。
──けれど、そんな何気ない幸せな時間ほど、すぐに過ぎ去ってしまう。
森林公園に来て、もう早2時間。
「......帰りましょうか」
「......そうだな」
回ろうと思えばまだいくらでも回れるが、いかんせん久々にこんなに歩いて体力にはそろそろ限界が来ていたし、これ以上遅くなると暗くなってしまう。
「......では、行きましょう」
「......」
繋いだ手を離すことなく、夕輝は茜と森林公園を間もなく後にした。
あんなに近くにあんなに自然が目一杯の公園があったと言うのに、不思議なことながら歩いて数十分した頃には学園近くまで戻ってきていて、街はそれなりの都会に変わっていく。
「あ、ここ」
茜が立ち止まり、夕輝も同じように立ち止まる。
いつか、茜が覗いていた店だった。そして手前に立っているマネキンと同じポーチを、今茜は肩に掛けている。
「......これ、本当にありがとうございました」
「いや......こちらこそ、これありがとうな」
首に巻いていたマフラーをちょんと人差し指で触る。グレーのチェックのマフラーだ。茜がクリスマスイブにくれたもの。
「いえ......気に入ってくれたなら、良かったです......」
「うん......」
それから再び歩き始めると、ふと忘れていたはずの嫌な気持ちが夕輝の体を蝕み始めた。繋いでいた手を離したからだろうか。
「茜......」
「はい?」
「......手、繋いでもいいか?」
「え......」
唐突に言われてびっくりしたのか、茜の動きが少し固くなる。
「わざわざそんなこと聞かなくても、自然に繋いでくれれば......さっきまでも繋いでたのに」
「......ごめん」
夕輝自身はそれとなく謝ったつもりだったのだが、この胸に居座る嫌な気持ちのせいだろうか、幾分かテンションが低いように聞こえてしまったようだ。
「......夕輝くん......?」
茜には、夕輝の気持ちは分からない。けれど茜は、ここ最近夕輝がずっとこんな調子で、何かを抱え込んでいるように見えていた。
そして、それがとても嫌だった。
「......駄目ですよ、無理しちゃ」
だから、夕輝の手を握る。包むように握ったあと、するすると指を絡めた。
いわゆる恋人繋ぎだ。
「......っおい」
「......夕輝くん」
すぐに、少し掠れた、何故かとても寂しそうな声が夕輝の耳に届いた。茜のものだと分かる。彼女は行間を置いて、小さく、小さく、今にも壊れてしまいそうな声で呟く。
「私......怖いんです」
「え......?」
突拍子もない言葉に夕輝は思わず聞き返した。それから、発言の意図を考える。
が、答えが出る前に茜は言った。
「最近の夕輝くんを見ていると......私、怖いんです」
「......」
少々鼻にかかった茜の声。彼女は一度もこちらを見てはくれない。ただぎゅっと、夕輝の手を握って俯いている。
「何だか......夕輝くんがどんどん遠くへ行ってしまいそうで......最近の夕輝くんは変です」
「......え」
「夕輝くんは......どうして、私を頼ってくれないんですか? いえ......分かってます、勝手だって。でも、私は夕輝くんが心配で......」
痛そうに口を縛る茜の横顔を、夕輝はただ見詰めることしかできない。
「独りで抱え込まないで......不安なことがあるなら......教えてほしいです。私、分かってるんですから」
「......」
茜のおぼろげな表情は、いつしか見たものに似ていた。
夕輝はふと、10日前に雨に打たれながら走ってようやく辿り着いたあの長い橋のことを思い出す。
そして、もっと前の記憶を思い出した。
今の茜の表情は、あの日雨に打たれて泣いていた茜の表情にとてもよく似ていた。
琴羽を科学者に奪われたと信じ、沙良も失って不安だらけだった茜の表情に。
それは余りに儚く、脆く、ガラスの作り物のように簡単に壊れてしまいそうだった。
壊そうとしているのは夕輝だ。
「......茜」
いつしか、何かから、誰かから夕輝は茜を守ると決めた。例えば科学者という空想から、時には何も知らないで彼女の父から、夕輝は彼女を守ろうとした。
そして、次に茜を傷付けたのは、夕輝だった。今茜を傷付けているのは夕輝だった。
茜を守ると決めた夕輝が、茜を傷付けていたのだ。
それは何故か?
──夕輝はこの10日間、一度も茜のことなど考えていなかったのだ。自分の中だけで問題を抱え込んで、自分がどう思うかだけで判断して、茜にも、生徒会のメンバーにも春にもスライまるにも、夕輝は何も話さなかった。
もっと言えば──ああ、そうか。夕輝は本当に何も見えていなかった。
夕輝がどう思うかだけの問題ではない。
急に押し付けられた責務を、まるで自分だけの問題であるかのように思い込んで、マツリの言う選択肢などという紛い物があるのだと信じ込んで、恐怖なんていう
──最初から、選択肢など1つしかないではないか。
もし、夕輝が自らに課された責任を放棄して能力の略奪をしなかったら。
茜はどうなる?
春は? 巧は? 雪は?
まだ、笑っていられるのか?
テレビで見るニュースはまだ、外国の小さな紛争のことしか伝えてくれない。だから実感なんて湧きもしなかった。
日本だって巻き込まれるのだ。
人類が滅ぶのが何十年先だとしても、少なくとも茜たちが今までのように笑っていることなんてできない。
──いくら気が動転していたとは言え、なんて馬鹿なんだ──。
「......茜」
夕輝は小さく声をかける。
「明日......皆に、話したいことがあるんだ。茜にもちゃんと伝えたい。伝えなくちゃならないことがある」
「......」
「だから明日、うちに皆を集めてほしい」
皆、の意味を茜は分かるだろう。生徒会の皆である。そして、怜も。
茜はしばらく黙っていたが、考え事をしていたのだろうか。やがて立ち止まると、口を開いた。
「......隠し事はなしですよ」
真っ直ぐ、ただ純粋な瞳で茜はそう言った。
「......分かった」
「約束ですよ」
「......ああ」
絡み合った指が汗ばむ。手を繋いでいることへの緊張も然り、決意の重さがそこには現れていた。
──けれど。
夕輝はたった今、無慈悲で残酷で、余りに重い運命を背負うだけの理由を見付けた。
元来、夕輝は誰かのためという口実に弱かった。そしてあの日、夕輝は茜の父に約束したのだ。
何があっても茜を守り続ける、と。
夕輝には何も見えていなかった。
だからまたその約束を破りかけてしまった。
茜を傷付けてしまった。
──そうして、茜に気付いた。
守るべきものを思い出した。
恐怖がないわけはない。
それでもやらなければならないことを知った。
乙坂有宇と同じことをすると──世界中の能力者を奪うと、夕輝は決意した。
ゆっくり、ゆっくりと夕日が建物の中に落ちていく。
背中を照らしていた夕日が。
そして翌日の午後5時過ぎ。
夕輝は家に皆を呼び出した。
「おっす夕輝。用事、って何だ?」
巧は片方のポケットに手を突っ込んで、軽いノリで廊下を歩いてくる。次に来たのは雪と茜。春がスライまるを抱えたままどたどたと駆け寄った。
「あ、春ちゃん、スライまるさん。こんにちは」
「こんにちは、雪さん、茜さん。えっと、皆さんは......どうして来たんですか?」
「......夕輝くんから大事な話があるようで」
廊下を歩きながらそんな会話をする。
間もなくマツリと松山、それに怜もやってきた。怜は何が何だか分からない様子で、どちらかと言うとクラスメイトの女子の家に訪問するようなノリだったが、マツリはそうではない。
マツリには前日のうちに全て話しておいたからだ。
「音永夕輝......いいんですね」
「ああ」
答えると、2人でリビングに向かう。
広い空間に、生徒会メンバーの5人と会長の松山、春に怜にスライまるが集まった。巧はそれを腰に手をやって確認すると、夕輝を向いた。
「......これで全員だな。夕輝、じゃあ早速......」
「いや、まだ全員揃ってない」
「......へ?」
夕輝が否定すると、巧はぽかんと口を開けて顎を垂らす。と同時に軽快な音でチャイムが鳴り響いた。
「はい」
答えつつモニターを覗く。巧も同じように横から外の様子を見た。そして驚く。
「え、おい......」
モニターには3人の人物の姿が写し出されていた。同年代の女子2人と、1人の杖をついた男性。
『音永くん、上がらせてもらうよ』
「......隼翼さん? それに、未来と琴羽......どうして」
茜が後ろから調子の抜けた声を出す。
「......どうぞ」
夕輝はモニターに返事をしつつ玄関に向かい、扉を開いて3人を迎え入れた。
「お邪魔しまーす......ここが音永くんのお家かあ」
別段珍しいものでもないはずだが、いかにも興味深そうに琴羽はためつすがめつ玄関を眺める。
琴羽が走ってリビングに向かった後、未来が遠慮がちに口を開いた。
「......音永くん、あの......以前は本当に助けてもらって......ありがとう。お礼を言いそびれてたから......」
俯き加減で未来は言う。もう気にすることなどないと夕輝は思っているのだが、この乙坂未来という人はたぶん優しすぎるのだ。
「......もう、過ぎたことです。......それに、未来さんがいなければ科学者はいなくならなかったんですから」
敬語で喋るべきか平語で喋るべきか分からず逡巡したが、結局前者を選んだ。それこそあの日、彼女の本心を聞くために彼女を挑発したときは平語だったが、実際にはそんな仲ではないはずだ。
逆に琴羽に対して平語を使ってしまえるのは何なのだろう。こんな言い方をしては悪いが、生物の本能的に彼女を下に見ているからなのだろうか。
「......本当に、ありがとう」
未来はもう一度念を押すように言うと、靴を脱いで廊下に立つ。隼翼も同じように上がり、杖をついてリビングへ向かった。
リビングでは琴羽がスライまるを抱えて遊んでおり、スライまるの迷惑そうな表情がもうここまで届いてくる。
「おおー、やっぱり柔らかいんだねぇ」
「や、やめろぉ!」
むにむにと頬なのか何なのかよく分からない部分をつねって感触を確認していた。やっとのことで隙を見付けると、すぐにジャンプして春の腕へと帰る。
「あー、いいとこだったのに」
「......むむ」
スライまるは親の仇でも見るかのように琴羽を睨む。警戒もあるが、奴は高校生女子に可愛いと思われたくないのである。あんな見た目で、中身は少年心を忘れずプライドの高い男性である。
隼翼がそんな他愛ないやりとりを鼓膜のみで確認しつつ、どうしてそちらに夕輝がいると分かるのかは不明だが、顔を向けた。
「それじゃあ、音永くん......俺たちをここに呼んだ理由を教えてくれるかな」
「......はい」
その言葉で、全員の注意が夕輝に向いた。
マツリ以外の人間には何も伝えていない。今ここで、彼らは初めて夕輝の略奪能力のことと、夕輝のしなければならないことを知るのだ。
どくどくと跳ねる心臓を落ち着けて、まずはその名前を呼んだ。
「......隼翼さん」
「......? 何かな」
突然名前を呼ばれて、彼は眉を上げる。きょとんとした表情は一般人と何ら変わらず、しかし今の夕輝は彼が盲目になったその理由も知っているので、疑問を持ったりもしない。
代わりにこんな言葉を投げ掛ける。
「今......日本が、いえ、世界中が能力者の存在によって危機状態に陥っている......少なくともその前兆があることを、あなたは知っていますね」
「......!」
隼翼は見えない目を見開く。どうしてそれを、とでも言いたげだ。
「......夕輝?」
巧は首を傾げる。話の主旨も意味もよく分からなかったのだろう。対照的に、隼翼の反応だけで夕輝の言葉に疑念を覚えた未来は尋ねる。
「危機状態......って、隼翼さん、どういうことですか?」
が、隼翼は答えない。
「......隼翼さん。あなたは特効薬の研究を進めているんですよね?」
「......その通りだ」
この辺りはマツリの受け売りだ。乙坂隼翼ならそうするだろう、と。
「世界中に能力者が生まれ、各国で彼らは大きな組織を作ってテロを起こす準備をしている。......既にそれを行った組織だってある。いつ能力者が暴走して、世界の情勢が覆るか分からない。......だから、能力者という存在そのものを失くすために特効薬の研究をしているんだ」
「え......」
琴羽が口を押さえる。未来も困惑した様子だったので、たぶん何も聞かされていなかったのだろう。生徒会のメンバーはその意味を正確に把握しておらず、首を傾げているだけだが。
「特効薬って......できるんですか?」
「......」
隼翼から沈黙。それがこの場合正しい返事だった。新薬は出来はしない。少なくとも、こんな短期間では。
夕輝は話題を少しだけ転換する。
「......25年前、恐らく、今と似たようなことがあったんですよね」
「......」
茜はその発言によって大まかなことを理解したようで、思案していた顔を上げた。松山も同じく。隼翼が答える。
「......ああ、松山くんから聞いているか」
その松山は今、夕輝を見詰めていた。眼鏡の奥の瞳は心なしか揺らいでいる。突然始まった世界レベルの話に混乱を隠しきれないみたいだ。
「確かにその話は僕がしましたが......それがどうしたって言うんですか」
「今」
夕輝はまだ心のどこかで認めたくないままでいた。つまり、これから話すようなことを。けれど事実だった。
だから心臓をぎゅっと握りしめて言う。
「......今、25年前とは比にならないスピードで、規模で、25年前と同じことが起こっています。そうですよね」
「......っ。その通りだ......」
彗星は加速し、やがて大気圏を掠めたとき、それまでの周期とは比にならない量の粒子を世界中に拡散させた。
結果、能力者の数も増え、それぞれの能力も以前までより強力になった。
能力者という概念そのものが凶暴化した。
思いきって言う。
「しかし......今回は前回のように、『略奪』の能力者は存在しない。だから特効薬を作るしかなかった」
「......っ!」
一歩後退りする隼翼。依然混乱中の巧と雪、話に付いていけていない春と怜、真剣そうな瞳のスライまるに立ち尽くして驚いた様子の未来と琴羽。松山と茜は次の言葉を催促するかのごとく夕輝を見詰めている。
「......俺の話を聞いて下さい」
「......?」
夕輝は皆に全てを話した。
能力のことも、自分なら怜の能力を奪えることも、自ら乙坂有宇と同じことをしようとしていることも、全て。
ただし、マツリのことだけは言わなかった。口止めをされているわけではないが、神だの未来移動だのと言っても混乱を招くだけだと思ったからだ。
その時間は短く淡々と続き、たったの10分後。
「────何て」
巧の小さな声が鼓膜に届く。当然、こうなることは分かっていた。
「なあ、夕輝。冗談だろ......? 何のドッキリなんだよ......らしくもねぇ......」
「......」
何も答えない。ただ、決意を固めた目は頑なで、夕輝はただ巧を真っ直ぐ見詰め返す。
「......っ、何だよそれ......おかしいだろ! 何だよ、いつの間にか『略奪』能力を
マツリ曰く、コピー能力が略奪能力に変化したのは神の御業。夕輝はそんな摩訶不思議な存在を認めたわけでも信じたわけでもないが、少なくともそれを言うわけにはいかず、コピー能力によるものだと説明した。それが手っ取り早かった。
巧はとうとう言葉を失う。
けれど、そんな巧よりも唖然としている人間がこの場にはいた。
春と茜。
夕輝はこのとき初めて、いかに彼女たちにとって自分が大切な人間であったのかを自覚した。
「......あ......」
何か言葉を発しようとしているのか、茜は口をぱくぱくさせている。
けれど、彼女の口から言葉らしい言葉は発されない。
「兄ちゃん、ねえ......どういうこと? 世界中、って......え......?」
夕輝は妹を見詰める。だらんと腕の力は抜け、抱えられていたスライまるは今は床に佇んでいる。
「夕輝......」
やっとの思いで、夕輝は口を開く。
「......隼翼さん。俺なら世界を救うことができます。能力者の数は膨大でしょうが......きっと成功させてみせます」
「でも、音永くん......」
「時間はありません。あなただって分かっているはずだ」
「っ......」
ぐうの音も出ないという様子。特効薬の研究なんてしているからこそ、隼翼はそれを作るのがどれだけ難しいことなのかを知っていた。
「......音永くん、今の話は本当なんですか」
それでもその中で比較的冷静さを保っていたのは生徒会長である松山。
「......本当だ。何なら証拠を見せてやる」
「もう......です」
茜の小さな呟きは聴こえず、夕輝は両手を伸ばすと『創造』能力を使う。結構な集中が必要だったが、間もなく青い光が手のひらを覆い、簡単なコピー用紙が生まれた。そして、瞬きのうちにそれは消える。
「......もう............です」
まだ、夕輝には茜の声が聴こえない。
「そして......『爆破』」
今度は家のカーテンに向かって手を伸ばす。力を込めると同時に、ぼん、と音を立てて暖色のカーテンが翻った。ずれたカーテンはそのまま太陽をちらつかせ、こちらにはその光が入ってきた。
夕輝は2つの能力を使った。
「......勿論、今の俺は猫になることもできる」
「もういいです」
しんと静まり返った空間に、突如として少女の声が響き渡り、消え入った。全員の集中は今度そこに向かった。
友利茜のもとに。
「もう......いいです」
夕輝はようやく、茜の表情に気付く。
「分かりましたから......」
茜は、もう何も言うなとばかりに視線を下に向ける。
「茜......」
ただ静かなだけではない静寂が、まるで全てのものの時が止まって動かなくなったような、真の意味での"静けさ"が、そこに佇む。
「時間が、ないんですよね......なら......仕方ないです」
茜はそう言うと、まるで空気でも読むみたいに、淀みなく綺麗に微笑んだ。
──茜は、こんなに聞き分けのいい人ではないはずなのに。
「頑張って、下さいね......私、応援してますから......」
くるりと後ろを向く。その一瞬だけ、彼女の表情が曇った気がした。
「......帰りますね。さようなら」
彼女は歩をだんだんと進め、最後は駆け出した。それは決して今までのように、ただ感情に任せてのものではなかった。
自らの感情を抑えて。
夕輝は、呆然と立ち尽くした。
──こうするしか、他に方法がなかった。
──これで良かったんだよな。
隼翼と琴羽、未来は帰った。夕輝はこの後白柳第一特殊科学研究所に向かうことになっている。再び隼翼に合い、明日にでもここを発てるように。
1日でも無駄にはできない。
急でも、やらなければならなかったのだ。
「......えっと、もしかしたらもう会えないかも......知れないんですよね?」
「......ああ」
夕輝自身もまだ実感が湧いていないが、夕輝が見た乙坂有宇の夢では、乙坂有宇は決断をした翌日には既に海外へと飛び立っていた。
それだけ急いでいたということだ。
夕輝はもっとなのではないか。
10日もかけて考えている余裕も、もしかしたらなかったのかも知れない。
時間がないから。
「あの......音永くん。その、絶対に無事で帰ってきてくださいね」
「......うん」
雪は俯く。夕輝は短く答えることしかできなかった。
「......いつになったら帰ってこられるんだ?」
巧はそんなことを聞いてくる。夕輝はしばし考えてみた。
乙坂有宇の記憶では、約2年で彼は全てを奪いきっていたはず。
ならば夕輝は。
略奪を始めるのも、乙坂有宇より遅い。
間に合うのかどうかすら──。
「......分からない」
「......そうか」
乙坂有宇の記憶を思い出したとき、夕輝は何かとてつもなく重要なことを見落しているような気持ちになった。
「......全て、奪う......」
「夕輝?」
「ああ、いや何でもない」
巧はどうしてか、今になって微笑んだ。
「お前が何を考えてんのかはよく分からんが......無理すんなよ」
どうしてか、その巧の表情は寂しそうだった。
──俺まで寂しくなってしまうじゃないか。
とは、とうとう言えなかった。
「......じゃあ、頑張れよな......親友。たまには連絡よこせよな」
「......ああ」
言い残して、巧は雪と共に間もなく家を出た。
気になることが1つあるが、ひとまず夕輝は怜に近付いた。
「怜くん」
「あっ......はい」
先程までの話を聞いていた怜は、すぐに身構えた。
「......乗り移っていいんだね」
怜の頭を撫でると、怜は首を少し下に曲げた。
「実は......ちょっとだけ、怖いんです」
「......え?」
意外な言葉に夕輝は驚く。怜が発した内容は、こんなものだった。
「だって......皆さんは、僕の能力が目当てで家に遊びに来てたんですよね......」
なるほど。怜の不安な気持ちも分かる。
彼の能力がなくなったら、生徒会としてはもう家に訪問することはないだろう。
──けれど。
「......大丈夫」
夕輝は確信していた。夕輝の知っている茜や巧たちはきっと、これからも怜と仲良くしてくれる。
「皆......春も、マツリも......能力がなくたって、お前と仲良くしたいと思ってる。......またいつでも遊んでくれるさ」
「......本当ですか?」
不安そうな瞳。
夕輝は怜の頭にあった自分の右手をゆさゆさと動かす。
「......本当さ」
それを聞くと、怜はいくらかほっとしたような表情に戻った。
「じゃあ......安心ですね」
屈託のない笑みを向ける。怜はとても素直な少年だ。夕輝がいつか帰ってきた日にも、変わらずにこのままで居続けてくれたら、それはとても良いことだ。
そんなことを願いつつ。
──夕輝は、怜の能力を奪った。
怜が帰ってなお、
春は隼翼たちが帰るより前にスライまると部屋に戻ってしまい、他の人間も全員帰ってしまっていたので、今このリビングには2人しかいない。
「......音永くん」
「え......何だ?」
2年の唯一の知り合いでありながら、夕輝が平語で話しかける相手。
根倉っぽい、夕輝よりもよっぽど背の低い生徒会長の名は松山。
彼はくいと眼鏡のずれを直す。
「......余計なお世話かも知れませんが......」
先に予防線を張りつつ──いや、後から思えば、これは予防線などではなく、松山の本心でありながら普段感情を表に出さない彼なりの気遣いだったのだろう。
「......?」
今思えば夕輝は、こんなにも長く共に生徒会に所属しているのに松山との正しい距離を知らなかった。そしてそれは松山も同様だ。
けれど、そんな彼もれっきとした人間である。彼にだって思うところがある。
「......僕は生徒会を、始めは茜さんと2人でやってきました」
正確には3人。松山はそのことを覚えていない。
「......そのうちに巧くんや雪さん、音永くんも加わり、1か月前にはマツリさんも加わって、今日まで生徒会が続いてきました」
少し間を置く。
「そして今日までの間、茜さんはずっと誰よりも生徒会の活動に熱心でした。ですが」
今度は間髪入れずに言い放つ。
「君より前から茜さんと共に過ごしていた僕でさえ、彼女のあんな表情は見たことがありません」
「......!」
その瞬間夕輝は、胸を鋭いもので刺されたような気持ちになった。松山の意味しているところを理解したからだ。
松山は少しだけ、声のトーンを低くする。
「僕は君たちにあまり干渉しませんが......君に対して茜さんがどんな感情を抱いているのか、そして......茜さんに対して君がどんな感情を抱いているのか、多少なりとも分かります」
「......っ」
「僕は......こんな状態のまま君が海外に飛んでしまうことが、2人にとって良いことだとは思いません」
「......」
松山の言葉は──正論だった。
このままでいいわけはなかった。
でも、だからこそ夕輝には分からない。
ならばどうすれば良いと言うのか。
「......音永くん」
「......?」
それらの渦巻く感情は、疑問は、矛盾は、葛藤は、間もなく松山の一言で一気に吹き飛ばされた。
「......難しいことは1つもないんです」
「......え?」
再度眼鏡をくいと上げ、松山は微かに感情の籠った声で夕輝にこう言った。
「君のすべきことはただ1つ。君自身の本心を、偽らない気持ちを、茜さんに伝えること──それが最も重要なんです」
「────」
夕輝はそう伝えられた瞬間、まさに目から鱗が落ちるような感覚になった。
体をがんじからめにしていたものが、実は虚構であると知ったかのように。
本心を伝えること。
偽らない気持ちを、茜への感情を伝えること。
──夕輝は本当に、何も見えていなかった。
行かないわけにはいかない。
けれど、このままで良いわけもない。
その2つを、あたかも相反するものだと思っていた。
「......行かなくちゃならない」
「......ええ」
「松山......先輩?」
「......やめて下さい、らしくもないですよ」
「......そうだな」
繰り返しになるが──夕輝は最後、生徒会長であり、そして2年唯一の知り合いである松山にこう伝えた。
「......ありがとう」
勿論、平語で、である。
茜の家のインターホンを押すと茜の代わりに例の娘溺愛訳あり親父が出てきたため尋ねたところ、茜は家にはいないそうだった。
夕輝はすぐに走り出す。エレベーターを待つ時間が惜しかったので階段を2段飛ばしで下り、エントランスを出た。
足は自然と、ある一点を向いて走り出していた。それは駅の近くで、全力で走ってもなお遠い。
10日前──雨にずぶ濡れになりながら1人で走ったときにはその遠さは分からなかったが、今の夕輝には永遠のように思えた。
風が夕輝を横切る。
その度に汗が乾き、体温が一瞬だけ下がる。
けれど体内ではそれ以上の熱量が生産される。
足が痛い。
心臓が痛い。
いつしかと同じだ。
沙良が消えてしまった後の、あの日も夕輝はこの道を全速力で走っていた。
やっとのことで駅を横切ると、ターンしながら上がっていく坂道。疲労の具合が全然違う。
それでも走った。
まだ、何も伝えられていない。
まだ、何も分かち合えていない。
このまま茜とさようならだなんて、もうずっと会えないだなんて、そんなのは嫌だ。
こんな酷い道を、夕輝は馬鹿らしいほど間抜けな面で走った。
走って、走って、走って。
足の痛みがピークを迎え、逆に痛みと思えなくなった頃。
──夕輝は彼女を見付けた。
「茜!」
橋の端っこ。
遠くに立っている。背を向けて立ち止まっている。
夕輝をずっと待っていたみたいに。
「茜......あかね、茜!」
彼女の名を何度も何度も反復する。彼女がいるということを自分に必死に教えるように。
そして、立ち止まる。彼女とは10メートルぐらいの距離が空いていた。
夕輝はゼーゼーと息を切らしながら、世界の裏側にも聴こえるのではないかというぐらい大きな声で叫んだ。
「俺は......俺は、茜のことが好きだ!!」
足はがくがく震え、夕輝はもう立っているのでいっぱいいっぱいになっている。
それでも、夕輝は叫ぶ。そして伝える。
「本当は茜と一緒にいたいんだ! 離れたくなんてない! 茜とこれからも手を繋ぎたい!
デートだってしたい! 茜を抱き締めたいし、いつかキスだってしたい!」
思いの丈を包み隠さず伝える。恥なんて関係なかった。世界に自分の覚悟を見せ付けるように、叫んだ。
「だから、必ず......必ず帰ってくる! 必ず無事に帰ってくるから......そのときは......また2人でどこかに出掛けよう! 手を繋ごう! キスをしよう......!」
死亡フラグ立てまくりな上に、台詞はどれも昭和のドラマみたいでダサいことこの上ない。
けれど、それで良かった。
車が通る音がやっと聴こえ出す。辺りに人がいないことを夕輝はようやく知る。
「......」
2人のどちらとも、何も発しない時間が生まれる。夕輝は1歩ずつ、彼女に近付いた。だんだんと駆け足になっていることに気付いた。
「......茜」
彼女はあちらを向いたままで、表情も見えない。束ねられた長い髪の毛と華奢な体つきだけが窺えた。
そのまま、1秒を何度も繰り返す。
と。
「......よく......こんな町のど真ん中で、そんな恥ずかしいことが言えますね」
やっと、茜が口を開いた。
夕輝は叫んだせいかやけに落ち着いていて、まだ切れっぱなしの息を含んだ声を返す。
「......人はいないからな」
答えた次の瞬間、茜はくるりとこちらを向いて夕輝に顔を向けた。
「......じゃあ......私のファーストキスはしばらくお預けですね」
「............!」
そう言った彼女はこの世のどんな清流よりも綺麗な涙を流したまま、どんな宝石よりも美しく、歯を見せて笑っていた。
「......待ってます、ずっと」
「............ああ」
思わず表情が綻んでしまう。
「......絶対に無事で、帰ってきて下さい」
「............約束する......必ず、戻ってくる」
1月6日。
夢で見た病室とは程遠いこんな場所で、夕輝はあの夢で見たのと同じように、茜と小指を合わせた。
茜色の夕日に見守られて。
そしてこの日──
色々と疑問を持ったかと思いますが、次回で最終幕でございます。
余談なのですが『爆破』の能力、実は原作で出てきてるんですね。13話を観ているときに気付きました。びっくりしました。
ですが、敢えてそのままにさせていただきたいと思います。
理由としては、原作の能力は有宇くんが『爆破の能力者』と言っているだけで、『爆破』という名前であるという根拠がないからですね。
後は、あれぐらいの規模なら、自分なら『爆発』という名前をつけるだろうな、と思ったからです。ダサかっこよく。え? 違う?
と、ここまで余談でした。
今回も文字数が4万を越えたため、非常に申し訳なく思っております。
Charlotte終わってしまいましたね。何度も観ているはずだと言うのに、胸に穴が開いて眠れません。
幕が閉じるまで、温かく見守って頂ければ嬉しいです。と、毎度同じ常套句を呟かせていただいております天然の未でした。