Charlotte Bravely Again(st) 作:天然の未
今回文字数が急に飛び跳ねまして、言うなれば涼宮ハルヒの陰謀状態になってしまいました。あるいは東京喰種 re:の16巻。
できれば漏らさずしっかり読んでいただきたいです。お願いを致します。
なお、今回もコミカライズの一部ネタバレがありつつな回になっておりますので、あらかじめご了承下さい。
それと、当然ですがこの作品はフィクションであるため、現実の人物・団体・組織または国とは一切関係がございません。作中の国家等を批難したりというつもりはありませんので、ご理解をお願いします。
朝。
リビングに出ると、普段と何ら変わらない朝食が用意されていた。
「......春、これって......?」
「......」
春は夕輝の言葉には反応せず、手を合わせて小さく「いただきます」と呟いた。
スライまるは春の隣でまた赤くなり、そして5秒程で緑色になった。ご飯を食べ終わった合図である。
「......いただきます」
ご飯、味噌汁、卵焼きとベーコン、色とりどりの野菜のサラダ、そして焼き鮭にりんご。
普段通りでもあるようで、普段とは違うようでもあった。
「......美味いな」
「......でしょ」
春が微かに笑んで答える。
「......うん、凄く美味い」
「......」
春はずっと俯いている。そしてご飯を口に含む。基本的にはずっと無表情。
「......今日、行くんだよね......」
「え......」
ふと、そんなことを尋ねる。確認と言うよりは、まだ実感が湧かないのだろう。
当たり前だ。春は今日から夕輝が世界中の能力を奪うまで会えないということを昨日知ったばかりなのだ。
夕輝は静かに伝える。
「......ああ、急がなくちゃならない」
「......そっか」
納得したように頷く。
「外国語は話せるの?」
「......昨日のうちに、未来さんの研究施設にいた翻訳能力者の能力を奪った。他にも、能力者の位置を探知する能力や......便利な能力をいくつも」
沈黙が生まれると、夕輝は味噌汁を啜る。
春の表情は暗めで、やっぱり胸が痛む。春がこんな風に悄然としているのを、夕輝は稀にも見ない。
やがて、春は箸を動かす手を止める。
その瞳は揺らぎながらも、真っ直ぐ夕輝を見詰めている。
「あのさ、兄ちゃん......」
「......?」
そこには今にも消え入りそうで、けれど確かな決意が見受けられるように思えた。夕輝は背筋を伸ばして春の話に耳を傾ける。
「......何だ?」
春は心臓の鼓動を鎮めるように胸に握り拳を当てて言う。
「昨日......スライまると話し合ったんだけど、」
とまで言うと、春は息を大きく吐く。一度下を向いた目は、再度こちらを向いたときにはもう強い決心の色を放っていた。
「スライまるを連れてって」
「......え」
その瞬間、夕輝の頭は真っ白になる。
考えてもみなかったことを提案──と言うよりは一方的に指示されて、反応できず固まった。
「兄ちゃん1人では行かせられないよ。......独りぼっちになっちゃう」
「......いや......」
軽い混乱状態のまま緑色の抜けてきたスライまるを見ると、奴もまた真剣な表情を湛えてこちらを見ていた。
夕輝の中に、焦りのような感情が芽生える。
「......ちょっと待てよ。スライまるがいなくなったら、春はどうするんだよ?......春の方こそ独りに......」
「いいや違う」
端的に、スライまるは夕輝を制止する。
「......?」
その意味が分からない夕輝にスライまるはこう弁舌を振るう。
「日中は1人で暮らしてた怜も、この冬休みは全然孤独なんかじゃなかった。今日から新学期も始まる......春の周りには友達も、茜たちもいる」
「......」
確かに、怜は孤独ではなかった。それは生徒会の皆がほぼ毎日のように遊びに行ったからであり、今日からは学校も始まる。
「それに......じきに、お父さんもこっちに帰ってくるんだろ?」
「......!」
付け加えられた『父』のワードに、夕輝はほんの少し動揺した。
そして同時に、納得もしてしまった自分がいることにも気付く。
「......けど、俺がいなけりゃ夕輝は本当に独りだ。孤独だ。......だから付いていく」
眉間なのかよく分からない場所にしわを寄せ、スライまるは最後にもう一度、先程と同じことを申し出た。
「俺も連れてけ」
「じゃあ春......行ってくるな」
「......うん。兄ちゃん、スライまる......元気でね」
思春期が終わるまでに世界中の能力を奪うとして──2年と少し。春が高校3年生になるぐらいだ。
それまでの間、夕輝は春と会えない。可愛い妹の成長を見ることができない。
胸が痛くて痛くて仕方がない。
仕方がないけれど──行かなければならない。
多くのものを守るために、皆の笑顔を守るために、夕輝は沢山の代償を払わなければならない。
「......行ってらっしゃい」
春は優しく微笑んだ。
「......ああ」
もし、乙坂有宇と同じように能力を奪い続けることで正気を失ってしまったら。大切な人の──茜や春の記憶を失ってしまったら。
帰ってこられるだろうか。
──帰ってこなければならない。
茜と約束したから。
あの記憶をなぞるように、約束したから。
無事で帰ってくると。
夕輝は大きなキャリーバッグを後ろに引いて、家を出る。
これからは毎日3食の食事が取れないような、風呂にも入れないような、眠ることもできないような生活が続くだろう。
それでも、やってやろう。
何度も開いた玄関の扉にしばしの別れを告げ、夕輝はスライまると共に家を出た。
──行ってきます──
「音永夕輝」
ふと、後ろから声がする。エントランスを出たところだった。
「......マツリ。どうした?」
「いえ、最後に挨拶を、と」
「......そうか」
スライまるは大きなポーチから顔を出す。
「......夕輝からある程度話は聞いてるぞ」
「......そうですか」
スライまるはマツリを睨んだが、彼女は首を縦に振っただけだった。
スライまるはそれ以上何も言わないし、彼女を責めることもない。
今回のことが仕方のないことだと知っていて、更に言えばマツリも神に命令されただけなのだと夕輝から聞いていたから。
勿論、夕輝もスライまるも神を信じたわけではない。けれど少なくとも近しい何かだろう。そんな気がしていたから。
「音永夕輝に1つ、お願いがあります......と言っても、そんなに難しいことではありません」
「......?」
マツリの一言一言に集中する。いつ何を言われても驚かないようにしなければならなかった。
が、彼女が依頼したのはこんな内容だった。
「私の能力は最後に奪って下さい」
「......?」
警戒していたからと言うのもあるだろうが、夕輝は今一その真意が分からず反応に困る。
「......生徒会員の能力は奪わない......って話じゃなかったか?」
思い出すのは隼翼の言葉。
──日本は比較的安全だ。俺たちと生徒会の皆で何とかする。だから生徒会の皆の能力は奪わずに、海外に飛んでくれ──
「ああいえ、そうではなく」
誤解を解くように手を振って、
「本当の意味で"最後"ということです」
と愛想笑いをする。
「......?」
「世界中の能力を奪ったら、最後はどうせ日本に戻ってきて日本の能力者の能力を奪うわけです。当然、友利茜たちのものも」
「......そうなるな」
ぴょん、とスライまるが肩に乗ってくる。
「だから、本当の
「......」
また胡散臭い"神"なるものの登場。
と言うよりは、胡乱、だろうか。
正体が掴めずおぼろげな存在。今となってはそんなイメージを連想する。
「......分かった」
短く返事をする。マツリは満足そうに頷いた。
「......ありがとうございます」
マツリに礼を言われると、少しもやもやするような、一方でこんな風に微笑まれるとむず痒いような気持ちにもなる。
「では、さようなら」
マツリは言うと、別に他に何も言い残さずマンションに戻っていった。
「......」
不可解なことは多い。けれどもし"神"なるものを信じてしまえば、全てに整合性が発生する。
──と。
そんなことを考えている場合ではない。スライまるにポーチに入ってもらうと、夕輝は再び歩を進めた。
全世界の能力を奪うために。
「渡航目的は?」
「観光です」
「どれぐらい?」
「2週間滞在しようと思っています」
夕輝は日本語で答えるのだが、シンガポール人の入国審査官には英語で聴こえているのだろう。夕輝の方はと言うと、このごつい男性の喋る英語が脳内で勝手に日本語に変換されるので、順調に対話が進んでいく。英語ペラペラの日本人とかに見えているのだとしたら完璧である。
「......現地に友人は?」
「勿論、います。彼に各地を案内してもらおうと思っています」
「......」
興味無さそうに頷くと、ごつい男性は判子をドンと押し付けた。パスポートを夕輝に返す。
「では、楽しんで」
かと思いきや急に豹変する。良い意味で。
なんと穏やかな笑顔か。人は見かけによらないな、と思った。こんな職場で働いていたらストレスも溜まるだろうに、温厚そうな男性だった。嘘をついたのが申し訳ないぐらい。
「ありがとうございます」
空港を出ると、早速四方を数字が埋め尽くしているのが分かった。
その内の1つを見る。"1603m"が白い文字で夕輝の斜め前に浮かんでいる。
「......凄いな」
半径10キロ以内の能力者を探知し、その方向と距離が分かる能力。
「やっぱ見えるのか?」
ポーチの中にぬいぐるみとして詰まっていたスライまるが言う。飛行機に搭乗している間は流石に出してあげたが、さぞきつかったことだろう。
「もう既に......そこらに結構な能力者がいる」
ちなみに少し頭が痛かったりする。日本と殆ど時差がないので時差ボケもなくて、あるのは軽い飛行機酔いぐらいだが、緊張もあって体に負担が早くもかかったのかも知れない。
「......早く行かなくちゃな」
試しに夕輝は始めに見付けた能力者に話しかけてみることにした。
「あなたは特殊な力を持っていますね?」
「......!」
短髪の少年に夕輝は動揺する。急に現れた日本人にこんな人気のない路地裏に連れてこられてそんなことを言われれば、誰でもそうなるだろう。
「......能力は病気です」
「......病気?」
「もう、使ってはいけません」
「......何を......うっ!」
しゃっくりするみたいに跳ねたのは、彼の体を乗っ取ったからだ。5秒。これで夕輝は少年の能力を手に入れたことになる。
少年は間もなく意識を戻す。自らが気を失っていたことには気付いたのだろう、彼は夕輝を幽霊でも見たいみたいな目で見る。
「な、何なんだお前......」
がくがくと腰を抜かして、その場に座り込んだ。
「あなたの能力を奪いました。もうあなたは能力を使えません」
「え......?......!」
手を地面にかざして何かを確認した後、絶望したように目を見開いた。
「......そんな、まさか......」
「では、さようなら。行くぞ、スライまる」
「......おう」
夕輝は路地裏を走って後にする。胸がじくじくと痛いような気持ちになった。
「......良いんだよな」
これまで生徒会でやってきたやり方とは──能力者の同意を得るやり方とは、全く違う。罪悪感が胸を締め付けた。
こんなことを続けなければならない。
何日も、何週間も、何ヶ月も。
能力を奪い始めて3日。乙坂有宇が始めにシンガポールを選んだ理由がよく分かった。
安定して能力が奪える。
この国は決して治安が物凄く良いわけではない。少なくとも日本と比べてしまえば圧倒的に劣っていた。2041年のシンガポールは以前よりも進歩し、故に貧富の差も際立っている。地域によってはスラム街も形成されており、しかも皮肉なことに、そんな地域に限って能力者は多かった。
雑然とした地域に能力者が多いということは、沢山の獲物がそこらを彷徨いていることと同じ。導入としては十分だった。
「......ちょっとだけ仮眠を取るか」
辺りはすっかり暗くなり、夕輝は高い建物の天井に寝そべっていた。こんな身ひとつの状態でも寒くないのは『恒温』という鳥類と哺乳類の延長みたいな能力のおかげである。
「俺、見張っとくな」
「......こんな場所、誰も来ないだろうけどな」
スライまるは体を少し白くして言う。眠いのだろう。暗さのせいで普通なら見えないのかも知れないが、今の夕輝は『暗視』なんて能力も持っており、スライまるの色までしっかり見える。ちなみにオンオフ可能である。
夕輝は目を瞑る。とは言えすぐに起きなければならない。時間は有限なのだから、すぐにでも乙坂有宇が手にした『眠らなくていい能力』に似た能力を得なければならない。
だんだんと遠くなる意識の中で、ふと生徒会の皆のことを考える。それから春のこと。と言ってもホームシックとかではなく、単純に何となく思い出しただけだ。
また今日も能力者がどこかに現れて、追いかけたりしたのだろうか。茜と巧と雪とマツリ、4人で。
と。
──プルルルル
眠ろうとしているところに、スマホから着信音。
電話だ。
「ん......もしもし」
寝ぼけまなこを擦って応答する。相手が誰であるかは確認しなかったので、夕輝はすぐにびっくりする。
『おい、夕輝!』
「......巧?」
それは、深山巧の声だった。
「どうしたんだ、こんな時間に」
時差は1時間。しかもあちらの方が進んでいるはずなので、よい子は寝ている時間である。
『どうしたもこうしたもねえよ......能力者を追ってたら俺、そいつの能力で骨折しちまって......今、救急車で運ばれて病院にいるんだけどよ』
「......骨折? 病院? 何寝ぼけたこと言ってんだよ」
巧にはそのうち連絡を入れようと思っていたが、あちらからかかってくることをあまり考えていなかった。取り敢えず国際電話は便利だ。
って、違う。
「......あのなあ、病院なんて行かなくてもお前の能力ならすぐ治るだろ。悪い夢でも見たのか?」
『そうじゃなくて......あ』
突如、巧の声が消える。代わりに彼女の声が聴こえてくる。
『もしもし、音永くんですか?......私、白柳です』
「雪か」
こんな時間に雪といるということは、ただ事ではなさそうだと何となく思う。
「病院ってのは......本当なのか?」
『......ええ』
帰ってきた返事は肯定の言葉。衝撃が走る。
それらを増幅させるように、雪は言い放った。
『......深山くんの能力が、消えてるんです』
「......え......?」
思春期とは一般的に、12歳~17歳ぐらいのことを言うらしく、人によってまちまちである。
ただ、巧ぐらいの年齢で能力が消えることは稀だと言う。思春期が終わっても、その後1年ぐらいは能力が残るんだとか。
夕輝は驚いたと言うよりは、冷や汗をかいた。2種類の意味で、だ。
まず、巧がまた無茶をして常人なら死ぬような行為に及んでいたら。今回、骨折で済んだのはかなり幸運だったかも知れない。怜が誘拐されたときのようなことが起これば巧は即死である。
これまで不死の体を持っていたからこそ、隼翼は巧に厳重な注意を促したらしい。これからは細心の注意を払って生活をするように、とのこと。
そしてもう1つ。
夕輝と同い年である巧の能力──いつ消えたのかは分からないが、彼の能力が消えたということは、同じように夕輝の能力がいつ消えるか分からないということ。
「......」
もし、今消えてしまったら。
考えただけで恐ろしくなった。
夕輝は仮眠を取るのはやめて、起き上がる。
こんな小さな国の能力者の能力を奪い取るのに何日もかかっていてはいけない。
「夕輝?」
「......スライまるは寝ていていい。俺は能力者を探してくる。ちょっと待っててくれ」
「おい、夕輝!」
始めは自らの奪った能力を知る手段もなかったが、今ではその詳細までも知ることができる。
すぐに、常時活動するための能力を獲得しなければ。
──その能力は、夕輝がしばらくしてオセアニアに『テレポート』してから手に入ることになる。
「......こんな施設があったなんて......」
オーストラリア。
夕輝は言葉を失った。能力者が密集している地点をグレートサンディだかグレートビクトリアだかの地図上に見付けたため来てみたが周囲に何もなかったため、まさかと思い地下を『透視』してみると、こんな地域には似合いもしない研究施設みたいな場所があった。
ちょうど、隼翼が何度も
「......まずいな......行こう、スライまる」
「おうよ」
スライまるは答える。夕輝は自らとスライまるを同時にテレポートさせる。
夕輝はとうとう荷物など持っていなかった。
テレポートしてみるとまず最初、『BLOCK D』と書かれた鋼鉄の壁を目前に発見する。
「......この先に能力者が......」
「貴様!」
と、後ろから英語で叫ぶ声が聴こえたので振り向く。
インド系の顔立ちの男が、迷彩服を着て大層な銃を構えていた。
「......インド人......ビカス・アチャリャ35歳」
「......何故俺のことを......貴様、何者だ! どこから現れた!」
彼は突然現れた夕輝にかなり焦ったようで、戦々恐々大声を出していた。
夕輝は彼に手をかざす。
「貴様一体何をっ......」
彼の声はそこで途切れた。
『硬直』。1分間、呼吸以外の目的で随意的に体が動かせなくなる能力だ。体内はちゃんと働いているので問題ない。
「......」
くるりと振り返り、機械仕掛けの扉を『風圧』だけで吹き飛ばす。あちらに人がいると危険なので、あらかじめ『
──警報が鳴り響いた。
「......これで全部か......?」
Aブロックまでの能力者の能力はキャリアも含め漏らさず全員分奪った。その数実に500人。乗り移るだけでも5秒使うので、かなりの時間がかかった。邪魔をする大人は全員テレポート能力で地上の砂漠に送り、能力を失った少年たちもまたそれぞれ安全な場所にテレポートさせた。
息が切れてきた。周りを見渡せばひびだらけの壁。
今日一番の成果は恐らく『睡眠伝導』の能力だろう。簡単に言えば、自らの眠気を他人に移すことで睡眠と同じ効果が得られるというもの。
眠らなくていい能力。
「......凄いね......まさか、1人でここまで派手にやっちゃうなんて」
誰もいなくなったと思っていたところ、後ろから声が聴こえる。
「......誰だ」
後ろを振り返るぱちぱち、と手を叩いていたのは背の高い青年だった。
「名前は......
夕輝は口に出したその瞬間、閃いた。先程から疑問に思っていたが、この場所には世界各国の能力者が集まっていたのだ。
見張りはもっぱら英語圏の人間だったが、それにしたって世界各地からこの場所に人が集められすぎている。
「ここは......秘密裏に造られた世界規模の研究施設......?」
「ご名答。各国から能力者が送られ、彼らの体について詳しく調べる。そんな場所......だったんだけどね」
小鳥遊なる男はにやついて、こちらを挑発するように言う。
「君がこんな風にしちゃうから、おじゃんじゃないか。一体、どうしてくれるって言うのかな?」
夕輝は間を開けず彼に言い放った。
「
「ふひっ」
彼は口元を歪め不気味に笑う。
「
この男──小鳥遊は能力者でありながら、研究施設で同じ能力者である少年たちを管理していたと言うことになる。
彼は愉快そうに高笑いした。
「はははははっ! 弱小能力者たちが毎日毎日『助けて、誰か助けて』って悲痛な呻き声を上げてるのを聴くと......凄く興奮したよっ! 早く拷問してやりたくて仕方なかった!」
「......!」
「夕輝、挑発だ。落ち着け」
スライまるは明らかに怒りを覚えている夕輝に注意をした。
「奴は何か企んでる」
「......」
「『双眸の死神』だったね。話は聞いているよ。東南アジアの全能力を奪った男......25年前の『隻眼の死神』と同じ能力を持った人間だ」
未だ余裕さを崩さずに、彼はこちらに1歩近付く。
「......君を捕らえるだけで、大金が手に入る。この施設での楽しみはなくなっちゃったけど、その金があれば一生
「黙れ......!」
夕輝の怒りは限界だった。
悪意のない人間を楽しんで殺せる人間なんて、許せない。
手のひらを奴に向ける。
思えばこのとき、怒りに任せてこんなことをせず、乗り移っておけば良かったのだと思う。
いや、それでも同じだったか。
彼の後ろに10人程、武装した人間が銃を持って現れた。
と共に、小鳥遊も手のひらを夕輝に向ける。
「打てぇっ!」
「夕輝っ!」
突然のことに反応すらできない。スライまるの叫び声も聴こえなかった。
バリアを張るのも間に合わず。
体が──為すすべもなく撃たれていく。
絶対にあり得ない場所に、いくつも穴が空いていく。
赤黒い血がどんどん流れる。
痛いような、熱いような。
声も出ず夕輝は後ろに倒れた。
「夕輝っっ! 夕輝!」
スライまるが防御に入る。赤くなり、夕輝の前を伸びて広がると、銃弾を全て受け止めて吸収した。
「むうぅぅぅっっ!」
やがて弾切れが起こる。スライまるが緑色になって地面に体を落とす。
「夕輝......おい夕輝、死ぬな!」
スライまるの声が耳の近くで聴こえるような気がする。それから、ぞろぞろと男がこちらに向かって歩いてくる。
「......やった! 死神をやったぞ!」
小鳥遊はこちらに駆け寄ってくる。夕輝は朦朧としてきた視界の中、奴を睨んだ。
「......っ!」
もうほぼ無意識に、夕輝は小鳥遊に乗り移る。
5秒。
5秒の間だけ、正常な思考力を取り戻し、真っ赤になっている自分の体を見た。
よく見たら──そうか、小鳥遊が手をかざしたときに能力を使ったから──腕が片方、切り落とされていた。
絶望した。
「......」
自分の体に戻る。
「......何が」
夕輝は最後の力を振り絞って、混乱している小鳥遊と男たちを地上にテレポートさせた。
場が一気に静かになる。
いや、違うな。
スライまるは隣で叫んでいる。
そんな気がする。
けれど、もう駄目みたいだった。
「あ......かね......」
最後の言葉がこれでは、格好もつかない。
────────────────。
「ん......?」
まず始めに、とても体が軽いことを認識する。軽いとは体重の話ではなく、とにかく熟睡したみたいに気持ちの良い目覚めであるということ。
熟睡。
「......んん......?」
天井はひびの入った固そうな材質。
前と後ろは一本道で、大きな争いがあったみたいに壁が大破したり穴が空いていたりする。
だんだんと、思い出す。
そして、夕輝が目を開いたのを確認したのだろう──
「......ゆううぅぅぎいぃぃぃい~~~!」
腹の方から声がした。どうやら夕輝の名前を呼んでいるようだったが、お腹の中に自分の名前を呼ぶ奇妙な生き物を飼っている覚えはないので、たぶん上に乗っているのだろう。
むくりと起き上がってみる。
スライまるは、こてんと落ちた。
破けまくった服には血が一滴も付着しておらず、けれど穴は50ヶ所以上ある。
「俺......」
「死んだがどおぼっだんだぞ~~~!」
スライまるは、滅茶苦茶号泣している。こんな風になっているのは初めて見た。事実夕輝はスライまるの目とおぼしき器官から涙が流れているのを見たことがなかった。
「ここ......って」
どうやら天国ではなさそうであると分かる。
では地獄であるかと言うと、そうでもない。
そこは先程、夕輝が撃たれたはずの場所だった。
思い出すと今度こそ恐怖で叫びそうになったが、乙坂有宇がそれでどうなったかを知っていたので、崩壊能力が発動しないように抑える。
「......俺は......撃たれて、死んだ、んだよな......?」
いや、違うと信じたい。事実、夕輝は自分が死ぬことなど今まで一度も考えたことがなく、例えば天国やなんかであなたは死んだと言われたところで信じられないだろう。
ぐすん、ぐすんとスライまるは鼻水をすする。
「......俺もそう思ったんだ。だけど、夕輝の体を見てたら、どんどん傷が塞がって、腕もくっついてて......服に付いた血も消えてって......ほんどうによがっだあぁぁ~~~」
言語として聞き取れるギリギリの発音で大泣きしているスライまるを見ていると、何だか申し訳なくなってくる。
ひとまずスライまるの頭を撫で、そして夕輝は周りの状況と倒れる前のこと、そして今のスライまるの言葉を整理してみた。
確か、銃撃を受けて夕輝は瀕死状態になったはずだ。何なら即死。
傷が塞がって、腕はくっついて、血は消えていった?
いつ、そんな能力を奪った。
治癒能力の一種は確かにあった。けれどあれは使おうとして使わなければ意味がないものであって、さらに言えば自分には使えないはず。
自然に体の傷が癒える能力などなかったはずだ。
どちらかと言えば──
「まるで......巧の能力だな......」
半ば放心状態にあったためか、そんな見当違いなことを考える。
目覚めたばかりだからか、落ち着いていた。
そもそも夕輝は、死んでいる場合でも眠っている場合でもないのだ。
全て奪って、茜のもとに帰る。その使命が夕輝にはあるのだから。
「......」
夕輝はそれを思い出したとき、そこはかとなく違和感を感じたのだった。
「全て......?」
アフリカは面積の割には比較的人口が少なく、4ヶ月もあれば全てを回れた。
──計算上は、これでもまだ遅い。今まで夕輝は東南アジア、オセアニアと続いて中央アジア、南アジア、西アジアの能力者を奪ってきた。東を残して来たのがこのアフリカの地。
何より、人口に対する能力者の割合が少ないことが大きかったと思う。
何故なのかは分からないが、アジアやオセアニアに比べて格段に、少年少女に対して能力者もキャリアも少なかった。
"欲望"が関係しているのだろう。地域ごとに人柄も性格も常識も違えば、抱く願望の大きさも違う、とかそんなところなのではないだろうか。
そのときは、夕輝はまだそんな風にしか考えなかった。
「......やっと、終わったな」
「次はどこに行くんだ?」
スライまるに問われ、夕輝はすんなりと用意していた返事を返す。
「......南アメリカだ」
「......そうか」
ペースをもっと上げよう。
そのためには、時間のかかる大規模な組織も効率的に叩かなければならない。
夕輝は自分とスライまるをテレポートさせた。
南米では夕輝はとうとう一睡もせず、四六時中能力を奪った。夕輝の噂を聞いてアルゼンチンに隠れていた能力者だけで構成された組織は、ボスの『服従』能力を使って組織員たちを従わせ、抵抗できないようにしてから能力を奪い、壊滅に追いやった。
彼らにも意志や希望や、あるいは決意があるのだろう。それでも夕輝は奪わなければならない。
多くの悪意と共に、多くの善意を。
多くの絶望と共に、多くの希望を。
全て等しく奪うことが夕輝の信じる正義だ。
また茜と、皆と笑って過ごせるように。
自分勝手と言われようが、それでも夕輝は皆の笑顔を守りたかった。
場合によって、1つの国を敵に回しても。
大勢の人間に恨まれても。
大切な人を守るために、夕輝はひたすらに奪い続けた。
──そうして、略奪を始めてから実に1年と半年の歳月が過ぎた。
「物の残留思念を読む能力だってさ」
「......サイコメトリーってやつか」
ドイツで最後に奪った能力の話をする。
朝の5時。1年半もすると夕輝は、作業のようにただ能力を奪うことにすっかり慣れてしまっており、今日もそうして24時間で1つの国の能力を全て奪った。
勿論、慣れないこともあったが。
「『海水』の能力者の男の子......能力なしでこれからどうするんだろうな......」
夕輝は、脆く弱く呟く。
水を海水に変える能力。彼はそこから取り出した塩を生活の糧として過ごしていた。
能力がなくなって、生きていけるのだろうか。
「......大丈夫さ。能力がなくても生きていける。そもそも、もともとは能力なんて持ってなかったんだ。能力を得る前に戻るだけだろ」
スライまるは何も無責任に言っているわけではない。彼だって、物事の本質をある程度は分かっているのだから。
けれど、夕輝が揺らいではいけなかった。
だから励ましてくれている。支えてくれている。
この1年半で、夕輝にとってスライまるはいなくてはならない存在になっていた。
「......そうだよな」
「ああ」
夕輝はそんな会話をしつつ、今となっては恒例行事であるテレポートをする。
いつの間にやら体はビッグ・ベンを向いていた。
「......次はイギリスを回るぞ」
「......了解」
スライまるはこくりと頷く。
「......能力者が密集してるのは......っと」
「どうした?」
夕輝は頭の中に浮かんだ映像。現在能力者が多い場所の状況を、脳とリンクして知覚する。
どこかで見たような通路。
「......また研究施設だ」
「マジかよ......どうする? 午前中にそこらの能力奪いながら作戦練るか?」
施設ともなると、一筋縄では行かない。
が、見たところあれ程大きな施設ではなさそうである。地形から緯度と経度を測定し、試しに飛んでみる。
上空から眺めてみるが、その場所にはただの道路があるだけである。
「......やっぱり地下か」
スライまるのいるところへ戻る。
「どうだった?」
「......面倒事は早めに済ませておいた方がいい。今すぐ行こう」
「作戦は?」
「後ろ楯に能力者がいる可能性があるから、先にそっちを潰す。俺の存在は知れていて警戒も十分されているはずだから、その裏を掻いて不意打ちをする。スライまるはいつも通り、攻撃の意思がある人間の武器を吸収してくれ」
「了解」
ただし攻撃の意思とは、夕輝に対してではない。施設の能力者に対してである。
稀に、研究者の中で罪のない能力者を手にかけようとする者がいる。彼らを人質に、夕輝を捕らえようとする心の汚れた人間がいるのだ。
ちなみに夕輝には、怪我をするとか死ぬとかいう心配がない。それは何も、ただ最強の能力者だから攻撃を被弾する心配がないとかだけではない。
もし、敵の攻撃が当たったとしても。
オーストラリアでもしやと思い、アメリカで確信した。
スタンガンで気絶させられた後、夕輝は何度も体を銃で撃たれ、切り刻まれていた。
血まみれになった夕輝は心臓も脳みそも肺も肝臓も胃腸も、腕も足も失ったのだ。
──けれど死ななかった。
いつどこで略奪したのかは分からなかったが、どこかの誰かの巧のものに似た能力のおかげで、夕輝は地獄のような苦痛にも10日間耐え続け、何とか隙が出来た内に逃げ出せたのだ。
どれだけ記憶を辿っても、あれより苦しいことはなかった。いっそ死んでしまいたいとすら思った。
気が狂ってしまうような痛みがあるのに夕輝は死ななかったのだ。それはもしかしたら死より辛いものだったかも知れない。テレポートや攻撃系の能力は手足が切断されているせいで使えず、それこそいつ抜け出せるか分からなかったときは、無限地獄のようにも感じた。
けれど、夕輝には耐えなければいけない理由があった。
もしあそこで発狂し、『崩壊』能力でも使えば、建物の中にいる能力者の命が危ぶまれるかも知れなかったから。
そして同時に、夕輝には死んでも抜け出さなければならない理由もあった。
──どれだけ記憶を辿っても、あれより茜が恋しかったことはなかった。
──と、とにかく夕輝はもし攻撃を受けてしまっても死にはしない。万が一のときはすぐにテレポートを使う。あの日のようにならないことが最優先だ。
意思疎通はそれで完了し、2人はすぐに隠された地下の研究施設へ跳んだ。
夕輝は少なくともこの時点では、約7時間後、夢の中で見た
──誰もいなくなった研究施設で、スライまると背中合わせに座る。と言ってもスライまるはちっちゃいので、体重を乗せているわけではないが。
「......流石に焦ったな」
「......部屋ごと爆弾を仕掛けるなんて......考えもしなかった。念のために晴山さんから貰っていた『解錠』の能力がなかったらやばかったかもな......」
胸を撫で下ろすこともできないくらいに、夕輝の心臓は未だバクバク言っていた。何よりこんな研究施設にいると、アメリカでのことを思い出して物凄く怖くなる。それが嫌だった。
そんな夕輝の心境を知ってか知らずか、やがてこちらを向いたスライまるはこんな提案をしてきた。
「......なあ、夕輝。たまには飯でも食わないか?」
「......え」
夕輝はと言うと、眠らなくてもいい能力に加えてご飯を食べなくていい能力も手に入れてしまったため、本当に休みなく能力を奪い続けるだけの日々を送っていた。疲労が溜まれば能力で他人に移し、お腹が空けば物質の持つエネルギーを変換して自らの熱量源にし、腹を満たした。理屈は分からないが、そうなっているのだからそうなのだろう。
「『満腹』の能力を奪ってから、お前何も食べてなかったろ」
「......それは......」
スライまるの言う通り、夕輝はもう何ヶ月もそれらしい食事をとっていない。
「でも、時間が......」
「馬鹿野郎」
夕輝にとっては、それは焦りに近い感情だった。とっさに反応して反論しようとしたのを、スライまるは遮る。
そしてこう言った。
「たまのことだし、良いだろ?」
「......」
こんな風にあっけらかんと言われてしまうと、もう言葉も出ない。
夕輝は結局スライまるとご飯を食べに行くことにした。
このとき既に何千何万という能力を奪っていたが──夕輝は正常な思考力を失ってはいなかった。
疑問を持つと共に、恐れてもいた。
いつになっても髪が伸びないことも。
「いらっしゃいませっ!」
若い店主がてきぱき接客をしている。面白いのは、彼がほぼ日本語と、あとは片言の英語しか喋っていないことだ。
「ぷぷ、プリーズテイクユアセルフ」
「......What?」
現地の客との会話は実に滑稽で、恐らく"Help yourself"とでも言いたかったのだろうが、これでは自分を取ることになってしまう。
しかも店には彼以外従業員が見えない。
よくその英語力で、しかも1人でこんな大きな店を切り盛りしているなと思ったが、存外このお好み焼き屋は繁盛しているようだった。ただ内装なんかから日本の古風な感じが味わえるため現地民にウケるというだけではなく、店主の人間性もあるのだろう。そう思った。
お好み焼き屋『TATSUYA!!』。謎にエクスクラメーションが入っているのは良いとして、ここは
彼は自分の息子がイギリスでお好み焼き屋をやっているなんて言っていなかったのでこの店を見付けたときはそれなりに驚いたが、夕輝はたまにはあの頃を思い出してみようと来てみた。
「......美味い」
「そりゃあ何ヶ月かぶりの食事だからな。美味いに決まってる」
最近は味覚を働かせていなかったためか始めはソースの味に凄く驚いた。勿論1年半以上前に一度食べただけのものの味など覚えておらず、同じ味なのかどうかもよく分からない。
でも、美味しい。それに変わりはなかった。
そして間もなく、店主の声が響く。
それは、夕輝の
「いらっしゃいませっ!......おお、アンナさん、どうも! ご無沙汰でっす!」
どうやら常連客が来たようだった。少しそちらに目を向けてみる。
──
「おう店長。モダン焼き頼めるか?」
「はいよ! わっかりました~!」
楽しそうに店を駆け回る店主。あの店主とは少し方向性方が違うが個性的だ。少なからず遺伝があり、あとは環境もあるのだろう。
そんなことを考えつつ、夕輝の思考の大部分はあの女性に向いていた。
まず、日本語。
彼女が店主と日本語でやり取りをしていたというところに、当然意外性を感じる。夕輝の能力では国籍しか分からないが、ハーフとかなのだろうか。
それからもうひとつ。
声。
夕輝は彼女の声を聴いて、どこかで聴いたような声だと思った。
しかしまあこれだけ世界中を回っていれば、似たような声の1つや2つあるだろう。
そう思って一瞬は気に留めなかった。
気付いたのはすぐだった。
彼女は間もなく店主に案内され、夕輝の隣の座敷に歩いてくる。よく見ると
「あ、アンナさんそこ段差あるんで気を付けて下さい」
「ああ......悪いな、毎度」
素朴な顔で、隣──夕輝の体からは前にあたる座敷に上がる。
一見、何でもない店主と常連客のやり取りのようにも見えなくもない。けれど夕輝はすぐに、そうではない理由に気付いてしまった。
段差があることに対する注意ぐらいなら、別にしたっておかしくない。気遣いのできる店主なら全ての客に呼び掛けているとしても不思議ではないのだ。
けれど、アンナという女性はこう言った。
──悪いな、
段差があることの注意に返す言葉ではない。毎回注意されているのだとしても、こうは返さないだろう。
後ろを振り返る。
彼女の目線はしっかりと合っているようで、どこか不自然だった。
盲目。
その2文字が過った。
「では、ごゆっくりっ!」
「ありがとよ」
そんな会話が聴こえたのと夕輝が動き出したのは同時で、気付くと夕輝は彼女に話しかけていた。
「あ、あの......!」
「......?」
彼女は夕輝の声に気付くや、長い銀の髪をなびかせながらこちらを向く。無表情で、別段驚いたりはしていない。
「......どうしたんだい、あんた? そんな慌てた顔して」
「え......」
夕輝はそこに僅かな違和感を覚える。
慌てた顔、と彼女は言った。
「見えるんですか......?」
こちらに顔を向けて、少なくとも目が合っているのは確かだ。焦点はしっかりと両目合っていて、そんな彼女は夕輝の戸惑いに一瞬眉を上げた。私が盲目だと分かったのか、とでも言いたげだった。彼女は答える。
「......いや......見えないぜ。ただ何となくそんな気がしたんだが......違ったか?」
優しくとても聴き心地のよい声音で彼女は尋ねる。既に答えが分かっていて聞いているようにも見えた。
ここで、夕輝の疑惑は確信に変わる。
「......慌てた顔、ですか。言われてみれば、そうかも知れませんね......」
夕輝は取り繕わず素直に伝える。
それから、こう付け足した。
「こんなところであなたに会うなんて思っていませんでしたから」
今度は眉をひそめる彼女。
「はて、そう言えば私もあんたの声、どこかで聴いたような気がしてたんだ」
夕輝は銀髪の彼女──アンナと呼ばれた彼女はそう言ったが、
「......あなた......ZHIENDのボーカルの......
「......!」
彼女は一瞬動揺したように反応して黙るが、夕輝はそのまま続けた。
「......声を聴いてもしやと思いましたが......その反応は、やはり当たってましたか」
彼女は正座したまま膝に手を置いて、数秒沈黙。その時間はやけに長いように感じられたが、彼女とはまだ話さなければならないことがある。
どうせそのうち会って
ちなみにそのスライまるは、今夕輝の後ろで他の客に見えないようにお好み焼きを食べつつ、こちらを向いている。
銀髪の彼女は諦めたようなため息をつく。
「名前を変えても......見た目をここまで変えてもバレるんだな......。ああそうさ、あたしがZHIENDのボーカル、サラ・シェーンだ」
「......」
髪は染めたのだろうか。髪型と色が違うだけで全然印象が違うと言うのに、彼女はマスクをしていて顔が殆ど見えない。
「声だけで分かるなんて......あんた、若いのにZHIENDなんて知ってるのか?」
意外そうな顔で尋ねるサラ。
「......ええ......ちょっと時間、良いですか? いくつか聞きたいことがあります」
「ん?......ああ、何なりと。サインぐらいならしてやるぜ」
彼女はけらけら笑う。それから、わざわざこちらに移動してきた。間もなく店主がやって来る。
「へいお待ちぃ!......って、アンナさん? こちらの彼は知り合いっすか?」
「......んまあ......そんなところだな。ここで食うけど、店長、良いか?」
「え、あ、はい勿論!」
流れで夕輝の方の畳にやって来て夕輝と向かい合わせに座った彼女は、何の気なしに店主に伝える。夕輝としてもそちらの方が好都合だった。
「あ、店長。ビール頼む」
「こんな時間にビールですか! 流石アンナさん、熱いですねっ!」
何が熱いのかは知らんがむしろあんたが暑苦しいぞ、とは言わないでおいて、夕輝は店主が通路の奥に消えていくのを見送った。店主はいつしかのお好み焼き屋の店長に似て、とてもいい人そうだった。
間もなく、目の前に座った彼女はお好み焼き──モダン焼きを焼き始める。スライまるはその間ずっと、彼女を机の下から睨んでいた。
「......くぅ──っ! やっぱ効くぅ──!」
彼女は小ジョッキを傾けてビールを一気に口に流し込んだのち、爽快に叫んだ。
「モダン焼きもうめぇ──っ!」
がつがつという擬音語が似合う食べっぷり。彼女は嬉しそうな笑顔を見せ、豪快に焼けたモダン焼きを食していた。
「......」
夕輝はその間、水をたまに飲むぐらいで、殆ど何も口にせずに居座っていた。もう10分は経った。
「......おっと」
何も反応を見せない夕輝の心境をやっと察しでもしたのか、サラは箸を止める。この辺りの挙動は夢で見たままで、乙坂有宇といるときと変わっていない。ただ、幾分か老けており、見た目は結構変わっている。
「そう言えば、話があるんだったな......。何だった?」
彼女はお手拭きで口を拭く。夕輝は固唾を飲んで、自らを落ち着けた。
「......じゃあ、良いですね?」
「......ああ。どうやら......大事な話のようだな」
夕輝の息遣いから何を悟ったか、急に膝に手を当てる。夕輝は簡単なところから尋ねてみた。
「あなたは......乙坂有宇のことを知っていますか」
「......?」
一瞬、肩が僅かに動いた気がしたが、彼女はすぐに何でもないように微笑む。夕輝はその仕草をさほど重大なことと捉えはしなかった。サラは肩をすくめ、当然のように答える。
「......さあ? 日本人の友達は多いけど......オトサカ......そんな知り合いはいないな」
「......そうですか」
その返事を聞き、夕輝は少し寂しいような気持ちになる。当然だが乙坂有宇の
当時の一希──廃人と化してしまっていた頃の茜の父──の前で自分が歌ったことも、サラは忘れてしまったのだ。
「それで、そのオトサカってのはどんな人なんだ?」
今度はやけに食い付いてきた気がした。ちょっとびっくりする。夕輝はもう1年半も能力を奪っているが、未だに心を読む能力を1つも手に入れていないため彼女の思っていることは分からない。
けれど、そこには彼女の──少なくとも無色ではない色が、含まれているように思えた。
気のせいか。
そうだよな、と軽く息を吐く。
「いえ、彼については......ちょっと聞いてみただけです、もしかしたら......と。学生時代に結構大変な思いをして、一度は記憶も失って......けど、今ではその記憶も取り戻して元気にしてますよ。その娘さんと同い年で......」
と、最初は気を付けていたつもりが、途中からまた彼女が乙坂有宇のことを知っているみたいに話してしまった。
彼女は彼の存在も忘れていると言うのに。
──しかし、そう思って見てみた彼女の表情は、心なしか安堵しているようだった。
「......?」
夕輝にはその意味が分からない。
どうして、そんな風に気が抜けたみたいな顔をしているのか。
「そうかい......そいつぁ、良かった......な」
終助詞が何を物語っているのかは分からないし、たぶん永遠に分からない。
直感的にだが、そんな気がした。
「......それで? 他にもまだ、聞きたいことがあるんだろ?」
彼女はすぐに、話を転換する。まるで、これ以上の彼の話題を避けるみたいに。深く追求はしない。
もっと、大事なことがあるから。
「......ええ。もう1人、
「......ある人?」
ここまで緊張した記憶はなかなかない。彗星の落下を防いだときもアメリカの研究者たちに捕らえられたときも、緊張より焦りや恐怖みたいな感情が先を急いで純粋にこんな気持ちにはならなかった。
深呼吸をする。スライまるは机の下でうたた寝をしていた。
夕輝はその姿を確認してから前を向き、彼女に視線をやる。
「あなたは......っ」
言おうとして、けれどやっぱり夕輝自身が聞くのを恐れていることに気付く。
怖い。
どんな解答が返ってきたとしても、真実が分かったとしても、夕輝はそれを受け入れられる気がしなかった。
「......どうした?」
「......」
サラは素朴な疑問という風な顔をする。その表情は綺麗で、夢で見たときと殆ど変わっていなくて──。
とても、
うるさい程鼓動を重ねる心臓を押さえて、サラを睨み付ける。
あなたは誰だ。
お前は誰だ。
すぐにでも問い詰めてやりたかった。
彼女は──どこへ行った。
「あなたは......
「..................え」
あの日。
夢を見た日。
夕輝はサラが乙坂有宇の前に現れたまさにその瞬間に思ったのだ。
沙良に似ている。
そしてその日の夜。
マツリにインターホンを押される直前。
夕輝はサラのことを、沙良のことを思い出そうとしていた。そして2人が一体
けれど、遮られた。
だからあの日、夕輝はマツリに沙良のことは聞いたが、サラのことを聞かなかった、聞けなかったのだ。
サラのことを思い出す前に、気が動転してしまったから。
そのまま彼女には何も聞かずにここに来てしまった。
そして──サラ・シェーン本人が今、ここにいる。
「あんた......何で、それを......」
見えない目を見開いている。混乱を隠せない様子だ。
彼女は何かに気付いたように顔を上げる。
「まさか......お前、
「............!」
そしてその言葉がとうとう、
夕輝はどんな顔をして良いか分からず、ただ彼女を見詰める。戦慄すら覚えるような、大きな安堵を感じるような、緊張に震えるような、心が締め付けられて痛いような、疑問に体が蝕まれるような、そんな気持ちで声を震わす。
「......
彼女は──サラ・シェーンは、沙良だったのだ。
能力の略奪を始めてから、何度も何度も繰り返し考え、その度に肯定と否定の狭間を行き来した仮説。
2人の名前が同じであること、2人の見た目が似すぎていること、沙良がイギリス人と日本人のハーフで日本語が不自由であること、2人のどちらともが歌を歌う人間であったこと。
そして、いくつもの方法が考えられた。沙良とサラが同一人物になり得るための手段が。
例えばマツリの能力が『未来移動』であったように、沙良の能力がその逆だったという可能性。過去に飛ぶ能力。
はたまた、誰かに過去へと飛ばされたのか。
少なくとも分かることは1つ。
──2人が同一人物であるという可能性は、その説は間違っていなかった。
沙良は、頭が真っ白になってしまったかのように口を小さく開いている。何も考えられない、考えたくもないと言っているような表情。何故そんな顔をするのか夕輝には分からなかった。
そして──。
「あたしは......」
彼女は涙を流した。片目から、一粒の涙を。間もなく落ちたその涙の跡は彼女の頬をなぞるようにして曲線上に残り、やがてもう片方の瞳も、色と温度のない無機質な光を産み落とした。
「あたしは......」
彼女はただ、現実から目を背けるみたいに呟き続ける。続く言葉は何だろうか。
彼女は今、何を思っているのだろうか。
やっと、沙良は意味を持った言葉を紡ぐ。
「あたしは、お前に......お前に合わせる顔がないんだ......」
「......え?」
彼女が発したのはそんな言葉だったが、それは余りにも唐突で夕輝は首を捻る。
「それって......」
沙良が夕輝に一体何をしたと言うのか。
沙良にどう声をかけるべきか分からず、あたふたする夕輝。
──そして。
次の瞬間──沙良の言い放ったことは、夕輝を夕輝をとうとう
「こっちにいるってことは......まさか、略奪を始めたのか......!?」
「え?......どうしてそれを」
夕輝には沙良がそのことを知っている理由が分からなかったが、沙良にとってはそんなことはどうでも良かった。
今の返事は、要約すれば『YES』である。
「嘘だろ......? 何で......」
彼女は焦りを通り越して絶望の表情を浮かべていた。世界の終焉を知ったような顔だ。
彼女はそして言った。
「......何で......こっちを選んだんだよ......」
「......え?」
「どうして、
声が響く。
大きく響いて、けれどお好み焼き屋の喧騒に閉じ込められて消えていく。
──消えていく。
「............は?」
夕輝はこのとき、考えて答えに辿り着くより前に頭を真っ白にさせた。普段の"真っ白"よりも意識的で、どこか自ら避けるようでもあった。まずは沙良のことを妄言を吐いている人間に呆れるみたいに見詰める。
「なあ沙良......? 何言ってるんだ?」
しかし、いざ声に出してみるとそれは微かに、ほんの少しだけ震えていた。
何故かは分からない。
ただ唯一彼女の言葉の断片を情報として取り込んだ直感がこう言っているのだ。
──考えてはいけない。
「不老不死って......一体何だよ、急だな。俺は能力を奪ってるだけで......」
頭にちらつくのが、オーストラリアとアメリカでの出来事。
いや、違う。
あり得ない。
「不老不死になる能力なんて......はは、そんなの奪ってないぞ」
笑いが混じる。そこに夕輝の感情があったのかはもう分からない。
沙良は表情をいっそう暗くして、クビになったその日に痴漢の冤罪で逮捕されたみたいな声を出す。
「......まさか、知らなかったのか......?」
違うだろ。
そうどこかが言っている。
何が違うのかも分からない。
「知らずに奪ってきたのか? アイは──」
沙良は夕輝をずっとそんな死んだような目で見詰めていたのだ。勿論、見えてはいないのだろうが。
──それが怖かった。
ただ、沙良の言葉を避けるように──。
「待ってくれ」
気付けば彼女を止めていた。
そして、どうしてか早口になってしまっている自分にも気付かずに捲し立てる──
「......よく分からないことを言うのはやめてくれよ。俺にはお前に聞きたいことがいくつも......」
──つもりだったのだが、夕輝の言葉はとうとうそこで途切れた。
沙良の表情は、死を目の当たりにした人間のそれよりも絶望感に満ち溢れていたから。
「っ......?」
それが、夕輝に思考を促す。
何故、あのときあんなに撃たれて死ななかったのか。
──いやいや、待てよ。そもそも不老不死になる謂れがないぞ。
あるいは、何故あのとき体を切断されても解剖されても死ななかったのか。
──あり得ない。いつ、どのタイミングでそうなった。そんなことはあり得るはずがない。
「......1つずつ、教えてくれないか?」
夕輝はこのとき、既に恐怖することを忘れていた。
いや、本当は海よりも広く深い圧倒的な恐怖があったのかも知れない。けれどそれを感じなかった理由は──
沙良が夕輝の恐怖を上回る程に、生気を失っていたからだろう。
「......まず、お前がどうなったのか。何でこんなに歳を取ってるのか......いや、違う。どうして過去にタイムスリップしてしまったのかを教えてくれ」
夕輝は無意識に
「......なあ、沙良」
沙良の肩を揺する。彼女の体は、脆く崩れてしまいそうな程受動的に揺れていた。小さな声で沙良は述べる。
「あたしは......この時代から過去に時間移動したんだ......そして盲目になった」
力の抜けた声。それでも彼女が答えるのは、まさか
「......時間移動?......お前はそんな能力を持っていたのか......?」
もしそうだとしたら、辻褄は合う。
松山に発見される前だったのだとしたら。
──が、沙良は言った。
「......違う」
「......え」
戸惑いと混乱。
一体、何が違うのか。
「......あたしはそんな能力はもともと持っていなかったんだ......」
「......それって......?」
こんなときに限って夕輝の頭は冴えていて、漠然と、先に答えに辿り着きそうになってしまったのを少なくとも言語化しないよう制御する。
「......本当は......あたしが背負うべきものだった......」
「......え」
そして、その呟きが何に対してのものなのかまでもすぐに分かろうとしてしまう。必死に抑えた。
しかし、それもつかの間。
「本当は、夕輝じゃなくてあたしが......あたしがやらなきゃいけなかったんだ」
「え............?」
「あたしは......『略奪』能力者だった」
「──────」
言われる1秒前には辿り着いていた答え。
その解答は──夕輝に重くのしかかった。
「あたしが逃げたせいで......お前が不老不死に......」
「......何言って......」
分かっているつもりだった。
理解してしまったつもりだった。
「もう一生死ねない体に......どうして......! どうして......!」
実際のところはまだ、意味が分からなかった。また頭が働かなくなる。
「......沙良......」
彼女の名を呼ぶので精一杯で。
夕輝は自らの身に起こっていることをもう一度よく思い出す。
死なない。
爪や髪が伸びない。
それだけで、証拠としては十分なのだろうか。
どうしても認められないでいる。
不老不死だなんて──あり得ない。
彼女の言っていることはそういうことなのか?
夕輝が勘違いしているだけ?
齟齬が発生している?
そもそも全てのものは有限であるはずだ。
永遠の命?
夕輝が永遠の命を手にしたと言いたいのか?
──それどころか、沙良が略奪能力者で、彼女が逃げたせいで自分が略奪をしている?
そして、老いず死ななくなっている?
「何だって言うんだよ......そもそもそんなこと何で知ってるんだ......証拠はあるのか?」
話が飛躍しすぎていることは分かっていて、でも聞かずにはいられなかった。"証拠"などという大層な言葉を使ってでも、真実を知りたかった。知らないではいられなかった。
「いつ誰にそんなことを聞いたんだ」
まさか、沙良も言うのではあるまいな。
"神"が言ったんだと。
少なくとも夢の中では、沙良はサラ・シェーンとして乙坂有宇に助言をする際、"神"という存在を示してみせていた。
しかし、返ってきたのはこんな言葉。
「......アイだ」
それが人の名前であると認識するには、結構な時間がかかった。
「............アイ?」
「ああ......お前と同じ......世界中の能力の略奪と、不老不死の運命を背負った能力者だ......」
「............!」
瞬間、身震いするような驚愕が、夕輝の体を覆い尽くした。
お前と同じ、という言葉はあまり上手く飲み込めない。そもそも不老不死に自分がなった前提で話が淡々と進むのがおかしいと思った。
理屈は?
どうしてそうなった?
分からない。
けれど、夕輝はその言葉に愕然とした。
「今、何て......」
「アイは不老不死になった能力者だった。そしてあたしに......真実を伝えたんだ」
沙良は俯いて、冷めきったモダン焼きを見詰めていた。
「真実......?」
「あたしのせいで夕輝が略奪能力者になることも、夕輝が不老不死になることも全部、あいつに教えられた」
「......」
不老不死になった略奪能力者が過去にいる?
信じられないが、もし本当にそうなのだったとしたら、夕輝が不老不死になったという沙良の言い分も否めない。
けれど。
「待てよ......? 略奪能力者は前回の周期にいただけなんじゃないのか? 今回の周期で沙良の能力がその『略奪』だったとして......おかしいだろ......それじゃあまるで、他の周期でも『略奪』の能力者はいたみたいじゃないか......」
「......」
沙良は答えない。代わりに、夕輝を腫れたままの見えない目で睨んでいた。
「......それに......『略奪』能力の運命? 世界中の能力の略奪? それは乙坂有宇と俺だけの話で──いや、前例があるのか?」
考えれば考える程分からなくなる。夕輝の頭は絡まったたこ糸のようで、二度とほどけそうにはなかった。
──と、黙ったままの沙良の瞳をじっと見ていると、あることに気付いた。
今までの沙良の話を否定するためだけの──しかしれっきとした事実。
「いや......そもそもそんな能力者がいるなら俺が気付かないはずがないだろ......。どれだけの能力を奪ってきたと思ってるんだ......」
夕輝にとって、それは自明なこと。現在机の下でとうとう眠り始めたスライまると共に、世界各地を回ってきた。もしその"アイ"が世界中の能力を奪ったのだとして、ならば1人で何千何万という能力を所有しているということになる。そして不老不死になって今も生きているのなら、夕輝がそんな強力な能力者に気付かないわけがない。
沙良はそれを聞くと、一際小さな声で、けれど確信を持ったように言った。
「......それでも、確かにあいつはいたんだ......」
消え入りそうな、微かな声で。
「......だって、あたしの記憶と記録は世界中から消えたんだろ......?」
ついでに付け足すような一言は、夕輝にとっては余りにも重すぎた。
「......! そうだ......そうだよ、どうして忘れてたんだ......あれは一体何なんだよ......! お前が過去に跳んだんだとして、どうしてお前のことを誰も覚えてなかったんだ......」
身を乗り出して、沙良に強く詰問する。
夕輝にとって、最も長く続いた最も大きな謎がそれだったのだ。
「だから......それはアイが......!」
沙良は夕輝を振り退けるように、俯いたまま言葉に感情を乗せる。その瞬間だけでは怒りのようにしか聞こえない感情は、夕輝を震撼させた。
静かになって、時が止まる。
「......沙良......?」
「......いや、ごめん。ちょっと取り乱した」
沙良は寂しそうに微笑む。
「......あたしがアイに頼んだんだ。世界中から、あたしの記録を消してくれって。その調子だとあいつは上手くやってくれたみたいだな」
「......記録を消すって......どうして? そもそも頼んだって、そんなこと1人の人間にできるわけ......」
とまで言って、先程の言葉を思い出す。
「......いや、不可能じゃない......?」
ひょっとしたら夕輝にも、できないわけではないかも知れない。
ある人間についての記憶を整合性を保ちつつ消す能力。
文面やデータ上から上手く個人の情報を抜き取る能力。
そして、世界中にまで能力を拡張する能力。
それらがあれば、不可能とは言い切れない。
そして、そんなことができる存在。
「本当に......別の略奪能力者がいるのか......?」
「......」
そうとしか考えられなかった。
思い返せば──。
あの日、マツリは言っていた。
世界中の沙良に関する記録と、彼女の記録が突然消えたのだと。
もし仮にそんな最強の能力者がいるのなら、マツリの話も分からなくはない。むしろ説明がついてしまう。
では、どうして見付からない。
俺に見付からないよう、隠れている──?
夕輝がそこまでの思考をしたところで。
「......夕輝」
「ん......?」
沙良が再び話しかけてきた。
「茜たちは......元気か? 琴羽は無事だったか?」
思考のために俯いていた顔を思わず上げる。
彼女は、やっと夕輝の方を向いていた。
「......きっと、今も元気してると思う......1年半も会ってないから確かなことは言えないけどな。琴羽さんも元気で、今は普通の生活をしてるよ」
「......そうなのか......良かった」
沙良が見せる安心した表情。
沙良が茜と琴羽のことを想っている証拠だ。
しかし夕輝は、だからこそ今、伝えなければならない。
「茜は......お前にずっと会いたがってた」
「え......」
「お前がいなくなってから、あいつは自暴自棄になったぐらいなんだ」
そう伝えると、沙良の表情が一変した。
「え......? おいおい、待ってくれよ。茜はあたしのことを覚えてたのか?」
「?......そうだが」
「......どうして......アイは......次に略奪能力者になる人間の記憶だけを残すって......」
また不気味な言い回しだ。
夕輝のことなのだろうが──。
その言い方ではまるで、略奪能力者という概念が形式化しているみたいではないか。
「......それも......アイの嘘なのか......」
「......?」
沙良の独り言のようなそれは、夕輝の理解に及ぶ範疇にあるものでは既になかった。
「......茜は、あたしに会いたがってたのか」
彼女は先の夕輝の言葉を反復する。
「......ああ、凄く」
「......そうか。本当に、すまないことをしたな......」
沙良は自らの罪悪を咎められているような表情になる。
だから、こんな言葉をかけた。
「......もういいんだ」
「......え?」
髪を揺らしながら、彼女は顔を上げる。
「......沙良にとっては、もう遥か昔のことだろ? だからいいんだ」
「......」
「俺はずっと......沙良に会いたかった。きっと沙良を見付けるって心に決めてたんだ。それで......これだけかかったけど......また会えた。それだけで十分なんだよ。だからもう、自分を責めないでほしい」
それでも、茜が沙良のことを思っていたことだけは伝えたかった。知っていてほしかった。
「......本当に、許してくれるのか......?」
「......ああ。俺はお前を責めない。お前の言ってることの殆どは理解してないし、もしかしたらこれからのことによっては......お前を恨むかも知れない。......でも、俺は沙良を絶対に責めたりなんてしない」
「......」
沙良の喋った内容の半分も理解していないが、夕輝はそれらを理解したとき、もしかしたら沙良の何倍も絶望することになるのかも知れない。
何より怖かったのは、『不老不死』の4文字である。
それが何を表すのか。
夕輝がそうなってしまったのか。
考えることも今はできないぐらいに、恐れていた。
──けれど、それでも夕輝は、岩下沙良という友人と再会できたことが嬉しかったのだ。
「......あたしは......きっと、それでも自分を許せないよ......」
寂しそうに微笑む。痛みに耐えるような表情だった。
「あたしはたぶんいつまでも......あたしのことを呪い続けるさ。......それは、義務みたいなもんなんだ。償いでもある。......自分勝手な、独りよがりな償いさ」
そこで一旦自己完結をする。
重い数秒。
それから、また口を開く。
「けど......もし、夕輝が心からそう言ってくれるなら......あたしから言うことはもう何もないよ」
「......沙良?」
「ここらであたしは、おとなしくオサラバだ」
「え......」
彼女はもう一度口を拭くと、立ち上がった。
退出しようとしているのか。
「......沙良、待ってくれ!」
まだ聞きたいことがある。
まだ、何一つ分かっていない。
「......あたしはもう岩下沙良じゃない。Zhiendのボーカルのサラ・シェーン
「......違う、お前は......!」
「全てを知りたいならアイを見付けろ」
「......っ?」
夕輝には分からない。彼女が何を言っているのか。
「アイは必ずいる。岩下沙良の記録が消えたのが何よりの証拠だ。......少なくともあたしには、これ以上のことを話す資格はない。あたしとお前は......一緒にいちゃいけない。きっとそういう運命なんだ」
「何言って......おい、沙良!」
「アンナさん! お会計ですかっ?」
店主が夕輝を遮る。
「ああ、これで頼む。釣りはいらない」
「はいっ、毎度あり!......って、こんなに頂けませんっ! ちょ、アンナさん? アンナさぁぁん!」
そして、沙良は────アンナは、店の外へ出ていってしまった。
夕輝には彼女を追うこともできない。
彼女の背中が、もう夕輝と一緒にはいられない、と告げているような気がした。
「沙良......何で......」
沙良に聞けていないことがまだ沢山ある。
"アイ"なる略奪能力者のことも、夕輝はまだ分かっていない。不老不死というワードの意味も。
どうして行ってしまったんだ、とも聞けない。
追ってはいけない気がしたのだ。
「......沙良......」
と、ふと足が擽られる。
「......?」
その瞬間だけあらゆる感情と思考が吹き飛んでしまった。
すぐに机の下を覗くと、眠っていたスライまるが足の裏に当たっていたのだ。そして白からだんだん青くなっていく。
「......ん」
小さな声が彼の口から漏れる。
スライまるはとうとう目を開いた。
「......ん? 俺......」
ちなみに開いたところで目自体が細いため、閉じているかどうかの識別をするのはかなり難しい。スライまるが家に来てから、少なくとも1ヶ月は分からなかったと思う。
「......もしかして、寝てたか?」
スライまるは自分のことだというのに他人事みたいな言い方をする。不思議と笑みが溢れた。
「......お前も疲れてたんだな」
よしよし、と撫でてみる。
──と。
「つっ......!?」
「夕輝、どうした?」
頭に電気が走るような感覚。
あるいは、脳が舌になって辛味を感じたみたいにピリッとしたような。
そして、夕輝は幻覚のようなものに襲われる。
──2人。
2人の人影が見えた。
片方の正体はすぐに分かる。
両手をかざしている自分自身、夕輝である。
「......?」
スライまるの体の奥に、その映像が見える。
急なことに驚くが、夕輝はそれでもその目でもう1人の人間を追っていた。
男、だろうか。
地面にうずくまっているため、顔は見えない。
「────誰だ」
「夕輝?」
スライまるの声が聴こえたかと思うと、その幻覚はいつの間にか消えていた。
「......今の......」
頭に片手を当てて、『能力検知』。能力を使った記録を検知する能力を使う。
「これは......『サイコメトリー』」
「サイコメトリー?」
夕輝の突然の言葉をスライまるは繰り返す。意味は分かっていないようだった。
「それって、ドイツで奪った能力だよな?」
「......ああ。たぶん、スライまるに使ったんだと思うんだが......」
その瞬間、スライまるが机の下から出てきて飛び跳ねる。
「マジかよ! ってことは俺に秘められた記憶的なやつが見えたのか!? なあ、どんなだった!?」
スライまるは凄く興奮している。目を見開いている。たぶん。
「......よく分からないんだが......そうだな、俺が見えた」
そう伝える。もう1人の方はよく分からなかったので、伝えなかった。
スライまるの眉がみるみると第3、4象限に傾いていく。
「......何だよそれ。俺を創ったのは夕輝なんだから、当たり前だろ」
スライまるはその事実を一応知っている。ただし自分の存在にも疑いなど持っていないので、飽くまでそれがこちらの世界に来る手段だった、という捉え方をしている。夕輝もそれでいいと思っている。
「......それより、スライまる。ちょっと話があるんだが」
「......話?」
「ああ。......ここじゃ何だから、場所を移そう」
「......?」
首をかしげるスライまるの姿は、他の人間には見えていない。今はスライまるの体を『透明化』させており、夕輝以外の人間には見えていないので、下手をすると不審者になりかねない。
テレパシー能力が手に入ればいいのだが、心を読んだりという能力は未だ1つも奪っていないのだ。
「......じゃあ、行くぞ」
「......? おう」
スライまるは体をかしげる。
まさか、夕輝にあんなことを言われるとは思いもせず──
──唖然とした。
「不老不死って......それ、だいぶまずいんじゃねえのか?」
「......かも知れないな」
そんなことは分かっている。夕輝が思い出していたのは、まだ生徒会に入ったばかりの頃の巧との会話だった。
「不老不死になったってことは......思春期が終わらない可能性もある。ずっと能力を持ち続けることになるのかも知れない」
「ずっと、って......永遠に、か?」
「......そうかもな」
不老不死になるということは、この先1000年も10000年もその先も生き続けるということになり、それは即ち人類が滅んだ後も生物が全て絶滅しても地球が消滅しても死なないということになって──と、生徒会に入った翌日、夕輝は巧とそんな話をしたはずだ。
「......それ、かなりヤバいじゃねえか」
「......まあ、そうかも知れないな」
しかし、夕輝は比較的冷静だった。
「お前......何でそんな落ち着いてんだよ」
当然、こんな風に尋ねられる。
「まあ......まだ決まったわけじゃないしな。取りあえず、"アイ"って能力者を探さなきゃならない。今まで見付からなかったってことは、まだ回っていない国に隠れている可能性もあるんだし......それに、そんときはそんとき考えればいいだろ」
虚勢を張っていると言われてしまえばそうかも知れない。事実夕輝はこの後、眠らなくていい能力に助けられた。
もし眠ろうとしたら、眠るまでの間にあれこれ考えて余計な感情に苛まれることになったかも知れない。
イギリスをその週中に回った夕輝はそれから、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドとバルト海周辺の国々を回りヨーロッパを1周すると、間もなくロシアへと向かった。
実に1ヶ月半を費やしたが、こんなに能力を奪って、まだ夕輝は正気を失わなかった。
モンゴルの能力を奪い終わり、中国が最後の国。いや、正確には最後から2番目。
アイなる略奪能力者はまだ見付かっていない。ここまで来ると沙良の虚言なのではないかとすら思えた。
──けれど、髪は伸びず、鏡で見た自分の容姿は1年と9ヶ月前と何ら変わらなかった。
「......やっとここまで来たな」
万里の長城は目前にそびえ立ち、今自分がこの長城のどの辺りを見ているのか、そしてそれがどのくらい長いのかは分からない。能力を使えば簡単に分かってしまったりするが、そんなことはしなかった。
「インド以来の人口大国だけど......間に合うか?」
スライまるが聞いてくる。思春期が終わって能力が消えるまでに奪い終わることができるか、という話だが、今の夕輝にはその"終わり"の概念があるかどうかもよく分からない。
ただ、少なくともそれがあることを信じることに越したことはない。
「......間に合わせる」
夕輝は短く答えた。
「......そうだよな」
スライまるの笑顔は、半分本心で、半分作り笑いのように見えた。
"不老不死"について何かを思ったのだろうか。
「......行こう」
呟くと、自らとスライまるに触れる。
そして夕輝は何十万回目かのテレポートをした。
奪った。
特殊能力を奪った。
日が暮れるまで奪えば、今度は日が昇るまで奪う。
中国は人口がアフリカ全土並みに多かったが、想定していた程能力者がいなかったため1ヶ月に3分の1のペースで能力の略奪をすることができていた。
中国には大規模な施設が3ヶ所もあり、そのどれもが今までとは比較にならない規模のものだった。
恐らく、他国の人間の手も回っているのだろう。そう容易に想像できた。
「......今回は前の2つより楽だったな。他の国の施設との結び付きが強くて助かった」
と言うのも、他国との結び付きが強い施設は逆に言えば他国の施設の情勢が崩れれば弱い。
夕輝は既に、中国以外の研究施設を全て潰していた。だから今回の施設は大きく土地ばかりを占めて、中身はスカスカだったのだろう。
今は街中の、1つの家の、屋根の上。
「......にしても奇妙だよな」
「奇妙?」
「だってさ......まだテレパシー系統の能力者が1人も出てきてないよな? こんだけ世界を回ってもいないってのはおかしいんじゃないのか?」
「......まあな」
夕輝は明後日の方向に視線をやる。
「乙坂有宇の記憶では......相手の思考を読む能力も、思ったことを送受信できる能力も、勝手に人の心の声を漏らしちまう能力もあったんだろ? だったらそういう能力者が今もいておかしくないはずなのに、何で......」
夕輝はこれまでの略奪の旅の中で、様々なことをスライまるに教えた。乙坂有宇のことは勿論、そんな夢を見たことも、マツリのことも、沙良のことも、相似世界のことも。
今となっては夢の中の出来事のようだったな、というぐらいで、10日間程現れたおかしな世界線のことを、夕輝はもう殆ど考えなくなっていた。
「......ま、きっと今と25年前では環境も変わったってことだろ。インターネットも昔より発達して、他人のことなんて知りやすくなった。そんな時代なんだから、他人の心を覗きたいなんて思う人間が減ってるのは当然だろ」
「......本当にそうなのか......?」
まだ、スライまるは疑念を自分の中で上手く晴らせないようだ。実際、夕輝もこんな説明をしておきながら自分でも意味が分からないと思った。
建前なんていくらでもある社会だと言うのに、今の説明では余りにも不十分だ。
「とにかく......いないもんはいないんだろ。次行くぞ」
「......分かった」
夕輝は古風な煙突を見詰める。ここらでは珍しいレンガ造りの家だ。
「あの家に中国最後の能力者が......ほんとに、そこら中に能力者がいるんだな」
「......今更、何言ってんだよ」
「......いや、何か不思議だなって思ってさ」
隣のスライまるを見て、不思議と表情が緩む。
「......能力がなかったら、スライまるもこっちに来てはいなかったんだよな」
「......そうだな」
能力が人類を滅ぼす可能性であるのは否定しない。例えば夕輝だって、やろうとすれば今すぐにでも地球を壊すことぐらいできる。それぐらい恐ろしいものだ。
──が、同時に能力は夕輝に出会いを与えてくれた。
茜との出会いを。
生徒会メンバーたちとの出会いを。
そして、スライまるとも。
「何しんみりしてんだよ。時間がないんじゃなかったのか?」
「......そうだな」
照れ臭くなってしまって、誤魔化すように立ち上がる。
夕輝はスライまるを置いてレンガの家にテレポートすると、その家に住む少年の能力を奪った。
もといた屋根の上に戻る。
「ただいま」
「おかえり、夕輝。じゃあ全部終わったことだし、俺たちの故郷に帰るか」
正確にはまだ、全てではない。
「日本の能力も奪わなきゃな......それから、茜たちのも。......皆、元気してるかな」
夕輝はテレポート能力を手に入れた後も、決して日本に跳んだりはしなかった。この能力は夕輝が奪った数ある瞬間移動系の能力の中でも完璧な方のもので、デメリットは使った後10秒待たないと再び使うことはできないということぐらいだったが、そんなのは誤差の範囲だし、それでもテレポート後の10秒以内に瞬間移動をしたかったときは別のワープ能力を使えばよかったので問題はなかった。
そんな能力をもってして家に帰らなかったのは、ある種の夕輝の決意からだった。
全て奪うまでは帰らない。簡単に戻れるからといって、それはしない。そう決めていた。
乙坂有宇の場合はそうではなかったのだろうが──。
彼は、帰るだけの力を得たときには既に帰る場所を見失っていた。
夕輝にはそれがない。
「さ......日本に戻ろう」
「ああ」
時刻は12時過ぎ。太陽は照り付けていた。
そして、すぐに雨が降る。
北海道は豪雨に見舞われていた。
今日は非常に寒い日だったはずなのだが、吸収から沖縄にまで来てみるとその違いを実感した。
略奪を始めて、今日でちょうど2年。
夕輝はとうとう16歳のままだった。
「年齢が分かる能力は持ってたけど、自分には使えなかったからな......不老不死ってのは本当だったのか」
何に使っていたのかは知らないが、夕輝は自分の生きている時間をカウントする能力を手に入れた。
実際に使ってみると、脳内にデジタル時計の画面のようなものが表示される。
16:7:10:23:11:06
左から順に、生まれてから経過した年、月、日、時間、分、秒──だろう。それより下はない。
16:7:10:23:11:06
16 7 10 23 11 06
16:7:10:23:11:06
──と、1秒ごとにコロンが点滅する。
数字は変化を見せなかった。
「......どうしたら動き出すのやら」
『感覚伝達』。この能力でスライまるにもこのデジタルの画面を見せる。
「......何で不老不死になんてなっちまったんだろうな......」
マツリはそんなことを一言も言っていなかった。知らなかったのか、それとも"神"が教えなかったのか。
神。
夕輝は何かを閃きかけた。
「......何だ?」
けれど、そこまでたどり着かない。
「......夕輝。最後、東京だろ?」
「え......ああ、そうだったな」
夕輝は分からない。
沙良の話が全部真実だったとして、"アイ"はどこにいるのか。
それは十中八九、日本人の名前。
──まさか、都内に?
「......行こう」
「おう」
夕輝はとうとう最後の町──東京都へと跳んだ。
市町村の能力を奪い終え、23区へ。
足立区。
夕輝は16歳の体で能力を奪う。奪いながら、アイという名の人物のことを考えた。
荒川区。
不老不死の運命を背負った略奪能力者。宇宙旅行にでも出ていない限りは、地球上にいるはずだ。そして夕輝が回った国々に隠れてはいなかった。
北区。
ならば残るは都内、とも考えるが、どこからもそんな能力を検知することはできない。もう東京都内全ての能力を夕輝は検知している。
──
能力を消す能力があったとして、自分の能力を消しているということは考えられないだろうか。それならば説明がつく。
練馬区。
けれど、そう考えてしまったら、もう探し出すことなど不可能だ。ならば、一体どうすればその"アイ"を見付けられる?
杉並区。
そもそもどうして隠れる必要があるのか。隠れているということは、あちらは夕輝の存在に気付いているのだろうか。──ならば、夕輝と出会ってしまっては都合が悪いのか。
世田谷区。
例えば、存在することには存在するが、顔を見られてはまずい、とか。顔を見られてはいけない理由を一通り考える。けれど、何も出てこない。別の観点が必要だ、と夕輝は考える。
大田区。
略奪能力を得ることで不老不死になることをマツリは夕輝に伝えてはくれなかった。それは"神"なるものが教えなかったからで──。
品川区。
夕輝は今度こそ閃いてしまう。
──そうか。
目黒区。
もし
その神が──"アイ"だとしたら?
渋谷区。
マツリに『未来移動』と夕輝への伝言の2つを頼んだのが、アイだとしたら。ひょっとしたらマツリよりも昔から生きていて、"神"なんぞという立場から物申してマツリを言いくるめていたとしたら。
港区。
だからマツリは不老不死のことを知らなかった。そう考えられる。
──
まだ何かを見落としているような気がする。これでは不十分どころか、不足部分が多すぎるのではないか。
新宿区。
コピー能力が略奪能力に変化したこともその"アイ"が原因だとするのにはどことなくおかしな部分がある気がする。何故なら彼女自身も略奪能力者であるから。
中野区。
いや、能力を変化させる能力があると考えればおかしくはないのかも知れない。ただ、夕輝は略奪能力者が略奪能力者を作るという点にどことなく漠然とした違和感を感じたのだ。
豊島区。
しかし、明らかに不自然な点がもう1つ。
文京区。
マツリ風に言えば、夕輝が不老不死になったのは"神"のせいなのだろう。またはそうでないとして、仮に夕輝を不老不死にさせた存在をXとしよう。
台東区。
Xは絶対にアイではない。アイがXならば、そのアイを不老不死にしたのは一体誰なのか、という話になってしまう。
中央区。
Xがマツリの言う"神"ならば、説明はつく。神がアイと夕輝を同じように不老不死にしたと言うなら、沙良の言い方──アイが、不老不死の『運命を背負った』という言い方に納得ができる。
江東区。
けれどその場合、"神"とアイは同一の存在ではなくなってしまう。
墨田区。
ならば、アイとは何なのか。Xが神だとして、Xに不老不死にさせられてしまったアイとは何なのか。夕輝と同じ運命。
葛飾区。
彼女は能力を一時的に消す能力とかで夕輝から隠れている。夕輝に見付かってはいけない理由があるとしたら、それは何なのか。
江戸川区。
顔を見られてはいけない──わけではなく、能力を知られてはいけなかったのだとしたら? もしそうだとしてマツリに指示を出したというのも真であるとしたら、何故わざわざマツリを『未来移動』させた。
夕輝が能力を探知する能力を手にする前に、自分から直接夕輝に接触して来ればいいものを、どうしてマツリに仲介役を担わせたのか。
──待てよ。
自ら夕輝に接触してくるという可能性を夕輝は完全に消去して考えていた。
あるいは、別の固定観念の上で。
ではそれを取り払って考えたとして、もし
その仮定をもとに、複雑な論証を組み立てていく。
どうして気付かなかったのか。
あるいはそう仕向けられていたのか。
マツリの言う"神"は何故、マツリの能力を、『未来移動』を
マツリは嘘をついていた。
『未来移動』を奪うことで略奪が完了したことが"神"に伝わるなど、嘘っぱちだったのだ。
もしそうだったとして、それが虚偽だったとして、そして
──ほぼ全てに説明がついてしまった。
「
そう口に出した瞬間。
町が、空が、世界が真っ白になった。
「──────何が......スライまる?」
スライまるがいない。
「まさか、サラと接触するとは......思ってもみませんでした」
後方から声が聴こえ、思わず振り向く。
琥珀色の髪、白皙の肌色。
2年前と
「......マツリ......お前」
「あなたも、全然変わってませんよ」
「......!」
夕輝は今この瞬間に彼女が現れてしまったせいで、とうとう確信してしまった。
沙良の言っていたアイという人物の正体。
それはマツリだったのだ。
ならば夕輝は始めから──世界中の能力の略奪を彼女に依頼されたときから、何ならそのもっと前から、マツリに騙されていたのではないか。
探知能力を使ってみると、彼女が何百万の能力を有していることに気付いた。
「お察しの通り......私がアイ。......不老不死の運命を背負った略奪能力者です」
「......!」
平然と言ってのけるマツリに、夕輝は困惑を隠せない。
「あなたの考えはほぼ全て合っています。......私が能力を一時的に消す能力で自分の真の能力を隠していたということも......『未来移動』なんて能力は存在しないということも」
「......っ」
どうして。
どうして心が読める。
──とは夕輝は聞かなかった。そんなことは簡単なのだろうと察しがついたから。
けれど──まだ認めたくはなかった。
声が出ない。
「......答え合わせといきましょう。今からあなたに全てをお話しします。......あなたには、それらを知る権利がある」
「......」
何故、マツリが。
夕輝はまだ信じられないでいた。
頭では分かっていても、体が追い付かない。
「何から聞きたいですか? 身近なところからでしょうか」
答えてもいないのに、マツリは勝手に話を進めようとする。
もっとも、答える気力など残っていなかったが。
「そうですね......例えば、『不老不死』は能力です、なんて言っても驚いたりはしませんよね。そうでなければ、私が私の能力をあなたに隠す理由はありませんから」
嘲笑も含まれた笑み。
「ええ、あなたの考える通り、私はあなたに私の能力を奪わせようと考えていました。『不老不死』の呪縛から解き放たれるために」
「......何......言って」
夕輝は間違いなく、ショックを受けている。
この上ない衝撃。
そして何より。
夕輝はマツリに、そんなことを言わないでほしかった。
「......何でだよ......」
「勿論、私利私欲のためですよ」
「何で......」
彼女の言っていることはつまり。
「ずっと......本当の能力を隠して......俺を嵌めようとしていたのか......?」
「嵌めるだなんてとんでもない。あなたに興味などありませんでしたよ。ただ、利用しようと考えただけです」
「っ......」
つまり、マツリにとって夕輝はその程度の存在だったということ。
そのために近付いたということ。
「あなたを利用するために、あなたに私の能力のことがばれてしまってはいけなかった。私の心を読まれてしまうことも、ね。だから先回りして、あなたが奪う前にテレパシー系の能力を根こそぎ奪いました。世界中ともなると、漏らさずに見付けるのは大変でしたが」
「......は......?」
マツリが何を言っているのか、夕輝にはとうとう分からない。
インプットが間に合わない。
「......少々、畳み掛けすぎましたかね。1つずつ順番に説明していきましょう。あなたの言う"相似世界"についても」
「......え」
その言葉を出されて、夕輝は最早それがただマツリが心を読んだ結果だとは思えなかった。
明らかに何かを知っている。
「ええ、知っています。そもそも、あの世界がなければこちらの世界はありませんし、あなたが略奪能力に目覚めることもありませんでしたからね」
「......?」
淡々と言うが、その意味のどれもを夕輝は理解していなかった。
相似世界がなければこちらの世界がない。
略奪能力に目覚めたのは相似世界があったから。
「......そもそも勘違いしているようですが」
彼女はとぼけたような顔をして続ける。
「あなたがずっと真の世界と称してきたこちらの世界は偽物で、相似世界と言ってきたあちらが本物の世界なんです。もっとも、今はこちらの世界しか存在しませんが」
「────」
「全ての原因は、岩下沙良にあります。略奪能力者としての責務を放棄した彼女に、ね」
そうしてマツリは深呼吸をする。自分のためのものではなく、夕輝のためのもの。
場を、空気を切り替えるための。
「もともと、あちらの世界だけがそこにはありました。略奪能力を発現した岩下沙良が自殺するまではね」
「......自殺って......」
──知っている。
夕輝はそのことを知っていた。
「もともとこちらの世界は、本当の世界が分岐したものなんです。偽物なんですよ。そして今は本物の世界として成り代わってしまっています」
「え......?」
マツリの話がどれだけの規模のものなのか分からず、夕輝は混乱する。
「彗星は何故存在するんだと思いますか?」
「......へ」
突然の質問。おかしな声が出る。
「そりゃ......何でなんだろうな」
その答えを聞くとマツリは頷き、夕輝を睨む。
「あれは、人間の人間を恨む気持ちから生まれたものです」
「......?」
「略奪能力者は、彗星が生まれてから今回の周期に至るまでの全周期で必ず各々1人ずつ現れました。それは覆らない定めであり、反例はありません」
「え......」
「同じように『コピー』、『
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
思わず早口の友人の喋りを止めるみたいになってしまったが、本当に夕輝には意味が分からない。『コピー』に『不死』? 巧の能力ではないか。
「何でしょう。おおよそ、何を言っているのか1ミリも理解できない、という感じでしょうか」
「......分かってるなら......分かりやすく説明してくれ」
「......」
不満そうな顔を作るマツリ。どこまで本心なのかも、もう分からない。
「......では、前置きはこの辺りで」
マツリは後ろで手を組む。
「もともとあった世界......"相似世界"では明らかな語弊があるので、"t世界"としましょう。tはtrueのtです」
「......?」
trueの世界。直訳すれば、真の世界。夕輝の今までの呼称と真逆ではないか。そう考える。
「ええ、逆なんです。むかーしむかし、と言ってもつい18年前のことですが、岩下沙良という少女が生まれました。そのときにはまだ世界は1つで、t世界と──私がs世界と呼んでいるこちらの2つに分かれる前でした」
「......分かれる......」
世界がどこかのタイミングで分岐したと言うのだろうか。全く信じられない。
「ええ、そうです。......どこから話しましょうか。岩下沙良は15歳になり、他人の才能を羨むようになると『略奪』能力に目覚めました」
欲望が働いて、『略奪』能力に目覚めた。沙良のような才能人が他人の才能を羨む理由は分からないが、ともかくそうなのだろう。
「そしてそれにより、
「..................は?」
それは心からの疑問の声だった。
「彼女の姉、岩下亜里沙は『
「ちょ......っと、待てよ。いや、違うな......何で......」
こちらの説明に対しては、夕輝はとあることを連想するに至った。
やけに頭が冴えているのは、混乱が1周回った結果だろうか。
「......思い出したようですね。ええ、乙坂有宇も3人きょうだいで、兄が『
「......それって」
「まあ、略奪能力者の条件なんでしょうね。3人きょうだいの真ん中にいて、かつ他人を羨むような人間。それが乙坂有宇であり、岩下沙良であった。2人の役割は同じで、すなわち世界中の能力を奪うために略奪能力は毎周期現れるんです。......奪わなければ、世界が滅んでしまうから」
「......」
ここまで聞いても、辛うじて納得できたのは最後の部分ぐらいだった。
「......まだ勘違いしているみたいですね。そもそもの話、彗星は......人類を滅ぼすことが目的で生まれたものです。能力を暴走させた人間たちが、自分たちで自分たちを滅ぼすため。そのために能力は、彗星は生まれました」
「......え」
「そして、それを防ぐための唯一の方法が『略奪』なんです。だから、彗星の全周期で略奪能力は生まれます。......もう彗星は消えてしまいましたが」
マツリはそのまま夕輝の反応も見ずに続ける。
「ですから、岩下沙良や乙坂有宇に限らず他にも75年周期で略奪能力者は現れ、その度に──乙坂有宇のときのように、どこかで全世界の能力を略奪する必要性を理解します。最後の最後で25年周期になりましたが」
「......?」
しかし勿論、こんな説明は納得できないに決まっていた。
「......全世界の能力を奪う必要を
「いえ、違います」
「じゃあ......」
「シャーロット彗星は1464年、突然現れた彗星です。遥か昔からあったものではありません」
「え......」
「世界という概念はその頃には既にありました。1475年に日本上空を掠めたのが最初で、そしてそのとき私は『コピー』能力者になったんです」
「......え」
夕輝の肩がぴくりと反応する。反射的にである。
「......まさか......」
「......ええ、私は乙坂有宇や岩下沙良とは根本的に異なる。......あなたと同じ、もともと『コピー』能力者だった人間です」
「......!」
「そもそもの話、そうでなければ不老不死にはなり得ないんですから」
当たり前のように言うが、夕輝にとっては新事実の連続で、更に言えばこの話の終わりが見えない。
「それって......」
「岩下沙良の話の途中でしたね。続けましょう」
「......」
半ば遮るようにマツリはわざとらしく手を合わせる。それからこちらを向いた。
「......岩下沙良が『略奪』能力を発現したことで、彼女の姉と弟も能力に目覚めた......というところまででしたね」
「ああ。......何で『
わざわざ略奪能力者に近しい人間──即ちきょうだいがその2つの能力の能力者になるということは、それなりの理由があるからのはずだ。
「そうですね......岩下沙良の話をもう少し続けましょうか」
「......」
それは直接の答えにはなっていなかったが、恐らく意味があるからそうするのだろう。夕輝は黙って彼女に耳を傾ける。
「岩下沙良が略奪能力を手にしたのは......自分に音楽の才能がないからでした。......t世界──こちらでない世界の深山巧が言っていたでしょう」
「え......?............! そうだ......巧は確かにそう言っていた。歌があまり上手くなくて......虐められて......そうだ......自殺、したって」
夕輝は一度は首を傾げたが、とうとうそのことを思い出すと一気に、沙良がどうなったかまでの説明の記憶を呼び起こした。
「ええ、その通り。彼女はt世界では自殺したんです。彼女は確かに亡き人となりました」
マツリは淡々とその事実を述べる。人の死を語る口調ではないと思ったが、まさか本当に
「が......」
それは、たった1文字の逆接の言葉。
マツリは口調をいつになく真剣なものにした。
「そもそも、彼女は自殺をしてはいけなかったんです。何故なら彼女は能力の略奪をしなければならなかったから......。彼女は、その責務を果たすことなく死んでしまいました。それは役割に反することでした」
「......」
「だから、
「......はっ?」
そんな真剣な目でそんなスピリチュアルなことを言われても、夕輝にはそんな素頓狂な声を出すことしかできない。
言わんとしていることは分かるのだ。
けれど、あまりに突飛ではないか。
夕輝の抱いた感情は、一般的な人間ならば誰でも抱くような当たり前のものだった。
「人間の死をねじ曲げることはできません。それは岩下沙良も同じ。彼女の死は本質的に変えられないものなんです」
「......それで、こっちの世界が生まれた?」
「......ええ、岩下沙良が死んだ瞬間──彼女の姉のものである『
「........................」
長い長い沈黙。この真っ白な空間は沈黙の中に生まれる音さえも木霊させない。
「1つずついいか? まず能力が変化したって......どうしてだよ。それと、沙良の体に移ったって」
夕輝はこれ以上ない程に困惑していたが、マツリは態度を変えない。
「......勿論、それがなければ岩下沙良がただ死んでしまうからです」
「そうじゃなくて......」
「能力の変化の理由はあなたや私の『コピー』が『略奪』に変わったのと同じこと......理屈なんてないんです。ただそういう仕組みだというだけ。それと同じように、これら全てに関してはそういうものだと割りきることしかできません」
マツリは斜め上を向いている。いかにも興味なさそうである。夕輝にとっては意味不明だった。勿論、今だけではない。今だけではないが、今のは特に意味不明だったのだ。
「何だよそれ......そんな説明じゃ、理解も納得も全然できない」
「なら」
マツリはこう切り返す。
「なら、"C粒子"などというおかしなもののために、人々が物理法則すらねじ曲げてしまうような力を手に入れてしまう理由をあなたは説明できますか? できませんよね。本来ならば人間が口から火を吹いたり、他人の心を読んだりなんてできるはずがないんです」
「それは......」
夕輝は口ごもる。納得できたわけではないが、反論することもまたできなかったのだ。
マツリはそんな夕輝の表情を見て、これ以上何も言おうとはしていないと分かると、また口を開く。
「......そして岩下沙良は記憶を持ったまま過去へと飛び、中学1年の頃まで遡ると視力をある程度失いながらもやがて自らの能力を自覚しました。そしてそれを使って世界的に有名になった......。しかしその後、彼女は自らのしたことに罪の意識を覚え、二度とそんなことができないように残った視力を使い果たして30年前に跳んだ......」
「......」
説明が速すぎてもう追い付けなかったが、その説明を感情をできるだけ抱かずに情報として取り入れることで何とか冷静でいられた。
沙良が罪悪感を抱いた。
「1個だけ、いいか?」
「はい、何なりと」
「『
万物にはあらゆる現象には理由がある。
それを知っていたから、『そういうものだ』という説明には納得できなかったし、だからこそこのことにはちゃんとした理由があると思ったのだ。
マツリは答える。
「
最後の言い回しが気になった。『でしょう』ということは、マツリ自身も確信を得ているわけではないのかも知れない。
また空気が変わる。
「ですが......岩下沙良が30年前に跳んでしまったということは、これはまた略奪の責務を放棄したことになります。......しかも今度は、予防策の先も破られたという最悪の事態になります」
要は、一度は『死』を回避し今度こそ略奪能力の責務を全うするはずだったのが、沙良はこの時間から消えてしまいそれもできなくなったということ。
──だから。
「だから代わりに、あなたがコピー能力者になりました。そして今度こそは死ぬことすらできなくなるように......100%責務を全うできるように、深山巧の『不死』の能力が変化して『不老不死』となり、あなたに移ったんです」
「......ん?」
ここで突如、謎のワードが登場したため、夕輝はまるで日常会話で意思疏通が上手くいかなかったときみたいな声を発してしまった。
そう言えば先程も言っていたが。
「......巧?」
「ええ、彼の能力もあるべくしてあるものなんです。保険の保険程度ですが......毎周期、『コピー』能力者と『不死』能力者は何らかの形で近しい関係になります。兄弟だった例もあります」
どうして上手いこと近しい人間同士になるのか、という質問はもう夕輝はしなかった。それもまた、そういうものなのだからだろう。
──"そういうもの"の根本的な正体につおては、後で聞けばいい。
必ずある、と確信していた。
「......懸命です」
「読むな。......保険のために不死が不老不死になって俺に移って、俺は見事に略奪の運命を背負ったわけだ。そこまではいい」
夕輝はひとまずそれらについては頷くことにした。問題はまだいくつかある。
「けど......『崩壊』のことについては聞いてないぞ。今までの話の中に、『崩壊』のことは1つも含まれていなかった」
「......ええ。これから話そうと思っていたところですよ」
マツリは夕輝の瞳をじっと覗き込む。威圧感のようなものを感じた。
「......先程も言ったことなのですが......もう一度言いますので、覚悟して下さい」
彼女はそうとだけ前置きすると、心の準備をさせる間もなく言い放った。
「......あなたの言う相似世界、つまりt世界は、今はもう存在しません。あれは既に無に帰しました」
と。
夕輝の体が浮わつく。
「......」
けれど不思議で、声は出なかったし、いくらか落ち着いていた。先程言われてしまっていたせいか。
あるいは、心のどこかで分かってしまっていたせいか。
「あなたはあちらの世界の人間に、結構情が移ってしまっていたようですから......ショックを受けるのは仕方ないと思いますが」
それでもマツリはただ告げる。
「......『崩壊』の能力の役割は2つあります。まず、あなたを不老不死にすること。そしてt世界を壊すこと......」
「え......」
やけに落ち着いていたせいで漏れたのはそんな声ぐらいだったが、疑問はまた増えてしまった。
1つ目も、2つ目もよく分からない。
「......まず前者ですが......これは簡単です。深山巧の能力が変化してあなたに移ったのは、あなたが『崩壊』能力を奪ったからなんです」
「......え?」
「......私は以前あなたに......『4つ目の能力を奪ったときあなたは略奪を始めることを承諾したことになる』と言いました。......あれは嘘です」
「......?......! なるほど、な......」
夕輝は彼女の言わんとしていることをそれなりに理解してしまう。
「要は、本当のトリガーは"4つ目の能力"ではなく、"崩壊の能力"だったんです。あなたが崩壊能力を奪ったとき、深山巧の能力が変化しあなたに移った。崩壊能力はそういうサインなんです。......それから、コピー能力が略奪能力に変わった時点で略奪の運命は決まっていますから、実はあれに対した意味はありません」
「......」
何か、違和感を感じた。今は無視しておく。
「......そして、後者ですが......」
マツリは話題を転換するみたいな言い方をする。恐らく内容自体が全然違うものなのだろう。
「s世界では『崩壊』が1つのサインであるのに対し......t世界ではそれは、世界そのものを壊すための手段でした」
マツリは少しばかり俯く。
マツリの感情がよく分からなかったが、それより夕輝はあの日の記憶を思い出して大きな力に飲み込まれるような恐怖を感じていた。
「......世界を......壊す?」
それは、相似世界......改め、t世界での最後の出来事。空が崩れ、町が崩れて壊れてなくなっていった。
「ええ。t世界では『崩壊』能力は......『
「......」
「世界は2つあってはいけない。けれど岩下沙良によってs世界とt世界の2つが生まれてしまった。だから片方はなかったことにする......そのために、岩下沙良が"失敗した"世界であるt世界を消さなければならなかった」
「......!」
何だよそれ、と夕輝は今にも叫びそうだった。
冷静でいられたのはほんの一瞬だったようだ。
夕輝はこのとき、混乱と共に垣間見える怒りを押し留めるのに必死だった。
「だから、『崩壊』能力が世界を壊すための能力......『崩界』能力へと変化したんです。あなたも見たでしょう、『崩界』能力が発動し、t世界が崩れていく様子を」
「......っ」
確かに夕輝はそれを、この目で確かに見た。ベランダが、地面が傾いていったことも覚えている。
あの日、茜がやっと生徒会に帰ってきてくれることが決まったことも。
「......そんなのおかしいだろ......!」
「何がです?」
「そもそも、人類を救うために『略奪』能力があって......分かった。『略奪』の保険のために『
2つの世界があってはいけないのかも知れないが、1つの世界をまるごと壊すということはどこか本末転倒のように思えた。
マツリはしかし、態度を変えない。
「いえ......t世界の人間は既に、救うとか救わないとかいう次元にはないんですよ」
「......?」
その言葉の真意が分からずマツリを睨み付ける。
「t世界でのあの日......『崩界』能力は発動しました。怜くんが何かしらの形で感情を爆発させたとか、そんなところでしょう。姉を亡くした彼の精神は不安定でしたからね」
「......」
夕輝は無言で耳を傾け続ける。
「そして能力が発動したとき......世界は崩壊し、t世界そのものが"なかったことに"なりました。壊れたとか命が落ちたとかいう次元ではなく、先程も言った通り"無に帰した"んです」
「っ......」
「要は人類が滅ばない世界が続けばそれでいいんですよ。t世界だろうがs世界だろうが、ね。だから失敗した方のt世界は消えた。あなたが経験した約10日は......t世界が消えるまでの断末魔のようなものです」
夕輝だけが経験したのは、恐らくコピー能力......が変化した略奪能力者だからなのだろう。理屈は分からないが、そういうものなのだ、とマツリは言うのだろう。
彼女はそんな考えを読んで言う。
「その通りです。更に言えば私は、t世界の後にここ、s世界を体験しています。t世界で『秘匿』能力者を名乗ったのはひとえにあなたを混乱させるため......あれは私が全世界を回り終えた乙坂有宇から奪った、友利奈緒の能力です」
「......」
頭の中で、友利奈緒→乙坂有宇→マツリの流れを組み立てる。この辺りは混乱するが、要はマツリはt世界では最初から生徒会員として、s世界では転校生として能力の有無すら変えて振る舞うことで、夕輝を混乱させ──その上で『未来移動』という能力を示してみせることで、本質的な部分に目がいかないようにしたということだ。
本当はマツリの能力が『未来移動』であるかないかが重要な問題だったのに、それは"神"でまとめつつあたかも全てが本当であるかのように振る舞ったのだ。
彼女の雄弁術、あるいはとった行動全てにまんまと騙された、というわけだ。
「......じゃあ本当に、あっちの世界はもうないのか」
「......そうです」
「......」
言われてしまうと、案外納得してしまった。茜が死んだわけでも春が死んだわけでもない。ただなかったことになっただけ。難しいことは1つもなく、むしろ同じ人間が2人いる方がおかしいのだ。
──それにしても、と夕輝は思う。
「......沙良が自殺したか失踪したかで......あんなにも変わるものなんだな......」
2つの世界では、茜や春との関係性が全く違った。
「......t世界ではあなたが大事なことに気付けなかった。s世界では岩下沙良があなた自身にとっても大切な存在だったからこそ、友利茜と支え合うことができた......なんて、おしゃれに言えばそんな感じでしょうね」
相似世界、改めt世界を夕輝は『自分のために作られた失敗した世界』と考えていた。が、実際はそうではなかった。もともと夕輝は分岐した片方の世界にいただけで、そしてもう一方の世界に迷い込んでしまっただけだったのだ。
情報量は多すぎて、飲み込めていないことも沢山あるが、夕輝は心臓を落ち着ける。
「......じゃあ、俺に乙坂有宇の夢を見せたのも、怜くんの能力を奪おうとしたときに俺を眠らせたのも......」
「私です。何なら初めてあなたがt世界に迷い込んだ日に家を出ようとしたあなたを眠らせたのも......s世界で誘拐された岩下怜の崩壊能力を
「え......」
夕輝はその瞬間、いつか──松山が『崩壊』能力のことを説明したとき──感じた違和感を思い出した。
「そうだ......そうだよ」
夕輝はあのとき、あり得ないと思ったのだ。
「ええ。......あそこでもし『崩壊』能力が発動して岩下怜に死なれでもしたら困りました。彼にはあなたを不老不死にする義務がありましたからね。だから一時的に能力を消しました」
「......」
不老不死にはならなければならないのか。
略奪能力者になったコピー能力者の運命なのか。
「......ええ、運命と言えばそうかも知れません。この仕組みには穴がいくつもあるように見えて現に上手くいかなかったことがありません」
例えば、略奪能力者が自分の使命に気付かなかったことは、夕輝とマツリの例以外にはなかったこと。そして夕輝とマツリの場合にも、ちゃんと略奪は行われたということ。
マツリはこんな質問をしてくる。
「......こうは考えませんでしたか? "もしコピー能力者までも時間移動系の能力を略奪して過去に跳んでしまったら?"と」
それはつまり、保険のためのコピー能力者すらいなくなってしまうということ。
考えたこともなかったが、そんなことが起こってしまった場合はどうなるのか。夕輝が尋ねる前にマツリは答えを出した。
「......実は、そんなことはあり得ないんです」
「......え」
夕輝は"そうなった場合"のことを考えていたため、そんなことを言われた瞬間は思わず思考を停止させてしまった。
「あなたもこれだけ能力を奪ってきたら察していると思ったんですがね......そもそも、時間移動系の能力なんて1つもなかったでしょう? あなたはそんな能力を1つも奪っていないはずです」
「......それって」
「『
「......」
それを聞くと、確かに時間移動ができる能力や略奪に似た能力など奪っていないということを思い出し、なるほど上手く出来ている、と思った。
要は、ガバガバに見えて上手くいくように出来ているのだと。
「......これで、種明かしは終わりです。......何か聞きたいことがあるようですが?」
マツリは夕輝に質問を促す。
それは、今の夕輝にとっては最も重要なことだった。
「......さっきから聞いてれば、お前は説明できないこと全部"そういうもの"で済ませていた。......だから、理屈についてはまあいい。"そういうもの"になる理由はもっと複雑なんだろう。だから敢えては聞かない。......けど、これだけは聞かせてもらう」
「......はい」
心は読めているのだろう、マツリは次の言葉を分かっているような表情だった。
夕輝は無意識に息を吸い、マツリに問う。
「......"そういうもの"に
と。
「......」
マツリは先程までのように、すぐに答えはしなかった。
"そういうもの"に
あるいは、"そういうもの"という仕組みが。
「あなたは本当に......嫌に察しが良いですね」
マツリは不機嫌そうに言った。ただしそのことを聞かれるのは分かっていたようなので、それも少し演技がかっていた。
「......私のコピー能力が略奪能力に変わったのは......彗星の最初の周期でのこと......15世紀のことでした」
マツリは語り始める。
「勿論、その頃には略奪能力者もいました。私と同い年の男で......彼は私の隣人でした」
「......」
「あるとき......彼は愛する人を、辺りでそれなりに名を馳せていた守護大名に捕らえられました。彼女が持っていた能力柄......彼女は妖怪扱いをされてしまったんです」
それは当たり前だが特殊能力の話。マツリに言われると、そんな昔にも能力があったのだということを改めて実感させられる。
「彼は彼女を取り返すために牢屋に乗り込みましたが──間もなく自分自身も捕らえられてしまいました。当時彼は、自らの能力を他人に5秒間乗り移れるだけのものだと思っており......そんな能力1つでは限界があったんです」
「......」
「彼はその後、妖怪の仲間として牢屋に入れられ、彼女と共に惨殺された......はずでした。彼はすぐに、自分が過去に戻っていることに気付いたんです」
そこまでの展開は何となくだが読めていた。沙良と同じこと。略奪能力者が死んではいけないから、世界の分岐と共に過去に跳んだ。大事なのはここからのはずだ。
「......いつの間にか2年前に戻っていた彼は、その後自らの真の能力に気付きます」
略奪能力のことである。
「彼は彼女にそのことを話しました。そして彼女に妖怪の嫌疑が二度とかからないよう、彼女の能力──想像したものを現実に創造する能力を奪います。音永春の能力とだいたい同じものを想像してもらうと分かりやすいでしょう」
「......そんな能力が......」
ええ、とマツリは頷く。
夕輝はまだこの話がどこへ向かうのかを理解していなかった。マツリがコピー能力者になった周期ということは、マツリが略奪能力者になってからのことを話すのだろうか。
と考えていたが、実際のところは全くの
「ですが......彼女は彼の能力を知るや否や彼を大名につき出しました。他人に乗り移ることのできる
「......え」
イメージを固定させたまま物事を進めていると、想定外のことが起こるだけでそのイメージとの齟齬に戸惑ってしまう。それは一般論であり、今の夕輝がそうだった。
大名につき出す、とはどうしてか。
マツリは心を読んで答える。
「どうして......ですか。まあ、妖怪を仕留めたということを口実に成り上がろうとでもしたんでしょうね。......もしくは、当時は女が成り上がるなんてことはありませんでしたから、金目当てか......そんなところでしょう」
「え......」
マツリは確かに先程、その彼女が男が"愛する人"だったのだと言ったし、男は彼女を助けるために命すら懸けたのだと説明した。
だから、困惑したのだ。
「何でだ?......金のためにその男を......2人は愛し合っていたんじゃないのか?」
「ふむ......」
マツリは顎下に指を当てる。
「それは違いますね。彼は彼女を愛していましたが......彼女はそんな彼の愛情に付け込んで、彼を利用していました。そして最大の利用方法を思い付いてしまった」
夕輝はただ素直に、恐ろしいと思った。
「......それが......その男を大名につき出すことか?」
「そうです」
マツリは首肯する。
「彼はその後牢屋に入れられました。そして再び死罪を言い渡され............さぞ絶望したことでしょうね。彼は残り少ない視力を引き換えに25年前に跳びました」
マツリはそんな風に、まるで何でもないことのようにタイムトラベルという大層なものの話をする。
夕輝は先程のマツリの言葉を思い出す。
彼女が当然のように言ってのけた、けれど物理法則では余りにも不気味なことを。
──シャーロット彗星は1464年、突然現れた彗星です──
まさか。
いや、あり得ない。
「......音永夕輝、あなたは......いくらなんでも察しが良すぎます」
「......え」
マツリに心を読まれた上で
「......時期が一致したからでしょうか?」
マツリはそう尋ねてくる。夕輝はもうその意味を汲み取ってしまえる程には事の顛末を理解してしまっていた。
「......それもだけど......シャーロット彗星なんておかしなものが突然現れるには......それしかないと思ったんだ」
こくん、とマツリは首を縦に振った。
それが、この暗黙のやり取りを言語化する合図だと分かる。
マツリはとうとう言い放った。
「......過去に跳んだ彼は、人を恨みました。愛する人を恨み、利己的な人間を恨み、やがてその思いは暴走し......彼は人という存在そのものを恨みました。そしてこう望んだんです」
──人を、人類という醜い存在に自分たちの愚かさを自覚させ......その上で滅ぼしてやりたい──
「実際にそこまで思ったのかは謎です。少なくとも今言った通りではなかったでしょうね。自覚させたいだの、滅ぼしたいだのと意識して思ったわけではないでしょう。ただ識閾下でそう望んだ。......その思いは、願いは、祈りは彼が奪った『愛していた』人の能力によって形をなし──シャーロット彗星は生み出されました」
「............!」
聞いてなお、夕輝はそれをあり得ないと思った。あり得て良いはずがないことだったのだ。
それは──余りにも
"安定的"とは即ち、絶対に覆らない、覆すことができないという意味である。
「結果、
「......待ってくれ、マツリ」
分かっているのだ。言いたいことは分かっている。
けれど、分からない。恐らくマツリにも夕輝が分からないことは分かっているのだろう。だから夕輝は間を開けずにすぐに尋ねる。
「......
こんなことを聞いても無意味であることは、本当は分かっていた。この質問は、この言葉はどちらかと言えばある常套句に当てはめるためのものだった。
「......そんな聞き方をするということは、もう理解はできているんじゃないですか?」
マツリは夕輝の心を読んでいる。ましてこれは心を読んでいなくとも分かるようなことだ。
困惑の正体。
マツリはそれを言葉にする。
「......鶏が先か、卵が先か。そう言いたいんですね」
「......」
彗星が男を能力者にした。
能力がなければ彗星は生まれなかった。
能力があるためには彗星が必要で、しかしその彗星があるためには能力が必要だった。
存在の環。
紛れもないタイムパラドックスである。
「それでは逆に尋ねますが......進化論はないものとして、鶏が先か卵が先かという問題の模範解答は解明されたでしょうか?」
「......それは」
答えは簡単。されていない、である。まして進化論とは違い、これは時間を交差するもの。
"始め"なんて、"先"なんてない。
「でも、じゃあどうして......」
「分かりませんよ。そんなこと」
マツリはばっさりと切り捨てる。
「分かったら......私だって苦労していません。彗星があるのは、能力者がいるのに原因なんてない。世界が、宇宙が始まる前からそれは決まっていた......少なくともそう考えるしか他に方法はありません」
「......」
意味がさっぱり分からなかった。
だって、今の説明では本当にその結論が正しいことになってしまうから。
「......音永夕輝、もう一度聞きます」
マツリは澄ました顔をこちらに逸らさず正面から向ける。
これが、彼女にとって一番重要な質問だった。かつて、彼女が夕輝に問うたもの。
「......"神"を信じますか?」
マツリのいつになく真剣な言葉が霧散する。
それは、かつてのそれとは本質的に異なるもの──あるいは、マツリにとっては同じ質問だったのかも知れない。
少なくとも夕輝にとっては、その意味は2年前とは全く違うものだった。
それは夕輝に重くのし掛かる。
人間または世界の成り行きを決定してしまう存在。あの日マツリは神をそう定義した。
今は、その意味も分かる。
分からないことがあるとき、人はそのことを"神"のせいにしたがる。
それはことの因果関係に気付けなかった人間の逃げであり──今は夕輝にもそんな人間の気持ちが嫌と言うほど分かってしまう。
「......信じるかどうかは別として......少なくとも、シャーロット彗星が"ある"ことの理由を説明できないってことは分かった。......お前は彗星が"人間が人間を恨む気持ちから生まれた"と言ったが......実際にはそうじゃないとも分かってるんだ」
「......その通りです」
マツリは諦めたみたいに肯定する。
「更に言えばですね」
マツリはそのまま話の主導権をいかにも自然に奪った。
「あなたは特殊能力がやけに"人間の都合のいいように出来すぎている"と思いませんでしたか?」
「え?」
急にそんなことを試すように聞いてくるので、夕輝は反応に困る。
「例えば『秘匿』。あの能力は1人から見えなくなる能力ですが......何故衣服も一緒に消えるのでしょう? 何故人間1人という
「......!」
言われるまで気にしたこともなかったが、思えばそうだ。マツリは他の例を連ねていく。
「白柳雪の『引き寄せ』は、物質は引き寄せられるが生物は引き寄せられないというものでした。......ですが、生物という概念がそもそも曖昧なんです。人間はデジタルに物事を考えがちですが、実際生物と物質の境界自体、ばっさりと線引きされているものではないんです」
例えばウイルス。あれは自己修復できないなどの理由から生物でないと定義されているが、ではどこから生物なのかと言えば不明である。
「だと言うのに、生物であるかないかによって引き寄せができるかできないかの線引きがされるという能力がしっかりと成立してしまっているんです。会長の能力では能力の"日本語訳"までが用意されますが、日本語も人間が作ったもので、なのに成立している。物理法則では到底あり得ません」
マツリはそこまでをほぼ息をすることも忘れたように早口で言ってしまうと、ふうとため息を吐いた。
付け加えてもう1つ。
「それと......今なら納得できたでしょうか?......乙坂未来の能力が、まるで彗星を落とすためだけにあるようなものだった理由も」
「......?」夕輝は一瞬その意味を解さず首を捻り、すぐに思い出した。
──そんなところでも心を読んでいたのか、と夕輝はマツリに畏怖すら覚える。
そして同時に納得した。
彗星は元来、人類を滅ぼすために存在した。ならば、彗星はそのくせ『略奪』などという能力のせいで滅びない人類に自らを落下させようと考えたのかも知れない。勿論これは自然現象を擬人化する風な言い方であり、意思があると考えたわけではないが。
マツリは大きく息を吐く。
「これが......彗星の全てです」
そうして話を終わらせようとするので、夕輝は思わず割り入る。
「ちょっと、待ってくれ」
「何でしょう」
「それじゃ不十分なはずだ。......だって、彗星が人を滅ぼすために生まれたなら、どうしてそれに対抗するみたいに『略奪』能力の仕組みやそれを補助する仕組みまであるんだよ?」
それは余りに単純で普通の発想だ。誰でもおかしいと思うだろう。
「......それは」
マツリは言いかけて止める。それからすぐに仕切り直すように言った。
「他からの影響を受けて、そんな仕組みが追加された、とかですかね」
「......?」
マツリの言い方は夕輝に、はぐらかしているかのように聞こえた。
「そんなのおかしいだろ。だって、そのときにはまだ能力者はいなかったんだから......」
「......ですね」
マツリはまた諦めたように肯定すると、小さく言った。
「......僅かに、人を思う気持ちが残ったまま彗星を創ってしまったのかも知れません」
「......」
それを聞くと、とうとう夕輝も納得できたように思えた。そんなことで納得してはいけないのかも知れないが、今までの話よりよっぽど分かりやすかったのだ。
ぱちん、とマツリはまた手と手を合わせる。
話が変わる合図だ。
「......話は以上です。そしてここからは......私から1つ提案をしたいと思います」
「......提案?」
それは、突拍子もない発言。
このとき、夕輝はまさかマツリが"あんなこと"を言い出すとは露程も思っていなかった。
「......っそんな」
「これは飽くまで提案です。だからそうするにせよしないにせよ、それは全てあなたの自由......あなたに決定権があります」
彼女は、いつか夕輝に世界中の能力を奪えと命じたときのように夕輝に選択を委ねる。
「私はあなたを騙して私の能力を奪わせようとしました。私の不老不死の能力があなたに移れば、あなただけが不老不死であるまま、私がこの呪いから解放される......そう考えたからです。彗星はもうありません。あなた以外に私の呪縛を解ける者はもういない。......けれど知られてしまった以上、もうそうはいきません」
それは、余りにも。
「......身勝手なことだとは分かっています。そもそもあなたは不老不死になることを知らずに略奪を始めた。......ですが、それは私も同じです」
「......」
どうしてか、こんなことを言われてなお夕輝はマツリに憤ることもできなかった。自分勝手なことばかり言って、夕輝を貶めすらしたマツリを恨むことさえできない。
ただ、このとき彼女を"可哀想"と思ってしまった自分に対しては、呵責の念を抱く。
そうではいけない。
お人好しは、自分に悪影響がない範囲でやるものだと。
彼女は──自分を陥れたのだと。
「......もし、俺が......それを拒否したら、お前はどうなる?」
注意深く、用心して尋ねる。マツリはどこか遠くを見るように視線を斜め上にやった。
「......そうですね......人類の終焉でも見届けるとしますかね」
そんなことをマツリは呟く。まるで他人事のようだった。
「......その後は?」
マツリの様子はどことなく危うく、夕輝は聞くのを少しだけ躊躇った。
「......さあ......日々移ろい行く悠久の時の流れに身を任せて、ゆったりまったり過ごすとしますかね......」
「......」
案の定、答えがこれではどうしようもない。
待ち受けているものはスローライフでも何でもない、ただの無限地獄だ。
想像しただけで恐ろしくなった。もしそうなってしまったら、いくらマツリだとしても耐えられないのではないか。そんな風に夕輝は思う。
「......そんなの......駄目だろ」
「......」
マツリは答えない。
けれど、もしマツリの提案に乗ったとして。
──何が、変わるのだろうか。
「音永夕輝」
「......ん?」
マツリが夕輝の名を呼ぶ。
「飽くまで提案、と言っているでしょう。......そもそも、あなたが不老不死になったのは私の責任でもあるんです。本来ならこんなことをあなたに委ねる権利も私にはない。......ですから乗るも乗らないもあなた次第......強制はしません」
マツリの静かな声が鼓膜を揺らし、白い世界はこんなに広いまま夕輝を見詰める。それはまるで、夕輝に選択を迫るようだった。
けれど、今はそんなものに威圧感も感じない。夕輝は今の話を聞いていると、仕方がないとすら思えてしまったのだ。だから言う。
「......いや」
それは彼女の言葉の断片を否定するために出した声。
違う。
夕輝は今、彼女の言葉を聞いていてそう思った。
そんなのは違う。間違っている。
権利はない、など。
「......いい」
夕輝は今、先程までの自分が最も恐れていたことをしてしまっているのかも知れない、と思った。
けれど。
このままでは、いくらなんでも理不尽ではないか。
何かを考えるべきなのではないか。
「いい、とは」
マツリの無表情ながら不意を突かれたような反応に、夕輝は心臓の締め付けられるような思いでその答えを絞り出す。
覚悟が必要なことだった。
それでも。
「......だから、その提案に乗るって言ってるんだ。......よく考えよう。俺たちはきっと、そうするべきなんだ」
「......え」
マツリの意表を突かれたような表情。夕輝にはそれはとても新鮮なものだった。まさかこんな解答が返ってくるとは思ってもみなかったのだろう。
こんなときに限り心を読まない辺りは──律儀なのか何なのか。
夕輝はその上で、まだ果たすべきことが残っていることも分かっていた。
それは、夕輝にとっては一番大事なこと。
「......けど、まだ俺にはやらなきゃいけないことがある」
「......ええ」
マツリが頷くと同時に、白い世界は元いた江戸川の町に変わっていた。
大きな橋の上に立っていて、下には広い川が流れていた。
「おわっ......夕輝!......どこ行ってたんだよ! 急にいなくなるからびっくりしたじゃねえか!」
「......スライまる?」
足元から声が聴こえたので顔をそちらに向けてみると、そのときにはスライまるは肩に乗っかっていた。少し黒くなりかけているので、ちょっと怒っているのだろう。
「......ごめん、ちょっと略奪し忘れてた地域があったから......」
「......だからって......1人で行くなよな。トモダチだろ?」
腕があったらきっと組んでいる。スライまるは少し不機嫌そうな不満そうな面構えのまま夕輝を見ていたが、やがて青い色に戻ったので許してはくれたみたいだ。
「......じゃあ......最後だな」
「......ああ」
スライまるに返答をし、夕輝は最後のテレポートをする。
学園併設のマンション。そのエントランスだった。
2年ぶりの景色......だが、浸っている場合ではない。夕輝はスライまるにこう伝える。
「......あのさ、スライまる」
「......ん?」
「......ここで......待っててくれないか?」
「え? どうしてだよ?」
当然の反応だった。
スライまるだって、長らく会っていなかった茜たちに会いたいだろう。
そんなことは分かっている。
けれど、これからすることをスライまるに悟られてはいけない。
「......とにかく、頼む。俺だけで......行かせてくれないか? スライまるも、茜たちとは後で会えるから」
「......?」
首をかしげる、というか体の上7割程を捻るスライまる。けれど、少し考えるようにした後で、スライまるは思い出したように眉を上げた。
「......なるほど、夕輝......そうだよな。2年ぶりの茜との再会だもんな......ここは空気を読んでここで待つことにするぜ」
思惑通り、勘違いをしてくれた。夕輝は茜との約束のことをスライまるに話していないが、そりゃあそんなことぐらいは察するだろう。
──それは間違いなのだが。
「......じゃあ、行ってくるな」
「......おう。頑張れよ!」
謎の応援をされるが、確かに頑張らなければならない。
マツリの提案に乗るならば。
夕輝がエントランスの奥へ進んでから、彼女がスライまるに話し掛けるまではすぐだった。
「スライまる」
「むっ?」
後ろを向いて、彼女の姿を確認する。
「......話があります。少々体をお借りしますね」
「......?」
彼女は戸惑うスライまるの額に人差し指を当てる。
そして。
「────!」
「......ということなので、よろしくお願いしますね」
「これは......嘘だろ? そんな......」
夕輝は知らなかった。
まだ、彼女が別のことを企んでいるなど。
──決定権はなかった。
──選択肢は、最初から1つだけだったのだ。
「......」
ごくりと唾を飲み込む。緊張しているのだとよく分かった。先程の雪のときはそうもならなかったのだが、夕輝の中でせめぎ合うものがあることも分かった。
本当に、それで良いのか。
マツリの提案を飲むことは、つまりそういうこと。
とうとう一生、彼女に会えなくなってしまう。
不老不死になるということは、そういうことだ。
それなのに、夕輝がさほどそれを嫌だと思わないのはどうしてだろう。
正しいことをしていると信じているからだろうか。
誰も傷つかない選択を取るべきだと、それが正しいことなのだと確信しているからなのだろうか。
震える手。それはこれから彼女の能力を奪うために伸びたもの。
インターホンのボタンに触れると、奥に押し込む。何度も聴いたあの軽快な音が鳴って、空間に響いた。今は午後3時。
ガタガタと大きな音が中からしているような気がした。これは能力柄、防音の部屋だろうが何だろうが分かってしまうものであって、つまり物凄いスピードで誰かが走ってきているのだと。
間もなく、その扉がダイナマイトのごとき火力で開く。
彼女は急に走り出したのだろう、息すら切らしていた。
「はぁ、はぁ......」
信じられない、という顔で、瞳で夕輝を見詰めている少女。夕輝が再会を固く誓い合った彼女。
友利茜は目を見開いた。
「..................夕輝くん......?」
「......ただいま、茜」
言った瞬間、茜は夕輝の胸に飛び込んできた。
少し大人っぽくなっているが、身長も性格もあの頃と何ら変わっていないように思える。
夕輝は茜を強く抱き締めた。
「......茜」
「......夕輝くん......夕輝くん、夕輝くん......ずっと......寂しかったんですよ......」
茜はただひたすらに夕輝の名を呟いた。夕輝がそこにいることを確かめるみたいに。
「心配かけたな、茜......」
夕輝はもうすぐ18になる茜を16歳の体のまま抱き締めて、そして彼女の温かさをその肌で感じる。
元気そうで、本当に良かった。
そう思った。
そんな再会の瞬間。
──は一瞬で、夕輝は彼女の後ろに回していた手をほどく。茜は夕輝に合わせるように同じ動作をした。合わせると言ってもちょっと遅れていたので、短く感じたのかも知れない。
事実、夕輝がそうだった。
それは2年越しの再会のためには、余りにも短かった。
けれど許してほしい。
この短い数秒を終わらせなければ、やっと固まった決意が揺らいでしまうから。
夕輝は茜の瞳を見詰める。
本当に、綺麗だった。
「......茜」
「......はい......?」
何を言われるのかと戸惑った様子。
今の夕輝には、これで精一杯だった。
「......目を閉じて」
「え......」
硬直する茜。
それから数秒かけてその意味を解し、間もなく紅潮する茜。
睫毛がぴくぴくと動いて、ふるふると唇が震える。
両手のやり場に困ったように、あるいは緊張を押し殺すように、縦に長い軽めのコートの奥に隠れたスカートをぎゅっと握り締め、そしてゆっくりと目を瞑る。
右手でその美しい髪を撫で、耳に掛ける。左も同じようにして、その後右手を華奢な肩に、左手を彼女の頭の上に置いた。
「......ごめんな」
彼女が夕輝の言葉に反応するより前に、夕輝は指先に力を込めると──茜を眠らせた。
そして、茜に乗り移るとすぐに5秒。
「......」
これをしたら、もう戻れないと知っている。
もう、二度と。
永遠に。
「......っ」
正しいことをしたんだと。
夕輝は正しいことをしているんだと。
そう信じたから。
──夕輝は、茜の夕輝に関する記憶を消した。
──不老不死のまま、私と2人でこの世界を生き続けませんか?──
それがマツリの提案だった。
実に身勝手な、そして夕輝から様々な自由や権利を奪う提案。
それを彼女がした理由はひとえに──1人では生きていかれないからではないだろうか。
永遠の命を1人では駄目でも、2人でなら生きていけるのではないか。
マツリは孤独を恐れたのではないか。
そう思ったから。
──いつから、夕輝はマツリのことを大切な存在だと認めてしまっていたのだろう。自分を嵌め、利用しようとした最低の人間で、ずっと皆を騙し続けて、だと言うのに夕輝は彼女をもう嫌いにはなれなかった。
春に優しくしてくれたマツリのことも、夕輝は知っているのだから。
本当に、全て演技だったのだろうか。
「......マツリ」
エントランスに戻る。そこにはスライまるとマツリがいた。
「......長かったですね」
マンション全員の能力を奪うのに30分もかかってしまったのは、ことあるごとに色々と考えてしまったからだろう。松山の夕輝に関する記憶を消すときも、夕輝は怖くなってしまった。
──けれど、それももう終わりだ。
「......俺に関わった人間の記憶は全部消した。記録もある程度なら改竄できた......あとはお前に任せることにする」
「......夕輝、本当に良かったのか......?」
スライまるが声をかけてくる。その体は何だかいつもより暗めで、綺麗な青色ではなかった。
「......良いんだ。茜や春は俺のことを忘れた。けどあいつらはずっと幸せだ。これから先も、俺なんていなかったものとして生きていける。......屁理屈みたいだけどさ、これで誰も傷つかないんだ。......マツリだって」
きっと、これが2年前なら耐えられなかっただろう。今の夕輝は決断できるだけの強さを持っていた。そして、茜がいないことにも慣れてしまったのだ。
「......無茶しますね」
そんなことを言ったのは、マツリだった。彼女は少し寂しそうな表情を湛えていた。
「お前がさせたんだろ......俺だって、怖くないわけじゃない。......でも、孤独よりはましだと思ったんだ」
取り繕ったりしない言葉。というより、今の夕輝に本心を偽る程のことはできなかったのだ。
傷つく人間がいない、と言った夕輝本人が、実はこの方法で唯一傷つく人間であるということを彼自身は自覚していなかった。
「俺はお前を、マツリを救いたい。俺はマツリのことを......仲間だと思ってたし、騙された今でもその気持ちは変わらない。だから、力になりたかった......馬鹿みたいな理由だけどさ......」
マツリはそんな妄言じみた言葉を吐く夕輝をどうしようもなさそうに見て、肩をすくめる。
「......本当に、馬鹿みたいな理由ですね」
「......何とでも言ってくれ」
覚悟はできていた。
いつから。
マツリにあんな提案をされたときから?
違う。
自分が不老不死になったことを自覚した日から、夕輝はずっと覚悟していたのだ。
茜と、春と、皆と永遠に別れることすら。
「はぁ......音永夕輝、あなたは本当に馬鹿です。救いようのない真のお人好しですね」
マツリは呆れるように言って、付け足した。
「......しかしまあ、私にそんなことを言う権利はありませんか」
「......え?」
夕輝はその意味を理解せず聞き返す。
「つまりですね」
マツリの答えはこうだった。
「......私も、あなたと同じ、ということです」
「ん? それってどういう──」
と、尋ねようとしてついに言葉は続かなかった。
夕輝は意識を失う。
──正確には、マツリに意識を
そこにいたのは、いかにも非現実的なスライムと、その紫色になったスライムに支えられている1人の少女の脱け殻、そして異物の少年だけ。
「......何が」
夕輝はすぐに意識を取り戻す。
「マツリ......何を」
と言おうとして、けれど言葉が出なかったのはあるはずのものがなかったからだろう。
目の前にずっと映っていた、"16:7:10:23:11:06"の文字がどこにもない。
それどころか──自らの内に秘められた能力を、あるいはマツリの能力を探知できない。
「..................マツリ......?......まさか......」
夕輝は直感する。
「......嘘だろ......?」
「今までありがとうございました」
「ま......何だよそれ......待ってくれよ......」
焦りのような感情がこみ上げる。絶対にあってはならないことが起きてしまったということを、夕輝は直感的に分かってしまった。
「どうして......」
「間もなく」
マツリは夕輝を無視するように続ける。
「あなたは私を忘れます。彗星の真実に関する記憶も全て......残るのは、2年をかけて世界を回り能力を奪ったという記憶のみです」
「何で......待ってくれよ、何で......?」
「心配はいりません。あなたが以前抱いていた違和感......即ち、これから能力者になる人間については、私の方で何とかしますから。あと、年齢も進めておいてあげますよ」
「そうじゃない......何で!......駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ! 待ってくれ......1人で背負う必要なんてないんだよ......!」
夕輝は言葉の限りを振り絞ってマツリを止めようとする。このままではいけない。
「......嫌だ!......決定権があるって言ったのはお前じゃなかったのかよ......そんなのないだろ! 俺はお前に......救われてほしいんだ! なあ頼む。待ってくれよ......行かないでくれよ!」
と叫んだ後、彼女の名前を呼ぼうとして夕輝は戦慄する。
「......何で」
どうして、と思った。
彼女の澄ました顔に、ではない。
「何で......何で俺は......
「......安心して下さい、元々偽名です」
彼女はまるでおどけるみたいに夕輝に伝えた後──。
柔らかく、微笑んだ。
「っ──!」
涙が止まらない。
嫌だ。嫌だ。いなくならないでくれ。
そう言おうとするけれど。
「何で......どうして俺は泣いてるんだ......!? なあ、どうしてこんなに怯えてるんだ!? どうしてこんなに辛いんだよ!......お前は誰で......一体俺の何なんだよ!」
「......もう、知らなくていいことです」
「嫌だ!......嫌だ......っ! 教えてくれよ! 俺とお前はどんな関係で、俺はどうしてお前のことを忘れてるんだ......!? どうしてこんなに悲しいんだよ! ふざけるなよ......!......なあ......」
涙が溢れて止まらないのに、記憶はどんどんその中に溶けて落ちていく。あるいは煙が空気に消え入るように。
「友利茜たちの記憶は戻しておきます。......特別ですよ?」
彼女は屈託のない笑顔を向ける。
けれど、それがこの心の苦しみを増幅させた。
横からぴょん、とスライまるが出てくる。
「......夕輝、嘘ついてごめんな」
その後ろから彼女はスライまるに声をかける。
「......スライまるも、本当にありがとうございました」
その意味をスライまるは知っている。というより、マツリに聞いていた。
『創造』能力が夕輝からマツリに移動してしまうことで、自分も消えてしまうのだと。
「......いいってことよ!......トモダチのためなら、消えるぐらいなんてことないぜ!」
夕輝はもう、スライまるというフィクションの存在が何故ここにいるのかも分からなかった。ただ困惑して、戸惑って、そして何より悲しかった。苦しかった。
どちらも大切な存在であるとは分かっていたから。
「私、嬉しかったんですよ。......仲間だと思っている、と言ってもらえて」
彼女はずっと微笑んでいる。それは、心からのもののように思えた。
「......いなくならないでくれ。......消えないでくれ。スライまるも......いなくならないでくれよ!」
自分の違和感とは対照的に、夕輝は名も関係性も知らない少女と、現実にいるはずのないモンスターがいなくなることを恐れていた。
黄色くなった楕円が、ぐしゃぐしゃに歪んで見えた。開いた口のなかにいくつかの塩味を感じた。
叫び過ぎて喉が痛い。
必死になっている理由もわからない。
それでも、夕輝はただ叫び続けた。
「嫌だ......! 嫌だ、嫌だ! 行かないでくれ! 独りになろうだなんて思わないでくれ!」
と叫んだ瞬間だった。
「......え......」
自分が言葉を失うのが分かる。
「......時間切れ、ですね」
マツリは呟き、隣を見る。
黄色のスライまるはもういなかった。
「......あ............?」
意識が遠退く。
──あれ?
今、俺は何をしていた?
胸に空いた穴以外に手がかりがないことに気付く。気付いて、そして眠りに落ちていく。
ふらふらと、真っ白の世界に落ちていく。
ふわふわと、感情と記憶が透明になって消えていく。
目尻や瞼がぴりぴりと痛い。
体が熱い。
それでも、抗うことなどできなかった。
全てが消える感覚。
風に吹かれた粉のように。
夏の冷たいミストのように。
そして──夕輝は意識を失った。
1人の少女はぼろぼろの少年の前で、楕円形に少し増えた空気を体にまといながら呟いた。
「『勇気』なんて能力のせい、ですかね......」
面倒な能力だ、と彼女は最後にそう思っただろう。
間もなく、その場から姿を消した。
1489年。
私は『コピー』能力者になった。
そして、『略奪』能力者になった。
始めはその事実も、それが誰のせいなのかも知らなかったし、まさか自分が不老不死になろうとは思ってもみなかった。
彼が牢屋から失踪し、彼女が死罪を執行されたという話を聞いてから数週間後、私の村は小さな一揆に巻き込まれた。小さな、と言っても村は簡単に焼けてなくなってしまう程のもの。
家族は殺されてしまった。
けれど、移り住んだ村の人たちはそんな私を受け入れて、優しくしてくれた。
飢饉が起こった。
村の人たちは皆、人が変わったように豹変してしまった。
当時の優しさはもうどこにもなかった。
そして、結局皆飢え死にしていってしまった。
たった1人、私を残して。
食べ物がなかった。
食べ物を探していた。
私はいつも、お腹を空かせていた。
けれど、死ななかった。
10年が経った。
ずっと隠れて生きていた私は、そのことを知らなかった。
昼も夜も分からない生活をしていたせいで、そして何よりずっと16歳のままだったせいで、私は変わり果てた町に唖然とした。
町は景気に溢れていたのだ。
お嬢ちゃん、今は文亀。延徳は2つ前の元号だ。
商売人のおじさんは言っていた。
私は自分が死なないことのみならず、老いないことも知った。
『略奪』能力を自覚したのはもっと前で──。
日本では特殊な力を持った人間が成り上がり、外国では"魔女狩り"が行われている。
何年かかけてそれらを知った私は、このままではまずいと思った。
私は能力を奪い始めた。
また、彗星が近付いた。
その当時の私は過去を覗く能力やらシュミレーション能力やらで自分がどうして『略奪』能力者になったのかも、何故不老不死になったのかも、また彼がどうして失踪したのかも知っていた。
これは呪いなんだと思う。
今度の略奪能力者は乙坂有宇という少年。
私は今度こそ、彼に不老不死の能力を奪わせようとした。今までの略奪能力者に対しては失敗してきたことも、今度こそはできる、と。
できなかった。
どうしてだろうか。
私は日本に帰ってきた乙坂有宇の能力を奪ってしまった。
不死能力は私が先に奪っていたため乙坂有宇は気を狂わせてしまったが、彼の能力を私が奪ったことにサラの曲がトリガーとなって記憶は戻ったようだった。
私はそれで──安心してしまっていた。
今度こそ、選択を間違ってはいけない。
乙坂有宇が略奪を始める前──日本では既に、能力のワクチンが出来てしまっていた。それは未知なる粒子──恐らくどんな偉大な学者でも説明できないであろうC粒子を、そもそも体の中に入れないというアイデアから生まれたものだった。
つまり、次の周期からはもう能力者が現れないということ。
勿論、略奪能力者も。
──私は、焦りはしなかった。
能力者は現れる。それは未来から跳んできたサラが既に証明していたのだ。
更に、周期が25年に変化するということも。
もっと言えば──彗星の周期が変わるからこそ、粒子の量が増えてワクチンの耐性を越えるのではないか。私はそう考えた。
だから、彗星の速度を変えた。
その考えは間違いではなかったようだ。
ある種の存在の環もあり、それは成功に終わり──能力者は再び現れ始めた。
音永夕輝は今までの略奪あるいはコピー能力者と同じように、他人を羨んでいた。"他人"という概念そのものを。
略奪能力者であるサラが過去に跳んだということは、彼が略奪能力者になる。それを知っていたから、最初から私は彼を監視していた。
この呪いを奪わせるなら彼しかいない。
そう思っていた。
そのはずだった。
t世界での彼は、それはまあなかなか酷い人間だった。友利茜を見捨て、妹の音永春の気持ちをないがしろにする、そんな人間。
けれど、私はそれが悪気から来るものでないことも、彼が根は優しい人間であることも分かっていた。
根からの悪が人類を救う運命を背負ったらたまったものではない。そういう"理屈"である。
事実、彼は友利茜に時間が必要なのだと判断し、そしてその判断が負の連鎖をもたらしてしまっただけだし、音永春についても、単に彼の幼さや過去を越えられなかったことが原因だったのだ。
そして、s世界の彼はそれらを乗り越えた。
乗り越えた上で、t世界の彼女らまで救ってしまった。
略奪のことを聞いたときも彼は、最終的に自分のことより他人のことを慮って決断した。
私は──何故、選ばせようとしたのだろうか。
略奪のことを。
あるいは、先程の提案も。
音永夕輝ならば、他人を優先するに決まっているのに。
そうか。
わたしはきっと、彼を嫌いになれる理由を探していたんだ。
そうでなければ、また乙坂有宇のときと、あるいはそれ以前の略奪能力者たちと同じことをしてしまうから。
そして、結局は同じことをしてしまった。
「私もとんだお人好しですね......」
自分をあざけ笑ってみた。
脳裏を過るのは、s世界でまだ生徒会に入っていなかった頃、一度だけ彼らの活動を手助けしたときのこと。
手塚という『暴露』能力者の居場所を、音永夕輝の脳に直接インプットさせたときのこと。
それだけではない。私は今回も略奪を2年という期間に間に合わせるために、彼の略奪に協力してしまった。
本当に、人が好すぎる。
そう自分をからかってみた。
──それから、"彼"のことを再び思い出す。
「......本当に、馬鹿ですね......」
人を愛していた彼を。
人を恨んだ彼を。
人を諦めた彼を。
「......君は女を見る目がありませんでしたが......私は君のことが好きだったんですよ」
私は真実の愛を見ていたかった。
本当の愛を見付けて、彼を否定したかった?
──あるいは、私自身も愛を諦めていたのだろうか。
けれど、まだ心の奥では諦めたくないでいた。
だから、試すように友利茜の岩下沙良に関する記憶を残したのかも知れない。
そして音永夕輝はそれを教えてくれた。
誰かと支え合うことが、誰かを必要とすることが正しいことなのだと私に教えてくれた。
それだけで、私はもう十分報われたのだ。
「ありがとう」
小さく呟いた。
もうこの声は、誰にも届かない。
次回、エピローグです。